少数派を「障害者」と見なすと気づけないユニークな世界―全色盲,アスペルガー,トゥレットの豊かな文化


ワシントンDCのガロデト大学(世界で唯一の聴覚障害の学生のための大学)を訪ねて、「聴覚障害」について話したとき、聾の学生のひとりから手話で、「ご自分が手話障害だと思ったらどうですか?」と言われた。

それはとてもおもしろい形勢逆転だった。というのも、何百人という学生がみんな手話で会話をしていて、私は通訳をとおしてしか何も理解できず、何も意思を伝えられない、言葉の不自由な人だったのだ。(p318)

れは、道程:オリヴァー・サックス自伝の中で、脳神経科医オリヴァー・サックスが語っているエピソードです。

わたしたちの社会では、健康な「健常者」と、何かが欠けて劣っている「障害者」という区別が大きな疑問もなく受け入れられています。しかしそれは本当に正しいのでしょうか。

H・G・ウェルズの架空の短編小説「盲人国」(タイム・マシン 他九篇 (岩波文庫)収録)では、ある旅人が、目の見えない人だけの村に迷い込みました。

旅人は最初、盲人たちを哀れんでいましたが、やがて、異質なのは自分のほうで、その村には豊かな文化が根づいていることを知りました。

わたしたちの社会で「障害者」とみなされている人たちも、ある面では「健常者」より優れた能力を持っていることが少なくありません。そしてそれを活かして独自の文化を創りあげています。

この記事では、幾つかの本を参考に、全色盲、自閉スペクトラム症、トゥレット症候群などの人を通して、彼らの豊かな文化について考えます。

そして、「健常者」と「障害者」という見方は、実のところ「多数派」と「少数派」の違いを反映しているにすぎないのではないか、という点を考えたいと思います。

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これはどんな本?

今回扱う本は、多岐にわたりますが、主に次の3冊を引用しています。

先天性全色盲のエピソードは、オリヴァー・サックスの 色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)によります。この本の前半は全色盲の人が大勢暮らす島への旅行記です。

自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群)については、金沢大学の研究者たちによる、自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)を参照しています。

トゥレット症候群については、やはりオリヴァー・サックスの音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々などを参考にしました。

全色盲の人にしかわからない色がある

あなたは、カラフルな景色を見るのが好きですか? 

多くの人は、この世界に様々な色があることが当たり前すぎて 、色のありがたみをあまり意識していないかもしれません。

しかし、想像してみてください。もしこの世界に色がなかったら、どう感じるでしょうか。目に見えるあらゆるものがモノクロ、グレースケール、灰色で、りんごもバナナも、おしゃれな服も、多種多様な花も、何もかもが白黒です。

そんな味気ない世界は耐えられない。そう思うかもしれません。

しかし、先天性全色盲という3万人に1人の障害を患って生まれてきた人は、一度も色を見たことがなく、まさにそのようなモノクロの世界に住んでいるのです。

なんて可哀想な人たちがいるのだろう、と感じますか。それこそが冒頭で考えた、「健常者」から見た「障害者」への視線です。

ところが、実際に当事者の声に耳を傾けてみると、印象が変わるかもしれません。

全色盲の島の豊かな文化

オリヴァー・サックスの旅行記、色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)では、先天性全色盲のため生まれつき色を見たことがないカリフォルニアの女性、フランシス・フッターマンがこう述べています。

「全色盲」という言葉は、私たちの視覚の欠点についてしか説明していません。

つまり私たちに備わっている能力や、私たちが見たり作りだしたりする世界については何も語っていないのです。(p268)

彼女は、「全色盲」という言葉では、生まれつき色の見えない人の「欠点」だけしか説明できていないと述べています。そして、むしろ自分たちには「備わっている能力」や、「見たり作りだしたりする世界」があると語っています。

「色の見えない人」に、どんな優れた能力や独自の世界があるのでしょうか。彼らは深刻な障害を持った不自由な人ではないのでしょうか。

サックスはこの本の中で、遺伝的な先天性全色盲の人たちが人口の1割近くを占める特殊な太平洋の島、ピンゲラップ島、ポーンペイ島を訪れます。

そこでは、先天性全色盲の人たちは「マスクン」と呼ばれ、障害者ではなく、独自の個性を持つ人たちとして、社会における立場を確立しています。

マスクンたちは、確かに色が見えず、色を手がかりにした情報がほとんどわかりません。また昼間の明るさが苦手で、視力が極端に弱いというハンディキャップも抱えています。

しかしその一方で、島の大半の人にはない特殊な能力を持っています。

通常の視覚の持ち主では見分けられなく全色盲の人だけが見分けられるもの、つまり色合いは同じでも明度が多少違うものもある。(p78)

先天性全色盲の人たちは、有彩色、つまり赤や青などの色みのあるカラフルな色を見ることはできません。

しかしその分、明るさのわずかな変化には明敏で、わたしたちが見分けがつかないような明度の変化がわかります。無彩色、つまり、さまざまな明るさのグレーは、だれよりも詳しく判別できるのです。

たとえば、ある先天性全色盲の女性が作った織物は、ノルウェーの古い物語を題材にした、とても繊細で美しいものですが、模様を見て楽しむことができるのは全色盲の人だけです。わずかな明度のコントラストによる色で織られているからです。(p76)

わずかな明度の差に敏感だという能力は、日が暮れたあとに、ひときわ威力を発揮します。闇夜で魚がはねたり、かすかに水面が揺らいだりするのを見分けられるので、マスクンの多くは夜釣りの漁師として活躍しているのだといいます。(p88)

それだけでなく、マスクンたちは観察力が秀でています。色を手がかりとして利用できないぶん、さまざまな感覚を用いて、ものを見定めることに慣れています。

さきほど登場した全色盲のフランシス・フッターマンはこう言います。

新しい物に出会うと、私はその触感、匂いなど、色彩以外のすべての属性を徹底的に感じとるようにします。

叩いたり軽くこつこつと打ってみて、その音を調べたりもします。

すべての物には独特の性質があり、それを感じるのです。様々な明るさや暗さの中で見ることもします。

…もし私が色を見ることができたら、印象はどう変わるでしょうか。物の持つ色に圧倒されて、その他の性質を認識できなくなるかもしれません。(p274)

全色盲の人たちは、色の手がかりが使えない代わりに、そのハンディキャップを補うためのさまざまな能力を発達させ、それを独自の文化、個性、芸術として活用しているのです。

「障害者」か「少数派」か

こうして当事者の文化について知ると、「色のない世界に住んでいるとは、なんて可哀想なんだ」と感じた人たちの印象も変わるかもしれません。

もし仮に、色の見えない全色盲の人が99%を占める街に、色の見える「健常者」である あなたが暮らすことになったら、どうなるでしょうか。

一人だけ、夜に自由に活動できず、繊細なグレーを多用した情報や芸術を理解できず、観察力に欠けた不注意な人として、孤立してしまうかもしれません。

そうなれば、「障害者」とみなされるのは、色が見えるという不可思議なことを言って、社会的役割を果たせない、あなたのほうかもしれません。

自閉スペクトラム症のアウトサイダーな多様性

障害者なのか、少数派なのか、という文脈で、頻繁に登場するのは、自閉スペクトラム症(ASD)の人たちです。

自閉スペクトラム症は、さまざまな程度の自閉症の人を含む名称で、その中には、高機能なアスペルガー症候群の人たちも含まれます。

自閉スペクトラム症の人たちは、かねてから、三つの障害を持っていると説明されていきました。

それは「社会性の障害」「コミュニケーションの障害」「想像力の障害」であり、いわゆる空気が読めない、心の目が不自由な人、と表現されることも少なくありませんでした。

しかし、近年、当事者研究などを通して、それは、本当に「障害」なのか、実際には「個性」ではないのか、という疑問が提起されるようになりました。

アスペルガー症候群の豊かな文化

自閉スペクトラム症に関する研究が明らかにしたのは、成功した著名人の中に、自閉症の性質を持っている人がかなりの程度含まれているということです。

たとえば、愚直なまでにひとつのことにこだわり、反復練習を続けることによって、特定の分野の職人、求道者として成功する人がいます。数学や哲学といった難解な学問を扱うのに長けていて、歴史に名を残す人もいます。

特に、火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)で紹介されたテンプル・グランディンは、動物学者として成功し、自閉症は欠陥ではなく異なる生き方また才能であることを世間に知らしめました。

自閉スペクトラム症の人の多くは、そこまでの能力に恵まれていないかもしれませんが、それでも、ユニークな感性や、人と違う視点を持っていて、研究職やデザイナー、自然や動物に関わる仕事において、優れた能力を発揮できる場合があります。

自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)では、MEG(脳磁図計)で、定型発達児と自閉症児の脳のネットワークを調べたところ、次のようなことがわかったそうです。

これは自閉症児が定型発達児よりも、脳の多様性が高いことを意味しているということです。

芸術だけでなく、脳の機能の観測値から見ても、彼ら(彼女ら)はアウトサイダー(集団の外部)に位置する存在です。

ふと想像してしまうのですが、アインシュタインやレオナルド・ダ・ビンチ、エジソンなどは、幼少期にMEGで測定したら、どのあたりに分布していたのだろうと……。(p134-135)

自閉スペクトラム症の人たちは、定型発達児に比べ、何かが劣っているというよりも、脳の多様性が強いためにアウトサイダーとなり、社会で苦労を味わいがちなのです。

生まれもっての多様性が、周囲にマイノリティ(社会的少数者)として否定的に扱われる環境であり、これこそが彼らを苦しめていると感じています。(p135)

こうした多様性を持つ自閉スペクトラム症の人たちが、社会で孤立してで苦しみつつも、いかにユニークな文化を創造するか、ということは、以下のような記事で扱いました。

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「障害者」か「少数派」か

それでは、自閉スペクトラム症は、「障害者」なのでしょうか、「少数者」なのでしょうか。

そもそも、近代まで、社会の中で、自閉症が問題になることはほとんどありませんでした。

たとえば、自閉症とサヴァンな人たち -自閉症にみられるさまざまな現象に関する考察‐には、江戸時代の文献を調査すると、アスペルガー症候群らしき人が幾人も見つかるという例が挙げられています。そして、当時の風潮についてこう分析されています。

江戸時代には、精神遅滞や自閉症の人は「障害者」として認知されていたのではなく、社会の一員として生活していたことが窺われる。

しかし彼らが、何らかの違和を醸し出していたであろうことは、予想できる。

ただ、江戸時代の人々は、その違和を奇として、珍しがり、驚き、愛でたのであった。(p13)
[※引用にあたり表外漢字は常用漢字に置き換えています]

江戸時代の人は、自閉症の人たちを「障害者」とはみなさず、変わった人として珍しがり、社会のユニークな一員として尊重していたようです。

同様に、21世紀に入った今日でも、一部の文化圏では、自閉症を「障害者」というより、もっと肯定的にとらえているところがあります。

再び自閉症という謎に迫る 研究最前線報告(小学館新書)から引用しましょう。

ラテン系の家族を対象とした2001年の調査では、対象の親の55%が、自閉症の子どもを授かることは神の思し召しであると答え、…そのうち68%が神からの祝福、11%が試練であると考え、罰であると答えたのはわずか3%であったことから、おおむね肯定的なメッセージと捉えていることがわかります。

また、ネイティブハワイアンの親は、発達の遅れのある子どもを社会の一員と同じように捉え、またそれをさす語彙も存在しないとしています。(p158)

こうした文化圏の考え方は問題を違った角度から見るようわたしたちを促します。

もしかすると、自閉スペクトラム症の人が今の世の中で苦労しているのは、何かが劣ったり欠けたりしているという本人の問題によるのではなく、多数派に合わせてデザインされた社会で生きているためではないのでしょうか。

熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている
当事者研究の熊谷晋一郎先生が、ASDは障害ではなく少数派であるという考察をしていました。

もし、自閉スペクトラム症の人が99%を占める社会で、つまり自閉スペクトラム症の人たちのためにデザインされた社会で、定型発達者のあなたが暮らすことになったら、どんな不自由に直面するでしょうか。

ささいなやりとりに気を使いすぎる厄介な人、その場に合わせて態度を変える裏表のある人、一つのことをコツコツと続ける根気のない人とみなされないでしょうか。

それはまさに、「定型発達症候群」という概念に要約されています。

アスペルガーから見たおかしな定型発達症候群
定型発達症候群(Neurotypical syndrome)は神経学的な障害である。「アスペルガー流人間関係 14人それぞれの経験と工夫」という本では、定型発達の人は、とても奇妙に

週末はトゥレット症候群の凄腕ドラマーに早替り

3つ目に取り上げるのは、トゥレット症候群です。

トゥレット症候群は、さまざまな激しいチック症状が特徴です。 衝動的な奇声や体の動きのため、トゥレットの人は子どものころから、いつも人目を引いてしまい、戸惑いや非難の視線を浴びることが少なくありません。

トゥレット症候群は、やはり多動性や衝動性を伴い、チック症状も現われるADHD(注意欠如多動症)としばしば併存することもあります。

トゥレット症候群の人は、こうした問題のために様々な苦労を味わいますが、一方で、その衝動性や多動性を、優れた能力として活かすことができる場合もあります。

トゥレット症候群の豊かな文化

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)に出てくるトゥレット症候群のレイは、ウィットに富むコミュニケーションを異常なスピードで返し、卓球やドラム演奏では、すばらしい才能を発揮します。

知の逆転 (NHK出版新書 395)には、彼についてこう書かれていました。

トゥレット症候群の患者は自己制御できない突然のチック症状、突然の叫びや不用意な動作などを起こすわけですが、同時に彼らは鮮やかな想像力と高い知覚能力を持っているのです。

…ウィティ―・ティキ・レイの場合、月曜日から金曜日まではビジネスのために薬を飲んでスローダウンするのですが、週末になると薬を止めて、素晴らしいジャズ奏者(ドラム)や卓球選手に早替りします。ある種の二重生活者ということになりますか。(p137)

レイは、社会の一員として働くためには、薬を飲んで、トゥレットの症状を抑えなければなりません。

しかし、週末には、逆に、薬を飲まないことが必要なのです。トゥレットの爆発的なエネルギーのおかげで、彼は優秀なドラマーや卓球選手に早変わりできるからです。

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々の中では、プロのジャズドラマーである、ディヴィッド・アルドリッジも、やはりトゥレット症候群が、いかに音楽に寄与しているかをこう述べています。

「私はトゥレット症候群のとてつもないエネルギーを利用し、高圧の消化ホースのようにコントロールすることを覚えた。

…演奏したいという衝動と、トゥレット症候群の果てしない緊張から解放されたいという欲望は、火に注ぐ燃料のように互いを高め合った」。

アルドリッジにとって、そしておそらく多くのトゥレット患者にとって、音楽は動きと、そしてあらゆる種類の感覚と、不可分の関係にある。(p316)

トゥレット症候群の人たちは、普段の生活では、あふれるエネルギーが、予測できない激しいチックとして現れて、偏見や誤解を味わいます。

しかし、音楽などの助けを借りて、そのエネルギーを収束できれば、人並み外れた才能として生かせる場合もあるのです。

「障害者」か「少数派」か

ではトゥレット症候群は「障害者」なのでしょうか、「少数派」なのでしょうか。

色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)の中でサックスは、トゥレット症候群の人が人口の大半を占めるラクレテ村に出かけたときのことをこう回想しています。

私は、トゥレット症候群を患う友人のローウェル・ハンドラーと一緒に、カナダのアルバータ州北部にあるメノナイト派の人々が暮らす田舎町に出かけたことがある。そこでは遺伝的なトゥレット症候群がごく普通に見られるのだ。

…いつものように、人々が振り返ってローウェルを見た。そして、皆がにっこり微笑んだ。彼らはローウェルの行動を理解し、チックを始めたりかん高い声を挙げて彼に返事する人さえいた。

トゥレット症候群の人々に囲まれて、いろいろな意味でローウェルは自分がようやく「家に帰った」気持ちになったという。(p272)

トゥレット症候群の人が多数派を占めるこの場所では、トゥレット症候群の人が激しいチック症のため、人目を気にして、肩身の狭い思いをする必要はありません。

むしろ、それが普通であり、微笑ましいことであり、共同体の一員であるしるしなのです。ビジネスのために、週に5日も無理やり薬で症状を抑えつける必要もありません。

もしトゥレット症候群でないあなたが、トゥレッツヴィル(トゥレットだらけの村の意)とも呼ばれるラクレテに住むことになったらどう感じるでしょうか。

もしかすると、一人だけ神経をすり減らし、めまぐるしい会話についていけず、卓球では負け続け、ストレスを溜め込み、二次障害を抱えてしまうかもしれません。

それぞれが独特のニーズと才能を持った人

これら3つの例、全色盲、自閉スペクトラム症、トゥレット症候群について考えると、わたしたちが「健常者」また「障害者」として考えているものは、おおかた、「多数派」と「少数派」の違いであることがわかります。

いわば、多民族国家において、大多数を占める中心民族を「健常者」とみなし、独自の文化とコミュニケーションを持つ少数民族を「障害者」としているようなものです。

もちろん注意しなければならないのは、これは、全色盲や自閉スペクトラム症、トゥレット症候群などの人に、医学的な問題が何もなく、彼らの状態が申し分なく健康であると言っているわけではありません。

その人たちは生活の中で、さまざまな苦労を抱え、重い症状に苦しんでいる場合も少なくありません。それらは「個性」で済まされる問題ではない、と言う当事者もいることでしょう。

実際にハンディキャップを抱えている人たちを、何事もないかのように一律に平等に扱うとしたら、それは現実から目を背けていることになります。

むしろここで言いたいのは、「健常者」とみなされている人も「障害者」とみなされている人も、それぞれが特有の才能や欠点を持っているということです。

LDを活かして生きよう―LD教授(パパ)のチャレンジには、そうした考え方が「インクルージョン」として紹介されています。

インクルージョンとは、障がいのある人々に対して、日常社会におけるすべての教育、雇用、消費、余暇、家庭活動における機会を保証するという理念です。

ノーマライゼーションをさらに進めた考え方で、障がいの有無、人種のちがいなどの区別をせずに、包含し、そのなかで、特別なニーズをもつ人には必要な対応を行うこととされています。

…線を引いて二種類の人間がいるかのように区別したり、一方の人を差別したりすることは不合理でおかしなことです。

一人ひとりの状態に応じた適切な対応が求められているのであって、能力や特性を無視して同じ対応をしなければならないということではありません。(p145)

わたしたち一人ひとりは、「健常者」と「障害者」に二分されるのではなく、取り巻く環境によっては、だれもがハンディキャップを抱えたり、才能を発揮したりする可能性があります。

耳の聞こえる人を中心にデザインされた社会では、ろう者の人たちは様々なサポートを必要とするかもしれません。しかしろう者が中心となってデザインした社会では、耳の聞こえる人のほうが、コミュニケーションのサポートを要するでしょう。

目の見えない人には、独特の感性や文化がある、という点は、身体研究者 伊藤亜紗さんによる、目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)でも詳しく語られています。

「目が見えないこと」にぼくらが学ぶこと:身体研究者・伊藤亜紗|WIRED.jp はてなブックマーク - 「目が見えないこと」にぼくらが学ぶこと:身体研究者・伊藤亜紗|WIRED.jp

誰でも最初は「障害者と健常者」の違いに注目がいくものですが、障害者と接しているうちに障害の有無にかかわらずみんながそれぞれ違うということがわかっ てきます。

「見る」には絶対的な力があると思われがちですが、見ることにも幅があり、みんながそれぞれ違うものを見ているということに気づけるんですね。

わたしたちは、それぞれが異なる独自のニーズを持つ人である、といえます。必要なのは、だれかれかまわず一律に扱う「平等」ではなく、一人ひとりを別個の人間として尊重する、本当の意味での「公平」です。

発達障がいの人が知っておきたい「多様性」とは何か「本当の公平」とは何か
学習障がいや発達障がいの人が、多様性や公平さについて考えることで、どのように見方が広がるか、という点をLD教授上野一彦先生の本をヒントに考えてみました。

そのように考えるなら、わたしたちは、社会的にハンディキャップを抱えている人を、欠点のある劣った人としてではなく、長所も持ち合わせた一人の人、独特のニーズと才能を持つ個性的な人とみなせるようになります。

それらの人の持つ独特の文化や豊かな世界を、対等の立場に立って楽しみ、互いに学び合い、敬意を込めて尊重しあうことができます。

この記事で取り上げた、先天性全色盲、自閉スペクトラム症、トゥレット症候群の人々はまさにそうした豊かな文化を教えてくれるものです。そのほかの様々なコミュニティの人たちの場合も、これと同じことが当てはまります。

わたしたちは誰一人同じ個性を持った人間がいない世界、多様性の入り混じった複雑で味わい深い世界のただ中に生きているのです。

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