アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群

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型発達症候群(Neurotypical syndrome)は神経学的な障害で、以下のような特徴が見られます。

■社会の問題への没頭
周囲に馴染むことを最優先事項とみなす
そして集団になると、社会性および行動において硬直する

■優越性への幻想
自分の経験する世界が唯一のもの、正しいものであるとみなす

■ひとりでいることが困難
人と一緒にいるが、仲間に入らないということを苦手とする
人といるときには必ず何か話さないではいられない

■率直なコミュニケーションが苦手
本音を言わず、建前を優先する

■論理を欠いても平気
一貫性がなく、状況によって対応を変える

これは、自閉症スペクトラムのアスペルガー症候群の人から見た、いわゆる定型発達の人の特徴だといいます。定型発達の人がアスペルガー症候群の人のことを不思議に思うように、彼らも定型発達の人のことをおかしく思っている、ということが表れています。

今回簡単に紹介する、アスペルガー流人間関係 14人それぞれの経験と工夫はアスペルガー症候群の人(AS)が定型発達の人(NT)との人間関係の仕方を説明したユニークな本です。

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これはどんな本?

この本は、アスペルガーの人たち14人(診断済み12人、未診断1人、親が1人)が、それぞれの人間関係の苦労や流儀について経験談を語った本です。解決策というより、苦悩について書かれている部分が多い印象です。

英国自閉症協会(NAS)に勤め、現在シェフィールド・ハラム大学自閉症センターの主任講師である、ルーク・ベアドンが、編集し、それぞれに説明をつけています。

少し翻訳や体裁が読みにくいという欠点が気になりますが、生き生きとした主観的な体験を読むことができます。

なお、最新のDSM-5では、アスペルガー症候群はなくなり、自閉スペクトラム症に統一されています。

定型発達症候群という見方

最初にルーク・ベアドンが挙げている定型発達症候群という見方は上に紹介したとおりですが、いろいろと興味深い考えを提供してくれます。

1.定型発達の人(NT)も奇妙である

NTの人は、自分たちは普通で、ASの人は変わっている、と思いがちです。しかし、この本では、むしろアスペルガーから見て、定型発達の人の振る舞いが奇妙なことが説明されています。

たとえばこんな話があります。

NTは子どもに「正直に言いなさい」と教え、しかし「おばあちゃん、どうしてあごひげ生えてるの」と聞いた子どもを叱ります。

…(中略)…

「自分の思うことをそのまま発言してはいけないよ……状況にもよるけどね。

真実を言うことは大事だよ。ふつうは。あっ、でも何を言われたか、誰が言ったかによるね。

自分らしくしなさい……でも我々がそれが嫌でない場合だけど」

など延々と続きます。これでは混乱するなというほうが無理でしょう。(p16)

こうした例を見てみると、一貫性を求めるASの人から見て、NTが奇妙に思える理由がわかります。

2.ASの側の「障害」?

多くの本では、ASの人は、想像力の障害、社会性の障害、コミュニケーションの障害があるとされています。しかし本当に「障害」があるのでしょうか。本書の一例はとても興味深いものです。

第七章に載せられているのは、インド系英国人のカムレシュ・パーンディヤの話です。彼は自閉症スペクトラム症(ASD)とダウン症の人に出張支援を提供するサポートワーカーとして働いています。

彼が自閉症スペクトラムと診断されて、この仕事に至るまでの過程は読み物としても非常に面白いので、本書を手に取る機会があれば、一読してほしいと思います。

その彼は自閉症の施設のなかでこんな経験をします。

スタッフの雑談は私にとって全く興味のないことでした。また彼らにとって私はいてもいなくてもいい存在であり、いくら私が彼らと友だちになりたくても、なれないことがわかりました。

…その間私にとって利用者との関わりだけが救いでした。…彼らは他人を評価したり、差別したり、批判したりしないで、ごく自然に接するので、私もよけいな気をつかう必要がないのです。(p85)

他のスタッフたちは、利用者からいろいろと嫌がらせをされましたが、彼にはだれもそうしたことはしませんでした。

この自閉症スペクトラムが多数派を占める施設の場合、利用者とのコミュニケーション障害を示していたのはNTのスタッフであり、ASである彼は実にスムーズなコミュニケーションをしていたのです。

どうやら、ASには問題があるという見方は、ASに障害があるから生じるというより、ASが普段 少数派であることから生じているように思えます。そのあたりの話は以下の記事でも書きました。

「自閉症という謎に迫る 研究最前線報告」の5つのポイント | いつも空が見えるから

 

熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている | いつも空が見えるから

 

ASの言語学者として有名なリアン・ホリデー=ウィリーは、本書の第十章に載せた経験談のなかで、NTの人から中傷されたとき、「人づき合いのスキルが身についていないのはASだけじゃないんだ」と思っていればよかったと述べています。(p132)

NTにだってコミュニケーションがおかしい人は大勢いるのです。

3.AS、NTというステレオタイプは不十分?

この記事を読んでいる定型発達(NT)の人の中には、最初の定型発達症候群の項を読んで、確かに少し当てはまるけれど、わたしはこんなに極端でも狭量でもない、と思った人がいるかもしれません。

その点については本書にもこう書かれています。

人間関係は千差万別です。私が書いたことがすべてのNTに該当するわけではなく、またすべてのASに当てはまるわけでもありません。実際、これらのことがわずかしか、あるいは全く当てはまらない人たちもいます。(p17)

NTの人たちが、定型発達症候群というステレオタイプに違和感を感じるのであれば、ASの人たちも自閉スペクトラム症(ASD)というステレオタイプでくくられることに違和感を感じるかもしれない、ということがわかります。

世の中には、典型的な定型発達と自閉症スペクトラムという二種類の人間しかいないわけでは決してありません。

NTの人が定型発達症候群のすべての項目に当てはまらないように、ASの人も一般に言われる自閉症スペクトラムの特徴だけで説明できるようなものではないのです。もっと人間は個性的です。

本書の14人の中でも、NTの人となんとかやっていけるまでにコミュニケーション能力が上達したと冷静に述べる人もいれば、さまざまな工夫で対処しながら、あくまで一人でいたいと述べる人、またはどうしてもNTとは相容れないとNTの恐ろしさを語る人までさまざまです。

少なくとも「アスペルガー症候群とはこんな人だ」と言い切るのは不可能なように思えます。

どちらの側にも努力が必要

確かにアスペルガーの人にとって、多数派を占めるNTとの人間関係は困難です。嘘や冗談に戸惑ったり、暗黙のルールが理解しにくかったりします。

ですから、ASの人はいろいろとコミュニケーションのために努力することになります。たとえば第二章を執筆したスティーヴ・ジャーヴィスは、テレビドラマの音だけを消して、表情や身振りから感情を推測する訓練をしています。(p33)

それと同時に、NTがASと関わる際、NTのほうにも歩み寄る努力をしてほしいという声も書かれています。

私がここで書きたかったことは、NTはASの人たちに対して大きな影響力をもっていることで、NTが自分の社会的行動を柔軟に適応させればさせるほど、ASの人たちとの人間関係がよりよくなるということです。(p18)

この本から学べるのは、それぞれの人には異なる認知の特徴があり、個性はさまざまだということです。

定型発達、アスペルガーといった区切りは、研究のために必要でしょうし、たいへんな苦労をしてきた人がアスペルガーと名前がついてホッとする気持ちもわかります。

しかしあまりそれにとらわれすぎて、他の人を判断してしまうようなことは望ましくないと思いました。

少なくとも、定型発達者視点で、アスペルガーを「障害」と決めつけてしまうのは、あまりに浅はかなのです。健常や障害といった狭い見方にとらわれず、あくまでその人自身を理解しようとする努力が必要だと感じました。

番外編:数学というアスペルガーが多数派を占める「国」

ところで、アスペルガー症候群の人がもっとも得意とする分野のひとつに、数学があります。アスペルガー症候群の人の多くは、数に対して強い親しみとこだわりを持っていて、たとえばダニエル・タメットのように、数は友だちだと語る人もいます。

おそらく、数学者の歴史をひもとけば、他のあらゆる分野以上に、アスペルガー症候群の人の比率が高いでしょう。

この記事で、今の社会は、定型発達という多数派を中心に作られていることに言及しましたが、数学という文化に限って言えば、あたかもアスペルガーによって作られた国、また文化のようなものとみなせるでしょう。

それで、数学者の文化に触れるのは、もしアスペルガーが多数派を占める社会があるとすればどのようなものなのか、という疑問に対する直接的な答えになるのではないかと思います。

その点で、素数の音楽 (新潮文庫)という本に、とても興味深いエピソードが多数載せられていたので、(本編より長い)番外編として紹介します。

この本は、いまだ解かれていない数学史上最大の難問の一つ、リーマン予想の研究の歴史をたどったロマン溢れる本ですが、その歴史には、古今東西さまざまな国の数学者たちが登場します。

その中でも特に際立っているのが、イギリスの高名な数学者ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディーと、インドの名も無き天才シュリニヴァーサ・アイヤンガー・ラマヌジャンとの友情です。

まったく無名で、西洋の数学の基本さえ知らなかったラマヌジャンは、あるときハーディーに自分独自の方法で導き出した数学の証明を記した手紙を送りつけます。

発展途上国に住む無名の人から意味不明な手紙が送られてきたら、普通の学問の権威者であれば見向きもしないはずですが、ハーディーは違いました。

C・P・スノーによると、ラマヌジャンの業績にざっと目を通したハーディーは、「うんざりしただけでなく、いらだっていた。奇妙な詐欺のような気がしたのだ」。

しかし夕方には、荒削りな定理の魔力が利き始め、…真夜中には、ラマヌジャンの謎は解けていた。

…そして、これが詐欺でも戯言でもなく、経験不足だが優れた素質を持つ天才の業績であることを見抜いたのだった。(p263)

ハーディーは、まず偏見なく手紙に目を通しました。それだけでも驚きですが、はじめはうんざりしていたのに、辛抱強く意味を読み解こうとしました。まったく見知らぬインド人から送られてきた殴り書きの意味をです。

そして、ついにハーディーは意味を理解し、ラマヌジャンの才能を認めました。次いで信じがたいことにラマヌジャンをイギリスに招待したのです。やがて高名な数学者ハーディーと無名のインド人ラマヌジャンは親友になりました。

ハーディーはラマヌジャンと仕事をしていた頃のことを、常に情熱をこめて語っていた。互いの着想に酔いしれ、数を愛する同類を見つけたことを心から喜んでいた。

そして後には、ラマヌジャンとの日々をふり返って、人生でもっとも楽しい日々だったと述べ、ふたりの関係は「我が人生におけるロマンチックな事件のひとつ」だったと断言している。(p270)

当時の西洋社会では、植民地としてのインドに対する偏見や差別が当然根強かったはずです。その中で、自分の経歴にも立場にもこだわらず、インドの無名のラマヌジャンの才能を認め、対等の友人として接したハーディーの姿勢は驚くべきものです。

おそらくハーディーもまた、多くの天才数学者の例に漏れず、アスペルガー症候群の偉人の一人だっのでしょう。定型発達者と異なり、社会に同調したり、たてまえを気にしたりはせず、ラマヌジャンを一個人として評価しました。

そのラマヌジャンは、典型的なアスペルガー症候群であり、「超」がつくほど奇抜でエキセントリック、変人の中の変人ともいえる人だったことが知られています。

ラマヌジャンは、アスペルガーの数学者の話になると、かの有名なアイザック・ニュートンや、ポアンカレ予想を証明したペレルマンと同じほど真っ先に名前が登場するほどです。

そんなハーディーとラマヌジャンの、アスペルガー症候群の仲間としての絆と、独特のコミュニケーションを物語る、こんな逸話があります。

ハーディー自身がラマヌジャンこそ自分が心から大切に思っている人物だと認めていたにもかかわらず、ともに数学に取り組むときの興奮を別にすれば、ラマヌジャンに対して感情を露わにすることはまずなかった。病気で横たわっているラマヌジャンを見舞っても、慰めの言葉ひとつひねり出せなかった。

そこでハーディーは、自分が乗ってきたタクシーのナンバーの話をした。1729だなんて、まったくさえない数じゃないか。

だが、病で床についていても、ラマヌジャンはラマヌジャンだった。

「さえないなんて、とんでもない。とても興味深い数じゃないか。1729は、2つの立方の和で表す方法が二通りある数のなかでは一番小さい数なんだ」(p280)

この記事で、アスペルガー症候群の人は共感性がないのではなく、アスペルガー症候群同士であれば、心から共感できることを説明しました。

まさにハーディーとラマヌジャンはそうでした。ここでは、「慰めの言葉ひとつひねり出せなかった」と書かれていますが、実際には、そんな定型発達者が用いるような建前のやりとりの必要性を感じなかっただけでしょう。

ハーディーにとって、ラマヌジャンを励ます最高の言葉は、数の話題を持ちかけることだったのです。そしてまさしく、病身のラマヌジャンは、その話題に大いに興奮して、二人の心は通いあったのでした。

このような、国と人種の違い、立場の違いを超えて互いを理解しあえるアスペルガー症候群の人たちの特徴は、数学者のヒルベルトが、1928年にボローニャの国際数学者会議で述べた次の言葉からもよくわかります。

「民族や人種などを理由に差別を行うのは、われわれがたずさわる科学を誤解しているかせで、このようなことが行われてきた理由は実に卑しむべきものである。

数学に人種は関係ない……数学にとっては、文化的な世界全体がひとつの国なのだ」(p356-357)

これは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の、国家主義や民族主義の緊張が高まっていた時期に堂々と語られた言葉です。

アスペルガー症候群の人たちは、周囲の世論を意識して、自分の意見を変えたり、おもねったりしません。

その後も、東西冷戦の時期に、女性の数学者、ジュリア・ロビンソンが語った、こんな言葉も載せられていました。

数学には、政治や歴史の違いを超えて人々を結びつける強い力がある。冷戦という難しい時代にもかかわらず、ヒルベルトの霊感に富んだ問題にとりつかれたアメリカとソ連の数学者たちは、強い友情を築き上げた。

ロビンソンは数学者のあいだのこのような一風変わった結びつきについて、「まるで、地球上のどこの出か、どの人種か、どのようなたか宗派か、男か女か、いまつくらいか、どの時代か(過去の数学者も未来の数学者も、わたしたちの同僚です)に関係なく、みんなで自分たちだけの国を作っていて、科学や芸術の中でもっとも美しいものにその身を捧げているようなものなのです」と述べている。(p386)

ジュリア・ロビンソンは、女性数学者であり、当時は冷戦のまっただ中でしたが、数学というアスペルガー症候群の人が多数派を占める「国」の中では、男女の違いや、国籍の違いは関係なかったのです。

定型発達の人たちの多くは、しばしば身近な周囲の人たちの意見を気にして、同調圧力を感じるので、同じ国、同じ地域、同じ場所の人たちと寄り合いがちです。

アスペルガー症候群の人たちは、身近な人たちの顔色を気にすることはありません。そのため、空気が読めない、自分勝手と言われたりします。

しかし、そのおかげで身近な人たちの中では孤独でも、世界中の同じアスペルガー症候群の人たちとは、人種も時代も超えて、共感し合うことができます。

もちろん、アスペルガー症候群の人たちが多数派を占める社会があるとしても、そこは理想郷のような場所ではないでしょう。定型発達の人たちからなる国がそうでないのと同じです。互いに共感しあえるといっても、行き違いやいざこざはあるでしょう。

しかし、アスペルガー症候群とは、ある意味で、ひとつの民族、ひとつの人種のようなものであり、その独特の文化によって創られた数学という国家では、アスペルガー症候群の人たちは決して孤独ではありません。

そして、そのような国の中では、むしろ定型発達者のほうが、孤独になり、空気が読めない「障害」とみなされるかもしれません。多数派と少数派が逆転すれば、健常と障害の理解もまた逆転してしまうのです。

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