ADHDに興味をもったので、評価の高い本「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組みを読んでみました。
興味深い本だったので、特に脳画像診断に関する部分について感想を書いておきたいと思います。
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これはどんな本?
この本は、カリフォルニア州の精神科医、ダニエル・G・エイメン博士(The Amen Clinics)の著書です。ADDが日本でも注目され始めた2000年代はじめに、アスペルガーであることを公表しておられるニキ・リンコさんによって訳されました。
ADDなどという病気は存在しない、過剰診断されている、リタリンを投与する口実と化している、子どもとは本来、注意が散漫で多動なのだ。本書は、そういった意見に対する反論として書かれた経緯があります。(p9-14)
ADDは実在の障害なのか? それともただの言い訳なのか? 本書の登場で、こんな論争には終止符が打たれることだろう (p14)
こう宣言することができたのは、エイメン博士が、一般の精神科医とは少し毛色の違った医者だったからです。問診やチェックリストだけでなく、早い段階で画像診断技術を導入していたのです。そのため、ADDの脳機能異常を画像で見せることができました。
単なる理論ではなく、SPECT画像による決定的な証拠と、6つのタイプ分け。そして豊富過ぎる事例集。これが本書の魅力と言えます。
それらが本書の核であることは間違いないのですが、すでに本書に基づいて説明しているブログなどが多数あります。
わたしとしては、エイメン博士が画像診断を取り入れた経緯のほうが興味深かったので、この書評ではそちらに注目してみます。
なぜ画像診断が必要なのか
「ADDは私のせいじゃない。これは医学的な問題なんですよね。眼鏡をかけなきゃいけないのと同じようなものなんですよね」。
…その晴れ晴れした表情を見ていると、私は考えずにはいられなかった。患者たちにとって、「心の問題」「学習の問題」「行動の問題」と診断されるのは、ひどく屈辱的なことなのだ。
でも脳SPECT画像を自分で見てもらうことで、この屈辱から解き放ってあげることはできないだろうか? 目で見れば、なにも意志が弱いわけじゃない、態度が悪いわけじゃないと納得がいくかもしれないではないか。 (p88)
エイメン博士が「今の医学では異端ともいえるような脳画像研究の道へ進むきっかけ」を得たのは、陸軍基地の診療所に努めていた時でした。そこに旧式のバイオフィードバック装置があったそうです。(p80-81)
バイオフィードバックによる練習によって、脳波が変えられる、ということを知って驚いた博士はADDの子どもの脳波に興味を持ちます。バイオフィードバックの講師ジョエル・ルーバー博士によると、ADDの子どもたちの脳は活動が鈍い状態にあるというのです。
それまで、ADDの子どもたちに中枢神経刺激薬を投与すると、刺激剤なのに静かになる理由がわかっておらず、逆説的効果だといわれていたそうです。ところがこの結果からすると、活動不足の脳を刺激するから鎮まるということになり、合点がいきます。(p84)
そして、1990年、ADDの成人の脳をPETで調べた、アラン・ザメトキン博士の論文が一大センセーションを巻き起こします。ADDの成人たちは、集中しようとすると、逆に前前頭皮質の活動が低下することが画像でわかったのです。(p86)
このとき、ADDは医学的な問題であり、実在するもの、しかも目に見えるものであることが明らかになりました。ADDはそれまで、本当に存在するのか、というような目で見られていたのです。
エイメン博士は早速、40歳の女性サリーにSPECTを試してみました。すると、考えているとききに活動が低下していることが明らかになりました。そして、最初に引用したような反応が返ってきたのです。(p87)
それまで、サリーは、頭はよくても使いものにならないとなじられ、心の問題と烙印を押されていました。しかし、はじめて、自分の努力でどうにかなるものではなかったのだということを知り、苦しみから解放されたのです。
博士は脳画像が診断に役立つだけでなく、患者にとっても助けになると考え始めました。
猛反発
ところが医学会の反応はそうではありませんでした。ADDの論文を発表したザメトキン博士は画像は研究専用だと言って譲りませんでした。(p94)
地元のある小児神経科医は病院の上層部にエイメン博士の脳画像検査に苦情を申し立て、結果として検査には逐一了解をとらなければならないことになりました。博士はこう反論したそうです。
脳を見ちゃいけないって、どういうことですか? 循環器科じゃ心臓を見る。整形外科でもレントゲンを撮る。…問題の器官を見もせずに治療してるなんて、精神科だけですよ! (p96)
あまりの反発に、もう研究をやめようと考えた博士の転機となったのは、甥であるアンドルーを診たときでした。
アンドルーはほがらかで活発な少年でしたが、ここ一年半で別人のようになり、自殺や殺人が思い浮かび、暴力を振るうようになりました。
ふつうは、虐待や精神障害、頭部外傷などの心理的な問題、ストレスを疑いますが、そうでないことは身内である自分がよく知っています。博士は意を決してSPECTを撮ってみました。
すると…
左側頭葉がない! (p99)
目を疑うような画像でした。翌日、MRIを受けることになり、左側頭葉があるはずの場所にゴルフボール大の腫瘍があることがわかりました。しかし大変だったのはそれからです。
ところが、三人が三人とも、問題行動は嚢腫とは関係ないはずだ、本物の症状も出ていないのに、手術まですることはなかろう、と言ってよこしたという。
…「何が『本物の症状』だよ。ぼくの甥っ子は、殺人や自殺のことを考えてて、よその子に乱暴をしてるんだぞ・これが本物の症状じゃないなら『本物の症状』ってそもそも何のことだよ?」
「エイメン先生、『本物の症状』っていうのはね、けいれんとか、失語とかのことなのよ」(p100)
幸い、8人目の医師は手術を引き受けてくれて、アンドルーは一命をとりとめ、しかも本来のやさしい子どもに戻ったそうです。エイメン博士はこう考えました。
本当はアンドルーと同じように、脳に異常があるのに、ただの「悪いやつ」として片づけられている人がたくさんいるんだ。…人間性の問題だろうと思って放置されている人がたくさんいるんだ。(p81)
この後も、エイメン博士はさまざまな妨害を受けますが、1万例以上のSPECT画像を撮影しまし、研究と臨床を並行して続けておられるそうです。
本書の思惑とは裏腹に、ADHDの論争は終わりませんでした。日本ではリタリンの問題が取り沙汰されましたし、いまだに画像診療がほとんど取り入れられていません。
とはいえ、少数ながら、“こころの問題”とされてきた異常を可視化しようとする研究もあります。このブログでとりあげてきた、虐待や不登校についての研究では、子どもたちの脳に萎縮や機能の低下がみられる場合があることがわかっています。
それらもまた、単なるこころの問題や人間性の弱さではなかったのです。
確かに「わかっているのにできない」ことのすべてが、治療を要する脳機能の問題ではないでしょう。価値観を変化させたり、訓練したりすることで克服できる場合がほとんどです。
しかし人と異なる脳機能の低下のために「わかっているのにできない」場合も確かに存在すします。そのような問題のため、他の人からも自分の良心からも責められている人を助けるには、脳画像の研究が不可欠なのだ、とあらためて感じました。