自閉症スペクトラムは、科学や芸術の発展に大きな影響を与えたと言われています。マイケル・フィッツジェラルドなどの専門家は、徹底した調査にもとづいて、過去の著名人のうち、一握りの人に自閉症スペクトラムの診断を下してきました。
すでに死んだ人たちにあとになって診断を下すこうした手法はあまり快く受け入れられないこともあります。しかし、どの時代にも自閉症スペクトラムの人がいたことは確かですし、その概念を取り入れることではじめて作家がよく理解できるということもあります。
今回、作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響という本を読みました。アマゾンでレビューがついていないので、どんな本かと思っていましたが、本格的で読み応えがありました。
自閉症スペクトラムの小説家や詩人にはどんな特徴があったのでしょうか。
目次 ( 各項目までジャンプできます)
これはどんな本?
著者のジュリー・ブラウンは、息子が自閉症スペクトラムと診断されたのをきっかけに、AS(アスペルガー症候群)と文学との関係を研究するようになりました。
この本は、アスペルガー症候群の作家の執筆プロセスや、執筆形式、内容などを分析して書かれたもので、多数の作家の評論という形をとっています。
登場する作家は、
童話作家のアンデルセン、
「森の生活」で有名なヘンリー・ソロー、
「代書人バートルビー」を書いたハーマン・メルヴィル、
詩人エミリー・ディキンソン
「不思議の国のアリス」のルイス・キャロル、
ノーベル文学賞のウィリアム・バトラー・イェイツ、
「ワインズバーグ・オハイオ」のシャーウッド・アンダーソン、
子ども時代の日記で有名になったオーパル・ウィットリーです。
そのほか、自閉症の自伝作家として、テンプル・グランディン、ドナ・ウィリアムズ、リアン・ホリデー・ウィリー、ドーン・プリンス・ヒューズ、ダニエル・タメットの著作が何度も引き合いに出されています。
わたしも、ASD関係の本を読むにつれ、見知った名前が多くなってきました。
これらの人たちの著作には、どんな共通点があるのでしょうか。ASDは作家の創造性にどう影響するのでしょうか。
自閉症スペクトラムが創作に与えた9つの影響
本書では実際には、これから挙げるものとは少し異なる9つの特徴が挙げられていました。しかしこの書評では、いくつかを削り、ある項目はふたつにわけました。自分の覚書としてそのほうが望ましいと感じたためです。
1.乱雑な執筆プロセス
ASの作家たちの手書きの草稿は読みにくいものが多いようです。これは、自閉症に伴う、ディスプラクシア(統合運動障害)、発達性協調運動障害によるものと考えられています。つまり不器用なのです。
アンデルセンの自伝は稲妻のような字で書かれていたそうです。エミリー・ディキンソンの詩や手紙は鳥の足跡のような文字でした。(p17)
また、ASの人は、つねに誰かと一緒だと神経システムに過負荷がかかってしまうので、一人で引きこもって生活することが多いようです。ソローやディキンソンは引きこもって執筆しましたし、キャロルやアンデルセンは独身をつらぬきました。(p93,137)
家族以外の人と話すことが苦手ないっぽう、手紙を頻繁に書くという特徴もあります。エミリー・ディキンソンやルイス・キャロル、ハンス・アンデルセンは相当筆まめで、何千通も手紙を書きました。(p122)
2.コラージュ的な作風
ASの作家の多くは、断片的にアイデアを出し、 それをあとで貼り合わせる、 コラージュのような作品の作り方をしています。(p18)
ルイス・キャロルは、ほかの作家からの引用やパロディを集めて、 「不思議の国のアリス」を描きました。 キャロルのお気に入りの文学作品のスクラップブックです。( p153)
彼は「このネタ元がわかるかな」 という謎かけを楽しんでいたのかもしれません。(p157)
コラージュ的手法で作られたため、 それぞれの章の順番を入れ替えても、物語には影響しません。
ウィリアム・バトラー・ イェイツも古代の神話や民間伝承から引用を繰り返しました。
オパール・ウィットリーの日記は、 当時読んだ文学作品そのままの描写が何度も出てきます。
ジェイムズ・ジョイスも「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ ウェイク」にコラージュ的手法を用いました。(p156)
これに関係しているのは、 ASの作家の多くがとても多読であるということです。
エミリー・ディキンソンは父親の図書室で本を読みあさりました。 詩の中で「本棚の仲間たちに感謝を」と書いています。( p121,140)
オーパル・ウィットリーは、 読んだ大量の本をすべて記憶していて、いざ書くときには、 ごちゃごちゃとした記憶があふれるのを止められませんでした。( p248)
オリジナルの文章を書けず、引用やパロディを繰り返すのは、 自閉症のエコラリア(オウム返し)とも関係がありそうです。( p246)
同様の点は、アスペルガーのミュージシャンでも見られるとされています。
3.読み手を考えない文体
ASの作家の作品は、読み手のために書かれたものではありません。(p21)
奇妙な抜け落ちや非連続性があり、文脈をたどると意味の分からない箇所があります。
たとえば、本書p124-127では、エミリー・ディキンソンの詩と同時期のジュリア・ウォード・ハウの詩が比較されています。
読んでみて意味がわかるのはハウの詩ですが、ディキンソンの詩には「すぐれた芸術作品とみなされるだけの謎めいた創造力」があると書かれています。
アリスはひとつの場面から次に場面に急に移動しますが、こうした唐突な時間の変化は、ASの子どもが感じる学校生活と似ています。(p160)
4.短編が多い
自閉症スペクトラムの人にとって、できごとは脈絡がなく、でたらめに生じているように感じられます。これはかえって、何にでも物語をつけようとする、定型発達者の語り口よりもリアルだと述べる人もいます。(p27)
心理学者のローナ・ウィングは、自閉症の人には「過去の記憶のなかや今起きていることからあらゆる情報をまとめあげ、経験したことの意味を理解し、将来何が起こりうるのかを予測して計画を立てる能力が欠けている」と述べています。(p51)
自閉症スペクトラムの作家は物語を構築するのが難しいので、詩やエッセイ、短編小説などに才能を発揮します。
シャーウッド・アンダーソンの「ワインズバーグ・オハイオ」は、ある町を舞台にした短編小説集です。ソローの「森の生活」も短いエッセイを集めたものです。アンデルセンも短編のおとぎ話を書きました。
短編小説であっても、やはり展開は行き当たりばったりで、メルヴィルの「代書人バートルビー」は事情が何もわからないまま話が終わります。(p105)
自閉症の脳には、「全体的統合の弱さ」があるのです。(p227)
5.反復が多い
ASの人の多くは、特定の単語、フレーズ、物語などを何度も繰り返すのが好きです。
メルヴィルの短編小説「代書人バートルビー」では、主人公は仕事をするよう言われたとき、「その気になれない」という言葉を10回以上も繰り返すのです。(p105)
アンデルセンの「裸の王様」では、ひとりを除くすべての人が、存在しない布に対し、同じ反応を見せます。(p54)
6.深みのある人物描写が難しい
ASの人にとって最も難しいのは社交性を発揮し、
自閉症スペクトラムの作家はこの弱点を克服するため、
一つ目は、架空の人物を作らないこと。
オパール・ウィットリーの日記も、
二つ目のアプローチは外見だけの人物を用いることです。
アンデルセンは人魚姫、王様など、空想的で、
現代のASの人は、
最後に、
「代書人バートルビー」はひとりぼっちで友だちもなく、
アンデルセンのおとぎ話には、
「雪の女王」に出てくる少年カイは、
7.細かな描写
ASの人は視覚や聴覚が鋭いことが多く、事実を記憶する能力も卓越しています。そのため、文章に異様に細かい描写が含まれることがあります。物語や会話や説明よりも描写に力を入れます。(p32)
ソローは「森の生活」の中で、さまざまな細かい事象の目録を書きました。たとえば、ウォーデン湖を細かく描写するあまり、「初産の子どものように」説明しています。(p75)
ソローは日記の中で、細かいことに固執しすぎて、全体像を犠牲ににしてしまう、つまり「視界を天空を見上げるよう広げる代わりに、顕微鏡サイズにまでどんどん狭くしているのではないかと恐れている」と述べています。(p77)
8.複数のアイデンティティを持つ
あるASの学生は、
マイケル・
オーパル・ウィットリーは「自己同一性拡散」に悩まされていて、
ドナ・ウィリアムズは、たくましい小さな男の子「ウィリー」
プリンス・ヒューズのアイデンティティのひとつはゴリラでした。
ダニエル・
9.テーマ
ASの作家は社会からの孤立をテーマに書くことが多いようです。
しかも多くの場合、ハッピーエンドではなく、苦悩のまま終わりを迎えます。
たとえば、アンデルセンの「人魚姫」では、強い疎外感と絶望がにじみ出ています。受け入れてもらいたいのに受け入れられず、最後は泡となって消えます。アンデルセンは日記にもそれと同様の苦悩を記しているそうです。(p62,71)
メルヴィルの「代書人バートルビー」の自閉症的主人公は、柔軟性のない思考や社会性の欠如から孤立し、最後には獄中で死にます。(p109)
エミリー・ディキンソンは死に執着し、死に関する詩は少なくとも28あり、ほかの多くの作品でも死に言及しています。(p141)
アリスは、お茶会やクロッケーのゲームや裁判に行きますが、最後まで孤立したままで、コミュニケーション不全を感じています。(p168)
ワインズバーグ・オハイオの「孤独」「変人」「手」などでは、最後まで理解されず、他人から遠ざけられ、寂しい人生を送る人たちが登場します。(p215)
近年、自閉症の診断が降りるようになったあとのASの作家の作品は、それらとは異なっています。診断が自己理解への導きとなり、自己受容につながるのです。その場合、困難に打ち勝つというテーマが敷かれます。
彼らは自分の書きたいように書いた
すでに亡くなった故人を自閉症スペクトラムと診断することには否定的な風潮もあります。正確なことはわからないのに勝手に診断するのはよくないというわけです。
しかし作家の作品や日記、周りの人の証言は、その人自身よりも多くのことを語るので、マイケル・フィッツジェラルドらが下した自閉症スペクトラムの診断が、必ずしも間違っているとはいえないと思います。
この本の中で、彼らの作品の特殊な点は、自閉症スペクトラムによるものだったと推察されています。
それはシャーウッド・アンダーソンの作品はエディプス・コンプレックスから生まれたとか、アンデルセンのおとぎ話は去勢不安の反映だったとか、バートルビーは殉教の物語だとかいう説明より、よほど理にかなっているように思えます。(p110,44)
彼らはみな、自分の感覚の促されるまま、自分の書きたいように書いたのです。その結果、人と異なる作品ができあがったのです。
わたしは、自分自身が、何かを書いたり描いたりすることが多いので、自閉症スペクトラムと創作の関係について気になっていました。
わたしが自閉症スペクトラムの傾向を持っているかどうかは、これまで出会った医師や心理療法士によって意見が分かれていました。
この本を読んだ限りでは、わたしはアスペルガーではないようです。自閉症スペクトラムの「傾向」は少しあるかもしれませんが、そのものではないように思います。
しかしながら、自閉症スペクトラムの創作の特徴は読んでいておもしろく、参考になるものでした。ここで取り上げた内容は本書のほんの一部なので、興味のある人はぜひ読んでみてください。発見がたくさんあると思います。