ALSの闘病記「わたしは目で話します」に学ぶコミュニケーションの大切さ

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なたはコミュニケーションが苦手ですか?

わたしは目で話しますという本の著者はこうアドバイスしています。

百聞は一見にしかず、そういう人はわたしのベッドサイドにきたらいい (p219)

どういうことでしょうか。著者のたかおまゆみさんは、神経難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)を抱えているのです。ALSは、その病態ゆえ、コミュニケーションが最も難しくなる病気のひとつです。

ろう学校の教師、ドイツ語翻訳者、そして文字盤の使い手としてコミュニケーションに貫かれた人生を歩んできた著者がつづる、異色の、けれども限りなく真摯なコミュニケーション・テクニックの本を紹介したいと思います。

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これはどんな本?

たかおまゆみさんは、2009年9月、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症されました。当時から、ニューロンくん がんばれ!といブログを書いておられ、うさぎさんというハンドルネームを使っておられます。

ここはWEB上なので、わたしもこの書評ではうさぎさん、と親しみを込めて呼ぶことにさせていただきます。

この本は、単なるALSの闘病記ではありません。ほかのあらゆる本と一線を画しているのは、一字一句残らず文字盤によって書かれ、文字盤の魅力を語った生き生きとした本だ、ということです。

文字盤とは、50音と記号が書かれた透明な板のことです。会話する人同士の顔と顔の間に文字盤をかかげ、話し手の視線の動きを読み取って、一語一語、言葉を理解するコミュニケーションツールです。

うさぎさんは世界の文字盤についてのところで、「わたしがもしも魔法使いで、空飛ぶ車いすを自由にあやつって、きょうはこの国、あすはあの国と飛び回れたら」と述べていますが、この本の生き生きした文体と話題から受ける印象はまさにそんな感じです。

言葉が自尊心のよりどころとなる

ALSは、非常に有名な難病、本書の言葉を借りると“王様”なので、このブログで改めて説明する必要はないかもしれません。大脳と脊髄の運動ニューロンの働きが悪くなり、全身の筋肉が衰えていってしまう難病です。(p39)

食事ができなくなるため、胃ろうが必要になり、次いで呼吸ができなくなるため、人工呼吸器をつけるかどうか選択を迫られます。それはこれまで家族の世話をしてきた女性にとっては、感情面でも社会的な面でも難しい選択です。(p72-73)

眼しか動かせなくなる、あるいはそれさえもできなくなる、ということは、想像するだけでも恐ろしいものです。この本にはALSの可能性がわかったときのうさぎさんのショックが、まざまざと回想されています。(p27,30)

それでも、うさぎさんが失って一番辛かったものは、意外なことに、体の自由ではなかったそうです。

身体が動かなくなるより、おいしいものが食べられなくなるより、言葉を失っていくことのほうが、十倍も百倍もつらかった。(p53)

まったく動けなくて、しゃべれなくて、ベッドに寝たきりのわたしは、人間でないと感じるときがある。どんなときかというと単純明快、文字盤による言葉をとりあげられてしまったときだ。(p214)

だからこそ、もっとも嬉しかったのは文字盤によるコミュニケーション手段を手に入れたときだそうです。

文字盤を見て、「はじめのころはたいへんでしたでしょうね」と、わたしにきく人がいる。たいへんだったもなにも、わたしには狂喜乱舞した思い出しか残っていない。(p13)

わたしはいまでも、翻訳の仕事や、ものを書くことに夢中なのだ。…これには自分自身がいちばんビックリしている。時間の空いているときは、たいてい文字盤を読んでもらって、なにか文章を書いている。(p77)

このような経験をした方が語るコミュニケーションについての話には重みがあります。

たとえば、わたしはなかなか実践できていないことですが、次のような言葉を思いに留めておきたいと思いました。

■ 文字盤はそうはいかない。いつも一発勝負を強いられる。この本をかくにあたっても、一度口にした言葉は、ほとんど訂正しないで書いている。…考える過程は、すべて頭の中でこなしていくのが文字盤のライティングスタイルになる。(p166)

■ 文字盤で話すときは、百の言葉を一つにしぼる。だから文字盤であらわす言葉のうしろには、九十九の言葉が含まれている。

…だから、わたしの「ありがとう」には、ふつうの人の「ありがとう」の百倍の意味があるのかもしれない。 (p200-202)

■ 沈黙すれば、対話のレベルが『情報のやりとり』から『意味のやりとり』のレベルに深まっていく (p198)

慢性疲労症候群のコミュニケーション

ALSの方の悩みと比較することはできませんが、わたしも、この病気になってから、言葉についていろいろと考えさせられることになりました。

慢性疲労症候群では、言葉を話せなくなるわけでも、話が理解できなくなるわけでもありません。それなのに、どれだけ話しても、気持ちが伝わらないということがあるのです。

自分でも症状をどう説明してよいかわからない、ただの慢性疲労と思われやすい、見た目は元気そうに見える、血液検査には何も出ない、その時々によって症状の程度が異なる、ふだんベッドに縛られていても少しだけなら外出できたり、ちょっとの時間だったら友人と笑って話せたりする…。

こんなにも誤解を招く要素が積み重なって、こぼれ落ちるほどになっている病気はそうそうありません。そして不思議なことに、多くの人は、CFS患者とコミュニケーションするとき、わたしたちの“言葉”ではなく、見た目や経験や知識を信じるのです。

わたしにとって話すことは書くこと以上に疲れます。だから、ときどきコミュニケーションにうんざりして、尻込みしてしまうこともあります。

それでも、あきらめてしまわないために、わたしよりはるかにコミュニケーションが制限された状況にいる、うさぎさんの言葉にはとても励まされました。

まるで言葉が使えなくなってしまったときや、言葉を大切に受けとめてもらえなかったときの悲しみは本当に深い、ということを想像してみてほしい。

逆に言葉があたえられて、コミュニケーションができるときのよろこびがどんなに深いものか。おいしいものを食べられなくても、身体が動かなくても、いいにおいがかげなくても、そんなにたいしたことではない。

「そんなバカな!」という声が聞こえそうだが、実際に体験したわたしがいっているのだし、ほかのALS患者さんも口をそろえるところなのだ。 (p220-221)

文字盤でつづられた言葉がこんなにも心を揺さぶるのですから、言葉には間違いなく力があります。コミュニケーションが難しくても、言葉を考え、伝える方法を熟慮することには大きな意味があるのです。

コミュニケーションの本はちまたにあふれていますが、極限の立場に置かれた人が目で紡ぐアドバイスは、他のどんな本よりも考えさせられるものでした。

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