イマジナリーコンパニオンという「稀で特異な精神症候群ないし状態像」

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人、青年における想像上の友だち、イマジナリーコンパニオン(あるいはイマジナリーフレンド、イマジナリープレイメイト)について扱った資料が稀で特異な精神症候群ないし状態像にありました。

いきなりタイトル否定から入るのも変な話ですが、こうした題名の本で扱われているにもかかわらず、大人のイマジナリーコンパニオンについては「稀で特異」ではないかもしれないとされています。実際この本で取り扱われている「寄生虫妄想」はありふれた むずむず脚症候群を指していますし、多重人格などは今では非常に有名です。

imaginary companion(IC)とは、従来子どもの発達過程に見られる過渡的現象だと考えられてきました。しかし青年期以降にも見られることがわかり、何らかの病理性があるのではないかと疑われてきました。この本では、澤たか子、大饗広之、阿比留烈、古橋忠晃という四人の方の調査が載せられています。名古屋大学医学部精神医学教室の方たちだそうです。

 

子どものイマジナリーコンパニオン

イマジナリーコンパニオンについての記述は、1892年、Burunham.W.H.が報告したのが初めてだそうです。以来、健常な子どもの精神発達過程に見られる現象とされてきました。成人の領域で扱われることは殆どなかったといいます。しかし著者らはこう述べます。

この現象には青年期においてもそれほど稀ではないという印象があり、また症状としての特異性を明瞭に記述しうるのは、表現の定かでない子どもよりもむしろ青年において可能であると考えられる (p41)

犬塚峰子、佐藤至子らによる研究(1990-1991)では、子ども時代にICを持っていた人の半数が、青年期以降も体験するとされています。また、病的意義という点では、北米を中心に多重人格との関連でICへの言及が散見されるようになったといいます。たとえばAllison.R.B.は従来の多重人格の一部をイマジナリーコンパニオンの変形とみなすという独自の解釈を提案しています。

イマジナリーコンパニオンは空想遊びと区別がつけにくく、子どもの場合は、知覚と表象を区別できないため、単に他者を演じているのか、実際に存在を感じているのかはわかりにくいとされています。

イマジナリーコンパニオンの位置についても、ほとんどは自分の外部にいますが、「心の中に彼(I.C.)が見える」と述べた5歳児もいるそうです。子どものイマジナリーコンパニオンの役割については、こう書かれています。

精神分析の観点から、Nagera.H.は、それが担う機能として、超自我の補助者、子どもが受け入れがたくなった衝動の発散のための手段、スケイプゴート、全能感を遷延させる試み、自我理想の具現、孤独感や拒絶された感情の満足、恐怖感の処理といったものを上げ、これらを概して「願望充足的」とみなした。(43)

青年のイマジナリーコンパニオン

青年期のイマジナリーコンパニオンについてはまずHsrruman.P.L.が報告しています。大学生になってもイマジナリーコンパニオンを持っていたという6人の健常例について記述しているそうです。

著者は3例目までは単なる空想遊びや白昼夢を越えるものではないと切り捨てています。内容を知らないとはいえ、個人的には、この扱いには疑問を感じます。

4例目は、9歳の頃からイマジナリーコンパニオンをもつ女子学生で、次第にイマジナリーコンパニオンの数が増え、結局25人もの大所帯になり、「小説の素材にしたいから熱心に空想している」と述べているそうです。この点においても、著者は空想遊びとの境界がはっきりしないと不満を述べていますが、空想力に関する考察を抜きにイマジナリーコンパニオンを語るのは片手落ちではないかと思います。

5例目は引越し後に会えなくなった友だちを理想化してイマジナリーコンパニオンが生まれた女子学生で、6例目は視力障害を持つ14歳の男性です。この人は腕をもぎ取ろうとする迫害的な巨人のイメージを見ていたそうですが、著者も述べるとおり、迫害的というのはイマジナリーコンパニオンらしくありません。

大橋峰子の論文(1984)によると、10歳のころ学校で仲間はずれにされたことを契機にイマジナリーコンパニオンをもった境界性パーソナリティ障害の女性のことが出てきます。「弓」という名前のイマジナリーコンパニオンで、声が聞こえ、姿が見え、感触もあり、慰めてくれましたが、現実の仲間を持ったときに消失したそうです。

市田勝の論文(2000)によると、8歳のときにイマジナリーコンパニオンを持って、17歳の初診以降もイマジナリーコンパニオンを持っていた境界性パーソナリティ障害の女性が出てきますが、この場合もともと友好的だったのが、のちにイマジナリーコンパニオンに復讐されるのではないかという恐怖心を抱くようになったそうです。

von Broembsen.F.は妄想型分裂病の寛解期に「新しい白いライオン」のイマジナリーコンパニオンを持った男性を報告しています。そのライオンは力強く、患者を守って励まし、彼に代わって治療者に対する怒りや愛情を表しました。

このような大人の事例が精神疾患との関わりで示唆されているのは、研究者らが精神疾患の治療を行うときにたまたまイマジナリーコンパニオンに出くわしたからだと思われます。イマジナリーコンパニオンと精神疾患を安易に結びつけるのは、誤りでしょう。

著者らが経験した具体例

続く記述では、この本の著者らが遭遇した事例について書かれています。

(1)22歳の女性

ある神経性大食症の22歳の女性は、小学校に入る前から20歳くらい年上の女性のイマジナリーコンパニオンを持っていたといいます。その女性は子どものころ、暴力的、抑圧的な両親のもとで緊張して過ごしていたといいます。イマジナリーコンパニオンは、「こうすると怒られないよ」とアドバイスをくれる存在でした。

しかし大人になって、体調も良くなり、イマジナリーコンパニオンの声に従わないで自分のやりたいことをやるようになると、それはは消えていったそうです。このイマジナリーコンパニオンは自己評価の低い女性を支え、行動の規範を教えるという役割を演じていました。

悩みがなくなって、体調がよくなってから、その人は消えたみたい。本当の自分に吸収された感じかな。本当の自分は「もっと甘えたい」と思ってた。そして、その人は「常識」だったのかな。本当の自分と常識との間で葛藤があったんだと思う。(p45)

(2)27歳の男性

27歳の男性は中学のころからイマジナリーコンパニオンを持っていました。彼は父親に自分の考えを否定されて育ちました。イマジナリーコンパニオンはひとりで考えこんでいるときに声をかけてくる声として認識されていて、相談相手のようになっていたそうです。特に、後先考えずに、家を出たらなんとかなると言うなど、患者本来の願望を代弁する存在だったようでした。

いつもいるわけではないけど、父親にきつく言われて、もうこんな家にいたくないとか、こんなにひどく言われたくないと思ったときに出てくる。(p45)

普段、僕が抑えたり、押し殺している考えを代弁しているのかもしれない。(p46)

(3)31歳の女性

31歳の女性は、父親がアルコール依存で、両親はいつもけんかしていました。26歳のとき、飲酒をはじめ、のちにやめましたが、それをきっかけにうつ状態になり、「やつ」と呼ばれるイマジナリーコンパニオンが出てきました。死にたいと思っていたら、ベランダから「落ちてみない?」と言ってくるなど過激でしたが、のちに孤独感がなくなったとき、イマジナリーコンパニオンも消えていきました。

『やつ』がいなくなっちゃった。さびしい。どこへ行っちゃったんだろう。呼びかけても返事がない。悩んでるときは「どう思う」って聞いたら返事をしてきたし、手をつないで歩いてるみたいな感じだったのに、いなくなっちゃった。(p47)

イマジナリーコンパニオンの性質

これらの症例のイマジナリーコンパニオンの特徴について以下のように考察されています。

■ありありとそこにいる感じ(実在性)があった
■頭の後ろや傍らといった、空間的位置づけがあった
■現れ方や発話のあり方は患者の意志によるものではなく受動的だった
■当人の利益に沿う伴侶的な存在であり、そのときどきの当人の必要性に沿って機能していた

病的といえるか、という点についてはこう書かれていました。

その存在が脅威的に感じられたり、症状や退行を促すこともあるが、この場合でも吟味していくと、より広い意味では患者の願望に即したものであることが判明することが多い。

…I.C.が患者にとっては自我異和的でもなく、彼らがその架空性を認識している点からすると、あるいは、これが患者の現実生活の遂行にとって必ずしも障害になるとは限らない点からすると、これをことさらに病的なものとして捉えるべき根拠は揺らいでくる。

…I.C.はその扱い方によってはこれを治療の協力者となすことも可能だと考えられるのである。(p49)

ただし、イマジナリーコンパニオンの発展形として、患者の主体を奪取したり多重人格に発展したりする可能性も秘めていることには注意が喚起されています。

このように、著者らの考察においては、イマジナリーコンパニオンは基本的に実在性があり、自分から行動し、伴侶的な特徴を持つものと推察されています。

しかし、著者らはこう認めています。

I.C.は患者にとっては私秘的な体験であり、患者によってこれが(治療を要するものとして)表だって訴えられることは少ない。実際に筆者らのどの症例においても、治療者が意識して問わなければ、その存在には気づくことができなかったと思われる。

I.C.が青年期において、それほど稀な現象といいうるのかについても、この点を考慮して今後、さらに検討されるべきであると思われる。(p49)

すなわちこの考察は、病院に来た人がたまたま持っていたイマジナリーコンパニオンについての情報で成り立っているということです。イマジナリーコンパニオンを持っている人の大半は、病院にかかるような精神的問題を抱えていないと思われます。

そうであれば、少数の法則にのっとると、この考察は、イマジナリーコンパニオンの実態より、かなり極端な内容に偏っていると考えられます。

実際には、著者らが、空想遊びの域を出ないとして切り捨てたような体験のほうが、イマジナリーコンパニオンとして多数派を占めている可能性もあるのです。

こうした点については、もっと広い観点から、健常者を含めた多くの事例に基づく検討がなされる必要があるでしょう。

▼イマジナリーコンパニオンの定義

参考までに東京学芸大学の方によるImaginary Companionの定義に関する考察( fulltext ) 友弘, 朱音; 佐野, 秀樹という論文では青年期のイマジナリーコンパニオンについて次のような定義が提案されています。

今 後のIC研究における定義 以上の点を踏まえ,今後青年期のICについて研究を行う場合には以下の9つの定義を用い,それに当てはまるICを有する人を研究対象とすることにより,研 究ごとにICという現象そのものの枠組みに不一致を残さず,より豊かな成果を期待できると考える。

①ICは視覚的イメージを有する(ただし,知覚性と表象性の区分が侵犯されたために,実際にそこにありありと見えるものとは異なる)

②ICはある一定の期限少なくとも数ヶ月の間存在する

③ICは彼自身のパーソナリティを持っている

④ICの所持には通常の物忘れでは説明出来ないような健忘を伴わない

⑤ICの所持者は自己の同一性について混乱していない

⑥ICは所有者の行動を統制することはない

⑦ICは臨床的に著しい苦痛,または社会的,職業的,または他の重要な領域における機能の障害を引き起こすものではない

⑧ICは物質(例:乱用薬物,投薬)または一般身体疾患(例:側頭葉てんかん)の直接的な生理学的作用によるものでもない

⑨ICの所有者はICが現実にいないということを意識している

 この定義には、自発的に声が聴こえるかどうかは含まれていません。この定義と見比べてみても、この本で扱われていたイマジナリーコンパニオンは少々特殊であり、半ば病的なものに偏っていた可能性があります。

イマジナリーコンパニオン、イマジナリーフレンド、イマジナリープレイメイトについてはこのブログのほかの記事でも扱っていますので、参考にご覧ください。

イマジナリーフレンド(IF) 実在する特別な存在をめぐる考察| いつも空が見えるから
本当にいる空想の友だち「イマジナリーフレンドと生きるための存在証明」| いつも空が見えるから

 

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