本当に謙虚な人の13の特徴―国連事務総長ダグ・ハマーショルドに学ぶ

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虚さ。それはとても大切な特性です。歴史上の偉人たちは、ときに驚くほど謙虚な言葉を残しています。

たとえば科学者アイザック・ニュートンは生涯の終わりに「私は砂浜を散歩する子供のようなものである。 私は時々美しい石ころや貝殻を見つけて喜んでいるけれど真理の大海は私の前に未だ探検されることなく広がっている」と述べました。

虚であることは、わたしたち病気の人にとっても大切であるとつねづね思います。問題を抱えていると、自分に目が向きやすいからです。病気や障害があると、自分のことで手一杯ですが、自己中心的になってしまうわけにはいきません。

しかし、謙虚であることは難しく、表面的なポーズになりがちです。ある意外な人物は、その落とし穴を避けようと終生努力を傾けていました。その人物とは、おおよそ謙虚さとは縁がなく思える国連事務総長の地位にあったダグ・ハマーショルドです。この書評では彼の日記道しるべを紹介します。

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これはどんな本?

著者のスウェーデン人ダグ・ハマーショルドは1953年から二代目の国連事務総長の地位にあった人です。しかし在職中の1961年9月18日、コンゴ問題にかかっているさなか、飛行機事故に遭って帰らぬ人となりました。

彼は、困難な国際紛争の解決に尽力し、国際社会から高い評価を受けていたので 死後ノーベル平和賞を贈られました。

そんな彼の死後に、友人である外務事務次官レイフ・ベルフラーゲ宛ての日付のない手紙とともに発見されたのが、本書道しるべの原稿です。その内容について、ダグ・ハマーショルド自身がこう説明しています。

「誰かがそれを読むだろうとは、まるで考えもしないで、書き始めたものだ。しかし…私の唯一の真実の横顔は、この日記だけが描き出している。

…もし君が、出版に値するものと思うなら、どうか出版してくれたまえ。―私の私自身との、そうしてまた神とのかかわり合いに関するいわば白書のようなものとして」 (p19)

道しるべは彼が20歳ごろから書き始めた日記でした。しかし日々の出来事をつらつらと述べたものではなく、自分への戒めや、人間の本質の洞察、神との関わりについての分析や詩からなっています。

彼はキリスト教を信奉していましたが、どの宗派にも属さず、支援も歓迎しなかったそうです。 道しるべの内容は、一見パスカルのパンセと似ていますが、個人的には道しるべのほうが読みやすく思います。(パンセの書評はこちら)

パスカルの文章がどこか悲観的で、論理に偏っているのに対し、ハマーショルドの文章は生き生きしていて実践的です。これは、パスカルが世捨て人として隠遁生活を送ったのに対し、ハマーショルドが死の直前まで人々のために忙しく働いていたことによるのかもしれません。

なぜこの本を手にとったか

書籍7つの習慣―成功には原則があった! の中にあるダグ・ハマーショルドの次の言葉に出会って、彼の生涯に興味を持ちました。

 

「大衆の救いのために勤勉に働くより、ひとりの人のために全身を捧げる方が気高いのである」

わたしは慢性疲労症候群(CFS)という病気になって、日々の活動が非常に限られるようになりました。患者として、社会・政治活動に携わっているわけでもなく、地域で少しばかり働き、身近な仲間の患者と支えあって生きているに過ぎません。

しかし大それたことができなくても、また多くの人のために活動できるわけでなくても、自尊心を保たせてくれるのが、この言葉でした。

国連事務総長という、だれよりも大衆のために働く地位にありながら、このような謙虚な言葉を残したダグ・ハマーショルドとはいったいどのような人だったのか、調べてみたいと思いました。

本当に謙虚な人の13の特徴

ダグ・ハマーショルドは道しるべの中で、謙虚さについて自分を戒める数多くの記述を残していますが、彼の名言を13の特徴にまとめてみたいと思います。

文章は本書そのままですが、漢字や送り仮名を読みやすくしています。例えば、較べる→比べる 情ない→情けない といった具合です。

耳を傾ける

おまえがけっして耳を傾けたがらないなら、聞こえるという能力を、おまえはどうして保持してゆくことができようか。

神がひまをかけておまえにかかずらうべきだ、ということがおまえには当然のように思われるらしいが、そのくせおまえのほうでは神にかかずらうひまがないとは!(p28)

自分の話をだれかに聞いてもらいたいなら、まず自分が耳を傾ける必要があります。

人生を見限らない

人生とはそんなにも情けないものなのか。むしろ、おまえの手のほうが小さすぎ、おまえの目のほうが濁っているのではないか。おまえのほうこそ、成長しなければならぬ。(p59)

辛い状況に直面しても、謙虚さがあれば、決してあきらめません。問題の原因を自分の外ばかりに求めず、自分の内なる問題を正して、成長しようとすることがうかがえます。

今あるものに満足する

彼は幼い娘を連れてやってきた。その子はいちばん上等の晴れ着を着ていた。…だが、…あれは前には別の幼い娘のよそ行きの外套だったのだ。

…しかしその子は満足していた。…それというのも、…もうある種の謙遜を知っていたからである。…おまえはまだこれからその謙遜を理解せねばならぬ。それは、決してひき比べることをせず、今あるものを退けて、“別のもの”や“もっと多くのもの”を求めようとすることの決してない謙遜である。(p73)

必要以上のものを求めたり、不平を言ったりせず、境遇に満足することも、謙遜さの一面であることがわかります。

賞賛を求めない

「我が心身をすり減らす」―自分の仕事をしながら、しかもほかの人たちのために。―それはそれでよい! しかし、そうしてよいのは、自分の姿をあたりに見せつける(おそらくは、他人の賞賛を得たいとさえ願いつつ)ためでない場合に限ってのことである。(p88)

彼は新しい道を切り開いた―それができたのは、他人が後からついてくるだろうかとか、せめて自分を理解してくれるだろうかとさえ自問することなく、ゆくべき道を進みゆく勇気が彼にあったればこそである。(p109)

何をしても感心してくれない、おまえに対する批評家たちに対して、感謝するがよい(。p159)

周りの人の称賛を求めず、純粋な動機で努力することも謙虚さの特徴だとハマーショルドは述べています。

あらゆる人から学ぶ

「あいつが俺にものを教えてくれるんだって?」―いいではないか。おまえに何かしら教えることができないような者は、誰ひとりとしていないのである。万人を通じて語りたもう神にとっては、おまえはいつまでも幼稚園の最低学級の子どもなのである。(p103)

だれの意見も頭ごなしに拒んだりせず、何かを学び取ろうと耳を傾けることも大切です。

権威を振りかざさない

おまえの職務は、支配する権利をおまえに与えてなどはいない。ただ、他人が屈辱感なしにおまえの命令を聞き入れることができるよう、自分の生き方を正してゆく義務をおまえに課するに過ぎぬ。(p105)

謙虚な人は、他人を正すためではなく、自分を正すために権力を用います。

自己吟味する

賛辞を得たい―あるいは、裁きたい―と思うときには、あの鏡に映ったおまえの姿を見るがよい。絶望に陥らずにそうするがよい。(p108)

だれかから称賛されたい、だれかを批判したいと思う場合は、自分を内省し、そんな資格が自分にあるだろうか、と考えるべきです。

できることをする

できることをせよ―そうすれば任務が手に余ることもなく、軽やかに片づけてゆくことができよう。

その軽やかさに力を得て、おそらくは次にやって来るかもしれぬ、より厳しい試練に向かって、希望を持って向かってゆくことができよう。(p121)

謙虚であれば、どんな困難な状況でも自分のできることを分析し、常にベストを尽くします。

慢心しない

さらに前へ! 山頂寸前のあと何歩かを登りつめるにあたっての注意こそ、それまでのすべてに価値があったかどうかを左右するのである。(p142)

謙虚な人は自分の能力を過信せず、注意深く事を進めます。

ためらわず与える

感謝し、そして用意を整えよ。おまえはなにもしないのにすべてを得たのである。求められたら、ためらうことなくおまえの有するすべてを捧げよ。それはつまるところ、全体と比べたら何物でもないのである。(p143)

感謝の気持ちを忘れず、出し惜しみすることなく能力や資力を活用します。

今を生きる

振り返るな。また未来を夢見るな。そんなことをしても、過去を返してはもらえないし、ほかの幸せな夢想をも満たしてはもらえないのだから。おまえの義務、おまえの褒賞―おまえの運命―はいま、ここにあるのだ。(p155)

今の状況が良くないと、つい昔は良かったと過去を振り返ったり、未来を夢想したりしがちです。しかし謙遜さがあれば、独りよがりな態度を避け、現実から目を背けたりせず、今できることに集中します。

比べない

謙虚とは、自賛の反対であるとともに、卑下の反対でもある。謙虚とは自己を他と比較せぬということに存する。自己は一個の実在であるがゆえに泰然自若として、他の何物ないしは何者よりも、優れてもおらず、劣ってもおらず、大きくもなく、小さくもないのである。(p168)

謙虚な人は、自分をだれか、あるいは何かと比較しません。自分を過大評価してだれかを見下げることも、自分を過小評価して価値がないと考えることもありません。

謙遜になりきれないことを知っている

これらの覚え書き?―これらはおまえにとって…断じて見失ってはならぬ定点にまで到着してから立てはじめた道しるべなのである。そして、いまもそのことに変わりはない。

しかし…いまでは、いつかは読者ができるかもしれぬことを、おまえは念頭に置いている。おそらくし、読者をほしがってさえいる!

…だれかほかの人にとっても意味があるかもしれない。さよう―ただし、それはただ、おまえが書きつづる言葉に、虚栄心や自己満足をたち超えた誠実さがこもっている場合に限られる。(p142)

自分は謙虚であると主張するなら、実際には、謙虚さを誇っていることになります。本当に謙虚であれば、自分が謙虚になりきれないことを自覚し、謙虚であろうとする努力を怠りません。

最も重い責任のもとで

ダグ・ハマーショルドのこれらの言葉が注目に値するのは、この日記が、だれかを教えるためではなく、ただ自分自身のためだけに書かれたからです。厳しい口調のものもありますが、彼はすべて自分を戒める目的でこれらを書きました。

それは、彼がこうした思索を、「生涯を導くアリアドネの糸」と表現していることからも分かります。政治家として権力に溺れた人々の間で生活するなら、いつか醜いミノタウロスの迷宮に迷い込んでしまうという危機感を持っていたのかもしれません。(p106、190)

また、もう一つ注目に値するのが、彼が非常に重い責任を担って、苦闘しながらこれらを書いたということです。彼は各所で悩みをこうつづっています。

私の世界がかくも荒涼としているのは、貧しさの反映なのか、誠実さの反映なのか。…絶望が答えを与えてくれるであろうか。(p88)

孤独は死に至る病ではない。さよう。しかし、それは死による以外は克服せられないのではあるまいか。そして、われわれの死が近づくにつれて、孤独はますます耐えがたくなってくるのではなかろうか。(p89)

私が御身にすべてを捧げるのがより容易になるようにと、御身はこの逃れることのできない孤独を私に与えたもうたのでしょうか。(p163)

彼は国際社会の命運を背負って立っており、自分の一挙手一投足が多くの人の生死を左右することを知っていました。またその責務に誠実に携わろうとするなら、だれとも癒着せず、孤独に生きるしかないことも知っていました。

国連事務総長は、人類史において最も責任の重い職務のひとつで、同時に最も驕りやすい立場であるとも言えます。その重みを担いながら、謙虚であろうと務めたダグ・ハマーショルドの言葉には深みがあります。

「死に至る病ではない」という表現は、しばしば慢性疲労症候群(CFS)を説明するときにも用いられる表現です。CFSの患者もまた、違う種類の耐えがたい重みを担っています。

しかしハマーショルドの生涯から学べるのは、どんな状況にあっても、謙虚さを育むことには価値がある、ということです。謙虚さがあれば、苦難のもとでもたゆまず努力し続け、希望を保つことができるからです。わたしも、ぜひ彼の言葉を銘記して、重荷のもとでも謙虚に生きていきたいと感じました。

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