【まとめ】慢性疲労症候群についての「ザ・ドキュメンタリー 難病女子の闘い」

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性疲労症候群(CFS)について扱われたテレビ番組『ザ・ドキュメンタリー「難病女子の闘い」』を見ました。興味深い内容だったので、内容を書き出してまとめておきたいと思います。いつものように、できるだけ正確であろうとは努めていますが、細かい表現は番組とは異なる部分もあるメモ書きです。最後に感想を書きたいと思います。

 

「慢性疲労症候群を知っていますか。疲労といっても単なるたかれではありません。原因不明の難病です」。

佐藤まゆ子さん(40歳)は患者の一人。仕事に打ち込んでいた33歳のとき、突然病に冒された。取材中にも急に容態が悪くなることも。

自分には関係ないことと思っていないだろうか。実際には、この病気は日本人の1000人に3人がかかっている。

慢性疲労症候群は、ある日突然、原因不明の強い倦怠感に襲われ、微熱や頭痛、思考力の障害などが長期間にわたって続く。ひどい人は寝たきりの状態になる。

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ナイチンゲールも闘った慢性疲労症候群

2012年9月。佐藤さんに出会ったのは二年半前のこと。

身の回りのことはお母さんに頼っている状況。「手がグーッと固くなって、箸が持てない」

母の總子さんはパートをしながら一人家事をこなし、娘の世話を続けていた。

佐藤さんは一人でお風呂にはいるのが難しく、週に一回、お母さんに頭を洗ってもらっていた。慣れてきたと話すが、お母さんは大変そう。

(頭を洗ってもらっていると)「足が疲れるんですよ。意外とふんばるので、それで疲れてしまう」。ただ頭を洗ってもらっただけでも疲れる。

40年前、東京で生まれた佐藤さん。お父さんは一人娘をとてもかわいがったが、佐藤さんが社会人になったころ病気で亡くなった。佐藤さんは残業もいとわず働き、マラソンにアウトドアなど、活発なOLだった。しかし33歳のとき、高熱をおして仕事をしていたところ、体に異変。

「一週間たっても、足がガクガクして立てなかった。いわゆる燃え尽き症候群、心身疲労と診断されて、一ヶ月くらい休んだら良くなると言われた」。

しかし一年経っても、ほとんど動けない状態が続き、退職を余儀なくされた。あちこちの病院を受診し、慢性疲労症候群と診断されたのは二年後。しかしそれからが本当の困難の始まりだった。

2013年9月 大阪。佐藤さんが病院に行くというのでついていった。二週間ぶりの外出。東京に住む佐藤さんが向かったのは大阪市立大学病院。この病気の専門外来は、日本にここしかない。遠くて予約も取りにくいため、専門医の診察を受けられるのは、年に二回ほど。

(山口先生)「どうですか、調子は」(佐藤さん)「感覚としてはあまり良くなっている気がしない」

(山口先生)「今一番困っている症状は」(佐藤さん)「脳の…なんというか、こういう外出したときに、頭がピピピちかちかっとして…」

理化学研究所はことし4月、慢性疲労症候群の原因に迫る研究『「慢性疲労症候群」患者の脳内での炎症を確認』を発表。。右が患者の脳。左が健常者。患者の脳には炎症がある。たとえば扁桃体の炎症が強いほど、認知機能に障害が出る。そして、視床の炎症が強いと頭痛や筋肉痛がひどくなるという。

(山口先生)「程度が軽ければ、怠けていると思われている人が多数いる。しかも内科などでは検査をいろいろ受けるけれど、何も異常がないから『あなたはどこも悪いところがない』と言われ、患者さんは非常に苦悩する。昔からある病気で、ナイチンゲールは人生のある一時期慢性疲労症候群になって、いろんな社会的な活動がほとんどできなくなった時期がじつはある」。

近代看護の生みの親フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)もこの病気に苦しんでいたという。

「(完治は)一応あると思う。すっかりよくなって、疲労外来を卒業して、普通に働いている患者さんももちろんいる。非常に少数ですけれどね」

この日、大阪まで遠出した佐藤さん。音や振動など、移動中もつらそうにしている。なんとか東京まで帰ってきたが、この後一週間ほどまったく動けなくなってしまった。

重症患者の実態

北海道旭川。慢性疲労症候群の患者の中でも、重症の方が取材に応じてくれた。自宅に伺うと、まっくらな中、床に伏していた。田端さん(仮名)、36歳。一日のほとんどを布団で過ごす。光りや音の刺激に弱く、豆電球の明かりで過ごしている。

「これでもちょっとまぶしい。食べ終わったあとの消化をしている疲労感で、食事が終わったあとが一番疲れる」

看護師だった田端さん。週に何日も夜勤がある激務だった。あるとき、普通に生活するのが難しいほどの疲れを感じるようになった。それから4年、症状が徐々に悪化し、今では、この部屋から出ることができない。

「長くしゃべると息が乱れる」

いわゆる難病は5000-7000あると言われているが、現在、国の医療費助成を受けられるのは、わずか56。慢性疲労症候群は含まれていない。今年、国は難病の制度改正を決め、医療費助成の対象は300に増やしたが、慢性疲労症候群は蚊帳の外。

(佐藤さん)「生活の困っている度合いに応じて援助が受けられたらもっと回復する人が増えるのでは」

慢性疲労症候群の患者の会は、重症患者の実態調査を国に訴えるため野外で活動。予想以上に多くの人が足を止め、話を聞いてくれた。

「この病気のことをぜんぜんご存じない方々なのに、すごく快く応じてくださって、すごくありがたい」

この日霞ヶ関の厚生労働省で、大臣に直接要請する機会を得た。

慢性疲労症候群の就労支援

今年5月。この日に思い切って出かけたことが佐藤さんの人生を大きく変えることに。前の職場の同窓会があるという。

人材会社で社会人向けセミナーの講師をしていた佐藤さん。当時の同僚や受講生と会うのは5年ぶり。会場には懐かしい友人たち。会社をやめてからの五年間について、説明する時間をもらった。

「いま電動車椅子を使って生活しています。慢性疲労症候群というあまり原因がよくわかっていない病気になりまして、何の病気か分かるまで、正式な診断がつくまで1年9ヶ月かかった。そのあと、多少外に出られるまで3年一ヶ月かかっている。…企業の中でも無理して働いている人がたくさんいることをこの機会に知ってほしいと思った」

この五年の間も、ほかの人の時間は着実に進んでいた。

久しぶりの外出で楽しい時間を過ごし、明るく振舞っていたけれど、辛かった。キャパオーバーだった。

この同窓会が思いがけない出会いにつながった。伊藤早苗さん。前の職場の関連会社の先輩。同窓会で会った上司が紹介してくれた。伊藤さんは、入社4年目、営業の仕事で駆け回っていたとき、慢性疲労症候群のような症状を発症。13年寝たきりの状態だった。

「(発症したのは急で)インフルエンザにかかったと思っていた。会社で辛くなってきて家に帰って測ったら高熱だった」

4年前から除々に回復して、理由はわからない。「毎日のようにすぐに治ると思っていた」

今年、体や心の病気を持つ人の就労を支援する組織を立ち上げた。「ユニバーサル就労支援」。パソコンでの作業が得意な佐藤さんはホームページづくりを手伝うことに。

この出会いを心から喜んでいたのはお母さん。「娘が元気になれることを見れるのが一番うれしい」。

佐藤さん「わたし自身もぜんぜん働きたい意欲がないわけではなくて、むしろやれるんだったらやりたい。社会にいると、難病とかだといないことになっちゃう気がする。社会との隔絶感はものすごく患者を不幸にしていると思う。ちゃんと人間として存在している実感が得られることが、患者にとって大きい幸せになるのではないか」

今年10月から、国による慢性疲労症候群の実態調査がはじまった。来年春にも結果が出る。

 

番組の内容は以上です。

程度は人それぞれで、重い人も比較的軽い人もいますが、生活スタイルなどはやはり似てくるのだなあと思いました。壁にもたれながら半分寝た姿勢でノートパソコンを操作している佐藤さんの姿が映されていましたが、わたしも同じような状態で過ごしています。起きなくても、いろいろできるように、そのまわりにあれこれと設置していくのも同じですね。

会社の同僚に会いに行くシーンなどは、わたしとた違う気がしました。わたしにはそういう場はありません。

社会に出て、ある程度働いて、人間関係もできて、社会人として経験を積んだあとに慢性疲労症候群になるのと、わたしのように学生時代に慢性疲労症候群で不登校になるのとでは、かなり、状況が異なると思います。

学生時代にCFSになるということは、社会人としてのスタート地点にも立ってないないわけです。病気がもし良くなったとしても、戻れるところや経験を活かせる場所があるわけではなく、まったくの白紙からスタート。そのぶん壁がもっと高いように感じてしまいます。

実態調査のときにも、そういう点は少し書いたのですが、10代という若い時期からCFSと闘病している人たちはどう生活しているのか、わたしとしてもわからないことだらけなので、とても気になるところです。

何はともあれ、今回のドキュメンタリーは慢性疲労症候群という病気を持つ人の生活がどんなものかを示す、とてもわかりやすいものだったと思います。佐藤さんも関係者の方々もありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

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