想像上の遊び相手、イマジナリープレイメイトについて、ファンタジーと現実 (認識と文化)という本に詳しく書かれていました。
イマジナリープレイメイト、あるいはイマジナリーコンパニオン(想像上の仲間)、イマジナリーフレンド(空想の友だち)という現象が、どれほど多様で広く見られるかについて理解できる、興味深い資料となっています。その内容を整理して紹介したいと思います。
扱う資料はp121-139,196-208です。
目次 ( 各項目までジャンプできます)
いろいろな調査
イマジナリープレイメイトについては、これまでにさまざまな調査が国内外でなされています。
(1)麻生による調査 (1986年、1991年)
著者の麻生武は、想像の遊び友達について自由記述式の調査を某女子大学で行いました。結果は、初等教育学科の154名中25名(16.2%)が、何らかの形で、かつてイマジナリープレイメイトを持っていました。その後61名を追加したところ、215名中37名(17.2%)となり、ほぼ似た数字でした。
(2)大塚たちによる調査 (1991年)
日本でのはじめての統計的調査は、大塚・佐藤・和田らによるものです。調査した18歳から24歳までの大学生1013名中91名(9.8%)、つまり女子の12.8%、男子の6.0%が、イマジナリープレイメイトを持ったことがあると言いました。出現時期の平均は7歳0ヶ月でした。しかし、ピークは二回にわかれており、5-6歳と、10歳とに多くなりました。
また学部によってイマジナリープレイメイトを持っていた率に違いがあり、体育学部が2.0%、理科系学部が6.1%、文化系学部が13.1%でした。
さらに、調査した学生の平均年齢は20.1歳でしたが、調査の時点でもイマジナリープレイメイトを持っている人が28名いました。これはイマジナリープレイメイトを持っていた91名のうち、約30%という高い割合です。
(3)ハーロックとバーシュタインによる調査 (1932年)
ハーロックとバーシュタインによる古い調査では、大学生701名のうち、女子の31%、男子の23%に、イマジナリープレイメイトの体験がありました。出現時期は女子は5-7歳、男子は7-9歳に多かったそうです。
そして、イマジナリープレイメイトを持っていた女子のうち1/4が、青年期までそれを持ち続けていたことも指摘しています。
(4)シェーファーによる調査 (1969)
シェーファーがニューヨークの大学生800人を対象とした調査によると、群によって13%-31%の発生率でイマジナリープレイメイトを持っていました。そして文学(作文や詩作)において、創造性の高い生徒は、そうでない生徒に比べて、イマジナリープレイメイトを持つ確率が高かったようです。
(5)ハリマンの調査 (1937年)
大学生の中にイマジナリープレイメイトを持っていた者が少なからずいたことを報告しています。しかしそのことが学生に害を及ぼしているようなケースはまったくなかったといいます。
(6)スペンセンの調査 (1934年)
スペンセンは、母親グループの中から、子どもがイマジナリープレイメイトを持っていた人を選び出し、そのような子ども40人と母親たちにインタビューしました。
そのうち37人が4歳の誕生日以前に、39人が5歳の誕生日以前に持つようになっていました。出現の中央値は2歳5ヶ月でした。このことは(3)の調査と食い違いますが、おそらく(3)は大学生になってからの調査だったので、幼児健忘症によって幼いころのことは忘れていたのです。
また母親が、「もう想像上の遊び友達」を持っていないと判断した子ども28人中22名(79%)が6歳の誕生日までに、イマジナリープレイメイトのことをオープンに話すのをやめていました。
(7)プレンティスの調査 (1978年)
プレンティスらは、4歳児20名、6歳児20名、8歳児20名に個別インタビューを行いました。ごっこで考えた友だちを持ったことがあるか尋ねると、それぞれ12,11,13名が「はい」と答えました。ところが、自分の子どもがイマジナリーコンパニオンを持っていることを知っていた親はたった29%でした。しかも子どもの答えと一致しているのは21%でした。子どもの2/3は親に気づかれないような形でイマジナリーコンパニオンを持っているようです。
また、一部に子どもが「いいえ」と答えているのに、親が「はい」と答える場合もあったことから、インタビュアーに対しても秘密にされたイマジナリーコンパニオンがいることがわかります。
(8)ナゲラの調査 (1969年)
ナゲラの調査では、イマジナリープレイメイトが最も頻繁に観察されるピークは、2歳半から3歳半の時期と、9歳半から10歳半にかけての時期の2回だとされています。しかし前者のほうがはるかに多いそうです。これは(3)や(6)の調査と補完しあう結果です。
(9)エームズとラーンドの調査 (1946年)
「子ども発達イエールクリニック」の210名の子どもに関する調査では、210名中41人(20%)がイマジナリーコンパニオンを持っており、おもに、二歳半から四歳半に観察され、三歳半がピークだとされています。
いろいろなイマジナリープレイメイト
イマジナリープレイメイトにはいろいろなタイプがあり、千差万別です。
前述の麻生武の調査で見られたイマジナリープレイメイトには次のようなものがありました。
髪の長い白いリボンの女の子
…心の中のもう一人の自分。いつもそばにいて、ねえねえ、あのね、と話しかけていた。姿は見え、声も聞こえた。向こうから自発的に場所を考えずに話しかけてきた。
トンデモネズミ
…中学のときのテレビ番組のキャラクターが、寂しく思っていた時期に出現するようになった。友だちにのけものにされていた間話し相手になってくれた。自分の都合のよいときだけに出現させることができた。自主性はなかった。
前述のエームズとラーンドらは、次のような例を報告しています。
手を人格化
…RPは2歳ごろから自分の指同士を喋らせていた。指を「駄目なお手手ちゃん」と呼んでドレスアップし、イマジナリーコンパニオンとして扱っていた。また部屋の隅の想像上の存在と長く話し続けることもあった。
前述のスペンセンは次のような例を紹介しています。
ダガーとベリーとおばちゃま
メアリーは2歳の少し前から、ダガーと名づけたイマジナリーコンパニオンを持っていて、見えない紐で引き連れてまわった。いつも床でダガーにアイスクリームを与えていた。3歳半のころベリーとおばちゃまが現れ、食卓に席をとってあげるようになった。
津守は、自分の娘がイマジナリープレイメイトを持つ様子を観察したといいます。(1984年)
かようびちゃん
娘は2歳三ヶ月ごろ、金髪のかわいい女の子が出てくる絵本を読んでいて、ずいぶん長くひとりごとを言っていた。絵本の中の女の子にあこがれ、かようびちゃんと名前をつけ、電話でかようびちゃんとしゃべったりするようになった。かようびちゃんは娘の理想像だったと津守は分析している。
バークは1971年に次のような例を報告しています。
ドードー
ある2歳の弟と3歳4ヶ月の姉の姉弟は、ドードーというイマジナリープレイメイトを作り出した。ドードーは悪いことの責任を引き受ける役割で、怒られると、いつもドードーのせいになるのだった。保育所の規則からくるストレスをドードーというイマジナリープレイメイトを発明することで乗り越えたのだ。
さまざまなステージのイマジナリープレイメイト
イマジナリープレイメイトは、前述の調査からわかっているように、子どもだけのものではありません。麻生武は次のようなステージ別に分類しています。
(1)幼児期
先に取り上げたように、最初のピークは2歳半頃であり、この時期に最も多くなります。
この頃のイマジナリープレイメイトは、大人になったときに忘却されてしまいます。また、他の時期のイマジナリープレイメイトと異なり、大人や周囲の人に対してもオープンに語られます。
この時期のイマジナリープレイメイトが他のすべての時期のイマジナリープレイメイトのルーツになるといいます。
(2)児童期
二回目のピークは9歳ごろに訪れます。
この時期のイマジナリープレイメイトは、すべてでないにせよ、大人になっても覚えています。そのため、大人を対象とした調査では、5-10歳にイマジナリープレイメイトを持ったという話が多くなります。
この時期のイマジナリープレイメイトの特徴は3つあります。まず日常世界や日ごろの遊びに近いことです。次にそのことに不安をいだいたりしていないということです。最後に、この時期を境に親には秘密にされるケースが出てくるという点です。
この時期には、サンタクロースもイマジナリープレイメイトの一種として存在しているのかもしれません。
(3)青年期
青年期のイマジナリープレイメイトは複雑です。この時期の体験者は3つの感情を持ちます。
ひとつは、だれにも知られることのない内面世界を持っているという意識です。二つ目は幻想世界を一人で支えていることからくる不安で、自分は精神異常ではないかと考えます。三つ目は、秘密を親密な他者と共有したいという気持ちです。
(4)老年期
最後は老年期です。老年期には、イマジナリープレイメイトは、亡くなった人の魂や神や仏として現れているのではないかと麻生武は推測しています。たとえば仏壇や形見に向かって対話したりすることはイマジナリープレイメイトに似ています。しかしこの時期についての研究は今のところありません。
イマジナリープレイメイトのリアリティ
イマジナリープレイメイトの特徴のひとつはそのリアリティです。
(1)ストーリー性が大切
テーラーとカートライトとカールソンによる研究(1993年)では、イマジナリープレイメイトを持つ子どもと持たない子どもを集めて、おもちゃの電話をわたし、友だち(想像上の友だち、あるいはいるつもりの本当の友だち)を呼び出すように言いました。すると、イマジナリープレイメイトを持つ子どもたちは、想像上の友だちと会話し、持たない子どもたちはいるつもりの友だちと会話しました。
そのとき、友だちを目で見ることができるか、手で触ることができるかと尋ねました。すると、どちらの群でも、半分ほどの子どもが、「できる」と答えたといいます。
このことからすると、イマジナリープレイメイトがいるかどうかにかかわらず、友だちを想像して話すというストーリーがあれば、その架空の友だちをリアルに感じやすいということがわかります。たとえば、サンタクロースを信じやすいのもストーリーがお膳立てされているからかもしれません。
(2)現前性と実在性
イマジナリープレイメイトのリアリティは、現前性(目の前にいるような感じ)と実在性(実際の存在を信じている度合い)に分けられるといいます。そして多くの場合、どちらかが高ければどちらかが低くなるという逆相関を示します。
たとえば、イマジナリープレイメイトは現前性が高く、実在性が低い(リアルだけど空想だとわかっている)のが一般的です。神や仏は逆に現前性は低く、実在性が高く(おぼろげながら存在は信じている)なります。こうした逆相関によって精神の平衡を保っているのかもしれません。
(3)リアリティの源は何か
とりわけ、イマジナリープレイメイトのリアリティは「対話的な存在」であることに支えられているといいます。たとえば「想像のいす」や「想像のりんご」のイメージをリアルに保持するには、かなりの努力が必要です。椅子に座るふり、りんごを食べるふりをしなければなりませんし、それもなかなか困難です。
しかし「想像の他者」のイメージは、リアルに保持するためには、会話し、コミュニケーションすればよいということになります。内なる他者との会話は、わたしたちが日ごろ行っていることなので、さほど難しくありません。内なる会話を外に投射すれば、イメージはリアリティをもって保持されることになります。
またリアリティの源となるもう一つのものは「知覚の共同性」です。「想像のいす」や「想像のりんご」はどこにも存在しないので、認識できるのはイメージしている本人だけです。
これに対し、「想像の他者」は、いったん外に立ち上げるとイメージを立ち上げた本人とともに、世界を知覚する相棒になります。たとえば想像の他者と握手する場合、「僕が君の手をしっかり握っているのが、君にもわかるだろ」「わかるとも。そんなに心配することはないよ」というように、擬似的に「知覚の共同性」が成立するのです。
イマジナリープレイメイトに関するまとめ
これらから、イマジナリープレイメイトについて次のようなことがわかります。
2.大人になるほど、オープンに話さなくなる
3.自主性(向こうから話しかけてくること)がある場合もない場合もある
4.もの(たとえば自分の手)を媒介にする場合がある
5.「対話的な存在」「知覚の共同性」によってリアリティを感じる
以前に読んだ本 「稀で特異な精神症候群ないし状態像」では、イマジナリーコンパニオンは、自発的に声をかけてくるものであり、それ以外の事例は、ただの空想遊びだとばっさり切り捨てられていました。そのため、ある種の病理的な現象のように捉えられていました。
しかしこの本では、もっと広い観点から、さまざまなケースを包含しており、自分の手をイマジナリーコンパニオンに見立てた対話から、亡くなった人とのコミュニケーションまでが、イマジナリープレイメイトと地続きの関係にあるとされています。
この本の視点はとても面白く、イマジナリープレイメイトの豊かな世界を教えてくれるものだといえるでしょう。
イマジナリープレイメイト、イマジナリーコンパニオン、イマジナリーフレンドについては、このブログのほかの記事でも扱っていますので、参考にご覧ください。