【5/21】「病気になった人が悪い」のか―基本的帰属錯誤という落とし穴

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「病気になった人が悪い」と考える風潮について、「安易に患者の自己責任を問うのは危うい」と内科医の酒井健司さんが警鐘を鳴らしていました。このエントリでは、わたしたちが陥りやすい基本的帰属錯誤という問題について考えます。

《97》 「患者に落ち度がある」と思い込む診断 - 内科医・酒井健司の医心電信 - アピタル(医療・健康)《97》 「患者に落ち度がある」と思い込む診断 - 内科医・酒井健司の医心電信 - アピタル(医療・健康)はてなブックマーク - 《97》 「患者に落ち度がある」と思い込む診断 - 内科医・酒井健司の医心電信 - アピタル(医療・健康)
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「病気になった人悪い」のか

最近のニュースで、「病気になった人が悪い」という意見を述べた著名な人のことが報道されていました。その意見に賛成する人も多くいるようです。しかし酒井健司さんは、2つの例を挙げて、患者に落ち度があると考えることの落とし穴を示しています。

■ お腹がふくれてきた男性
インターン医はアルコール性肝硬変という診断しか思いつかなかったが、指導医は稀な病気の検査も行い、ウィルソン病という肝臓に銅が蓄積する遺伝性疾患であることが分かった。

もし医者が、「飲みたいだけ飲んで肝硬変になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」と考えていたら正しい診断ができなかった。

■「冷蔵庫マザー」
自閉症の子どもはかつて母親の愛情不足が原因と思われ、お母さんは不当にも「冷凍庫マザー」(冷蔵庫のように冷淡)というレッテルを貼られていた。

現在では遺伝がおもに関係していることがわかっている。また子育てについて父親を度外視して、母親にだけ責任を求めるのもおかしい。

酒井健司さんは「医師個人の診断技術」「医学そのもの」が未熟であるゆえに、病気を患者のせいにしてしまうことに危機感をつのらせています。

基本的帰属錯誤の問題

社会心理学では、原因を当事者の失敗に求める傾向のことを、基本的帰属錯誤と呼ぶそうです。実際には環境や偶然といったどうにもならない要素が絡んでいるのもかかわらず、それを度外視してしまうのです。

基本的帰属錯誤については以下のブログで詳しく説明してくださっています。

誰でも実践できる!!思考の歪みを矯正する第一歩 | 週刊プレイングマネジャー誰でも実践できる!!思考の歪みを矯正する第一歩 | 週刊プレイングマネジャー

基本的帰属錯誤は、このブログで取り上げている種々の問題と密接に関係しています。たとえば次のような説明は正しいでしょうか。

■ 子どもが不登校になるのは「心の弱さ」や「家庭」のせい

→間違い。研究によれば、不登校の子どもやその家族に共通した問題は見当たらない。さまざまな環境ストレスが重なりあうことが強く関係していると考えられている。

小児CFSの本「学校過労死―不登校状態の子供の身体には何が起こっているか」(上)小児CFSの本「学校過労死―不登校状態の子供の身体には何が起こっているか」(上)

■ 子どもを虐待する親は冷酷でモンスターのような存在

→間違い。虐待は連鎖することがあり、親自身も苦悩していることが多い。親にも援助が差し伸べられる必要がある。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2012新版)だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011新版)はてなブックマーク - だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2012新版)

■ 朝起きられないのは「怠け」や「自己管理の不足」だ

→間違い。生まれつきの体内時計の周期や生体リズムの異変が原因かもしれない。病気の場合、専門的な助けがなければ改善が難しい。

朝起きられないもう一つの病気「起立性調節障害(OD)」にどう対処するか(上)朝起きられないもう一つの病気「起立性調節障害(OD)」にどう対処するか(上)

基本的帰属錯誤の傾向は根深く存在しています。「わたしにはそんな傾向はない」と思っていても、生活のさまざまな分野で、気づかないうちに不当な考え方をしていることがあります。

当人に原因があると思えても

それでも、やはり当人に問題があるのではないか、と思えるときもあるでしょう。特に自分が不利益を被っているときは、相手に原因を求めたくなるものです。

しかしどれほど自分の意見が正しく思える場合でも、考え落としている情報があるはずです。

疑う余地のないことですが、わたしたちは当人以上に事情を知っているわけではありません。また遺伝的背景や何気ない環境など、当人でさえ気づいていない要素が絡んでいることもあります。

酒井健司さんは、当人に原因があると思えるような場合として、アルコール依存症を引き合いに出し、こう述べています。

念のために申し添えますが、アルコールによる肝硬変だったとしても患者の自己責任を問う言説は正当化されません。アルコール依存症も支援が必要な病気です

本当に相手を助けたいと思っているなら、なぜそうなったのか原因を探ろうとするのではなく、どうすれば問題を克服できるかを一緒に考え、協力するべきです、

今にも溺れそうな人にとって、遠くから「なぜ溺れたか」を声高に指摘する人と、走ってきて浮き輪を投げてくれる人のどちらが本当の友だちといえるでしょうか。答えは明らかです。

原因を指摘することによって事態がよくなることは滅多にありません。有名な「北風と太陽」の話のように、相手の落ち度を指摘する厳しい態度は心を動かすことができません。その点は以下のエントリにも書きました。

 「人は人の優しさに触れて自分に強く、人に優しい人間になれる」「人は人の優しさに触れて自分に強く、人に優しい人間になれる」

ある文化的背景のもとでは、病気になる人は、「犯した過ちのせいである」とか「神々の不興を買ったためである」とされることがあります。もし病気を当人のせいにするなら、それと同様の間違いを犯していることになります。

基本的帰属錯誤や自己責任の論調は、メディアで人気があるため、つい影響されがちです。しかし、相手を貶めることにより、偽りの優越感にひたったところでむなしいだけです。それはだれの益にもなりません。

本当に相手のことを考えた接し方とはどういうものなのか、ということを考える際に、基本的帰属錯誤という落とし穴を、いつも心に留めておきたいと思いました。

 

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