大阪市立桜宮高校のバスケットボール部に所属していた方が、体罰を苦に自殺されたという痛ましいニュースが話題になっています。特に、橋下徹市長の発言をきっかけに、体罰の是非が取り沙汰されています。
しかしわたしとしては、この痛ましい事件を体罰の問題とみなしてしまうのは、問題のすり替えに等しいと思うのです。なぜなら、これは、このブログのテーマである、小児慢性疲労症候群(CCFS)にかかわる問題の氷山の一角にすぎないからです。
このブログでは、普段あまり時事的な話題には関わっていませんが、この度は、ひとりの小児慢性疲労症候群(CCFS)の患者として、見過ごせないと感じました。
桑田真澄さんの指摘や三池輝久先生の著書から、背後に隠れている重要な問題に光を当てたいと思います。
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虐待であり犯罪
昨日、この問題を受けて、元プロ野球選手の桑田真澄さんが、コメントしておられました。その中で桑田さんは「体罰は指導者の勉強不足による、いちばん安易な指導方法で、チームや選手は本当の意味では決して強くならない」と指摘していらっしゃいます。
この言葉の真意を知るには、@beopner12さんが掲載しておられた桑田真澄さんの過去の発言が助けになります。
桑田さんの発言が話題をあつめているが過去にもこの人は・・・ぜひ読んでください。 | びーおーぷんどっとねっと
詳しくは直接読んでいただければと思いますが、桑田さんが指摘しておられるのは、勝利至上主義や知識の不足により、子どもの限界を度外視した指導をすることにこそ害があるという点です。今回の事件は、それが表面化して一線を越えたものだといえないでしょうか。
わたしがこのように主張するのは、わたしたち小児慢性疲労症候群(CCFS)の人たちにとって、桑田真澄さんの意見は決して耳新しいものではないからです。
小児慢性疲労症候群(CCFS)をずっと研究してこられ、一貫して子どもたちを擁護する発言をしてこられた三池輝久先生は、不登校外来―眠育から不登校病態を理解するの中でこう述べておられます。
スポーツには“超回復”という言葉があるが、無知なのか無視なのか判然とはしないが、子どもたちのスポーツを指導する大人たちの誰もこの言葉を知らないように見える。
…のべつまくなく毎日練習を長時間行うと、“超回復”どころか疲労蓄積が生じて記録成績は伸び悩み、果てには低下しはじめる。
…このような極めてハードな練習をアマチュア、しかも成長盛りの子どもたちに平気で行う指導者はいわば、“小児の虐待”という意味で決して大げさではなく犯罪と変わりがないのであるが、社会的には許されており、しかも歓迎されてさえいる雰囲気があり、そこら中に溢れている。 (p119-120)
今回の問題も、体罰を苦にした自殺と考えられがちですが、その背後には、子どもの限界を無視した指導があることは明らかです。あまたのグレー・ゾーンの虐待のひとつが、ついに明確な犯罪として表面化したにすぎないのです。
加えて、このような子どもの限界を無視した過密な練習は、自殺まで至らない場合でも、オーバートレーニング症候群という深刻な害を及ぼすことがあります。オーバートレーニング症候群は慢性疲労症候群(CFS)と関わりの深い病気です。
オーバートレーニング症候群と慢性疲労症候群
生体リズムと健康 (健康の科学シリーズ) によると、バルセロナオリンピックの折の日本陸上競技連盟強化本部科学部長を務めた東京大学教授の小林寛道教授は1995年にこう述べたそうです。
加熱したクラブ活動を実施しているところでは、身体的にスポーツ障害が生じるだけでなく、疲労がたまり、気力が失われ、学校に行きたくてもいけない状態(登校不能)が生じる実例が数多く見られている。(p60)
こうした報告を受けて、三池先生は、2002年の時点で、書籍学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている の中でこのように書いておられます。
オーバートレーニングは、臨床的には慢性疲労症候群とほぼ同様であり、生体リズムの乱れをともなっている。
…部活によるオーバートレーニングにより、日常生活ができなくなってしまう症例は、日常診療のなかの慢性疲労症候群(不登校)でしばしばみられるものであり、全国で少なくとも一年間に小中学校生徒の二万人程度がこの状態で苦しんでいると算定される。
…オーバートレーニングからの脱出には、年余の時間が必要であり、希望に燃えた若者への負担はあまりにも大きく、なかには将来への希望をあきらめなければならない人もあり、一生の問題となる。 (p74-75)
オーバートレーニング症候群と慢性疲労症候群(CFS)が関連しあう問題であることは、サンフレッチェ広島の森崎ツインズこと森崎和幸選手と森崎浩司選手が、それぞれ慢性疲労症候群(CFS)とオーバートレーニング症候群を発症したことからもうかがえます
慢性疲労症候群(CFS)はさまざまな異常な負荷によって、神経・免疫・内分泌系のバランスが崩壊し、脳機能異常やエネルギー代謝障害を引き起こす病気とされています。
その「さまざまな異常な負荷」には化学物質やウイルス感染をはじめ、身体的・精神的な極度の圧迫も含まれます。限界を超えた過密な労働や精神的虐待が重なって慢性疲労症候群(CFS)を発症しても不思議ではありません。
三池先生の別の著書フクロウ症候群を克服する―不登校児の生体リズム障害には、世界中で体育を教科としている国はほんのわずかに過ぎず、「スポーツをレジャーとして楽しむものだという大多数の国の人々の考えとは明らかに違った方向性をもたせたものが日本のスポーツ」であり、スポーツが遊びではなく仕事となっていると書かれています。(p134)
今回の事件のように自殺までは至らなくても、教育指導者の限界を無視した指導という同じ問題によって、オーバートレーニング症候群や小児慢性疲労症候群(CCFS)を発症し、仕事による過労死同然になっている無数の子どもたちがいるはずです。
▼行き過ぎたクラブ活動の実態調査
その後、2017年にニュースによると、スポーツ庁が全国の中学校を対象に実施した初の実態調査を行い、文部科学省が学校の部活動に休養日を設けるよう全国の教育委員会などに通知したそうです。
スポーツ庁が全国の中学校を対象に実施した初の実態調査によると、国が目安として示す「週2日以上」の休養日を決めている学校は2割に満たなかった。5割超が週1日にとどまり、休養日を設けていない学校も約2割あった。
全般的に部活動が活発な九州7県では、週2日以上の休養日を決めている中学校は約1割にすぎなかった。土日の活動が常態化している実態はやはり看過できない。
部活動には連帯感や責任感を育む教育効果がある。とはいえ、度を過ぎれば、慢性的な疲労や家庭学習への支障が懸念される。
教員の疲弊も深刻だ。経済協力開発機構(OECD)の調査によると、日本の教員の勤務時間は突出して長い。原因の一つは、加盟国平均の3倍以上に及ぶ課外活動時間にある。
これほど異常な状態が、さも当たり前であるかのように生徒にも教員にも強いられている、というのは恥ずべきことですし、教育先進国を名乗る資格さえ疑問視されるべきものです。
特に九州地方で度を越えた課外活動が見られるとされていますが、小児慢性疲労症候群の当初の研究が、熊本大学で始まったことと無関係ではないでしょう。
子どもの睡眠障害に詳しい粂和彦先生(元熊大、現名古屋大)も以下のエントリでその点を指摘しておられます。
怒りの病名としての「小児慢性疲労症候群」: 粂 和彦のメモログ
この病気の中で、特に、高校生で発症するものは、熊本(~九州)の「風土病」の可能性があります。つまり水俣病みたいなものです。(これは、半分冗談、半分本気で、怒って書いてます。)
熊本のほとんどの高校には、朝課外(0時間目)というものが存在します。さらに夕課外(7時間目)、自主補習(8,9時間目)が存在する学校もあります。つまり、高校の授業による拘束時間が7:30~18:30です。この「前後」に部活の練習が入ります。拘束時間が11時間というのは、労働基準法から考えれば、懲役刑ものですよ!
一部しか引用していないので、できれば、誤解がないようにするためにも、元記事全文を読んでいただきたいと思いますが、全国的に異常な部活動の習慣がある中でも、九州地方での異常さは特に常軌を逸していることがわかるかと思います。
こうした極端な風土的事例がきっかけとなって、子どもの慢性疲労症候群の普遍的な実態が導き出されていったといえるでしょう。
「壮大な人体実験」
この問題は何も部活動などのスポーツ教育に限定されたものでもありません。不登校外来―眠育から不登校病態を理解するはこう指摘しています。
このスポーツにおけるオーバー・トレーニングは学校の成績を上げるための“お勉強”にも同様に存在している。小学校中学年から夜に学習塾に通い、睡眠時間を減らして受験勉強に励んだ末、CCFSに陥り不登校となって学校社会から離脱しなければならない少年少女のいかに多いことか。
…日本の子どもたちは“幼小児期に睡眠欠乏状態で育つとどのような大人たちになるのか”という日本大人社会の壮大な人体実験のモデルにされてしまっているようである。 (p120)
同様の点を、前述の桑田真澄さんも指摘しておられ、「学生は、勉強もしなくてはいけないんですよ。一日中練習して、寝る時間もなくて、どうやって勉強するのですか?」と述べておられます。
この「壮大な人体実験」は、明らかなデータとしても現れています。国立精神・神経医療研究センターの三島和夫部長はナショナルジオグラフィックの連載記事でこう指摘しておられます。
第1回 眠らなくなった日本人 | ナショナル ジオグラフィック(NATIONAL GEOGRAPHIC) 日本版公式サイト
このグラフは、ある時間に何%の人が眠っていたか示しています。1941年の時点だと10時50分には、日本人の90%が眠っていたんです。
これが約30年後の70年には、1時間ちょっと遅くなりました。ただ、起きる時間もまだ後ろにずれることができていたんです。会社に間に合う時間までまだ余裕があった。
でも、それ以降そのぎりぎりのラインを越えてしまい、結局どんどん睡眠時間が短くなってしまっています。
日本は世界で最も速い速度で睡眠時間(特に乳児や子どもの睡眠時間)を削っている国として知られています。
このような明確なデータがあるにもかかわらず、子どもの限界へ配慮する教育関係者が少ないのはどうしてでしょうか。不登校外来―眠育から不登校病態を理解するはこう述べています。
徐々に蓄積する疲労は注意深く見守る人にはみえるものであり、比較的明確であるので見落とすことはないはずのものである。
しかしながら根性論好きで勝つことにこだわる、負けず嫌いな日本人は子どもの疲労を認めようとせず、ほぼ「根性が足りない」とか「怠けている」との判定を下してしまう。
…自分たちがいかに頑張っているかを子どもたちに得々と説教し、自らが子どものとき、十分に睡眠を取っていたことなど忘れているのである。(p83)
日本の教育社会はいまだかつてだれも経験したことのない、異常な環境を子どもに強いているのです。これが「壮大な人体実験」でなくして何であるというのでしょうか。
教育者には正確な知識が必要
誤解のないように書いておくと、この「壮大な人体実験」の解決策は“ゆとり教育”にあるわけではありません。限界を無視した過密なスポーツあるいは詰め込み教育も、はたまたいわゆる“ゆとり教育”も、生理学的な知識に基づいていない教育という点では何ら変わりはないからです。
またわたしは、学校指導者を非難するためにこの記事を書いているわけでもありません。すでに引用した実態調査によると、現場の教師たちもまた過重労働を強いられている被害者であることがわかります。
わたし自身、科学部に在籍していたころの活動や、進学校での充実した毎日は、今でもかけがえのない思い出となっています。熱心に指導してくださった先生方には心から感謝し、今でもお慕いしています。
三池先生も、不登校外来―眠育から不登校病態を理解するのp143で、部活が不登校の子どもの心の支えとなる場合があることを書いておられます。
この「壮大な人体実験」の問題は、多くの場合、恣意的な悪意をもって行われていないことにあります。善意で行われているにもかかわらず、子どもの発育に関する医学的・生理学的な知識が欠けているため、深刻な問題を引き起こしているのです。
大切なのは、教育関係者の教育です。
三池先生は、「子どもたちの部活指導は専門性を有するものであり、これからは十分に運動生理学や発達学を取り入れた国家資格審査を見当すべきであることを提言する」と書いています。(p120)
もし今回の痛ましい事件を、体罰の是非の問題として片づけてしまうなら、教育関係者は今後も正確な知識を持たないまま、過密スケジュールによって虐待された子どもや、オーバートレーニング症候群や慢性疲労症候群(CFS)の患者を生み出し、悲劇と惨劇を繰り返すでしょう。
体罰の問題だけでなく、背後にある根本的な問題についても活発な意見交換が行われること、そして正確な知識に基づいて子どもを指導しようとする教育関係者が、一人でも増えることを願ってやみません。
子どもの体に不可欠な睡眠について、正確な知識を普及させる活動として、三池輝久先生たちは“眠育”という取り組みを進めています。
本文中で取り上げた、現代の日本社会の教育問題を如実に反映した病気といえる子どもの慢性疲労症候群(CCFS)のメカニズムについては以下のエントリをご覧ください。