自閉症はなぜ方言ではなく共通語を話すのかーHSPの脳機能との違いを考察する


「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」

妻のこの一言で始まった研究は思わぬ展開を示すこととなりました。

…調査をすればするほど湧いてくる課題、考えれば考えるほど解けない疑問と向き合った結果、方言というローカリティそのものと考えていた問題が、私たちをASDのことばの謎へと誘っていきました。(p246-247)

閉スペクトラム症(ASD)の人たちは方言を話さない?

弘前大学の松本敏治先生のこの不思議な研究について知ったのは、2015年のニュース報道でした。

自閉スペクトラム症(アスペルガー)の人は方言を話さない、表情模倣が乏しいなどの傾向
自閉スペクトラム症(ASD)の人は表情模倣が少なく、方言も使わない傾向があるそうです。

本当だろうかと怪訝に思いつつも、身の回りのアスペルガーの人たちを思い浮かべると、たしかにあまり方言を使わないことに気づきました。

それ以来、この不思議な研究のことはずっと頭の片隅に残っていたのですが、なんと今年になって、一冊の本自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解くにまとめて出版されたので、さっそく読んでみました。

冒頭に引用した文中で著書が述べているように、単純なコミュニケーションの特性かと思いきや、じつは定型発達とASDの学習方法の違いや、解釈の能力にも関わってくる極めて深いテーマだということがわかりました。

この記事では、本の内容を概観するとともに、自閉スペクトラム症の対極にあるとも言えるHSPのコミュニケーション能力と比較してみましょう。

さらに、過剰同調性や多重人格といった解離現象との意外なつながりにも光を当ててみたいと思います。

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これはどんな本?

この本は、弘前大学の松本敏治先生の、およそ10年にわたるASDと方言をめぐる不可思議な研究をまとめたものです。

冒頭に引用したように、この研究は、松本先生の妻の何気ない一言から始まりました。

特別支援教育に携わっていた松本先生は、「自閉症は津軽弁をしゃべらない」という妻の観察をはじめは真に受けていませんでした。

しかし、調査を重ねるうちに、全国的傾向として自閉スペクトラム症の人たちが方言を話さないという意外な実態が明らかになり、既存の理論では説明できないことに気づきます。

次々と予想外のデータが出てきて、それを解き明かすために仮説を積み重ねていく様子は、心理学の本と言うよりあたかも推理小説のようで、わくわくしながら最後まで読み通すことができました。

あたかも推理小説のような本だ、と形容していながら、この記事であれこれ要約してしまうのは、真相のネタバレをしているようで心苦しいのですが、興味を持った人はぜひ本書を直接読んで10年間の思考の積み重ねを追ってほしいと思います。

自閉スペクトラム症(ASD)は方言を話さない

自閉スペクトラム症は方言を話さない。

もしもそんな際立った特徴があるとすれば、もっと広く知られていても良さそうなものですが、自閉症と方言についての研究は、国内外に少数しか存在していないようです。

理由のひとつは、自閉スペクトラム症の人は、方言を話す話さない以前に、独特の話し方をする人が多いということです。

ASDの話し方が独特であることはよく知られています。

一本調子であったり、奇妙なアクセントやイントネーションであったりします。

彼らのもつ独特の口調については、ASDの特徴としてよく記載されています。

言語や障害について詳しくなくても、他の子どもたちとは違う独特の話し方は、少しでもASDの子どもとかかわった経験がある人なら誰もが気づくものです。(p13)

ここに書かれているとおり、自閉スペクトラム症の人たちは「他の子どもたちとは違う独特の話し方」をすることが多く、ASDの人と関わる機会が多ければすぐに気づきます。

感情的に平板で抑揚のないする話し方をすることもあれば、一定のリズムで周期的に抑揚をつけて話す人もいます。聞き手のことを考えないで自分の興味のあることをマシンガンのようにしゃべる人や、逆におっとりマイペースすぎる人もいます。

いずれの場合も共通しているのは、本来なら相手の反応に合わせて変わるはずの抑揚やリズムが反映されていないことです。

こうした独特の話し方には、以前の記事で考えたように、低周波帯の音に対する感覚過敏のせいで、声にこめられた感情の読み取りが難しいことが関係しているのかもしれません。

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この独特の話し方があまりによく知られているせいで、自閉症は方言を話さないという現象が覆い隠されてしまい、著者の研究も最初のころはあまり注目されなかったようです。

ASDの人たちが方言を話さないような印象を受けるのは、方言に含まれるようなイントネーションが見られない話し方をするせいだ、というわけです。

しかし本当にそうでしょうか。自閉スペクトラム症の人たちは方言を話さないのか、それとも独特のイントネーションのせいで見かけ上方言を話さないように感じるだけなのか。

著者はその点を明らかにするために、ASDの人たちが方言の語彙を用いているかどうか、という調査を行いました。

発音・イントネーションの偏りであれば、ASDの人は周囲のことばを学んで使用しているが、音声的特徴が独特ということで説明はすみます。

しかし、もしも、方言語彙を使用していないとなるとASDは、周囲の人びとのことばを学ぶことや使うことに困難があるとなり、これは厄介な問題になります。(p35)

もしも方言の語彙を使っていないとしたら、ASDの人は単に見かけ上 方言を使っていないように見えるのではなく、本当に方言を使っていない、ということになるはずです。

しかして、その調査結果はまぎれもなく、ASDの人たちが方言の語彙をあまり使っていないこと、しかも全国的に方言を話さない傾向がある、ということを疑問の余地なく示していたのでした。

これは、ASDが単に独特の話し方をするだけでなく、そもそも方言を身に着けない、あるいは対人コミュニケーションの中で方言を使用しないという不可思議な事実を指し示していました。

方言と共通語は学習経路が違う

ではなぜ、ASDの人たちは方言を使用しないのか。この不可思議な現象をめぐる考察の流れは読み物としてもとても面白いところです。

無粋を承知で結論だけ整理すると、その原因は大きく2つに分けられるようです。ひとつは、ASDの学習経路、もうひとつは切り替え能力です。

まず、ASDの学習経路については、ASDの子どもは幼児のころから方言を学習しない傾向がわかっているようです。言い換えれば、定型発達の子が方言と共通語を身につける時期に、なぜか共通語しか学習しないという偏りが見られます。

同じ環境で育ちながら、方言を学ばず、共通語だけを選択的に学ぶなんてことがあるのだろうか?と首を傾げざるを得ませんが、それが成り立つトリックがありました。

カギを握るのは、方言と共通語とでは、学習経路が違う、ということでした。方言と共通語が両方話される中で、共通語だけを選択的に学習しているのではなく、それぞれが別々の経路で学習されるということが影響していたのです。

子どもを取り巻く環境を思い描いてみると、方言と共通語は、それぞれ違うルートで接することがわかります。

子どもの周りで方言を話すのは、家族や友だちなど、身近に接する隣人だちです。

では子どもの周りで共通語を話すのはだれかと言うと、リアルに接する隣人たちではありません。共通語は、テレビやアニメの登場人物、また本などの教材を通して学ぶ言語です。

身の回りの人が話す言語と、メディアや教材を通して学ぶ言語、これらはそれぞれ「自然言語」「学習言語」と区別することができます。(p155)

自然言語と学習言語は、どちらも同じ言語の習得過程のようでいて、習得に使われる脳機能はかなり異なっています。

私たち、発達障害、特にASDにかかわる者は、子どものことばの学びには少なくとも二つの道筋があることに注意を向けなければならないのではないでしょうか。

一方には、他者とのやりとりのなかで相手と注意を共有し、意図を読み取り、他人をモデルとしてその人を自分のなかに取り入れるようにことばや表現方法を学んでいく道筋と、もう一方には機械的あるいは連合学習的にことばを学んでいく道筋の二つです。(p217)

自閉スペクトラム症の人たちが方言を話さないのは、自閉症の脳機能が、学習の偏りを生み出していることに起因しています。

つまり、自閉スペクトラム症の人たちは、身の回りの隣人が話すような自然言語の習得が難しく、逆にメディアや教材を通して入ってくる学習言語の習得は得意なので、結果として方言は学ばず共通語だけを選択的に身に着けていってしまうというわけです。

これは発達障害に関わってきた人たちにとって、それほど意外なことではないはずです。

自閉スペクトラム症の人たち、アスペルガー症候群の人たちの よく知られている特徴の中に、身近な人とのコミュニケーションが難しいこと、また教科書や辞書の丸暗記や、視覚記憶に秀でていることなどがあります。

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方言を学ぶときに必要とされる能力は、前者の身近な人とのコミュニケーション能力です。他方、共通語を学ぶときに求められるのは、教科書やテレビから暗記する能力です。

定型発達の子どもたちは、どちらの学習経路もバランスよく使えるので、方言と共通語を当たり前のように両方身に着けていきますが、ASDの子たちは得意不得意がはっきりしているため、共通語ばかり身に着けるという偏りが生じてしまうのです。

ASDの人びとは、意図読みに困難を抱えるために、自然言語を学ぶことが難しく、結局、意図理解なしの模倣や連合学習によって学んでしまいます。

そのため、方言主流社会にあっても共通語が優勢となるテレビやビデオ、そして組織的な言語学習場面から言語習得をしていくことになると考えられます。(p169)

これは詰まるところ、コミュニケーションを通して学ぶか、メディアや教材を通して学ぶかの違いなので、必ずしもASDの人たちが方言を話さず共通語を話すようになるとは限りません。

もしも仮に、身近な家族や友人が共通語を話し、テレビや辞書では関西弁が話されるという、特殊な状況で育つことがあれば、家族でひとりだけ関西弁を話すようになる、ということを意味しています。

つまり、共通語か方言かということよりも、どこからことばを学んだ化、それが決定的なようです。

たまたまビデオのほとんどが共通語でつくられているから、かず君は共通語を話していたのであって、もし関西弁ビデオを繰り返し視聴をしていれば、関西弁を話していたでしょう。(p189)

また、首都圏のように、身近な人たちが共通語を話し、テレビなどのメディアでも共通語が話される家庭で育った場合は、自然言語と学習言語がほとんど一致しているせいで、こと言語習得においては、それほど偏りが目立たなくなるだろう、ということもわかります。(p216)

逆に、かず君が共通語圏に住んでいたとします。そして家族が共通語を話していたとしたら、どんなことが起きるでしょう。

家族は共通語を話しています。かず君はビデオから共通語を学び、そのセリフをいろんな場面に当てはめて話すようになります。

そうなれば、かず君を含む家族全員が共通語を話すということになったでしょう。

かず君は、家族と同じ共通語を話すけれど、「ことば使いがちょっと変わっていてビデオやテレビみたいに話す」と言われたかもしれません。(p189)

以前の記事で、自閉スペクトラム症の人たちの創作スタイルは、厖大な知識を組み合わせたコラージュのような形式をとる、ということを考えました。

ASDの人たちは正確な記憶に優れているがゆえに、特定のフレーズやイメージをパズルのように組み合わせて用います。有名な不思議の国のアリスもそうした方法で創作されています。

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言語学習においてもそれと同じで、テレビや辞書で学んだフレーズを、そのまま活用する傾向があり、成長するとともに、その組み合わせが複雑になって、コミュニケーションの幅が広がるようです。

最初は元ネタがバレバレという感じだったのが次第に複雑になり、どのビデオのシーンからの流用かわからなくなっていきました。それでも、お母さんの印象では、〈自分のビデオの記憶のストックのなかから、一瞬にして引き出して言っている〉という感じだったそうです。(p185)

自閉スペクトラム症の人たちが方言を話さないというのは、あくまで認知特性の偏りの結果であって、共通語に比べて方言のほうが複雑で難しいといった問題ではないのです。

方言を話せても使い分けに苦労する

これまで見てきた学習経路の違いは、ASDの人たちにとって、まず方言を習得することからして難しいということを明らかにしていました。しかしASDの人たちがみな方言を習得すらしないかというと、そうではありません。

特に、言語能力の高いアスペルガー症候群の人たちは、定型発達の子どもより遅れはするものの、方言の語彙を覚えていくようです。

そうすると、アスペルガー症候群の人たちは方言は話せるようになりますが、それでもやはり、普段のコミュニケーションの中では、方言をあまり使わない傾向が見られるそうです。

言葉としては方言を知っていて、意味もわかるのに、普段の生活で積極的に使わないのはなぜてしょうか。

私が主催している発達障害の会(ガジュマル)にきているASD(最初の診断はアスペルガー)の方も、方言を話しています。

ただし、その方は、相手によってことば遣い(表現様式)を変えるのには苦労しているそうです。

シンポジウムで質問された先生に「でも、(方言を使っているアスペルガーの方も)相手によって方言と共通語を使い分けるっていうのは苦手じゃないですか」と尋ねると、頷いていました。(p212)

ここで書かれているのは、たとえ方言を話せるアスペルガー症候群の人であっても、共通語と方言の「使い分け」に苦労するということです。

これは、単に方言を話さない/話せない、という意味ではなく、方言を使う場面を見極めるのが難しい、ということを物語っています。

何かを知識として知っているのと、それを実生活のなかで実践できるのとは異なります。

たとえ学習言語として言葉を身につけることができたとしても、自然言語のように場面を見極めて柔軟に使いこなせるわけではない、という点は、ASDの作家 東田直樹さんが自閉症のうたの中で明快に指摘していました。

重度の自閉症者のように言葉が出ない人の中には、言葉のつかい方がわからないのではなく、小さい頃の僕みたいに、気持ちを言葉で表出する方法がわからない人もいると思います。

言葉を道具のようにつかってコミュニケーションをとることを目標とする指導方法は、そういう人に対してはあまり意味のないことのように感じるのです。

僕も昔、状況に合う言葉が話せるのを目標に練習しましたが、いくつかの単語が言えるようになっただけでした。

結局、いまだにそれらの単語を思い通りにつかいこなすことはできず、パターンとして記憶にインプットされただけです。

似たような場面になれば、その言葉は勝手に僕の口から飛び出しますが、状況や気分によって、人の気持ちは変わるものです。

けれども、僕はパターンとしての返事しかできないために、自分の口から出てしまう言葉を耳にするたび辟易しています。(p30-31)

自然言語が身近な人たちとのやりとりの中で身につけていく実践的な言語だったのに対し、学習言語は、テレビや辞書などを通して知識として身につけていく語彙でした。

これはいわば、英語を学ぶとき、ネイティブの家庭にホームステイして見よう見まねで学んでいくか、日本にいながら教材を使って学ぶかの違いと似ています。

教材を使って学んだ場合、テストでは高得点を取れるようになるかもしれませんが、実際に英語を話す人たちの中に入ってみるとほとんどまともに話せないことに気づきます。

自閉症の人たちが言語を用いるときの、記憶したフレーズをパズルのように組み合わせる方法は、複雑な日常会話にはあまり向いていません。

方言を話せるアスペルガーの人たちも、方言の語彙は知っていますが、それを普段の生活で適切に使うのが難しいようです。

このように考えると、軽度のASDの人びとが方言を話しながらも、相手によって話し方(共通語と方言)を変えることが困難であるのも了解できます。

ASDの人びとは相手によって話し方を変えるのが苦手だったり、親しくなったとこちらが思っていても距離感を感じるような丁寧なことばで話し続ける人がいます。(p215)

言われてみれば、わたしの身の回りのASDの人たちの場合も、長年付き合っているはずなのに、いつまでも敬語だったりします。あるいは逆に、初対面からタメ口で話しかけてきた人もいます。

わたしたちは普通、無意識のうちに、相手に応じた適切な話し方を選んで使っているものです。考えて判断するというよりは、「空気を読んで」瞬時に最も適切と思える話し方を選んでいます。

佐藤先生によれば、人は人間関係を維持したりするのに、どのようなことばを使うのが好ましいか瞬時に判断して、グラデーションのようになった表現形式から最適な言い方を選び出しているということでした。

つまり、相手との心理的距離に応じて、もっとも居心地のよくなりそうな表現を使っているのだということです。(p95)

このとき、その場の空気によっては、丁寧な共通語を使うのがふさわしいときもあれば、くだけた地元の方言を使うのがふさわしいこともあるでしょう。

この本によれば、共通語と方言は、単にイントネーションや語彙が異なっているだけでなく、社会における機能そのものが異なっています。

共通語がどれだけ普及しても方言が廃れないのは、共通語と方言は、それぞれ別の役割を持っていて、場面によって共通語がふさわしいこともあれば、方言がふさわしいこともある、という相互補完的な機能があるからです。

方言を使うか、それとも共通語を使うかは、相手との距離感によって判断されます。

方言主流社会においては、方言の使用は相手と自分の距離が近しいものであること、つまりポジティブ・ポライトネス〈親しくしたい〉となります。

一方、共通語を使うことは、ネガティブ・ポライトネス〈あまり近づかないでください〉になります。(p100)

簡単に言えば、方言はタメ口に近い役割を持っていて、共通語は丁寧語に近い役割を持っています。相手との心理的な距離感が近いときや、仲良くなりたいときに使うのが方言で、一定の距離感を保ちたいときに使うのが共通語だということです。

もちろん、距離感に応じた表現の仕方には、共通語か方言かの二通りしかないわけではありません。

「グラデーションのようになった表現形式から最適な言い方を選び出している」とあったとおり、語彙の選択や態度によって、さまざまなレベルの親しさを表現できます。

たとえば、かなり親しい間柄だけれど、相手は目上なので、方言やタメ口では距離が近すぎて失礼にあたると判断した場合は、方言に敬語を入り混ぜたり、砕けた表現にです・ます調の語尾をつけたりするかもしれません。

相手との距離感に応じて、無数のコミュニケーション方法があるはずですが、以前の記事で紹介した研究が示しているように、ASDの人たちは、他の人との物理的・心理的な距離感を判断するのが難しいようです。

自閉スペクトラム症(ASD)の人は会話するとき顔が近い―東大の研究
自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群の人は定型発達者に比べて、会話するときの距離感が近く、相手のパーソナルスペースまで接近しすぎることがわかったそうです。

言葉のコミュニケーションにおいても無意識のうちに「どのようなことばを使うのが好ましいか瞬時に判断」するのが難しく、結果として方言を話すほうが好ましい場面でも、無難に共通語を使ってしまうのかもしれません。

このように、ASDがあまり方言を話さないことには二通りの理由が関係しているようです。著者は以下のように簡潔にまとめています。

ASDの障害が重い場合には、単純な意図および心的状態の読み取りができず、自然言語の段階から習得に困難を示します。

対して、ASDの障害が軽ければ、自然言語は習得できるものの、複雑な意図および心的状態の読み取りに困難を抱えるために、相手に合わせたことば遣いは難しくなります。(p214)

ASDの人たちがあまり方言を話さないのは、第一に身近な人たちが話す自然言語の習得が難しいこと、第二にたとえ方言の語彙を習得できたとしても、その使いどころが見極められないことによるのです。

解釈システムと感覚システム

ここまでが自閉スペクトラム症と方言の使用をめぐる研究のおおまかな概観です。

この本では、方言にまつわる謎が、あくまで自閉症のことばの学習や使い方を中心に解き明かされていますが、この話題は、単に自閉症にとどまらず、このブログで扱ってきたHSPや解離とも密接に関わっているとわたしは思っています。

HSPとは、人一倍感受性が強く、気持ちの読み取りに長けた人たちのことですが、自閉スペクトラム症とは多くの点で真逆の性質を持っています。

自閉スペクトラム症は空気を読むのが難しく、他の人に同調する脳のミラーニューロンシステムが弱いのに対し、HSPでは空気を読みすぎてしまう傾向があり、ミラーニューロンシステムが活発であることが確かめられています。

また自閉スペクトラム症は記憶の正確な保持が得意で、細かい数字や定義の取り扱いに長けているのに対し、HSPは記憶の改変が起こりやすく、丸暗記よりもあれこれと類推することに長けているという違いもあります。

こうした違いは、過去の記事で説明したとおり、脳の解釈システムと感覚システムの違いによって説明することができます。

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わたしたちの脳には、見たもの、感じたものをそのまま取り入れて記憶する感覚システムと、さまざまな情報を加工し結び合わせる解釈システムとが備わっています。

自閉スペクトラム症の人たちは、当事者であるドナ・ウィリアムズが自閉症という体験で指摘しているように、感覚システムの働きが強く、見たもの聞いたものをそのまま取り入れて記憶する傾向があります。

他方、HSPの人たちは、解釈システムの加工力が高いために、背後にある意味や関係性を推理したり、情報を組み合わせて物語をつくったりするのが得意です。

ここまで見てきた自閉症が方言を話さない2つの理由は、どちらも感覚システムが優位で解釈システムが弱いという脳機能の観点から説明がつきます。

まず、自閉症では自然言語の習得が難しく、学習言語の習得が得意だとされていましたが、自然言語を学ぶときに重要なのは解釈システムであり、学習言語を学ぶときに重要なのは感覚システムです。

この本には、自然言語の習得がどのように行われるかを示した、トマセロとバートンによる「トーマを探しにいこう」という面白い実験が載せられていました。(p160)

この実験の「トーマ」とは架空の物で、子どもにと「トーマをさがしに行こう」と告げます。それから、興奮した様子でバケツの中からある物を取り出して子どもに渡します。

そうすると、子どもはバケツの中に入っていたものが「トーマ」だとは一度も教えられていないのに、その状況から類推して、手渡された物が「トーマ」だと覚えます。

自然言語の習得には、このような文脈を読む能力が大いに関わっています。はっきりと、これは◯◯という物である、と教えられなくても、そのときの状況や様子、前後の出来事を総合して、子どもは親の話す言語を学んでいきます。

このとき重要な役割を担っているのは「解釈システム」であり。前後の文脈を手がかりとして、はっきりと教えられたわけではない意味を推理し、解釈します。

他方、学習言語は、教科書や辞書、テレビなどを通して定義や語彙を直接覚えていきます。解釈したり類推したりすることは必要なく、これは◯◯である、という対応関係を記憶していきます。

場面ごとに空気を読んで、目に見えない意図を解釈する必要はなく、決まったパターやフレーズを覚えていくことで習得していきます。このとき役立つのは、ありのままを正確に覚える「感覚システム」のほうです。

以前の記事で考察したように、解釈システムの弱い自閉症の人たちは、身の回りの物事の、文脈やつながりを読み取るのに苦労するようです。

たとえば、自閉症の人たちがアイデンティティの不連続性を感じるのは、過去の自分、今の自分、未来の自分を、ひとつながりのものとして解釈するのが難しいからでしょう。

空気を読めない、と言われるのは、今この瞬間での相手の気持ちを読み取ることはできても、前後の文脈を考慮に入れた解釈ができないからだと思われます。

これは本を読むとき、「行間を読む」こととよく似ています。行間を読むとは、何もない行と行の隙間に注目する、という文字通りの意味ではなくて、文脈を考慮に入れて、書かれていない書き手の意図を読み取るということです。

どこにも書かれていない意図を文脈から類推するには、前後の状況を考えて、情報と情報の隙間を埋めて解釈する必要があります。

同様に、対人コミュニケーションの場面でも、空気を読むには、前後の状況や、バラバラに存在する手がかりを統合し、まとめ上げて解釈することが必要です。

ASDの人たちは、個々の言葉や、個々の手がかりという細部に注目するのは得意ですが、それらをひとつの全体像、ひとつながりの物語としてつなぎあわせ、全体像を見るのが苦手です。

解釈システムとは、いわば、本来はつながっていないバラバラの情報をつなぎあわせ、隙間を埋めてまとめ上げる能力なのです。

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むろん、解釈システムの解釈は間違っていることも多いので、元の情報を正確に取り扱うのが得意なASDの人と、断片的な情報をまとめ上げて自分なりに解釈するのが得意なHSPの人のどちらがより優れているという比較は無意味で、互いに一長一短です。

解釈システムが強ければ、前後の文脈を読み取る能力、たとえば心境を類推する国語の成績や、心理学の研究に秀でるでしょう。数学や科学の分野に進む場合は、大局を見て個々の研究をつなげたり、まとめたりする役割に秀でると思われます。

他方、感覚システムが強ければ、前後関係を考慮に入れない正確なデータの取り扱いに優れ、数学やプログラミングなどで能力を発揮するかもしれません。また全体をみわたす必要がある読解よりも、細部にわたる定義づけを得意とするかもしれません。

たとえば、科学の世界にはASDが多いと思われますが、そこにHSPの研究者が入ると、心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会までに書かれているジャニス・モアのような立場になるかと思われます。

彼女は別の点でも、はみ出し者だった。科学は本質的に還元主義だ。大きい問題を小さく切り分け、取り組みやすくして解決していく。ところがモアはいつでも大局的な考え方をする。

わかったことのほとんどすべてのあいだでつながりを考え、情報をまとめることを好む。(p25)

科学者たちは動物界のほとんどすべての系統にわたる宿主に影響を持つ、数十種類の寄生生物の操作を明らかにすることに成功した。

モアはつねにとりまとめ役で、2002年にはそれまでわかった事例をすべて集めた著書『寄生生物と動物の行動(Parasites and Behavior of Animals)』を出版している。今もまだこの分野のバイブルとみなされている本だ。(p32)

推理小説に例えると、ASDの思考方法は、徹底的に証拠を洗い出す現場捜査に向いていて、HSPの思考方法は、見つかった断片的な証拠を結び合わせて全体像を明らかにする探偵推理に向いているといえるでしょう。

前者の徹底的に細部に着目する思考方法は学習言語の習得に向いているため、結果として自閉スペクトラム症の人たちは、方言をあまり話さず、共通語を話すという偏りが見られるようになるのでしょう。

方言の不使用は、一見すると言語機能の問題であるかに思えますが、突き詰めていくと、脳の特性の違いにたどりつくのです。

バイリンガルとしての過剰同調性、多重人格

解釈システムは、空気を読む能力とも関わっているということを考えましたが、ASDの人たちが「空気が読めない」と言われるのに対し、HSPの人たちはしばしばその対極「空気を読みすぎる」過剰同調性に陥ります。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

「空気を読めない」ASDの人たちは、その場の状況に応じた、方言と共通語の切り替えに苦労していました。

他方、「空気を読みすぎる」HSPの人たちは、その場その場の状況に応じて、過剰に切り替えをしすぎる傾向があります。

方言と共通語の切り替えは、一見 ことばの問題のように思えますが、実質はそうではなく、相手に接する態度の切り替えです。

前述のように、方言と共通語は、それぞれ異なる社会的機能を持っています。そして、わたしたちは、無意識のうちに、どんな言葉を使うのがその場にふさわしいかを判断し、相手に応じて接し方を変えています。

人は人間関係を維持したりするのに、どのようなことばを使うのが好ましいか瞬時に判断して、グラデーションのようになった表現形式から最適な言い方を選び出しているということでした。

つまり、相手との心理的距離に応じて、もっとも居心地のよくなりそうな表現を使っているのだということです。(p95)

この「相手との心理的距離に応じて、もっとも居心地のよくなりそうな表現」を切り替えるのがASDの人たちにとっては困難でした。どんな相手に対しても同じように振る舞ってしまったり、敬語を使うべきときに普段の言葉で話してしまったりします。

いっぽう、コミュニケーションの得意な人たちは、相手によって対応を変化させ、目の前の相手が好みそうな表現を使い分けています。たとえば上司といるとき、部下といるとき、まるで別人のような態度をとる人もいます。

この態度の使い分けは、どんな相手に対しても一貫性をもって同じように接するASDの人から見れば、裏表があるように見えてしまうことがあります。

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これが極端になったケースが、相手によって態度を切り替えすぎて、もはや同一人物とは思えないほどころころと性格が変化する過剰同調性です。

さらに、極端どころか病的な域に突入し、無意識のうちに場面ごとにまったく別の人格に切り替わってしまうようになるのが、過剰同調性が発展した先にある解離性同一性障害(多重人格)だということになります。

興味深いことに、以前の記事で取り上げたように、解離の専門家の岡野憲一郎先生は、続解離性障害で、解離性同一性障害において無意識のうちに人格が切り替わるのは、バイリンガルとよく似ていると指摘していました。

このバイリンガリズムの例は、DIDの際の人格交代のアナロジーとしても有用である。

なぜなら異なる人格は、幼児語や大人のしゃべり方、独特のアクセントなどを個別に備え、また時には別の言語で話し、通常はその混同が見られないからである。

そこで人格間の統御と、バイリンガリズムにおける言語のコントロールについては同様の脳の部位が関与している可能性が示唆されるのである。

ちなみに最近のバイリンガリズムの研究によれば、異なる言語はしばしば言語野の同じ部位が重複して用いられ、それらの使い分けや移行には優位(左)半球の尾状核の頭部が深く関与しているとされる。(p144)

多重人格の原因がよくわかる8つのたとえ話と治療法―解離性同一性障害(DID)とは何か
解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格について、さまざまな専門家の本から、原因やメカニズムについて理解が深まる8つのたとえ話と治療法についてまとめました。

バイリンガルの人たちは、同郷の人と話すときには勝手に母語の思考モードになり、外国人と話すときは意識せずとも第二言語の思考モードになります。

これは当然ながら、方言と共通語の切り替えとまったく同じです。母語は自然言語、第二言語は学習言語なので、方言と共通語の使い分けができる人はちょっとしたバイリンガルだとみなせます。

家族と接するときにはと勝手に方言が出てきて、仕事先などでは共通語が出てくるのは、バイリンガルにおける言語の切り替えと同じものです。

さらには家族の前と上司の前で態度を切り替えることや、無意識のうちに空気を読む過剰同調性、そして多重人格におけるモード切り替えも、やはりバイリンガルと同じようなものなのです。

近年の研究では、バイリンガルにおいてモード切り替えを担っているのは脳の尾状核という部分だとされていると書かれていました。

これもまた興味深いことですが、脳は奇跡を起こすによれば、強迫性障害では尾状核のモード切り替えがロックされた状態にあると言われていました。

尾状核が自動的にギアチェンジをしないために、眼窩前頭皮質と帯状回がずっと信号を発しつづけ、まちがったという感情と不安がどんどん強くなってしまう。(p200)

わかっているのにやめられない強迫性障害―不安や心配で疲れ果てる病気の原因と治療法
完璧にしないと気が済まない、無駄だとわかっている確認に時間が取られてやめられない、心配や不安で疲れ果てる。それは強迫性障害(OCD)かもしれません。「強迫性障害に悩む人の気持ちがわ

強迫性障害(OCD)は強迫観念にとらわれて、やめたいと思いながらも、ずっと同じ行動を繰り返してしまいます。

自閉スペクトラム症では同じ行動を延々と繰り返す常同行動が見られ、強迫性障害にもなりやすいことがわかっています。

ということは、自閉スペクトラム症の人たちが、場面に応じて共通語と方言の切り替えに苦労するのは、ただ単にふさわしい言葉を選択できない、というような言語機能の問題ではなく、状況に応じて行動のパターンを切り替えられないことから来ているのでしょう。

本来、尾状核が適切に働いていれば、その場その場の状況に応じて、自分の意思をしっかり保ちつつ、適度に対応を切り替えられるはずです。

ところが、モード切り替えのスイッチがゆるゆるすぎて、場面ごとに めくるめく態度が切り替わってしまい、自分がだれなのかわからなくなってしまうのがHSPの過剰同調性や解離の多重人格の人たちであり、逆にモード切り替えのスイッチが重すぎて、融通が利かなくなってしまうのが、ASDや強迫性障害の人だということになります。

この場合もやはり、一見すると言語の問題と思えたものは、実際には脳の特性に関わっていて、方言と共通語の切り替えどころか、日常のさまざまな苦労とも関係していたのです。

同調性とはリズム取り入れ能力

このモード切り替えの能力は、おそらくは相手のリズムを「取り入れ」る能力だと思われます。

以前の記事で扱ったように、解離性障害の人たちは「取り入れ」という防衛機制が強く、外部の人の人格を内在化する傾向があります。

境界性パーソナリティ障害と解離性障害の7つの違い―リストカットだけでは診断できない
境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン:BPD)と解離性障害はどちらもリストカットなど共通点があり区別しにくいとされています。その7つの違いを岡田憲一郎先生の「続解離性障害」など

先に見たとおり、自然言語の習得とは、「他人をモデルとしてその人を自分のなかに取り入れる」能力のことでもありました。

一方には、他者とのやりとりのなかで相手と注意を共有し、意図を読み取り、他人をモデルとしてその人を自分のなかに取り入れるようにことばや表現方法を学んでいく道筋と、もう一方には機械的あるいは連合学習的にことばを学んでいく道筋の二つです。(p217)

相手に同調するとは、言い換えれば、その人のクセや話し方、ジェスチャーなど、特有のリズムを読み取り、相手のニューロン発火パターンを内在化することなのでしょう。

自閉スペクトラム症の人たちが「空気が読めない」と言われるのは、相手のリズムに同調せず、いつも自分のリズムで行動しているマイペースさからくるとみなすこともできます。

そして過剰同調性の人たちが「空気を読みすぎる」のは、自分のペースを捨て去って、その場その場の相手のリズムに完全に同調し、相手のリズムを自分に取り入れてしまうからでしょう。

最初に出てきた自閉症の人たちの独特なしゃべり方は、相手のリズムに同調しないことからくるとも考えられます。

本来、人はコミュニケーションしているうちに、無意識のうちに相手と言葉のリズムが似てきて、抑揚やイントネーションやテンポに同調してしまうものですが、自閉スペクトラム症の人たちはリズムを取り込まないがために、常に平板だったり、周期的に抑揚をつけたりする独特な話し方をしてしまうのです。

日本語を第二言語のように話している?

ところで、方言と共通語の併用がちょっとしたバイリンガルであるという観点から考えると、自閉スペクトラム症の人たちは、日常使う言語を母語ではなく第二言語に近いかたちで習得しているのではないか、と考えることができます。

興味深いことに、バイリンガルの人の場合、相手の心を推測する心の理論の働きは、母語を話しているときと第二言語を話しているときとでは異なる、ということが知られています。

Switching language switches mind: linguistic effects on developmental neural bases of ‘Theory of Mind’ | Social Cognitive and Affective Neuroscience | Oxford Academic

言わずもがな、第二言語ではコミュニケーションの行き違いが生じがちです。さらに、母語は心を揺さぶるのに対し、第二言語では心に響かないと述べるバイリンガルが大勢います。

とすれば、ASDの人たちが空気を読めないとか、比喩を理解しづらいとか、感情表現に乏しいと言われるのは、母国語をあたかも第二言語のようにして習得するからではないでしょうか。

生まれ育った国の母語を話しているにもかかわらず、あたかも第二言語としての外国語を話しているかのような状態なので、感情の読み取りが甘かったり、フレーズを組み合わせてしゃべったり、感情のこもらない平板な話し方をしてしまったりするのではないか、ということです。

その意味では、ASDの人たちは、案外、外国語の習得に向いているのかもしれません。

たとえば、アスペルガーまたサヴァンとして有名なダニエル・タメットは10ヶ国語以上を話し、たった1週間で日常会話レベルのアイスランド語を身に着けたという逸話もありました。

もともと外国語コミュニケーションにおいては、感情表現が豊かでなかろうが、空気が読めていなかろうが、「外国人だから」とあまり問題にされません。かえって外国に行ったほうが周囲から浮かなくなるでしょう。

対照的に、オリヴァー・サックスは、あれほど多文化に造詣の深い医師また作家でありながら、80歳のときに書いたサックス先生、最後の言葉で「母語しか話せない」ことを嘆いていました。

あまりに母国語を流暢に使うことができ、感情表現を読み取る能力に長けている人は、第二言語としての外国語では、そうした微妙なニュアンスを読み取れないので、特に第二言語習得の初期に感じる不自由さに耐えにくいのかもしれません。

普段の日常生活から学習言語の習得に秀で、第二言語的なコミュニケーションに慣れているというのは、場合によっては長所として活かせる可能性があるのかもしれません。

方言の問題は氷山の一角だった

この記事では、自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解くの研究を中心に、自閉症の脳の特性と、その対極にあるHSPや過剰同調性を持つ人たちの脳の特性について考えてきました。

こうして考えてみると、自閉スペクトラム症の人たちが、あまり方言を話さない、という不可思議なデータは、自閉スペクトラム症の本質に迫る手がかりだったことがわかります。

前後の文脈をつなぎ合わせて解釈するシステム、場面ごとにモードを切り替える能力、相手のリズムを取り込んで同調する能力など、自閉症の人たちが苦手とする脳の特性が重なり合って、言葉の問題として表にあらわれていたのです。

この本には、ほかにも興味深い事例や調査の数々が載せられていますし、次々と謎を解き明かしていく推理小説のような読み物としても楽しめます。

自閉症の脳の特性を考えるのに、とても役立つ一冊なので、興味を惹かれた人はぜひ読んでみてください。

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ASD(自閉スペクトラム症) / HSP / 解離