好評を博したNHK ETV特集「トラウマからの解放」の4度目の放送が12日にありました。治りにくい病気の背後には子ども時代のトラウマが関係しているという、わたしにとって、非常に興味深い内容でした。
番組の解説にはこうあります。
NHK【ETV特集】トラウマからの解放 2013年9/14(土)夜11時、再放送:2013年9/21(土)午前0時45分(金曜深夜)、再放送:2013年10月5日(土)夜11時、再放送:2013年10月12日(土)午前0時45分(金曜深夜)
薬の効きづらいうつ病、摂食障害などの複雑な心の病、自傷行為・薬物依存などの問題行動の背景に、幼いころに受けた虐待や性被害の心の傷「トラウマ」が深く関わっている場合の多いことが、最新の研究から明らかとなってきた。
そうした中で、トラウマを解消する新たな治療法が登場し、効果を発揮している。アメリカと日本の最前線の治療現場を取材した。
さまざまな難治性の病気の裏にトラウマが関係しているというのはどういうことでしょうか。新しい治療法とは何でしょうか。
慢性疲労症候群と関わりなど、このブログならではの付加的な情報をからめてまとめたいと思います。
目次 ( 各項目までジャンプできます)
トラウマとは何か
まずトラウマとは何でしょうか。番組では、ボストン大学医学部のヴァン・ダ・コーク教授がインタビューに答えていました。トラウマの研究に率先してきた人物です。
トラウマの研究の始まりは、ベトナム戦争から帰国した兵士が、さまざまな問題を抱えたことに始まります。彼らはさまざまな心身の不調や、社会不適応を引き起こしました。
やがてトラウマは戦争だけでなく、災害、性被害、ひいては家庭内暴力などの日常生活においても生じることがわかってきました。
そうした日常生活で生じるトラウマの中には、本人が思い当たらない、あるいは忘れているものもあります。嫌な経験を“解離”させることで自分を守ろうとしているからです。しかし、心の奥底にしまわれたトラウマは心身の不調を引き起こします。
最新の研究によると、幼いころのトラウマが原因で心身の不調に苦しむ人の割合は10人に1人に上るそうです。
興味深いことに、先日、線維筋痛症を診ておられる戸田克広先生(@KatsuhiroTodaMD)のブログで、子ども時代のストレスと慢性疲労症候群の関係についての研究が紹介されていました。
腰痛、肩こりから慢性広範痛症、線維筋痛症へ ー中枢性過敏症候群ー 戸田克広
子供時代のストレス要因の経験とCFS およびFMの存在には強い関連があることを大部分の研究が一貫して示しており,子供時代にストレスを経験した人のCFS/FMの割合はそうではない人の2-3倍。
このブログで取り上げてきた情報によると、多発性硬化症などの難病を抱える人の多くは子ども時代の辛い経験を覆い隠して生きてきたことがわかっています。
幼いころの養育環境や経験したできごとは、愛着スタイルとなって、生涯影響を及ぼします。病気の直接の原因ではありませんが、重い病気にかかりやすくなり、なおかつ治りにくくなるのです。
サバイバル脳
それにしても、どうして子ども時代のトラウマは、それほどまでに、心だけでなく身体にも影響を及ぼすのでしょうか。
番組では、トラウマ体験を思い出しているときの、脳血流の測定結果が紹介されていました。
脳血流は左右で正反対の兆候を示していました。右脳の感覚や感情をつかさどる部分が活発になっていた一方、左脳の理性的に考えたり情報を処理したりする領域の活動は低下していたのです。
コークさんはこれをサバイバル脳と名づけました。トラウマを抱えた人は、脳が興奮して緊張状態になると同時に、思考力が低下するのです。いらいらしたり、過敏になったり、心身に原因不明の症状が現れたりします。
この特徴的な脳の状態は、このブログで取り上げた、別の研究者も言及していました。友田明美先生の著書いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳から引用します。
こうした震災や虐待などのトラウマは、単回性か慢性的かの違いはあれ、トラウマとして子どもたちに重篤な影響を与え、その発達を傷害するように働くことがある。
そしてそれは、従来の「発達障害」の基準に類似した症状を呈する場合がある。こうした子どもたちのもつ障害を“発達障害としてのトラウマ関連障害”と名づけてもさしつかえないであろう。(p136)
発達障害の特徴は、脳機能のバランスの悪さですが、トラウマによっても、同様の症状が現れます。
研究者によって、サバイバル脳、第四の発達障害、発達障害としてのトラウマ関連障害、愛着障害などとさまざまな名前がついていますが、同じものと考えて良いでしょう。
トラウマによって緊張を強いられると、脳が「闘争か逃走か」に徹し、絶えずストレスにさらされるようになります。心の奥底にトラウマを抱える人が難病を発症しやすく、治りにくい理由はそこにあるといえます。
EMDR:眼球運動による脱感作と再処理法
では番組の目玉ともいえる、近年登場したトラウマの治療法とは何でしょうか。
それはフランシーン・シャピロが開発した、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)です。患者の目の前で指を左右に振り、目で追ってもらいます。トラウマとなった出来事を思い出しながら眼球を左右交互に動かすと苦痛が和らぐそうです。
彼女によると、EMDRは、「脳内に保存されているトラウマの記憶にアクセスし、脳にその処理を促す」治療法です。この治療法はいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳でも、長時間暴露法に比べ、患者の負担が軽い治療法として紹介されていました。
アメリカではEMDRの資格を持つ人は4000人を超えていますが、日本では、まだ400人にも達していないそうです。
治療の実際
番組では、EMDRを活用した治療例が幾つか紹介されていました。
1.幼い娘を殺された男性
トラウマ治療を専門に行なってきた熊本仁木病院の精神科医、仁木啓介先生のもとでEMDRを受けました。
娘を助けることができたかもしれない最後の瞬間がトラウマになっていましたが、EMDRとカウンセリングによって考え方を見なおすことができました。苦しみがなくなったわけではありませんが、身体症状が少なくなったそうです。
2.激しい頭痛に悩まされたアスカさん
激しい頭痛に悩まされ、病院を転々としたが収まらず、薬漬けになり、うつ症状も悪化。仕事に行けなくなりました。
EMDR学会の理事長であり、兵庫教育大学の臨床心理士でもある、市井雅哉教授のもとで治療を受けました。(市井先生は姫路 心療内科 精神科 | 本多クリニック | カウンセリングの臨床心理士の一人として治療にあたっているようです。EMDRの治療について詳しい説明があるのでご覧ください)
治療を続けるうちに、子どものころ、自分を押し殺し、常に父親の顔色をうかがいながら生きてきたことが分かります。さらに「唯一甘えることができる存在」だった飼い猫を父親が捨てたとき、助けることができなかったことがトラウマとなっていること明らかになりました。
もし友達が同じような立場だったら、「そのネコ、あなたのこと絶対に恨んでないよ、楽しい思い出を持っているよ」と言えるのに、自分にはその言葉をかけられないでいることに気づきました。その1ヶ月後、ずっと苦しんでいた頭痛から解放されたといいます。
このくだりは、以下のエントリで取り上げた、他の人には思いやりを示せても、自分には同じような言葉をかけてあげられない線維筋痛症のコリーンに似ています。
3.アメリカの子どもたち
5年前に設立されたアメリカ、ネブラスカ州の愛着・トラウマセンター(The Attachment and Trauma Center of Nebraska :|: Home)の子どもたち。EMDRを応用した治療により、正常さを取り戻しているそうです。
デブラ・ウェッセルマン所長によると、治療を受けずにいると、大人になったときに深刻な問題を抱えたり、犯罪行為に走ったりする懸念があるとのことでした。
4.解離性障害のユキさん
男性の声で気分が悪くなったり緊張したり、人混みや職場で苦痛を感じるようになったりしました。介護福祉士としての仕事に支障が出始め、 本多クリニック の臨床心理士、大塚美菜子さんによって治療を受けます。
ユキさんは、心の中に架空の人物をつくり上げ、その人物にトラウマが起きたときの記憶や苦痛を委ねる「解離」症状を示していました。実に6人もの人物が存在し、トラウマの記憶を分担していたそうです。
まず明らかになったトラウマは、親戚のおじさんの怒鳴り声が怖かったというもの。やがて、いとこに性被害を受けたことが特に根深いトラウマになっていたことがわかりました。EMDRによって、少しずつ今の自分で過去の記憶を受け止められるようになってきているそうです。
難病の陰にはトラウマがひそんでいる
このように、何がトラウマになるかは人それぞれであり、症状の出方もさまざまです。
最近の研究によると、ADHDのリスク遺伝子である、ドーパミンD4受容体の多型を持っている人(新奇性探究の傾向を示す)は、養育の問題を過敏に反映しやすいそうです。つまり、ちょっとしたできごとがトラウマとなってしまう可能性がある、ということだと思います。
トラウマは原因不明とされる、難治性疾患と強く関わっています。番組では、うつ病や摂食障害、解離性障害などに言及されました。
さらに以下のアトランタ・エモリー大学のC・ヘイム博士らの研究成果によると、子ども時代のトラウマは、慢性疲労症候群(CFS)発症の強いリスク因子であると言われています。
本人が気づいているかどうかにかかわらず、治りにくい慢性疲労症候群には、幼少期のトラウマが関わっている可能性があるのです。
以上のように、長引く病気に苦しんでいる人は、病気の根底にトラウマが関係している可能性を疑ってみるとよいかもしれません。もしかすると、心の奥底に封印して気づかなかったトラウマと向き合う必要があるのかもしれません。
虐待やトラウマとなるできごとを経験した人の脳機能のかたよりについては、友田明美先生の著書で、症状の現れ方から治療法まで、いやされない傷の実態が細かに説明されています。
治療法であるEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)について詳しくは、開発者自身が書いた本が邦訳されています。
また、番組にも登場したEMDR学会の理事長、市井雅哉教授が監修し、臨床心理士の大塚美菜子さんが翻訳した、子ども向けにEMDRを説明した本もあります。
トラウマ治療の際に、EMDRと併用されることがある自我状態療法についてはこちらにまとめました。