「そうまでして生きるわけ―線維筋痛症だからといって、絶望はしない」ための3つの処方箋


性疲労症候群(CFS)の新情報のまとめの前に、以前こちらの記事で予告していた書籍そうまでして生きるわけ―線維筋痛症だからといって、絶望はしないの感想を書きたいと思います。かなり前に読み終わっていたのですが、今まで書く余裕がありませんでした。

わたしはこの本を読んで、自分の闘病生活について深く考えさせられました。わたしの苦しみは橋本さんの苦しみには遠く及びませんが、それでも、発症から現在までの闘病記録には、共感させられる部分が数多くありました

。この記事では、この本を読んで、わたしの闘病に役立つと感じた「絶望しないための3つの処方箋」を紹介したいと思います。

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これはどんな本?

線維筋痛症の患者で、線維筋痛症友の会の会長である橋下裕子さんが、ご自身の闘病の闘病記録と講演原稿をまとめられた本です。

橋本さんが線維筋痛症を発症したのは、10歳のときで、最初に足指に痛みが走りました。次いで、16歳のときに、跳び箱の授業で、脚を爆弾で吹き飛ばされるかのような耐え難い痛みに襲われます。

医者にかかりますが、ひどい扱いを受け、痛みを信じてもらうことさえできません。3ヶ月後、あまりにひどい痛みに耐えかねて、脚を電車で轢断しようとさえします。しかし試みは失敗し、以降、勉学に集中し、身体を極限まで疲れ果てさせることで、痛みを和らげようと考えます。

やがて、痛みは全身に広がり、何度も入院し、ときには昏睡状態に陥ります。そしてついに、線維筋痛症慢性疲労症候群という病名が下ります。同時に、とても親身になってくれる医師と出会い、適切な治療により、病気に対処できるようになってきました。

2002年には、線維筋痛症友の会を発足。2003年には、厚生労働省の研究班の発足に関わりました。今も、ご自身の痛みを推して、仲間の患者を助け、線維筋痛症の認知活動を継続しておられます。

そうまでして生きるわけ

どのような病気でも辛く苦しいものですが、橋本さんの病状は、常人が理解できるレベルのものではありません。Pain Visionという、痛みを数値化できる機械があります。普通の人がなんとか耐えられる痛みは、骨折に相当する500-600ぐらいのレベルだそうです。

ところが、橋本さんの痛みは1000を超えていて、ひどいときには3000に達することさえあります。

橋本さんは、p58とp211で痛みをこのように表現しておられます。「骨髄に火薬を詰めて爆発する瞬間の痛み」「象が私の足を踏みつけて、全体重をかけて砕こうとしている」「巨大な鉄骨が足に落ちてきて骨が粉々になったみたい」。想像もつかない比喩かもしれませんが、とてつもない激痛であることは分かるでしょう。

こうした凄まじい激痛の中でも、橋本さんはどうして生きていられるのでしょうか。どうして仲間の患者のために力を尽くせるのでしょうか。

絶望しないための3つの処方箋

橋本さんはp136で「生きる意味は見つかっていないけれど、生きる義務はあると思います」と述べておられます。わたしはこの本を読んでみて、橋本さんが「そうまでして生きるわけ」を自分なりに3つ見つけてみました。

この3つの考え方は、線維筋痛症にとどまらず、難病に生きるすべての人にとって参考になると思います。

1.自分の力で立つ

何でもやってもらおうとし「要求するだけの人」になってはいけないと思います。何かできることはないのか、少しでも自分でやろうと努力すること、そして少しでも人のために何かしようと考えること、そういうことで共感を持ってもらえる患者になるのではないでしょうか。…自分の力で立とうとするときには人は共感してくれるのです

難しい病気のもとでは、できないことがあるのは当然です。自分について知ってもらうには、わたしはしかじかの体調で、こうしたことはできない、と伝えておくことが大切です。

しかし、わたしも経験があるのですが、できないことばかり話していると、周りの人ははじめは同情してくれるものの、やがて見向きもされなくなってしまいます。なぜでしょうか。「できない」=「手助けする余地もない」、ということだからです。

「わたしは…ができない」という言葉は、自分を孤立させてしまいます。書籍「うつ」とよりそう仕事術 (Nanaブックス)のp61にも、まったく同じことが書かれていました。

ですから、「わたしは○○ができない」と言う代わりに、「こうこう手助けしてもらえたら、わたしにも○○ができる」と言ってみましょう。

そうすれば、周りの人も、どう手助けしていいのかが分かり、あなたと関わりやすくなります。あなたが自分で立ち上がろうとするなら、周りの人は手を貸してくれるのです。

2.「苦しみの種」を活かす p82、121

病気にせよ精神的な悩みにせよ、経験したものでないとわかりません。想像力豊かな人でも、「苦しみの種」を経験していないと、想像のしようがないものです。 p82

だからこそ、障害や病気が違っても、障害者や患者はお互いの気持がよく分かっていると思います。不自由は体験しないとなかなかわからないものです。 p121

わたしは以前、ユーカリから学ぶ、病気の人に励みとなることというエントリに、病気という普通にはありえない過酷な環境と向き合うなら、忍耐する能力や自制心、他の人を思いやる心といった特質を身につけることができると書きました。

それは、恵まれた環境に生きる人たちにとっては、望んでもなお身につけることができない貴重な才覚です。

病気や障害を抱える人に感情移入することは、苦しみを耐え忍んだ人に与えられる特権です。橋本さんは、ご自分の経験を活かし、線維筋痛症友の会で、全国の大勢の仲間の患者の悩みに耳を傾け、慰め、元気づけておられます。

自分は、病気だから何もできない、何の能力もない、と考えるのではなく、苦しみを耐え忍んだ自分にしかできないこと、自分だからこそできることを見つけ、役割を見つけましょう。

3.絶望している人を助ける p101

もしも泳げない人がプールに落ちたら必死にもがきます。でもそれは長続きしない。私なら思い切り大きく息を吸って沈むだけ沈んでみます。なぜならプールには底があるから。…沈んでゆきつつ落ち着いて周りを見回すと、苦しくても少し余裕ができるのです。…他の誰かにも目を向けてみると、その人も溺れていたりするのです。何とか助けなくては、と思ったときに自分も救われているものです p101

あなたは難病に長い間苦しんでこられましたか。そうであれば、自分がもがいている海の深さをよく知っているはずです。橋本さんは、ご自身の病気を通して、「すべての絶望には底がある」ことを知りました。

それを知っていることで、苦しい中でも少しの心の余裕を持つことができ、自分のことばかり考えるのではなく、他の人に目を向けるようになりました。

苦しいときには、自分自身について必要以上に考えてしまいがちです。なぜ自分はこんな目に遭うのか、不公平だ、自分はこれこれのことをしてもらえていない…。

しかし、自分は他の人にこれこれのことをしてもらえていない、と考えてもいっそう心が傷つくだけです。逆に、自分は他の人に、どんなことをしてあげられるだろうか、と考えてみるのはいかがでしょうか。自分がしてもらえていない親切について考えるのではなく、自分がしてあげられる親切について考えるのです。

橋本さん自身こう述べています。

自分のことだけを考えると、私は自暴自棄になります。…私は自分に重きをおいていません。しかし、全国の大勢の患者のこと、追い詰められている一人ひとりのこと…を考えると、私は何かをやらなくては、と思います。そのエネルギーで激痛を凌いでいます p137

だれかに親切にするのに、必ずしも費用はかかりません。能力や体力もいりません。ほほえみかけたり、気づかいのこもった言葉をかけたり、ちょっとした贈り物をしたり。さらには相手の話を聞いてあげるだけでも良いかもしれません。

自分のことであれこれ思い悩んでいると、迷路から抜け出せなくなりがちですが、他の人の力になろうとするなら、自分自身も心の平衡を取り戻せることがあります。落ち込んでいるとき、人に親切にするのは、自分のためにできる最善のことなのです。

線維筋痛症だからといって、絶望はしない

「線維筋痛症だからといって、絶望はしない」。さらっと書くと、なんでもない言葉のように思えます。しかしこの本を読めば、それが壮絶な闘いの中で紡がれた、普通を超えた決意また覚悟であることがよく分かります。

ここまで、そうまでして生きるわけ―線維筋痛症だからといって、絶望はしないの中から、絶望しないための3つの考え方を要約してきました。

ぜひ、線維筋痛症のもとでも、慢性疲労症候群のもとでも、あるいはほかのどんな障害のもとでも、自分の足で立ち上がり、「苦しみの種」を活かし、絶望している人を助けるようにしていきましょう。それらは決して簡単なことないでしょう。しかし間違いなく、絶望に打ち勝つ助けになるのです。

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いろいろな考え方