「粘菌 その驚くべき知性」に見るわたしたち人間の姿

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なさんは粘菌を知っていますか? どこにでもいる生物ですが、動物とも植物ともつかない、ある意味では「物」に近い異質の生物です。博物学者 南方熊楠や昭和天皇を魅了し、今また、その驚くべき能力ゆえに脚光を浴びています。

粘菌は脳を持たない単細胞生物です。ところがシアトルからヒューストンまで、渋滞を避けて移動することができます。機能的なJRの鉄道網を設計することができます。たった一つの細胞しかない粘菌が、なぜそのような知性を示すことができるのでしょうか。

2012年11月21日06時55分35秒このエントリでは、書籍粘菌 その驚くべき知性を紹介しています。粘菌に見られる知性に始まり、人間とは果たして何者なのか、という哲学的疑問に至るまで、さらには、このブログらしく、マインドマップや子どもの慢性疲労症候群(CFS)の話題にまで話を広げてみました。

粘菌 その驚くべき知性 (PHPサイエンス・ワールド新書)

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これはどんな本?

の本の著者は、粘菌をこよなく愛する研究者、中垣俊之教授です。中垣教授は、粘菌に対して「おのれの五感を研ぎ澄まして」臨み、『何年も飼い続けたからこそ到達できる、粘菌を見る「眼」』を養いました。(p55)

中垣教授の研究は、2000年9月、英国の科学雑誌ネイチャーに掲載され、2008年には(喜ぶ人ばかりとは限りませんが)イグ・ノーベル認知科学賞を受賞しました。(p14-15)

この本は、読みはじめは粘菌の生態を研究した本に思えます。ところが単細胞生物にすぎない粘菌に知性があることが分かるになるにつれ、知性とは何か、知性において一線を画すると思われていた人間ははたして特別な存在なのか、という哲学的テーマに発展します。

なぜこの本を手にとったか?

インターネット上でときどき中垣教授の研究に関するエントリを見たので興味を持ちました。

脳を持たない知能のカギ「粘菌」、活躍する日本の研究者たち 写真3枚 国際ニュース : AFPBB News

粘菌は人間のようだ

多くの人は、慣用的に「単細胞」=「バカ」という意味にとらえています。しかし、分子生物学の研究によって、最も単純に思われてきたひとつの細胞でも、驚くほど精巧にできていることが分かってきました。(p26,27,32)

粘菌も例外ではありません。粘菌をよく観察すると、次のような人間らしい行動が随所に見られるそうです。

◆好きな食べ物がある。足りない栄養素をよく食べる (p48)
◆タバコやお酒、紫外線がニガテ (p51)
◆過保護にしているとひ弱になる (p55)
◆感受性が豊か (p53)

これだけを見ていると、「粘菌もやっぱり生き物なんだなァ、人間味があってカワイイものだ」、と顔がほころぶことでしょう。米国の生物学者は、仮にゾウリムシが犬ほど大きければペットのように感じるだろうということを言いましたが、粘菌もまた同様です。 (p33)

ところが以下の事実を知るにつけ、もはや笑ってはいられなくなります。粘菌は次のようなこともやってのけるのです。

◆食べ物までの最短ルートを探す (p67)
◆できる限り危険が少ないルートを通る (p84)
◆食べ物がたくさんの場所にある場合は、近さと効率、そしてアクシデントに対する保険の折り合いをつけたルートを作る (p107)
◆周期的に刺激を与えると、それを記憶し、予測する (p134)
◆難しい状況に置かれると迷いを示し、それぞれが別々の行動を選ぶ (p158)

あれっ? と感じます。粘菌は脳を持たない単細胞生物ではなかったでしょうか。それなのに、適切なルートを探したり、記憶・予測したり、迷いを示したりするのです。これらはどれも人間並みの行動です。

意思を持たないはずの粘菌が、どうして意思を持つ人間のような行動ができるのでしょうか。

自律分散方式というシステム

その秘密は“自律分散方式”というシステムにあります。この言葉は本書に欠かせないキーワードで、繰り返し登場します。“自律分散方式”とは“集中管理方式”の対義語で、各々次のような意味があります。(p38,88,73)

集中管理方式:司令官がいて、各部分に命令を出してはじめて機能するシステム。
自律分散方式:司令官はなく、各部分が勝手に動き、自律的に機能するシステム。

一見、“集中管理方式”のほうが優れているように思えます。リーダーがあってこそ、方向性が定まり、物事がうまく運ぶ、というのが常識だからです。

ところが、自然界では、全体を見渡す司令官が見当たらず、各々が自律的に動いているだけなのに、うまく機能する“自律分散方式”のシステムがたくさんあります。

イワシの群れは、決まったリーダーがいないのに整然と泳ぎます。アリもリーダーがいないのに、せっせと計画的に働きます。光はそもそも生き物ですらないのに、常に最短経路を移動します。 (p39,86,128)

自然界に見られるこれらのものは、高度な“自律分散方式”のシステムのおかげで、たとえ司令官がいなくても、意思を持たなくても、脳がなくても、あたかも知性によるかのような振る舞いをすることができるのです。

中垣教授は、粘菌もまた“自律分散方式”によって知性によるかのような振る舞いをしているのではないかと考え、単純ながら高度にまとめられた計算式や数学的・化学的モデルを発見しました。(p69,90,146,149,171)

それらをコンピューターによって検証すると、ただ高度なルールがあるだけで、最も現実的なルートを探したり、記憶したり、予測したり、さらには迷ったりすることさえできることが分かりました。意思がなくても、脳がなくても、人間味のある振る舞いができるのです!

さて、ここに来て、「粘菌は人間のようだ」 と笑っていたのが、にわかに陰りを帯びてきます。粘菌は意思がなくても、高度なルールによって知性があるかのように見えるのです。ではわたしたち人間はどうなのでしょうか。じつは粘菌と同じなのではないでしょうか。

人間は粘菌のようだ

驚くべきことに、最近の研究によると、人間の脳には司令塔はなく、各ニューロンが、“自律分散方式”で別個に働いて、その結果、答えが出るようになっているのだそうです。(p39,74)

また人が意志に基いて造り上げたはずの首都圏JRのネットワークと、粘菌が“自律分散方式”で造り上げたネットワークを比べてみると、非常に似通っていたそうです。(p120)

つまり、わたしたち人間は、自らの意思で自らを導いているつもりでいますが(集中管理方式)、じつのところは、粘菌と同じような高度な数式によって意思があるように見えているに過ぎない(自律分散方式)かもしれないわけです。

人間は古来、自分たちだけに知性があり、動物とは違うと考えてきました。しかし高度なルールによって知性が生じるのなら、人間は粘菌より複雑ではあっても、特別ではないことになります。さらには、物質と生物の間にも、さほど違いがないことになります。

著者は人間を含む「生物を生存機械」と見ていますが、物質も、粘菌も、人間も、ただ“自律分散方式”の複雑さが異なるだけなのかもしれません。(p32-33,75-76,129)

もし人間が自律分散方式の産物ならば

このまま終わってしまえば薄気味悪い話に過ぎませんから、現実的な応用を考えてみましょう。もし人間が司令官を必要とする“集中管理方式”ではなく、個々が自分で考える“自律分散方式”に基づく造りになっているとしたら、わたしたちの生活にどう影響するでしょうか。

(1)脳のつくりにふさわしい思考

脳が“自律分散方式”であるなら、思考は、始まりから終わりまでバケツリレーのように伝わる直線思考ではなく、どこからでも連想し、木の枝のように発展していく並列思考・放射状思考である、ということになります。

つまり、多くの人たちが愛用しているノート術、マインドマップは、人間の脳の生理的なつくりにかなっているということになります。直線的なノートでは、脳が活性化するどころか退化してしまうというのは至極当然です。

ストレスフリーのノート術「マインドマップ」(上)―その5つのメリット

(2)子どもの個性を大切にする教育

人間社会が本来“自律分散方式”によって発展していくものだとすると、特定のリーダーが牛耳って、他の多くの人が服従する“集中管理方式”の縦割り社会は自然に反していることになります。

書籍「学校を捨ててみよう!」では、子どもの個性を無視した一方的な教育は、“指示待ち症候群”の大人を生み、前頭葉を萎縮させると書かれています。

このブログのメインテーマである小児慢性疲労症候群(CCFS)は、子どもたちが学校を好むか好まざるかにかかわらず、現代の教育制度が子どもの生理的なつくりに反していることが一因となって脳機能が破綻してしまう病気です。

小児慢性疲労症候群(CCFS)とは (3)10の原因と診断の流れはてなブックマーク - 小児慢性疲労症候群(CCFS)とは (3)10の原因と診断の流れ

書籍「フクロウ症候群を克服する―不登校児の生体リズム障害」には日本の教育の基本には「大人は子どもたちより長く生きており何事においても子どもたちの上に立っている。ゆえに大人たちは子どもたちを指導していく立場にある」との哲学があると書かれています。(p159)

他方、登校拒否が非常に少ないスウェーデンでは、子どもの自主性が重んじられており、親や教師の敷いたレール上をしぶしぶ歩むような子どもはいないそうです。(p156)

もちろん、“自律分散方式”にも根底となる高度なルールがありますから、子どもを奔放に任せておけば良いわけではありません。しかし根底となるルール、すなわち価値観を定めたあとは、個性を大切にしてのびのびと育てたほうが、子どもは自然に育つことになります。

(3)相手と同じ立場に立つ

書籍「解決する脳の力 無理難題の解決原理と80の方法 (角川oneテーマ)」には、脳の仕組みに即して、人間には「違いを認めて共に生きる」という本能がある、と書かれています。これは、人間社会が“自律分散方式”によって成り立っている、という見解と一致しています。

“自律分散方式”には司令官もリーダーもいません。おのおのの立場は平等で、格差はありません。ただ根底となるルールに基いて、それぞれがのびのびと働くときに、不思議と物事が発展し、多様で好ましい結果がもたらされるのです。

そう考えるなら、なぜ競争社会や偏差値教育、貧富の格差、民族的・宗教的対立のもとで、苦しみや悲しみが生じ、人間が生きにくくなってしまうのかが分かります。それら上下関係のある環境は“集中管理方式”であり、人間の本能と反しているのです。

ですから、だれかに接するときは、自分が相手より上だとするような尊大な態度をとってはいけないことになります。相手が子どもや障害・病気のある人、弱い立場の人であれば、なおさら相手と同じ高さにまで自分を低めて、謙虚に接する必要があります。

自他に優劣をつけようとする“集中管理方式”的な尊大な態度は、“自律分散方式”によって成り立っている人間社会にとって最も有害なものなのです。他の人に対する最も優れた接し方は、謙虚になって「違いを認めて共に生きる」ことに尽きるといえるでしょう。

自然界を掘り下げてみるということ

ここまで読んで下さった方は、たかが粘菌から、話を発展させすぎている、と思われるかもしれません。しかし本書「粘菌 その驚くべき知性」を読めば、あながち論理が飛躍しているわけではないということに気づかれると思います。

中垣教授はこう述べています。

生きものの賢さの根源的な性質を調べるには、粘菌という生物はもまたとない優れたモデル生物です。

モデル生物とは、単刀直入にいうと、「一点突破の全面展開」です。その生物を深く追求した後、生物界一般に適用できる普遍的な理解へと広げていくことを目指します。(p58)

一般的に、単純なルールに基づいて状態を発展させると、思いもよらない複雑さや驚異的な秩序が現れることがあります。逆に、一見摩訶不思議な挙動をとことん突き詰めていくと、すこぶる単純なからくりに帰着することもあります。

昨今注目されている、複雑系の適応現象、創発現象、自己秩序化(自己組織化)などは、このような事実が根底にあります。 (p130)

もちろん粘菌から学べることは、まだまだ多くあるはずです。自然界の他の多種多様なものから学べることは、それこそ限りがないでしょう。研究が進むうちに、常識は覆され、既存の知識はまたたく間に時代遅れになります。

このエントリに書いたことは、現在わかっているごくわずかなことに、専門知識のないわたしが肉付けしたにすぎません。ただの意見であり、正しい正しくないを問えるものではありません。

それに、人間の脳は「わたしたちのなかにあるもう一つの宇宙」と呼ばれるほど極めて複雑かつ精巧な芸術品なので、たとえ粘菌から人間についてのヒントが得られるとしても、それは氷山の一角よりさらに小さな理解にすぎないと思います。

ただ、わたしは、「お宝を発見・発掘するときには、手がかりを見つけては掘ってみます」という著者の態度に共感しています。どんな答えに行きつこうと、自然界を探求し、考察することはとても楽しく、心躍るものなのです。 (p62)

 

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