多重人格やイマジナリーフレンドは必ず人格を統合し、治療する必要があるのか


重人格、つまり解離性同一性障害(DID)は、明らかに異常な精神状態だ、と考える人は大勢います。明確な病気であり、もしDIDであることが分かったなら、人格を統合するためにあらゆる努力を払う必要があるというわけです。

同様に、DIDと比較されやすい大人のイマジナリーフレンド(IF)(イマジナリーコンパニオン)も、病理的であると考える人がいます。DIDとIFは別物である、というのが大方の研究者の見解ですが、それでも大人になってまで想像上の友人を持つのは普通ではない、と考えるのです。

ところが、解離の専門家の中には、解離性同一性障害を扱うにあたり、すべての例を治療する必要はないのではないか、と唱える人もいます。そう述べるのは岡野憲一郎先生ですが、その主張にはもっともな理由があります。

彼は主に多重人格の場合について述べているのですが、その説明はイマジナリーフレンドの場合にも当てはまります。多重人格やイマジナリーフレンドは必ず治療し、人格を統合すべきものなのでしょうか。

当事者が悩むことも多いこの問題について、解離性障害―多重人格の理解と治療という本から、岡野先生の意見を紹介したいと思います。

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眠っている解離性同一性障害(DID)

多重人格、解離性同一性障害は、多くの人から見て、明らかに異常と思えるので、医師も周りの人も、治療を勧めがちです。しかし岡野先生は、それは必ずしも正しいのだろうか、という疑問を差し挟んでいます。

「これは明らかに異常であり、病的である。したがってぜひ治療が必要である」という反応はある程度は自然なものであるといえるだろう。

しかしDIDの患者が常に治療の必要性を感じているかといえば、話は別である。

それに後に述べるとおり、ストレスが最小限に抑えられ、人生に充実感が伴っているような場合には、DIDの患者は明らかな症状を表すことなく、そのまま平穏に人生を営むことが多いのである。(p139)

もちろん、DIDのせいで、生活に支障が生じている場合は治療が必要でしょう。たとえば、人格交代により、生活の記憶が欠落したり、知らないうちに他の人格が行う行為により、人間関係が混乱したりする場合です。

しかし、いわば眠っているDID、生活がうまくいっていて、さほど問題を引き起こしていないDIDについては、治療の必要はないのではないか、と書かれています。

中には、医師が治療するように言っても、DIDの患者自身が、治療の必要を感じていないこともあります。

たとえばある患者はこう述べたそうです。

私ははっきり言ってこのままでいいんです。複数の人格が分担しているから楽なのであり、一人がずっと出ているなんて疲れるでしょう? はっきり言ってみんなどうして私のようにしないのかがわかりません。(p142)

こうした反応は、Rossにより、「主人格の抵抗(host resistance)」と呼ばれているそうです。

わかりやすい「解離性障害」入門という本にも、DID患者の感じ方として、次のような点が書かれています。

解離性障害で交代人格を持つ方々は、自分が治った状態をイメージしづらく、治ることで交代人格が死んでしまうと感じていることがあります。

「交代人格は死ぬのではなく長い眠りにつくようなものである」と説明すれば、こうした不安を和らげることができるでしょう。(p271)

DIDの患者は、交代人格の存在に関しては、治療による統合を望んでいないこともある、ということが窺えます。これは、後に述べるイマジナリーフレンドの場合も同じでしょう。

その場合、医師としては、人格の統合よりも、うつや不安の治療、生活のストレスの軽減に努めるほうが良いのではないか、と岡野先生は述べています。

そう言えるのは、すべての解離性障害は、統合失調症のような病気として生じているのではなく、心を守る防衛機制の行き過ぎによって生じている、という側面があるからです。

人差し指のタイプ打ちは矯正すべきか

解離性障害は脳の病気ではない、そう述べるのは、やはり解離を治療している柴山雅俊先生です。

柴山先生は著書解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)の中でこう述べています。

解離性障害は脳の病気だと思っている人が多いかもしれません。幻視や幻聴など、統合失調症によく似た症状もあるので、そう思われているのでしょう。

しかし、解離性障害は脳になんらかのトラブルが起こることによる病気ではありません。(p56)

通常、解離は、心を守ろうとする正常な働き、防衛機制のひとつであって、解離性障害はそれが強く出すぎているだけなのです。

そうであれば、統合失調症のような典型的な脳の病気の場合と異なり、単に落ち着かせて、症状が出ないように留めるだけでよいのではないか、と述べる臨床家がいるのも、もっともなことです。

岡野先生は、解離性障害―多重人格の理解と治療の中で、それをわかりやすいたとえを用いて示しています。

あるいはタイプライターの比喩も考えてみた。人生をタイプをたたくことになぞらえる。

DIDの人は、2本の人差し指でキーをたたくことに熟達してしまったようなものである。

10本の指を用いてブラインドでキーボードをたたくことになれてしまった人は、どうしてそのような面倒なことをするかわからない。

…しかし人差し指だけでたたく人は、自然に2本の指が踊りだし、結構それなりに仕事をこなしてしまうのである。(p168)

DIDの人は、人生の初期に問題に直面したとき、普通の人よりも、解離という「2本の人差し指」に頼るストレス対処法を身につけてしまっただけなのです。

本来は、脳のさまざまな機能という「10本の指」でやっていくべきところを、解離という「2本の人差し指」だけでやりくりするという、独特な癖を身につけてしまいました。

解離という「2本の人差し指」に頼ってストレスを処理するのは、普通の人よりも大変ですが、本人はそれに慣れてしまっているので、ある程度はうまくやっていくことができます。

世の中には、実際に「2本の人差し指」のタイプ打ちで作品を書いている小説家もいるそうです。確かに「10本の指」でタイプ打ちをするよう矯正したほうが捗るのかもしれませんが、それには相当な苦労が必要です。それを考えると、今何とか上手くやっているのであれば、そのままでもいいのではないか、というわけです。

DIDの場合も、人格を統合し、治療するには、膨大な費用と時間と労力がかかります。そうであれば、もしDIDが安定している状態なら、取り立てて治療しなくともよいのではないでしょうか。

「単一」人格障害という問題

DIDを治療すべきか、という問題はさらに複雑です。

膨大な費用と時間と労力をかけて、人格を必ず統合でき、治療が成功するというのなら、その選択肢も悪くないでしょう。

しかしむしろ、治療することが問題を引き起こす可能性さえあるのです。

その理由について、岡野先生はこう述べています。

そもそも解離傾向そのものについては、それはむしろ生まれ持ったもの、とさえ考えることができる。

…仮にこの治療が非常にスムーズに行き、過剰な解離がもはや起こらず、ホスト人格が無事統合され、人生のさまざまな出来事を切り盛りできるようになったとする。

しかしそれで治療は決して終わりとはならない、と主張する臨床家もいる。

すなわちDID障害の患者さんが統合され、単一の人格へと納まった場合、そこで待っているのは、今度は(多重人格障害ならぬ)単一人格障害だというのである。(p170)

これはどういう意味でしょうか。

DIDになるような解離性障害の人は、生まれもった解離しやすい傾向、という素質により、解離を過剰に用いたストレス対処法を身につけた可能性があります。

そのような人から、解離というストレス対処法を取り除いて、人格を統合させてしまうと、今度は過剰なストレスを切り盛りできなくなり、うつや統合失調症のような本当の脳の病気につながってしまうかもしれない、ということです。

先に取り上げたあるDIDの患者は、DIDは役割分担できて楽だと述べていました。そのように、役割分担することでストレスを分割していたのを、主人格だけで抱え込むように矯正すると、主人格そのものの障害を来たす可能性があるのです。

このような危険性からすると、たとえDIDでも、生活が破綻することなく、ある程度うまくやっていけているのであれば、わざわざ苦労して人格を統合する必要はない、といえるかもしれません。、

イマジナリーフレンド(IF)の場合

ここまでは、解離性同一性障害(DID)の場合を考えてきましたが、成人のイマジナリーフレンド(IF)の場合も、論旨は同じです。

イマジナリーフレンドの仮想人格は、解離性同一性障害の多重人格に比べ、より病理性が低いとみなされることも多いので、よりいっそう上記の論議が当てはまるともいえます。

イマジナリーフレンドもまた、解離という防衛機制の働きの一種であることは、わかりやすい「解離性障害」入門をはじめ、さまざまな資料で説明されているとおりです。

辛いことがあったとき、孤独に襲われたとき、イマジナリーフレンドの存在によって乗り切る、というのは、確かに正規のストレス対処法とはいえません。これもまた、一種の「2本の人差し指」でのタイプ打ちのようなものです。

おそらくは、もともとの解離しやすい傾向が関わっているのでしょう。生まれもった脳の性質のため、イマジナリーフレンドという解離機能を用いて、ストレスに対処する生き方を身につけてしまいました。

では、そこで無理やりイマジナリーフレンドの人格を統合し、解離という働きを抑制して生活するように矯正するとどうなるでしょうか。

それが心の成長に結びつく場合もあるでしょうが、ある場合には、支えを失った主人格が、支障をきたしてしまい、精神的な病気や心身症を発症してしまう可能性があるでしょう。

これまでイマジナリーフレンドの存在によって、やっとストレスを切り盛りしていたのが、その存在を失うことで、バランスが崩壊してしまう危険があるのです。

その点は、イマジナリーフレンドを扱う研究者の多くが認めているところです。

たとえば、稀で特異な精神症候群ないし状態像という本には、イマジナリーフレンドは病理的であるというより、保持者を伴侶として支える存在であり、治療の協力者とみなすこともできると書かれています。

イマジナリーコンパニオンという「稀で特異な精神症候群ないし状態像」
大人、青年における想像上の友だち、イマジナリーコンパニオン(あるいはイマジナリーフレンド、イマジナリープレイメイト)について扱った資料が「稀で特異な精神症候群ないし状態像」という本

青年期における「想像上の仲間」に関する一考察 : 語りと体験様式からにも、こんな記述があります。

例えば森定(1999)は,特に思春期の場合, 「想像上の仲間」ぱ'内的世界と外的世界の橋渡しとなり,治療の鍵となることが多い..と指摘しているし,滞ら(2002)は「想像上の仲間」を治療の協力者となすことすら可能であると述べている。

DIDの多重人格が、ある面では、患者の負担を減らすために存在しているのと同様、イマジナリーフレンドの仮想人格も、保持者を支えるために存在しているのです。

ゆえに、イマジナリーフレンドは、治療すべき対象であるというより、むしろその逆の存在、つまり治療の協力者となることさえあるというわけです。

幼児期・青年期のイマジナリーフレンドは豊かな創造性と関係するのか
青年期以降も残る大人のイマジナリーフレンドは、子どもにみられるイマジナリーコンパニオンと異なる性質がある可能性があります。それは病理性なのでしょうか。それとも創造性なのでしょうか。

いずれは自然に消えていくかもしれない

ここまで考えてきたように、DIDやイマジナリーフレンドという、解離による複数の人格を抱え持つ人の場合、それらが当人を支える役割を果たしているなら、無理に人格の統合を目指すのではなく、ストレス環境などの安定を目指すほうがよい、という結論になります。

そのように言えるのは、時が自然と問題を解決する場合もあるからです。解離症状は、年齢とともに消えていく場合が多いそうです。華々しい症状は30代までと言われています。

DIDの人格にせよ、イマジナリーのフレンドの人格にせよ、役目を終えた場合、自然と眠るように消えていくようです。存在はしていても、表だって現れることはほとんどなくなります。

それらの人格は、病的な存在ではなく、あくまで保持者を支え、助けるために存在していたのですから、使命を終えると、自分たちの居場所に帰るのだ、といえるでしょう。

年をとったらイマジナリーフレンド(IF)は消えてしまうのか
大人のイマジナリーフレンド(IF)を持つ人の中にはずっと一緒にいたいと願う人もいます。イマジナリーフレンドは年をとると消えたり、いなくなったり、統合されたりしてしまうのでしょうか。

あるいは、人格が消えない場合であっても、平和裏に共存できるのであれば、それぞれの人格には存在する権利があるのだ、ということを認めることも必要かもしれません。

解離性同一性障害(DID)の尊厳と人権―別人格はそれぞれ一個の人間として扱われるべきか
解離性同一性障害(DID)やイマジナリーコンパニオン(IC)の別人格は、一人の人間として尊厳をもって扱われるべきなのか、という難問について、幾つかの書籍から考えた論考です。

そのようなわけで、こと人格の統合、という話題に関しては、多額の金銭や、労力を費やしてまで、あるいは危険を冒してまで治療や統合を急ぐのではなく、安定化を測ってうまく付き合っていく、というのも一つの選択肢なのではないでしょうか。

イマジナリーフレンドに関するこのブログのさまざまな論考は、カテゴリ空想の友だち研究からご覧ください。

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イマジナリーコンパニオン / 解離