盲信しないために知っておきたい「脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼」

LINEで送る
Pocket

はてなブックマーク - 研究開発プログラム「脳科学と教育」(研究開発期間 平成13年度~平成21年度) - 社会技術研究開発センター科学(ブレインサイエンス)という総合的な学問が産声を上げて、数十年が立ちました。

脳科学は、今まで心理学や人文学のの独壇場であった“こころの問題”に切り込み、人間とは何か、意識とは何か、といった哲学的な問いにさえ、科学の光を当てつつあります。

医学の分野では、慢性疲労症候群(CFS)のような原因不明とされていた疾患の患者たちに希望を与え、教育の分野では、伝統的とされていた古い教え方を切り崩しています。

その一方で、脳科学は、従来の科学以上に万能であり、諸問題を解決する手立てになるという盲信を集め、中には、脳科学を謳って神経神話を広めるテレビ伝道師のような科学者まで現れました。

わたしたちは本当に“脳科学”を信じて良いのでしょうか。そもそも科学そのものをどう見るべきでしょうか。脳科学の礎を築いた科学者の一人である小泉英明博士がそうした問いに答える脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 (B&Tブックス) を紹介したいと思います。

スポンサーリンク

これはどんな本?

この本の著者の小泉英明さんは、偏向ゼーマン原子吸光法や国内初の超電導MRI装置MRA(MRアンジオグラフィ)法fMRI装置近赤外光トポグラフィ法など、脳科学の基礎となる技術や製品の開発に携わった方です。

2001年度から行われた、脳科学と教育に関する世界初の国家プロジェクトでは主任を務められました。

研究開発プログラム「脳科学と教育」(研究開発期間 平成13年度~平成21年度) - 社会技術研究開発センターはてなブックマーク - 研究開発プログラム「脳科学と教育」(研究開発期間 平成13年度~平成21年度) - 社会技術研究開発センター

この本は、科学とは何か?、科学者に求められる資質は何か?といった根源的な問いから始まり、脳科学の魅力や危険性MRアンジオグラフィの開発秘話など、興味深い話題が満載です。何を信じ、何を疑うか、という点を非常に考えさせられる良書です。

科学とは何か

この本は「本物の科学とは、いったい何でしょうか?」という問いかけから始まります。どうして今、そのような問いについて考える必要があるのでしょうか。

わたしたちは、科学大国に生まれ、科学の時代に生き、科学に相当の期待と信頼を寄せるようになりました。日本では“脳ブーム”以降、その傾向が特に顕著です。

「科学的ではない」として“宗教”を毛嫌いし、科学者の意見は感心して受け入れる人は少なくありません。「宗教的」という言葉を盲信の代名詞であり、宗教は問題の源と考える人もいます。

しかし科学を絶対的なものとしてあがめ、“脳科学者”の言うことを鵜呑みにするならば、それは「宗教的な」盲信と同じになってしまう点が警告されています。たとえばこう書かれています。

一見、怪しいと思われるような科学を擬似科学と簡単に決めつけること自体が、そもそも科学的ではないことが歴史を見ると分かります。(p2)

今科学者と言われている人たちが、たとえばオカルトに近い現象に出会ったときに「いや、それは科学ではない」と頭から決めつけるのも、実は必ずしも科学的な態度ではないのです。

…科学自身が絶対的なものだというふうに決め付けること自体に危険がある。(p12)

特に脳科学の分野は、この危険が大きいとされています。なぜでしょうか。例を挙げてみましょう。

1.だれも脳の全体像を知らない

小泉さんは、「私自身も含めて、脳科学という脳の全体像を知っている専門家はまだいない」ので、自ら「脳科学者」と名乗るのは、現時点ではおこがましいことに思えると述べています。脳を専門とする神経科学者でさえ、ちょっと違う分野に踏み込むと、素人同然の知識しかないのです。(p33,38,50)

脳自体がよく分かっていないのに、メディアでいかにも権威がありそうな“脳科学者”が「脳はこうだ」と宣言してしまうと、盲目的な神経神話を流布する教祖となってしまう、現にそのような構造で「脳ブーム」が生じていると書かれています。(p42)

解剖学者として脳にも詳しい養老孟司先生は、小泉さんにこう述べたそうです。

今、脳に関する情報が洪水のようにあふれているが、正確ではないものがものすごく多い。

情報を享受する側からすると、どれが正確な情報で、どれが不正確な情報かの区別のしようがない。

ここで、できるだけ正しい情報を発信しておかないと、世の中全体がおかしくなる。

2.脳科学はあらゆることに関わる

小泉さんは、1992年、人が指を動かすことを想像したときに、実際に指を動かすのと同じ反応がfMRIに描画されることを発見しました。「この結果によって、私は将来、心の問題さえも画像によって研究できるようになると確信した」と述べています。(p118)

そのため、こう警告しています。

われわれが考えたり判断したりしゃべったりなどの日常生活のすべてはいわば脳の働きですから、たとえば「脳から見ると……」と何でも発言できるわけです。

さらに言えば、脳科学とまったく関係なくて、常識的に考えても当たり前のことを説明するときに、博士号を持つ科学者が修飾語として「脳から見ると……と付け加えるだけで、みんななるほどと思ってしまうのですね。 (p43,131)

このゆえに、育児や保育の「三歳児神話」「胎教」、コミュニケーションの「男性脳、女性脳」、「右脳人間、左脳人間」などといったさまざまな神経神話が広まりました。どれも、一部は正しいとはいえ、ほぼ望ましくない形で流布したと説明されています。(p131,135,152,162)

特に「三歳児神話」の早期教育は危険で、赤ちゃんが本来「ものすごい学習のプロセスをきちんと踏んでいる」のを妨げ、「非常に偏った教育になる可能性」があり、「後に禍根を残す怖れがある」と危惧されていました。(p143)

3.計測がブラックボックス化しやすい

宇宙論や素粒子論、そして脳科学は、実験が不可能だったり、特殊な設備が必要だったりします。そのため、理論が支配的になり、実証されていないのに公理として扱われる危険があることが指摘されています。(p47)

科学の基本は測定です。測定とは、比較、すなわちすでにあるものと新しいものの「比」を較べることを表します。キュリー夫妻がラジウムを発見した時に用いた装置も、放射能を分銅で測れるようにしたものでした。(p80,83)

異なるものを比較するには零点法、つまり、天秤の仕組みに基づいていなければなりません。天秤であれば、いかなる状況でも、吊り合う位置、つまり零点は同じです。しかし、バネ秤のような他の方法だと、バネが古くなったり、重力が変化したりすると数値が変わってしまうのです。(p88)

ところが、今では装置が複雑化し、脳科学者は他人の作った装置で計測しています。それで次のような危険が生じています。

装置で測っていても、実際に何を測っているのかきちんと分からないまま平気でデータを出していることがあります。 (p89)

間違ったことを測定しているにもかかわらず、私の結果は立派な装置で得たものだから正しいのだと言い張ったとすると、これはオカルトと何も変わらないですね。(p94)

科学はどうあるべきか

では科学はどうあるべきなのでしょうか。

小泉博士は尊敬する科学者としてアイザック・ニュートンよりもヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(p102,108)やゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(P105) マリー・キュリーより夫のピエール(p8,83)、アレッサンドロ・ボルタよりルイージ・ガルバーニ(p122)を挙げています。

彼らは比較するという科学の基本を忘れず、いわゆる科学だけですべてが理解できるというおごった見方をせず、とても広い視野を持って、物事の本質を見ぬこうとしていたからです。

それで小泉さんはこう述べています。

日本がこれから力を入れていかなくてはならないのは、学問分野の壁を乗り越えて、そこに架け橋を作ることです。私はそれを「架橋融合」と呼んでいます。(p25)

自然科学と芸術、また人文学というのは、非常に近い形で融合できるのではないか。(p103)

本質的なことを考えている人たちは皆、共通して文化的な分野への興味が非常に強い。(p104)

脳を知ることは人間を知ることです。ですから、人間の本質を見極めるために、歌舞伎などの芸能を知ることは大変重要になると思っているのです。(p173)

脳科学の未来はどこにあるか

ここからは、小泉博士の持論となりますが、脳科学がこれから切り開く分野について、とても興味深いことが書かれています。

未来という概念:
動物の脳と人間の脳の違いを調べたとき、ひとつ見いだせるのは、未来という概念は人間にだけあるようだ、ということだそうです。チンパンジーをはじめ、動物は“今”しか考えておらず、未来や過去について悩むのは人間だけだと考えられています。

人間において、未来という概念は、言語や宗教、特に聖書と関連があることも興味深いとされています。これは「究極の課題」かもしれません。未来や時間についての研究は今最も抜け落ちていることなのです。(p54-74,192,198-201)

憎しみという概念:
同様に、「憎しみ」を持つのも人間だけらしいと考えられています。この研究もまた心理学で抜け落ちている部分だそうです。(p75-78)

右脳と左脳の役割:
左脳は微分(元々あるつながっているものを切っていく信号処理)、右脳は積分(切れているものをつなげていく)を担っているのではないかという仮説が紹介されています。(p157)

これらはどれも、やはり仮説でしかありません。小泉さんが警告していることを、小泉さん自身の論議に当てはめることも重要でしょう。

この本の最後の部分では、こう次のような抱負が書かれています。

[宗教の]足りない部分を科学、特に脳科学の方から現実的に取り組めば、状況がかなり改善されていくのではないかと私は信じているのです。

…科学の可能性は、私は宗教以上に開かれているのではないかと思っています。

確かに脳科学が、これまで不可解な言葉で濁されてきた世界に光明を当てるすばらしいツールであることに疑う余地はありません。

しかし科学であれ宗教であれ、自分の意見は他の人の意見より勝っていると考え、それを良かれと思って人に強制しようとするならば、必ず不都合が生じます。

わたしとはては「宗教以上に」という表現には一抹の驕りを禁じえません。科学も宗教も、これまで同じほど多くの過ちを犯してきた点を忘れるわけにはいきません。それは脳科学の未来にとっても大切な教訓でしょう。

良い動機で、いかに慎重に物事を進めたとしても、人が人を変えようとするのは能力を超えたことです。それは最新の注意を払って積み上げられた脳科学による教育であったとしても、同じことです。

研究し、それを広く伝えるのはぜひ行うべきことですが、何を選び、どの価値観を受け入れるかは、各人およびそれぞれの家庭に委ねられるべきことだからです。

一介の人間として限界をわきまえる、ということについて、以前このブログで取り上げた、ダグ・ハマーショルドの言葉には考えさせられました

small本当に謙虚な人の13の特徴―国連事務総長ダグ・ハマーショルドに学ぶはてなブックマーク - 本当に謙虚な人の13の特徴―国連事務総長ダグ・ハマーショルドに学ぶ

 もちろん、小泉さんはこれらのことをすべて承知の上で上記の言葉を語っておられるとは思います。脳科学の研究全体が、注意深くなされるべきなのは間違いありません。

脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼は示唆に富み、深い思考を促すとてもすばらしい本です。わたし自身、気をつけたい点が多くありました。何であれ研究することに携わる人であれば、手にとって損はありません。

スポンサーリンク
LINEで送る
Pocket

▼こちらの記事もおすすめです


スポンサーリンク