なぜ自閉症・サヴァン症候群の人は精密な写実絵を描けるのか

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スティーヴン・ウィルシャーはサヴァン症候群です。彼はヘリコプターで30分から1時間程度、街並みを俯瞰するだけで、その後数日にわたって、その街並みを再現する見事なペン画を描くことができます。

自閉症の子どもナディアは、言葉が話せませんでした。しかし5歳のとき、見事な馬の写実的な絵を描くことができました。(どちらもリンクをクリックすれば絵が見られます)

こうした例から分かる通り、自閉症の人は、ときに細部まで精緻な写実的な絵を描くことができる場合があります。もちろん全員がそうではありませんが、中には際立った能力を持つ人たちがいます。その人たちはサヴァン症候群と呼ばれます。

一方、サヴァン症候群ほど抜きん出てはいなくても、自閉症の人の中には、絵を描くのが得意な人が大勢います。

こうした人たちが精緻で写実的な絵を描ける理由はどこにあるのでしょうか。 ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待 (岩波科学ライブラリー)という本にその手がかりが載せられていました。

 

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これはどんな本?

この本は、京都大学野生動物研究センターの特定助教授であり、芸大の講師などもされている齋藤亜矢さんの著書です。

クロマニョン人の洞窟絵画から始まって、なぜ人間は絵を描くのか、という根源的な問いに挑んだ、冒険心あふれる本です。

さまざまなチンパンジーの実験や絵に関する幅広い知見、さらにはサヴァン症候群などの例も交えて、絵を描く理由を解き明かしていく様子は、推理小説にも似た興奮を誘います。

今回の記事では、このブログとしても興味のある話題である、自閉症やサヴァン症候群に関する部分を簡単に紹介したいと思います。

チンパンジーと人間の違い

自閉症やサヴァン症候群の人の独特な脳機能について理解する際、チンパンジーの脳機能について考えることが参考になるといいます。少し回り道に思えるかもしれませんが、はじめにそちらを少し考えてみましょう。

チンパンジーと人間は、DNAの違いはたった1.2%しかありません。ところが、人間は絵を描けるのに、チンパンジーは描けません。チンパンジーは絵の具を塗ることはできますが、意味のある絵は描けません。(p12)

どうしてそのような違いがあるのでしょうか。ひとつには、その違いは、人間が言語を話せる、ということにあるようです。人間は言語によって見たものをカテゴリー分けし、意味付けできるので、意味のある絵が描けるのではないか、と論じられています。

では、人間はチンパンジーよりも進化していて、チンパンジーのほうが劣っているといえるのでしょうか。必ずしもそうではありません。チンパンジーは言語を話せない代わりに別の能力を持っています。

ハンフリーは、ヒトが言語を手に入れることで失った能力、それは、モノをありのまま写真のように知覚し、記憶する能力であると指摘している。そしてその説に説得力をもたせるのがチンパンジーの記憶力だ。(p45)

これは、イギリスの心理学者ニコラス・ハンフリーが『喪失と獲得』の中で指摘していることだそうです。

実際、チンパンジーは、見たものをそのまま記憶する驚異的な能力を持っていることが、実験でわかっているといいます。実験の内容は本書を見ていただくとして、そこからわかるのは、彼らが映像記憶の能力を持っているということです。

言語を持つわたしたちは、見たものをカテゴリー分けし、意味付け、記号化し、必要な部分だけを覚えます。大事な情報だけまとめて、あとは切り捨てることで、情報に圧倒されないようにしているのです。

ところが言語を持たないチンパンジーは、見たものをそのまま記憶します。情報を未加工のままそのまま記憶しているので、映像記憶という能力があるのです。

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映像記憶とサヴァン症候群

この情報処理の仕方は、サヴァン症候群の脳機能と似ています。サヴァン症候群は、そのほとんどが自閉症の患者に見られ、限られた分野で驚異的な能力を発揮することで知られています。

実は、自閉症スペクトラムやアスペルガー症候群のヒトのなかにも、卓越した記憶力をもつ人びとがいる。映画「レインマン」でも有名になったサヴァン症候群の一つだ。

くわしい原因は明らかになっていないが、コミュニケーションが苦手なこと、すなわち言語的な能力に問題があることとの関わりが指摘されている。(p47)

映画「レインマン」のモチーフになり、惜しくも2009年にこの世を去ったキム・ピークは、絵を描く芸術家ではありませんでしたが、キムピューターと形容される驚異的な記憶力を誇り、何千冊もの本の内容を一字一句記憶していました。

彼は言葉を話せないわけではありませんでしたが、コミュニケーションは得意ではなかったようです。言語的能力が限られている代わりに映像記憶の力を持っていたのではないか、と推察することができます。

サヴァン症候群の人の中には、芸術の分野で卓越した能力を示す人が少なくありません。その点は以下のように説明されています。

ところで、サヴァン症候群の話が出て、おやっと思った方もいるかもしれない。サヴァン症候群の人のなかには、芸術家が少なくないからだ。

ヘリコプターから見た街の景色をペン書きで精緻に表現するスティーヴン・ウィルシャー、そして放浪の画家として知られる山下清もそうだったといわれる。

…微妙な色合いや独特の構図など、魅力は単に写実的なだけではないが、その精緻な描写力には思わず感嘆符がもれる。(p54)

冒頭で取り上げた、スティーブン・ウィルシャーは、やはり映像記憶によって絵を描いているようです。一度見ただけで、風景を細部まで記憶することができるのです。

彼もやはり、言葉が話せないわけではありませんが、円滑に言語を習得したわけではありませんでした。やはり言語的な能力が限られていることで、未加工の情報にアクセスできたのでしょう。

絵を描けるという、人間的な能力も十分保ちつつ、いくらか言語的な能力に制限を負うことによって、チンパンジーのような映像記憶が働くようになった人たち、それが(少なくとも一部の)サヴァン症候群なのかもしれません。

写実的な絵を描くために言語能力は余計?

では、細部まで正確に描写する写実的な絵を描くためには、言語能力は余計なのでしょうか。確かにそうした可能性はありそうです。

別の本、自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐という本では、未加工の視覚情報にアクセスできることが、細部を描くために必要だとされています。

スナイダーらは「自閉症は自然の光景の正確な細部を描くための必要な条件である」と述べている。

さらに、彼らは、自閉症は特有の認知機能によって、一般にはアクセスできない下位レベルの神経情報に、つまり、事物の表象のための特質に、接続可能になるとの仮説を述べている。(p112)

こうした未加工の視覚情報にアクセスできる能力が、言語能力と引き換えに生じるという可能性は、やはり冒頭で紹介した、自閉症の少女ナディアの例から推測することができます。

この同じ本にはナディアについてこう書かれています。

もう一つはナディアの物語である。ナディアはウクライナからの移民の子どもで、1967年にイギリスのホッティンガムで生まれている。

九ヶ月で数語を話したが、その後ことばが消失し、…三歳半ごろから、なんの練習もしないのに、突然優れた描画能力を発揮するようになった。

…七歳で自閉症の学校に入学し、…言語能力が發達し、計算能力も身についたが、一方で、この頃までに、彼女の描画スキルは著しく低下していった。彼女の躍動感あふれる馬の絵は、平板で稚拙な級友の女の子の顔の絵に変化してしまったのである。(p47)

ナディアは、言語能力が限られているからこそ、未加工の下位レベルの視覚情報にアクセスでき、何の練習もせず、写実的な馬の絵を描くことができたそうです。しかし言語能力を習得すると、写実的に描くことはできなくなりました。

このナディアの例は、絵の種類によって、必要とする脳機能が異なることも示しています。

ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待 (岩波科学ライブラリー)はその点を簡潔にこう説明しています。

いったい言語能力は、描くために必要なものなのか、それとも邪魔なものなのか。これまでに述べてきた話と矛盾しているようにも思えるが、それは、記号的な絵と写実的な絵との違いである。(p55)

わたしたちが写実的な絵を描く場合は、見たものをそのまま描く必要があります。そのためには見たものを記号化する言語能力が抑制されている必要があります。それは生来の能力である場合もありますが、デッサンによって訓練することもできます。

しかし記号的な絵、マンガやイラストのようなシンボル画を描く場合は、見たままを描くわけにはいきません。必要なところをデフォルメして、わかりやすく解釈しなおして描く必要があります。この場合には見たものを記号化する言語能力が役立ちます。

そのようなわけで、ナディアは言語能力が抑制されているときは写実的な絵を描き、言語能力を習得したあとは、記号的な絵を描いたのです。

正確にいうと、ここでカギとなっているのは言語を話せるかどうか、という純粋な言語能力そのものではありません。

むしろ、言語能力と関係している、意味を考え解釈する能力「意味システム」の程度が写実的な絵と関係しているようです。「意味システム」とはつまり、情報を加工するシステムのことです。

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視覚優位と言語優位―ひとりひとりの個性

ここまで、サヴァン症候群の特殊な例を見てきましたが、脳の機能が、視覚優位(映像思考)か聴覚優位(言語思考)か、というのは、すべての人にある特性です。その点は、天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)という本で説明されていました。

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自閉症は、「自閉スペクトラム症」(スペクトラム=連続体)と呼ばれるとおり、ある特定の人だけが持つ特殊な脳の機能なのではありません。程度の差こそあれ、すべての人にいくらか特徴があり、中には自閉症寄りの脳機能を持つ人もいます。

ある人は、言語的な能力があまり得意でない反面、視覚的に思考することに優れています。そうした人は、映像記憶とまではいかなくても、見たものをそのまま写実的に描いたり、デッサンしたり、立体感のある絵を描いたりするのが得意かもしれません。

別の人は、言語的な能力、つまり情報を加工する力に秀でています。見たものは加工され記号化して保存されるので、細部まで正確に模写するのは苦手です。その反面、イラストのような記号的な絵は描きやすいかもしれません。

もちろん、これはあくまで向き不向きの問題であり、よほど極端な映像記憶などを持たない限り、練習もなしに絵を描くのが得意になるというわけではありません。

ただ、ひとつ言えることがあります。それは、わたしたち人間は、個々人にどのような脳の特徴があろうと、つまり視覚優位であろうと聴覚優位であろうと、絵を描くことを楽しむことはできるのです。

脳とアート―感覚と表現の脳科学 (脳とソシアル)の著者である神経内科医の岩田誠は、ホモ・サピエンス(理性のヒト)をホモ・ピクトル(絵を描くヒト)と言い換えても良いのではないかと考えました。それだけ、絵を描くことは、人間独特の特徴なのです。

確かに、映像記憶を用いて、精密な写実画を描くことのできる、サヴァン症候群の人たちは、類まれな才能を持っているように思えます。

しかしその写実的な絵は、ホモ・ピクトルの持つ可能性の一つに過ぎません。わたしたちは、それぞれの個性的な脳の機能を用いて、その人個人にしか描けない芸術を創りあげることができます。

そのような意味では、サヴァン症候群の人が描く絵画も、わたしたち一人ひとりが描く絵画も、それほどかけ離れたものではないかもしれません。

どのような絵を描くにしても、それはあなた特有の脳の能力があるからこそ、描ける芸術であり、各々の個性がすばらしいのです。

別の記事で取り上げていますが、自閉スペクトラム症の人が描く絵には、そのほかにもいろいろな要素が関係しているかもしれません。

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今回は、ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待 (岩波科学ライブラリー)という本を中心に、なぜある人たちは精緻な写実画を描けるのか、調べてきました。

もちろん、これはこの本の主題である、「ヒトはなぜ絵を描くのか」というテーマのほんの一部にすぎません。

ヒトはなぜ絵を描くのか――芸術認知科学への招待 (岩波科学ライブラリー)は、チンパンジーや人間の子どもを比較しながら、人間が絵を描く理由について、さまざまな角度から考察した面白い本です。

絵を描くことに興味のある人はぜひ一度読んでみてください。

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