時間を忘れて、何かに没頭していた。その間は、持病の痛みさえまったく気にならなかった。没頭して得た結果を考えると、大きな達成感を感じる。
こうした体験を研究者は、フロー体験と呼びます。これは特に新しいものではなく、運動選手は「ゾーンに入った」と表現しますし、神秘主義者は「エクスタシー」だと述べてきました。もしかするとアスペルガーやADHDの人が言う「過集中」も似たものかもしれません。
古代の書物をひもといても、達人がフロー状態になって美しい作品を作り上げるといった描写はいろいろ見られます。荘子が記した包丁の達人 丁は、「感覚や知覚は動きを止め、精神だけが自由に動きます」と述べました。(v)
こうしたフロー体験は、程度の差こそあれ、わたしたちも日常的に体験しているといいます。そして、その頻度を増やせば、より充実した生活が送れるようになります。そのためにはどうしたら良いでしょうか。
フロー体験入門―楽しみと創造の心理学という本を紹介したいと思います。
目次 ( 各項目までジャンプできます)
フロー体験とは
この本はフロー体験を発見して体系的な研究をはじめたミハイ・チクセントミハイによるものです。
フロー体験とは、ほかのことがどうでもよくなるほど、時間を忘れて何かに没頭することです。(p46)
特にスキルがちょうど処理できる程度のチャレンジを克服することに没頭している時に起こる傾向があります。(p42)
認知心理学者ダニエル・カーネマンは、ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の中で、チクセントミハイの研究に触れて、フロー状態とは何か、こう説明していました。
中断したくない、ずっとやっていたいと強く願うような経験は、精神的快楽・肉体的快楽を含め、数多く存在する。ヘレンの全身全霊を挙げての没頭ぶりは、ミハイ・チクセントミハイが「フロー」と呼ぶ状態に似ていると言えるだろう。
フローは、芸術家が創作活動をしているときなどに感じる状態である。ふつうの人も、映画や演劇、読書、あるいはクロスワードパズルに我を忘れるようなとき、フロー状態にあると言える。(p285)
カーネマンが言うように、フロー状態は、幸福感と強い関係をもっています。
チクセントミハイは、フロー体験入門―楽しみと創造の心理学の中で、フローの集中した幸福な状態を「心理的ネゲントロピー」と呼び、逆に注意力散漫で無秩序な状態は「心理的エントロピー」と呼んでいます。(p31)
言い換えると、心理的にひとつにまとまったと感じられる幸福感に満ち満ちた状態がフローであり、心理的にバラバラで無秩序になったエントロピー(混沌)とは真逆の状態なのです。
フローの状態では、単に、心理的に充実感を感じている、というわけではありません。ピアノを演奏中のピアニストがフロー状態に入ると、心拍と呼吸がゆっくりに、より規則的になり、血圧が低くなり、笑顔を作る表情筋が活性化するそうです。(ix)
フロー状態はとてもくつろいだ状態であると同時に、完全に集中しており、時間の感覚はゆがみ、何時間もがたった一分にさえ感じられます。(p43)
こうした時間感覚や空間感覚の変容からすれば、フローは健全な解離現象だとみなすことができます。解離とは、脳に備わった感覚遮断のシステムですが、不要な刺激をすべて遮断して、自分のしたいことだけに没頭するのがフローなのです。
チクセントミハイの別著クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学には、フロー体験には文化や性別に関わらず、以下のような特色があるとされています。(p125-128)
目的が不明瞭な日常生活でのできごととは対照的に、フロー状態では、常にやるべきことがはっきりわかっている。
■行動に対する即座のフィードバックがある
フロー状態にある人は、自分がどの程度うまくやれているか自覚している。
■挑戦と能力が釣り合っている
自分の能力に見合ったチャレンジをしていて、簡単すぎて退屈することも、難しすぎて投げ出したくなることもない絶妙のバランスの上にいる。
■行為と意識が融合する
完全に今やっていることに集中していている。
■気を散らすものが意識から締め出される
完全に没頭して、日常生活のささいなことや思い煩いが意識から締め出されている。
■失敗の不安がない
完全に没頭していて能力とも釣り合っているので、失敗への不安を感じない。逆にもし不安が心に上るとフローが途切れて、コントロール感が失われてしまう。
■自意識が消失する
自分の行為にあまりに没頭しているので、他の人からの評価を気にしたり、心配したりしない。フローが終わると、反対に、自己が大きくなったかのような充足感を覚える。、
■時間感覚が歪む
時間が経つのを忘れて、数時間が数分のように感じる。あるいはまったく逆に、スポーツ選手などでは、ほんの一瞬の瞬間が、引き伸ばされて感じられることもある。(「ゾーン」に入ると呼ばれる)
■活動が自己目的的になる
フローをもたらす体験は、意味があろうとなかろうと、ただフロー体験の充足感のために楽しむようになります。たとえば芸術や音楽やスポーツは、生活に不可欠でなくても、その満足感のために好まれています。
こうしたフロー状態になる活動はひとりひとり異なります。
しかしフロー体験入門―楽しみと創造の心理学によると、フロー体験を得やすい活動のタイプがあることはESMという実験により確かめられてきました。
ESM(経験抽出法)は、1970年代にシカゴ大学で開発されたもので、被験者に小冊子を携帯してもらい、無作為の感覚でポケットベルを鳴らし、その都度、何をしているか、どのくらい集中しているか、どのくらい幸せかなどを記録してもらうというものです。すると日記などより客観的で役立つデータが得られるそうです。(p21)
フロー体験を見つける8つのポイント
こうした研究から得られたフロー体験に関するデータについて、この本ではかなり詳しく多岐にわたる知見が書かれていますが、8つの点にしぼって、自分のフロー体験を見つける方法をまとめてみました。
1.自分を変えるのではない
本書には、どうすれば自分を変えられるかということよりも、自分の生活を変えるために何ができるかについて書かれている。(viii)
自分自身を変える近道は、自己啓発によって自分を変えることではないといいます。自己啓発を実践しようとする努力は失敗するからです。
しかし生活を変えて、打ち込めること、つまりフロー体験を見つけるなら、スキルを活用する機会が見つかり、チャレンジを繰り返すようになり、おのずと自分は変わっていくといいます。
2.注意力の投資が必要
フローを生み出すどの体験も、楽しめるようになる前に、最初に注意力の投資が必要である。(p94)
テレビに比べると、趣味は2.5倍、活動的なスポーツやゲームは3倍、高められた楽しみを感じやすく、フロー体験を得やすいそうです。
それなのに多くの人は、趣味やスポーツをする時間の4倍以上をテレビに費やすそうです。
これは、フロー体験を生む活動には努力がいるのに対し、テレビなどの受身的レジャーは楽だからです。
本当にフロー体験を得たいなら、ある程度の注意力の投資をして技術を磨かなければいけません。
3.テレビを消して本を読む
ドイツでの大規模な調査では…最も多くのフロー体験は、多くの本を読みほとんどテレビを見ない人によって報告された。
最も少ないフローを報告したのは、めったに本を読まず、よくテレビを見る人だった。(p96)
2番目の点と関連して、テレビよりも読書をたしなむほうがフロー体験を得やすいという研究があります。
フロー体験を得るには、受身的な活動ではなく、能動的・積極的な活動が必要なのです。
4.価値ある友情は大切
人々が報告する最もポジティブな体験は、ふつう、友人と一緒にいる経験である。(p114)
孤独であることと学問や芸術での成功はよく関連付けられがちですが、実際にはフロー体験には仲間の存在は大切です。
物理学者ジョン・アーチボルト・ホイーラーは「ものごとを人と一緒に考えないなら、ものごとの外にいるということです。いつも言っていますが、誰かと一緒にいなくては、誰も、何者にもなることはできないのです」と述べました。(p132)
ひとりになって考えをまとめる時間も大切ですが、フロー体験の達成感を支える要素の一つは、同じ価値観を持ち、互いに目標を尊重し合える仲間から得られるフィードバックなのです。
5.物質的豊かさは重要ではない
アメリカの平均収入が1960年代と1990年代とでは、実質的に倍以上にもなったにもかかわらず、大変幸福だと言う人々の割合は同じ30パーセントのままだった。(p28)
経済と人生に対する幸福感には、わずかな関係性しかありません。むしろ、より貧しいアイルランド人は、より豊かな日本人よりも幸福だと述べます。
たとえば、著者が会った、ある工場でやりがいのある仕事を見つけていたジョーという男性は、主要企業の多くのCEOや大物政治家たちより、価値のある人生を送っているように見えた、と書かれています。(p4)
6.病気や障害があってもフロー体験できる
彼らの中には、自分の身に起こった惨事を驚くほど受け入れ、障害のおかげでむしろ人生がよりよいものになったと言う人がいるのである。
こうした人々の特徴は、心理的エネルギーをかつてないような形で訓練することで、自身の限界を超えることを決意していたという点である。
彼らは、服を着る、自宅の周りを散歩する、車の運転をするといった最も単純なスキルからフローを引き出せるようになった。
…そのような環境で生き残る人々は、外的環境を選択的に無視し、彼らだけの現実である内的世界に自身の注意を向け直すことができる。(p184)
ミラノ大学のFausto Massiminiの研究によると、半身不随や悲劇に襲われた多くの人々にインタビューしたところ、予想に反して、悲惨な事故の後のほうが、事故以前より人生を楽しんでいることがわかったそうです。
逆に別の宝くじの当選者による研究では、宝くじを当てても幸福になっていないことがわかりました。つまり人生の質を決めるのは、その人に何が起こったかではなく、その人が何をなしたかなのです。(p219)
ここでもやはりフロー体験や幸福感は、受身的な体験ではなく、能動的な活動にかかっていることがわかります。
また、がん患者などのフロー体験のデータによると、フロー状態にある人は、その間痛みなどを我慢できます。スポーツ選手は試合中、痛みを忘れます。身体症状の多くは、週末や、勉強や仕事をしていないとき、つまりフローの外にいる時に多く報告されるそうです。(p64)
7.よかったことについて思い巡らす
ESM研究によれば、自分自身について考える時、気分はたいていネガティブである。
…この悪循環を打破する一つの方法は、よかったと感じる理由のある時や、人生が上昇の傾向にある時を振り返るように、内省の習慣を発展させることである。(p195)
自分についてよく考えることが大事だとよくいわれます。しかし内省の習慣は事態をさらに悪化させるそうです。過去の辛い記憶が現在をさらに辛いものにするのです。
反対に、その日にあったよかったことを探し、振り返るなら、うつ病や統合失調症といった精神疾患でさえ改善する効果があることが知られています。
8.自分のフロー体験を見つけることは大切
ひとりひとり、フロー体験ができる活動は異なります。自分のフロー体験を見つけて、それを伸ばすことは大切です。こんなエピソードがありました。
患者の一人は慢性の統合失調症の女性で、10年以上も入院していた。…しかし二週間のESM研究を通して、彼女は完全にポジティブな気分を二度報告した。どちらの場合も、彼女は自分の爪の手入れをしていた。(p56)
この統合失調症の女性の場合、幸福を感じる活動は爪の手入れであることがわかりました。それで、プロのネイリストに職業訓練をしてもらったところ、気質が急激に変化し、社会復帰し、一人でやっていけるまでになりました。
どんな境遇にあっても、幸せを感じることは可能であり、自分のフロー体験を見つけたら、人生が変わることもあるのです。
フロー体験と過集中、ゾーン
フロー体験についての調査によると、「時間を忘れて何かに没頭することがありますか」と尋ねると、20%ほどの人が、よく経験すると答えるそうです。反対に、15%の人は経験したことがないと言います。この数値は世界共通だそうです。(p46)
わたしの場合は、子どものときから過集中に陥りやすく、没頭することは頻繁にあります。そのせいか、達成感を感じて幸せになることは数え切れないほどあり、そのせいでやりすぎて体を壊すこともありました。
わたしは子どものときからテレビをほとんど見ないで、ゲームや読書など能動的な活動しか楽しめませんでした。今でも、テレビを見るというのは、とても耐え難いことです。そのような人がフロー体験を得やすいと説明されていたことを考えると、わたしの過集中もまたフロー体験の一種なのでしょう。
そうであれば、過集中に陥りやすい、ADHDやアスペルガーの人は、フロー状態に近い位置にいるのでしょうか。
解離性障害の専門家である岡野憲一郎先生は、ご自身のブログの記事で、フロー体験とは、つまるところ解離+報酬系の働きなのではないかとも述べておられます。
解離性障害のような病的・慢性的な解離の場合は、感覚の切り離しと同時に不快な苦痛が引き起こされますが、フローのような健全な解離では、感覚の切り離しと同時に脳の報酬系が働き、心地よさに満たされます。
前者の病的な解離は自分でコントロールできず、不快な感覚に振り回されているように感じるのに対し、後者の健全な解離では、自分のスキルを自在にコントロールしているという充実感が生じます。
発達障害などに多い過集中は、前者のコントロールできない解離のように振り回されてしまうこともあれば、後者のコントロールできた解離のように心地良いフローを感じられることもあるでしょう。
ですから、別々の分野で研究されてきたフロー体験、ゾーン、過集中、解離は、おそらく、近い位置にある概念でしょうが、重なりあう点はあれど、異なる状況に対応した別個の概念であるともいえます。
この記事では、フロー体験は能動的な活動に伴うと書きましたが、フローとは、能動的な体験でも受動的な体験でもない、第三の体験である、という見方についても研究する価値があるでしょう。
たとえば、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方の中で神経科学者のアダム・ガザリーはこう述べていました。
これまではトップダウン処理とボトムアップ処理は対立していると思っていた。認知機能をコントロールするうえで、基本的に両立しないと思っていたんだ。
だが、そうじゃないのかも。脳の一部がトップダウンとボトムアップの完璧なバランスをとったときに、フロー状態に入るのかもしれないよね。(p78)
フロー体験は、トップダウン処理(能動的に自分の意識を働かせて考える)と、ボトムアップ処理(受動的に感覚を味わう)のどちらでもなく、その両方が釣り合った状態ではないか、とされています。
これは、フロー体験が、完全にコントロールを保った能動的な体験でありながら、流れに導かれるかのように考えなくても体が動く受動的な体験でもある、という概念によく一致しています。
言語の研究によれば、世界各地の言語には、もともと能動態でも受動態でもない、「中動態」と呼ばれる第三の態がありました。
言語における中動態の概念は、人類が古くから、フローに注目してきたことを物語っています。たとえば自然と一体になる禅や瞑想、アミニズムなどの信仰、そして芸術の文化では、能動でも受動でもない「流れ」が重視されてきました。
つまり、心理学における「フロー」というのは耳慣れない新しい概念かもしれませんが、人類ははるか昔からこの感覚に慣れ親しんでいて、言語の中に根付くほどごくありふれたものだったのではないか、ということです。
「中動態」についての研究は、芸術の中動態―受容/制作の基層や、中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)という本をご覧ください。
まだこの分野についてはさらなる研究が必要ですが、ひとつのことは確かです。フロー状態を経験できる人はそうでない人に比べて達成感を味わいやすく、達成感は幸福感と 密接に関係しているということです。
フロー体験はときに、病気や過酷な環境という悲劇を乗り越える助けにもなります。
自分自身の打ち込めるものを探し、仲間などの環境を整え、ついに自分にとってのフロー体験を見つけることは生きていく上でとても大切なことと言えるでしょう。
さらにフロー体験について知りたいという方は、ぜひチクセントミハイのフロー体験に関する本の数々に触れてみてください。
補足 フロー体験における島皮質の役割
フロー状態を引き起こす脳の機能について、 私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳に興味深い説明がありました。
この本によると、フロー状態の3つの特徴、「時間が遅くなる、周囲への自覚が過剰になる、すべての本質を了解した確信がある」は、てんかんの恍惚発作と似ているようです。(p282)
有名な話ですが、ロシアの文豪、フョードル・ドストエフスキーは側頭葉てんかんを抱えていて、しばしば、この世のものとは思えないような幸福感を伴う恍惚発作を経験していました。
伝記を執筆したニコライ・ストラホフに本人はこう話した。
「ふだんでは考えられず、未体験の者には想像もつかない幸福感がある……自分自身および宇宙全体と完璧に調和しているのだ。
これほど幸福な時間をほんの数秒でも味わえるなら、人生の10年、いやすべてを差しだしてもいいと思えるほどだ」。(p272)
このような恍惚発作は側頭葉てんかんを抱える人がしばしば経験する解離症状の一種です。歴史上、人生を一変させるような宗教体験をした人の多くは、実際にはこの種の恍惚発作を経験していたと考えられています。
とくに、ドストエフスキーやゴッホのような、強い側頭葉てんかん発作と、独特の宗教的熱意、芸術的な創作意欲を併せ持つ人は「ゲシュウィンド症候群」と呼ばれることがあります。
この恍惚発作は、「まず側頭葉で始まり、一秒もたたないうちに前部島皮質に広がって」引き起こされることがわかっています。脳の前部島皮質に電気刺激を与える実験では、幸福感や安心感、高揚感を人為的に引き起こせるそうです。(p287-288)
この側頭葉てんかんの恍惚発作は、程度はかなり異なるとはいえ、わたしたちが普段感じるフロー状態と似通った特徴を持っています。この本では、フロー体験もまた、前部島皮質の活動が高まることで起こっているのではないか、とされています。(p293)
この島皮質という部分は、どんな役割を持っているのでしょうか。
左前島皮質は、身体の内側(内受容性)と外側(外受容性)から入ってくる刺激を統合する。…島皮質の先駆的研究で知られるバド・クレイグは、左前島皮質が「知覚される自己」の神経基質を供給していると考える。(p182)
クレイグはこうした研究も踏まえて、説得力にあふれる仮説を立てたー人間の全感覚の責任は前部島皮質にある。
前部島皮質は、身体の生理学的状態を主観的に自覚するための神経基質であり、外部刺激、内部刺激、活動動機の表象が起きている状態を、前部島皮質が統合しているのだと。(p286)
島皮質は感覚を統合する役割をもった場所です。言い換えれば、わたしたちが五感と内受容感覚を通して感じるさまざまな知覚を、濃厚なスープのような一つの味わいに混ぜ合わせているのが、島皮質なのです。
以前の記事で書いたように、島皮質は外部の感覚(世界)と内部の感覚(自分)のバランスを取る役割も果たしているようです。
島皮質がほどよく活性化していると、外的感覚と内的感覚がほどよく統合され、世界の中に存在する自分、という適切な自己感覚が作られます。
しかし、恍惚発作やフロー体験では、島皮質が過剰に活性化し、外的感覚と内的感覚が統合されすぎてしまい、世界と自分が一体化してしまいます。だからフロー状態になると我を忘れ、自我を意識しなくなります。
先ほど書いたように、言語学には能動態と受動態のほかに、フロー状態と類似した中動態という概念があります。
「能動」と「受動」の場合は、自分と他人、あるいは自己と世界の区別があります。しかし、「中動」の状態では自他の区別がなくなり、周囲と一体化したようなフローを味わいます。
そのときいったい何が起きているのか。心理学者チクセントミハイが書いた『フロー体験ー喜びの現象学』にそのヒントがある。
フローとは「喜び、創造性、人生に余すところなく関与するプロセス」だとチクセントミハイは定義するが、…ある登山家はこう表現している。
『それは禅や瞑想、集中しているときによく似ている。めざすのは精神が一点に集中すること、自我をあらゆる点で登攀(とうはん)と融合させる。悟りに至るとはかぎらない。それでもすべてが自動で行われるようになると、ある意味自我はなくなる』(p293)
フロー状態では「すべてが自動で行われるよう」で、「自我はなく」なります。この世界と一体化した感覚というのが、受動でも能動でもない中動的な状態であり、島皮質の過剰な活動によって、感覚刺激が完全に統合されたときの状態ではないか、ということです。
フロー状態では島皮質が活性化した結果、世界と自分が一体化したような感覚が生まれますが、島皮質の活動が低下すれば、まったく逆のことが起こります。
2006年、マーティン・ポーラスとマリー・スタインの二人は、慢性不安は前部島皮質が機能不全を起こし、通常より予測エラーが増えることが原因だとする説を発表した。
それと正反対のことが起きているのが恍惚発作かもしれないとピカールは考える。前部島皮質に電気の嵐が発生して誤作動を起こし、予測エラーがほとんど、あるいはまったく出なくなった状態だ。
そのため世界に問題は何ひとつなく、すべてが理解できるという絶対的な確信感が生じるのである。
この前部島皮質説はかなり有効だとアニル・セスは言う。「現象学的に考えると、恍惚発作は慢性不安の対極です。
恍惚発作ではすべてが完璧であり、平穏な確信に満ちているのに対し、慢性不安は身体状態に反映されるあらゆることに不穏なざわめきを覚えるのです」(p292)
フロー状態が、島皮質が活性化して外的感覚と内的感覚が統合されすぎている状態だとすれば、慢性不安やうつはその逆でしょう。
島皮質の活動が低下すると、外的感覚(世界)と内的感覚(自分)をうまく統合できなくなり、自分が世界から疎外された異質な存在であるかのように感じられます。
チクセントミハイは、フロー状態の対極を「心理的エントロピー」と呼んでいました。フロー状態では世界と一体化したようななめらかな流れを感じるのに対し、心理的エントロピーのときは、「身体状態に反映されるあらゆることに不穏なざわめきを覚える」ノイズやエラーだらけの状態なのです。
感覚過敏に悩まされる自閉症や、世界から阻害されているように感じる離人症では、島皮質の働きが低下していることがわかっています。さまざまな不快な症状は、フロー状態とは対極の、ノイズだらけの心理的エントロピーに悩まされていることの現れでしょう。
しかし、自閉症の人たちもまた、てんかんの恍惚発作に似た、美と溶け合うような一体感を感じることがあります。こうした人たちの場合、島皮質の活動が常に低下しているというよりは、側頭葉の活動が不安定なため、島皮質をうまくコントロールできないのかもしれません。
それに、島皮質の活動は、より活性化すればいいというものでもありません。たとえばPTSDの人は島皮質の過剰な活性化が見られますが、外部の刺激に過度に過敏になって、いつも危険にさらされていると感じます。
あくまで島皮質は、外部の刺激と内部の刺激のバランスを反映してるだけで、同じ島皮質が活性化した状態でも、我を忘れて幸せに没頭できるフローになることもあれば、我を忘れてパニックになるPTSDになることもあるのです。
外的刺激に没頭してノイズが消えた状態がフローやゾーンであり、内的刺激にとらわれてノイズだらけになるのが慢性不安や感覚過敏なのだとすると、上のほうで紹介した、フロー状態が、がんの痛みや統合失調症などの闘病に役立つ理由がよくわかります。
これらの人たちは、病気がもたらす感覚のノイズによって、二次的に心理的エントロピーに陥っているので、「身体状態に反映されるあらゆることに不穏なざわめきを覚える」状態にあります。言い換えれば、内部の不快な刺激に頭を占領されている状態です。
そんなとき、好きなことに没頭してフロー状態を味わえると、島皮質が活性化するので、外部の心地よい刺激と一体化し、没頭しているあいだは苦痛を忘れていられます。
むろん、あくまでフロー体験は、一時的に島皮質を活性化させて痛みや混乱といったノイズの影響を薄れさせているだけで、病気そのものを治すことはできません。
しかし病気の結果生じている二次的な心理的エントロピーを緩和することで、自覚的なストレスが減るので、良い影響はあるでしょう。
心理的エントロピーに陥るとはすなわち、慢性的な不安や神経症的傾向に陥るということなので、健康な人の場合でも生活の中で適度にフローを体験する機会を持つことは、心身の健康に寄与するといえます。