PTSDと解離の10の違い―実は脳科学的には正反対のトラウマ反応だった

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21世紀に入って大規模なテロ行為や、自然災害が増えるにつれ、ニュースなどでよく見聞きするようになった言葉のひとつに、PTSD、すなわち心的外傷後ストレス障害という病名があります。

PTSDは、突然恐ろしい出来事や犯罪行為に巻き込まれた後、神経が高ぶって敏感になり、繰り返すトラウマ記憶のフラッシュバックに悩まされる脳の機能障害です。

一方で、近年、PTSDほどではないものの、比較的よく知られるようになった病気として、解離性障害というものがあります。解離性障害は、現実感がなくなったり、記憶が失われたり、ときには別の人格が現れたりする病気です。

解離性障害は、PTSDをもたらす災害などのトラウマとは別に、子ども虐待に伴いやすいものとして、知られるようになりました。しかし近年では、一見それほどトラウマ経験がないような環境で育った人にも発症することもわかってきました。

PTSDと解離性障害は、どちらも、トラウマの後遺症として生じやすい病気ですが、なぜ、ある人はPTSDとしてフラッシュバックに苦しめられ、別の人は解離性障害として現実感の薄れる感覚に苦しめられるのでしょうか

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合には、そのヒントとなる次のような説明があります。

ところで解離において右脳で起きていることを知るためには、心的外傷後ストレス障害(以下PTSDと記載する)の右脳で起きていることを理解する必要がある。

解離とPTSDは、ともに心的なトラウマに対する心ないしは脳の反応といえるが、そこではおおむね逆のことが起きているものとして説明し、理解するのが最近の傾向である。(p19)

PTSDと解離は、ストレスに対する、脳の反応としては「おおむね逆のこと」だったのです。

この記事では、幾つかの本に基づいて、PTSDと解離が、どんな正反対の特徴を持っているか考えます。

そして、それぞれが、これまで別の分野の問題と思われていたADHDや愛着障害と、どのように密接に結びついているかを考察して、近年増えてきたとされるこれらの問題の全体像を明らかにしたいと思います。

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これはどんな本?

今回おもに参考にした本の一つは、解離性障害の専門家、岡野憲一郎先生による解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合です。

この本は、岡野先生の多数の本の中では、解離性障害―多重人格の理解と治療続解離性障害に続く、三冊目の解離の解説書という位置づけだそうです。

前二冊も、解離性障害、特に解離性同一性障害(DID)について、とても深い洞察が秘められていましたが、解離とはいったい何なのか、という本質については、謎に包まれたままでした。

この三冊目の本では、そこに「愛着」というキーワードを追加することで、ついに解離の正体が明らかになり、人間にとってどんな役割を果たしているのか、現代社会のどんな病気と関連しているのか、ということが明確になったように感じます。

PTSDと解離は連続していて、同時に正反対

まず最初に、PTSDと解離の関係について、もう少し整理しておきましょう。

冒頭に引用した文のとおり、PTSDと解離は、脳科学的には、ストレスに対するおおむね正反対の反応とみなせます。逆の仕方で、ストレスやトラウマに対処している、脳のメカニズムだということです。

しかし、正反対だからといって、水と油、炎と氷、天と地のような、互いに相容れない関係にあるもの、という意味ではありません。

水と油は、決して交じり合うことがなく、境目もはっきりしていますが、そのようなばっさりと二分できる、対極にあるもの、というわけではないのです。

どちらかというと、色のグラデーションにおける、黒と白を思い浮かべてもらえるとわかりやすいかもしれません。黒と白は正反対ですが、グラデーションにすると、さまざまな明るさの灰色を通して、ゆるやかにつながっています。

また東と西のようなものと考えてもよいかもしれません。東と西は正反対の方向ですが、一直線の道で互いにつながっています。

同じように、PTSDと解離も、正反対の性質を持ちながら、連続してつながっている現象です。

つまり、ある人はPTSD、ある人は解離、とばっさり白黒つけられるようなものではなく、どちらかというと黒っぽいグレー、どちらかというと白っぽいグレー、というように、両方の間に位置している人がほとんどだ、ということです。

互いの専門家から見たPTSDと解離

このことを物語っているのが、PTSDの専門家と、解離の専門家が、互いに相手の分野を、自分の分野の延長線上にあるものだ、とみなしていることです。

以下、さまざまな見解が出てきてややこしく思うかもしれませんが、ポイントはただ一つ、PTSDと解離がつながっている、ということだと思っていただければ間違いありません。難しければ、次の見出しまで読み飛ばしていただいても大丈夫です。

まず、この解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、PTSDの研究では、PTSDには二種類あるとされていて、よく知られている激しいフラッシュバックを伴うPTSDのほかに、「解離サブタイプ」という、逆に現実感が薄れている人たちがいるとされています。(p117)

またこの「解離サブタイプ」とは日本でも杉山登志郎先生らがよく用いている、子ども虐待などで見られるPTSDのさらに重い病態である「複雑性PTSD」とも同じものであろう、とされています(p119)

杉山先生は、PTSDは「心の骨折」、複雑性PTSDは「心の複雑骨折」としていますが、前者が通常のPTSD、後者が解離に当てはまるとすると、やはり連続した一直線上にあるものだ、ということになります。

同時に、解離の研究のほうでは、近年注目されている構造的解離論という理論において、PTSDは「第一次解離」、これまでの解離性障害は「第二次解離」や「第三次解離」とみなされています。(p119)

また、以前の記事で紹介したように、専門家の中には、PTSDを「不完全な解離」、解離性障害を「完全な解離」によるものだと考える人もいます。

こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害の中で、国立精神・神経センター精神保健研究所の金吉晴先生はこう述べています。

もし解離が完成していれば、診断は解離性健忘などの解離性障害であり、PTSDとは診断されない。

…PTSDは恐怖条件付けと解離の複合的な病態であるというのが筆者の考えである。(p119)

そのほか、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、ドンネル・スターンという精神分析家が考えた、「弱い解離」「強い解離」という分類もあります。(p11,90)

もともと精神分析家は解離という概念に否定的でしたが、近年、精神科で増えている新型うつなどの病気の多くは、「弱い解離」とみなし、その延長線上に「強い解離」としての解離性障害がある、と考えれば、すっきりするようです。

若い女性に多い「新型うつ」「非定型うつ病」とは何か、本当に存在するのか
若い女性に増加しているという「新型うつ」「非定型うつ」「現代型うつ」と呼ばれる病態について整理しています。

さまざまな理論が混交していますが、結局のところ、すべて表現が異なるだけで、同じことを言っています。

つまり、PTSDと解離は正反対の特徴を示すものの、互いにつながりがあり、「不完全」で「弱い」「心の骨折」がPTSD、それが発展した「完全」で「強い」「心の複雑骨折」が解離だということです。

しかし、これから考えていきますが、PTSDのほうが解離よりも症状が軽い、という意味ではありません。

PTSDと解離は、連続するだけでなく、正反対なので、どちらが強いにしても苦しいことには変わりないのです。

PTSDと解離の10の違い

ではこれから、PTSDと解離の10の違いについて考えます。

すでに考えたとおり、たいていの人はPTSDか解離か、白か黒か、というどちらかにはっきり分類されるのではなく、どちらかというとPTSD寄り、または解離寄りというグレーゾーンに位置していることを思いに留めておいてください。

1.「闘争・逃走」か、「固まり・麻痺」か

まず、PTSDも解離も、どちらもストレスやトラウマに対する脳の防衛反応の一部です。

それなのに、なぜ性質が反対になるのか、ということは、難しく考えなくても、じつはわたしたちがよく知っている現象を考えればわかりやすくなります。

PTSDと解離は、わたしたちが、とても大きな恐怖に直面したときに、とっさに生じる反応と同じです。

奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころという本には、獰猛なピューマに出くわした若い女性のエピソードが書かれています。彼女は、そのとき4つの恐怖反応を経験しました。

かねてから、人間のストレスに対する反応には、2つある、と言われていました。それはハーバード大学の心理学者、ウォルター・キャノンが提唱したもので「闘争か逃走か」というわかりやすい名前で知られています。

わたしたちは獰猛なピューマや、危険な犯罪者に襲われたとき、パニックに陥って、戦うか逃げるかをとっさに選ぶことになります。

しかし反応はそれだけでしょうか。

わたしたちの多くは死ぬほど恐ろしい目に遭ったことはないかもしれませんが、それでも、映画やドラマを通して得た知識、そして自分の体験からも、恐怖反応はほかにもある、ということをよく知っています。

奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころにはこう書かれています。

身を守るための反応は二種類ではなく、最低でも四種類あったのだ。

それぞれ、ちがったタイプの危機的状況に合わせた生理的反応のパッケージである。

まず、危機が遠くにある、少なくとも目の前には迫っていない状況では、身をすくませるというのが本能だ。

危険がこちらへ近づいてくるなら、逃げようという衝動が起きる。

逃走が不可能なときの反応は、反撃。

そして、戦っても勝ち目のないときは、動物は恐怖のあまり動けなくなる。

実際にはそんなスムーズに移行が進むわけではないが、「戦うか逃げるか」よりも正確な言い方を試みるなら、「戦うか、すくむか、逃げるか、死んだふりをするか」(fight,freeze,flight,or fright)、つまり「4F」ということになるだろう。(p85)

先ほどのピューマに出くわした女性は、短時間の間に、この4つの反応すべてを経験しました。

まずピューマを目撃した瞬間、恐れに身がすくみ、冷静に状況を把握しました。

次にピューマが迫ってきたのを見て、パニックになって逃げ出しました

そして、ピューマに襲いかかられたときに、牙が頭に食い込んだ瞬間、痛みの感覚がなくなり、力が抜け、死んだように動けなくなり、記憶も途切れました。

しかし、幸運にも、意識を取り戻し、反撃に出て、持っていた武器で、無我夢中でピューマを攻撃し、命からがら撃退に成功しました。

この一連の出来事で彼女が経験した4つの恐怖反応は、その特徴が、2つのタイプにわけることができます。

一つ目は、パニックになって、我を忘れて、無我夢中で反応するもの。つまり、もともと知られていた「逃走」と「闘争」です。

二つ目は、凍りつき、固まり、体が動けなくなってしまうもの。つまり、「固まり」(すくみ)と、「麻痺」(死んだふり)です。

そして、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、このうちの前者のパニック的なものがPTSD、後者の凍りつくものが解離に相当します。

すると、危機の際の反応は、

 積極的なもの……闘争、逃避
 消去的なもの……固まり、麻痺

の2種類に分かれることになる。そして後者の消極的なものは解離に関係づけられるというわけである。(p22)

ピューマに襲われた若い女性は、これら両方を経験しましたが、危機が去ると、これらの恐怖反応はなくなりました。

ところが、危機が去ってもこれらの恐怖反応のどちらかが、ずっと続いてしまっているのが、PTSDと解離なのです。

2.アクセルか、ブレーキか

では、このような、恐怖反応のただ中で、脳の中ではどんなことが生じているのでしょうか。

まず、PTSDと関係する、頭がパニックになるような、「闘争」と「逃走」については、奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころにこう書かれています。

1915年、キャノンはこう指摘した。交感神経の興奮がもたらす反応にはいろいろあるが、―心拍数が上がって血流が増す、汗が出る、震えるなどなど―いずれもゴールは共通だ。

激しい運動で身を守ることに役立つことばかりではないか。(p85)

この説明のとおり、「闘争」や「逃走」は交感神経の興奮なのです。

交感神経というのは、ストレスを感じたときに高ぶるもので、体をリラックスさせるのとは正反対の、いわば臨戦態勢に持っていくものです。

激しいスポーツや、緊張する場面など、全力で対応する必要がある場面では、交感神経が興奮します。これはいわば、体の「アクセル」が強く踏み込まれた状態です。

適度に「アクセル」を踏むなら必要なスピードが得られますが、あまりに恐怖が強いと、「アクセル」を踏み込みすぎて、コントロールできなくなって暴走します。緊張しすぎて何も考えられなくなり、パニックになった経験を持つ人も多いのではないでしょうか。

では、もう一方の、解離と関係する恐怖反応である「固まり」や「麻痺」のときには何が起こっているのでしょうか。

先ほどの女性がピューマを前に「固まり」反応で立ちすくんでいたときに起こっていたことについて、こう書かれています。

ピューマがある程度遠くにいるうちは、彼女も冷静さを保ち、恐怖中枢のパニック反応を抑えこむことができていた。

高まってくる恐怖心の突き上げに耐えつつも状況をチェックし、手持ちの選択肢を比較し、計画を立て、実行することができていた。(p92)

そして、ピューマに襲われて「麻痺」反応に至ったときについてはこうあります。

交感神経は目いっぱい作用している上に、今度は副交感神経までもが一気に暴走状態になる。

痛みの感覚はなくなり、身体からはぐんにゃりと力が抜け、たいていはそのまま大の字に倒れてしまう。(p95)

こうした説明から分かるとおり、「固まり」や「麻痺」反応は、副交感神経が興奮している状態です。

しかし、体を臨戦態勢にする交感神経とは反対に、副交感神経は本来、体をリラックスさせる働きを持っています。いわば、脳の「ブレーキ」です。

ということは、副交感神経が興奮したら、むしろ落ち着いて安らいだ気持ちになるのではないでしょうか。

副交感神経だけが活発になるなら、確かにそのとおりです。

しかし「固まり」「麻痺」反応では、迫り来る恐怖のために、もともと交感神経が活発になっていて、それを抑えこもうとして副交感神経も活発になり、両方が激しくせめぎあっている状態になります。

それで、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合には、この状態が次のように簡潔明瞭に説明されています。

ちょうどアクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態と考えると分かりやすいかもしれない。

そしてそれは、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。これが解離状態であるというのだ。(p17)

「固まり」や「麻痺」、そして解離状態とは、「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」だったのです。

要点を整理してみましょう。

まず、PTSDの人は、「闘争」「逃走」反応のように、交感神経の高ぶりによって臨戦態勢になっています。危機が去っても、ずっと危機的状況のただ中にいて、頭がパニックになっているようなものです。

つまり「アクセル」を踏み込みすぎた過覚醒状態にあります。

それに対して、解離性障害の人は、恐怖のために生じた交感神経の高ぶりを鎮めるために、今度は副交感神経までもが活発に働いてきて、恐怖をなんとか抑えこもうと、せめぎあってフリーズしている状態です。

「アクセル」を踏み込みすぎて過覚醒になったまま、それを何とかしようとして「ブレーキ」まで同時に踏み込みすぎている状態であり、こう要約されています。

それはいわば過覚醒が反跳する形で逆の弛緩へと向かった状態と捉えることができるだろう。(p20)

ここまでの説明で、きっと、PTSDと解離は、正反対でありながら、連続しているもの、という最初の謎めいた説明の意味がわかっていただけけたと思います。

交感神経が暴走するPTSDに対して、それを抑えこもうとして、逆の役割を持つ副交感神経までもが暴走すると解離になるのです。

3.扁桃体か、前頭前野か

交感神経が暴走しているPTSDと、それを抑えこむために副交感神経が暴走し始める解離、という状態を、さらにもう少し踏み込んで考えてみましょう。

交感神経が暴走したとき、あるいはそれを鎮めるために副交感神経が暴走するとき、わたしたちの頭のなか、つまり脳ではどんなことが起こっているのでしょうか。

奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころの中で、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のリリアン・R・ムジカ・パローディ博士は、人間の恐怖に対する反応を、こう説明しています。

「扁桃核は、目新しいものには何でも反応します。特に表情のない顔を見ても、扁桃核は『おっと、あれは何だ。危険かな?』と言うわけです。

そのあとから抑制系、つまり前頭皮質が割り込んできて、『教えてやろうか。あれは危なくないぞ。もういい』って言うんですね」(P26)

ここで、脳の二つの部分が出てきたことにお気づきでしょうか。

ひとつは「扁桃核」。これは、一般に脳の原始的とされる部分である大脳辺縁系の一部で、いわば、危機に対して敏感に反応する脳のアラームです。

「扁桃核」は、危機を瞬時に察知して、警戒警報を鳴らします。すると、先ほどの交感神経が高ぶって、臨戦態勢になる「闘争」「逃走」反応が起こります。

もうひとつは「前頭皮質」。特に人間の脳に特徴的な部分で、人間は前頭皮質が大きいので、他の動物と違って、理性的な思考ができると言われています。

いわば、「扁桃核」は本能のままに衝動的に反応する部分、「前頭皮質」は理性によって、本能を抑える部分だといえます。

そして、わたしたちの恐怖に対する反応は、単純化すれば、この「扁桃核」と「前頭皮質」のバランスによって生じているといいます。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこう書かれています。

この前頭前野と扁桃核の活動はシーソーのような関係があると見ていいであろう。

前頭前野は扁桃核を抑える働きがあり、前頭前野の活動が低下する場合には、扁桃核の抑制が効かず、いわば野放し状態になるのである(p118)

ここで「前頭前野」と書かれているのは、「前頭皮質」と同じものです。

この説明によると、「前頭前野」と「扁桃核」はシーソーのような関係にあります。扁桃核が出す警戒アラームを前頭前野が理性的に判断して抑えるからです。

もし扁桃核のアラームのほうが強くなりすぎると、前頭前野の理性的な判断ができなくなってパニックになります。これが「闘争」「逃走」です。

逆に扁桃核のアラームを前頭前野の活動が抑えこむことができると、恐怖の中でも、人は驚くほど冷静になり、感情がシャットアウトされます。これが「固まり」「麻痺」です。

そして、PTSDでは、この「扁桃核」の警戒アラームが危機を過ぎても鳴り続けています。危険はもう去ったのに、あたかも今そのまっただ中にいるかのように、「扁桃核」が危険を知らせて鳴り響いているのです。

逆に、解離性障害では、やはり危険を感じ取る「扁桃核」のアラームは鳴り響いていますが、それを抑えこむ「前頭前野」の働きが勝っているので、感情がすべてシャットアウトされ、現実感が消失してると考えられます。

実際に、解離性障害の症状のひとつである、現実感が失われる離人症では、以下のような特徴的な脳の活動が見られるそうです。

この離人症・現実感消失に関しては、その生物学的特徴が得られていることも、この障害の独自性を支持していることになる。

それはa.後頭葉皮質感覚連合野の反応性の低下、b.前頭前野の活動亢進、c.大脳辺縁系の抑制、である(Si,,eon,et al.,2003)(p108)

このうち特に「前頭前野の活動亢進」と、「大脳辺縁系の抑制」が、ここで説明している部分です。

大脳辺縁系というのは、先ほどから言及しているアラームを鳴らす「扁桃核」がある場所であり、さまざまな感情をつかさどります。

つまり、解離性障害では、「前頭前野」の抑制機能をフル回転させることで、「扁桃核」の恐怖などの感情を押さえ込んでいる、ということが脳科学からも裏付けられているのです。

PTSDと解離では、このように、「扁桃核」と「前頭前野」のシーソーのようなバランスが正反対になっていますが、これは、おもに用いている思考の経路が異なる、ということのようです。

その視床から扁桃核に至る経路には2つあることが知られている。

1つは「速い経路 low road」と呼ばれるもので、大脳皮質を介さずに扁桃核に直接連結している。

もう1つの「遅い経路 high road」は前頭葉を経由した後に扁桃核に行きつく。(p167)

扁桃核に至る脳の思考の経路は2種類あり、かたや扁桃核への直通ホットラインである「速い経路」、かたや前頭前野の前頭葉を迂回してから扁桃核へと向かう「遅い経路」と呼ばれています。

このような速い経路と遅い経路があることは、心理学の分野でもよく知られていて、たとえば行動経済学の権威、ダニエル・カーネマンの著書、ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)のタイトルともなっています。

わたしたちは、直感的、衝動的、しかし瞬時におおまかな状況を把握して対応できる速い思考(ファストな思考)と、立ち止まってじっくり理性的に考え分析する遅い思考(スローな思考)とによって、日々さまざまな決定を下し、判断しているのです。

速い思考と遅い思考には、どちらも大切な役割がありますが、PTSDの人では「速い経路」が非常に強くて冷静に考えるのが難しいのに対し、解離性障害の人では「遅い経路」が非常に強くて、感情が抑制されているといえるでしょう。

4.つながりか、断絶か

このように、かたや扁桃核が常にアラームを鳴り響かせていて、かたや冷静にそれを抑制しすぎている、という状態は、どうして生じるのでしょうか。

PTSDにしても解離にしても、元はといえば 、何かしらのトラウマやストレスに対する一時的な防衛反応がずっと続いている、ということにほかなりません。

すると、きっかけとなったトラウマ体験、ストレス体験は過ぎ去ったはずなのに、いまだにそのときに記憶がまざまざと焼き付いているので、記憶の中の恐怖と闘っている状態なのだ、と考えることができます。

現実の恐怖そのものは過ぎ去ったのに、記憶の中にある恐怖は、いまだ、そのときのままだからこそ、戦いが終わらないのです。

そして、ここでもまた、PTSDと解離とでは、記憶に対する処理が、正反対の状態になっています。そのために、正反対の反応が生じて、苦しみ続けることになります。

PTSDの人の脳の中で、記憶がどのような状態にあるかは、つい先日、富山大学の研究で明らかにされていました。

強い記憶、連動の仕組み解明 富山大など  :日本経済新聞 はてなブックマーク - 強い記憶、連動の仕組み解明 富山大など  :日本経済新聞

つらい記憶が突然よみがえる心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状は、ささいな記憶が引き金になることもある。

…異なる2つの出来事は、マウスの脳内で別々に記憶されることが多いが、強いストレスを経験したマウスの脳の海馬で神経細胞を調べると、2つの出来事を記憶した細胞の領域の大部分が重なっていたという。

これはマウスを用いた実験ですが、マウスに対して、「おもちゃを与える」というささいな体験と、「狭い箱に入れる」というトラウマ的な体験とを、ほんの1時間ほどの間に同時期に経験させたそうです。

すると、本来は全然関わりないはずのそれら二つの出来事の記憶が結び合わされてしまいました。

これが、ちょっとした日常の体験がきっかけとなって、トラウマ記憶が同時に呼び起こされ、フラッシュバックしてしまうPTSDのメカニズムだとされています。

つまり、過ぎ去ったはずの危機的状況の記憶が、ささいな日常的な刺激、たとえば音や匂いや食事や表情といったありふれたものと結びついてしまっているために、危機が去って日常生活に戻っても、ちょっとしたことでトラウマ記憶が呼び覚まされてしまうのです。

それに対し、解離性障害のほうでは、記憶の処理の仕方がまったく異なっているといいます。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこう書かれていました。

ちなみに最近の日本の研究で、解離性の健忘の際、実際に海馬の抑制が生じているという報告がある(Kikuchi,et al.,2010)。

私たちが解離状態で、ある事柄を思い出せない場合、…脳のある部分(この研究によれば前頭葉の特定の部分ということである)が、その記憶をつかさどる部位を抑えている、という事態が生じているとのことだ。(p145)

こちらの場合は、つながっているどころか、関係が絶たれて抑制されているのです。

つまり、トラウマ記憶はそのまま残っているものの、未処理のまま、日常の記憶とは遮断されていて、容易に思い出すことができなくなっています。

思い出せないのであれば、それは良いことだ、と感じられるかもしれませんが、本来、トラウマ記憶は、適切に処理されて、自分の経験 の一部になって初めて安全になります。

トラウマ記憶が処理されないまま、脳の中のどこかに隔離されているというのは、あたかも危険物を家の押入れの中に閉じ込めているようなものです。

いつなんどき、それが漏れだしたり、爆発したりするかもしれない、という恐怖と隣り合わせなのです。

つまり、PTSDは、爆弾のような危険な記憶をむきだしのまま抱えてパニックになっている状態、解離は爆弾を押し入れに封じ込めて表面的には冷静になっているものの、常に恐怖と隣り合わせになりつつ生きている状態だといえます。

どちらにしても、爆発物のような記憶を適切に処理できる、危険物処理班のような専門家の助けを借りなければならない状況だといえます。

6.不安型愛着か、回避型愛着か

ここまでのところで、PTSDと解離それぞれにおいて、頭の中で何が起こっているか、ということは、おおまかに理解することができました。

PTSDは危険のまっただ中にいてアラームが鳴り響いている興奮状態であり、解離は危険を隔離して封じ込めたものの、常にその脅威を抑制するために闘っている状態でした。

いわばPTSDが戦時中まっただ中なら、解離は東西冷戦や核の脅威のような、潜在的な危機に対して緊張が走っている状態です。

しかし、まだ答えの出ていない疑問があります。

なぜ、ある人の場合は、トラウマ経験に対してPTSDの反応で対応し、別の人の場合は解離の反応で対応するのでしょうか。いったいなにが両者を分けるのでしょうか。

それを知るには、表面的なトラウマ体験よりもずっと過去、生まれたばかりのころの経験にまで遡らなければなりません。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合には、このように書かれています。

ショアの主張をひとことで言えば、解離という心の働きを脳科学との関連で探っていくと、愛着の問題にまでさかのぼらなくてはならないということである。

すなわち解離性障害とは、それが基本的にはいわゆる「愛着トラウマ」による障害のひとつと理解されることを念頭に置くべきなのである。(p15)

PTSDと解離を分ける、生まれたころの経験、それは「愛着」です。

「愛着」とは何でしょうか。それは、精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した概念で、ごく幼いころの赤ちゃんが、特別な存在との間に育む絆のことです。

もう少し噛み砕いて言うと、この世に生まれたときに最初に学ぶ、「愛の定義」です。

「愛の定義」だなんて言うと、いきなりロマンチックな話になってしまったように聞こえますが、これは詩的なものでも哲学的なものでもなく、れっきとした生物学的な現象です。

わたしたちが、子どものころ親を愛したり、大人になってから恋人を愛したりするのも、すべて脳の働きによるものです。いつまでも親にべったりしてしまう人もいれば、恋人にもそっけない人もいますが、それらは単なる性格ではなく、脳の働きのパターンです。

では、いつ、そうした愛したり愛されたりすることに関係する、脳の働きのそれぞれ異なるパターンが作られるのでしょうか。

それこそが、生まれて間もない時期に育まれる愛着(アタッチメント)という生物学的な機能であり、それ以降の人間関係のパターンや、愛し愛されるときの性格は、その愛着の上に築かれていくのです。

そして、その土台となる愛着がどのように据えられているかによって、その後の人生でストレスやトラウマに直面したときの反応が、PTSD的になるか、解離的になるかが変わってきます。

これまでの記述から、解離と愛着の問題の概要がご理解いただけたと思う。

解離において生じていることは、愛着の障害の一環として理解できるというのだ。

それは生理学的に言えば、交感神経の過剰な活動の次の相として起きてくる状態、すなわち副交感神経の過覚醒状態ということである。(p18)

最初のほうで、PTSD は「弱い解離」であり、解離性障害は「強い解離」とみなされる場合があることを説明しました。

言ってみれば、どちらも「解離」ではあるのですが、その解離という現象は「愛着の障害の一環」として生じるものです。

愛着は、すでに述べたように、ごく幼いころの親との結びつきによって生じます。この期間は、およそ生後半年から1年半、長く見て3歳くらいまでだと言われています。

もちろんその後の子ども時代の経験も愛着に影響を及ぼしますが、最も強い影響を持っているのは、この生後わずか数年の期間の経験です。

この時期に特別な存在、多くの場合は母親から愛情のこもった世話を受けることができれば、安定した愛着が育まれ、ストレスに対して適切に対処する力が育まれます。これは「安定型」と呼ばれます。(B型とも呼ばれる)。

しかし、その時期に歪んだ愛情の注がれ方をすると、不安定な愛着が培われます。

歪んだ愛情とは、虐待やネグレクトはもちろん、親が精神疾患を抱えていたり、仕事が忙しくて自分の手で世話できなかったり、子育ての方法がよくわからなかったり、というやむを得ない事情の場合も含まれます。

この時期に適切な愛情を経験できなかった子どもの愛着は、おもに二つの不安定な方面に発展します。

一つは「不安型」。(抵抗・両価型、アンビバレント型、C型などとも呼ばれる)。

過剰にかまわれたり、必要以上に溺愛されたりすると、こちらの傾向が強くなります。こうした子どもは、親から過剰に構われることが普通になってしまうので、親が少しでもいなくなるとパニックになり、泣き叫びます。

大人になってからも、べったりした関係を好むことが多く、愛情に飢えていて、周りの人のちょっとした態度に過敏に反応し、動揺します。

つまり、「不安型」の名の通り、強い「見捨てられ不安」が特徴です。

もう一つは「回避型」。(A型などとも呼ばれる)

感情に乏しい親のもとに育ったり、ほったらかしにされたりすると、こちらの傾向が強くなります。こうした子どもは、呼んでも親が答えてくれないことが当たり前なので、親がいてもいなくても気にしません。

大人になってからは、引きこもりがちで、よそよそしく、愛情に対して積極的になれず、むしろ一人でいることを好みます。

つまり、「回避型」の名のとおり、強い「人への恐れからくる対人回避」が特徴です。

このような「不安型」と「回避型」の傾向どちらか一方だけなら、わたしたちの身の回りの多くの人が、多かれ少なかれ抱えているものです。べたべたしてくる人や、よそよそしい人は、どこにでもいるものてず。

しかし、生後幼い時期に、故意であれ、やむを得ない事情であれ、極端な養育環境におかれると、「不安型」と「回避型」の重ねあわせである、矛盾した状態、「混乱型」として知られる4つ目の不安定な愛着に発展します。(無秩序型、D型などとも呼ばれる)。

たとえば、過剰に構われる状態の最たるものである虐待に直面したり、もともと溺愛されていたのに、ある時点で親が死んだりいなくなったりした場合、子どもは混乱型の中でも見捨てられ不安が特に強い状態になります。

逆に、ネグレクトされたり、そもそも特定の親が世話してくれず、次々に養育者が代わったりすると、子どもは親とはどんなものかわからなくなり、混乱型の中でも、親のイメージが希薄な状態になります。

いずれの場合も「見捨てられ不安」と「人への恐れによる対人回避」とが同居していますが、どちらが強いかは人によって異なるでしょう。

ただひとつ言えるのは、見捨てられたくないのに、人との関わりも回避したいという矛盾した傾向を持つということです。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

これは何かに似ていないでしょうか。

そう、「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」そのものです。

幼いころに造られる愛着という土台は、その後の人生における対人関係やストレスへの反応に影響すると先ほど説明しました。

そうすると、愛着が極めて歪んだ形で形成され、見捨てられたくない、けれども人と親しくなるのも怖い、という矛盾した状態が生じることは、そのまま、ストレスやトラウマに反応するときの「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」の型になるのです。

通常はトラウマが生じた際は、体中のアラームが鳴り響き、過覚醒状態となる。そこで母親による慰撫soothingが得られると、その過剰な興奮が徐々に和らぐ。

しかしタイプDの愛着が形成されるような母子関係においては、その慰撫が得られず、その結果、生じると考えられるのがこの解離なのだ。

それはいわば過覚醒が反跳するような形で逆の弛緩へと向かった状態だと捉えることができるだろう。(p20)

この説明が示すとおり、幼いころに、泣きわめいて親を求め続けるような体験がずっと続くと、それは、扁桃核のアラームが鳴り続けている交感神経の興奮状態につながり、後のPTSD傾向につながります。

逆に、泣きわめいてもだれも助けてくれないような場合には、鳴り響くアラームに対して、自分の前頭前野と副交感神経を用いて無理やりブレーキをかけることを学び、後の解離傾向につながるのです。

これ以降の部分で、「不安型」「回避型」という表現が繰り返し出てきますが、単に一般の人に見られる愛着の傾向ではなくて、この両方が重ね合わさった重い状態である「混乱型」のうち、より見捨てられ不安が強いものを「不安型」、より人への恐怖が強いものを「回避型」と表現して考察していきます。

6.多動なADHDか、不注意なADDか

愛着が正しく育まれるかどうか、というのは、主に幼い乳幼児期のころの話でした。

しかし、そのときに学んだパターンというのは、その後の幼年期や学童期から、表面化していきます。

まだ子どもであるにも関わらず、PTSDや解離に似た防衛反応を多用するようになります。いったいどんな反応を見せるのでしょうか。

まず、「不安型」の傾向が強く、人への恐れからくる対人回避よりも、見捨てられ不安のほうが勝る場合は、ちょうど赤ちゃんのころ、少しでも親がいなくなると、泣きわめいて親の助けを求め、パニックに陥ったのと同じような反応を見せます。

つまり、すぐにかんしゃくを起こし、ただをこね、落ち着きがなく、走ったりわめいたりするようになります。これは、ちょっとしたことに過敏に反応する「闘争」や「逃走」といったPTSD傾向の表れです。

逆に、「回避型」の傾向が強く、見捨てられ不安よりも、人への恐れからくる対人回避のほうが強いと、おとなしく、自己主張をあまりせず、表面的には平静な反応を見せます。

しかし心の中では不安を必死に押さえ込んでいるので、時おりフリーズしたり、ぼーっとして現実逃避したりするようになります。これは、危機に面して感覚をシャットアウトする、「固まり」や「麻痺」といった解離傾向の表れです。

それにしても、こうした子ども、というのは、近年よく知られるようになってきた別のものと極めて類似していないでしょうか。

つまり、いつも走ったりわめいたりして手のつけられないような子どもや、ぼーっとしていておとなしく、話を聞いているのかどうかもわからないような子どもは、身近にいるのではないでしょうか。

そう、注意欠如多動症(ADHD)と診断されているのではないでしょうか。

そのとおりです。ADHDには3つのタイプがあるとされていますが、愛着の問題のせいでPTSD傾向の強い子どもは、多動・衝動性優勢型(ADHD)にそっくりですし、逆に解離傾向の強い子どもは、不注意優勢型(ADD)にそっくりです。

そして、PTSD傾向と解離傾向両方を持っている中間にいる子どもは、どちらの特徴も示す混合型のADHDとみなされやすいでしょう。

実際に専門家も、ADHDと愛着障害の区別には、非常に苦慮するとのことで、子どものPTSD 診断と治療にはこう書かれています。

ADHDとトラウマ障害は、行動面や認知も近似しているため、しばしば誤診されかねない。しかし、根底にあるものは異なるため、異なった対処法が必要とされる。

落ち着きがない、着席できないなどの多動症状をや反抗性を示し、一見するとADHDと思われる子どもの中には、過覚醒や回避などのPTSD症状が潜んでいる可能性もある。

心ここにあらずで注意が散漫な不注意優勢型のADDと思われていた症状は、トラウマ障害の解離であるかもしれない。(p117)

ADHDと愛着障害が極めて類似しているのは、決して偶然ではありません。ADHDも愛着障害も、同じドーパミンのアンバランスと考えられています。

ADHDの場合は、もともとの先天的な原因でドーパミンのバランスが不安定になりますが、そもそもドーパミンのバランスは、愛着によってコントロールされているからです。

成長し衰退する脳 (社会脳シリーズ)にはこう書かれていました。

さらにショアは、母親が乳児の覚醒水準を上げることにより、乳児の脳の覚醒をもたらすドーパミンの分泌が促され、前頭前野領域の代謝が促進されると述べている。(p195)

さらに、以前の記事で詳しく取り上げたように、ADHDと愛着障害は、類似しているだけでなくて、遺伝的なADHD要素と、後天的な愛着の障害とが重なって、より症状が増幅されている人も少なくないようです。

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ですから、わたしたちのまわりにしばしば見られ、近年増加しているとも言われるADHDやADDの子どもの中には、実際には愛着障害なのに発達障害と誤診されている子どもが多数含まれているはずです。

もちろん、たとえそうだからといって、必ずしもその子どもの親に責任があるというわけではありません

すでに説明したとおり、やむを得ない事情によってそうなってしまうこともありますし、遺伝的な要素のせいで愛着が不安定になりやすいこともあるからです。

7.境界性か、解離性か

学童期には、こうして、ADHDのような傾向として表面化しやすい愛着の問題は、年齢とともに違った傾向を見せます。

これは発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方の中で、杉山登志郎先生によって、「異型連続性」とか「出世魚現象」と呼ばれているものです。(p27)

文字通りの出世魚のように、成長とともに見た目が変わり、名前、つまり診断名が変わるのです。

まず、「不安型」の傾向が強く、衝動的でかんしゃくを起こしやすく、一見したところ多動性・衝動性優位型のADHDに似ていた子どもは、その衝動性が、人間関係にも反映されるようになります。

衝動的で、「見捨てられ不安」が強く、ときにわめきちらしたりすることもある人間関係を特徴とする病気、それは何でしょうか。

境界性パーソナリティ障害(BPD)です。

境界性パーソナリティ障害は、不安定で揺れ動く対人関係を特徴とし、知り合って間もない人を理想化したかと思えば、ささいなことで、突然、態度を豹変させてののしったりします。

これは、強い「見捨てられ不安」を抱えていて、過去の体験が無意識のうちにフラッシュバックするため、ささいな言葉や態度がきっかけでパニックになってしまい、「闘争」「逃走」の反応のままに行動してしまう状態です。

境界性パーソナリティ障害の人は、従来、ADHDの人がなりやすい、と言われていましたが、実際には本来の意味でのADHDではなく、ADHDと間違われていた愛着障害の人が思春期以降そうなりやすい、ということだったのでしょう。

ササッとわかる「境界性パーソナリティ障害」 (図解 大安心シリーズ)によると、BPDの人の75%が「不安型」で、89%が「混乱型」の傾向を示していたというデータがあるそうです。

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一方で、「回避型」の傾向が強く、おとなしく、自己主張せず、ぼーっとして現実逃避することもあった、不注意優勢型のADDに似ていた子どもはどのような傾向を示すのでしょうか。

自分の意見をひたすら押しとどめ、まわりの空気を読んで「いい子」として優しく振る舞い、本当の自分を出せるのは空想の世界だけ。そうした特徴を持つ病気はなんでしょうか。

それは解離性障害です。

解離性障害は、文字通り解離傾向が強く表れすぎた病気であり、空気を読み過ぎる過剰同調性や、現実感が薄れる離人症、記憶が失われる解離性健忘、そして悪化すると別人格が表れる幻聴や人格交代などが生じます。

これは、本来は危機的状況下でのみ生じるはずの「固まり」「麻痺」反応が、日常的に生じるようになった状態です。

犯罪被害者などの中には、「固まり」反応が起こって動けなくなり、あたかも体外離脱したかのように、自分が傷つけられるのを他人事のように遠くから傍観していた、と述べる人がいます。

それが日常のさなかで生じて、現実の自分を遠くから眺めているのが離人症です。また、そうした自分の体から分離しているような感覚は、解離性障害に多い、体外離脱体験や人格の分裂とも関係しています。

少し前に出てきたピューマに襲われた女性は、「麻痺」反応によって少しの間気絶し、記憶を失いましたが、同じように解離性障害ではしばしば記憶が失われ、意識が消失している間は別人格が体をコントロールするようになります。

愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)には、こう書かれています。

意識や記憶が飛ぶといった解離症状は回避型や混乱型だった人にみられやすい。(p102)

このように、ADHDやADDとみなされていた愛着障害の子どもは、思春期以降、境界性パーソナリティ障害(BPD)や、解離性障害という形に進展し、PTSDと解離、というそれぞれの傾向が日常生活や対人関係にまで色濃く反映し始めます。

かつて、境界性パーソナリティ障害や、解離性障害は、虐待や性的トラウマとの関係が注目されがちでしたが、近年では、そうした明確なトラウマ原因がない、ごく普通の家庭とも思える環境で育った人にもこれらの疾患が見られると言われています。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合にはこう書かれていました。

それに解離性障害には、PTSDなどについて考えるようなトラウマやストレスが必要条件として存在するべきなのかについての識者の見解は統一されているとは言えない。

私の臨床場面でも、過去の明確なトラウマ因を見いだせないケースは実際に体験されるのである。(p106)

確かに、PTSDや解離性同一性障害(DID)には、犯罪被害や子ども時代の虐待などの明確なトラウマ因が存在することが多いのは事実です。

しかし境界性パーソナリティ障害や、解離性障害の場合は、むしろ、もっと日常的なトラウマ、つまり、家庭や学校での慢性的な居場所のなさなどが関係していることが多いのでしょう。

また、ここでは境界性か解離性か、という二つの極端にわけて話を組み立ててきましたが、必ずどちらか一方にだけ当てはまるというわけではありません。

さきほど、子ども時代に、PTSD傾向と解離傾向の両方が存在している場合には、どちらの症状も出る混合型のADHDとみなされうる、ということに触れました。

それが発展した思春期以降の場合も同じで、どちらか一方の傾向がより強く出るとしても、両方の傾向を併せ持っていて、どちらかといえば境界性パーソナリティ障害、どちらかといえば解離性障害、という判断になることもあるでしょう。

岡野先生も、境界性パーソナリティ障害と解離性障害はおおむね正反対の傾向を持つとしながらも、はっきりどちらかを区別しようとすることへの懸念を言い表していました。

私は便宜的にBPDの病理を一つのスペクトラムとして理解し、解離性障害の患者が特にどの程度のBPD性を発揮しうるか、という視点を持つ。

このような見方は、患者の病理がBPDか解離性か、といった二者択一な診断を患者にあてはめる必要から治療者を開放してくれるであろう。(p127)

このように、重なる部分もありうる、とみなすのは、PTSDと解離の関係からすると、ごくごく自然なことです。

PTSDと解離は、正反対だとはいっても、白か黒かで二分できるようなものではなく、互いにつながっている「弱い解離」と「強い解離」だからです。

当然ながら、その隙間には、「中程度の解離」の人がさまざまな程度で存在していて、その人たちは、ある程度「弱い解離」としての境界性パーソナリティ障害に似た特徴を示しつつ、同時に「強い解離」としての解離性障害の特徴も示すでしょう。

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8.フラッシュバックか、人格交代か

一見、まったく違う症状のように見えて、境界性パーソナリティ障害(BPD)やPTSDが「弱い解離」であり、解離性障害や解離性同一性障害(DID)が「強い解離」である、というのは、意外なところからわかります。

それぞれに特徴的な症状を挙げて並べてみると、こんなリストになります。

■境界性パーソナリティ障害(BPD)…キレる・態度が豹変
■心的外傷後ストレス障害(PTSD)…フラッシュバック
■解離性障害…幻聴・健忘・離人症
■解離性同一性障害(DID)…人格交代

一見なんのつながりもないように思える、これらの現象ですが、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合に書かれている次の説明を読むと印象が一変することでしょう。

PTSDにおけるフラッシュバックがある種のトラウマのシーンを二次元レベルで静止画的に再現しているとすると、子どもの人格部分の出現は継時的な動画のようであり、その時の自分が舞い戻っているという、より複合的な現象だからである。

またこのことは、PTSDのフラッシュバックも一種の人格交代現象に類似する、という見方を促すことにもなるであろう。(p146)

フラッシュバックとは、じつは一種の人格交代だったのです

思い出してください。国立・精神神経センターの金先生は、PTSDは「不完全な解離」だと述べていました。

これを人格交代に当てはめると、DIDが「完全な人格交代」であるのに対し、PTSDは「不完全な人格交代」であるとみなせます。

DIDの人格交代は、明らかに別の人格が出てくるのでわかりやすいものですが、PTSDの症状が、不完全ながら、一種の人格交代 とみなせるのはどうしてでしょうか。

そもそも、DIDで、多数の人格が作られる理由の一つには、過去のトラウマ記憶を管理してもらうための「身代わり」や「犠牲」といった役割があります。自分では担えない辛い記憶を、特定の人格に担当して、門番のように隔離しておいてもらうのです。

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そうすると、人格交代して、別の人格が出てきてしまう、というのは、その人格とともに、過去のトラウマ記憶が表に出てくる、ということになります。

そのように考えると、PTSDのフラッシュバックも、DIDの人格交代も、過去のトラウマ記憶が突然表に出てくる反応、ということで共通しています。

DIDの交代人格の中でも、空気を読んで役割分担して出てくるものは解離傾向と関係しているのかもしれませんが、何かのきっかけで制御できずに現れる感情的な人格はPTSD傾向のフラッシュバックが関係しているように思えます。

しかし、PTSDのフラッシュバックは、過去の感情やイメージが断片的に再生されるのに対し、DIDの人格交代の場合は、そのときの出来事に関係する記憶がひとつの人格という形にまとまって再生されるのです。

PTSDのほうは、「不完全な解離」のため人格という形にまで記憶がまとまっていませんが、DIDのほうは、「完全な解離」のため、単なる記憶ではなく人格の形をとっているというわけです。

そうであればPTSDのフラッシュバックが人格交代の一種であると説明するよりかは、DIDの人格交代の少なくとも一部は、フラッシュバックの一種である、と逆に考えたほうがわかりやすいかもしれません。

岡野先生も、視点を逆に変えて、こう説明しています。

フラッシュバックとは、PTSDの症状に特徴的とされ、ある種のトラウマをその時の知覚や感情とともにまざまざと再体験することである。

つまり、この子どもの人格部分の出現は、そのフラッシュバックが「人格部分ごと生じる」現象として理解することができるだろう。(p154)

このようにPTSDのフラッシュバックは一種の人格交代である、DIDの人格交代は一種のフラッシュバックである、という視点から見ると、残りの二つの疾患の特徴について何がわかるでしょうか。

まず境界性パーソナリティ障害は、PTSD寄りの病気ですが、突然態度を豹変させ、我を忘れてキレて怒りだし、しかも後になると忘れている、といった特徴があります。

これは、一種の人格交代であり、基本となるアイデンティティそのものは変わらないものの、感情の部分だけが別の人格に切り替わっている状態です。

PTSDのフラッシュバックと同じく、まとまった人格を構成するほど解離傾向は強くありませんが、断片的な感情という形で軽度の人格交代が生じているのです。

逆に、これはフラッシュバックの一種ともみなすことができます。周りの人の反応に敏感で、ささいな言動がきっかけで、過去の見捨てられ体験というトラウマ記憶が呼び覚まされて、パニックになって我を忘れてしまうのです。

では、解離性障害のほうはどうでしょうか。こちらは、離人症や幻聴、だれかの気配などを感じるという特徴があります。

離人症というのは、体外離脱と同じく、もう一人の別の自分の視点から、現実の自分を見ているときに生じますし、幻聴もまた、別の自分の声です。だれかの気配も、別人格の気配です。

解離傾向の強い人は、これまで考えたとおり、強い前頭前野の抑制機能を働かせて、扁桃体のパニックを押さえ込んでいるのが特徴です。

解離傾向が強いため、過去のトラウマ記憶は、すで別の人格という形でまとまっていますが、強い抑制能力で、その人格がまるごとフラッシュバックするのを抑えているのです。

しかし交代人格の幻聴や幻視それ自体もフラッシュバックの一種である、というのは杉山登志郎先生が発達障害のいま (講談社現代新書)の中で述べています。(p108)

これら4つの病気の特徴をこうして改めてフラッシュバックと人格交代、という観点から見ると、次のようにまとめることができます。

■境界性パーソナリティ障害(BPD)…キレる・態度が豹変
→人格はまとまっていないが、軽くフラッシュバックしている

■心的外傷後ストレス障害(PTSD)…フラッシュバック
→人格はまとまっていないが、強くフラッシュバックしている

■解離性障害…幻聴・健忘・離人症
→人格はまとまっているが、フラッシュバックはある程度抑えている

■解離性同一性障害(DID)…人格交代
→人格はまとまっていて、フラッシュバック(人格交代)も生じている

こうして見ると、一番重い解離性同一性障害(DID)は、解離傾向だけによるものではないことがわかります。

解離傾向によって人格がつくられ、一部の人格が役割分担しますが、同時にPTSD傾向も強くて過去の感情を抱えた人格がフラッシュバックする症状も生じています。

つまり、DIDでは、解離傾向もPTSD傾向も両方が複雑に絡みあう複合現象が生じているようです。

愛着回避・愛着不安の両方の傾向を抱えた、D型アタッチメント、いわゆる「恐れ・回避型」の人が解離性同一性障害(DID)になりやすいとされるのはそのせいだと思われます。

もちろん、何度も言うように、これらは白黒つけられるものではなく、中間的な状態がほとんどなので、いずれかの傾向がある、というにすぎない場合が多いでしょう。

しかしこれら4つの近年注目されている問題が、愛着障害からくる傾向と、ストレスやトラウマ経験の種類の重ねあわせによって生じているとみなすと、問題がわかりやすくなります。

9.感情豊かで主観的か、冷静で客観的か

このような、幼いころの養育環境に由来するPTSD傾向と解離傾向の違いは、その後の人生における性格や思考パターンの違いにも如実に反映されています。

もともと「不安型」の愛着が強く、子どものころは多動性・衝動性優位型のADHDのように振るまい、思春期以降、境界性パーソナリティ障害(BPD)に発展する人は、どちらかという感情豊かな反面、衝動的に行動しやすく、深く考えるのが苦手です。

一方で、もともと「回避型」の愛着が強く、子どものころは不注意優勢型のADDとみなされがちで、思春期以降、解離性障害に発展する人は、どちらかというと、感情に乏しいものの、理性的にじっくり考えることは得意です。

このような性格の違いも、単に病気の特性などというものではなく、もともとの愛着のタイプが影響している、PTSD傾向と解離傾向の表れ、とみることができます。

子どものころの不安定な愛着の「不安型」と「回避型」は、大人になってもそのまま続くことが多く、それそれ「とらわれ型」「愛着軽視型」という別の名前で呼ばれます。

本質的には子どものころの二つのタイプと同じですが、それぞれ大人になって初めて分かる興味深い特徴を持っています。愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)にはその違いがこう書かれています。

まず「不安型」に相当する「とらわれ型」について見てみましょう。

とらわれ型は、子どもの抵抗/両価型に対応するものである。子ども時代や親(養育主)との関係について客観的に振り返ることが困難なタイプで、曖昧な答えしか返さなかったり、そうした質問をされることに怒りの感情を示したりする。

過去のことを振り返っていることを思わず忘れて、あたかも目の前で起きているかのように、生々しい感情に呑みこまれやすい。

語る言葉も一文一文が長く、切れ目がなく、ゴチャゴチャに混乱していて描写が細かく詳しい一方で、自己省察に欠けた面がある。(p104)

ここでは「不安型」の傾向が強いまま大人になった人に、過去のことを尋ねると、嫌だったこと、辛かったことなどを、まざまざと細かく思い出す様子が書かれています。

いわば、親に対する恨みつらみなど、過去の嫌な体験にとらわれているからこそ、大人になると「とらわれ型」という名前に変わるのです。

こうした、ネガティブな過去の体験にこだわり、我を忘れて執着し、没頭してしまうのは、やはり「不安型」特有のPTSD傾向があるからです。

過去のネガティブな体験にとらわれて頭から離れないこと自体が軽いフラッシュバックであり、長い年月が経過していたとしても、いまだにその苦しみのただ中にいるかのように記憶がよみがえるのです。

客観的に振り返るのが困難なのは、今の自分の日常生活のささいな出来事と、過去の嫌な記憶しとが結びついていて、軽いフラッシュバックによって、その中に没頭してしまうからです。

これは、先ほど紹介したマウスの実験で示されていたPTSDのメカニズムと同じ現象です。

では、「回避型」に相当する「愛着軽視型」のほうはどうでしょうか。

愛着軽視型は、回避型に対応し、自分の子ども時代についてポジティブな見方を示すものの、話はあっさりしていて、簡略で、あまり詳しいことを覚えていない。

親(養育者)との関係については、あまり生き生きと思い出すことができない。

親(養育者)との関係は大して重要なことではないという態度を示すのも特徴である。

しかし、話を掘り下げていくにつれて、実はあまり構われずに育った状況が浮かび上がってくる(p104)

こちらのほうは、うって変わってポジティブに過去のことを振り返ります

しかし根っからポジティブなのではなく、過去の嫌な体験の記憶がほとんどないのです。詳しいことも細かい点も覚えておらず、記憶があいまいです。

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親に対する恨みつらみにとらわれるどころか、親との関係などどうでもいいといったそぶりです。だからこそ、「回避型」は大人になると、「愛着軽視型」という名前に変わります。

こうして「回避型」の人が、過去の嫌なことを忘れてしまうのは、先ほどのPTSD傾向とは逆の解離傾向が働いているからです。

マウスの実験と同じように、前頭前野の働きによって、いやな記憶は隔離してしまって、あたかも何もなかったかのように、臭いものに蓋をしているということです。

PTSD傾向の強い「不安型」と違って、フラッシュバックに飲み込まれることがないので、たいていは冷静かつ客観的で、他人事のように過去や親との関係を振り返ります。

PTSD傾向の強い「不安型」と、解離傾向の強い「回避型」で、こうした違いが現れるのは、ここまで考えてきたとおりの脳のメカニズムの違いによるものです。

「不安型」の人は、扁桃体のアラームが鳴りっぱなしで、嫌なことに過敏に反応するため、いまだに子どものころの辛かった出来事のただ中にいて、「闘争」か「逃走」かのまま、さまざまな感情がうずまいています。

「回避型」の人は、扁桃体のアラームを前頭前野で支配して押さえ込んでいるので、過去の嫌なことはすべて封じ込めてしまい、過去の記憶をはるか遠くから眺め、感情を「固まり」「麻痺」させているのです。

こうした人間の感情的な思考と、理性的な思考との関係は、従来から、解離性同一性障害(DID)との関係でよく知られていました。

DIDでは、非常に理性的な人格である「ANP」(apparent normal personality:表面上平静さを保つ人格)と、感情的で手がつけられない人格「EP」(emotional personality:感情的な側面をつかさどる人格)とがみられるからです。

これら二タイプの人格は、それぞれが複数存在することもありますが、それぞれの役割について、こころのりんしょうa・la・carte 第28巻2号〈特集〉解離性障害にはこう書かれています。

ANPの機能は日常生活をこなしていくこと(日常生活の行為維持システム)であり、外傷関連の記憶、感情などを避けることにより平常を装って現在を生きようとする人格部分である。

それに対し、EPは過去の外傷から抜け出せず、現在も危機状態にいるかのように感じている人格部分であり、自己防衛の機能を担う(防衛の行為システム)。(p134)

ANPは、嫌な記憶を封印し、冷静で淡々と現在を生きる人格です。

EPは、過去の嫌な記憶にとらわれ、現在も危機のまっただ中にいて感情に呑まれている人格です。

もうおわかりと思いますが、ANPとは「回避型」の人の性格そのもの、そしてEPとは「不安型」の人の性格そのものです。

実際に、脳科学的な研究からは、ANPが解離傾向と、EPがPTSD傾向と結びついていることがわかっています

この構造的解離論による理解は、最近のPETなどによる画像研究が報告している内容ともほぼ一致している。

それらは主としてANP型の脳所見を解離に特徴的なものとし、EP型をPTSDに特徴的なものとしている。

つまり解離かPTSDか、といった分類に基づく現象として捉える傾向が主流を占めているのだ。(p123)

そして、さらに、ANPでは理性と自己抑制を担う「前頭前野」などが、EPでは感情や自己防衛などに関わる、「扁桃核」や「島皮質」が強く活動していることがわかっているそうです。(p123)

そうすると、「不安型」の人では、EP、つまり感情的人格が中心になっていて、「回避型」の人では、ANP、つまり表面的に平静さを保つ人格が中心になっているということがわかります。

このようなわけで、「不安型」でPTSD傾向の強い人は、感情豊かな反面、その感情にとらわれやすく、客観的に、理性的に考えるのがとても苦手な人に成長してしまいがちです。境界性パーソナリティ障害はまさにそうした特徴をもっています。

他方、「回避型」で解離傾向の強い人は、冷静で理性的、物事を客観的に見るのが得意な反面、感情を表すのが苦手で、自分の気持ちを押し殺してしまいやすい人に成長してしまいがちです。解離性障害の人はまさにそうした特徴を示します。

10.自分は空っぽか、自分はたくさんか

このようなPTSD傾向と解離傾向の違いを見てきた今、心によみがえるのは、境界性パーソナリティ障害と解離性障害の違いについての次の説明です。

続解離性障害によると、「不安型」のPTSD傾向が強い、境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)の人はこう感じています。

ボーダーラインの人の場合には関係を切るわけにはいかないのです。切ると精神的に死んでしまうようなところがあります。

内部は空虚ですから。絶対だれかとつながっているわけです。死んでやると言いながらやはりくっついていく。(p211)

境界性パーソナリティ障害の人は、心は空っぽです。常にだれか満たしてくれる人を探して、孤独にさすらい続けています。

幼いころ、心のなかに、「安全基地」を創る機会を持てず、右半球の感情的自己や、鳴り響く扁桃体のアラームを止めるのは、いつもそばにいるだれかでした。泣き叫べば、だれかが必ず答えてくれました。

しかし、それは同時に、自分一人では感情をコントロールできないという恐怖につながります。だれかがそばにいなくなったら、という見捨てられ不安に常に脅かされています。

いつも不安のアラームが鳴り響いていて、警戒態勢が続き、「闘争か」「逃走か」のただ中にいますから、じっくり腰を落ち着けて考えることができません。

常に戦時下を生きていますから、自分を客観的に、別の人の目を通して、見る余裕などありません。むしろ自分はたった一人の感情的自己であり、ほかにはだれもいないのです。

そうすると、強い感受性をもちながら、他の人の気持ちになって考えることができません

しばしば「共感性」という概念はひとくくりにされますが、自分の立場で他の人の痛みに共感する感じる力と、他の人の立場に立ってその人の痛みを理解する力とは別のものです。

発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ (ブルーバックス)にはこう書かれています。

身体を基準としてミラーニューロンシステムは、目の前の人の痛みや苦しみに反応するとしても、相手の世界はあくまでも自分の世界の延長でしかない。

相手の文脈で反応するためには、相手の気持ちを推論のように知的に理性的に頭の中で理解する、メンタライジングネットワークが必要とされる。(p151)

共感というのは、ミラーニューロンシステムのような、相手の動きや感情をまねる働き、つまり「自分の心で相手の痛みを感じる」、ことだけが重要なのではありません。

自分の心で相手の痛みを感じても、相手が同じように感じているとは限らないので、おせっかいやすれ違いの原因となりかねません。

そうではなく、メンタライジングネットワークのような、相手の立場に立って、「相手の心で相手の痛みを感じ取る」理性的な働きが不可欠です。

こちらは、相手の事情や背景をよく考えた上で気持ちを想像しますから、論理的で客観的な洞察力が求められます。

しかし、常に感情的自己だけで、一人ぼっちで生きてきた境界性パーソナリティ障害の人は、他人の立場に立って考えることが苦手です。他人から見た自分がどう見えるかを考えることも困難です。

「自分の心で相手の痛みを感じる」感受性は強いので、良かれと思って様々なことを衝動的に行いますが、それがかえって、相手の気持ちとかけ離れているので、次々に人間関係のトラブルを身に招いて傷ついてしまうのです。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合に書かれているとおり、「弱い解離」の傾向を持つ人たちの特徴の一つは、

「他者の目を通して自分を見る力の欠損」(p84)

なのです。

他方、続解離性障害によると、「回避型」として、解離傾向が強い、解離性障害の人はこう感じています。

典型的な解離の人は、ひとりでいることは寂しくなく、なぜなら自分たちは複数だからと言います。

「何々ちゃんがいるから全然寂しくないもの」。(p207)

境界性パーソナリティ障害の人の心が空っぽで空虚であったのに対し、解離性障害の人の心は充実しています。

しかし普通の充実の仕方ではなく、あたかも、あらゆる機能が揃って自給自足できる隔離シェルターのような場所です。

強い「回避型」傾向を持つ人は、幼いころ、世の中のだれも信頼するに価しない、ということを学びました。

実の親でさえ、泣き叫んでもほとんど助けに来てくれなかったのです。もう、現実世界にいる誰かに絶対的な信頼を寄せることは難しいと悟りました。

鳴り響く扁桃体のアラームをとめるには、自分でスイッチを押すしかなかったのです。それで、自分の中にもう一人の自分をもつようになりました。

本当の親とはどんなものかを知りませんが、自ら創り出したもう一人の自分は、少なくとも、強い前頭前野の力をもって、警戒アラームを止めてくれる存在です。

そして、感情をただひたすら抑えこみ、まわりに合わせ、「良い子」として振る舞うことで、誰も信じられない世の中でかろうじて自分の居場所を見出してきました。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

 同じ本にこう書かれていたとおりです。

ボーダーラインの人は相手のことをむちゃくちゃ言うしむちゃなことをやりますが、それは人間に対する信頼感を根本的なところで持っているからだと思います。

解離の人はそこが切れていて、人に対して絶望しているようなところがあるように思えるのですが。(p211)

もはや、この世界を生きていくには、自分の中にいる複数の自分に頼るしかなく、「人に対して絶望している」のです。

境界性パーソナリティ障害の人が他の人の心とすれ違うのは、「自分の心で相手の痛みを感じる」ことはできても、「相手の心で相手の痛みを感じ取る」のが難しいためでした。

主観的になりすぎて、相手の気持ちと自分の気持ちギャップから相手を傷つけ、自分も傷つけられてしまうのでした。

解離性障害の人は反対です。

理性的になって、「相手の心で相手の痛みを感じ取る」ことは得意です。気遣いや気配り、配慮がとてもうまく、「いい人」「優しい人」として知られます。空気を読み、気持ちを読み、相手を喜ばせる才能があります。

なんといっても、これまでずっと、「自分は複数」で生きてきたので、別の人の視点に立ったり、客観的に物事を見たり、多角的に分析するのはお手の物なのです。

しかし「自分の心で相手の痛みを感じる」ことができません。そもそも自分の心や感情というものがよくわかりません。現実のだれかから愛されているという気持ちも感じられません。生まれてこのかた、ずっとそれを押しとどめてきたのですから。

生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)によると、回避型の人は解離性障害になって現実感が失われやすいだけでなく、非行に走ったり反社会性パーソナリティ障害になったりすることもあるそうです。これらに共通する特徴は、相手の心は読めるのに、その痛みには鈍感なことです。(p99-100)

回避型の人たちは、この広い世界を行けども行けども、自分の心の中に広がるもうひとつの世界のほかに、安心できる居場所をどこにも見いだせないでいるのです。

「安全基地」の有無から読み解くPTSDと解離の正体

ここまでPTSDと解離の10の違いについて考えてきました。それは、おおもとにある愛着障害の「不安型」と「回避型」の違いであり、思春期における境界性パーソナリティ障害と解離性障害の違いでもありました。

最後に、それぞれの違いを脳の発達と愛着という観点からまとめておきたいと思います。

右半球の異常な活性化と脳梁の弱さ

さきほど話題に出た、感情的な人格であるEP、そして理性的な人格であるANPは、それぞれ大脳辺縁系の扁桃体というアラーム、前頭前皮質というブレーキに対応していました。

さらに、それらは、脳の右半球と左半球の役割ともつながっているようです。

人間の脳において、感情的かつ直感的な反応は右半球と、理性的でじっくり思考する反応は左半球と結び付けられることがあります。

実際には、脳はほとんどあらゆることを左右協力して行っているので、完全に感情は右脳、理性は左脳、とみなすのは正しくありません。

しかしたいていの人の場合、意味や理由を解釈する言語野は左半球に特化しているため、左半球が言語を用いて理性的に考えることで、前頭前皮質の「ブレーキ」を作動させるよう働きかけるのではないかと思われます。

そうすると、あくまで単純化した見方ではあるものの、感情的人格であるEPは脳の右半球寄りの、理性的な人格であるANPは左半球寄りの性質を持っている、ということになります。

そして、トラウマ的などの辛い体験は、脳のどちらに影響するのかというと、右半球であることが知られています。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳には、次のような研究結果が記されています。

一連の結果は、“虐待と左右半球の発達の間に関係がある”というTeicherの仮説を裏づけていた。

大脳の左半球は言語を理解したり表現したりするのに使われる。

一方、右半球は空間情報の処理や情動、とくに否定的な情報の処理を主にしている。

虐待を受けた子どもたちは、そのつらい思い出を右半球に記憶しており、それを思い出すことで右半球を活性化しているのではないかとTeicherは考えた。

このことはカナダのブリティシュコロンビア大学のCynader(ジネーダー)による仔猫を使った検討でも証明されている。(p64)

虐待を受けた子どもの場合、感情やネガティブ記憶を担当する右半球の活動が異常に活性化していたのです。

少し前で説明したとおり、愛着の「不安型」の傾向は、乳幼児期の親の過干渉と関係していて、特にそれがひどく出る場合は虐待などが関係しています。

ですから、強い「不安型」の傾向を持ち、大人になるとネガティブな過去にとらわれる人たちは、この実験が示すとおり、脳の右半球が異常に活性化していると考えられます。

しかし、これは脳の右半球が特に異常に発達しているというわけではないようです。そうではなく、左半球が発達していないため、右半球の活動が制御できていないのだそうです。

それはつまり、脳の左右の連携がとれていないことを示唆しています。実のところ、虐待やネグレクトを経験した子どもでは、単に右半球が異常に活性化しているだけでなく、脳の左右をつなぐ脳梁に問題があることがわかっています。

虐待されたりネグレクトされた経験のある男児では、脳梁の中央部が対照群に比べて明らかに小さいことを発見した。

また男児では、ネグレクトが他のどの虐待よりも各脳梁部位のサイズ減少に影響が大きいことがわかった。

一方、女児では、脳梁中央部のサイズと最も強い関連があつたのは性的虐待だった。(p65-66)

これは何を意味しているのでしょうか。どうして虐待やネグレクトを受けると、脳梁が弱くなり、理性的人格が宿る左半球が十分に発達せず、感情的人格が宿る右半球が異常に活性化してしまうのでしょうか。

「不安型」のPTSD傾向の正体

大きなヒントとなるのが、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合に載せられている次の説明です。

最後にショアが呈示する自己selfの理論が興味深いので、付け加えておきたい。

彼の説は、脳の発達とは自己の発達であり、それはもうひとつの自己(典型的な場合は母親のそれ)との交流により成立する、というものである。

そしてそこでも最初に発達を開始する右脳の機能が大きく関与している。

ショアは、自己の表象は左脳と右脳の両方に別々に存在するという考えが、専門家の間でコンセンサスを得つつあるという。

前者には言語的な自己表象が、後者には情緒的な自己表象が関係しているというわけだ。(p23)

ここでは、脳の右半球と左半球には別々の自己が存在しているのが普通である、と書かれています。これまで見たとおり、脳の右半球には感情的自己であるEPが、左半球には理性的自己であるANPが宿っています。

そして、片方の自己は、「もうひとつの自己(典型的な場合は母親のそれ)との交流により成立」します。

このうち、最初からある自己というのは、右半球の感情的人格、つまりEPのことです。

赤ちゃんに理性的な自己があるとは誰も思わないでしょう。当然始めにあるのは感情的自己で、次いで理性的自己が発達するはずです。

実際に、次のようなことがわかっています。

特に生後の最初の1年でまず機能を始めるのは右脳だからだ。

そのとき左脳はまだ成熟を始めていない。

…子どもが成長し、左右の海馬の機能などが備わり、時系列的な記憶が生成され始めるのは右脳だからだ。(p19)

子どもの脳で、生後間もない幼いときに働いているのは、やはり感情的自己であるEPが宿る右半球のほうなのです。

すると、虐待された子どもで、右半球が異常に活性化していたのも納得がいきます。

幼いころに、危険な扱いを受けたことで、右半球の感情の警戒アラームが刺激され、感情が暴走するようになったのです。

では、もう片方の左半球のほうはどうやって成長するのでしょうか。

幼いころ、脳の左半球はまだ機能していません。より早く感情的自己が存在しはじめる右半球と違って、脳の左半球は、これから、もう1つの自己を創らなければなりません。

どうやってもう1つの自己を創るのか。答えは一つです。

「愛着」です。

愛着とは、特別な存在、多くは母親との絆のことですが、特に、母親のイメージを取り込んで内在化する働きのことです。

先ほど、片方の自己は、「もうひとつの自己(典型的な場合は母親のそれ)との交流により成立」すると書かれていたことを思い出してください。

赤ちゃんは、最初は右半球の感情的自己(EP)だけの存在ですが、母親との交流により、母親のイメージを取り込んでいって、それを理性的自己(ANP)として創りあげるのです。

こうして内在化された母親のイメージは、愛着の研究において、「安全基地」と呼ばれています。愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)にはこう書かれています。

愛着の絆が形成されると、子どもは母親といることに安心感をもつだけでなく、母親がそばにいなくても次第に安心していられるようになる。

安定した愛着が生まれることは、その子の安全が保証され、安心感が守られるということでもある。

ボウルビィの愛着理論を発展させた、アメリカの発達心理学者メアリー・エインスワースは、愛着のこうした働きを、「安全基地」という言葉で表現した。(p32)

いつも温かい親のイメージが心の中に存在するからこそ、幼児期、そして学童期になるにつれ、たとえ母親が近くにいなくても、感情的自己を安定させることができます。

つまり、赤ちゃんは、右半球に存在する感情的自己のほかに、幼いころの親との絆、つまり愛着によって左半球に養育者の理性的自己を取り込むことで、次第に親を離れて自立していくことができるのです。

しかし、もしその愛着が育まれる時期に、親が過度に干渉してきたとしたらどうなるでしょうか。過保護に溺愛して、すべてやってあげるとしたら? あるいは子どものやることを全部指図したり、虐待したりするとしたら?

そうすると、子どもは自立する必要を感じられず、自立することをむしろ阻まれるので、脳の左半球に、母親のイメージを写しとる必要がなくなります。

泣き叫べばすぐに親が飛んでくるので、親がいない場合、というのを想定して心の中に「安全基地」を創ることができません。

左半球に育つはずの親の内的イメージである理性的自己が弱く、右半球の感情的自己だけが強いまま大きくなります

そうすると、自分の感情を調節するために、いつも外部のだれかを必要とします。だれかが感情的自己をなだめてくれなけば生きられません。

心の中に親の内在化した「安全基地」がないため、心は空っぽです。いつも、周りの人に見捨てられないかとビクビクしています。

それこそが「不安型」の人が抱えるPTSD傾向の正体、そして境界性パーソナリティ障害の人が直面している状況そのものなのです。

心の中の「安全基地」の不在こそが、「不安型」の人たちの圧倒する見捨てられ不安の原因であることは、以下の記事でも詳しく説明しました。

いつも頑張っていないと自分には価値がないと感じてしまう人へ―原因は「完璧主義」「まじめさ」ではない
全力を尽くしていないと自分には価値が無いと思ってしまう。休んだり、遊んだりすることに罪悪感を抱いてしまう。そのように感じてしまう人は、自分の限界を超えてやりすぎてしまいます。その原
 

「回避型」の解離傾向の正体

では、他方の「回避型」のほうでは、何が生じているのでしょうか。

解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合には、愛着の生理的機能についてこう書かれていました。

この愛着トラウマは具体的な生物学的機序を有している。

母親に感情の調節をしてもらえないことで交感神経系が興奮した状態が引き起こされる。そして心臓の鼓動や血圧が亢進し、発汗が生じる。

しかしそれに対する二次的な反応として、今度は副交感神経の興奮が起きる。すると今度は逆に心拍数は低下し、血圧も低下し、ちょうど擬死のような状態になる。(p16)

すでに見たとおり、愛着の主な役割は、感情の調節です。

最初の段階では、脳の右半球の感情的自己しか機能していないので、赤ちゃんは、外部の母やという他人を頼りに感情を調節してもらいます。

それから、そのときに母親が示してくれた愛情をまず右半球で感じ取り、その右半球と、まだ発達していない左半球をつなぐことで、脳の中でやりとりをしながら、左半球に母親のイメージを内在化していきます。

つまり、脳の左半球に母親のイメージを写しとり、それを「安全基地」とするには、その前に左右の脳をつなぐ脳梁を発達させる必要があるはずです。

ところが、母親が感情的な調節をしてくれないとしたらとどうなるでしょうか。関心に乏しかったり、ネグレクトしたり、親が次々と変わるような場合です。

そのような場合、脳の右半球と左半球とが双方向のやりとりをして、親のイメージを「安全基地」として内在化するのは難しいでしょう。

「不安型」の人は、泣き叫べばすぐに親が来てくれたり、あらゆることで手出しされたりするため、そもそも「安全基地」が育ちませんでした。育つ必要がなかったからです。

それはいわば、自分では「アクセル」しか踏めない車のようです。助手席に「ブレーキ」がついていて、いつも隣に座るだれかが「ブレーキ」を踏んでくれていたので、自分ひとりだけでは「ブレーキ」を踏めないのです。

子どものころからずっと、泣き叫ぶことで、まわりの人に感情を調節してもらっていたので、自分で自分の警戒アラーム、つまり、交感神経の過剰興奮を解除する方法を学べなかったのです。

だからこそ、助手席にいる人、つまり脳の左半球の役割を代わりに担ってくれる誰かに見捨てられることへの不安と恐怖を常に抱いています。

しかし「回避型」の人が置かれる状況は違います。上の引用文のとおり、泣き叫んでも親は来てくれなかったのです。そのために親とのコミュニケーションもなく、安全基地も発達しませんでしたが、だからといってそのままでは、いつまでも感情を安定させることができません。

泣き叫んでも親が世話をしてくれない場合、赤ちゃんがとれる選択肢は一つだけです。

親を含め、だれも十分に感情の調節をしてくれなかったので、交感神経の興奮に対して、副交感神経も興奮させるという荒技で対処することを学習します。

これはいわば、運転席に「アクセル」、助手席に「ブレーキ」という意味では同じであるものの、自分一人で、両方を同時に踏むという離れ業を身につけるようなものです。

「アクセル」を踏む感情的自己(EP)と、ブレーキを踏む表面的に平静な自己(ANP)の二人の自分へと、自分を分けるという離れ業です。

そうすることは、母親のイメージを「安全基地」として内在化する代わりに、外部の環境の空気を読み、さまざまな情報を取り入れてもう一人の自分を創り出すことによって自分の感情をコントロールしなければならない、という適応でもありました。

これが、「回避型」の解離傾向における、空気を読みすぎる過剰同調性や、人格の多重化傾向のおおもとでしょう。

「安全基地」となるはずの母親がいなかったため、自ら空気を読み、自分で自分をコントロールして、あらゆる場面に適応するしか、生き延びる道がなかったのです。

幼いころからの生き方すべてを見つめなおす

こうして、解離とPTSDの違いを分析してきた旅路の終わりに、結局のところ、次のような結論に至ります。

PTSDとは、脳の右半球の異常活動であり、自分で自分の感情を調節することが難しいために、過去の苦しみや辛い経験がフラッシュバックするのを抑えられない状態です。

解離とは、そのような脳の右半球の異常活動に対して、自分で自分の感情を抑えこむことを目的として、自分が複数にわかれていく状態です。

そして、両者に共通するのは、幼いころの愛着トラウマ、愛着障害によって、他人に依存しすぎるか、他人をまったく信頼できないかの両極端に陥り、その生き方に沿って、独特な脳のシステムが作られてしまったということです。

その結果、ストレスやトラウマに直面したときに、終わらない苦しみのループにはまり込んでしまうのです。

この記事では、PTSDと解離が連続しながらも、正反対であることを示し、その特徴を説明してきました。

まわりくどい部分もあったかと思いますが、根本原因である愛着を含め、その人のこれまでの人生全体が関係している問題であることを知っていただけたと思います。

それはつまり、PTSDや解離から抜け出すには、一般的によく行われている心理療法はもちろん、根底にある愛着の問題に向き合うことも、いつかは必ず必要とされるということにほかなりません。

このブログでは、これまで、愛着の問題の解決に役立つ書籍や情報をいろいろ取り上げてきました。

今回紹介した本も含め、そうした情報に触れて、改めて自分の半生を振り返り、自分を見つめなおしてみることが、苦しみのループから抜け出す気づきを与えてくれるかもしれません。

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