病気は贈り物? それとも敵? どちらがポジティブな考え方か

Pocket

何か嫌なことをやらされても、成長するために神が与えた試練だ、と自分勝手に都合よく解釈してしまうようにする習慣を身に付けることが大切

これは、倉恒弘彦先生が、書籍危ない!「慢性疲労」 (生活人新書)のp187で述べている言葉です。慢性疲労症候群と闘う際に、ポジティブ・シンキングを活用することの大切さを説いています。

しかしわたしは、この考え方がポジティブだとはとても思えないのです。わたしは慢性疲労症候群を「神が与えた試練だ」などと都合よく解釈することはできません。それはネガティブな考え方だからです。どういうことでしょうか。

病気に対する考え方は人それぞれで、感情の絡む問題ですから、どうぞわたし個人の考えと思ってお読みいただければ幸いです。

スポンサーリンク

慢性疲労症候群は神さまがくれた試練なのか

病気をまるで良いものであるかのように解釈するのは、世の中では決して珍しい考え方ではありません。書籍「うつ」とよりそう仕事術 (Nanaブックス)にはこう書かれています。

中には、うつ病の人ほど強くなれる、うつ病を患っている人は優しくなれる、などと、まるでうつ病を礼賛するかのようなものや、「神様のくれた人生の夏休みである」「自分と対話する機会と捉えよう」「ありのままの自分を受け入れよう」など、ともすればスピリチュアルな方向に言及している書籍も散見されます。 p200

倉恒先生が書いておられる「成長するために神が与えた試練だ」という考え方もこれに類するものでしょう。

しかし冷静に考えてみるなら、この考え方は矛盾をはらんでいることがわかります。これらの考え方では、病気を「試練」「夏休み」、「贈り物」などといった聞こえの良い言葉でラッピングしてはいます。しかし、病気の本質が苦しみであることは疑いようがありません。

では「神さま」が、成長を促すためとはいえ、わたしたちに苦しみをラッピングしてプレゼントするようなことがあるのでしょうか。慢性疲労症候群は、いくら美しいポジティブな言葉で飾り立てたとしても、慢性疲労症候群でしかありません。そのようなものを与える「神さま」がいるとしたら、それはもはや「神さま」ではなく「悪魔」でしょう。

「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という言葉があります。親はときに子供をストイックに扱うことで愛情を示す、といった考え方をしている人たちは、病気は「成長するために神が与えた試練だ」という考え方にも納得できるのかもしれません。

しかし、このことわざは真実ではないようです。獅子は千尋の谷に落ちた子供を救助することが判明 - GIGAZINEによると、ライオンの親は、子供を試練に突き落とすどころか、命がけで子供を苦しみから救い出すのです。現代の生物学の常識では、すべての哺乳類には深い感情があり、子供を育てるときに温かな愛情を示すと言われています。

ですから、わたしたちが成長するためにだれがが試練をもたらす、といった考え方は矛盾をはらんでいます。病気に苦しむわたしたちをポジティブにするどころか、ストイックでネガティブな考え方に押し込めてしまうといえます。聞こえの良い言葉で飾ってはいても、本来温かな愛情の源であるべき「神さま」や「親」を、根拠なく苦しみの源としてしまっているからです。

病気に意味を求めるべきか

もちろん、このような考え方をせざるを得ない理由はわたしにもよく分かります。病気を発症するということはひどく理不尽なものだからです。

それまで送っていた順調な人生が、ある日突然、いわれなく崩れ去ります。身体は不自由になり、社会的偏見にさらされ、経済的な不安がつきまといます。場合によっては、友を失い、家族にさえ見放されるかもしれません。そこでふと立ち止まって天を仰ぎます。だれのせいでこうなってしまったのか。なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。

本当のところを言えば、大概の場合、病気が発症するのは、だれのせいでもありません。自分の生活習慣が関わっていることもありますが、原因の大部分は、遺伝や環境、不慮の事故といったどうにもならない事情が関係しています。統計学的に見て、たまたま悪い時期に悪いことが重なったために、病気を発症したにすぎないのです。

同様に、病気を発症することに、特別な意味はありません。「なぜ」こんな目に遭うのか、と思うのは当然のことですが、病気はだれかが悪意によってもたらした試練ではありませんし、まして善意によってもたらされた贈り物であるはずがありません。

もし意味があるとすれば、生物学的な機構の、あるまじき不具合と説明できるだけでしょう。例えるなら、病気は、精密機械の細部の故障に似ています。人間という機械があまりに精密に作られているため、それを治すのも簡単ではないのです。

わたしのポジティブ・シンキング

120724プレゼント?わたしは慢性疲労症候群を、自分のために与えてもらった「試練」「夏休み」「贈り物」と見ることは決してありません。それはネガティブな考え方ですし、病気に意味はない、という科学的な現実から目をそらしています。

さらに、もしそのような見方をするなら、病気が長く続けば続くほど、自分は成長でき、身体にとっては骨休めになり、人生の喜びが深まることになってしまいます。そんな馬鹿げた考え方はありません。それでは、病気を治す努力をしないで、病気の現状に甘んじたほうが良い、ということになってしまいます。

わたしはそうした見方とは逆に、病気は克服すべき相手だと考えています。病気はないに越したことはないのです。ですからわたしは、病気の現状に甘んじたりはせず、治るための努力はなんでもしようと思います。

また、わたしは確かに、慢性疲労症候群と闘う中で、かけがえのない友情を見つけたり、心温まる親切を示してもらったり、新しい能力を身につけたりしてきました。しかし、それを病気のおかげと考えたことはありません。

わたしは、慢性疲労症候群に感謝する代わりに、家族や友人に感謝するようにしています。病気には何一つ良い面がありませんが、わたしの身の回りには大勢のすばらしい人たちがいるからです。

ではどちらがポジティブな考え方でしょうか。苦しみの源である慢性疲労症候群を、「試練」や「贈り物」といった上辺だけの言葉でラッピングして、自分を納得させることですか。それとも、慢性疲労症候群を敵として捉え、家族や友人と共に、手と手を取り合って立ち向かうことでしょうか。

ポジティブ・シンキングではなくリフレーミングをしよう
一般にポジティブ・シンキングといわれている考え方は、矛盾をはらみ、根拠がなく、その本質はときにネガティブでさえあります。それは耐震偽装の家のようなものです。本当の意味でポジティブな
スポンサーリンク
Pocket

▼こちらの記事もおすすめです


スポンサーリンク