見た目は元気そうだから。慢性疲労症候群(CFS)独特な問題


相手「おつかれさま。さすがにもうこれくらいの仕事は簡単すぎるでしょう。次は、もう一つ、これこれこういうことをやってもらえますか」

わたし「ありがとうございます。…うーん、ぜひやりたいのですが、わたしとしては今回で精一杯でしたので、これ以上は難しそうです」

相手「えっ…?」

230803鏡慢性疲労症候群になって辛いことはたくさんありますが、最近特に辛いと感じるのが、他の人の期待を裏切ってしまうことかもしれません。

あらかじめ、わたしは慢性疲労症候群(CFS)という病気で、この程度のことはできるが、それ以上は難しい、ということを周りの人には伝えてあります。

それでも、いつの間にか理不尽な期待をされ、「できない」というと、驚かれるのです。「できない」と言われて初めて、周りの人はわたしの病気を思い出すようですが、それもつかの間、すぐに期待の上乗せが始まります。

いったいどうして、わたしのような病気の者が期待される、などということが起こるのでしょうか。それは慢性疲労症候群(CFS)という病気の持つ独特な特徴が関係しているようです。

スポンサーリンク

なぜ元気そうに見えるのか

周りの人が、わたしが病気であることをすっかり忘れてしまう理由、それは慢性疲労症候群という病気が見た目ではまったくわからないからです。どれだけ辛いときでも、見た目には元気そうに見えてしまうようなのです。そうなってしまうのは、二つの理由があると思います。

外傷がない病気だから

手足がなかったり、包帯を巻いていたり、見た目が明らかに違ったりしていれば、どこか悪いのだろうと察しがつきます、しかし慢性疲労症候群の場合、どこにも異常があるようには見えません。これは内部疾患をお持ちの方はみな悩んでおられることだと思います。車椅子に乗っているか、寝たきりであれば、また違うのでしょうが、わたしの病状はそこまで重くはありません。

慢性疲労症候群の場合は、さらに悪い側面があります。それは、エネルギーの産生障害がかかわっているという点です。どこかの肢体が不自由なわけではないので、何か特定の作業ができないということはまずありません。しかしエネルギーの総量が低下しているため、あらゆることが思うようにできなくなるのです。

あまつさえ、慢性疲労症候群(CFS)は、一般的な血液検査では異常が分からず、普通の人以上に健康な結果が出ることさえあります。そのため、最新の診断基準では、身体活動量や自律神経機能、酸化ストレスなどを測る5つの特殊な検査が義務づけられています。これらは慢性疲労症候群(CFS)を診断する上で不可欠ですが、今のところ実施されている病院は一部だけです。ですから、わたしたちCFS患者は、黙っていれば、周りの人はおろか、専門家であろう医師にも、病気の患者だとはわからないのです。

そういえば、こんな話がありました。2017年、大相撲で新横綱の稀勢の里が、怪我を推して強行出場して大逆転の優勝を飾ったとき、日本中の人たちが感動した! と賞賛していました。

そのときの相手は、大関の照ノ富士でした。照ノ富士は、13日目に立ち会いで横に飛んで勝ったことで、ひどい罵声を浴びせられ、完全に観客を敵に回しました。

そうやってヒール役とそれに立ち向かうヒーロー役が作られてしまい、怪我を推して出場した稀勢の里が、あの卑劣な照ノ富士に奇跡的に大逆転して勝利した! ということで、日本中が湧きました。

でも、照ノ富士は、相撲が終わったあと、こう話していたそうです。

全てが終わり照ノ富士は

「目に見えるつらさと目に見えないつらさがあるんですよね、みんなに。それを表に出すか出さないかだけです」

と話した。これは照ノ富士が昨日今日で抱いた様々な思いをにじませるギリギリの言葉だったんだろう。

どうやら、稀勢の里の怪我が注目された裏で、同じ日に照ノ富士も古傷の膝を悪化させ、歩くのもやっとの状態になっていたそうです。つまり、立ち会いで身をかわしたのは、そうせざるを得ないほど怪我が重かったからなのでしょう。

そうすると、最終日、千秋楽に、手負いの稀勢の里が照ノ富士に勝って優勝したのは、奇跡の大逆転ではなく、お互いにひどい傷を負っていたから、特に照ノ富士のほうがほとんど足が動かなかったから、手負いの稀勢の里でも勝てたのではないか?という見方もできます。

「目に見えるつらさと目に見えないつらさがある」

この言葉はつまり、二人とも大怪我をしていたのに、「目に見えるつらさ」の稀勢の里はよくやったと賞賛され、心配されたのに対し、「目に見えないつらさ」を抱えていた照ノ富士は、理解されないばかりか野次られ、罵られてしまった、そのやるせなさを吐露していたのでしょう。

たとえるなら、これは旅行者のスーツケースのようなものです。大小さまざまなスーツケースを見ただけでは中身の重さはわかりません。小さいスーツケースでも、持ってみれば中に入っている荷物が意外なほど重いことがあります。

外から見て取れる大きな怪我や病気だけが大変なのではありません。周りから見ればたいしたことがなく思えても、実はとてつもなく重い荷物を運んで人生を旅している人もいます。

慢性疲労症候群の人が抱える「目に見えないつらさ」、その小さそうに見えて実はとてつもなく重いスーツケースも、それを引いている人自身にしかわからないものです。

ひとときたりとも解放されない病気だから

続いて考える2つ目の点も、慢性疲労症候群の独特な一面かもしれません。慢性疲労症候群の症状は生活のあらゆる面に及びます。つまり寝るときも起きるときも、食べるときも歩くときも、一人でいるときもだれかといるときも、べっとりまとわりつく不快感とともに過ごしているということです。

わたしのように、10代のころからひとときも休まず闘病していると、もはや何が普通なのか分からなくなってしまいます。わたしはもう、健康なときの自分の感覚を覚えていませんし、いちいちそれらの症状に気に留めることさえなくなっています。だから、ひどくだるかろうが、高熱が生じていようが、何食わぬ顔でいるようになりました。

発症初期のころであれば、苦痛にのたうちまわったり、歯を食いしばって呻いたり、顔をしかめたりしていたのですが、今となっては感覚が麻痺してしまっていています。たいていの症状は表情に現れなくなるので、余計に見た目は健康そうに見えるのです。

このように、慢性疲労症候群には、「元気そうに見える」という、とても厄介な特徴があります。だから、周りの人も、わたしが病気だということを忘れて、期待してくるのです。

それにしてもこれはどれほど深刻な問題なのでしょうか。そしてどのように対処できるでしょうか。

一流の手品師

「なんだ、元気そうじゃない? もっとしんどそうにしているのかと思ってたのだけど、これなら安心ね」

見た目には元気そうに見えてしまう、という問題は、慢性疲労症候群の数ある問題の中でも、ひときわ心痛をもたらすものです。

わたしのように若い患者の場合、見た目には活力みなぎる若者なので、力仕事を断ると、怠けているように思われがちです。周りの人から「なんだ、元気そうじゃない?」 と言われて落ち込んだことは数知れず、医者から「やる気の問題だ」などと暴言を吐かれたことも多々あります。しかもそれが善意から出た言葉ということもありました。

この見た目には元気そうに見える、というマジックは、一流の手品師も驚くほどのものでしょう。なぜなら、わたしが元気そうだと誤解するのは、何もこの病気について知らない人ばかりではないからです。慢性疲労症候群についてよく話している友人や、いつも一緒に過ごしている家族や、何を隠そう同じCFS患者でさえ、「もう元気になったみたいね」とか「顔色がいいね」とか「治ったんじゃないの」というようなことを言うのです。傷つくを通り越して呆れてしまうほどです。CFSという手品師は、これ見よがしに帽子から健康に見えるわたしを取り出すのです。

そのため、この「元気そうに見える」という特徴は深刻です。ややもすれば、コミュニケーションの摩擦を生みかねません。どう見ても元気なのに何もしていない、若いのに怠けている、家族を困らせているニートだ、と思われて、人格を疑われることさえあります。この厄介極まりない手品師に対処することは、CFSとたたかうのに不可欠です。

手品師をリフレーミングする

ではどうすればいいのでしょうか。まずは、この独特な状況をリフレーミングしてみたいと思います。リフレーミングとは物事の見方を変えてみることです。見慣れた絵画でも、フレームを変えると違った印象を受けるように、リフレーミングは、CFSをはじめ、困難な病気のもとで生きるすべての人にとって物事の良い面を探すのに役立ちます。

ポジティブ・シンキングではなくリフレーミングをしよう
一般にポジティブ・シンキングといわれている考え方は、矛盾をはらみ、根拠がなく、その本質はときにネガティブでさえあります。それは耐震偽装の家のようなものです。本当の意味でポジティブな

「元気そうに見える」ことを逆手に取る

どんなに体調が悪くても「元気そうに見える」というのは、見方を変えれば、驚くべき特技です。それほど長続きはしませんが、わずかな時間であれば、健康なころの元気な自分を演出することも可能です。もちろん、自分では健康だなどととても思えないのですが、少なくともまわりの人にとってはそう見えるようにできるのです。

これを利用して、心配をかけたくない人の前では、健康そのもののように見せかけることができます。イベントのとき、とても体調が悪くても元気そうに振る舞うことによって、一緒にいる人たちに楽しい思い出を残してあげることもできます。

前半のエントリで、CFSはエネルギーの総量が低下する病気だと書きましたが、その少ないエネルギーをフル動員すれば、少しの間ウルトラマンになることだってできるのです。それなら、その時間を愛する人のために使うと割りきってしまうのも良いかもしれません。もっとも、リミットを超えてしまうと死んだようになってしまいますし、本当に体調の悪いときはそんな頑張りも利きませんから、慎重に行動することは大前提です。

相手の目に見えるよう工夫する

別の角度からリフレーミングしてみましょう。「元気そうに見える」ということは、周りの人のほとんどは、目に見える情報に頼っているということです。ということは、言葉ではなく、視覚に訴えるものを用いて、体調が悪いことを伝えればよいはずです。

このブログに何度か書いていますが、わたしは杖を用いています。これは弱り果てたときのための転ばぬ先の杖ですが、同時に自分が障害を抱えていることをアピールするためのものでもあります。杖を持っているだけでは、全身がしんどい、ということはなかなか伝わりませんが、少なくとも、ただの健康な若い人ではない、ということは察してもらえるようです。だれかに手荷物を持ってもらっているときや、電車で座っているときなど、これがあるだけでずいぶんと気が楽です。若いのに…と思われる前に、何か事情があるんだろうな、と思ってもらえるからです。

以下の記事には、起立性調節障害(OD)のため、席を譲れず、大人から「何言うてんねん。若いんやから元気や」と言われて悩んでいる16歳の高校生の方の悩みが書かれています。

若いのに杖を持つというのは、それはそれで周りの目が気になるので勇気が要ります。しかしこの記事にあるような葛藤や心理的ストレスが非常に大きい場合には、ひとつの選択肢になるとわたしは思っています。

朝日新聞デジタル:〈悩みのるつぼ〉席を譲ることができない私

 余談ながら、書籍 栃錦清隆―栃錦一代にこんなエピソードがあります。横綱の栃錦が、星が上がっていないときのことです。いかにも怪我をしているように見せなければ言いわけが立たないと感じて、なんでもないところに包帯を巻いていました。ある日、橋の上で、横綱吉葉山にばったり出くわすと、彼も同様に包帯を巻いています。どうしたんだ、と聞くと、「いや、成績が悪いんで、包帯でごまかしているのだ」という答えが帰ってきて、二人で大笑いしたそうです。

わたしの場合は、何でもないわけではなく、実際に体調が悪いから杖を使っているのですが、目に見える仕方でアピールすることは自分にとっても周りの人にとっても大切なのです。

言葉も必要

わたしの場合、これら2つの方法で、「元気そうに見える」ことにある程度対処できていますが、それでも、十分とはいえません。どうしても分かろうとしない人とは距離を置くべきですが、身近な人、特に力になろうとしてくれている人に誤解させてしまったり、善意の期待を裏切ってしまったりすると、残念な気持ちになります。

やはり、言葉を用いた上手な説明が欠かせません。カテゴリコミュニケーションでは、役立つ情報を取り上げています

次のエントリではだれに対して自分が病気であることを明かすべきかを考えたいと思います。CFS患者が、少ない体力を用いて効果的なコミュニケーションをするには、話す相手を見極めなければならないからです。

だれに対して慢性疲労症候群(CFS)をカミングアウトすべきか―わかってもらうためのアドバイス
難病患者にとってカミングアウト、つまり自分が病気であることを明かすことは慎重に考えるべき問題です。慢性疲労症候群(CFS)の患者も例外ではありません。このエントリでは、だれにカミン
スポンサーリンク

スポンサーリンク
コミュニケーション / 小児慢性疲労症候群 / 起立性調節障害