虐待が社会的問題となっている今日ですら、学校の管理職が「我が校には虐待児など一人もいません」と断言されることがある。
「じゃあこんな子はいませんか。何日も服を替えてこない。ふろにきちんと入っていない。落ち着かなくて、気分のむらが激しい。だれかれ構わずべとべと抱きつくが、ちょっと注意すると切れて大暴れをする。暴れた後や、しかられた後、ぼおっとしてしまう。感情のこもっていない人形のような目で人を見つめる。弱い者いじめを繰り返す。給食をがつがつ食べるがちっとも太らない」。
すると、「そんな子はいっぱいいる」と言われるのが常である。「今述べたようなものが虐待児の特徴です」と言うと、驚いて考え込む。(p38-39)
以前からブログで触れていた、子ども虐待の専門書子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)のまとめをやっと書きました。
子ども虐待の影響はなぜ第四の発達障害と呼ばれるのでしょうか。どんな独特な問題が見られるのでしょうか。
内容のとても濃い本ですから、すべてを要約することは困難ですが、興味深く思ったことを書きまとめたいと思います。
これはどんな本?
この本は、発達障害と子ども虐待の専門家として、しばしばメディアにも出ておられる杉山登志郎先生の有名な一冊です。
杉山先生は、虐待の啓発に一役買ったマンガ「凍りついた瞳(め)」にも医師として登場しています。
2001年からは、あいち小児保健医療総合センターの児童精神科で働いておられました。
ちょっと興味深いと思ったのは、杉山先生はもともと多動児だったという話です。「発達障害の専門家には多動系の人がとても多い」そうですが、わたしのかかっている先生もそうでした。(p76)
子ども虐待の影響
本書で語られる子ども虐待の影響は、簡潔に次の一文にまとめられています。
まとめると、子ども虐待の影響は、幼児期には反応性愛着障害として現れ、次いで小学生になると多動性の行動障害が目立つようになり、徐々に思春期に向けて解離や外傷後ストレス障害が明確になり、その一部は非行に推移していくのである。(p18)
特に、本書の題名が示すとおり、これらの症状が、従来からの発達障害の症状と酷似していることに光が当てられています。(p19)
第一の発達障害は精神遅滞、肢体不自由などの古典的発達障害。第二は自閉症や高機能広汎性発達障害、第三は注意欠陥多動性障害(ADHD)と学習障害(LD)、そして第四が子ども虐待です。20ページにとても詳しい表形式で説明されています。
反応性愛着障害
虐待児と発達障害児が似ている主な理由は、虐待児が抱える反応性愛着障害という病態が、発達障害と似ているからです。
子どもは選ばれた存在(多くは親)と特別な絆を育みます。その絆、すなわち愛着がしっかりしていると、親と過ごすことでエネルギーを充填し、外の世界へ安心して飛び立つことができます。これは「飛行場現象」と呼ばれています。(p26)
逆に、生後5歳未満までに愛着が育まれないと、心身にさまざまな影響が生じます。高機能広汎性発達障害に似ている抑制型愛着障害と、ADHDに似ている脱抑制型愛着障害です。(p29)
愛着障害が発達障害に似た影響をもたらすのは、愛着を育むことが脳の発達と密接に関連しているからです。緊張を和らげる脳の機能が発達せず、むしろ警戒警報が鳴りっぱなしの状態になります。それが自閉症と似た過緊張をもたらします。(p34)
反応性愛着障害について詳しくは「子を愛せない母 母を拒否する子」に書かれています。
このブログでも以前に以下の記事で書きました。
広汎性発達障害・ADHDと比較する
杉山登志郎先生は、こちらのニュースのインタビューで、発達障害と虐待が複雑に絡み合っていることに言及しています。
(心の傷と向きあって 識者に聞く)浜松医科大特任教授・杉山登志郎さん│apital
2001年、センターで診察を始めて衝撃的だったのは、虐待の後遺症が予想以上に重症だったことだ。
とにかくハイテンションで大声で走り回り、少しのことでけんかになる。フラッシュバックが起きて人が急に変わったように暴れ出したり、急に動かなくなって「フリーズ」したり……。
発達障害との複雑な絡み合いにも驚いた。被虐待児には発達障害の子が多い。
一方で、虐待の結果として、多動や衝動的な行動など発達障害によく似た症状が出る。
性的虐待を受けた人は、脳の視覚野の容量が小さくなるといった、虐待の脳への影響も最近の研究で分かってきた。
発達障害と虐待の関連が深いことは以前のテレビ番組でも触れられていました。幼児検診では異常なしとされますが、いろいろなことがうまくいかないため、厳しいしつけの対象になり、虐待へとつながることがあるからです。(p54)
まず症状が似ているのは、抑制型愛着障害と高機能広汎性発達障害です。こちらのほうは、「鑑別は、治療を行いながらフォローアップすれば、比較的容易」とされています。
●抑制型愛着障害は、極端なネグレクトなどの環境以外では生じない
●愛着障害は、抑制型から脱抑制型へと変化していく
●愛着障害のほうが対人関係に敏感
むしろわかりにくいのは、脱抑制型とADHDの鑑別です。たとえばあいち小児センターの記録では、治療した子どもの8割に多動・衝動傾向が見られたそうです。(p18)
それで以下のように注意深く鑑別する必要があります。
【愛着障害とADHDを見分ける方法】(p80)
※画面の小さい機器から閲覧する場合は表が崩れるので色で判別してください。
愛着障害の薬物療法では、中枢刺激薬があまり効かないので、SSRI(抗うつ薬)、リスパダール(抗精神病薬)、クロニジン(高血圧の薬)、カルバマゼピン(てんかんの薬)、レボメプロマジン(精神安定剤)が用いられます。
性的虐待の場合は本格的な統合失調症と同じほどの量が必要なこともあり、「子ども虐待は本当に脳を変えてしまうと実感させられる」と筆者は述べています。
とこで、ここまで何度か「解離」という言葉が出てきました。解離とは何でしょうか。
解離
「子ども虐待の治療は解離性障害の治療と言ってもよいほど、両者は密接に絡み合っている」。著者はそう語っています。(p121)
解離とは、トラウマの影響によって、記憶や体験がバラバラになる現象です。ある期間の記憶を失ったり、日によって能力がコロコロ変わったり、生きている心地がしなかったり、さまざまな症状があります。
詳しい解説はWikipediaなどを見れば載っています。たとえば、解離のもっとも重い症状の一つは多重人格です。しかし、子どもの場合に多いのは明確な形をとらないものだそうです。
たとえば…
●ぼーっとする
怒られたときなど、急にあくびを始め、意識がもうろうとする。理不尽な暴力を経験をしても、幽体離脱のように意識を切り離すことで守る。(p44,47)
●スイッチング
多重人格ほどにはなっていない部分人格に切り替わる。たとえば「切れる」現象。被虐待児は暴れたあとに、そのことを覚えていない。虐待する親の側も、この問題をもっていることがある。(p92)
●リストカット
現実感がない離人症が背景にある。(p45)
解離は、辛い境遇の子どもが生き残るための戦略です。圧倒的なトラウマ経験に対して、その部分だけ記憶を切り離して全体を保護する、いわゆる水密区画化(船の底をいくつもの部屋に区切って、水の侵入をとどめる構造)なのです。(p46)
被虐待児では、右脳と左脳をつなぐ脳梁の体積が小さく、さらに発達も遅くなっていることが、解離症状の原因となっているのかもしれません。(p104)
解離がひどくなると、子ども虐待の終着駅としての複雑性PTSD(またはDESMOS:Disorders of Extreme Stress Not Otherwise Specified:極度のストレスによる特定不能の障害)に移行することになります。(p97)
この本では身体表現性障害や心身症という言葉で身体症状に触れられていますが、慢性疲労症候群や線維筋痛症の人の中には、こうした背景を持つ人もいるのかもしれません。
敗戦処理
虐待された子どもを保護できても、その後の治療は困難を極めます。
この本では、あいち小児センターの取り組みが紹介されています。病棟で日夜さまざまな問題が頻出しても、ひとつひとつきめ細やかに対応していくという地道な対処に尽きるようです。
根底にある愛着が歪んでいるため、「愛情をもって接すれば子どもの心がいやされるという単直なものではない」と書かれています。
心理教育によって自己コントロール能力や自尊心を身につけさせ、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)やタッピングDR(EMDRの手を叩いてもらう版)によってトラウマの解決を図ることも挙げられています。
子どもだけでなく、親のサボートにも焦点が当てられています。親もまた広汎性発達障害や被虐待児で、虐待の連鎖を断ち切る必要がある場合も多いからです。
筆者はこう述べています。
傷が治癒したとしても瘢痕を残すように、一度受けた深刻な心の傷が、跡形もなく消失することはもとより不可能である。我々の行っていることは敗戦処理であると感じることも少なくない。(p151)
[しかし]心の傷を残したとしても、生き延びる力、人とかかわる力を育てることこそ、新たな子育て文化の核となりうるのではないかと筆者は考えるものである。(p175)
虐待の影響の治療は、敗戦処理のような悲痛なもので、起こってしまったことは取り返しがつきません。それでも、治療によって虐待の連鎖を絶ち、子どもたちが人生を取り戻すのを助けることができます。
杉山登志郎先生は、先ほどのニュースのインタビューでもこう言っていました。
(心の傷と向きあって 識者に聞く)浜松医科大特任教授・杉山登志郎さん│apital
小児センターで治療した子どもたちの多くは今、普通の親になることができた。すぐに成果は出ないが、きちんとケアをする意義は実感している。
ただ、(日本児童青年精神医学会が認定した)児童精神科医は全国で約260人しかいない。米国は約8300人。人口比で考えても3千人は必要です。
わたしは友田明美先生の研究を見て、虐待の分野に関心をもったのですが、読めば読むほど、どれほど困難極まりない現場なのか、想像を絶するものに思えます。虐待の影響は本当に悲惨です。
これからも、杉山先生の本を何冊か読んで、発達障害と環境要因についての理解を深めたいと思います。
杉山先生の発達障害と虐待に関する論考は以下のPDFでも読むことができます。両者の関係についてより深く踏み込まれています。
▼発達性トラウマ障害(DTD)
杉山先生による「第四の発達障害」は、近年、ボストン大学医学部のヴァン・デア・コーク博士の提唱する「発達性トラウマ障害」(DTD)の概念において、より整理された形で扱われています。
杉山先生は、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳に寄せた推薦の辞の中で、自身が研究してきた「第四の発達障害」とは、ヴァン・デア・コークが提唱した発達性トラウマ障害そのものであった、という点を書いていました。
多くの症例を経験するうちに、発達障害が基盤ではない症例においても、子ども虐待の症例が、兄弟のように類似した臨床像を呈し、それが加齢とともに同じ変化をし、一つの発達障害症候群と言わざるを得ない状況に展開していくことに気付いた。
世界的な子ども虐待の権威van der Kolkが、この問題について発達性トラウマ障害という呼称を既に提示していることを後に知った。
発達性トラウマ障害の研究について詳しくはこちらをご覧ください。
発達性トラウマ障害の概念をより理解しやすく一般向けに説明した本としては、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)がおすすめです。