アスペルガーの解離と一般的な解離性障害の7つの違い―定型発達とは治療も異なる

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ASD者が解離症状を呈する割合は定型発達者に比べて若干多いという印象はある。

もちろん自己のあり方が異なるため、ASD者の示す解離が発症要因、症候、治療などさまざまな点で通常の定型発達者の解離とは違ってくるのは当然であろう。

定型発達者の解離のみが解離ではない。ASDにはASDの解離がある。(p181-182)

のように述べるのは、解離性障害の専門家である柴山雅俊先生です。

アスペルガー症候群(DSM5では自閉スペクトラム症(ASD)に統一)の人たちは、解離の症状を伴うことが比較的多く、発達障害や解離性障害を専門に診ている医師の多くがその共通性を指摘しています。

しかし一方で、この柴山先生の言葉にあるように、ASDの解離と、定型発達者の解離(つまり一般的な解離性障害)とでは、仕組みが少し違っているようなのです。

この記事では、解離の病理―自己・世界・時代という本にもとづき、アスペルガーの解離と定型発達の解離との7つの違いをまとめてみました。

 

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これはどんな本?

この本は、柴山雅俊先生が編集し、自身を含めた解離に詳しい8人の専門家の論考をまとめた本です。それぞれの専門家が別個の観点から解離を考察しています。

取り上げられている話題の中には、解離の新しい解釈モデルや、よく似ている境界性パーソナリティ障害、統合失調症、そしてアスペルガー症候群との違いも含まれていて、たいへん興味深い一冊です。

はじめに―解離とは何か?

まず解離とはなんでしょうか。

解離とは、わたしたちの脳に備わっている自分を守る働き、つまり防衛機制のひとつです。

健全なレベルの解離は、わたしたちのだれもが日常的に経験していて、たとえば、楽しいことに没頭して時間を忘れる、自分から離れた客観的な視点で見る、ありありとした空想を思い描いて入り込む、といったことも解離の一種です。

しかし解離は強く働きすぎると解離性障害と呼ばれる病的な域に進むこともあり、記憶を思い出せなくなる解離性健忘、自分が遠く離れて感じられる離人症、そして人格が分離してしまう多重人格(解離性同一性障害)などが含まれます。

解離性障害は定型発達の人たちにも広く見られますが、順天堂大学の広沢正孝先生は、子どもの発達障害に詳しい杉山登志郎先生の意見について、こう紹介しています。

たとえば杉山は、PDDの「高機能群にしばしば認められるファンタジーへの没頭から解離までの距離」が短いこと、そして解離がPDD者にしばしば認められる現象であることを指摘している。

広汎性発達障害(PDD)、アスペルガー症候群などの自閉スペクトラム症の人は、特に解離しやすい傾向があるのです。

解離は脳の防衛機制ですから、解離が強く働いてしまうというのは、とりもなおさず脳が何かの危機から自分を守ろうとしているということの表れです。

アスペルガー症候群の人は、孤独感を感じたり、五感からの情報に圧倒されたりすることが多いため、それに対処するために、空想に没入する・記憶を切り離すなどの解離が生じやすいと言われています。

アスペルガー症候群の人が解離しやすい理由について詳しくは過去の記事も参考にしてください。

アスペルガーの解離と定型発達の解離の7つの違い

このように、アスペルガー症候群の人は、解離しやすい傾向を持っているので、しばしば解離性障害と診断されます。

しかし、解離性障害の大部分を占める定型発達者の解離とは異なる特徴があり、治療法も幾分違いがあるようです。

これから、アスペルガーの解離と、定型発達者の一般的な解離性障害との7つの違いを見てみましょう。

わかりやすくするため、「7つの違い」として区切りましたが、実際には、それぞれが密接に関連しあっていて、一つの違いをさまざまな観点から段階的に見ていくような説明となっています。

1.共通の土台があるが正反対

そもそも、アスペルガー症候群と(一般的な)解離性障害は、どのような関係にあるのでしょうか?

以前の記事で紹介したように、解離に詳しい精神分析家の岡野憲一郎先生は、続解離性障害にの中で、アスペルガーと解離性障害は、どちらもオキシトシン・システムの異常を共通点とした、対極に位置する状態ではないかと推察しておられました。

以上の研究が間接的に示しているのは、女性の場合はオキシトシンの過剰な影響により、相手の心を読みそれと同一化する傾向が男性のアスペルガー症候群とは反対の極にまで至る可能性があり、それがこれまでに見てきたDIDに見られる対人関係における敏感さを説明している可能性があるということである。

DIDおよび解離性障害は、他人の心に対して敏感すぎることの病、といえるのではないだろうか。(p88)

つまりオキシトシンの機能が弱く、「空気が読めない」状態がアスペルガーであり、オキシトシンの機能が過剰で「空気を読み過ぎる」状態が解離性障害なのではないかとされています。

オキシトシンは女性らしさに関係するホルモンですから、オキシトシンが弱すぎるアスペルガーが男性に多く、オキシトシンが強すぎる解離性障害が女性に多いことも納得がいきます。

(ただし解離性障害でオキシトシンの量が過剰なのかというと、根底に愛着障害があることを思えばそうではなく、オキシトシン受容体の分布が異なるなどの理由で働きが偏っていたりするのではないかと思えます)

これと同じような説は、愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)という本の中で、愛着障害に詳しい岡田尊司先生も提唱されていました。

こちらは超男性脳のアスペルガー症候群と、超女性脳の愛着障害という分け方でしたが、解離性障害の背景に愛着障害が見られることを考えれば、同じたぐいの意見であると考えられます。

岡田先生も、両者はオキシトシン・バソプレシンシステムの異常という点では共通しているが、性質としては両極にあると述べています。

発達障害と似て非なる「愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち」
急増する、ADHDや自閉症スペクトラム、境界性パーソナリティ障害などを結びつける鍵は“愛着”である。「愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)」をもとに、愛着障害とは何か、発

このように、同じシステムを土台としている点では、アスペルガーと解離性障害には共通点があるといえますが、細かい性質を見ていくとまったく異なっている部分もあるという点がうかがえます。

2.原因が異なる「居場所のなさ」

アスペルガーと定型発達の解離の違いについて、そもそも始まりとなる原因からして異なる、と述べるのは柴山雅俊先生です。

一つは発症の要因となる「居場所のなさ」についてである。定型発達者の解離においては虐待や暴力に由来する「居場所のなさ」や、家庭が「緊張に満ちた場」であることからくる「居場所のなさ」が問題となっていた。

…しかしASD者にとって辛いのは、こういった定型発達者の「居場所のなさ」ではなく、そもそも自分はこの世界に落ち着くところがない、馴染むところがないという感覚である。(p182)

解離性障害の原因が、多くの場合、「居場所のなさ」を伴うことは、このブログの過去記事でも何度か取り上げてきました。

他人が怖い,信頼できない,人といると疲れるなどの理由―解離と対人過敏
人が怖い、だれにも気持ちを打ち明けられない、だれも信じられない…そう感じるのは、子どものころの「安心できる居場所の喪失」が影響しているのかもしれまらせん。「解離の構造」ほか7冊の本

解離性障害の人たちは、子どものころから、「安心できる居場所」を家庭内にも親子関係にも学校にも得られないことで、自分の居場所を失い、心を解離させて対処するようになります。

一般的にいって、定型発達の人が「安心できる居場所」を感じられないことには、外部の環境の問題が大きく関与しています。

たとえば両親の不仲、虐待的な親、いじめなど、外部のだれかによって、「安心できる居場所」を剥奪されることで、解離によって防衛せざるをえなくなります。

それに対し、アスペルガー症候群、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちは、もちろん外部の環境も関係していますが、それ以前に、自分自身の存在に関して、独特の異質さを感じ取っていることがあります。

単に家庭や学校に居場所がないというよりは、この世界そのものに居場所がないと思えるほど、疎外感や孤独を感じ、それが心を解離させるきっかけになるのです。

以前の記事で取り上げたように、アスペルガー症候群の人が感じる居場所のなさは、定型発達やADHDの人が感じる居場所のなさとはレベルが違うものであり、中には自分を火星人のようだと感じる人もいます。

広沢正孝先生は、前述の杉山登志郎先生の考えを引用した続きで、この点に関してさらにこうまとめていました。

しかしその一方で彼は、同じ解離という現象であっても、PDD者と解離性障害患者とでは異なり、後者の機序は、自己の体験に統合が困難な外傷的事象が自己の分離を引き起こして形づくられるのに対し、前者ではもともと自我が対象に引き寄せられており、容易に自我の分離が引き起こされる特徴を持っているとも述べている。(p52)

つまり、定型発達の解離性障害は、危機的状況に面してやむなく解離するのに対し、ASDの解離性障害は、周りの状況にかかわらず自分から進んで解離していくといえるのです。

3.アイコンが並んでいるタッチパネル

定型発達者が危機に面してやむなく解離することと、ASDの人が環境によらず自分から解離しやすいことの違いはなぜ生じるのでしょうか。

広沢正孝先生は、あるアスペルガー症候群の人の言葉を紹介しています。

僕の頭はタッチパネルで、縦横に規則正しくアイコンが並んでいる。そのひとつひとつに重要な内容が入っていて、僕は必要なときに必要なアイコンをタッチする。

そうするとそのウィンドウが開かれて、僕はそこを生きてそこで仕事をする。(p60)

このアスペルガー症候群の人は、自分の頭の中は、アイコンが並んだタッチパネルのように なっていると述べています。これはどういう意味でしょうか。

スマートフォンを持っている人であれば、さまざまなアプリのアイコンが並んだタッチパネルは馴染み深いものだと思います。

基本的にスマホでは、あるアプリを起動すれば、画面にはそのアプリしか映りません。同時に複数のアプリを同じ画面で見ることはできません。(iOS9ではマルチタスキングが可能になりましたが)

同様に、ASDの人たちは、さまざまな役柄になりきることに慣れています。ある役割をこなしているときは、その役割になりきって一体化し、別の場所では、別の役割に一体化します。

あたかも、場面によって別々のアプリを切り替えて対処するように、さまざまな役割(人格)を使い分けて対処しているのです。

それに対し、定型発達者の自我は、ユングによると、同心円状になっていることが多いそうです。まず中心となる自分があり、その外側を記憶や経験が包み込んでいて、どんな状況にも、あくまで同じ自分として柔軟に対応します。

こうした、タッチパネルのアプリような自己と、同心円状の包み込むような自己との違いは、果たして何を意味するのでしょうか。

4.中心不在のアイデンティティ拡散

この話題をさらに煮詰めてくださっているのは、日本福祉大学の大饗広之(おおあえひろゆき)先生です。

人格の多元化と〈中心〉の不在は表裏一体の関係におかれている。

前者が前景にあらわれるのが解離性障害、そして後者が主題としてあらわれるのがアスペルガー症候群であるということができる。(p149)

さきほどのタッチパネル状のASDの人の自我と、同心円状の定型発達の人の自我の最大の違いは、中心があるかないか、という点でした。

タッチパネル状のASDの人は、中心となる自己が希薄で、場面ごとにさまざまなアプリ(人格)になりきって対処していました。

それに対し同心円状の定型発達の人は、まず中心となる自我が明白に存在し、それを核にして柔軟に対応させることで、さまざまな場面に対処していました。

アスペルガーの人が、中心となる自我の不在に苦しんでいるというのは、以前読んだ別の本、作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性などでも触れられていました。

それらの本ではアスペルガーの人たちは、自分はいったい何者なのか、ということに悩みがちで、それによる自分探しの過程が、かえって創作の独創性を高めることもあると書かれていました。これは「アイデンティティ拡散」と呼ばれる現象です。

自閉症・アスペルガー症候群の作家・小説家・詩人の9つの特徴
「作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響」という本を読みました。自閉症スペクトラムは小説家や詩人の作品にどんな影響を与えたのでしょうか。9つのポイントにまとめてみま

そうすると、ASDの人は、そもそも一つのまとまりある自分というイメージは希薄で、頭の中は、さまざなアプリに分割されているので、それぞれが区切られる、つまり解離するというのは極めて自然、ということになります。

しかし定型発達の人は、自分が別個に区切られているようなことはなく、ちゃんとした中心となる自己があって、そこから自分の経験や記憶が同心円状に広がって、包み込むようにして一つのアイデンティティを形成しています。

本来ならばそれが分かたれたりはしないはずなのですが、衝撃的な外傷体験があると、その同心円状に広がっているはずのアイデンティティが強制的に切断されてしまい、人格が解離してしまうのです。

すでに述べた、定型発達の人は外傷体験をきっかけにやむなく解離し、アスペルガーの人は、環境にかかわらず、自然と解離していく、ということには、この「中心」が存在するか、不在なのか、という点が関係しているようです。

5.拡散体験によって溶けこむ

こうした中心となる自己の不在という、アスペルガー症候群の独特な特徴は、解離の症状の違いとしても現れると柴山雅俊先生は述べています。その違いとは「拡散体験」です。

拡散体験とは、自分が大気に溶け込んで広がり、ときに気体や粒子のように細かくなって周囲に拡散するかのように感じる体験である。

…解離型ASD者は健忘、知覚過敏、解離性意識変容、人格交代など多彩な解離の症候を呈するが、なかでも「拡散体験」は解離型ASD者に比較的高頻度に現れるように思われる。

このような拡散体験が訴えられれば、診断に際して解離とともにASDを強く念頭に置く必要がある。(p184)

解離にはさまざまな症状が含まれますが、特に、自分がバラバラになって大気中に溶け込んでいくかのように感じる拡散体験は、ASDの人によく認められるそうです。

すでに考えたように、ASDの人は、自分のイメージが希薄です。本来、自分自身が何者かはっきりわかっていれば、そこを中心に自分のアイデンティティを統合し、まとめていられるわけですが、中心不在だと容易にバラけてしまいます。

いわば、自分のイメージとは、さまざま意識や記憶などをひきつけている強力な磁石のようなものです。それが弱いと、自分の経験や記憶が、まとまりなく散らばってしまいます。

統合する力が弱く、感覚までもが散らばってしまうと、まるで空気に溶け込んだかのように感じたり、目の前の動物や自然、建物などに溶け込んで同一化したりしているように感じるのでしょう。

アスペルガーの人の中には、美しい光景を見たり、何かに没頭したりすると、それに溶け込んで同一化すると述べる人が多くいます。

6.自然な多重人格

ASDのタッチパネルのアプリが並んでいるような中心不在の自己と、定型発達の、しっかり中心があり、それを包み込むように広がっている自己との違いについて考えると、それぞれで多重人格の意味も異なることがわかります。

広沢先生はこう述べています。

PDD型自己の場合、そもそもの構造が区画化されており、「個」の感覚が希薄である。

したがって高機能PDD者においては、むしろいくつかの人物像が併存することは自然なことといえよう。

また彼らの場合、このように複数の人物像の存在を、ごく自然に認識しており、むしろうまくそれらを使い分けることが、社会適応の手段となっている。(p72)

ASDの中心不在の自己では、いろいろなアプリ(人格)を起動して、その場その場のニーズに合わせて使い分けることが普通なので、むしろ多重人格的な生き方は一種の社会適応の戦略といえます。

実際に、ASDの自伝自閉症だったわたしへ (新潮文庫)で有名なドナ・ウィリアムズは、ドナ・ウィリー・キャロルという3つの人格を場面ごとに使い分けて日常生活を送っていました。

作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響にもこんな説明がありました。

自己の流動性は、自閉症スペクトラムの人に多く見られる現象です。本書に登場する自伝作家の全員、それに小説の作家の多くも、流動的で可塑性のある自己という感覚をもっています。

私が教えているASの学生のひとりは、約10種類のアイデンティティをランダムに使い分け、そのことを“世間に向ける鎧の交換”と呼んでいます。(p231)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫Nでも、脳神経科医のオリヴァー・サックスがこう書いています。

だが、同時にもっと高次のレベルで、一種のアイデンティティの飢餓感のようなものがあり、他の人格を借りたり取りこむ必要があるのかもしれない。

ミラ・ローテンパーグは、自閉症のひとびとはある意味でざるのようなものだと言う。つねに他人のアイデンティティをすくいあげているが、それを維持し同化させることができない。(p318)

そもそも、ASDの人が多重人格的な戦略を用いている場合、それぞれの人格があまりに普通にさまざまな役割を分担しているので、どれがメインの人格なのかわからないこともあるそうです。

中心となる自己、つまり主人格が存在せず、さまざまな人格が協力しあって、日常に対処していることがあるのです。

(もちろん、ASDの人が多重人格的な戦略を用いているとしても、記憶の分断などが生じていないなら、それは解離性同一性障害ではありません)

一方で、定型発達者の解離性障害は、もともと中心、つまりメインとなる主人格が存在します。そのメインの人格をかばうようにして、さまざまな人格が登場するので、ときには各人格が主人格を助けることもあれば脅かすこともあります。

解離の病理―自己・世界・時代によると、ASDにおいては、さまざまな人格が統一されていないことがそもそも自然であるのに対して、定型発達の解離性障害の場合は、人格が統一されていないことによる苦痛を感じることもあるようです。

一方一般型自己をもつ解離性同一性障害の患者にとっては、(たとえ格子状原図を一時的に利用したとしても)最終的には「個」の統一が第一の課題となってくる。したがって複数の人格の存在自体が苦痛となり得る。(p72)

定型発達の解離性同一性障害でも、必ずしも人格の統一を目指す必要はないと言われますが、それでも各人格が互いに協力できるまでにまとまらないと、生活に苦痛を感じることが多いでしょう。

一般的な多重人格のメカニズムについて詳しくはこちらをご覧ください。

多重人格の原因がよくわかる7つのたとえ話と治療法―解離性同一性障害(DID)とは何か
解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格について、さまざまな専門家の本から、原因やメカニズムについて理解が深まる七つのたとえ話と治療法についてまとめました。

▼タイムスリップ現象
ところで、ASDの人に特徴的な現象として、タイムスリップ現象というものが知られています。

これは、単に目の前に過去の光景がフラッシュバックするのではなく、そのときの感触や刺激までもが再生されて、あたかも過去にタイムスリップしたかのように没入してしまう現象です。

このようなタイムスリップ現象も、断片的に保存されている過去の体験のひとつが、たまたま再生されてしまうのかもしれないと広沢先生は述べています。(p68)

さきほどのタッチパネルのたとえでいうと、さまざまなアプリの中に、過去の体験のいち部分を切り取ったアプリがあり、たまたま何かの拍子にそれをクリックして起動してしまうと、画面全体がそのアプリに占領されてしまうということです。

7.治療関係も変わる 

こうして、定型発達の解離と、ASDの解離について比べてみると、両者は一見、表に現れる症状としては似ていても、根本のところでは大きな違いがあるように思えます。

それで柴山雅俊先生はこう述べています。

定型発達者の解離性障害とASDの解離性障害とでは望ましい治療関係が若干異なっているように思われる。

解離型ASDでは患者自身の精神、認知の特徴や病態の構造などを共に検討しながら、具体的な生活上の問題について対策を立てていくことが望ましい。

…それに対して治療者-患者間の二者関係に注目する精神療法では患者の混乱や負担が大きいように思われる。(p186)

結局のところ定型発達の解離性障害と、ASDの解離性障害では、成り立ちが異なるため、適した治療もまた変わってくるのです。

要するに、もしASDが根底にあって解離しているのであれば、その人のASD的な要素をしっかり顧みて、解離だけでなくおおもとのASDに対処していけるように助ける必要があるということです。

以前このブログで取り上げた概念に、衣笠先生の「重ね着症候群」というものがあります。

治りにくい病気の背後にある大人の発達障害「重ね着症候群」とは
治りにくい精神科疾患や心身症の背後には、もしかすると軽度の大人の発達障害(アスペルガー症候群など)があるかもしれない。その概念は衣笠隆幸先生により「重ね着症候群」と名づけられました

これは難治性のさまざまな精神疾患の根底に、未診断の発達障害が存在する場合があり、表面の精神疾患だけではなく、発達障害そのものの治療もすることでよくなることがある、という概念です。

ASDの人が解離性障害を重ね着している場合も、解離性障害と、その下に隠れて見えなくなっているASDの両方をケアしていく必要があるということなのでしょう。

ASDにはASDの解離がある

こうして、ASDの人の解離と、定型発達者の解離との違いを見てみると、どうやら、両者はかなり異なるものであるかのように思えます。

表面的には共通した症状があるように見えますが、深いところでは両者は正反対の性質さえ持っています。

まさに冒頭で引用したとおり、

定型発達者の解離のみが解離ではない。ASDにはASDの解離がある。

という言葉のとおりであり、同じ「解離」という言葉でくくられていても、両者は別ものと考えたほうがいいのかもしれません。

広沢先生も、両者は類似していて誤解されやすいものの、別物である、ということを最後に強調しておられました。

高機能PDD者が築き上げるタッチパネル状の自己は、その構造自体、一般型自己を持つ者(すなわち放射+同心円状構図)を基準としてみれば、解離性障害と誤解されうる特徴を持っている。

それは、一般型自己の基準からはずれているという点のみならず、構造自体が(断片化という点で)解離性障害者のそれに類似していることにあろう。

しかし大きな相違は、前者が発達の過程で適応を目指して一貫して作り上げてきた構図であるのに対し、後者では最終的に一般型自己(すなわち放射+同心円状の構図)を確立ないし維持しようとする志向性を持っている点にあり、これが両者の人物像の相違、そして症状の持つ意味の相違となって表れてくるものと思われた。(p72-73)

こうした定型発達者の解離とASDの解離の違いには、両者の脳機能の違いが関与しているようです。

ASDの人たちは、数学やプログラミングといった正確な情報の取り扱いに秀でているぶん、空気を読むのが苦手、冗談や比喩表現の解釈が苦手、行間を読んで人物の感情などを類推するのが苦手、といった特徴がみられます。

これらはすべて、意味を解釈する力の弱さと関わっています。物事を字句通りに受け止めるのではなく、情報と情報の隙間を想像力で埋めていき、もっともらしい物語を作る力です。

細部の正確さよりも、全体のおおまかであいまいな解釈をとる力といえるかもしれません。

「インタープリター」の隙間を埋める力

右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語るによると、こうした意味を解釈する力は、脳の左半球にあるインタープリター(解釈システム)という部分が担っています。

左半球は原因と結果を探し、情報を吐き出すあらゆるプロセスからインプットされた混乱から秩序を作りだす。

私たちの脳はこんなことを一日中行っている。脳のさまざまな領域や周囲の環境からインプットされた情報を拾い、筋の通った物語へと仕立て上げているのだ。(p180)

インタープリターは、もっともらしい言い訳をしたり、適当につじつま合わせしたりする機能でもあります。自閉症の人たちはこのシステムが弱いと言われますが、彼らは確かに、もっともらしい言い訳をしたり、嘘の作り話をしたりして人を騙すことはできません。

このインタープリターは、脳の言語領域との関わりが深いものですが、脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線によると、自閉症の人たちは、言語領域と報酬系の連結が弱く、その機能が発達しにくいことがわかっています。

2013年7月、ダニエル・A・エイブラムズとヴィノッド・メノンが率いるスタンフォード大学の科学者たちは、自閉症の子どもにおいては、人間の声を処理する聴覚皮質と報酬中枢の結合が不十分であることを明らかにした。

…この研究では、脳領域間の結合を示す特殊なMRIを用いることで、左半球の言語領域(言語のより象徴的な側面を処理する)と右半球の言語領域(韻律と呼ばれる音楽的、情動的な側面を処理する)が脳の報酬中枢に十分に結合されていないことがわかった。

その結果、声を処理する脳領域を報酬中枢に結びつける能力を欠く子どもは、発話を快く感じられなくなる。(p492)

ここで言われている言語のより象徴的な側面を処理する能力が、比喩表現や冗談の解釈、また他人の気持ちやストーリーの想像に関わるインタープリター(解釈システム)です。

興味深いのは、このインタープリターが、自閉症の人たちが苦労している自己の同一性についての感覚にも関係していると思われることです。

先ほどの右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語るによると、インタープリターには次のような機能があるといいます。

インタープリターは、注意を払うだけでなく、なぜ一連のふるまいが起こったかについて語り続けることによって、ふるまいのもつ意味を理解しようとした。

これは貴重な装置であり、おそらくは人間独特のものである。自分が何かを好きな理由やある特定の意見をもつ理由を説明しようとしたり、自分のしたことを正当化しようとしたりするたびに、この装置が私たちの中で作動している。

大量のモジュール化され自動的に作動する私たちの脳によってインプットされた材料をもとにして、混沌から秩序を作りだしているのがインタープリター装置なのだ。

インタープリターは「筋の通った」説明を考えだし、ある種の本質主義を、すなわち私たちは統一された意識体であることを自らに信じ込ませる。(p404)

わたしたちの脳は、実際には一つではなく、さまざまな部分、つまりモジュールの集まりによって成り立っています。

しかし、本来はさまざまなモジュールの寄せ集めである脳を、あたかも一つのまとまった脳のように見せかけているのが、やはりインタープリター(解釈システム)なのです。

インタープリターは、情報と情報の隙間を埋める役目を担っていたことを思い出してください。

たとえばインタープリターは、本来は別の言葉であっても、比喩表現とみなして隙間を埋めます。その場にいる大勢の人の本来別々の感情の隙間を埋めてひとまとまりに解釈し、場の空気を認識します。

同じように、インタープリターはまた、さまざまな感覚器から入ってくる継ぎ接ぎの情報の隙間を埋めて、一人の人間、一人の自分という自己の認識をまとめ上げる役割を担っています。

それは単に、感覚の隙間を埋めるだけでなく、時間の隙間をも埋めています。本来、わたしたちは時間と共に、全身の細胞が入れ替わっていて別物になっていくはずです。でも、インタープリターが隙間を埋めて、同じひと続きの自分であるかのように錯覚させます。

ASDの人たちが自然と解離してしまうのは、このインタープリターの働きが弱いためだと考えられます。

すなわち、言葉と言葉の意味の隙間を埋められず、ひとまとまりとしての場の空気を読めないのと同じように、脳のモジュールとモジュールの隙間もまた埋められません。すると情報が統合されず、自分がバラバラになって空気に溶け込むように感じられる拡散体験が生じます。

また、少し前の自分と今の自分との隙間を埋められず、昨日の自分と今日の自分をひとつながりのもりのとして実感するのが難しくなります。すると、アイデンティティの拡散が生じ、自己の連続性を認識しにくくなるでしょう。

「豹変する心」の現象学―精神科臨床の現場からにはこう書かれています。

要するに、彼らは、「今・ここ・私」という中心位置が定まらないことを悩んでいるのである。

彼らには自分の歴史(生活史)、あるいはアイデンティティーの一貫性が欠けている。

アイデンティティーとは、「私」がいつでも「同じもの」として再現されることであったことを思い出しておこう。

「昨日の私」と「今日の私」がいつでも同じであるように、10年前の私も、それどころか生まれてこのかた、私は連続した時間を重ねており、一つの歴史的全体を構成している(と信じられている)。

ところがアスペルガーの人たちには、「たった今」過ぎ去った自分と「今現在」の自分が「同じ自分」として連続しているという感覚が持てないのである。(p194) 

 インタープリターは、ある知識と別の知識の隙間を、即興の解釈によって埋めて、物語を作りだすことに長けています。それと同じように、刻々と断続的に積み重なる自己の経験の隙間も埋めて、一人の自己という物語をつむぐ役割も担っているということでしょう。

こうした情報の統合力の弱さのために、ASDの人は、さまざまな感覚や自己の認識が解離してしまい、自己が複数に分かれている多重人格のような感覚もまた、自然に感じてしまうのだと思われます。

自然な解離と不自然な解離

しかし、インタープリターというのは、本来はバラバラになっているものを、あくまで「見かけ上」、ひとまとまりであるかのように思い込ませる脳の機能です。

そうすると、ある意味ASDの人たちが感じているものこそが、この世界の本当のありのままの状態であるともいえるのではないでしょうか。

有名なASDの当事者であるドナ・ウィリアムズは、自閉症という体験の中で、自身のASDの特徴として、定型発達の人が用いている「解釈システム」(インタープリター)の代わりに、「感覚システム」という、より古い形態の認知様式を用いていると述べています。

そして、定型発達者たちが用いている「解釈システム」では見ることのできない世界の本質が、「感覚システム」を用いるASDの人たちには見えるとしています。

解釈システムに頼り、感覚システムを否定するか余計なものとするように学習がなされる世界では、外面的なものを越えてその内面を見ることがないように、また外面的に見えることが存在のすべてであると信じて疑わずに生きるように、人々が暗黙の了解をしており、この不自然なことが〈自然で当たり前〉なのです。(p141)

このような「感覚システム」によって世界をじかに感じ取り、「解釈システム」(インタープリター)の手を加えずに認知するのは、世界のありのままの姿を見ている状態です。

ですから、ASDの人がバラバラに別れたつなぎ合わせていない感覚を感じとるとき、ある面においては、(二次障害としてのトラウマ体験などが関わっていない状態であれば) 自然な解離とでも言うべきものでしょう。

他方、定型発達者の解離のほうは、インタープリターそのものはしっかり働いていて、自己の情報は統合されています。そのため、拡散体験も生じません。

むしろ、インタープリターが正常に働いているからこそ、圧倒的なトラウマ経験に直面したときに、インタープリターというシステムが自分から記憶や体験を切り離すことを選び、あたかも防火壁を閉じるかのように、自己が切り離されてしまうのでしょう。

それは緊急時における防衛反応であり、本来は一つにまとまっているものを、生き延びるために無理やり切り離すということです。

ASDの人たちが自然に解離するのに対し、定型発達者はトラウマの結果として解離し、しかもひどい苦痛を感じる背景にはこのような理由があると思われます。

一人ひとり異なる解離

ここまでASDの解離性障害と、定型発達の解離性障害の違いについて考えてきました。この説明だけを読めば、どうやら、それらにははっきりとした違いがあるようにも思えます。

しかし、脳の解離という機能については、まだすべてがわかっているわけではなく、脳科学の進展とともに、今後も新しい機能が次々と明らかになることでしょう。

定型発達の解離とASDの解離、そしてそれと類似した統合失調症は、確かに大抵の場合鑑別可能であり、相違点も多くありますが、精神医学全体から見ると、これら3つはとても近しい場所に位置しているようです。

この本の中で、大饗広之先生は、時代とともに精神のあり方も変化しており、昔の精神医学モデルで、今の人たちのさまざまな症状を説明することが難しくなっているのではないか、としています。(p154)

診断基準に基づいて、はっきりとしたグループ分けをするよりも、一人ひとりの症状をしっかりと見極めて、その人に適した治療を選択することが求められるようになってきているのかもしれません。

そうした意味でも、患者自身が、解離や自閉スペクトラム症について正しい知識を得たり、専門的な医療機関を選んだりして、正しい診断と治療にたどりつく必要はますます大きくなっていると思いました。

広沢正孝先生のタッチパネル型自己の話は、わたしは未読ですが、広沢先生ご自身によるこちらの本にも詳しく書かれているそうです。

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