社会的虐待として考える小児慢性疲労症候群

収容所 二次世界大戦中にナチスが用いた強制収容所のひとつ、チェコのテレジーン(テレージエンシュタット)をご存じでしょうか。この要塞は、世にも珍しいことに、「ユダヤ人を保護するための入植地」と宣伝されていました。

戦争のさなか、ナチスの非道な扱いについて調査するため、国際赤十字団がテレジーンに視察に訪れます。そこで目にしたのは、子どもたちのオーケストラや、ユダヤ人の肖像画がすられた紙幣、お洒落なカフェ、自然豊かな街並みなどでした。

国際赤十字団の代表者は満足して、テレジーンを後にします。そしてテレジーンは平和な街で、手厚い世話がなされていたと報告します。とても良い話です。そう、表向きはとても良い話だったのです。

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“Arbeit Macht Frei”

実際は、その背後で身も凍る恐ろしい仕打ちがなされていました。テレジーンのユダヤ人は子どもも含め、非常に残忍な仕方で虐殺されていたのです。ナチスは、国際赤十字団を欺くために外観を繕い、言いなりになるユダヤ人だけを表に出して、幸せそうに見せかけたのです。

テレジーンには、今でも、虐殺された子どもたちが描いた無数の絵が残されているといいます。その絵は差別や虐待に満ちた、非情な現実を描いたものです。ナチスが美しく幸せそうに外見を繕ったテレジーンにおいて、子どもたちが描いた絵だけが、真実を物語っていたのです。

テレジーンをはじめ、ナチスの強制収容所には、ハインリヒ・ヒムラーによって掲げられていたスローガンがあります。それは何でしょうか。

“Arbeit Macht Frei ” (アルバイト マハト フライ)、すなわち「労働が自由をつくる」です。

現代の“テレジーン強制収容所”

この標語は、もはや戦時中の遺物でしょうか。

わたしにはそうは思えません。

JAXA(宇宙航空研究開発機構)が先日発行した宇宙医学に学ぶ快眠の秘訣(2012年12月 初版)ではこう問いかけられていました。

スペースシャトルから撮影した日本の夜景を眺めると、私たちは「眠らない社会」で生活していることを改めて実感します。

社会が豊かになるために睡眠を犠牲にしてもよいのでしょうか。

この「眠らない社会」に、わたしたちは日々生きています。日本の男性の労働時間は、韓国に次いで、先進国の中ではずば抜けて長くなっています。睡眠時間短縮のスピードは、世界で日本が最も早いと言われています。

国立精神・神経センターも、最近のプレスリリースにおいてこう述べています。

1960年では8時間超であった日本人の平均睡眠時間が、近年では7時間半程度と1時間近く短縮しています。特に日本の有職女性の睡眠時間の短さは国際的にも群を抜いています。

人間の必要睡眠時間がこのような短期間で変化するはずもなく、睡眠不足のため現代人の約10%が慢性的な眠気を自覚しています。

日本人はかつて、夜遅くまで働くために、海外から「エコノミックアニマル」と揶揄されましたが、その傾向は加速する一方です。「過労死」という日本語は世界的に注目され、「karoshi」として英語の辞書に載るまでに有名になりました。

日本人の死因トップ10のうち、少なくとも4つ以上が、睡眠不足に起因すると言われています。異常な事件の裏には睡眠不足が関わっていると考える専門家もいます。睡眠不足は脳機能を低下させるからです。

前述の宇宙医学に学ぶ快眠の秘訣によると「15時間の徹夜は、免停30日の罰則を受けるアルコール濃度に相当し、24時間の徹夜は、日本酒2合に相当する知覚・判断能力、反応性の低下を引き起こす 」のです。

現代の養生訓―未病を治す東京慈恵会医科大学の山寺亘先生、伊藤洋先生はこう述べています。

私たちの健康に大きな影響を与える睡眠とその障害は、現代社会の特性に影響を受けています。

…私たちの「不眠不休」を、「勤勉」という美名のもとに勘違いしていると、個人の健康が侵され、最終的には社会全体の損失につながることに気付くべきであろうと考えます。(p122)

それでも、大人の睡眠不足は今に始まった問題ではありません。歴史を通じて、多かれ少なかれ繰り返されてきたことです。大人の場合は本人が自覚すればある程度対処できます。

問題は子どもの場合です。子どもの睡眠が、乳幼児期から、毎日数十分ないしは数時間も削られてきた時代は、人類史上いまだ例がありません。

神山潤先生が、2005年の著書「夜ふかし」の脳科学―子どもの心と体を壊すものの中でこう述べていたとおりです。

24時間社会は人類史上未曾有の環境であり、今、眠りを含む休息を奪われた子どもたちの将来にどのような影響が出るのか、実はまだ誰にもわかってはいない。

世界で一番眠っていない日本の子どもたちは、「発育期に眠りが疎かにされるとどうなるか」という大規模な実験にかり出されているのである。

…日本の子どもたちの心や体は、実験結果が出たときには手遅れなほどに傷んでしまっていることが十分に考えられる。すでに証拠は少しずつだが現れていると私は感じている。

皆さんは気づかない、いや気づこうとしていないだけなのではないだろうか? (p88)

現代の子どもたちは、欲しいものをすぐ手にすることができ、便利なお店や電子機器に囲まれていて、昔の子どもより、よほど幸せで甘やかされている、と言われます。しかし、本当にそうでしょうか。

競争社会から脱落し、不登校になった若者は、心が弱く、根性なしで、ダメ人間であるかのように思われています。本当にそうでしょうか。

むしろ、睡眠を削り、競争心をあおり、「労働は自由をつくる」という理念を掲げる社会が、豊かなモノというカモフラージュでごまかされた“テレジーン強制収容所”である、ということはないでしょうか。

不登校や小児慢性疲労症候群(CCFS)の子どもたちの悲痛な訴えだけが、行き過ぎた社会の、ありのままの現実をまざまざと描き出しているとは考えられないでしょうか。

学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている (講談社プラスアルファ新書)のあとがきにはこうあります。

子どもたちがおかれている生活環境の劣悪化に、自らが何も関与していないと知らぬふりを決め込んで、結果的には子どもたちを虐待してしまっている日本の大人たち(もちろん私を含めてであるが)に私は心底から腹を立てている。 (p222)

書籍子どもとねむり 乳幼児編―良質の睡眠が発達障害を予防するにおいて、「睡眠時間確保は人権問題のひとつ」と表現されているのも、至極もっともなことです。これは「壮大な人体実験」にほかならないのです。

競争心幸せをもたらさない

では、わたしたちが、この異常な環境で自分や家族を守るにはどうすればよいのでしょうか。

脳科学と学習・教育では、子どものために良かれと思ってやっていることが、子どもの心身を蝕むことがないように、年2回、以下の調査をするよう勧められています。 (p86)

1) メンタルヘルスケアシステム質問表。
2) 2週間の睡眠ログ記載。
3) 食事時間のチェック。

各家庭・学校でこれを心掛けるなら、ごくふつうの家庭・学校環境が、社会的虐待に変貌し、CCFSの引き金になるという悲劇をいくらか予防できるかもしれません。

しかし社会のありかたが関わっている以上、そう単純でないのも事実です。学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてているにこう書かれているとおりです。

いい学校に送り込むことが唯一無二の価値観であるがごとく親子を洗脳し、朝早くから夜遅くまで勉強を詰めこみ、そのシステムのなかで命を削り、疲れ果てて脱落せざるを得ない生徒たちを量産しているという罪の意識もなく、逆に彼らを怠け者扱いする大人たちに教育者などと名乗る資格はないのである。 (p223)

睡眠不足は害になることは重々承知している、自分の睡眠が足りていないことも分かっている、でも、今睡眠を削らなければ、他の人に勝てない、勉強についていけない、仕事が得られない、家族を養えない、生活が破綻してしまう…、そう思わせるのが今の世の中です。

多くの人は、「幸せな生活を送るためには有名企業に就職する必要がある。それには高度な大学教育が求められる。そして良い大学に入るためには、子どものころから寝食を惜しんで勉強し、他の人に差をつける必要がある」、というもっともらしい“神話”を信じています。

しかし、これらは多くの点で間違っている“作り話”です。近年のさまざまな統計が示すところによれば、寝食を惜しんで勉強したところで良い大学には入れません。良い大学に入ったところで生涯の仕事が保証されるわけではありません。

脳科学の真贋によると、経済レベルと幸福感が比例するのは、衣食住が足りるまでに過ぎません。衣食住が足りたあとははむしろ、高所得の日本の人々より、貧しいアジアの国の人々のほうが幸福を感じているというデータがあるそうです。(p202)

自己本位な競争心は、満足のいく生活をもたらすどころか、心身の健康を損ないます。幸福感は手に入れることではなく与えることから生じるからです。

人というのはなにかを与えることができるときに大きな幸せを感じるものであり、ただ豊富な物質を与えられることだけでは幸せを感じることができない (p116-121,150-151)

手に入れることとは異なり、なにかを与えることは、収入や学歴、経済レベルにかかわらず、あらゆる立場の人ができることです。

現代社会で健康を守るには、個人や家庭レベルで世の中に影響されない価値観を育むこと、そして、他の人との優劣ではなく、一人ひとりの個性を自尊心のよりどころとし、モノやお金や社会的地位に依存しない正しい成功の尺度を持つことが必要でしょう。

親が子どもに与えられる最高のプレゼントは、財産でも天才教育でもなく、無条件の愛、そして人生のコンパスとなる優れた価値観だと言われています。それらは競争社会を生き抜くレジリエンスになるでしょう。環境ですべてが決まるわけではないのです。

子どもたちの温かい心を育むために

これまで4回にわたって小児慢性疲労症候群(CCFS)を虐待と結びつけて考えてきました。小児慢性疲労症候群と虐待を比較するのは、どこまで適切なのか分かりませんが、決してかけ離れたものではないと思います。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳と、不登校外来ー眠育から不登校病態を理解するに書かれている研究成果は、多くの人に読まれてしかるべき重要なものだと思います。

また、もしCCFSの難治例が、脳機能の低下が固定化したものであるとすれば、同じく虐待によって固定化した脳の傷を治療しようと試みているいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の内容は、患者にとって励みになるはずです。

虐待も難治化した不登校も、単純なカウンセリングで解決しうる“こころの問題”として見過ごされるなら“いやされない傷”ですが、医学的に系統だった治療が確立されるなら、“治療できる傷”になるはずです。

色鉛筆の絵1何よりいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の推薦の辞にあるとおり、両書とも「子どもたちの温かいこころを育むために何が大切であるのか皆で考え行動するように」訴えている書籍です。

子どもたちを守り、温かいこころを育むべき環境が、知らず知らずのうちに虐待者や強制収容所のような過酷なものに変容していないかどうか、わたしたちは今、立ち止まって考えるべきではないでしょうか。

この3月末をもって、CCFSを研究してこられた三池輝久先生が退職なさるそうです。長年にわたって、不登校の子どもたちに親身に寄り添い、医師人生をかけて、慢性疲労症候群という重大な問題と向き合ってくださったことに、心からの感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

社会的虐待として考える小児慢性疲労症候群
発達途上にある若い時期に、慢性的に異常な環境に置かれるなら、脳に“いやされない傷”が刻まれる。小児慢性疲労症候群(CCFS)と児童虐待の問題には共通点があります。最後のエントリでは
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子どもの慢性疲労