どうすれば わかりやすい文章を書けるのか? 意味不明になる5つの原因とその解決策


かりやすく読みやすい文章を書く。

それは、もの書きにとって永遠の課題です。わたし自身、そのことでいつも悩んでいますし、まだまだ努力不足だと感じています。

特に、わたしたちは誰でも、扱う話題が専門的になるにつれ、意味がわからない文章を書いてしまいがちな傾向を持っています。

行動経済学者ダン・アリエリーの本、アリエリー教授の人生相談室──行動経済学で解決する100の不合理では、読者から寄せられたこんな質問が紹介されています。

親愛なるダンへ

この間ある有名な学者の講義を聞いたんですが、彼が専門分野のごく基本的な概念さえうまく伝えられないことに驚き、不思議に思いました。

あんなに高名な専門家が、あそこまで下手な説明しかできなくていいんですか?

それが学者の条件とでもいうんでしょうか?

レイチェルより

きっとだれでも、この女性と同じような経験をしたことがあるでしょう。

わたしはよく、心理学や精神医学関係のウェブサイトや本を読みますが、とても深い知識があることはわかるのに、正直いって意味が全然頭に入ってこない文章をしばしば見かけます。

そのたびに感じるのは、わたしが書いている文章も、読者にそのように思われているのだろうか、という危機感です。実際、読んだ人から、「わかりにくい」という感想を、じかに聞くことも時々あります。

わたしの場合もそうですが、できるかぎり わかりやすく書きたいと思っているものの、自分では わかりにくさに気づかない。それが、もの書きにとって最大の問題なのです。

この記事では、そうした自分への自戒の気持ちも込めて、わかりやすい文章を書くにはどうすればいいかを考えてみたいと思います。

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わかりにくい文章になってしまう5つの原因

まず知る必要があるのは、わかりにくい文章を書いてしまう「原因」です。

原因をはっきり知らなければ、対策することはできません。

そもそも世の中に、わかりにくい文章を書く人が多いのは、冒頭で書いたとおり、わかりにくい文章を書いていることに、「自分では気づかない」からです。

自分に問題があることにさえ気づいていないなら、どうして問題に対処できるでしょうか。自分が健康だと思っている人が医師のアドバイスを求めることがあるでしょうか。

それで、わかりやすい文章を書く方法について考える前に、どんな原因のせいで、気づかないうちに文章がわかりにくくなってしまうのか、という点を考えてみるのは賢明です。

ここでは、文章が知らず知らずのうちに わかりにくくなってしまう多種多様な原因のうち、5つをピックアップしてみましょう。

1.知識の呪縛―知っているからわからない

冒頭で引用したレイチェルという女性の質問は、「専門家のくせに説明が意味不明」なのはなぜか、というものでした。

この女性は、専門家の講義を聞いたときにそう思ったわけですが、同じことが専門家の書く文章にも言えるでしょう。

わたしたちは普通、よく知っている物事のほうが、うまく説明できるものです。だからこそ、自分がよく知らない分野については、よく知っている人に尋ねるのが手っ取り早いと判断します。

たとえば、福祉制度が複雑すぎてよくわからないときは、福祉担当の窓口に行きますし、法律については弁護士に相談します。あまりに難しいことは、知識がある専門家に説明してもらわないと理解しにくい、と思っているからです。

この女性もそのように思っていたはずです。だからこそ、専門家が「専門分野のごく基本的な概念さえうまく伝えられないことに驚き、不思議に」思ったのです。

しかし、このような例は、それほど珍しくありません。専門的すぎて、何を言っているかわからない専門家は大勢います。普通の人が、科学者の研究論文を読んで、わかりやすい、と思うことなどそうそうないでしょう。

実を言えば、専門的になればなるほど、わかりにくい文章は増える傾向があって、先ほどの女性の質問に答えたアリエリーは、これを「知識の呪縛」と呼んでいます。

私たちは何か(選んだ曲など)をよく知っていると、その知識をもたない状態を想定しにくくなるんだ。これを「知識の呪縛」という。(p49)

アリエリーはこんな例を挙げています。

数人の学生に好きな曲を選んでもらい、メロディは声に出さず、そのリズムだけを、机を叩いて伝えてほしいと言います。たとえばタータラタ、タータラタ、タータタタラタータタラ、という具合にです。

これで相手になんの曲か当ててもらいます。さて、さっきのタータラタ…は何のメロディでしょう?

きっと、何のメロディか、わかった人なんてまずいないでしょう。当然そんなことは無理です。

ところがリズムを叩いた学生たちのほうは、聞いた人の半数くらいは当ててくれる、と予想していたのです。

アリエリーが述べるとおり、自分が知っていることを説明するとき、それを知らない人の心の状態は思い浮かべにくくなるのです。

ちなみにさっきのメロディは、有名なぞうさんの歌のつもりでした。誰もわかりません。

この傾向は専門家になると特に顕著です。なまじ専門分野をよく知りすぎているからこそ、知らない人の感じ方を想像できません。

これはしばしば、スポーツの世界で、優れた能力で活躍したトップアスリートが、引退後に良い指導者になりにくいのと似ています。

あまりに熟達してしまうと、初心者の悩みや感じ方が想像できなくなってしまうのです。

2.方言―日常の言葉がそもそも違う

こうして「知識の呪縛」にからめとられた人は、別の問題にも直面します。

それは、専門用語を使いすぎることです。

科学者にせよ、哲学者にせよ、あるいは何かのマニアにしても、普通の人には理解できない専門用語、あるいは業界用語を並べ立てる人は大勢います。

なぜ、あえて難しい言葉、わかりにくい言葉をそんなに多用するのでしょうか。

ひとつには、最初の項目で考えたように、専門用語を知らない人の気持ちを想像しにくいという理由があるのでしょう。

さらに突き詰めれば、住んでいる世界が違うせいでもあります。

彼らが用いる専門用語は、一般人にとってはなじみのない言葉かもしれませんが、学者やマニアにとっては日常用語です。

ふだん同じような知識をもった人たちと付き合っていて、そうした言葉が日常的に飛び交うコミュニティに属しているせいで、専門用語が当たり前になってしまい、外の世界にいる人たちが、普段どんな言葉を使っているのかがわからないのです。

それはいわば、孤立した狭い集落で暮らしている人たちのようなものです。独特の方言が発達してしまい、外から来た人たちには理解しにくい言葉がたくさん生まれるでしょう。

まわりの世界から隔絶されてしまった特定の業界や、宗教グループ、マニアックなオタク世界、さらにはネット社会などの狭いコミュニティにどっぷり浸かれば浸かるほど、世の中の大多数の人たちが普段使わない専門用語を、当たり前のものとみなしてしまうようになります。

そうした狭い地域でのみ使われる言葉は、文字通りの方言のように、仲間意識を強め、団結を強めるには役立つことでしょう。しかし外部の人にとっては、外国語や暗号のようにしか聞こえません。

3.知性化―賢い人と見られたい

やたらと専門用語や業界用語を用いることは、単にそれを知らない人の気持ちを想像できないとか、仲間内でのやりとりが日常になっていることだけによるものではありません。

たとえ、専門用語が日常的になっている場合でも、初心者に説明する際には、わかりやすい言葉を用いて丁寧に説明してくれる専門家も大勢います。

そうした思いやりのある人は、あたかも孤立した村に外から観光にやってきた人をもてなして、地元のなじみのない習慣について優しく説明してくれる親切な村人のようなものです。

ところが、そうした村には、外からやってきた人を「よそ者」とみなして、頭ごなしに拒絶する村人もいるかもしれません。

この場合、問題となっているのは、外部の世界の人を見下して、自分たちのほうが上だ、と考える誇り高ぶった気持ちでしょう。

実のところ、専門用語や業界用語を並べ立てる人の中には、自分を相手より賢く見せたいがために、好んで難しい言葉を使う人も少なくないのです。相手が知らない難しい事柄を知っている、という優越感に浸れるからです。

最近知ったのですが、そのような傾向は、心理学では「知性化」と呼ばれているそうです。

防衛機制-知性化 はてなブックマーク - 防衛機制-知性化

「知性化」とは、自分の心を守る働き、つまり防衛機制のひとつだとされています。人から見下されたくない、むしろ賢くみられたい、という気持ちから、相手より上の立場にあることを示そうとして、相手が知らない言葉をあえて使うのです。

先ほどの孤立した村のたとえに当てはめると、外から来た人に おびやかされるという恐れのあまり、自分の身を守ろうとして高圧的な態度に出るのでしょう。一種の自己防衛なのです。

ところが、皮肉にも、心理学の研究によると、難しい言葉を多用すると、賢くみられるどころか、正反対の結果になってしまうことがわかっています。

行動経済学者ダニエル・カーネマンによるファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)には、こんな興味深い研究が載せられています。

自分を信頼できる知的な人物だと考えてもらいたいなら、簡単な言葉で間に合うときに難解な言葉を使ってはいけない。

学生の間には、教授に印象づけるには難解な語彙を使ったほうがいいという通説が流布しているが、プリンストンの同僚ダニエル・オッペンハイマーはこれに異議を唱え、「必要性とは無関係に衒学的な専門用語を使用することの影響すなわち無用に長い単語を使うことの弊害」と題する論文を書いた。

この論文でオッペンハイマーは、ありふれた考えをもったいぶった言葉で表現すると、知性が乏しく信憑性が低いとみなされることを示した。(p95)

お気づきのとおり、ここで紹介されている長ったらしく意味不明な論文のタイトルは、皮肉の意味をこめたものです。

必要もないのに難しい言葉を多用するなら、結局、知性が乏しく信ぴょう性もない、つまりハッタリだとみなされやすいのです。

ある意味で、「弱い犬ほどよく吠える」ということわざがこの場合にも当てはまります。自分を守ろうとして難しい言葉を振りかざす人は、心にひそむ劣等感のせいで高圧的になっていることを、鋭い相手には見透かされてしまいます。

「知性化」に頼る人は、知性的だとみなされたいと思って難解な言葉を使うわけですが、本当に知性的だとみなされるのは、難しい内容を、だれでもわかる簡単な言葉で説明できる人のほうなのです。

4.認知容易性―ただ単に読みにくい

「知性化」に頼って、難解な言葉を多用する人が、かえって頭が悪いとみなされやすい理由は他にもあります。

簡単にいえば、そうした人の書いた文章を読んでいると頭が痛くなってきて、ばかばかしくなるからです。当然、ばかにされるのは、その文章を書いた人です。

心理学では、このような特徴が「認知容易性」と呼ばれています。もったいぶった言葉ですが、単に認知しやすいかどうか、つまり「わかりやすさ」のことを難しく表現した専門用語です。

認知容易性は、感情とも直結していて、わたしたちは認知しやすいもの、つまりわかりやすいものに良い印象を持ちやすく、認知しにくいもの、つまりわかりにくいものには悪い印象を持ちやすいことがわかっています。

認知しにくいと、内容に関わらず、バカバカしく感じたり、嫌になったり、嫌いになったりします。

ダニエル・カーネマンは、「認知容易性」についてこう書いています。

機嫌のいいときに話を聞いたり、鉛筆を横向きにくわえて「笑顔」をつくって聞いたりするだけでも、認知は容易になる。

逆に、見にくい活字やかすれた印刷の説明書あるいは難解な用語を使った文章を読んだり、機嫌が悪いとき、しかめ面をつくったときに読んだりすれば、認知負担を感じる。(p89-90)

あなたの文章を読む人は、努力を要するものはできるだけ避けたいと考えているのだ―引用されたややこしい名前も含めて。(p96)

ここに書かれているとおり、わたしたちは、だれでも、楽なほうを好みます。わかりにくくて面倒くさいものが好きな人などいません。

シンプルでわかりやすいものは好印象をもたれやすく、複雑でわかりにくいものは悪感情を抱かれやすいものです。

わかりにくいものとは、言い換えれば、認知に負担がかかるもの、つまり脳を酷使して疲れさせ、眠くさせ、飽きさせるものすべてです。

最新の疲労の研究について書かれたすべての疲労は脳が原因 (集英社新書 829I)によると、この「飽きる・疲れる・眠くなる」は脳の疲れの三大サインだそうです。(p30)

脳の疲れの正体は、脳の神経が錆びついて損傷していく状態のことなので、「飽きる・疲れる・眠くなる」は、いわば体にダメージが迫っていることを示す危険信号です。

すると、生き物としては当たり前のことですが、体に危機をもたらすものを嫌い、避けようとします。だからこそ、わかりにくい文章は、否定的な感情を抱かれやすいといえます。

こうした認知的にわかりにくい文章には、二つの要素が関係しています。一つは内容のわかりにくさ、もう一つは見た目のわかりにくさです。

一つ目の内容のわかりにくさとは、ここまで考えたような専門用語を多用した難しい文章はもちろん、説明的でイメージしにくい抽象的な文章も当てはまります。

ダニエル・カーネマンが述べていたとおり、出典元の名前が難しい場合でさえ、読む人は面倒くさくなって認知の負担を感じてしまうのです。

やたらと長ったらしく、まとまりに欠けた文章もそうです。長すぎて読む前に面倒くさくなります。

わたしは、どんどん文章が長くなる傾向があるので、この点を考えるとため息が出るばかりです。

できればシンプルにまとめたいのですが、科学者ブレーズ・パスカルが書いたとされる次の言い訳を引用させてください。

この手紙がいつもより長くなってしま ったのはもっと短く書き直す余裕がなかったからにほかなりません。

本当のことを言えば、わたしが長い文章を書くのには別の理由があるのですが、それはひとまず置いておいて。

他方、二つ目の見た目のわかりにくさとは何でしょうか。

たとえば、行間が空いていない、ぎっしりつまった文字や、見慣れない漢字をわざわざ用いた文章は、見た目そのもので嫌気が差します。

さらに、紙面と文字の明るさのコントラストがやたらと強くギラギラしていたり、あるいはその逆で、読み取りが難しいほどコントラストに乏しい紙面なども、どんなに文章がわかりやすくても、見た目のせいで読みにくく感じてしまうでしょう。

「わかりにくい」には、単に意味がわかりにくいことだけでなく、そもそも視覚的に「見にくい」ことも含まれているのです。

「見にくい」は「醜い」につながり、不快感を引き起こすからです。

5.支離滅裂―読むまでもない

最後に、わざわざ原因として挙げるまでもないようなことですが、専門用語を使いすぎているとか、認知容易性が低いといったこと以前に、根本的な問題として、文章そのものが支離滅裂だったら、どうしようもありません。

カーネマンもこう書いています。

以上は文章を書くうえでのよいアドバイスと信じているが、ここで浮かれてはいけない。

高級紙に明るい色で印刷し、韻を踏んだり簡単な言葉を選んだりしても、あなたの文章がまったく支離滅裂だったり、誰もが知っている事実に反していたりしたら、どうにもならない。(p96)

文章の基本的な文法そのものが支離滅裂だったり、そこで書かれている内容があまりに妄想的だったりしたら、いくら簡単な言葉や、見やすい文体で書かれていたとしても、どうにもなりません。

そして、最悪なのは、専門用語を多用し、知性をひけらかそうという思いが透けて見え、文字がぎっしりつまって見にくく、なおかつ文法がおかしく主張も意味不明な文章です。

それこそ、わたしが冒頭で述べたような、意味がまったく頭に入ってこない文章の最たるものです。

個人的な実感として、そのような文章は、特に哲学やスピリチュアルの分野で見られやすいように思います。

哲学的な文章は、だれにでも理解しやすい形に噛み砕いてはじめて、妄想ではなく、啓発になると思います。読んだ人がほとんど理解できないなら、それは壁や空気に向かって話しているようなものだからです。

こままで、文章が知らず知らずのうちに難しくなってしまう5つの理由を考えました。

1.知識の呪縛―知っているからこそわからない

2.方言―日常の言葉がそもそも違う

3.知性化―賢い人と見られたい

4.認知容易性―ただ単に読みにくい

5.支離滅裂―読むまでもない

では、これらの問題を克服して、読みやすい文章を書くにはどうすればいいのでしょうか。

わかりやすい文章を書く5つの秘訣

ここまでの、長くて少々認知に負担がかかる文章についてきてくださった方であれば、読みやすい文章を書くにはどうすればいいか、だいたいの見当はついていると思います。

読みやすい文章を書く秘訣とは、ここまで挙げた、 文章が読みにくくなる原因を裏返したものです。

こちらも5つのポイントに分けて、それぞれに役立つ方法を考えてみたいと思います。

1.読み手の気持ちを考える

わかりにくい文章を書いてしまう原因の一つは、自分が知っていることは相手も知っていると思い込んでしまうことでした。

ですから、まず最初は、「知識の呪縛」を解く、つまり、自分がすでに知っていることを、まだ知らない人の気持ちを考えながら書くことが大切です。

■初心者の読み手を想定して書く
読み手の気持ちを考える方法の一つは、過去の自分を思い出すことです。

元をたどれば、あなたも昔は知識がなかったはずです。今は詳しい物事でも、かつては、まったくの初心者でした。

そのころの記憶はすっかり薄れているかもしれませんが、記憶の糸をたぐり寄せ、これから書こうとしていることをまったく知らない過去の状態に身を置いてみてください。

今用いたその単語は、数年前のあなたが知っていたものですか。あなたが理解するのに数年かかった過程を省略して書いていませんか。

あらゆることに逐一詳しい説明をつけてしまうと、それはそれで回りくどくなってしまいます。難しい言葉を辞典のように定義して説明する必要はありませんし、自分が理解に至った過程をすべてそのままたどる必要はありません。

そうではなく、今のあなただからできる、わかりやすい言い換えやシンプルな説明があるはずです。

知らないところに行くとき、最初はものすごく道に迷って時間がかかるかもしれません、でも、慣れてくると、ショートカットのルートや、わかりやすい目印に気づくものでしょう。

では、そこへ行ったことのないだれかに道を説明するとき、あなたは目的地だけを伝えますか。それとも迷った道のりを全部を伝えますか。

いいえ、今の自分だからこそわかる、わかりやすい目印やシンプルなルートを、簡潔な説明で教えてあげるでしょう。

たとえば、わたしはよく「脳の可塑性」という言葉を使います。しかしこれは多くの人にとって耳慣れない言葉ですし、そもそも読み方すらわからない人もいるでしょう。

それで、わたしは「可塑性」について扱うたびに、可塑(かそ)とは粘土のように柔らかいことを表す言葉で、脳には大人になっても柔軟性がある、という意味だと説明を付け加えます。

長々と定義を説明する必要はなく、たった一文、二文シンプルな説明を加えるだけで、ぐっとわかりやすくなります。

初心者の気持ちを想定して書くとはそういうことです。

■時間を置いて読み返す
初心者の気持ちになって考えるには、いったん視点を変える必要があります。

しかし、書いた直後は、気持ちが入り込んでしまい、自分の書いた文章を別の角度から見ることができず、わかりにくいところがあっても、違和感を感じにくいかもしれません。

それは、心理学でいうところの慣れ、つまり「順応」という現象が起こっているからです。

順応を解除するには、ひと休みしてから読み返すか、できれば数日くらい寝かせて読み返してみるのがよいでしょう。時間を置いてクールダウンすることで、わかりにくい部分に気づきやすくなります。

興味深いことに「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86という本によると、モネのような印象派の画家たちは、一心不乱に描き続けるのではなく、ときどき休憩してクールダウンするようにしていたそうです。

彼らは5分間休憩の間、彼らが黒い鏡と呼んだ黒曜石製の鏡を見つめる習慣を身に着けた。

…黒曜石を見つめて休んだ後は、やる気を取り戻し、新鮮な気分で制作に励んだ。目は休憩前より冴え、指の感触はより繊細に感じられた。(p165)

印象派の絵は、光り輝く明るい表現が特徴でしたから、ときどき黒い鏡を見つめることで目と神経を休ませる必要がありました。

そうすることで、没頭しすぎていた気持ちが切り替わり、新鮮な視点で自分の作品を評価できるようになりました。

文章の場合も、書くのに没頭しすぎたら、ときどきクールダウンの時間をとって思いを切り替え、新鮮な視点を取り戻す必要があります。

■読んでくれた人の反応を観察する
初心者の気持ちを想定して書くのは大切なことですが、問題となるのは、初心者の気持ちがわからなくなってしまうことです。だからこそ、わかりやすく書いているつもりがわかりにくい、という落とし穴が生じます。

そんなとき、自分の文章を読む相手がどう感じるかを知るにはどうすればいいのでしょうか。

だれか他の人に文章を読んでもらって感想を聞けばよい、と思う人がいるかもしれませんが、それには落とし穴もあります。

いつも家族や友人など、身近にいる人に意見を聞いていると、その人たちもあなたの文章や、あなたが書く分野の知識に次第に慣れてくるでしょう。すると、結局、知らない人の気持ちがわからなくなってしまうのです。

それで、他の人の意見を聞くとしたら、あなたが書く分野の知識に疎い人たちの反応に注目しましょう。その人たちが、あなたの文章を読むときの様子をよく観察します。

じつは、これと同じことを、ゲーム会社の任天堂のトップクリエイター、マリオの生みの親である宮本茂さんが行なっている、ということを知りました。

こちらの記事の中で、任天堂の故 岩田社長は、それを「肩越しの視線」と表現しています。

HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com

岩田 その時代から、宮本さんは
なんにも知らない人をつかまえてきて、
ポンとコントローラー渡すんですよ。
で、「さあ、やってみ」って言ってね、
なんにも言わないで後ろから見てるんですよ。
わたしは、それを
「宮本さんの肩越しの視線」と呼んでたんですけど。

普段からゲームをやっている人ではなく、ゲームをやらない人に試作品を遊んでもらって、その反応を肩越しに見て、初心者はこんなところに引っかかってしまうのか、ということを観察するそうです。

そうやって、自分がすでに知っていることをまだ知らない人たちの反応を観察しているからこそ、マリオシリーズは、世界中で子どもから大人まで楽しるゲームとして知られているのでしょう。

文章を書く人も、読んでくれる人の反応を肩越しに観察したり、SNSでの反応にときどき目を通してみたりすれば、自分では見逃していた盲点に気づけるかもしれません。

2.狭い世界に入り浸らない

文章がわかりにくくなってしまう別の原因は、狭いコミュニティに入り浸ってしまうことでした。

限られた交友関係の中だけで活動していると、自分と同じ興味、同じ知識を持つ人たちとだけ親しくなってしまうので、ちょうど孤立した集落に住む人たちのように、世間と認識がずれてしまいます。

世の中では馴染みのない言葉を、自分たちだけの日常用語として当たり前のごとく使うようになり、それを知らない外部の人に対しても、当前のように多用してしまうでしょう。

たとえば医学の検査の「感度」「特異度」といった言葉は、医学関係者のコミュニティでは日常用語かもしれません。しかし一般の人には意味がわかりません。

「感度」とは病気でない人を除外できる確率で、「特異度」とは病気の人を正しく診断できる確率ですが、そう説明されてもなお、わかりにくく感じるかもしれません。専門用語とはそれほどまで敷居が高いのです。

これはもちろん、どこかの集団に属すべきではない、という意味ではありません。そうではなく、たとえ狭いコミュニティに所属するとしても、外とのつながりを持って、間口を開いておくべきである、ということです。

集落のたとえ話に出てきた、外から来た人を親切にもてなして、なじみのないことを説明してあげた村人を思い出してください。

自分と違う背景、年齢、人種を持つ人たちに対して、普段から偏見なく接して、多様な価値観に触れておくなら、さまざまな人の考え方を想像しやすくなるでしょう。

試しにあなたのかかりつけのお医者さんに、「感度」「特異度」とは何か尋ねてみるのはどうでしょうか。もし、本当にわかりやすく噛み砕いて説明してくれるとしたら、そのお医者さんは、さまざまな立場の人に対して、心の窓を普段から開放している人です。

意識的に心の窓を開けて空気を入れ替えなければ、新鮮な考えは入ってこないのです。

3.簡単な言葉で説明する

専門用語や業界用語を使ってしまうほかの理由は、自分を賢く見せたいという「知性化」にありました。

しかし、ここまで説明したとおり、難しい言葉を用いるなら、思惑とは裏腹に、かえって頭の悪い人とみなされがちです。

難しい言葉を羅列するなら、冒頭で引用したエピソードのレイチェルが感じたように、「専門分野のごく基本的な概念さえうまく伝えられない」という印象を相手に伝えてしまうからです。

では、専門用語は使わないほうがよいのでしょうか。

そうではありません。専門用語は、必要があって創りだされたものであり、新しい言葉を作らないと表現しにくい物事を伝えるために考案されたものです。

専門用語はあたかも未踏の地を進むために設けられた道しるべのようなものです。熟練した登山家が、険しい山道において、進むルートを見分けるために立てる旗のような役割を果たしています。

もし専門的な用語をすべて用いないとすれば、はっきりと目立つポイントがなくなってしまうので、あたかも霧がかかった山道のような、掴みどころのない文章になってしまうでしょう。

それに、専門用語を多用すると頭が悪く見られるとはいえ、逆に専門用語をまったく使わないとすれば、あなたが何かについて詳しく知っているということが伝わらず、自分の持論で話しているかのような印象を与えるかもしれません。

専門用語は、専門家が考えだしたものですから、しっかりした権威に根ざしており、研究に基づいているということを証拠づけるものとなります。チェックポイントの道しるべを知っていることは、あなたが実際に険しい山道を登ってきた証拠になります。

それで、一番大切なことは、専門用語を使わないことではなく、専門用語ばかり並べ立てて羅列しないことです。

適度な数の専門用語を用いて、ポイントををしぼり、ひとつひとつを丁寧に説明するなら権威が感じられると同時にわかりやすい、メリハリの利いた文章になるでしょう。

そうすれば、先ほどのレイチェルの感想とは反対に、「専門的で、なおかつその内容を一般の人にもわかりやすく説明できる」人とみなされるはずです。

この記事でも、「知性化」や「認知容易性」などの、いくつか専門用語を用いましたが、たくさん用いすぎることなく数をしぼり、じっくり説明してきました。

4.内容を具体的にする

わかりにくい文章になってしまう他の原因は、「認知容易性」が低い、つまり、文字どおりわかりにくいことでした。

わかりにくさには内容のわかりにくさと、見た目のわかりにくさ(見にくさ)がありました。

そのうちまず、内容のわかりにくさを改善するにはどうすればいいのでしょうか。

たとえば、以下のような提案が役立つでしょう。

■具体的な例を用いる
この記事では、幾つかの本から具体例を挙げています。

冒頭ではダン・アリエリーの本から、専門家の講演がわかりにくいと感じた人の例を引き合いに出ました。先ほどはゲームクリエイターの宮本茂さんのテクニックも紹介しました。

単につかみどころのない抽象的な説明をするのではなく、現実の具体例をいろいろと引っ張ってくるなら、内容が一気にわかりやすくなります。

本当はわたしが嫌気がさした、わかりにくい文章の具体例も直接引用したかったのですが、さすがにそれは著者からクレームをつけられそうなのでやめておきます。

■たとえ話を使う
この記事では、孤立した集落の人の話や、道しるべの話など、いくつかの身近なたとえ話を織り交ぜています。こうしたたとえ話もまた、説明を生き生きとしたイメージに置き換え、わかりやすくするのに役立ちます。

ただし、たとえ話はあくまでメインディッシュに対する副菜、カレーの福神漬のようなものなので、たとえ話そのものに説明が必要だったり、内容が身近なものでなかったりすると、むしろ話をややこしくしてしまう危険があります。

たとえば、ウェルウィッチア・ミラビリスという植物は、逆境にある人や少数派の人の苦労やしたたかさを説明するのに役立ちそうな性質を持っています。

しかしこれをたとえ話にしてしまうと、まずウェルウィッチア・ミラビリスというわかりにくい名前の植物とは何か、というところから説明しなければならないので、論点がぼやけてしまいます。

また、たとえ話というのは、文字でイメージをふくらませる手段ですが、もしも写真や図、挿絵などのイメージそのものを使えるなら、それらを文章に添えることで一気にわかりやすくなります。

ただし、イメージ画像は、著作権がありますから、フリーの写真素材や、自分で撮った写真などを用いる必要があります。くれぐれもネットで拾った画像を使ってはいけません。

■会話的な表現を使う
わたしたちが読みにくく感じる文章の代表例として、学者の書いた論文を抜きにして語ることはできません。論文が読みにくいのはなぜでしょうか。

専門用語が多いことはもちろんその原因のひとつですが、それだけではありません。

きっと論文と聞いて思い浮かべるのは、感情がこもらない、冷たく淡々とした文章でしょう。説明的で感情に乏しい文章は、読み手にとって自然でなく、違和感を感じやすいものです。

わたしたちは普段だれかと会話するとき、一方的に知っていることをまくしたてたりはしません。もしだれかがつらつらと自分のことばかり話し続けるなら、嫌気がさして、もうその人とは会いたくなくなるでしょう。

会話とは自分の意見を伝えつつも、相手の気持ちにも耳を傾けるキャッチボールです。それは文章でも同じです。

文章では、相手の意見を直接聞くことはできませんが、「~でしょうか?」「~と思いますか?」といった疑問文を投げかけるなら、読み手はボールを受け取って、自分の気持ちを投げ返す機会を持つことができます。

また、「わたし」や「あなた」といった言葉を使うことで、普段の会話のようなコミュニケーションが生まれます。

この記事でも、たびたび質問形式の文章や、読者への呼びかけが挟まれていたことに、きっとあなたもお気づきでしょう。

5.見やすくする

「認知容易性」、つまり、文章のわかりすさのもう一つの側面は、視覚的な見やすさでした。

どんなに良い内容が書いてあっても、見やすくない本は本棚にそっともどされ、読みにくいウェブページは「戻る」をクリックされてしまいます。

見やすさを改善するには、たとえば、以下のような点を試してみるとよいかもしれません。

■文字と背景の色のコントラストを適度に整える
見やすい文章に、まず大切なのは、文字や背景の「色」です。

多くの人は、「文字の色は黒、背景の色は白」だと当たり前のように思っているかもしれませんが、実際にはそうではありません。

わたしたちが普段読んでいる紙の書籍では、文字は完全な黒ほど濃くはありませんし、紙の色も真っ白ではありません。

もし、文字が完全な黒、紙面が完全な白だと、コントラストがきつくてギラギラして読みにくく、読んでいるうちに目が疲れてしまうでしょう。

あまりに真っ白な高級紙に文章を書くとかえって読みにくくなりますし、ブログなどのウェブ上の文章の場合も、背景色と文字色を適度に調節するのが最善です。

このブログの文字は、実は黒ではなく濃い目のグレーで、背景の色はわずかにクリーム色がかかった白です。

■文字色を多くしすぎない
読みにくい文章にしばしば見られるのが、強調するために、さまざまな文字色を用いているという点です。

色分けすると一見わかりやすいように思えますが、色の種類が多すぎるとかえって混乱を招きます。色の統一感がないと安っぽい印象を与えるかもしれません。

強調のために文字色を変える場合でも、用いる色は多くとも2色くらいがいいでしょう。

あるいは、文字色によって強調する変わりに、太字を用いて強調する方法もあります。

■文字の圧迫感を軽減する
この段落のように、文字がぎっしりつまっていて、改行されていないと、ぱっと見ただけで文字に圧倒され、こんな文字だらけのものは読みたくない、という不快感を生じさせてしまいます。紙媒体の文章の場合は、改行や見出しを適度にはさんで区切ることで、読みやすくなりますし、デジタルデバイス上で読む文章の場合は、行間も数行ごとに開けると、文字だらけ、という圧迫感が軽減されるでしょう。

ひとつの文を長くしすぎず、適度なところで区切るのも大切です。

「~ですが、~です」といった文章は、長くなりすぎるようなら、「~です。しかし~です」といった二つの文にわけたほうが読みやすくなります。

また、読者になじみのない漢字は、できるかぎり使用せず、可能な場合はひらがなを用いることによって、難解で難しい、という印象を減らせます。

たとえば「顰蹙を買う」などの言葉は、つい漢字で書きたくなりますが、「ひんしゅくを買う」でも十分わかります。

「躊躇する」のような「ちゅうちょする」とひらがなで書くと少し間抜けに見えてしまうような単語は、「ためらう」といったもっと簡単な表現に置き換えるといいでしょう。

■要点を見やすくまとめる
文章の見やすさというのは、要点を見つけやすい、ということでもあります。

たとえば、要点ごとに見出しをつくり、「5つのポイント」「7つの違い」といった仕方で整理するなら、何が要点なのか把握しやすくなります。

また、一つの見出しの終わりや、文章全体の結びで、改めて要点を簡潔に振り返ってみるのも、ポイントを目立たせる大切なテクニックです。

■記事は短くまとめるべき?
最後に、ひとつ言い訳を。ここまで何度か、「記事が長すぎる」ということを、わたしの至らない点として挙げてきました。

しかし、それはある程度、目的に左右されるものだと思うのです。

短くまとめられた記事と、長く情報豊かな記事とは、対象とする読者層が異なります。

短くまとめられた記事は、お手軽なファストフードのようなもので、大勢の人に受けがよい反面、インターネット上の街路という街路にあふれかえっていて、飽和状態になっています。

短いシンプルな記事は、転載されたり、盗用されたりしやすい、という問題もあります。わたしは、以前はもっと短い記事を書いていましたが、簡単に盗用されて埋もれてしまう危険があることに気づき、スタイルを変えました。

長く情報豊かな記事だと、盗用しようにも全体を読み込んでシンプルにまとめる腕が必要です。たとえそうされてしまったとしても、それぞれ読者層が違うので食い合わないでしょう。

ファストフードにはファストフードの客がいて、老舗料理店にも老舗料理店の客がいるのです。

確かに、日常生活の中で書く文章、たとえば手紙やメール、報告書、スピーチなどは短くまとめるべきだと思います。しかし、ネット上では、ひとつのアクセス対策として、長く詳しく書くことで差別化を図らざるを得ない場合があります。

もちろん、記事を長くするなら、当然、長ければ長いほど情報豊かな内容が伴ってしかるべきですし、「わかりやすさ」「見やすさ」にも、ことさら注意を払う必要があると思っています。

自分で言うのはおこがましい気もしますが、そのあたりが老舗料理店としての腕の見せどころといえるのではないでしょうか。

認知神経科学者マイケル・S・ガザニガが右脳と左脳を見つけた男 - 認知神経科学の父、脳と人生を語る -がこう述べているとおりです。

私たちはみな、こうした情報のダイエットに弱い。携帯メールや携帯電話で得られる即席の満足感に屈してしまったように、誰もが情報の簡略化に依存するようになった。

それでも、うわべだけの知識人と真の教養人を区別するものは、あらゆるものは単純ではないとわかっているかどうかである。

その秘訣は、どのような話題であっても、その根本にある複雑さを十分に認識しながらも明瞭に語ることができるかどうかにあるようだ。(p405)

わかりやすい文章を書くには努力が必要

ここまで考えてきた、わかりやすい文章を書く方法をまとめてみましょう。

1.「知識の呪縛」を解くには…
■初心者の読み手を想定して書く
■時間を置いて読み返す
■読んでくれた人の反応を観察する

2.狭い世界に入り浸らないためには…
■普段から多様な価値観の人と接する

3.「知性化」に陥らないためには…
■用いる専門用語をしぼり、簡単な言葉で説明する

4.内容をわかりやすくするには…
■具体例な例を使う
■たとえ話を使う
■会話的な表現を使う

5.見た目をわかりやすくするには…
■文字と背景のコントラストを適度にする
■文字色を多くし過ぎない
■文字の圧迫感を軽減する
■要点を見やすくまとめる

こうしたテクニックを活用すれば、たとえ専門的な内容を扱う場合でも、文章のわかりやすさは改善されるでしょう。

もちろん、わかりやすい文章を書く力は、そう簡単に身につくものではありません。冒頭で述べたとおり、それは、もの書きにとって永遠の課題です。

この記事を書いているわたし自身、率直にいって、努力が至らない点は数えきれません。過去の文章を読むにつけ、何か手直ししたくなるところが必ず見つかるものです。

もしかすると、あなたも、この記事を読みながら、読みにくさやわかりにくさ、そしてなんといっても冗長さを感じたかもしれません。それは書き手であるわたしが、わかりやすい文章を書く力を十分に身に着けていないからにほかなりません。

それでも、わたしは書くことを愛しています。

だからこそ、たとえ、わかりやすく書くことの難しさに頭を悩ませ、ときに自分の至らなさを痛感するとしても、文章を書き続けます。

わたしは、生涯書くことを愛しつづけた作家オリヴァー・サックスが、道程:オリヴァー・サックス自伝の中でつづっている次の言葉を読むとき、心地よい親しみを覚えます。

書くという行為は―筆が進んでいるときにはだが―ほかで得られない満足と喜びを与えてくれる。テーマにかかわらず、書いていると別世界に引き込まれる。

文字通り無我夢中になり、気が散る考え、心配、関心事、さらには時間の経過さえも忘れる。

そんなめったにないすばらしい心理状態にあるとき、私は紙が見えなくなるまで、とめどなく書くこともある。紙が見えなくなってようやく、もう暗くなっていて、自分が一日中書いていたのだと気づく。

私は生涯にわたって無数の言葉を紡いできたが、書くという行為は、70年近く前に始めたときと同じくらい新鮮で、そして楽しい。(p463)

書くことは、いつだって、新鮮で楽しいことです。わかりやすく書くのが難しくとも、専門的になればなるほど、落とし穴にはまる危険が増えるとしても。

険しい山道を登り、崖から落ちそうになってもしがみつき、ついに頂上にたどりついたときのあの達成感、一点の曇りもない視界が開け、はるか遠くまで見晴らせるときの、あのえも言われぬ喜びは、他の何物にも変えがたいすばらしいものです。

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創造性・クリエイティビティ