心的外傷後成長(PTG)とは―逆境で人間的に深みを増す人たちの5つの特徴


ただ、本文でも繰り返し触れられているが、過酷な体験をした人が単純にPTGの道を歩みはじめるわけではない。

もがき苦しみながら、行きつもどりつし、揺れ動きながら、PTSDとPTGが併存するような形で進んでいくことも多い。(pii)

ラウマ経験によってひどい後遺症を負ってしまう人たちを意味する概念、つまり心的外傷後ストレス障害(PTSD)という言葉は、今ではほとんどの人が知っている有名な言葉になりました。

その一方で、あまり知られていない言葉があります。それは心的外傷後成長(PTG)。逆境を通して、人間的に成長し、深みを増す人たちを指す言葉です。

逆境を通して成長するという考えは、今まさに苦しみのさなかにいる人たちにとって、受け入れがたいものかもしれません。まるで苦しみや悲しみを望ましいものとして扱っているかに思えるからです。

しかしこれから考えていくように、心的外傷後成長(PTG)は、苦しみを正当化するものではありません。心の弱い人はPTSDになり、心の強い人はPTGになるという単純なものでも決してありません。

PTGとは、どのような状況で生じるものなのか、PTGを経験する人たちには、どんな5つの特徴があるのか。

悲しみから人が成長するとき―PTGや、冒頭に引用したPTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてという本から考えてみたいと思います。

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これはどんな本?

悲しみから人が成長するとき―PTGは、PTGについて一般向けに書かれたわかりやすい本です。とても平易に説明してあるので、耳慣れない概念であるPTGについておおまかに理解する助けになります。

PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えては、 PTGの理論、具体的な事例がまとめられた専門的な本です。事例の中には、愛する家族を亡くした人、がん終末期患者、小児がん患者、緩和ケア病棟の看護師、性的虐待サバイバーなどのケースが含まれています。

心的外傷後成長(PTG)とは何か

心的外傷後成長(PTG:Post Traumatic Growth)とは、1996年、アメリカの臨床心理学者、リチャード・テデスキローレンス・カルフーンによって発表された比較的新しい概念です。

かねてから、逆境を通して人間的成長を遂げる人たちがいることはよく知られていました。はるか昔から、辛い経験を通して強くなった人たちの物語は、あらゆる文化で語り継がれています。

しかし、逆境のもとで生じる苦痛を初めて体系的に研究したのが、心的外傷後ストレス障害(PTSD)であったのと同じく、逆境のもとで成長する人たちについて、初めて体系的に研究し、整理したのが心的外傷後成長(PTG)だったのです。

PTGという概念は、逆境を乗り越えた人たちのストーリーと同じく、正しく用いれば励みになるものです。

しかしPTSDが軽々しく扱ってよい概念ではないように、PTGも様々な理由から「取り扱い注意」の概念だと言われています。

PTGについて注意すべき5つのこと

PTGはなぜ「取り扱い注意」なのでしょうか。

それは、PTGという概念が軽々しく扱われるなら、それによって傷つけられる人がいるからです。

PTGの特徴について考える前に、まず注意しておかなければならない点を5つ考えてみましょう。

1.苦しみを正当化するものではない 

PTGは「獅子の子落とし」や「苦労は買ってでもせよ」、「神さまが成長のために与えた試練」では決してありません。

つまり、苦しみや困難は、じつは良い意図によってもたらされた良いものだったのだ、という正当化を支持する概念ではありません。

悲しみから人が成長するとき―PTGにはこう書かれています。

繰り返しになりますが、心身ともに深く傷つくきっかけとなった出来事から人間的な成長が遂げられることがあったとしても、きっかけとなった出来事そのものがいいことに転換したり、正当化されたりするわけではありません。(p187)

PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてにも、PTGの概念の創始者カルホーンとカデスキーが、「成長を経験したという人でも、どんな人にとっても悲劇や喪失が望ましいこと、あるいは成長にとって必要なことであると結論づけることはできない」と警告したと書かれています。(p50)

確かに、PTGを実感する人たちは、この苦しみには何か意味があるのかもしれない、と考え、そこから教訓を学びとることがあります。

しかし、だからといって、人が成長するためには試練が必要なのだ、苦しみは実は人生に不可欠なものなのだ、ということにはなりません。

PTGをもたらす苦しみは、後で取り上げるように想像を絶するものであることが少なくありません。

PTGを経験した人の多くは、「確かにわたしは苦しい経験を通して成長したかもしれないが、他の人にはこんな苦しみなど経験せず、PTGのことなど考えもしないような人生を送ってほしい」と述べるそうです。

2.押しつけるものではない

PTGは、今まさに苦しみを経験している人に、「試練を通して成長しなさい」というメッセージを押しつけるものではありません。

PTGは苦しい経験をしている人が目指すべき目標のようなものではありません。苦しい経験をしても、だれもがPTGを経験するわけではなく、むしろPTGを経験しないほうが幸せなこともあります。

悲しみから人が成長するとき―PTGにはこうあります。

大変な被害にあった方、大切な御家族や友人を亡くされた方に、「そこから何か学びとることがあったか」というメッセージほど残酷なものはありません。

…苦しみからの成長を強調しすぎると、今まさに苦しみの中にある人をはじめ、苦しみにかかわる多くの人が余計に傷ついてしまう可能性があることは言うまでもありません。(p6)

PTGはあくまでも、自分で経験するものであって、だれかがそう仕向けることができるものではありません。そう強いるべきでもありません。

もし「苦しみから人は成長できる」ということを盛んに励ますとしたら、すでに述べたような苦しみを正当化するような印象を与えてしまい、悲しんでいる人の心を傷つけることにもなりかねません。

3.修行・試練ではない

だれかにPTGを経験するよう強いることができないのと同様、自分で狙ってPTGを経験することもできません。

PTGは、後づけです。ねらって果たされるものではありません。

PTGを実感したいがために、あえて何かの被害にあったり、事故にあったり、病気になったり、人に裏切られたりするということはありえません。

「つらい出来事は特に経験していないから、自分はPTGの可能性とは無関係だ」という状態のほうがずっと幸せだという見方もできるでしょう。(p101)

古くから、あえて自分を苦しい状況に置いて、人格を陶冶したり、精神を鍛えたりする「修行」に勤しむ人たちがいます。

しかし自分の意図で苦しい状況に飛び込み、人間として一回り大きくなるよう鍛錬することは、PTGではありません。

もしそれらをPTGに含めるとしたら、やはり成長するためには苦しみが不可欠だということになり、苦難を正当化することになってしまいます。

あくまでもPTGは、不可抗力やどうしようもないミスによって、決して自分では望んでいない苦難に遭遇してしまい、その中でもがき苦しみ、悩み抜いて成長していく人たちを表す言葉です。

4.不謹慎に思われる場合がある

PTGと似た概念に「ベネフィット」(得たもの)という概念があります。どちらも、苦しみの結果もたらされるものに焦点を当てていますが、まったく同じ意味ではありません。

たとえば、犯罪者が悪いことをして、刑務所に入れられ、その結果ベネフィット(得たもの)があると言い出したなら、被害者や遺族はどう思うでしょうか。(p24)

そのような場合は、何かを得たというポジティブな表現はふさわしくなく、人格が陶冶されたり、心の底から生き方を悔いて更生したりした、人間的な「成長」ととらえるほうが良いかもしれません。

もちろん、ベネフィットであれPTGであれ、口にする状況によっては不謹慎だったり、だれかを傷つけたり、不快にさせたりする場合があるので、注意深くあるべきでしょう。

5.PTGではないものもある

最後に、一見PTGと似てはいても、PTGではないものも存在します。 (p122 、181)

たとえば、多くの場合、一過性の身体的病気などはPTGをもたらしません。ストレスの強い状況では一時的に「自分は変わった」と述べるかもしれませんが、いずれ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」となって元に戻ってしまいます。(p56)

また、以前の記事で扱ったように、盲目的に苦しい経験の良い面ばかり強調することも、実際には自分を納得させようとして現実から目を背けている現実逃避であり、PTGではありません。

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ネガティブな考えや感情は有害だと考え、何でもポジティブでなければならないと考え人たちが陥りやすい問題点について、バランスの取れた考え方を「脳科学は人格を変えられるか」などの本に基い

もちろん、何かPTGで何がPTGでないかについては、いまだ議論が続いています。自分は逆境を通して成長した、と述べている人を、他人が「それはPTGではない」と言って批判することはふさわしくありません。

PTGを経験する人の5つの特徴

このように、PTGという概念は、苦しみを正当化するために用いられないよう、また他の人の感情を傷つけないよう、細心の注意を払って扱われるべきです。

それを確かめた上で、いよいよ、PTGとは具体的にどんなものなのか、PTGを経験する人の5つの特徴を考えてみましょう。

これから述べることはあくまで「傾向」であり、5つすべてに当てはまらないならPTGではない、というわけではないことにご注意ください。

1.中核的信念が粉砕される

PTGは、苦しい経験を通して、単に少し見方が変わった、というようなものでではありません。ちょっとした病気や、人間関係の行き違い、上司や先生からの叱責など、日常的なストレスで引き起こされるわけではありません。

PTGは、英語ではtransformative change、すなわち、人生観が根本から変わるような変化だと説明されています。比喩的な表現を用いるならば、新しい自分に生まれ変わるような変化です。

元に戻るという選択肢はなく、新しいものを積み上げていく以外他にどうしようもない中で経験されるような根本的な変化をさします。(p68)

PTGに至るきっかけは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に至るきっかけと同じです。

自分にとって衝撃的な出来事、たとえば戦争、災害、犯罪、重い病気、愛する人の死、いじめ、虐待、不登校など、心をズタズタに傷つけ、破壊されるようなできごとが始まりです。

そうした出来事は、自分がそれまで抱いてきた「中核的信念」「基本的価値観」をみじんに砕きます。

PTGとは、「新しい自分に生まれ変わるような変化」だとされていました。それは、つまり、まず衝撃的な出来事というハンマーで元の自分が粉々に打ち砕かれ、もはや修復さえもかなわず、新しく作りなおす以外に方法がなかった、ということを意味しています。

自分の一部だけ砕かれ、その部分だけ新しい石膏を固めて、取り急ぎ修復したような変化はPTGではありません。PTGとは「もう元には戻れない」という悲壮な逆境で、苦悩と涙のうちに新しい自分を彫り出すことなのです。

調査によると、辛い衝撃的な体験なしではPTGは生じないということがわかっています。普通の生活でPTSDが生じないのと同じです。平穏な日常を送っている人は、自分を作りなおすような変化は経験しません。(p117)

PTGのtransformative changeはイモムシがチョウになるのと似ています。イモムシはさなぎになると、一時的に無活動になりますが、その中では、今までの体がずべてドロドロに溶かされて、新しい体へと組み替えられているのです。

2.苦悩と向き合う

PTGを経験する人は、逆境のもとで、悲しい現実から目を背けず、苦悩と向き合います

苦悩に対処する方法は人それぞれであり、中には現実逃避することで、苦痛を和らげる人もいます。そうすることが必要な時期も、もちろんあるでしょう。

しかし東日本大震災のときの調査では、震災のことが現実でないように考えたり、そもそも考えないようにしたりしていた人は、PTGをあまり経験していませんでした。(p166)

すでに述べたように、現実逃避は、一見ポジティブに見えますが、PTGではありません。

問題からあえて目を背けることで、悲惨な事件は自分とは関係なかったのだ、と自分を説得し、過去に対し自分なりに幕を降ろしたとしたら、PTGからは遠ざかります。(p78)

3.中程度のPTSDを経験する

心的外傷後成長(PTG)と心的外傷後ストレス障害(PTSD)は一見すると、正反対の概念のように思えます。かたや心的外傷によって成長し、かたやフラッシュバックや過覚醒など重い後遺症に悩まされるからです。

しかしPTGとPTSDは正反対どころか、同じものの別の側面、表裏一体の関係をなしていることが少なくありません。

研究によると、ほとんどの場合、PTSDなしでPTGが生じることはありません。PTSDをほとんど経験しない人にPTGが起こることはまれです。しかし、逆に極度のPTSDを経験している人がPTGを経験することも少ないそうです。

PTGとPTSDの関係を表すグラフは、逆U字型になり、最もPTGを経験する人は、中程度のPTSDを経験している人だとされています。(p58)

つまり、PTSDが生じるような衝撃的な体験をしながらも、その症状をある程度抑え、コントロールできている状態の人がPTGを経験しやすいと考えられます。

4.侵入的思考から意図的思考へ

PTSDを抱えながら、それをコントロールしていく、というのは、「侵入的思考」「意図的思考」のバランスという観点から解釈できます。

トラウマ経験によってPTSDが生じ、絶えず衝撃的な体験が頭にフラッシュバックし、望んでもいないのにそのことを考え続けてしまう状態は「侵入的思考」(侵入的反芻)と呼ばれています。トラウマ記憶を自分でコントロールできない状態です。

しかし侵入的思考に向き合い、それを整理しようとするうち、やがてトラウマ経験を自分から進んで解釈するようになるかもしれません。これは自分でコントロールしていく「意図的思考」(建設的反芻)です。(p84)

考えるつもりがないのに考えてしまう苦痛に満ちた段階から、あえて考え、自分から向き合うことへと変化する、これがPTSD症状をコントロールし、PTGへ至る人の歩む過程だといえます。

こり「侵入的思考」と「意図的思考」はどちらも、統計によると女性に多いことがわかっています。そのため諸外国の統計では、PTGは女性のほうが経験しやすいというデータが出ているそうです。(p161)

とはいえ、日本の研究では、それとは違う可能性も示唆されていて、性差についてはまだよくわかっていません。

侵入的思考から意図的思考へと切り替え、トラウマに対して自分の意思で向き合っていくことは、トラウマの様々な治療法の重要な特徴でもあります。

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5.経験を共有する

PTSDの「侵入的思考」に悩まされている人が、「意図的思考」を培い、PTGへと成長していく過程には、他の人と経験を共有する過程が大きな意味を持っているといいます。

自分の話をだれかに語り、親身になって聞いてもらうことが、自分の心を整理し、客観的に考える助けになることがあります。

ここでポイントとなるのは、一方的に自分ばかりが話し続けるような場では、かえってPTGから遠ざかることもある、という点です。

他の人との関わりからPTGへ至った経験に最も多いのは、自分が辛い経験を吐露でき、相手もそれに応じて自分の経験を語ってくれた、という「話し手」「聞き手」の役割がなくなった場合だといいます。(p114)

自分のことばかり一方的に話し続け、相手の反応に耳を傾ける余裕もないやりとりだと、自分の苦しみに注意が向きすぎて、侵入的思考に一層とらわれてしまうかもしれません。

しかし経験を共有できる双方向のコミュニケーションのもとでは、自分もまた慰め手になることにより、別の観点から「意図的思考」を働かせることができるようになります。

そのようなわけで、昔から、難病の患者会や、悲惨な災害や戦争の当事者会、遺族会といった場は、時代を超えて大切にされてきたのでしょう。

PTGはハッピーエンドではない

このようにPTGという概念は、PTSDやトラウマと向き合い、それをコントロールしていく道のりだといえます。

PTGは、荒れ狂う突然の大嵐によって翻弄され、船の帆が折れるかのような絶望的な状況に追い込まれたとき、想像を絶する苦闘の中で船の舵をなんとか再び握り、少しずつ人生のコントロールを取り戻していくことにたとえられるでしょう。

PTGが、たいていの場合PTSDなしでは生じないことを思うと、最初に述べたような、「苦労は買ってでもせよ」のような、おいそれと人に勧められるようなものではないことがはっきりわかります。

こちらの記事では、ナチスの強制収容所を生き延びた人たちの平均寿命が長いことが、PTGの一例として紹介されていますが、人間的に成長したくて、自ら強制収容所に入りたいなどと思う人はいないでしょう。

世界最高齢はアウシュビッツからの生還者! トラウマは「ポジティブな精神」の源泉にも|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS はてなブックマーク - 世界最高齢はアウシュビッツからの生還者! トラウマは「ポジティブな精神」の源泉にも|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS

PTGは誰もが目指すべきゴールや華々しいハッピーエンドではありません。

PTGにもトラウマにも終わりはないはずです。

…成長の多様性、一本の右上がりの矢印では表現されえない成長を考えることで、PTGがハッピーエンドとは全く異なるものだということが、理解されるのではないかと思います。(p183)

PTGは、避けられない苦しみ、終わりなき苦痛、もはや二度と拭い去れない悲しみを心に抱え、のたうちまわり、傷だらけになりながらも、それでも未来を見つめ、一歩ずつ一歩ずつ自分の足で歩いていく人たちを意味する言葉なのです。

過去は決して変えられない。もはやあの頃の自分には戻れない。それでも、それら辛い経験すべてを自分の一部として受け入れ、ただひたすら進んでいく。

被災者、サバイバーとしての悲しみ、うずく傷、失った時間、それらすべてのものを背負いながら、今度は自分が、そうした悲劇を繰り返させないために社会を変え、渦中にある人たちを救う役割を引き受けよう。

あるいはその逆に、そうした記憶すべてを抱え、それらを自分の一部と認めつつも、被害者、患者としてのアイデンティティへのとらわれを捨てて、その先にある自分だけの人生を生きよう。

PTGの「成長」は人によってさまざまな形を取ります。

PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてによると、ある性的虐待サバイバーの女性は、長い苦闘の末、最後のカウンセリングのときにこう言いました。

もちろん、その(性的)虐待のことは決して忘れることができません。でも、そのことが私の人生を支配することがなくなったのです。(p124)

また、愛する人を亡くして、強い悲しみにとらわれてきたある女性は、2年にわたる苦しい時期の後にこう言ったと書かれています。

悲しいことは変わらない。でもそれでもいいじゃない。エレベーターじゃダメ、階段でないと。もどりたいときにはもどり、止まるときには止まれないとね。(p106)

PTGの形は人それぞれですし、何を成長とみなすかも、その人の価値観や信念によるでしょう。PTGに関する研究も理論も、今後さまざまに変化する可能性があります。

できるならば、PTGなど経験しないほうがいい、PTGとは無縁の、平和で安心できる日常生活を送るほうがいい。それはまさしく真実です。

しかしどうしようもない苦難は人生にはつきものであり、程度の差こそあれ、だれもが何かしらの逆境に直面します。だれもが人生の航路で嵐に直面します。

そのようなとき、逆境を乗り越え、傷つきながらも人間として深みを増し、PTGに至った人たちのストーリーは、渦巻く雲のはざまから明るい光を放つ一等星のように、闇夜にひときわ輝いて見えることでしょう。

今まさに荒れ狂う嵐の中にいる人に、自らの魂を燃やして進むべき航路を指し示し、希望を見せてくれる。

だからこそ、いつの日も、時代を超え、形を変えて、PTGを経験した人たちの物語は、絶えることなく語り継がれているのかもしれません。

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