自己愛性パーソナリティ障害を考えるうえで注目したいのは、自己愛的な人の周辺で精神科患者が生産されることである。
…家庭内のいわば法律と化した男性のもとに支配され、妻はうつ病の、娘は境界性パーソナリティ障害の治療を受けているということもまま見かける。
筆者はこの種の精神医学的ケースを自己愛性パーソナリティ障害代理症と呼ぶことにしている。(p130)
尊大で横柄な人、というのは身の回りにときどきいるものです。ところが、その程度が度を越していて、家族や部下が当惑したり、被害を受けたりする場合があります。
以前の記事で書いた境界性パーソナリティ障害と対をなすものとして、「自己愛性パーソナリティ障害」という概念があるそうです。
少し気になることがあったので、さまざまなパーソナリティ障害を説明している本、パーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)を読んでみました。
自己愛性パーソナリティ障害とはどんな人のことを言うのでしょうか。
また、自己愛性パーソナリティ障害の人の家族や、会社の部下が苦しむ「自己愛性パーソナリティ障害代理症」とは何でしょうか。
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これはどんな本?
この本は、境界性パーソナリティ障害についての著書もある、三田精神療法研究所所長の牛島定信さんの本です。
不登校、高校中退者、ひきこもりといった不適応を起こしている若者の存在がある。
彼らは学生時代に不適応を起こしたまま、年齢相応の社会的第一歩を踏み出せないでいる人たちである。(p6)
こう書かれていることから、パーソナリティ障害はこのブログの話題と一部かかわっていることがわかります。この本は、そのような問題を遺伝や脳機能障害ではなく、発達段階の問題としています。
最近では、パーソナリティ障害といえども脳組織あるいは脳機能と結びついた概念という考え方が拡がっているが、幼児期にしろ、思春期青年期にしろ、そうした発達段階でのトラウマ的な体験がその後の発達に影を落としているという視点を堅持したかった。(p220)
この書評では、個人的に興味があった自己愛性パーソナリティ障害について取り上げますが、この本は、他のさまざまなパーソナリティ障害、あまり本が出ていないものについても取り上げているので参考になります。
またパーソナリティ障害とまではいかない、個性といえるレベル、つまりさまざまなパーソナリティについても光を当てています。
自己愛性パーソナリティ障害の6つの特徴
この本では、自己愛性パーソナリティ障害についてp122-135で解説されています。
自己愛性パーソナリティ障害は境界性パーソナリティ障害と対をなす、比較的新しい概念だそうです。1971、H・コフートが誇大的な自己を露呈するケースについて名づけました。
二面性があったり、突然激しく怒ったりするなどの点は、境界性パーソナリティ障害と似ています。しかし、境界性が「見捨てられた」という自尊心のなさを特徴としているのに対し、自己愛性は尊大さを特徴としているそうです。
以下に自己愛性パーソナリティ障害の特徴を6つ挙げましょう。
1.自分は特別な人間だ。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分を特別な人間と思っています。自分には才能も業績もある、という想いに裏打ちされたもので、それを周囲に認めさせようとしてひそかな努力をするので、ある程度の成功を収めている場合があります。
たまたまもらった有名人の名刺を見せて、さも親しいつきあいがあるかのように振舞うなど、自分を偉大に見せよう、華美に見せようとすることがあります。
このような誇大自己は、ときにアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)の人にも見られることがありますが、アスペルガー症候群の人は裏表がなく純粋なのに対し、自己愛性パーソナリティ障害の人は人によって態度を変えるなど二面性を使い分けるのが上手です。
2.他の人は道具にすぎない
自分に対して並々ならぬ関心がある一方、他人に対しては思いやりがありません。恋人、配偶者、友だちを、自分の都合に合わせて使用する道具としか考えていないように思えます。
自分の目的を達成するために他の人たちを不当に利用するなど、良心のかけらもないといった印象を与えます。
自己愛性パーソナリティ障害の人は一見サイコパスのように他人を扱いますが、サイコパスが自分にも他人にも同情しないのに対し、自己愛性の人は、自分に対する愛があるという点で異なっています。
「自分以外の人間はいてもいなくてもいい、使い捨てのものにすぎない」あるいは「自分以外の人間に少しも興味がない」といった態度は、自己愛性パーソナリティ障害の本質を捉えています。
自己愛性パーソナリティ障害は育ちの問題に由来する後天的なものですが、サイコパスは先天性の脳の異常だと言われています。詳しくはこちらをご覧ください。
3.突然の激しい怒り
自己愛性パーソナリティ障害の人の突発的な激怒は、「自己愛的怒り」と呼ばれます。
周囲の称賛や賛同を得られないときや、批判的なことばや拒否に直面したとき、激しく怒ります。憤りを超えて、自殺念慮を伴う抑うつになることもあります。
このような問題は、結婚を機に、配偶者が自己愛的欲求に答えてくれたないため表面化することが多いそうです。就職して、上司との折り合いが悪くなることで表面化することもあります。
こうした突発的な怒りは、アスペルガー症候群でも見られますが、サイコパスの場合は、感情をコントロールする力に長けていて、プライドを傷つけられても冷静さを失ったりせず、もっと巧妙な仕方で仕返しすることが多いようです。
4.裏表がある
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分を誇大に見せるためであれば平気で嘘をついたり、人をだましたりすることがあります。
家の中や自社内では尊大で高圧的な人でも、外部の人に対しては理知的で誠実に見せかけるのがうまかったりします。
そのような二面性について本人は意識せず、羞恥心を感じたりはしません。これはサイコパスと同様です。
5.意識されない劣等感
自己愛性の人の尊大さは、背後にある、自分は人間として決定的に大事な資質が欠落しているというコンプレックスの裏返しです。これはサイコパスとは大きく異なる点です。
若いころは尊大な自分が弱い自分を押さえ込んでいるため活躍しますが、人生に陰りが見え、無理が利かなくなってきたとき、弱さが露呈し、抑うつ状態になることがあります。例として三島由紀夫が挙げられています。
この背後にあるコンプレックスを本人が意識することはないため、コンプレックスを克服したり治療しようとしたりすることはありません。
これに対し、回避性パーソナリティ障害(森田神経質)の人は両者が内面で葛藤し、嘆き苦しみながら克服しようと努力します。
6.甘えられない
自己愛性パーソナリティ障害の人は、だれかに頼ったり、力を借りたりするのを恥ずかしいこと、情けないことと軽蔑し、人の力を借りないと生きられない人たちを見下します。
上手に甘えることができず、恥を感じることなく他者と本当の気持ちを通わせることが難しく、羞恥心がとても強いため、ごく当たり前の欲求や依頼さえできません。
ところで、この記事は、2013年に書いたものですが、2016年に書かれたドナルド・トランプのゴースト・ライター、トニー・シュウォルツによる記事が、自己愛性パーソナリティ障害の見本のような人物像を描写していて、ここで挙げた6つの特徴と寸分違わず一致しているのは興味深いところです。
トランプのゴーストライター、良心の告白 « WIRED.jp
「自己愛性パーソナリティ障害代理症」とは?
この本を読んで、特に関心を持ったのが、冒頭で紹介した「自己愛性パーソナリティ障害代理症」という考え方でした。
自己愛性の人は社会で活躍することも多く、年齢が進むまで破綻しないこともしばしばです。自己愛性パーソナリティ障害が問題となるのは、当人が辛いというより、自己愛的な人の周辺で、精神科患者が量産されてしまう、ということのほうです。
やり手の部長が絶対的な掟で縛った職場にうつ病患者が大量発生したり、支配的な亭主関白の男性の家庭で、妻がうつ病に、娘が境界性パーソナリティ障害になったりします。
トラウマ研究の専門家ヴァン・デア・コーク博士の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこんな記述がありました。
追跡調査のときにPTSDあるいはうつ病と診断された母親を持つ子供は、情緒面で重大な問題を抱えている割合が6倍、自分の体験に対する反応が過剰に攻撃的である割合が11倍もあった。
父親がPTSDの子供は、行動面にも問題が見られたが、その影響は間接的で、母親を介して伝わったことをチェムトブは発見した。
(短気な配偶者や、自分の殻に閉じこもっている配偶者、恐れおののいている配偶者と暮らしている人は、うつ病などの大きな精神的重荷を背負い込まされる)(p196-197)
これは、PTSDの親や配偶者を持つ人たちについての追跡調査ですが、自己愛性パーソナリティ障害などの精神異常を抱える人の家族にも当てはまります。
次の見出しで考えますが、自己愛性パーソナリティ障害とは、子ども時代からの否定的な養育体験という慢性的なトラウマがもたらした一種のPTSDとみなすこともできます。
そうした人が母親また父親である家庭の子どもが、情緒面の問題を抱える確率が驚くほど高くなっていることは、親の精神疾患を子どもが代理的に背負い込まされることを示しています。
さらに悪いことに、父親がそうした問題を抱えていた場合、まず配偶者である母親に精神的重荷が生じ、間接的に子どもにも伝わる、という一家総崩れの図式は、「自己愛性パーソナリティ障害代理症」の本質を表しているといえるでしょう。
そのような状態になってしまったら、できれば、自分の心身の健康を守るために、自己愛性パーソナリティ障害の人から距離を置くか、関係を断つかしたほうがいいと思います。
しかしそれができない状況なら、相手のメンツを立てて、常に敬意をこめて接し、下手に出たり、すぐ謝ったりして、忍耐強く接するしかないでしょう。
また、似かよった概念として、アスペルガー症候群の人の配偶者が精神的な負担を抱えてしまう「カサンドラ症候群」というものがあります。
「カサンドラ症候群」は自己愛性パーソナリティ障害代理症のように精神的暴力が伴うというより、アスペルガー症候群と定型発達者の価値観や考え方のすれ違いから生じるものです。
しかしアスペルガー症候群の人が自己愛性パーソナリティ障害と間違われたり、その逆もあったりすることから、一部重なり合っているところがあるものと思われます。
どこに原因があるの?
パーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)によると、自己愛性パーソナリティ障害の原因は、「母親の共感を得られなかった子ども」時代にあるのではないか、と書かれています。
幼児期に母親(あるいは父親)にけなされたり、ダメ人間だと思わされたりした結果、「恥の心理」が強くなり、自己防衛のために、反動的に誇大になってしまうということのようです。
これらの自己像のせめぎあいのなかで中心的役割を果たすのが、「恥の心理」である。
いわば、幼児期に母親にけなされ、腐されて生じた自尊心の傷つきをいかに癒していくかの問題である。
それだけに、自己愛性パーソナリティ障害は恥の精神病理であるといっても過言ではない。
罪悪感を基本的感情とする強迫性パーソナリティ障害と対照的である。(p128)
境界性パーソナリティ障害と同様、おそらく一種の愛着障害なのでしょう。
しかし、境界性パーソナリティ障害が、おもに「不安型」と呼ばれるタイプの愛着スタイルと関係しているのに対し自己愛性パーソナリティ障害の人は反対の「回避型」と呼ばれる愛着スタイルと関係しているのではないかとされています。
生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)にはこう書かれていました。
幼い頃に認められる回避型は…自己愛性パーソナリティや反社会性パーソナリティ、シゾイドパーソナリティに発展する方が典型的である。
この3つのパーソナリティには、大きな共通項がある。それは、共感性が乏しく、クールで、相手の気持ちや痛みに鈍感だということだ。(p100)
境界性パーソナリティ障害と関係する「不安型」が人の気持ちに過敏すぎるのに対し、「回避型」の特徴は、感情を遮断して鈍感になることであり、人の痛みを考えずに冷酷に行動する場合があります。
わたしたちの社会では、このような症状は、男性のほうに現れやすい文化的なバイアスがかかっているかもしれません。
先程のトニー・シュウォルツは、ドナルド・トランプが過去の子供時代の記憶をほとんど持っていないようだったと述べていますが、これは回避型の愛着に特有の解離症状です。
トランプのゴーストライター、良心の告白 « WIRED.jp 。
いくら訊ねても若いころのことをほとんど思い出せないようで、あからさまに面倒くさそうなそぶりを見せた。
どうやって治療するの?
パーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)によると、自己愛性の人が治療を求めることはあまりありませんが、劣等感を抱いて治療を求めてくる場合もあるそうです。
しかし治療をはじめると、治療者を理想化したり、かと思えば辛辣になり、説教じみた批判をしたり、突然怒ったりするので、治療は「そんな生易しいものではない」と書かれています。境界性パーソナリティ障害の場合と同様です。
治療のためには患者が否認してしまっている自信のない弱々しい自己と向き合うよう促す必要がありますが、激しい抵抗に遭います。「自己愛性パーソナリティ障害の治療者が異口同音に“忍耐”を口にする」と率直に述べられています。
他の障害とは違い、「治療者が率直に謝る心の準備をしておく必要がある」そうで、失敗はつきものと認識して、知らないうちに患者を傷つけてしまったときにはお詫びの気持ちを伝えることが大切だそうです。
これは、自己愛性パーソナリティ障害と接する家族の場合も同様でしょう。
それでも治療できる場合には、以下のような方法が役立つそうです。
退行的言動(人格上の欠点)が露呈したとき、それをとがめたり、行動制限を課したりするのではなく、どうして退行的言動に至ってしまったのか、原因となったストレスを見つけ出し、それにうまく対処できるよう助ける。
■失敗することを学ばせる
失敗はあってはならないと思い込んでいるので。ソーシャルスキル、コミュニケーションスキルを学べるよう助ける。マイナスの感情を受け入れ、対処する方法を学ぶ。いろいろな世代の男女が混じった職場やアルバイト、趣味その他のグループに参加して適応していくようにする。
■信頼関係を築く
上手に甘えられないことで誇大自己を作っているので、甘えられる対象になってあげることができれば、他者を見下さずにすみ、穏やかさを取り戻すことがある。
といっても、自己愛性パーソナリティ障害代理症の項でも述べたように、一般の人は、自己愛性パーソナリティ障害の知人を治そうとするよりは、関わりを避けたほうがいいと思います。
医師でさえ手を焼くという、このようなタイプの人たちに関わり続けることで、人生を台なしにしてしまうのは、非常に残念であり、危険なことです。
うまくいった治療例
先ほどのヴァン・デア・コーク博士の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、おそらく自己愛性パーソナリティ障害と思われる、ピーターという男性の治療のエピソードが載せられています。
私の診察室で腰掛けたピーターは、定期的にスカッシュをしているおかげで申し分のない健康状態で、その態度は自信の域を越えて、尊大と呼ぶのがふさわしかった。
…彼は私に、妻の「気難しさ」を改善してやれる方法を知りたいだけだと言った。彼女は、彼の行動が冷淡だとし、それをどうにかしなければ別れると脅したという。
だがピーターはこれについて、妻の認識が歪んでいるのだと断言し、その証拠に自分はまったく何の支障もなく病人に親身に接していると語った。(p485)
ピーターは、ヴァン・デア・コーク博士の診察室に来ましたが、自分の問題について相談しにきたわけではなく、なんと尊大にも妻の異常を解決してほしいと言いにきたのでした。
しかもそれは妻を思っての行動でもなく、離婚すると脅されたためでした。離婚されると自分の華々しい社会的経歴にキズがつくと考えたのかもしれません。
しかしヴァン・デア・コーク博士は、彼の表面的な自信には欺かれず、延々と続く自慢話を聞きながらその内面を注意深く観察しました。
私はピーターの強靭さと正確性へのこだわりに惹かれたが、一方で、これまでごく頻繁に目にしてきた事実を、彼とも見出すことになるのではないかと思わずにはいられなかった。
すなわち、力に固執する内部の管理者はたいてい、無力感を覚えないための防衛手段として生み出されているという事実だ。(p486)
ヴァン・デア・コーク博士は、ピーターの尊大さは、「無力感を覚えないための防衛手段」ではないかと考えました。もちろん、それは、ピーターが意識してやっていることではなく、意識されていない子ども時代のトラウマによる無意識の行動です。
その後の文脈を読むと、なんとかピーターを説得して、精神療法をはじめますが、ピーターは「自分はまったく支障もなく」感じていましたし、「精神科医は今なお魔術まがいのことをやっていると確信し」、精神療法など「ニューエイジ志向のでたらめ」だと軽蔑していたので難航しました。
ようやく彼の子ども時代のトラウマを探り当てましたが、少年時代の自分の弱さと向き合うことができず、「完全に心を閉ざし、私の診察室に足を踏み入れることは今後二度とないだろうという捨て台詞を残して」帰っていきました。
しかし妻がついに弁護士に連絡して離婚を申し立てたので、ピーターは追い詰められて診察室に戻ってきました。
そして、こんどは腹をくくって、自分の子ども時代と向き合いました。彼が思い出したのは、父親に抱きつこうとしたところ、母親の言うことを聞かなかったとして平手打ちされたり、家の中で恐怖のあまり悲鳴を上げたりしていた自分の姿でした。
ピーターはヴァン・デア・コーク博士の指導のもと、内的家族システム療法(IFS)を受け、弱々しくみじめだった少年時代の自分を受け入れ、怖くて逃げるしかなかった父親の思い出と向き合うようになりました。
私はピーターに、少年にその経験がどれほどつらいものだったかがようやく理解できたと伝えるように勧めた。彼は長い間、悲しげに押し黙っていた。
そこで、少年に彼を大切に思っていることを示してはどうかと提案した。しばらく説得を重ねたところ、ピーターは少年を抱き締めた。厳しく冷淡に見えるこの男性が、少年をどう扱えばいいのかをきちんと知っていることに私は驚いた。
それから、しばらく間を置いて、私はピーターにその場面に戻って、少年をそこから助け出すように促した。
ピーターは、一人前の男として父親と対峙する自分を想像し、父親にこう告げた。
「もしこの子にまた手を出したら、私が駆けつけて殺してやるからな」。(p490)
こうしてピーターは、ついに、自分が「無力感を覚えないための防衛手段」として、尊大で批判的になっていることを受け入れることができました。
しかしこれで彼の性格がすぐに変わったわけではなく、何度も後戻りしながら、傷ついていた心のケアを繰り返し、徐々に家族や職場の人たちとの関係を修復していったそうです。
ピーターの場合も、多くの自己愛性パーソナリティ障害の例に漏れず、治療は極めて困難でした。彼もまた、自分から精神科医に助けを求めるようなことは絶対にないタイプの人でした。
幸運だったのは、妻が断固とした行動をとって、夫の言いなりにならなかったこと、そのせいでピーターが、自分は健康だと信じていながら図らずも精神科医の診察室へ出向くことになったこと、そしてそこにいた医師がプロ中のプロだったことでしょう。
この記事は家族のために
現実的な見方をすれば、自己愛性パーソナリティ障害の人が自分から治療を求めるなんてありえませんし、ましてや自分に問題があるとも思わないので、このブログ記事を自分のことだと考えて読んだりするとも考えられません。
ネット上で、たまに自分が自己愛性パーソナリティ障害ではないかと悩んでいる人や、プロフィールに自己愛性パーソナリティ障害だと書いているような人を見かけます。
しかし、途中の「意識されない劣等感」のところで説明したとおり、葛藤があるということ時点で自己愛性パーソナリティ障害らしくなく、おそらく回避性パーソナリティ障害やアスペルガー症候群など、別の問題を誤認しているはずです。
自己愛性パーソナリティ障害の大きな特徴のひとつは、自分では欠点に気づけないほど尊大であることです。
だからこそ、この記事は、「自己愛性パーソナリティ障害」の本人ではなく、「自己愛性パーソナリティ障害代理症」の周りの人たちのための記事として書いているわけです。
たとえ自己愛性パーソナリティ障害の人が家族にいるとしても、大きな害を受けていない状態であれば、当人が抱える「恥の心理」について理解して、敬意を込めて丁重に接することで、家庭内が丸く収まるかもしれません。
その場合は、横柄に振る舞うのは傷つきやすい心の裏返しであることを意識して、当人が欲しているのはなによりも、尊敬の念である、ということを忘れないようにしましょう。ピーターも最初、ヴァン・デア・コーク博士にこう述べていました。
彼は他人に厳しいが、自分自身に対してはさらに厳しく、他人からの愛情など不要で、尊敬さえ得られれば十分だと言い切った。(p486)
自己愛性パーソナリティ障害の人は、子どものころに当然受けるべき尊厳を認めてもらえなかった心の傷が根底にあるので、家族が深い敬意を示し続け、求めてやまない尊敬を得られるようになれば、激しい自己防衛が徐々に和らぐ可能性があります。
それは言い換えれば、自己愛性パーソナリティ障害の人の心に欠けている「安全基地」の役割を果たすことにより、もう自分を守るために過度に尊大に攻撃的になる必要はないのだ、ということに気づかせ、安心させるということでしょう。
しかし心身に危険が及ぶほど害を受けている場合、家族ができるのは、自己愛性パーソナリティ障害の人を変えるための努力ではありません。
自己愛におぼれている人を助けようと飛び込んでも、自分もまたおぼれて、助けるどころか先に窒息してしまうのが自己愛性パーソナリティ障害代理症の怖さです。
家族にできるのは、ちょうどピーターの妻がそうしたように、自己愛性パーソナリティ障害の人の支配から抜け出すため、法的手段や行政機関などの権威に訴えることでしょう。
家族が断固たる行動をとって、もはや自分の思い通りにならないとわかったなら、ピーターのように、自己愛性パーソナリティ障害の人の尊大な心も揺らぐかもしれません。
そこで変化するきっかけをつかむか、それとも怒りに任せて、より高圧的になるかは、その人次第です。しかし少なくとも、断固たる行動によって「共依存」の関係を断ち切ることが、当人にとっても、家族にとっても、自分の人生を取り戻す第一歩なのです。
今回読んだパーソナリティ障害とは何か (講談社現代新書)は他のさまざまなパーソナリティ障害についても触れていて、気づきが多くあります。
「本書の文章が完全に一般向けになっているかというと、まだ完全に改まっているわけではない」との弁の通り、少し読みにくい文体ですが、自分や周囲の人のパーソナリティの問題に直面している人にとっては読んでみると良い本だと思います。(p218)
またヴァン・デア・コーク博士の身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法は、かなり生々しい本ですが、最新のトラウマ治療の研究が詳しく載せられていて、生い立ちやパーソナリティ障害、DV被害などに悩んでいる人にはおすすめです。