幼児期・青年期のイマジナリーフレンドは豊かな創造性と関係するのか


マジナリーフレンド(空想の友だち)、イマジナリーコンパニオン(想像上の仲間)は、一般に子どもに広く見られる現象と考えられています。

ImaginaryCompanionの実態と発達的規定因を探るによると、大規模な調査によって4割もの子どもがイマジナリーコンパニオンを経験していることがわかったといいます。それほどありふれた一般的現象なのです。

ところが、中には少数ながら、思春期、青年期にもイマジナリーコンパニオンを持っている学生、大人がいることが分かっています。

青年期における「想像上の仲間」に関する一考察 : 語りと体験様式からの筆者の山口智は2001年に高校生対象の質問紙調査を実施し、約20%がイマジナリーコンパニオンをもったことがあり、しかもその内の2/3が調査時にも持っていることを突き止めました。

こうしたイマジナリーコンパニオンは、研究者によっては、創造性の現れだと考える人もいます。しかし一方で、一人二役のごっこ遊びのようなものに過ぎず、創造性とは関係ないとみなす人もいます。

果たしてどちらが正しいのでしょうか。いろいろな意見を見てみたいと思います。

子どものイマジナリーコンパニオンの創造性

子どものイマジナリーコンパニオンについては、ポケモン、妖怪ウォッチ、トトロと、「空想の友達」研究 - 下條信輔|WEBRONZA - 朝日新聞社に次のような記述があります。

それどころか、空想の友達を持つ子どもの方が社会認知のある側面では優れた能力を示すこともわかっている。

そこでむしろ知性と創造性のしるしとみなさ れることもあるが、これは逆に買いかぶりの可能性がある。たとえば視覚イメージおよび聴覚イメージの能力は、一般健常児と変わらない。

どのようにして創造性が調べられたのかはわかりませんが、視覚的・聴覚的にイメージする能力は特に高いわけではない、と説明されています。

一方で、イマジナリーコンパニオンを研究しておられる専門家のサイトによると、こうも書かれています。

発達科学・発達心理学を考える:Imaginary companion and the children who create them はてなブックマーク - 発達科学・発達心理学を考える:Imaginary companion and the children who create them

5)創造性
創造性は、ある物体を様々な他の物体に見立てられるか、などで測定される。創造性ではほとんど差がないが、比較的IC群の方が高い。

創造性はほとんど差がないものの、イマジナリーコンパニオンを持つ子どものほうが比較的高いとされています。

そのようなわけで、子どもに見られるイマジナリーコンパニオンは、多くの子どもが自然に経験するものであり、創造性とはあまり関係がないか、関係があるとしてもごくわずかである、と言えそうです。

そうであれば、青年期のイマジナリーフレンドについても同じように言えるのでないか、と思うわけですが、そうとは限りません。

前述の青年期における「想像上の仲間」に関する一考察 : 語りと体験様式からによると、イマジナリーコンパニオンは発現開始時期が、5,6歳、10歳などにピークが分かれるとの指摘があり、山下(2001)はそうした二つの時期に発現する「想像上の仲間」について,その性質や機能,心理的意味は異なるため分けて考えるべきだとしているそうです。

10歳頃に現れ始める「想像上の仲間」には「友達」の他に「もう一人の自分」が多く,安心,共感,競争心を感じる存在が多かったことを指摘されています。

こうした点からすると、比較的多くみられる子どものイマジナリーコンパニオンと、比較的少ない大人のイマジナリーフレンドとでは、関係している要素が異なっている可能性があります。

大人のイマジナリーフレンドの創造性

大人のイマジナリーフレンドについてはあまり詳しい調査がないのですが、いくつか参考になる文献はあります。

Imaginary Companionの精神的支援について : 心の支えとしてのイメージによると、「大学生を対象としたイメージの鮮明度や解離性傾向、創造性についての質問紙調査」を行ったそうです。

すると次のようなことがわかりました。

Imaginary Companionを持った経験がある者と、Personified Objectを持ったことのある者、どちらも持ったことがない者との間にイメージの鮮明さについて差は認められず、Imaginary CompanionやPersonified Objectを持つことにイメージを想起する際の鮮明性は関わりがないことが明らかになった。

さらに、解離傾向と創造的想像のタイプは、Imaginary CompanionやPersonified Objectの有無に関連がないことが明らかになった

解離や創造性とイマジナリーコンパニオンはあまり関係がない、という結果が出ています。

しかしこの調査において、多くの大学生は子どものころのイマジナリーコンパニオンについて答えていたのかもしれません。また、調査の対象となった人数も明らかにされていません。

ですから、大人のイマジナリーフレンドと創造性が関係あるかどうかは、この情報だけでははっきりと判断できません。

次に挙げるのは、すでに何度も言及している青年期における「想像上の仲間」に関する一考察 : 語りと体験様式からです。

こちらでは2003年にイマジナリーフレンドを所持したことのある27名(男性8名,女性19名 平均21.4歳)の大学生・大学院生を対象に調査されています。そのうち18名が調査の時点でもイマジナリーフレンドを所持していました。

その調査にあたって、著者の山口智は、青年期のイマジナリーフレンドが幼児期のイマジナリーコンパニオンと異なるという点を、次のように指摘しています。

幼児による「想像上の仲間」の所持は一般に健康的な現象だと考えられているが,幼児期・児童期以降,成人になっても見られる場合には,精神病理的状態の先駆けとなりうるとの指摘があるからである(Grolnick, 1990/1998など)。

しかし逆に,青年期に見られる「想像上の仲間」について,それを創造性や発達の肯定的なサインとして捉える声もある(Seiffge-Krenke, 1997 ;Taylor, 1999など)。

筆者はこれまでに行った研究の中で,青年期に「想像上の仲間」を持った人は,病理性へと通じる側面を持ちながらも,それを回避する在り方を持っているとの示唆を得た(山口, 2006)c

青年期に見られる「想像上の仲間」は,どこか病理性につながりうる側面と,創造性などにつながる側面との両面を併せ持つと考えられ,その点については留意しておく必要があると考えられる。

幼年期のイマジナリーコンパニオンは、健康的なものである、という点は確かです。

しかし青年期のイマジナリーフレンドは、「病理性」と「創造性」を併せ持つ現象なのではないか、と主張されています。

「想像上の仲間」は中間領域に属すると考えられる在り方や心理療法において担いうる役割,病理性にもつながりうる性質を持ちながら創造性に富む独特の性質などから,研究対象として非常に興味深い存在

この「病理性」と「創造性」というのは、別個のものではなく、背中合わせの性質だと考えることができます。このブログで過去に取り上げたように、創造性と精神疾患は密接に関係しているからです。

クリエイティブな人は精神障害を抱えやすい―天才たちは悪魔に魂を売ったのか
クリエイティブ(創造的)な人は、精神障害を抱えやすく、依存症に陥りやすいというデータがあります。「世界で最もクリエイティブな国デンマークに学ぶ 発想力の鍛え方」という本から、そのよ

その主張を裏づけるために、先述の27人を対象とした調査では、バウムテストとロールシャッハ・テストが実施されています。正直なところ、サンプル数が少なすぎるので、結果の信ぴょう性には疑問が生じます。

とはいえ、バウムテストでは、イマジナリーフレンドを持ち続けている人は、それを失った人たちに比べ、外界への開放や外界との境界の唆昧さがみられ、内的世界の広がりをある程度抱え持っているという結果が出ました。

またロールシャッハ・テストでは、あまり有意差はなかったとはいえイマジナリーフレンドを持ち続けている人は失った人に比べ、不安定性や想像性に富む世界を知的な形で統合している傾向がみられました。

どちらの結果も、不安定さと創造性を示唆しているというのは興味深く思えます。

(ただし心理学の世界はサンプル数が少ないと結果が実験者の先入観に左右されやすいという点も考えに入れておく必要があります。これを「少数の法則」といいます。特にバウムテストやロールシャッハ・テストはほとんど正確でないと考える人たちもいます)。

結論として次のように書かれています。

青年期に「想像上の仲間」を所持する人は,その存在に自分なりの意味を付与し,その存在を感じ,その存在と関わり,揺らぎを伴うその個人特有の体験世界を抱えながら生きていると思われるし,また「想像上の仲間」との別れを経験した人は,不安定さと豊かさの両面を抱えた世界から自ら距離を置くことで,安定した体験世界を手にしているとも考えられる。そこには想像力という奥深い世界を利用しながら,自らなりの在り方を模索し,変化し,成長する人の姿が感じられる。

つまり、青年期にイマジナリーフレンドを持つ人は不安定さと豊かさを得ているというわけです。山口智はその点をもう一度繰り返してこう述べます。

青年期にも「想像上の仲間」を所持する人は,外界と内的世界の問である中間領域に開かれ,矛盾や葛藤を含む体験様式を抱えつつも,知的な営みの試みによって,その不安定さを豊かさに繋げ,世界を生きていると思われる。

先に挙げた、イマジナリーフレンドは「創造性や解離とは関係がない」とする研究も、後者の「病理性と創造性を共に得ている」とする意見も、どちらも決定的な研究とはいえません。

結局のところ、もっとサンプル数の多い研究が必要だと考えられますし、専門家による研究がなされても、実態はわからない可能性もあります。

というのは、たとえば自閉症は、専門家が長年研究してきたものの実態がうまくつかめず、当事者が自伝などを書くようになって初めて理解されるようになってきたという歴史があります。

同様に、大人のイマジナリーフレンドについても、イマジナリーフレンドを持った経験がない研究者がいかに統計を取ったところで具体性を欠いており、当事者たちの文化をうまく汲み取ることができない、という可能性があります。

例を挙げると、たとえばレンガの用い方をいくつ思いつけるかなどのテストで、創造性があるかどうかを計測する場合がありますが、創造性とはそんな単純なものではありません。テストで点数が低くても、その人に自伝を書かせてみれば豊かな創造性が見られることもあるでしょう。

そういう意味では、当事者が積極的に情報を発信しない限り、その独自の世界が明るみに出ることは無いでしょう。

現在のところ、イマジナリーフレンドを持っていたことがわかっている赤毛のアンのモンゴメリや、アンネの日記のアンネ・フランクを考えると、文学的な創造性は豊かに思えます。もちろんこれも、たまたま彼女たちがそうだったという可能性もあります。

なお、イマジナリーフレンドと解離・創造性については、解離性障害の専門家は臨床的観点から、それらには関係があると考えている場合が多いようです。その点では、発達心理学の専門家とは意見の相違が見られるように思います。

実際のところ、「目に見える」「手で触れる」「声が聞こえる」「確かにそこにいると感じる」などのリアリティを持つイマジナリーフレンドは、解離との関係無くしては語れないのではないかと思います。

また、イマジナリーフレンドの存在を通して、空想世界を創造している、いくらでも話がふくらむ、小説や絵を描いている、といった人の場合、創造性との関連も無視できないでしょう。

解離性障害―多重人格の理解と治療によると、著者の岡野憲一郎は、「解離性の妄想」、つまり別の人格を創造して、具体的な特徴を付し、変化や発展さえしていく妄想内容は、「統合失調症の妄想」の貧困さと比べてはるかに創造的で豊かであると述べています。(p88-91)

柴山雅俊も、著書、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)の中で解離と創造性の深い関係について説明していて、その一環として大人のイマジナリーコンパニオンも論じています。解離しやすさは文学・芸術・演劇の得意さと関連するようです。

こうした例を考えると、少なくとも大人のイマジナリーフレンドを持つ人の一部は、やはり解離による創造性を持っていると考えられます。

子どものイマジナリーコンパニオンも、先に挙げた創造性とあまり関係がないという結論に関して、別の見方ができるかもしれません。

わかりやすい「解離性障害」入門では、子どものころのイマジナリーコンパニオンも含め、想像上の友だちは「正常範囲に属する解離現象」として扱われています。(p18)

子どものころはだれでも創造性豊かで、解離しやすいので、ある子どもたちの場合は、それがイマジナリーコンパニオンとして現れるのではないか、という考え方です。

子供のころは皆が皆、ある面では創造的なので、実験では差がでませんでしたが、創造性とイマジナリーコンパニオンに関係がないとは言い切れないのです。

青年期のIF保持者が考えるべきこと

以上の点を考え合わせると、現時点での結論としては、青年期まで残る大人のイマジナリーフレンドには、それ相応の理由が存在することを否定できないでしょう。

山口智はこう述べています。

  「想像上の仲間」は必然性をもって「私」のもとに現れ,必然性をもって「私」のもとから消えていく存在だと思われる。

つまり、子どものイマジナリーコンパニオンは健康ですが、それが青年期以降も残るということは、自然の作用に反していて、健康ではない何らかの原因が背後にあることの証拠となっているのではないか、ということです。

その理由とは、病理性と表裏一体の創造性かもしれませんし、慢性的なストレスかもしれませんし、愛着外傷かもしれません。

少なくとも何か理由はあるのです。

とはいえ、青年期のイマジナリーフレンドについて、それが病的なものとなるか、それとも創造性という豊かさとして現れるかはその人次第なので、過度に気に病むことはないでしょう。むしろ気に病んだところで、イマジナリーフレンドを持つに至った素因を変化させることはできません。

それよりもどうコントロールするかを考えるほうが現実的です。たとえば、過去に天才と呼ばれた人たちは、狂気と隣合わせの創造性をうまくコントロールして活かすことができたので、豊かな発想に恵まれたのです。

山口智は青年期のイマジナリーフレンドを持つ人たちを次のように励ましています。

1.イマジナリーフレンドはいつでも支えになる

しかしどの存在も,披調査者の「常に自分の味方」 「必ず側にいて寄り添ってくれる存在」 「自分の行動の支持者」といった言糞に表されるように,共感,理解,慰めなどの感情をもたらし,元気づけたり,落ち着かせたりする働きを担うと考えられる。

このように「想像上の仲間」は想像の中でのことだという前提の下で,それを所持する人それぞれに個別で特有の関わりをもたらし,生きる世界を陰ながら支える存在であることがうかがわれる。

イマジナリーフレンドを持つ人は、おそらくこれまでもその存在に助けられてきましたが、それは何も異常なことではないのです。

むしろそれは、創造性を巧みに用いて、自分自身を支え、励ましてきたのです。これはその能力が病理性としてではなく、創造性としてポジティブに発揮されてきたことを示しています。

また、治療が必要な精神的な問題を抱えた場合でも、イマジナリーフレンドは次のような役割を果たすといいます。

例えば森定(1999)は,特に思春期の場合, 「想像上の仲間」は内的世界と外的世界の橋渡しとなり,治療の鍵となることが多い..と指摘しているし,滞ら(2002)は「想像上の仲間」を治療の協力者となすことすら可能であると述べている。

何か精神疾患を抱えるようなことがあったとしても、イマジナリーフレンドと別れなければならないというわけではなく、むしろ手を取り合って乗り越えていくことさえできることが保証されているのです。

2.人生を共にするという選択肢もある

自らの理想を叶えてくれる相手,自分には足りない強さを補ってくれる相手,弱い自分を励ましてくれる相手,それぞれの「想像上の仲間」は, 「私」には欠けていると感じられる側面を「私」に代わって担っているように思われる。

「私」として自立するには不足している側面が「想像上の仲間」として生み出され,その二者問の関係を経験することで, 「私」自身を守り,育み,外界へと繋いでいく過程が作り出されるのではないだろうか。

イマジナリーフレンドは、その人の欠けている部分を補う役割を果たしています。本来は、その人自身に備わっているものの、当人が気づけないでいる良い面を、具現化しているのです。

そして「想像上の仲間」を所持していても,その内在化を経てその存在との別れを経験する場合がある。

一方で青年期だけでなく,一生涯その存在と人生を共にしていく場合もありうるだろう。それは時として想像の世界から出られず,精神病理の世界へと向かう兆しとなりうるかもしれない。

しかし「想像上の仲間」について語る被調査者の言葉からは, 「想像上の仲間」との関わりを通して,現実世界や外界に向かい合って生きる姿がうかがわれた。そのように, 「想像上の仲間」との関わりを保ち,独自の内的世界を抱えながら現実を生きるという在り方も十分に考えられよう。

その良い面が成長すれば、やがてイマジナリーフレンドという別人格としてではなく、自分自身の能力として発揮されるようになるかもしれません。もはやその良い面を代理してもらう必要はないのです。

イマジナリーフレンドを統合し、内在化するというのも一つの選択肢であり、それは不安定な世界を捨てるという成長のしるしかもしれません。

他方、イマジナリーフレンドと生き続け、不安定さと引き換えに豊かさを得ていく、というのも一つの選択肢なのです。それは何か間違ったことでも、倫理に反することでもありません。

大切なのは、想像の世界に引きこもらず、現実との関わりを持ち続け、イマジナリーフレンドと手を取り合って、苦難を乗り越えていくことです。そうする覚悟があるのなら、イマジナリーフレンドと生き続けるという人生も考えられるでしょう。

3.どちらにしても必然性がある

「想像上の仲間」と関わりを持つことで,孤独を緩和し,自分を守り,外界との緊張を乗り越えていくことができるのならば,子どもであれ大人であれ,その存在はどれほど力強い助けとなろうか。

ましてや青年期という「私」という存在の位置付けが求められる時期には, 「想像上の仲間」が大きな支えになる局面も多いと思われる。

インタビューで得られた語りに見られるように,必然性の元に生み出された「想像上の仲間」という「私」であり「他者」である存在に力を借りて,現実の困難を乗り越えようとする姿は非常に印象的である。

イマジナリーフレンドは必然性のもとに生み出されました。それが消えるとしても、また必然性のもとに消えていきます。

イマジナリーフレンドを必要としているなら、無理にイマジナリーフレンドと別れようとする必要はありませんし、あるがままで過ごしていけばよいのです。

あなたが必要としている限り、イマジナリーフレンドはそばにいますし、必要でなくなったなら、役目を終えて消えていくでしょう。

イマジナリーフレンドの存在は必然性によってコントロールされるのですから、その存在をどうするかを悩むより、目の前の物事に注意を向けましょう。

イマジナリーフレンドの存在について悩んで立ち止まるなら、それは病理性として現れるかもしれません。しかし目の前の問題を乗り越えていくことに集中するなら、それは創造性として現れ、これまでのように助けになることでしょう。

このように、青年期にも存在する大人のイマジナリーフレンドと付き合っていくには、その病理性や創造性について知っておく必要があると思われます。

大人のイマジナリーフレンドが創造性として発揮されるかどうかは、その人が前向きに生きていくかどうかによるのです。

青年期以降もイマジナリーフレンドを持っている人は、これらの情報やアドバイスについてよく考え、重要な決定を下していくことができるでしょう。

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