発達途上にある若い時期に、慢性的に異常な環境に置かれるなら、脳に“いやされない傷”が刻まれる。
これは、子どものこころの問題を脳科学の観点から研究してこられた友田明美先生の著書いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の要点です。
この本には、小児慢性疲労症候群のことは単語として数回出てくるのみです。しかし友田先生の背景や、友田先生の別の著書不登校外来ー眠育から不登校病態を理解するの内容を思い起こすに、虐待と小児慢性疲労症候群との関連を考えずにはいられません。
小児慢性疲労症候群(CCFS)の子どもは、基本的に虐待経験者ではありません。一患者であるわたしも、そのような過去はありません。家庭環境やいじめが引き金になる場合もありますが、さまざまな原因が絡みあって発症します。
しかしCCFSと虐待の問題は深いところで関係し合っていると思います。なぜそういえるのでしょうか。これから4回にわたって、関連資料を引用しつつ考えます。
目次 ( 各項目までジャンプできます)
“心の傷”ではなく“脳の傷”
虐待と、不登校(特に小児慢性疲労症候群)の類似点としてまず考えられるのは、どちらも“心の問題”とされてきた過去がある、ということです。
1.虐待の場合
虐待の問題について、友田先生はいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の中で事情をこう説明しています。
最近まで心理学者たちは、子ども時代に受けた虐待の経験者は社会心理学的発達を抑制され、精神防御システムを肥大させて、大人になってからも自己敗北感を感じやすくさせると考えていた。
つまり精神的・社会的な発達が抑えられて、大人になっても“傷ついた子ども”のままになってしまうと考えられ、虐待によるダメージは基本的には“ソフトウェア”の問題とされてきた。
治療すれば再プログラムが可能で、つらい体験に打ち克つよう患者を支えれば治せる傷ととらえられてきた。 (p31-32)
虐待の問題は“心の傷”であり、心理的ケアで回復すると思われていたのです。しかし現在ではどんな理解に変わりつつあるでしょうか。続けてこう書かれています。
しかし…この決定的に重要な時期(感受性期)に虐待を受けると、厳しいストレスの衝撃が脳の構造や機能に消すことのできない傷を刻みつけてしまう。いわば“ハードウェア”の傷である。
子供の脳では分子レベルの神経生物学的な反応がいくつか起こり、神経の発達に不可逆的な影響を及ぼしてしまうということがわかってきたのである。 (p32)
虐待によるダメージは、単純なカウンセリングで解決できるような“心の傷”ではなく、人生に壊滅的な影響をもたらしかねない“脳の傷”であることがわかってきたのです。
虐待された子どもはテロメアが短くなり、遺伝子レベルの傷を負うことも分かっています。
2.不登校の場合
では、不登校の子どもの事情はどうでしょうか。友田先生は別著現代の養生訓―未病を治すの中でこう書いています。
小児の疲労に関する訴えは…器質的異常がない場合は「気のせい」「精神的なもの」として適切な対応が取られないことも少なくありません。
…確固たる背景を見い出せず、心の持ちようによる問題であろう(病気ではない)と解釈されているということです。
この事実はこれまで不登校理解における医学領域の関与がほとんどなかったために一般の人たち(家族・保護者など)あるいは心理学関係者による解釈が先行定着していることを示しています。 (p207-208)
子どもの不登校もやはり、家族や心理学者たちによって、“こころの問題”あるいは仮病とされてきたというわけです。しかし実態はどうだったのでしょうか。続けてこう書かれています。
ですが、そのような患児たちの中には慢性疲労症候群(CFS)にきわめて類似した病態を持つ患者群がいることが分かってきました。
…大部分のCCFSは「現代夜型生活を背景とする長期間に及ぶ慢性的睡眠欠乏状態の結果として、生命維持脳(辺縁系)機能障害による生命力の低下が出現し、
…高次脳(皮質)機能低下による思考混乱、学習意欲および学習機能低下、さらに極めて回復の遅い疲労に伴う日常生活の破綻」であり、「病的状態」と言わざるを得ません。
従って、心の問題としてカウンセラーに完全委託できる質のものではなく、医療が深く関わらなければならない一つの重大な疾患なのです。 (p208-209)
不登校の一部に見られる小児慢性疲労症候群(CCFS)もまた、カウンセラーが解決できるような単なる“こころの問題”ではなく、深刻な脳機能異常であることが明らかになったのです。
そして、CCFSの引き金となる慢性的な睡眠不足が、遺伝子レベルの影響をもたらすことは先日報道されていました。虐待による損傷とは別物ですが、年齢が上がるほど、その回復力は弱くなるとも言われています。
科学の進歩は問題の本質を明らかにする
脳科学の観点から、不登校や虐待というよく知られた問題を定義しなおそうという取り組みは、まだほんの20年ほど前に始まったばかりです。それゆえ、医学会や教育界は批判的で、従来の考えを変えるに至っていません。
脳科学の研究にとって重要なfMRIや近赤外光トポグラフィなどの技術開発に携わった小泉英明博士は、脳科学の真贋―神経神話を斬る科学の眼 (B&Tブックス)でこう語っています。
心理学のプロパーみたいなハーバード大の心理学者たちの多くは、依然として心理学は心を研究する学問であり、脳を研究する学問ではないと、そうはっきり言い切っているわけです。
もちろん、これを否定するわけではなくて、そこには一理あって、脳をこの先解明していけば、心まですべて分かってしまうかというと、これはそう簡単ではない。
…しかしながら、今の脳科学の実態では…これまで完全に独立し、むしろ両極に存在していたマインド[心]とブレイン[脳]が、それぞれの中で互いの分野の一部が説明できるようになっている。
そうすると、ブレインサイエンスという名前が必然的に、だんだん重要性を増してくると考えているのです。 (p36-37)
虐待も不登校も、長い歳月にわたり、心理学者や一般の人たちによって、心の傷、心の弱さと定義されてきました。カウンセリングなど、心理的なケアによって回復しない子どもは打つ手が無いとして見放され、路頭に迷うままにされました。
しかし、今や、脳科学の進歩により、虐待や不登校には、脳の器質的な異常や、小児慢性疲労症候群(CCFS)といった、医学的な対処が求められる深刻な問題がひそんでいるという証拠が集まってきたのです。
さて、虐待と小児慢性疲労症候群の問題が似ているのは、何もたどってきた経緯だけではありません。続く2番目のエントリでは、小児慢性疲労症候群が社会的虐待と呼ぶにふさわしいといえるのはなぜか、という点を考えます。