脳科学が解明する「脳と疲労―慢性疲労とそのメカニズム」

労の原因は乳酸ではない、疲労は筋肉ではなく脳で感じる、疲労回復を謳っている商品の多くは、疲労ではなく疲労感をマスクしているに過ぎない…。

疲労についての常識は、一昔まえと比べて、今、大きく変わろうとしています。これら常識を覆す発見を、世界に先駆けて世に送り出してきたのは、渡辺恭良先生をリーダーとする日本の研究グループです。

渡辺先生たちが、疲労について研究する際、大きな助けになったのが、究極の疲労状態といわれる慢性疲労症候群(CFS)の患者の存在です。疲労の研究は、健康な人とCFS患者を比較することで進展してきました。

このエントリでは、渡辺先生の著書脳と疲労 ―慢性疲労とそのメカニズム― (ブレインサイエンス・シリーズ 25)について簡単に紹介したいと思います。

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これはどんな本?

この本は、1999年から2009年までの日本の疲労研究でわかったことがまとめられた書籍です。脳科学の進歩を明らかにするブレイン・サイエンス・シリーズの25番目、最終巻として発行されました。

日本では、平成11年から16年までの6年間、26の大学・研究機関とともに、「疲労および疲労感の分子神経メカニズムとその防御に関する総合的研究」という、世界ではじめての大規模研究が行われました。

次いで、平成16年度から5年間、文部科学省21世紀COEプログラムの革新的な学術分野に引き継がれ、「疲労克服研究教育拠点の形成」として、国際疲労研究センター、疲労クリニカルセンター、抗疲労食薬環境空間開発センターの三本柱で研究が続けられました。

また2005年以降は「日本疲労学会」による年一回の学術集会も行われています。

この本は、それらの研究で明らかになった疲労とは何か、慢性疲労症候群(CFS)にはどんな異常が見られるのか、といったことが書かれています。「疲労・過労の脳の状態についての仮説は日本の独壇場」であり、「疲労・癒しの科学においては国外での研究は少なく、日本の強い部分」です。(p8)

疲労について明らかになったこと

全編を通じて、疲労についての医学的な考察が散りばめられており、たとえば、乳酸は疲労の原因物質ではないこと(p15)、緑の香りが疲労を緩和すること(p48,128)など、一般のテレビ番組やニュースで報道されるようになったことについても詳しく書かれています。

そのあたりの内容については、すでに書評として詳しくまとめてくださっている方がいました。

脳と疲労 乳酸の迷信!とそのメカニズム [科学に佇む心と身体]はてなブックマーク - 脳と疲労 乳酸の迷信!とそのメカニズム [科学に佇む心と身体]

慢性疲労症候群(CFS) [科学に佇む心と身体]

この書評では、これまでもこのブログでときどき引用してきたCFSの病態に関わる記述を箇条書きしておこうと思います。ただし、ほとんどの内容は、専門家でないわたしには難しすぎるので、意味を読み違えている可能性もあることをお含みおきください。

脳科学から見た慢性疲労症候群(CFS)

慢性疲労症候群(CFS)の患者には、次のような検査異常が見られることが注目されています。

神経伝達物質の問題

セロトニンを作る機能が低下:セロトニンの材料となる遊離型トリプトファンが有意に高くなっているが、セロトニン神経系の活動は低下している。つまりセロトニンを作る工場が働いていないので材料が余っている。(p19-21)

遺伝的要因が関係:セロトニントランスポーターを作る遺伝子を調べると、効率のよいL型が多いにもかかわらず、セロトニントランスポーター自体の数は減少している。遺伝的要因とセロトニン神経系の問題の双方が関係している。(p46)

心の問題とも関係:セロトニンの低下が、痛覚過敏や、疲労を恐れる過度の活動回避、頑張りすぎ、完璧主義、病気の原因を身体要因に求めようとする傾向と関連しているかもしれない。(p46)

免疫物質の異常:免疫に関わる疲労伝達物質TGF-βが上昇している。TGF-βの上昇は副腎でのDHEA-Sの産生を低下させ、副腎疲労症候群と同じような症状を招く。さらにDHEA-Sの低下はアシルカルニチンを減少させ、注意力や集中力といった脳機能の低下を招く。(p21)

症状が重いほど、血清アシルカルニチン値が低く、前頭前野での取り込みが低下している(p25)

各種インターフェロンなどのサイトカインが脳脊髄液中で増加している。その結果として、交感神経が活発になり、体が休まらず、ナチュラルキラー細胞の活性(免疫力)が低下している。(p27-28)

易疲労性

脳全体の反応が低下:ATMT(画面にランダムで表示される数字を順番に押す検査)では、疲労によって、課題に関係する部分だけではなく、関係ない部分の血流も低下した。慢性疲労状態の疲れやすさ(易疲労性)は脳全体の反応性の低下と考えられる。(p43-44)

思考も疲れやすい:ATMTでは課題の後半になるほど反応時間が延長し、疲れやすいことを物語っている。対照的にうつ病では明らかに前半から反応時間が鈍い。(p45)

老化と似ている:慢性疲労症候群の症状の大部分は老化と類似している。しかし、高齢者で見られるような、睡眠時間帯の前進(早朝覚醒)は見られないので似て非なる点もある。(p125,128)

ウイルスとの関連

インフルエンザと似ている:慢性疲労症候群(CFS)の症状はインフルエンザに似ており、相当の率がウイルス感染かもしれない。(p31)

ヒトヘルペスウイルスとの関係:CFS患者の2割がHHV(ヒトヘルペスウイルス)-6に強い免疫反応を示す。健常人には見られない。(p32)

ボルナ病ウイルスとの関係:CFS患者の26%にボルナ病ウイルス陽性が見られる。健常人では1%。ボルナ病ウイルスは統合失調症やうつ病の患者の脳からも見出された。 (p32)

ウイルス感染を示唆する酵素が存在:CFS患者の58%に、ウイルス感染に特有の2-5ASが陽性が見られる。健常人は11%。(p33)

脳の状態

脳血流の低下:脳幹部、前部帯状回、眼窩前頭前野に血流低下が存在する。うつ病では、前頭前野の血流は低下しているが脳幹部では低下していない。(p41-42)

脳の萎縮:慢性疲労症候群は究極の慢性疲労病態であり、前頭前野の萎縮がみられる。しかし不可逆的なものではなく、認知行動療法で改善する。ただし慢性疲労症候群はさまざまな病態を含むので認知行動療法の効果が少ない場合もある。(p43,46,126)

Increase in prefrontal cortical volume following cognitive behavioural therapy in patients with chronic fatigue syndrome. - PubMed - NCBI

血液脳関門の異常:慢性疲労症候群では血液脳関門(有害な物質を脳に通さない仕組み)が開きっぱなしになっている可能性があり、そうだとしたら脳に不可逆的な変化が生じかねない。つまり、早期治療が不可欠。(p120,132)

最後の点に関しては、最近、著者の渡辺恭良先生のグループが新しい研究成果を発表してニュースになりました。やはり血液脳関門に異常が生じ、本来脳に入らないはずの自己抗体が脳を攻撃しているようです。

脳科学が解明する「脳と疲労―慢性疲労とそのメカニズム」
脳科学の進歩によって、疲労についての常識は、一昔前と比べて、今、大きく変わろうとしています。渡辺恭良先生の著書「脳と疲労 ―慢性疲労とそのメカニズム―」から脳科学の観点から慢性疲労

脳科学から見た小児慢性疲労症候群(CCFS)

この本には小児慢性疲労症候群(CCFS)のデータも少し収録されています。

不登校との関係:不登校児の一部は小児慢性疲労症候群(CCFS)である。(p4)

生体リズムの問題:CCFSでは夜中に深部体温が下がらない。概日リズムと深部体温リズムの平坦化(メリハリの消失)が見られるが、成人の慢性疲労症候群では少ない。(p47,127-128)

コルチコステロンやβエンドルフィンのリズムのピークが夜9時になっている。正常な子どもでは朝6時。そしてコルチコステロンの値は高い。睡眠に関わるメラトニンリズムはそもそもピークがなく平坦に近い。(p47)

自律神経の問題:副交感神経が抑制されていてリラックスできず、高血糖状態になっている。(p47)

脳の異常:不登校児の40%、CCFSの子どもの80%で脳の血流が低下している。脳にコリンが蓄積していて、アセチルコリンとして再利用する効率が悪い。つまり学習記憶能力が低下している。(47-48)

脳科学が慢性疲労症候群を解明する

これまで、慢性疲労症候群という病気は、詐病や心理的問題だと誤解されてきました。問題の大部分は脳でや分子レベルで生じていたのに、それを研究する科学的手段がなかったからです。脳は宇宙と同等のブラックボックスとされてきました。

しかし近年、脳をリアルタイムで観察できるfMRIや光トポグラフィ技術が開発され、脳科学という新しい分野が誕生しました。

今や英語のブレイン・サイエンスという言葉は世界的に使われていますが、その言葉が誕生したのはここ日本だそうです。日本は世界に先駆けて、「脳科学と教育」という国家プロジェクトを立ち上げたことでも知られています。

かつてルイ・パスツールやロベルト・コッホが細菌学の基礎を据えたとき、それまでなすすべがなかったさまざまな感染症のメカニズムと治療法が明らかになりました。脳の研究の基礎がすえられた今、慢性疲労症候群の正体が解き明かされ、治療法が見つかるのも時間の問題かもしれません。

▼脳科学とうつ病
脳科学は、同じく脳および全身の問題と考えられているうつ病のメカニズムも解き明かしつつあります。以下のエントリもご覧ください。

脳科学が解き明かすうつ病のメカニズム―「NHKスペシャル ここまで来た! うつ病治療」
本当のところ、うつ病の原因は何なのでしょうか。抗うつ薬が効かない場合も治療できるのでしょうか。書籍「NHKスペシャル ここまで来た! うつ病治療」では、脳科学により解き明かされてき
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子どもの慢性疲労