原因不明の身体症状に苦しむ人のための「記憶」の科学の10の考察


これらの症状は、分断され散り散りになった体験の塊なのだ。

それは未完了の身体感覚であり、過去にはその人を圧倒した。

あたかも、惨殺され、切り裂かれたオシリスの身体が、はるかに離れた違なる場所に埋められたように、これらはかい離し、意味不明の状態にある。(p235)

体の全体に散らばった「意味不明な状態にある」さまざまな症状や身体感覚。この生々しいオシリス王の伝説のような、奇妙な身体症状に心当たりがありますか?

全身に散らばる、説明不能で、原因もわからない多種多様な症状を抱える人は、現代の医療では説明がつかないために、医者から詐病のようにみなされたり、思い込みや気のせいだと門前払いされたりすることがよくあります。

たとえばそのような病気には、慢性疲労症候群や線維筋痛症、化学物質過敏症などが含まれるでしょう。

そうした意味不明の症状は、過去の体験の「痕跡」であり、最新の記憶の科学に基づいて説明することができる。そう述べるのは、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の著者である神経生理学者ピーター・ラヴィーンです。

彼はトラウマの専門家ですが、今回の記事で扱う「トラウマ」は、わたしたちがよく知っている、心の傷のことではありません。カウンセリングや心理療法で治療するあの「トラウマ」ではありません。

そうではなく、まぎれもなく原因不明の身体症状、冒頭のオシリスの伝説に例えられていたような、バラバラに切り裂かれ、全身に埋め込まれたような意味不明な身体症状のことです。

「私は身体がしんどいのであって、心の問題とみなされるのは心外だ」と感じてきた人ほど、この記事を読んでいただければと思います。

ピーター・A・ラヴィーンや、ヴェッセル・ヴァン・デア・コークといった、トラウマ研究の第一人者たちの発見を知れば、わたしたちが知っている「トラウマ」の概念は根こそぎ覆されることでしょう。

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これはどんな本?

この本 トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復は、先月末(2017/10/25)に発売された、神経生理学者、トラウマ専門家、またNASA(アメリカ航空宇宙局)のストレスコンサルタントでもあるピーター・A・ラヴィーンの邦訳本です。

この本の序文を著しているのは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法を書いたトラウマ研究の第一人者、ベッセル・ヴァン・デア・コークです。

この二人の著書のタイトルは、いずれもトラウマが従来思われていたような「心」の問題ではなく「身体」の問題であることを強調しています。

今回の本では、特に世の中で誤解されてすぎている「記憶」という概念をテーマに、原因不明の身体症状の由来が解き明かされていきます。

訳者あとがきによれば、邦訳を担当した花丘ちぐささんは、ご自身も原因不明の多種多様な身体症状に悩まされてたそうです。傾聴をベースとしたカウンセリングを受けたものの改善せず、ピーター・ラヴィーンの研究に出会って、ようやく寛解へとたどりついたと語られています。(p238)

以前のピーター・ラヴィーンの本の邦訳に比べ、読みやすさが格段に改善されていて、訳者の尽力がうかがえる、万人におすすめできる本となっています。

「トラウマ記憶」は誤解されすぎている

冒頭で触れたように、今回扱う「トラウマ」とは、わたしたちが「トラウマ」と聞いて思いつく、心の傷のことではありません。

この記事では、ピーター・ラヴィーンとヴァン・デア・コークが明らかにしているトラウマ記憶の本当の姿を、10のステップにわけて、段階的に説明していきたいと思います。

1.トラウマは「心の病」ではない

まず最初に知っておきたいのは、トラウマとは「心」の病ではなく、「身体」に刻まれる原因不明の症状だということです。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の序文を担当しているヴァン・デア・コークは、シンプルにこう説明しています。

優に一世紀を超える研究を経て、現在は、トラウマの痕跡は過去に起こった悪い出来事についてのナラティブとしてではなく、命の危機に際して経験した身体感覚として記憶されること、そして、それは今まさに起きていると知覚されるということがわかってきた。(p iv)

大半の人は、ヴァン・デア・コークが言うように、トラウマとは「過去に起こった悪い出来事についてのナラティブ」(物語)だと思い込んでいます。

過去に何かしらの衝撃的でショッキングな体験をしたことで、その傷つき体験に強くとらわれてしまい、抜け出せなくなってしまう、それがトラウマだと思われています。

たとえば、トラウマの後遺症として最も有名なPTSDは、その日本語訳は「心的外傷後ストレス障害」です。あくまで、トラウマとは「心的」なものだという根強い誤解がうかがえます。

けれども、ヴァン・デア・コークはそれは間違っていると述べています。一世紀にわたる研究が明らかにしたところによれば、「命の危機に際して経験した身体感覚として記憶されること」こそがトラウマなのです。

本当は身体の問題であるはずの「トラウマ」が、今に至るまで「心の病」とみなされてきてしまったのはどうしてでしょうか。その背景には、かの有名な心理学者ジークムント・フロイトの影響があります。

意外に思われるかもしれませんが、トラウマを研究した先駆者は、フロイトではありません。

フロイトが、症状を引き起こす、抑圧された記憶を扱った先駆者であるとは実は言い難いもののの、今ではもっともよく知られている。

しかし実のところフロイトは、パリのサルペトリエール病院で働いていたジャン=マルタン・シャルコーとピエール・ジャネという巨人の肩の上に立っていたのである。(p19)

トラウマは長らくフロイトの流れをくむ心理学や精神医学の分野で研究されてきましたが、最初からそうだったわけではありません。

最初にトラウマを研究したのは、神経学の父とされる神経病理学者ジャン=マルタン・シャルコーでした。彼はパーキンソン病の名付け親であり、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の記録などでも知られていますが、それらはいずれも「心の病」ではありません。

シャルコーとその学生たちは、1870年代にパリでヒステリー(現在の解離性障害)について研究し、それが「身体上のトラウマの痕跡」だと氣づきました。(piii)

シャルコーの教え子であった精神科医ピエール・ジャネは、1899年、現在PTSDと呼ばれているものについての最初の本「心理学的自動症」を著しました。

ジャネはその本の中で、トラウマは無意識のうちに行動や動作、感覚、身体の症状としてあらわれる、身体に刻まれた記憶だと論じました。現在の研究からしても非常に先見性がある見立てです。

ところが、やはりシャルコーの弟子であったフロイトは、やがてエディプス・コンプレックスのような、性的欲求や葛藤によってトラウマを説明するようになり、その絶大な影響力もあって、トラウマは精神医学に取り込まれてしまいました。(p20)

先駆者が鋭い観察力によって本質を事実どおり見抜いていたのに、のちに現れた影響力の大きい学者によって内容が歪められ、何十年ものあいだ悪質な誤解が定着してしまう、という図式は、先日書いた自閉症の歴史とよく似ています

ただ、フロイト自身が悪質だったのかというとそういうわけではなく、ヴァン・デア・コークもピーター・ラヴィーンも、しばしばフロイトが語ったトラウマについての意義深い言葉を引用しています。

フロイトは確かに偉大な学者でしたが、問題は彼の考えの一部分のみが、その絶大な影響力によって不当に拡散されてしまったことにあるように思います。

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しかし、1989年になって、ベッセル・ヴァン・デア・コークが、ジャネの業績を再評価したことで、忘れられていた先進的な理解がようやくスポットライトを浴びることになります。

2.カウンセリングでは解決しない

トラウマは「心の病」であるという根本的な誤解のために、いまだ多くのセラピストは、カウンセリングによって患者の話す物語に耳を傾けることが治療だという致命的な思い違いをしています。

ピーター・ラヴィーンが指摘するように、「フロイトは、トラウマと結びついて抑圧されている情動は、話すことによって解消できると解釈」しました。(p165)

けれども、ヴァン・デア・コークは、著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法のなかで、はっきりこう書いています。

私たちの研究における最も重要な発見は、次の事実かもしれない。

1893年のブロイアーとフロイトの主張とは裏腹に、トラウマを、それと結びついた感情のいっさいとともに思い出しても、必ずしもトラウマは解消しないのだ。

私たちの研究は、言語が行動の代わりになりうるといういう考え方を支持しなかった。

研究参加者の大半は、筋の通った話を語り、そうした話と結びついた痛みも経験できたが、耐え難い光景や身体的感覚につきまとわれ続けた。(p321)

ヴァン・デア・コークらの研究で明らかになった「最も重要な発見」は、辛い経験をだれかに話したところで、トラウマの身体症状はまったく和らがない、ということでした。

辛いできごとがあったとき、だれかに気持ちを打ち明けると楽になるというのは、わたしたちの誰もがよく知っています。親に、親友に、カウンセラーに、心の内をじっくり聞いてもらうと気分が楽になるものです。

しかし、トラウマとは心の病ではありません。身体に刻まれたトラウマは、カウンセリングによって改善しません。

トラウマがカウンセリングによって解決できるという思い込みがもたらす弊害は、過去の嫌な思い出が見当たらず、ただ原因不明の身体症状だけが強く出ている人たちが、路頭に迷ってしまうことです。

たとえば、慢性疲労症候群や線維筋痛症、化学物質過敏症といった病気の患者たちは、間違いなく「心の病」ではありません。カウンセリングは必要ありませんし、そもそもカウンセラーに話すような傷つき体験を持っていないこともしばしばです。

けれども、だからといって、こうした病気が「トラウマ」と関係ないという意味ではありません。

確かに、フロイト的な、語ることによって解消される「トラウマ」は抱えていませんが、ピエール・ジャネが研究し、ヴァン・デア・コークが再発見した、本来の意味での「トラウマ」とは、非常に深いつながりがあります。

ヴァン・デア・コークはこう書いていました。

明確な原因が見当たらない身体的症状は、トラウマを負った子供にも大人にも広く見られる。

腰や首筋の慢性的な痛み、線維筋痛症、偏頭痛、消化不良、痙攣性結腸/過敏性腸症候群、慢性疲労、喘息などが起こりうる。

トラウマを負った子供は、そうでない子供よりも、喘息を起こす率が50倍も高い。(p164)

これらの症状は、俗に言う嫌な出来事の思い出という「トラウマ」がきっかけとなって生じるのではありません。「明確な原因が見当たらない」のです。けれどもこれらはトラウマと関係しています。

広く信じられている精神医学にとらわれず、頭を柔らかくして考える必要があります。本当の意味でのトラウマとはいったい何なのでしょうか。

3.トラウマは身体に刻まれた「手続き」

本当の意味での「トラウマ」とはいったい何なのか。

それを知るには、先駆者の発見に立ち戻るのが早いでしょう。トラウマ研究の先駆者ピエール・ジャネは、先ほど見たとおり、1899年に「心理学的自動症」というタイトルの本を書きました。

この「自動症」とは何のことでしょうか。ヴァン・デア・コークはトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復でこう説明しています。

トラウマの痕跡は、物語や意識的な記憶とは異なり、感情、感覚および心理的な自動反応のように、身体が勝手に行っていく「手続き」の形をとって、密かに私たちを支配している。(p ix)

ここでヴァン・デア・コークは、トラウマとは、「物語や意識的な記憶」ではなく、「身体が勝手に行っていく『手続き』」だと述べています。

ここで対比されているのは、わたしたち人間、そして生き物全般に見られる、2種類の記憶です。

とてもシンプルにまとめると、わたしたちには2種類の記憶システムがあります。

記憶は、大まかにいって二種類ある。顕在記憶と潜在記憶である。

前者は意識されているが、後者は比較的無意識である。(p27)

わたしたちの持つ二種類の記憶システムとは、顕在記憶潜在記憶です。

もっとわかりやすく言うと、自分で思い出せる記憶と、思い出せない記憶のことです。

顕在記憶、すなわち思い出せる記憶には、たとえば自分や他の人の名前、電話番号、住所、言葉や漢字、明日の予定、過去の思い出などがあります。わたしたちが普段「記憶」だと思っているものはすべてこちらのことを指しています。

しかし、わたしたちの印象とは裏腹に、「記憶」にはもうひとつ、潜在記憶、すなわち思い出せない記憶があります。こちらの記憶は思い出せないので口に出して説明することはできません。そのかわりに無意識の行動や態度に勝手に自動的に現れます。

わかりやすい例を挙げると、自転車の乗り方、楽器の弾き方、箸の持ち方、歩き方、無意識のうちにやってしまうクセ、これらはすべて思い出してひとつひとつ考えてしているわけではありません。いつの間にか、身体に染み付いていて勝手に実行されるものです。

この、自分では思い出したり、言葉にして説明したりできないのに、無意識のうちに自動的に出てきてしまうものが、潜在記憶です。そして、こちらの記憶こそがジャネが書いた本のタイトル「自動症」の意味であり、トラウマと関係する記憶です。

ピーター・ラヴィーンは、「トラウマ」とは何か、医師やセラピストでさえわかっていないのは、この二種類の記憶についての誤った理解から来ていると指摘しています。

多くのセラピストは、認めたくないかもしれないが、記憶について誤った理解をしている。

研究領域、および臨床領域の心理学者たちは、ともに「言語的に接近可能な記憶」と呼ばれているものを研究している。

この「宣言的」記憶 [つまり言葉で言い表せるタイプの記憶]が正しいと、小学校、中学校、および高校では成績がよいと評価され、大学や大学院でさえこうした傾向が見られる。

心理学者と心理療法家は、こうした学問的伝統の産物であるがゆえに、反射的に、この特別な種類の意識的記憶こそが記憶であると考えたとしても不思議ではない。(p7)

セラピストや心理学者、医師、そして世の中のほとんどの人は、知らず知らずのうちに「記憶」とは意識的に思い出せるものだけ、学校のテストで問われるような知識だと誤解してしまっています。

思い出せる顕在記憶だけが「記憶」だと思いこんでいるせいで、トラウマ記憶を治療するには、その人が覚えている嫌な思い出を、カウンセリングによって傾聴してやればいい、という短絡的な結論を下してしまいます。

けれども、ピエール・ジャネやヴァン・デア・コークが言っているのは、トラウマ記憶とは、こうしたタイプの記憶ではないということなのです。

トラウマは、口に出してだれかに愚痴ったりできる心の悩みや葛藤ではなく、無意識のうちに自動的に行動や態度にあらわれてしまう身体的な記憶です。これは「手続き記憶」とも呼ばれます。

世の中の人たちが考えるトラウマとは、何か嫌な思い出があって、「意識的に」それにとらわれて避けてしまうもののことを言いますが、そうした心の傷はトラウマではありません。

深刻なトラウマ障害の患者たちが悩まされるのは、自分ではわけも分からない、どうしようもない、コントロールもできない、意味不明な身体症状や感覚過敏や感情の変動であり、言葉で説明できないがゆえにカウンセリングでは解決できないのです。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、こんなわかりやすい例を出しています。

トラウマを負った人々は、記憶が極度に乏しいと同時にあまりに多すぎる。

イレーヌは母親の死の意識的な記憶をいっさい持っていなかった。つまり、彼女は何が起こったかを語れなかった。

だがその一方で、母親が死んだときの出来事を、体をつかって表現せずにはいられなかった。

ジャネの言う「自動症」は、意図されずに、無意識のうちにとらわれるという、彼女の行動の性質をうまく捉えている。(p296)

ここで例として挙げられている女性にカウンセリングをしたところでほとんど意味はないでしょう。

なにしろ、原因となった出来事についての「意識的な記憶をいっさい持っていなかった」からです。何もカウンセラーに語ることはできませんし、おそらく当人は自分にはカウンセリングが必要だとは思いもしないでしょう。実際、必要ありません。

しかし、彼女のトラウマは、「体を使って表現」されていました。トラウマは自動的に再現される身体的な動作や症状として記憶されていたのです。

この身体に自動的に現れる記憶、つまり無意識の手続き記憶は、たとえば自転車の乗り方や、箸の持ち方、無意識の姿勢のクセといった例からわかるように、実にさまざまな種類の、筋肉の収縮や感覚のパターンを記憶できます。

では、もしも、さきほどのイレーヌのように、意識して思い出せる顕在記憶はいっさい持っていないにもかかわらず、自動的に再生されてしまう筋肉の収縮や固まりが、手続き記憶として身体に刻まれているなら、どんなことが起こるでしょうか。

ピーター・ラヴィーンは、以前の著書身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアでこう書いていました。

かくて気まぐれな症状へと道筋が定まっていく。

首や肩、背中の張りは時間の経過とともに線維筋痛症へと進行する可能性が高い。

また未解決のストレスによる身体的表現としてよく見られるものに片頭痛がある。

胃腸のむかつきは、よく見られるような過敏性腸症候群やひどい月経前緊張症候群、またけいれん性結腸のような消化器系の問題へと突然変異的に進行してしまうかもしれない。

こうした状態は苦しんでいる人のエネルギー資源を枯渇させてしまい、慢性疲労症候群という形に進行する可能性もある。

多くの場合このような人たちは複数の症状を抱えた病人となる。救いを求めて医師から医師へとたずね歩くものの、自分たちを苦しめているものに対する解決策をほとんど得ることができないのだ。(p219)

意識的な記憶は無いのに、ただ身体症状として手続き記憶が記録されているなら、それは線維筋痛症や偏頭痛、過敏性腸症候群、慢性疲労症候群といった原因不明の身体症状としてあらわれる可能性が高いのです。

世の中のほとんどの人は、患者だけでなく、医師やセラピストさえも、身体的なパターンとして保存される無意識の手続き記憶の存在を気に留めていません。

わたしたちが歩くのも走るのも、食事をするのも、仕事をするのも、ありとあらゆる身体的活動は、いずれも無意識のうちに自動的に実行される手続き記憶なしでは行なえませんが、あまりに普遍的すぎることが盲点なのでしょう。

わたしたちは空気があることをありがたいとか、毎日 太陽が登ることがすばらしいとか思いません。あまりに自動的に、独りでに生じている物事を、人間は意識しません。

手続き記憶による運動も同じで、あらゆる身体的な活動や感覚や運動に関わっているのに、自動的に無意識に行われているため、そのことを考えもしません。

しかし、もしある日 突然、空気が薄くなったり、太陽が何日も登らなくなったりしたら、今まで気に留めていなかったものを気にし始め、異常に悩まされることになるでしょう。

同様に、今まで無意識のうちに正常に実行されていた手続き記憶というシステムに異常が起こると、それは原因不明の身体症状として認知されます。これこそがトラウマです。

トラウマは「記憶」の障害だということは知られていますが、それは思い出せる意識的な記憶、嫌な思い出を伴うような記憶システムの障害ではなく、もう一つの別の記憶システム、すなわち無意識のうちに自動的に身体に動かしている手続き記憶の障害なのです。

4.説明できないありとあらゆる症状が出る

慢性疲労症候群や線維筋痛症、化学物質過敏症などの身体的な病気は、しばしば医学で説明できない、原因不明の病気だと言われます。化学物質過敏症などは、科学的にはありえない、偽医学の産物だとまで非難されることがあります。

しかし、手続き記憶の障害ととらえるなら、決して非科学的ではなく、現実に存在する身体的な病気だとはっきり証明できます。

手続き記憶の障害とは、そもそも何なのでしょうか。

これは決して難しい概念ではなく、とてもシンプルな、ある古典的実験によって明快に説明されています。それは、あの有名な「パブロフの犬」です。

ロシアの科学者イワン・パブロフは、1904年に、条件付け反射についての研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

有名な「パブロフの犬」の実験では、ベルの音を合図にエサをもらう体験を繰り返した犬は、まだ目の前にエサが置かれていなくてもよだれを垂らすようになりました。ベルの音と、エサを食べる反応が条件付けされたのです。

このエピソードは、ペットを飼っている人なら、身をもって経験しているかもしれません。カリカリのフードの袋を開ける音を聞きつけてやってくる猫や、自動車の音がしただけで玄関に迎えに出てきてくれる犬などはその一例です。

しかし、この実験で興味深いのは、この条件付けは、ただ動物だけでなく、人間にもごく普通に起こるということです。というより、これは先ほどから話題にしている手続き記憶そのものです。

手続き記憶とは、何かのきっかけに反応して、身体が勝手に一連の動作を行うという記憶です。ベルの音をきっかけによだれを垂らす犬と、朝になったら服を着替えて出勤するサラリーマンは、どちらも同じ手続き記憶によって条件付けされています。

手続き記憶による身体の活動には、無限の組み合わせがあります。わたしたちが習慣的に行なっているありとあらゆる活動、それだけでなく特定の状況下におけるホルモン分泌パターンや自律神経の反応さえも手続き記憶の産物であり、制限はありません。

ありとあらゆるスポーツも、ありとあらゆるクセも、手続き記憶に保存された、無意識のうちに実行される身体の反応のパターンです。

では、もしこの手続き記憶に不具合が起こればどうなるでしょうか。

そうです、ありとあらゆる原因不明の症状が起こりえます。

パブロフの犬についてもう一度考えてみましょう。条件付けによって、犬はベルを鳴らすとよだれを垂らすようになりました。では、そのベルの音に、犬のよだれを誘発する科学的な成分が含まれているのでしょうか。

いいえ、そんなことはありません。世界中にいる他のどんな犬に同じベルの音を慣らしても、そんな反応は起こりません。

しかし、たとえ音とよだれの間に、科学的にまったくつながりがないとしても、ひとたび両者が条件付けられてしまったなら、ベルの音は身体的な反応を誘発するようになります。

これは、慢性疲労症候群や線維筋痛症や、化学物質過敏症がときに非科学的だと非難される問題に対して、ひとつの答えを出しています。

たとえば個々の化学物質を調査して、実験室で研究しても、化学物質過敏症の多彩な症状は起こらないというデータが出るかもしれません。しかしそれは化学物質過敏症の症状が気のせいだったり非科学的だったりという理由にはなりません。

なぜなら、パブロフの犬の場合も、ベルの音をいくら科学的に分析し調査しても、決して犬がよだれを垂らす理由はわからないからです。しかし条件付けが起こった犬は、確かにベルの音でよだれを垂らします。

特定の化学物質のにおいと、何かしらの身体症状とか手続き記憶によって結びついてしまっている人の場合もこれと同様、本来その二つはまったく無関係であったとしても、条件付けが起これば、確かに身体が反応します。

ここで起こっているのは、有名なヘッブの法則による、異なる記憶同士の結合です。

1950年代に、著名な実験心理学者のドナルド・O・ヘッブは、「同時に発火した細胞は結合が強化される」というおなじみの概念に基づいて、記憶の神経的作用機序を説明しようと試みた。

すべての記憶の生成は、脳細胞の接続が変化することから始まる。

記憶が存在するためには、かつては独立していた細胞がお互いの活動に対してより感度を増す必要がある。(p191)

脳の変化についてよく知られているのは、「同時に発火した細胞は結合が強化される」ことです。言い換えれば、もともと関係のなかったものを、つながりのあるものだと脳のニューロンレベルで「学習」するのです。

線維筋痛症の痛みもまた、「学習された痛み」として説明できる場合がある、という研究は、以前の記事で説明しました。

光や音の「感覚過敏」を科学する時が来た―線維筋痛症や発達障害,トラウマなどに伴う見えない障害
線維筋痛症に極度の明るさ過敏「眼球使用困難症候群」が伴いやすいという記事をきっかけに、さまざまなタイプの感覚過敏の原因とメカニズムを考察してみました。 、

手続き記憶の障害という観点から見れば、化学物質過敏症や線維筋痛症が持つ、別の奇妙な性質もまた十分に説明できます。

化学物質過敏症は時経つうちに反応する化学物質が増加し、多種類化学物質過敏症へと発展していくという特徴があります。線維筋痛症もまた痛みの場所が広がったり、程度が強くなったりしていきます。

この奇妙な悪化は、手続き記憶の持つ生物学的な役割について知ると、理解しやすくなります。

手続き記憶、つまり身体の無意識のパターンを学習する能力が生物に備わっている理由のひとつは、危険にとっさに反応して身を守るためです。

たとえば、犯罪被害でPTSDになった人は、以前襲われて命を落としそうになった場所に行くと、パニック症状や、ひどい体調不良に襲われるかもしれません。

これは病気や障害のような異常ではなく、正確には手続き記憶による「学習」です。この人の手続き記憶は、以前この場所で命が危険にさらされたことをまざまざと覚えています。それで今回も命を守るべく、とにかく問答無用でそこから逃げ出すよう身体をのっとります。

同じように、わたしたちには誰でも苦手な人がいるかもしれません。その人の顔を見ただけで身構えたり、自律神経反応が出たりしてしまうのは、以前その人にひどいことをされたことを、身体が記憶して防衛しようとするからです。

何かしらの化学物質に反応してしまう人も同様に、以前その匂いで、気分が悪くなったり吐きそうになったりしたことを身体が記憶していて、その匂いに出会うたびに同じ身体症状が誘発されます。そこから離れて身を守るためです。

しかし、この命を守るための「学習」は、本当に命が危険とされる状況だけでなく、それと似た場面にも反応するようになっていくという特徴があります。身を守るためには「疑わしきは罰する」ほうが都合がいいからです。

もし、祖先たちが茂みのガサガサいう物音を無視したら、いとも簡単に忍び寄るマウンテン・ライオンや、飢えたクマの餌食になっていただろう。

そのため不確実であったり曖昧なものはすべて、まず脅威として捉えたほうがいいのだ。(p65)

したがって、危険に晒される可能性が高くても低くても、いずれにしても危険だと察知する傾向性がわれわれには生来備わっているのである。(p173)

この「疑わしきは罰する」傾向のせいで、ひとたび手続き記憶の障害が起こると、厄介な連鎖反応が生じることになります。

ある場所で犯罪被害に遭った人は、それと似た景色や音や雰囲気のある場所に行ったときも、パニックが起こるようになります。戦場で命を失いかけた兵士は、平和な自国に帰ってきても、遠くのヘリの音でパニックになります。

初対面の人のはずなのに、理由もわからず怖くなり、足がすくんでしまうことがあるかもしれません。意識の上では気づいていませんが、無意識のうちに保存された身体の記憶は、その人の雰囲気がかつて自分を傷つけた人に似ていることを察知しているのです。

時とともに反応する化学物質が増えていったり、痛みが起こりやすくなったりするのも、危険かどうかわからない状況に対し、とりあえず反応することを選ぶ、手続き記憶の性質と考えることができます。

興味深いことに、この本には、無意識の手続き記憶によって、芝生アレルギーのような症状が誘発されていた事例が詳しく紹介されています。

芝生アレルギーが「トラウマ」による症状だなどと思う人はまずいませんが、トラウマとは無意識の条件付け反応であることを理解すれば、意外なものではありません。(p75)

わたしたちの祖先は、危険かどうかわからない状況ではとりあえず身体を反応させることで身を守ってきました。それは生存のために役立ったはずですが、今やその同じ機能が原因不明の慢性症状となってわたしたちを襲うことがあるのです。

ヴァン・デア・コークは、こうした学習された手続き記憶を、「不適応に凝り固まった無意識の生き残り反応」と呼んでいます。(p xiii)

この手続き記憶による学習が、不登校の子どもの慢性疲労症候群や引き込もりの悪化に関係していると思われることは、以前の記事で考察しました。

5.「凝り固まった無意識の生き残り反応」

条件付け反応を発見した、イワン・パブロフの物語には、じつはあまり知られていない続きがあります。彼は、ノーベル賞を受賞した20年後に、思いがけず、もう一つ重大な発見をすることになりました。

1924年、レニングラードを襲った大洪水によって、地下にあったパブロフの実験室は水浸しになり、檻に入れられたままの実験用の犬たちもあわや死ぬ直前まで追い詰められました。

パブロフはなんとか犬たちを救出しますが、そのとき犬たちに奇妙な変化が起きていることに氣づきました。 身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにはこうあります。

この事件はイヌたちを非常に怖がらせたものの、身体的には無傷であった。

パブロフが実験を再開したとき、イヌたちがそれまでに獲得していた条件反射を失ってしまっていることに彼は非常に驚いた。

…身体的には無傷な動物のうち多くの割合のものが、情動的に、行動的に、そして生理学的に衰弱していたのだ。

中には檻の隅で萎縮して震えているものや、大人しかった動物が飼育者をどう猛に攻撃したりするようになったこともあった。

それに加えて、弱いストレス下で心拍の上下動と、ごく軽い刺激(刺激音や実験者の接近など)に対する完全な驚愕反応などが観察されたのだ。(p235)

パブロフの犬たちは、洪水で死にかけた後、これまでの条件反射を失っていました。言い換えれば、ごく日常の当たり前の習慣ができなくなっていました。

それだけでなく、あらゆる面で衰弱しきっていて、洪水が去ったあともそのままでした。性格が変わった犬もいれば、ちょっとしたストレスに過敏に反応するようになった犬もいました。

この原因不明の多種多様な衰弱症状は、トラウマ研究の重要な先行例となりました。

最初はほとんど気にもとめられていなかったが、トラウマの生理学と行動の理解に関する、間違いなく唯一の、最も重要な実験的先行例となる発見だった。(p290)

パブロフは、この現象をさらに研究し、極度のストレスや長引く慢性的なストレスが、生物の神経系を変化させてしまうことを知りました。

あまりに衝撃的な出来事や、あまりに慢性的で長引くストレスにさらされると、生物は、「神経系の過負荷に対する生物学的な防衛」として、神経系を組み替えてしまいます。(p292)

言い換えれば、これまで生きてきた平和な環境ではなく、今まさに経験したあまりに危険で慢性的な環境のほうがデフォルトだと身体が判断して、命を守るためにそちらに適応してしまうということです。

先ほど考えたように、わたしたちの身体は、命を守るため「疑わしきは罰する」傾向があります。安全か危険か判断する際、危険のほうを優先して反応します。

パブロフの犬たちが、洪水後、まったく衰弱して性格が変わってしまったのも、この同じ傾向によるもの、つまり、身体が選んだ「適応」、一種の「学習」だとみなすことができます。

パブロフの犬たちはは、檻に入れられ、逃げ場がない状態で命の危険を経験しました。生物は、危険が迫ると、二通りの防衛反応を示します。

まず、逃げる方法があるときは、「逃走・闘争」というアグレッシブな反応で、無我夢中で生き延びようとします。

しかし、逃げる方法がないときは、「凍りつき・麻痺」という別の反応を無意識のうちに選びます。これは俗にいう死んだふりのことで、エネルギーをシャットダウンし、感覚を麻痺させ、万が一にでも生き抜ける可能性に賭けます。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復によると、これらはどちらも、わたしたちの祖先から代々受け継がれ、人間以外の生物にも広く備わっている普遍的な手続き記憶の一種です。

緊急時の生き残り行動パターンは、従来、手続き記憶には分類されていないが、幅広い臨床的な経験によって、手続き記憶の一種であるという考えが支持されている。

実際、これらの固定された運動パターン(FAP)は、高位(内側)の前頭野領域からの選択的な抑制を受けることで修正可能であり、その他の手続き記憶の特徴である学習する特性を示す。(p56)

パブロフの犬たちは、洪水のとき、檻の中に入れられていたので、「逃走・闘争」はできませんでした。その代わりに、選んだのは、凍りついて感覚を麻痺させ、死んだようになることでした。

本来、これは一時的な反応にすぎませんが、あまりに強い命の危機に直面したり、あまりに長く慢性的なストレスが続いたりすると、わたしたちの身体はそちらがデフォルトの環境だと判断します。

危険か安全か、を判断するとき、とりあえず危険だと判断する傾向が備わっているので、危機が去ったあとも、とりあえず危険だとみなし、同じ状態を続けます。

パブロフの犬たちは、洪水後、それまで学んでいた日常的な条件付けを忘れ、そのかわりに凍りつき麻痺したようになりました。これはつまり、平和なころに身に着けた手続き記憶より、緊急時の手続き記憶のほうが優先的だとみなされて、上書きされてしまったということです。

この現象は、慢性疲労症候群の人たちの症状と非常によく似ています。

慢性疲労症候群は、衝撃的なストレスや、慢性的なストレスを機に発症し、その後ずっと回復しないままになります。パブロフの犬と同様、生命の危機をきっかけに、「凍りつき・麻痺」の手続き記憶が解除されず、いつまでも再生されていると考えられます。

だから君は慢性疲労に閉じ込められた―生きるエネルギーを枯渇させる解離そして不動状態
解離と慢性疲労は深く関係していて、不動系という生物学的メカニズムによって引き起こされているという点を、不登校や小児慢性疲労症候群の研究と比較しながら分析してみました。

慢性疲労症候群のメカニズムは過労死とも比較されます。おそらく過労死のほうは、ブラック企業などの労働環境に身体が適応し、「逃走・闘争」のアグレッシヴな反応のほうが死ぬまで延々と続いてしまう現象なのでしょう。

子どものCFS研究の原点「学校過労死―不登校状態の子供の身体には何が起こっているか」
不登校は、「生き方の選択」「学校嫌い」「心の未熟さ」「能力の欠如」「根性が足りない」「親の育て方のせい」なのでしょうか。医学の進歩は、子どもや親に原因を求める伝統的な考え方について

ここで見たイワン・パブロフの2つの実験は、医学的に説明することが難しい原因不明のさまざまな症状が、「不適応に凝り固まった無意識の生き残り反応」と呼ぶべき手続き記憶によって現実に起こりうることをはっきり示しています。

原因不明の症状は詐病や気のせいとみなされがちです。しかし、パブロフの2つの実験に出てきた犬たちは、思い込みでよだれを流せたのでしょうか。気のせいで、多種多様な身体症状を抱えていたのでしょうか。犬が仮病を使うのでしょうか。まったくナンセンスです。

手続き記憶と条件付けについての研究、そして「トラウマ」とは何なのかをしっかり理解すれば、原因不明の症状などどこにもなく、医者の勉強不足を示す証拠がそこにあるだけです。

6.虐待や毒親が原因とは限らない

トラウマとは世間一般で思われているような「心の傷」ではなく、条件付け反応による手続き記憶の異常です。ということは、トラウマの原因に対する認識も根底から見直す必要があります。

トラウマの原因というと、多くの人がまず思いつくのは、虐待や機能不全家庭、毒親といった環境かもしれません。あるいは、学校や職場でのいじめやパワハラと結びつける人もいます。

トラウマという言葉をすぐに虐待やいじめと結びつけてしまうのは、トラウマがもともと「心の傷」とみなされていたこととも関係していますが、何より、著名な医者や専門家、カウンセラーたちが、そればかりを強調してきたからでしょう。

トラウマの専門家がメディアに出演することも増えてきましたが、いまだに精神的・心理的な傷つき体験として説明を繰り返していて、記憶の科学を度外視しています。

わたしもその影響を受けてしまっていて、何年か前にトラウマについて最初に知ったころは、このブログでも、家庭環境の問題ばかりを取り上げていた時期がありました。

しかし、一昨年、トラウマ研究の第一人者ヴァン・デア・コークの身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法を読んで衝撃を受けて以来、もう少し広い考え方ができるようになりました。

ヴァン・デア・コークやピーター・ラヴィーンは、確かに、虐待やいじめ、性犯罪、機能不全家庭で起こるトラウマについても詳しく扱っています。それらの被害者は決して少なくありません。

しかし、彼らは、トラウマの原因をそれだけに限定しておらず、もっと多種多様な可能性を示しています。

たとえば、ヴァン・デア・コークやピーター・ラヴィーンが、それぞれの著書で毎回言及しているのは医療トラウマです。

患者を拘束し、針やチューブを刺し、苦痛を伴う手術は、特に幼少期の子どもに、強烈なトラウマを残すことがあります。

また、ヴァン・デア・コークが 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で述べているように、医療ミスによる手術中の麻酔からの部分覚醒によって、複雑なトラウマの症状が引き起こされることがあります。(p324-330)

トラウマの原因として特に誤解されがちなのは、「愛着障害」です。愛着障害とは、生後幼いころに親子のつながりが不安定になると、成人後もさまざまな症状を引き起こす可能性があるという概念です。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

このブログで愛着障害について取り上げる際にはできるだけ毎回書くようにしている点ですが、愛着障害は、いわゆる毒親家庭や、「冷蔵庫マザー」のような愛情に欠けた親によって引き起こされるものとは限りません。

たとえば、先日書いた記事の、オリヴァー・サックスの例があります。サックスの両親は愛情深い誠実な親でしたが、戦争に備えて家を空けることが多く、しかも子どもを疎開させなければならなくなってしまったことで、サックスは生涯、愛着の問題に悩まされました。

少年は空想の友だちに支えられて絶望を乗り越え、作家オリヴァー・サックスになった
オリヴァー・サックスの少年時代の自伝「タングステンおじさん」に描かれた、一風変わった空想の友だちとの不思議な出会いの物語

また、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復では、出産時に引き起こされるトラブルによって、子どもの愛着が発達しなかった事例が出てきます。

赤ん坊と母親のつながりが切れている場合には、養育者が「十分によい」環境を提供し、絆を形成しなかったからだといわれることが多い。

しかし、すべてがそうとは言い切れない。

事実スーザンは、真剣に愛情込めて、ジャックをあやしたり、世話したり、十分に注目も与えていた。

むしろ不一致の原因は、トラウマ的な出産で双方が激しん衝撃を受けたことで、彼らが引き離されたことにあった。

母子ともに特別に親密なときを過ごし、絆と愛着を形成する能力は持っていたが、後続の「衝撃波」によってそれが阻害されたのだ。(p113)

この親子の場合、出産のときに逆子になってしまい、赤ちゃんが生まれる瞬間に窒息しそうになり、緊急の帝王切開になりました。なんとか取り出されましたが、命が危険な状態だと判断されたため、拘束して注射針を刺すなどの医療措置が行われました。

赤ちゃんは生き延びましたが、その後も原因不明の胃逆流などの症状が続き、いつも怯えているようで、母親がいくらあやしても警戒したままでした。

こうしたケースの場合、医師やセラピストは、子どもがおびえ、母親に警戒しているのは親の愛情不足や子育ての問題から来ていると判断するかもしれません。トラウマとは「心の傷」だと考えているからです。

そうすると、このお母さんは、必死の思いで赤ちゃんを産んで、やっとのことで育ててきたにもかかわらず、愛情が欠けているといった不当な非難にさらされることになります。

しかし、ピーター・ラヴィーンは、それは間違っていると述べます。トラウマとは、「心の傷」ではなく、身体に刻まれた手続き記憶だからです。

ラヴィーンが説明するように、生後間もない赤ちゃんは、「手続き記憶と情動記憶だけで構成されて」います。(p108)

以前の記事で扱ったように、わたしたちは、生後2年くらいまでは海馬や左脳が十分機能していないので、一般的な意味での記憶、つまり思い出せる記憶は持っていません。だからわたしたちは生まれて間もないころのエピソードを覚えていません。

心は複数の自己からなる「内的家族システム」(IFS)である―分離脳研究が明かした愛着障害の正体
スペリーとガザニガの分離脳研究はわたしたちには内なる複数の自己からなる社会があることを浮きらかにしました。「内的家族システム」(IFS)というキーワードから、そのことが愛着障害やさ

しかし、赤ちゃんは、すでに機能している右脳や脳幹部に基づく、無意識の身体的な記憶を持っています。赤ちゃんがお母さんの顔を覚えたり、はいはいをしだしたり、声を聞き分けられるようになったりするのは、すべて手続き的な記憶です。

すると、赤ちゃんの経験するトラウマというのは、ここまで考えてきたさまざまな例と同様、「心の傷」ではなく、自分の身体が危機にさらされたことや、尊厳をもって扱われなかったこと、生命の危機に瀕したことなどによって生じます。

今のエピソードで言えば、生まれるときに窒息しそうになったこと、生まれてすぐに母親から引き離され、痛みを伴う医療措置を受けたことなどは、たとえ本人が意識的に記憶していなかったとしても、すべてれっきとしたトラウマなのです。

そして、愛着障害という言葉を用いている人の多くが見過ごしていることですが、愛着障害もまた「心の傷つき」ではなく、こうした身体で感じる安心感の不足です。

愛着の欠如は、母親側がきちんと子供と関わり気持ちを組まないのが原因だと言われることが多い。

しかし、この例でわかるように、母子の自然なリズムと、互いに求めあい、結ばれようとする力を妨げていたのは、彼らに共通のトラウマだったのである。

…ジャックとスーザンの絆は、出産時の危機的状況と、それに続く新生児の延命措置によって、ほぼ壊滅的に阻害されていた。(p134)

この赤ちゃん(ジャック)は、単なる心の傷つきではなく、身体的な症状という形でのトラウマを抱えていて、それがお母さんとの愛着の形成を妨げていました。

ジャックはトラウマ的な出産の後ずっと胃逆流症状を抱えていましたが、医師たちはさらに内視鏡検査などの痛みを伴う措置を計画していました。

しかし、ピーター・ラヴィーンは、赤ちゃんの様子を観察して、胃逆流症状が、不適切な身体の筋肉の収縮パターンから起こっていることを突き止めました。

生まれたときに窒息しかけたこと、そして見知らぬ人たちから針を刺されるなど侵襲的な扱いを受けたせいで、ジャックの身体には、常に身構え、警戒する筋肉の動きが、手続き記憶として記録されていました。

この赤ちゃんに必要だったのは、親がもっと愛情をそそぐことでも、さらなる医療的な検査を計画することでもなく、身体に刻まれたトラウマ、つまり「不適応に凝り固まった無意識の生き残り反応」を解消させてあげることだったのです。

われわれは、言語習得前の出来事については、極めて限られた記憶しかないとされているが、妊娠六ヶ月から、出生までのごく早期の「目に見えない」手続き記憶は厳然として存在している。

こうした痕跡が、後々の反応、行動、感情や情緒の状態に協力な影響を及ぼす可能性がある。(p134)

愛着がただ単に心理的な絆であり、愛着障害とは「心の傷」だと考えてしまうなら、愛着障害がジャックの胃逆流症状のような身体症状をもたらし、その後の人生のあらゆる面に影響を及ぼす理由を理解できません。

わずか生後数年間に形成される愛着が、わたしたちの一生にわたって影響力を持つのは、それが手続き記憶による身体的なパターンだからです。

根深い愛着障害を抱える人たちは、どれだけ温かい言葉をかけられても安心できませんが、それは単なる心の傷つきではなく、身体に染み付いた、もっと根本的なレベルでの安心感の欠如を抱えているからです。

誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち
だれも心から信じられない、傷つくのが怖い、安心できる居場所がない。そうした苦悩の根底にある「基本的信頼感」の欠如とは何か、どう対処できるのか、という点を「母という病」という本を参考

愛着障害とは、生き物としての人間が、生まれて間もないころ、命の危機にさらされた際に、生き残るために身に着けてしまう、「不適応に凝り固まった無意識の生き残り反応」の集合体なのです。 

7.原因を探るなら虚偽記憶に陥る

トラウマを単に「心の傷」とみなしたり、毒親や虐待の影響ばかり強調したりする医師やセラピストは、トラウマに悩む人たちの助けになるどころか、害をもたらすことさえあります。

世の中の一般的な見方とは異なり、トラウマ記憶は、意識的に思い出せる記憶(顕在記憶)ではなく、無意識のうちにいつのまにか再生される手続き記憶(潜在記憶)として保存されていました。

そのため、トラウマを抱える人には、意識の上ではトラウマとなった出来事を覚えていないのに、身体はその出来事を覚えていて、原因不明の身体症状を延々と再生しつづけることがよく見られます。

どうして、意識的な記憶は原因を覚えていないのに、無意識の身体だけがそれを記録しているのでしょうか。

まず、トラウマを経験したのが、先ほどのジャックのように、生後幼い時期だった可能性があります。前述のとおり、生後数年間は、まだ顕在記憶が発達していないため、わたしたちは「手続き記憶と情動記憶だけで構成されて」います。

そのころの出来事は、意識的な記憶としては残りません。その代わり、そのころ味わった親の愛情深い世話は、言葉にならない感覚としてだけ記憶されます。これが「愛着」です。

乳幼児期に味わった苦痛もまた、言葉にならない感覚として身体に記憶されます。これが「愛着障害」であり、愛着障害は、原因を覚えておらずただ症状だけが現れるトラウマのひとつです。

これと似たようなことは、乳幼児期以外にも起こりえます。

たとえば、あまりに衝撃的なできごとを経験すると、脳を保護するために「解離」(切り離すこと)という防衛機制が働きます。たとえば、恐ろしい犯罪や災害に巻き込まれたとき、人は意識を切り離して気を失うかもしれません。

意識が解離されているため、そのとき経験したできごとは、意識的な記憶としてはほとんど残っていません。しかし、身体はそのときの体験を手続き記憶としてはっきり記録しているので、のちのち意味もわからずトラウマ性の身体症状に悩まされることになります。

また、子どものころに受けた医療的なトラウマや、繰り返し学校や家庭で恥を欠かされたときの痛みや緊張が、手続き記憶として身体にのこり、筋肉や感情のパターンとして記録されていることもあります。そうしたものが原因不明の身体症状をもたらしているとは、なかなか気づきにくいものです。

ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で述べるように、子ども時代にトラウマを経験した人たちのほとんどは、症状はあれど、原因をはっきり覚えていないのです。

マリリンやキャシーのような人、さらにはハーマンと私が研究した患者や、第7章で説明した、マサチューセッツ・メンタルヘルスセンターの外来に来る子供たちは、必ずしも自分のトラウマ体験を記憶していない(PTSDの診断基準の一つ)か、あるいは少なくとも虐待の具体的な記憶で頭がいっぱいではないが、自分が依然として危険な状態にあるかのように振る舞い続ける。(p236)

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

このように、意識上はトラウマを覚えていないのに、身体はトラウマを記憶していて、原因不明の身体症状だけが生じている人たちの場合、トラウマの原因として、毒親や虐待ばかりを強調する医師やセラピストとの出会いは、致命的な結果を招くことがあります。

ピーター・ラヴィーンは、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 の中で、こう説明しています。

たとえば幼児期に、ある医療行為を受け戦慄体験をしたとする。そして、現在は戦慄と憤怒という過剰な反応だけが知覚されている。

そして、実際には「医療行為」という身体への侵害が行われたのだが、それを誤って、「拷問やレイプ」として視覚化してしまうのだ。

さらにセラピストの個人的な解釈を聞かされたり、グループの共通のテーマが「虐待」であったとすると、強烈な感情の洪水が、この解釈やテーマと合体してしまう。

クライアントは誘導され、でっち上げられた「フラッシュバック」を経験する。(p174)

ここでは、幼少期の医療トラウマによって成人後も続く、原因不明の身体症状を抱えてしまった人の例が挙げられています。

原因は医療トラウマだったはずですが、本人はそれを意識の上では覚えていないか、覚えていたとしてもそれが原因だったとは思っていません。たとえ辛い経験だったとしても、命を救う手術がトラウマの原因とは考えにくいものです。

原因を探し求めてドクターショッピングしているうちに、その人は、自分の症状が、愛着障害やトラウマ障害の症状とよく似ていることに気づきます。

しかし、そのとき、もし愛着障害やトラウマ障害が、毒親や虐待によってのみ生じるものだと言われたら、医療トラウマや他の原因がある可能性をまったく考慮に入れないまま、自分ももしかしたらそうなのかもしれない、と思い始めることでしょう。

本当に虐待的な家庭で育ったのであれば、確かにそれが原因かもしれません。しかし、中には、はっきりとした虐待やネグレクトの経験がない人もいることでしょう。

そうした人たちが、トラウマの原因として、毒親や虐待ばかりを強調する医師やセラピストにかかると、本当は原因ではなかったものを誤って原因と思い込んでしまう可能性があります。

アメリカではこれがすでに社会問題となっていて、有名な「偽りの記憶」論争を巻き起こしました。ラヴィーンは、原因不明のうつ症状を抱えてセラピストのもとに行ったブラッドという男性の例を挙げています。

セラピストの実際の言葉はこうだった。

「こう申し上げなければならないのは残念ですが、あなたの症状は、他の儀礼虐待の患者さんとほぼ一致しています」。

この「診断」から一年間、ブラッドは、このセラピストのグループ・セラピーに参加した。

ブラッドは、感情の爆発を伴う解除反応を起こすとともに多くの「記憶」を回復したが、それは同様に診断されたグループ内の他のメンバーの記憶と非常に似通っていた。(p178)

ブラッドは、自分のうつ症状の原因を覚えていませんでした。しかし、虐待ばかりをトラウマの原因として強調するセラピストにかかったことで、もしかしたら自分も虐待されたのかもしれない、と思い始めるようになりました。

ここで出て来る「儀礼虐待」とは、悪魔崇拝的な宗教儀式の中で行われる児童虐待のことです。

以前読んだラルフ・アリソンの本「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からでは、一時期 「悪魔教儀式的虐待」(SRA)がトラウマ障害の原因であると主張する人たちが現れ、それが偽りの記憶論争の引き金になったことが書かれていました。

多重人格治療のパイオニア ラルフ・アリソンの素顔―患者のために涙を流した医師
多重人格治療のパイオニアとして、医療から見放されていた解離性同一性障害(DID)の患者の苦悩と向き合い、患者を助けるために命をかけた医師ラルフ・アリソンの人柄と、彼の独特な洞察につ

このブラッドという男性は、はじめは自分が虐待を受けたかどうか、半信半疑だったかもしれません。しかし、そのセラピストのセラピーに参加するうちに、同じような症状を持つ人たちを目にし、他の人の虐待の経験を聞くにつれて、自分もそうだったのだろうと思い込むようになりました。

ここで起こっているのは、過激派宗教団体で生じている洗脳と似たようなものだとラヴィーンは言います。また、警察組織がときに容疑者を過酷に尋問し、自分が犯罪を行なったと思い込ませて冤罪を生み出すこととも同じです。

本当は起こったはずのないことを、誤って事実とみなすようになってしまう現象は、「偽りの記憶」、また「虚偽記憶」として科学的に証明されています。

どうしてそのようなことが起こるのか。

かくて行動経済学は生まれりの中に、行動経済学の創始者の一人、エイモス・トベルスキーによる、こんなエピソードが載せられていました。

歴史研究家に向けた講義で、エイモスは彼らの職業の危険性を説明した。

それは観察した事実を(実際には見ていない、あるいは見るのは不可能な事実が多くあるのに、それは顧みずに)、うまく辻褄の合う話に当てはめてしまうことだ。(p233)

突然、歴史の話になって面食らった方もいるかもしれませんが、自分の過去のトラウマを明らかにするのは、一種の歴史研究のようなものです。

みんなよく知っていることですが、歴史研究家の意見はころころ変わります。考古学の分野は、新説に次ぐ新説のニュースばかりです。

歴史研究家たちの唱える相異なる説がすべて正しいなどということはありえません。しかし、それぞれの説を唱える人たちの中には、自分の説は完全無欠で間違ってなどいないと信じ込んでいる学者も少なからずいます。

なぜ、学者たちは、自分の説が信じ込むのでしょうか。先ほどの引用文では「実際には見ていない、あるいは見るのは不可能な事実が多くあるのに」「うまく辻褄の合う話に当てはめてしまう」からだと説明していました。

学者たちは、考古学上の遺物や文献という、断片的な証拠を確かに手にしています。しかしそれは、物語にはなっていません。断片的な証拠を結びつけ、ひとつのエピソードにするには、想像力が必要です。

考古学者は推理小説の探偵のようなものです。わずかな手がかりから全体像を推理します。しかし、現実にはシャーロック・ホームズのような天才はいないので、推理はたいてい的はずれな憶測でしかありません。

けれども、素人探偵は、自分の憶測を、真実だと信じ込みやすいものです。残されたわずかな手がかりから、ついに真相を探り当てた! と。

自分の過去を調べ、トラウマの原因を探り当てようとする人たちもまったく同じ罠に陥ります。

歴史家たちが考古学上の断片的な遺物や文献を持っているのと同様、トラウマのサバイバーたちも、身体に記録されたトラウマの痕跡という、断片的な症状の寄せ集めを手にしています。

しかし考古学の断片的な証拠がひとつのまとまったエピソードにはなっていないように、断片的な症状もまた、過去に何があったのか、はっきり伝えてはくれません。

そこで、断片的な症状から推理することになりますが、そのとき、もし権威ある医師やセラピストから、「その症状は虐待された人に典型的なものです!」と言われれば、もっともらしい説明に納得してしまうかもしれません。実際には素人探偵の憶測であってもです。

アメリカで起こった「偽りの記憶」論争では、医師やセラピストから、本当はなかったはずの虐待の記憶を信じ込まされたサバイバーたちは、親や子ども時代の教師などに償いを求め、裁判を起こしました。

しかし裁判の場で詳しく調査がなされると、サバイバーたちの「推理」は的外れで、犯人とされた人たちに、いわばアリバイがあることがわかったり、事実と食い違っていることを示す証拠が出てきたりしました。

その結果、世論はまったく逆の極端に傾き、サバイバーたちが抱えるトラウマはすべてでっち上げで、「偽りの記憶」なのだ、という意見が噴出し、トラウマ記憶は本物か偽物か、という激しい論争が巻き起こりました。

しかし、この記事をここまで読んでくださった方ならわかるはずですが、この論争はまったく的外れです。

記憶が本当に回復されたものか、あるいは架空のものなのか、という対立する二つの見解は、どちらも究極的には的はずれなものだということを認めたほうがよい。

トラウマおよびその他の精神と心の傷の治療に関しては、特にその議論は意味がない。

両陣営の主張と、彼らが推奨する治療法歩は、実はそれ自身が彼らの解消されていないトラウマであったり、精神力動的問題、科学的バイアス、偏見によるものではないかと見受けられるし、自分の主張を何としても守ろうと、互いにデータのあら捜しをしているにすぎない。

…こうした「記憶論争」は、実は記憶の本質に対する根本的な誤解に基づいている。(p26)

ラヴィーンが言うように、この論争は、「記憶の本質に対する根本的な誤解」にもとづいています。

物理学の世界では、かつて、光は粒子なのかそれとも波なのか、という激しい論争がニュートンとホイヘンスを中心に起こりましたが、記憶の論争もそれと似ています。

結局、光は粒子でもあり波でもあるというのが真実でしたが、記憶もまた正しいと同時に間違っているというのが真実です。

つまり、記憶には二重の性質があります。サバイバーたちの身体に刻まれた手続き記憶のほうは本物です。しかし、サバイバーたちがセラピストに誘導されて素人探偵のように推理して作り出したエピソード記憶のほうは間違っていました。

無意識のうちに身体に保存されている潜在記憶は嘘をつきません。考古学上の遺物のように、実在する確かな証拠です。

しかし、意識的に思い出せる記憶のほうは、容易に改ざんされ、虚偽記憶が作られます。考古学者たちが、同じ過去の遺物を見ているにもかかわらず、千差万別のストーリーを考え出してしまうように。

それで、ラヴィーンはこう結論しています。

したがって、クライアントが語る「物語」が事実であるか否かは別として、クライアントが体験したことの衝撃と影響は、まぎれもない真実であり、それが重要なのだ。(p175)

こうした記憶の二重性をめぐる虚偽記憶の危険については、以前のこちらの記事でも詳しく扱いました。

HSPの人が知っておきたい右脳の役割―無意識に影響している愛着,解離,失われた記憶
HSPの子は右脳が活発、という知見にもとづき、右脳と左脳の役割や二つの記憶システム、愛着、解離など、HSPの人が知っておくと役立つ話題をまとめました。

8.「あなた」の記憶ではないかもしれない

虚偽記憶の危険があるとは言っても、原因不明の症状に悩まされている人たちが、原因は何だったのか、過去に何があったのか知りたい、と望むのはごく自然なことでしょう。

過去に何かがあったのは事実なのだから、しっかり証拠を集め、シャーロック・ホームズのように、冷静に、理性的に推理を重ねさえすれば、虚偽記憶に陥ることなく、本当にあった出来事をある程度探り出すことができるのではないか。

そう考える人もいるかもしれません。

しかし、ピーター・ラヴィーンは、別の本心と身体をつなぐトラウマ・セラピーの中で、トラウマの原因を探り、本当のところ何が起きたのか知ろうとするのは、じつは「不可能な課題」だと述べています。

もしあなたが、事件が「本当に」起きたかどうかを知りたいのであれば、私には、あなたの幸運を祈り、すでにあなたが知っていることをお伝えすることしかできません。

つまり、あなたは不可能な課題に取り組んでいるのかもしれないのです。

私の考えでは、この本も、他の何事も、あなたが探す真実を知る助けにはならないでしょう。(p244)

なぜ「不可能」とまで言い切れるのでしょうか。

わたしたちは、自分の過去に何があったかぐらい探り出せると思いがちですが、近年の研究によれば、トラウマ記憶は、わたしたちが思っている以上に複雑でやっかいなものかもしれません。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復にはこんな意外な研究が紹介されています。

マウスと匂いに関する画期的な実験がある。マウスにごく中立的な桜の花の匂いを嗅がせ、次に深いな電気ショックを与えた。

数回にわたり匂いと電気ショックの組み合わせを記憶させ、その後ショックは与えずに、匂いを嗅がせた。するとマウスは恐怖に凍りついた。

ここまではパブロフの条件反射の典型的な例であり、まだ驚くことではない。

しかしこの後の実験では驚くべくことが起きた。条件付け反応が少なくとも五世代後の子孫まで維持されていたのである。

言い換えると、実験で条件付けられたマウスの五世代先の子孫たちは、桜の花の匂いを嗅いだとき、まるで彼ら自身が電気ショックを受けたかのように恐怖に凍りついたのである。(p224)

まさに驚くべきことですが、少なくともマウスの実験が示すところによると、トラウマ記憶、つまり条件付けされた手続き記憶は、世代を越えて伝達されるのです。

言い換えれば、自分が実際にはトラウマを経験していないにもかかわらず、親や先祖が経験したトラウマ記憶が遺伝によって受け継がれ、あなたの身体の原因不明の症状として現れている可能性がある、ということです。

この「世代間トラウマ」は、まだ人間ではっきり証明されたわけではありませんが、ピーター・ラヴィーンは臨床的な観点からあり得る話であると述べています。

たとえば、ホロコースト生還者の子どもたちについて調べているレイチェル・イェフダは、その子どもたちのストレスホルモン、コルチゾールが高い数値を示すことに氣づきました。

トラウマを抱える親に育てられたことによる不安定な愛着やストレスによる可能性もありますが、もっと根本的な体質として、トラウマ記憶が伝達されている可能性も否めません。

彼らは、実際には悲惨な出来事を体験していないにもかかわらず、身の毛もよだつようなイメージ、感覚および感情を明確に持っており、それについて頻繁に語った。

これらの特異的な出来事の多くは、彼らの親に起こったことで、彼ら子供たちが体験するはずがないことは明らかだった。

しかし子供たちは、親たちのトラウマの記憶を、まるで自分自身のことのように、強烈に体験しているのである。

さらに、ほとんどの親や祖父母たちは、こうしたことがあったということは、子供たちには話していないのである。(p226)

自分が経験していたないはずのトラウマの記憶が親から遺伝によって受け継がれる、などということが本当にあり得るのでしょうか。

従来の遺伝学では、このような現象は説明がつきませんでした。しかし、近年 研究されているエピジェネティクス(後世遺伝学)は、確かに世代間トラウマが現実の現象であることを示しています。

エピジェネティクスの研究が明らかにしたのは、親から子へと受け継がれるのは単なる遺伝子だけではないということでした。親が経験した「環境」もまた、遺伝子に刻印を残し、子どもへと受け継がれることがわかっています。

脳科学は人格を変えられるか?には、スウェーデンで行われたノルボッテン地区で行われた有名な研究が紹介されています。そこはかつて、繰り返し深刻な飢饉に見舞われた歴史を持つ地域でした。

予防医学の専門家、ラーズ・オロブ・バイグレンは、この地方の豊作と凶作の記録を手がかりに、住民の健康の変化を調査しました。

バイグレンは、ノルボッテンのオベリカリックスという小さな部落で1905年に生まれた住民99人をランダムに選び、調査のサンプルにした。

スウェーデンらしい綿密な記録からあきらかになったのは、少年のころ、ある冬は飢餓、次の冬は飽食という経験をした男性の子どもや、さらにその子どもが概して平均より短命になることだ。

寿命に影響すると考えられているその他の要因を考慮に入れると、この原因による寿命の差はじつに32年にもなった。

これらのデータは、ある驚きの事実を明らかにした。

子どものころに飢餓の冬と飽食の冬を連続して経験した人々の体内では、次の世代の寿命に、そしてさらに次の世代の寿命にまで影響するような生物学的変化が起きていたのだ。(p185-186)

この研究が示すとおり、親が過酷な環境を経験すると、その生物学的変化は、子どもに、さらに孫にまで遺伝します。

ここで受け継がれていたのは、一般的な意味での記憶ではありません。つまり、顕在記憶のほうではありません。子どもや孫は、親が経験した飢饉の思い出そのものを受け継いでいるわけではありません。

受け継がれているのは、体質、すなわち身体的な記憶です。

トラウマとは「心の傷」ではなく、行動や感情、さらにはホルモン分泌などを含む身体的なパターンからなる手続き記憶のことでした。つまり、この事例は、「世代間トラウマ」として身体的な記憶が子や孫へと受け継がれたことを意味しています。

もっと生物学的な言い方をすれば、パブロフの犬のところで説明したように、トラウマ記憶とは「学習」また「適応」です。

ヴァン・デア・コークによれば、トラウマ記憶とは、身体が危険にさらされ、命の危機を味わったときに、それを生き延びたりやり過ごしたりするために記録される、「不適応に凝り固まった無意識の生き残り反応」でした。

今見たような、ホロコースト生還者や飢饉の生存者の子孫に見られる「世代間トラウマ」もやはり、正確に言えば、障害や病気が受け継がれていたわけではありません。受け継がれたのは「適応」また「学習」された生き残り反応です。

ホロコースト生存者の子どものストレスホルモンが高かったり、身の毛もよだつようなイメージを持っていたりしたのは、親が過ごした強制収容所内の環境に対する適応だったと考えられます。

そうしたストレス反応の強さや恐ろしいイメージは、平和な社会では障害にしかなりませんが、危機的状況の中にいたとしたら、生き延びる確率を上げるものだったでしょう。

ピーター・ラヴィーンはトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 の中で、わかりやすく説明するために、自然界の生物を例に挙げています。

300年以前に壊滅的な津波に襲われたタイのある地方では、最近になって地震が起きたとき、まだ津波が来る前に、村人も野生動物もこぞって高台へ逃げたそうです。(p230)

このとっさの行動は、ただ単にだれにでもそうした本能が備わっているというよりは、祖先が経験した災厄に対する行動パターンが、子孫へと世代を越えて受け継がれていたのではないか、と書かれています。

津波の地域の動物たちもホロコーストの生存者たちも、特殊な環境で生き延びるために適応しました。生き延びるために生じた変化や、生存反応は、身体に記憶されました。

その身体的な記憶は次の世代が同じような環境に直面する可能性を見越して、遺伝によって数世代にわたって受け継がれました。

わたしたち生物はみな、危険なのか安全なのかわかりにくい場合、とりあえず危険だとみなす「疑わしきは罰する」傾向を持っていました。子どもが同じような危険に遭うかどうかわからない場合もまた、とりあえず手続き記憶を遺伝させ、危険に備えさせるほうを選ぶのではないでしょうか。

この「世代間トラウマ」の遺伝は、わたしたちが気づいていなだけで、実際には頻繁に生じていると思われます。

たとえばパレスチナのガザ地区や、コンゴ民主共和国のようなところで、残忍な殺し合いが何世代にもわたって続いているのはどうしてでしょうか。どうしてスラム街はいつまでもスラム街なのでしょうか。

そうした危険な地域で生まれた子どもは、ごく普通の養育を受けにくく愛着障害を抱えやすかったり、攻撃的な遺伝子を持つ人が子孫を残しやすかったりする事情もあるでしょう。

しかしそれだけでなく、世代間トラウマとして、親が経験したトラウマの身体記憶が子どもへと受け継がれ、脈々と同じ歴史が繰り返されていることも十分に考えられます。

「世代間トラウマ」の存在について考えると、トラウマ症状の原因を探ろうとする試みが「不可能な課題」であると述べたラヴィーンの言葉の意味がよくわかります。

身体に刻まれたトラウマは、わたしたちが物心つく前に経験した、記憶に残っていない幼少期のトラウマ体験の痕跡である可能性がありますし、そればかりか、そもそも自分のトラウマ体験でさえない可能性もあるのです。

もしも、親や祖父、さらにそのまた先祖が経験した世代間トラウマが自分に受け継がれているのだとすれば、原因など思い出せるはずがありません。もし「思い出せた」としてもそれは虚偽記憶です。

特にここ日本に生きるわたしたちの先祖は、数世代前に第一次世界大戦、そして第二次世界大戦を体験しています。戦時下を生き延びるために役立った生存反応、戦時中の生活への適応が、戦争のない時代に生きるわたしたちに受け継がれていることは十分考えられます。

考えさせられることに、子どもの慢性疲労症候群の専門家である三池輝久先生の本「学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている 」には、こんなエピソードがありました。

さて二つめは、199年11月30日の毎日新聞の「余録」欄にでていた、若者たちが「戦争を体験した人たちがうらやましい」という言葉を、戦争を語り継いでいる評論家の清水真砂子氏に投げかけたというエピソードが書かれていた。

思わずどきっとする言葉であるが、彼らの言い分は次のようであったという。

「戦争を語るみなさんは生き生きとして楽しそうである。私たちは何一つ感動して話をするような経験がない」

このことは、いいかえれば現代の若者たちが、戦争を体験した世代よりもある意味ではるかにつらくて苦しい時代に生きているのではないか、ということもできると清水氏は述べている。(p150)

この本では、戦時下がうらやましい、と述べる若者たちについて、大人指導型社会のもとで自由を束縛されていることからそう感じるのではないか、という心理学的な説明がされています。

その考え方には一理あると思いますが、生物学的観点から、「世代間トラウマ」の遺伝によって説明することもできます。

以前の記事で詳しく説明したように、幼少期に虐待された人や、戦争の帰還兵は、平和な環境に馴染むのが難しく、かえって異常な環境で生き生きしやすい傾向があります。

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これは、彼らが長年の逆境体験を通して非日常の異常な環境に適応し、そうした場所を生き延びるために脳が最適化されてしまっているからです。ヴァン・デア・コークはそれを「サバイバル脳」と呼びました。

日本の場合も、第一次世界大戦、第二次世界大戦を生き延びた人たちは、やはりサバイバル脳のような状態になっていたことでしょう。平和な日常に適応できず、安心できず、ひたすら命を削って働くようになり、高度経済成長がもたらされました。

もしも、その世代間トラウマが、今のわたしたちにも遺伝的に受け継がれているとしたら、どうでしょうか。サバイバル脳の名残りを生まれながらに持っているとしたら、平和な日本には適応しづらく、戦時下のようなサバイバルをうらやましく感じるのは生理的な衝動です。

昨今、日本では、無気力やうつが蔓延し、生きる意味を見失い、バーチャルの世界に逃避する若者が増えていると言われています。

これは、単なる心の弱さや親の過保護とみなされがちですが、それではあまりに短絡的です。

あくまでひとつの仮説にすぎませんが、かつての戦時下に適応した手続き記憶が今の若者に受け継がれ、戦時下とまったく異なる現代社会という環境に不適応が生じている、と考えることもできるのではないでしょうか。

ヴァン・デア・コークはかつての著書トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべての中でこう書いていました。

第二次世界大戦の戦慄の影響は、情緒的なひきこもりや攻撃性の爆発、あるいは親密さの欠如という形で現れているのであろうか?

…日本人の臨床家や研究者のなかには、戦争を無視することで、その後の経済復興のために必要なエネルギーを動員できたのだろうと―おそらくは正しく―指摘する者もいる。(p vi)

9.曝露療法や認知行動療法のリスク

ここまで、原因不明の症状と、それにまつわるトラウマ記憶の仕組みについて考えてきました。最後の二つの項目では、トラウマの治療法について考えたいと思います。

トラウマ記憶とはいったい何なのか、今もって正確な知識が医師やセラピストのような専門家にさえ熟知されていない、ということは、とりもなおさず、治療法についても誤解がはびこっているということを意味しています。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、特定の治療法を信奉したりせず、さまざまな治療法がもつ可能性に対して、柔軟な見方をするよう勧めています。

トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。

有効な治療法のいっさいに精通しているセラピストなどいるはずがないのだから、自分が提供するものではない選択肢を患者が探ることをセラピストは許容すべきだ。

また患者から学ぶ態度も持ち合わせていなければならない。(p347)

けれども、一方で、広く受け入れられてはいる治療法の中に、誤った理解にもとづいてる危険なものがあることに警鐘を鳴らしています。

ヴァン・デア・コークとピーター・ラヴィーンが、さまざまな著書を通して繰り返し危険性を指摘しているのは、デブリーフィング(CID)や、持続エクスポージャー療法(曝露療法)です。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 でピーター・ラヴィーンはこう書いています。

過去20年にわたって、CIDや持続エクスポージャー療法が広範囲に応用されてきたが、それらの療法には重大な禁忌と複雑性があることがわかっている。(p207)

まず、デブリーフィング(CID)は、トラウマとなった出来事の詳細な経験を聞き取るという治療法です。話を聞いてあげることでトラウマが解消されるという、すでに見たフロイトの見解の延長線上にありますが、現在はリスクが高いことが証明されています。

とりわけ、かつてトラウマ経験の直後、あるいはまだ感情が高ぶっている段階で詳しく話を聞くことが推奨されていましたが、そうするならかえってその後のPTSD症状が悪化することがわかっています。

次に、持続エクスポージャー療法(曝露療法)があります。

これはトラウマの出来事を思い出させ、再体験させることで、苦痛に対して慣れさせ「脱感作」する、といういささか野蛮にも感じる方法です。ここ日本でも、かなり広く、一般的に行われています。

ヴァン・デア・コークは、 トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 の序文で、持続エクスポージャー療法をはじめ、トラウマを「再体験」させる治療法について、こう語っています。

トラウマ体験からの生還者に、トラウマを繰り返し詳細にわたって再体験させ、彼らを恐怖と生理学的活性の状態に留置し、当然のこととして過去の激しい苦痛がさらに強化される状態を生み出す危険を冒している治療方法が見受けられる。

このようなことをしてしまうと、トラウマの記憶は、新たな戦慄体験と結びついて固定化され、内面の世界によって圧倒されている感覚が強化されていく恐れがある。(p xii)

ピーター・ラヴィーンによれば、持続エクスポージャー療法は、もともと1980年代に、単一のものに対する恐怖症、たとえばクモ恐怖症やヘビ恐怖症の治療法として開発されました。

そうした症状に効果があるのは確かですが、それがなぜか本来の役割を越えて、恐怖症ではなくトラウマ治療へと導入されてしまい、多大な被害をもたらしています。

元々単一対象物の恐怖症治療のために開発された療法を、はるかに複雑なトラウマ治療に転用してはばからないというのは、思慮に欠けると言わざるを得ない。(p167)

ヴァン・デア・コークも身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法でこう述べています。

残念なことに、精神療法家は研修の際に、脳の記憶処理システムの働きについて教わることはほとんどない。

これが抜け落ちているために、治療へ間違った取り組みをしてしまいかねない。

恐怖症(クモ恐怖症のような、特定の不合理な恐れに基づいたもの)とは異なり、心的外傷後のストレスは、実際に命を脅かされる経験をしたこと(あるいは、誰かの命が奪われるのを目撃したこと)に基づく。(p422)

持続エクスポージャー療法は、単に効果がないのであればともかくとして、現実には、トラウマ患者の症状を悪化させ、より重い解離状態へと進行させます。

ピーター・ラヴィーンは トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 で、こんな事例に言及しています。

実際、2014年にテレビ番組の『60ミニッツ(60 Minutes)』(アメリカのドキュメンタリー番組)で、持続エクスポージャー療法を受けた兵士たちが紹介された。

最後に、治療を受けて気分がよくなったかと質問されたとき、上官の目を意識したのか、ある兵士は言った。

「ああ、たぶんね」。

しかし、少しでも身体を読むことができるものであれば、この兵士の容体はさらに悪化しており、よりひどい「シャットダウン」に陥っているのは明らかだった。(p171)

このとき、帰還兵には何が起こっていたのでしょうか。

まず、おそらくこの兵士は、戦場でトラウマを経験し、PTSDになったのでしょう。先ほど少し触れましたが、PTSDは、ショッキングな出来事を経験したときに起こる「逃走・闘争」反応が延々と続いてしまうトラウマ後遺症です。

このPTSD症状に対して、持続エクスポージャー療法が試みられるとどうなるでしょうか。

最初に経験したトラウマは、ショッキングではあったものの闘ったり逃げ出したりできる環境で生じました。しかし持続エクスポージャー療法では逃げられない環境で、繰り返しそれを再体験させられます。

人は、逃げられない環境で慢性的にトラウマを繰り返し経験させられると、「逃走・闘争」ができないため、次の段階の生存反応である「凍りつき・麻痺」へと移行します。動物でいう死んだふり状態になって身体を凍りつかせ、生き延びる機会をうかがいます。

この「凍りつき・麻痺」反応が解除されず、危機が去ったあとも、身体に刻まれたパターンとして延々と再生されつづけるのが解離であり、先ほどピーター・ラヴィーンが触れていた「シャットダウン」です。

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つまり、持続エクスポージャー療法は、逃げられない環境で繰り返しトラウマを再体験させることで、もはや抵抗しても無駄だということを叩き込み、感覚を麻痺させ、無気力でシャットダウンされた状態へと追い込むことで「治療」したと見なす方法です。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でこう述べています。

トラウマ性ストレスへの治療の取り組みの多くは、患者を過去に対して脱感作することに的を絞っている。トラウマ体験に再びさらされれば、情動の突発的なほとばしりやフラッシュバックが減ることを期待してのことだ。

だが私は、これはトラウマ性ストレスにおいて起こることの誤解に基づいていると考えている。

私たちは何よりもまず、患者が現在をしっかりと思う存分生きるのを助けなくてはならない。そのためには、トラウマ体験に圧倒されたときに患者を見放した脳の組織が働きを取り戻すように支援する必要がある。

脱感作によって過敏な反応は減るかもしれないが、散歩をしたり、食事を作ったり、子供たちと遊んだりといった、日常のごく当たり前のことに満足を感じられなければ、人生に置き去りにされてしまうからだ。(p122)

患者たちは確かに一般的なPTSDではなくなります。過敏さやフラッシュバックは減ります。PTSDしか知らない医師はそれを治療したと見なします。

しかし、実際には、患者たちはより重いシャットダウンを伴う解離、すなわち凍りついた麻痺状態へと進行しており、生きる喜びも満足も感じられない屍のようになります。

ピーター・ラヴィーンは、 トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復 の中で、このような暴力的な「治療法」に対して、はっきりこう断言しています。

持続エクスポージャー療法を含めたカタルシスを用いるトラウマ療法に決定的に欠けている視点がある。

トラウマの記憶についての正しい理解である。一つの記憶を何回も再体験させれば、トラウマの記憶を切除できるというのは幻想である。(p164)

曝露療法は、要するに、熱いものが苦手な人に対し、熱湯に無理やりずっと手を突っ込み続けさせることで、痛みも熱さも感じなくならせるようなものです。感覚が麻痺するだけで、とても克服とはいえません。

そのほか、ピーター・ラヴィーンは、やはり現代の精神科で広く用いられている認知行動療法に対しても根本的な解決にはならないことを指摘しています。

現代の心理療法は、フロイトとその弟子たちの精神分析的アプローチか、認知行動療法的アプローチが主流となっている。

しかし、人間の苦痛を緩和するこれらの手段は、トラウマとその潜在的な記憶の刷り込みへの対処に関しては限界を持つ。

これら従来の治療法は両方とも、トラウマに関連する一部の機能不全には対処しているが、原因の根本には到達していない。(p5)

ヴァン・デア・コークも、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、認知行動療法もまたほとんど効果がないばかりでなく、有害な副作用がみられたとするデータを紹介しています

PTSDに対する認知行動療法の臨床研究中、公表されたうちで最大規模のものでは、三分の一を超える参加者が脱落し、残りの人々には数多くの有害な副作用があった。

女性のほとんどは、研究に三ヶ月参加したあとも、依然として本格的なPTSD症状を示しており、腫瘍なPTSD症状が消えたのは15パーセントだけだった。(p362)

認知行動療法は、本人が意識的に思い出せる表面的な記憶や思い込みをコントロールすることには役立ちますが、トラウマ記憶のような、自動的に再生されてしまう手続き記憶には意味がありません。

トラウマ障害の患者は、自分ではどうしようもない、意識でコントロールできない原因不明の症状に悩まされています。理性の力でコントロールできるようなものではないので、認知行動療法に取り組んだ結果、自信を喪失してより悪化してしまう人もいます。

これら、持続エクスポージャー療法やデブリーフィング、認知行動療法は、いずれも、広く受け入れられ、トラウマ治療の専門機関で当然のように行われています。

どの治療法を選ぶかは個人的な決定ですが、ヴァン・デア・コークをはじめとする専門家たちの意見や、さまざまな統計的なデータを調べた上で判断するに越したことはないでしょう。

10.手続き記憶を修正するには

それでは、トラウマ記憶を本当に治療するのはどうすればいいのでしょうか。

特効薬となる治療法はありませんし、さまざまな選択肢がありますが、ここでは記憶の科学に基づく一つの方法について考えたいと思います。

ここまで見てきたリスクのある治療法の多くは、ところどころ触れられていたように、ジークムント・フロイトの精神分析学に源を発しています。

最初に見たとおり、トラウマ研究の歴史は、シャルコーとジャネにまで遡ります。ジャネは正確な観察により、トラウマ記憶とは身体的な手続き記憶であるとう正確な理解を得ていましたが、フロイトの学説によって覆い隠されてしまいました。

フロイトの精神分析学は当時から今に至るまで絶大な影響力を持っていますが、誰もがそれに同意したわけではありません。

たとえば、フロイトの弟子であったオーストリアの精神分析学者ヴィルヘルム・ライヒは、師であるフロイトの考えはひどく間違っていると考えるようになりました。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアによれば、ライヒは、トラウマはフロイトが述べる性的な葛藤のようなものではなく、実際の出来事によって引き起こされ、身体の症状にも現れる現実の症状だと考えました。

ライヒはまた、ネガティブな感情の抑圧も喜ばしい感情の抑圧も身体的な現実であり、筋肉の慢性的な固さや痙攣に現れるということも信じていた。

これらの身体的な制限によって、呼吸の制限やぎこちなく調和の取れていないロボットのような動きが生じる。(p367)

フロイトはトラウマは記憶を掘り返し、言葉に出すことで解消されるという、現代の曝露療法やデブリーフィングにつながる考えを抱いていましたが、ライヒはそう考えませんでした。

ライヒは、トラウマ記憶を掘り返す代わりに、患者がふだんの生活の中で無意識のうちに繰り返してしまっている行動パターンを気づかせたり、身体を文字通りほぐしたりすることで、トラウマを治療できると考えたようです。

ライヒは、不当な罪を着せられ、連邦刑務所で獄死することになりましたが、ライヒの患者であり弟子でもあったアレクサンダー・ローエンとフリッツバールズが、彼の研究を引き継ぎました。

たとえばローエンは、感情を安定させるとき、足に意識を向け、地に着いている感覚に集中する「グラウンディング」と呼ばれる手法を作りました。これは今でも、解離に対処するテクニックとしてよく知られています。

また、1940年代から1950年代にコロンビア大学で研究したニナ・ブルは、わたしたちの感情と、姿勢や筋肉の緊張が連動していることを実験によって示しました。

たとえば、嫌悪の感情は吐き気、恐れの感情は身体全体の緊張や凍りつき、怒りの感情は背中や腕やこぶしの今にも殴りかかろうとするような筋肉の緊張をもたらすことを確かめました。(p392)

1973年、動物の本能について研究したオランダの動物行動学者ニコラース・ティンバーゲンは、ノーベル賞を受賞したときの講演「動物行動学とストレス疾患」の中で、アレクサンダー・テクニークという手法について語りました。

アレクサンダー・テクニークは、1890年ごろ、オーストラリア生まれのシェイクスピア俳優F・マサイアス・アレクサンダーによって体系化された姿勢矯正法です。

アレクサンダーは、「心理学者たちが語る無意識というのは、からだのことなのだ」、と考え、無意識のうちに生じる身体の動きや習慣的な姿勢を意識的に正すことで、心理的なストレスや身体的健康を改善できると考えました。(p185)

当時はまだ科学的に証明された手法ではありませんでしたが、ニコラース・ティンバーゲンの一家をはじめ、やはりノーベル賞を受賞した生理学者チャールズ・シェリントンなど、多くの著名人が実践していたそうです。(p396-397)

アレクサンダーの考え方は、のちに物理学者。黒帯柔道家、そして施術家でもあったモーシェ・フェルデンクライスに受け継がれました。ヴァン・デア・コークは、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の中で、彼の考え方について、こう書いています。

フェルデンクライスは、純粋に心的、あるいは精神的な経験などないと主張し、「『ソマティック(身体)』と『サイキック(精神)』のように、人間を二分する考えは、もはや時代の要請に応えることはできない」と語った。

主観的な経験はつねに身体的要素があり、身体的経験は、精神的要素を持つ。(pvii)

フェルデンクライスは、無意識の身体の動きを注意深く観察することで、原因不明のさまざな症状を改善させ、フェルデンクライス・メソッドとして体系化しました。そのエピソードについては、以前の記事でまとめました。

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こうしたアレクサンダー・テクニークやフェルデンクライス・メソッドといった身体の動きに注目する治療法は、主流な医学界からはほとんど無視されましたが、身体を通して意識に働きかける「ボディワーク」と呼ばれる分野の草分けとなりました。

次々にいろいろと新しい単語が出てきて、混乱したかもしれませんが、ここまで出てきたさまざまなボディワークは、どれもたった一つのシンプルな共通点を持っています。

それは、エピソード記憶ではなく、手続き記憶にアプローチする治療法だということです。

この記事でずっと考えているように記憶は大まかに二種類ありました。(1)意識して思い出せる記憶(顕在記憶)と、(2)無意識のうちに身体の行動や症状、態度として現れる手続き記憶(潜在記憶)です。

フロイトの影響力もあって、長らくトラウマとは心の傷だとみなされきたので、現在主流とされている曝露療法もデブリーフィングも認知行動療法も、すべて(1)にアプローチし、意識的に記憶を語ることで治療しようとするものでした。

しかし、ライヒの流れをくむボディワークの治療法は、さまざまな種類はあれど、すべて、(2)の手続き記憶、つまり身体に現れる無意識の行動パターンに注目します。言葉によらず、身体に記録された手続き記憶を修正することで、症状を治療します。

今回紹介している本の著者ピーター・ラヴィーンは、このボディワークの考え方をトラウマ治療に応用し、ソマティック・エクスペリエンス(SE)という手法を開発しました。

同様にボディワークの仕組みをトラウマ治療に応用した手法として、パット・オグデンが開発したセンサリーモーター・サイコセラピー(SP)というものもあります。

ヴァン・デア・コークは、 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にこう書いています。

私の友人であり師であるパット・オグデンとピーター・リヴァインは、この問題に対処するために、体に働きかける強力なセラピーをそれぞれ開発した。

感覚運動心理療法(センサリーモーター・サイコセラピー)とソマティック・エクスペリエンス(「ソマティック」は「身体の」という意味)だ。

これらの治療の取り組みで重要なのは、何が起こったのかという物語ではなく、身体的感覚を探って、過去のトラウマが残した痕跡の場所と形態を発見することだ。(p356)

こうした手法において重要なのは、「何が起こったのかという物語」ではなく、「身体的感覚を探って」トラウマ記憶の痕跡ほ探ることです。

すなわち、思い出せる意識的な記憶ではなく、身体に無意識のうちに出ている手続き記憶を発見することなのです。

これら従来とはまったく正反対のアプローチを用いることによって、トラウマの治療をめぐるさまざまな問題、この記事で扱ってきた数々の問題を避けることができます。

まず、トラウマは心の傷だという誤解があるせいで、慢性疲労症候群のような原因不明の身体症状を抱えている人はトラウマとは無関係とみなされるという問題がありました。何しろカウンセラーに聞いてほしいような心の悩みなどないのです。

けれども、実際には、トラウマは無意識のうちに身体の緊張などに現れる手続き記憶であり、ボディワークはそれに気づかせてくれるので、原因不明の身体症状を抱える人も益を得られます。

また、医師やセラピストが患者を誘導して、ありもしないトラウマの原因を信じ込ませてしまう虚偽記憶の問題がありました。

しかし身体の手続き記憶に注意を向けるボディワークは、過去のありもしない記憶を無理やり掘り返したりしません。その代わり、今まさに、身体にあらわれている手続き記憶に注意を向けるよう学びます。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復にはこう書かれています。

セラピストは、クライアントが出来事の記憶を語りたがることも十分に認めたうえで、クライアントにしばらくの間、その記憶を「横において」もかまわないかを尋ね、「今・ここ」の身体に基づいた感覚に注意を向けるよう促す。(p205)

必要なのは「記憶を語」ることではなく、「『今・ここ』の身体に基づいた感覚」を注意深くトラッキングすることです。

この記事で見てきたように、トラウマ障害の多彩な原因不明の症状を引き起こしているのは、どれも手続き記憶でした。顕在記憶のほうは、そもそも忘れ去られていて存在していないこともありました。

パット・オグデンがトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際で述べるように、存在しないエピソード記憶に注目するより、無意識のうちに身体をのっとって原因不明の緊張や痛みやシャットダウンを引き起こしている手続き記憶を治療するほうが、よほど合理的です。

GrigsbyとStevensは、機能不全のパターンを変更するうえで、潜在的に手続き的に学んだことを無効にする方が、もともとの原因を語るよりもいっそう効果的であると示唆しました。

「昔の出来事について話したり(すなわちエピソード記憶)、患者と考えや情報を議論したり(意味記憶システム)することは、くり返される機能不全行動を無効にするための間接的な手段にすぎません」

変化を起こすためには、手続き的に学んだこと(特に身体傾向)を「無効にする」必要があります。(p235)

また、従来の治療法は、曝露療法のように、患者にトラウマを再体験させるという、ただでさえ苦しんでいる人に、さらに著しい負担をかけるという問題がありました。

しかし、手続き記憶に意識を向ける治療法は、生々しい過去の記憶を掘り起こしたりせず。むしろ患者が過去に圧倒されず、冷静に身体を観察できるよう助けます。

先ほどトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復に出てきた、カウンセラーによって儀礼虐待の被害者だと思い込まされたブラッドに対して、ピーター・ラヴィーンは次のように接しました。

ブラッドは私のセッションを受けることを希望した。そこで私はブラッドに身体感覚を感じることについて説明し、いくつかの基本的なグラウンディングとセンタリングのエクササイズを教えた。

そして、彼の身体に感覚が湧き起こってくるごとに、どうやって感覚のトラッキングをするのか教えた。

こうしたスキルを教えるとともに、「記憶を探ることはしない」と念を押してブラッドを安心させ、「『今・ここ』の身体感覚」の探索を続けた。(p179)

曝露療法は患者をトラウマに「再体験」させることで感覚を麻痺させる手法でしたが、ここで挙げたトラウマ治療のボディワークは、いずれもまったく逆に、トラウマの「再体験」を注意深く避けるよう意図されています。

トラウマとは、パブロフの犬の条件付け反射のように、Aという刺激に対し、無関係のBという症状が結びついてしまったことで起こる身体反応でした。

曝露療法のような従来の手法は、AとBをさらに繰り返し再体験させ続けることで、条件付け反応に慣れさせます。あまりにそれが日常的かつ慢性的になれば、感覚が麻痺して気にならなくなるだろう、というわけです。

しかし、トラウマ治療のボディワークでは、感覚を麻痺させ、鈍感にならせるのと反対に、感覚を研ぎ澄まさせ、より繊細に注意深く自分を観察できるようにトレーニングします。

ちょうど、繊細な指を持った人が複雑に絡み合いもつれてしまった紐をほどくかのように、絡み合ったAとBをほどいて条件付けを解除することを目指すのです。

ヴァン・デア・コークは、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の序文でこう書いていました。

一歩下がり、自分の内面をよく見つめ、感覚と感情の激しさを抑え、生来の身体的な防衛反応を賦活することができるようになって初めて、不適応に凝り固まった無意識の生き残り反応を修正することができるのであり、そのときこそ、呪いのようにつきまとう記憶を、穏やかに休ませることができる。(p xiii)

こうしたボディワークを専門とするセラピストは、日本にも少数ながらいますが、もし指導を受ける場合は、本当に優れたセラピストなのか、付け焼き刃でやっているにすぎないかは、しっかり見分ける必要があるでしょう。

今回の記事で引用している本を読んだり、あらかじめトラウマ記憶やボディワークについてある程度の知識を得たりしておくなら、不適切なセラピストを見分ける助けになります。

以下の記事では、フェルデンクライス・メソッドなどを例に、同化してしまった一連の身体の反応を、繊細な感受性によって、いかにして分離させていくか、ということを説明しています。

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また、こうしたボディワークの具体的な考え方については、以前の記事にもまとめてあります。

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ひとつの身体を取り戻す

この記事で見てきた、記憶の科学、そして新たな「トラウマ記憶」の説明は、これまでの常識とかなり違っていたかもしれません。

ヴィルヘルム・ライヒや、F・マサイアス・アレクサンダー、モーシェ・フェルデンクライスなど一部の人たちは、心の傷だと思われているものは、身体に根ざした実態のあるものだ、ということを見抜いていましたが、なにぶんフロイト的な精神医学の権力が強すぎたせいで相手にされませんでした。

しかし、近年、脳科学が進歩し、科学的な観点から記憶の仕組みが解き明かされてきたことで、これら先駆者たちの着眼がじつは正しかったことが明らかになってきました。

たとえば、カリム・ネーダーによる2010年の研究によると、記憶は思い出すたびに再構築されていることが明らかになりました。

記憶は、かつて考えられていたように、いったん形成されたら元のままに保たれるのではないということが、ネーダーの画期的な研究で明らかになった。

記憶は形成され、「アクセス」される、つまり思い出すたびに新しく再構築されるのである。(p195)

この実験では、適切なタイミングで介入することで、マウスの条件付け反射を消去することができました。アレクサンダー・テクニークやフェルデンクライス・メソッドもそれと似た方法で、手続き記憶を修正します。

記憶についての研究は、すでに世代間トラウマや、虚偽記憶の形成、記憶の再構築など、わたしたちの直感に反する事実を次々と明るみに出していますが、今後も驚くような事実が明らかになっていくでしょう。

たとえば、最近、PTSDの発症リスクに腸内微生物群集(マイクロバイオーム)が関係しているらしいという新たな研究がありました。

Role of gut microbiome in posttraumatic stress disorder: More than a gut feeling -- ScienceDaily (PTSDにおける腸内マイクロバイオームの役割)

今回の記事では、世代間トラウマがエピジェネティクスを通して遺伝しているらしいことについて触れましたが、親から子へ受け継がれるのはヒトの遺伝子だけではありません。親の体内微生物とその遺伝子もまた、子どもへと受け継がれます。

以前の記事で考えたように、条件付けや手続き記憶には、体内の微生物群集が、何かしらの仕方で関与している形跡がみられます。

愛着やトラウマをめぐる物語の主役は腸内細菌かもしれないという意外すぎる話
神経寄生生物学の知見かに、愛着やトラウマの問題を腸内細菌を中心に読み直してみました。

もしも「闘争・逃走」「凍りつき・麻痺」といった、生物学的に伝達されている緊急時の手続き記憶に体内の微生物が関与していて、今回扱ったような世代間トラウマの伝達にも関わっているのだとすると合点のいく部分があります。

親の経験した環境が子どもに反映されるのが奇妙なのは、人間の遺伝子がわずか一世代の強制収容所体験などで変化するというのは考えにくいからです。

しかし、体内で生存をはかっている細菌の遺伝子はめまぐるしいスピードで変化しています。

というのも、土と内臓 (微生物がつくる世界)によれば、わたしたち人間が1世代(30年)過ごすうちに、腸内に住む細菌は75万世代以上も生まれては死に、環境への適応を繰り返しているからです。(p238)

それら、わたしたちの体内に住む微生物の遺伝子は、細菌のものだけでも約200万個を数え、それはヒトゲノムの100倍のタンパク質コードを含んでいます。(p159)

抗生物質によって驚異的なスピードで多剤耐性菌が生まれていることは大きな懸念材料となっていますが、それはつまり、細菌はそれほど急速に危機に適応し、変異した性質を子孫に脈々と受け継がせる、ということを意味しています。

今のところ、腸内細菌とトラウマ医学は別々の分野に分かれていますが、トラウマが心の傷ではなく、本能的な生き残り反応の異常である以上、地球上で最も熾烈な生き残り闘争を続けている微生物が無関係なはずはないように思います。

またピーター・ラヴィーンは、このトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の最後で、進化生物学者ルパート・シェルドレイクによる不可思議な実験について言及しています。

シェルドレイクは世代間トラウマについて研究しましたが、あたかも遠く離れた無関係とも思える同種の生物に影響が及んでいるかに思えたことから、「シェルドレイクの仮説」を提唱しました。

シェルドレイクの仮説はオカルト的に感じられるので科学者から相手にされていませんが、シェルドレイクの実験結果に反証できれば支払われることになっている懸賞金を手にした者はいまだ誰もいないそうです。(p232)

遠く離れた無関係なものに影響が及ぶというのは理解しがたい現象ですが、量子力学ではすでに量子テレポーテーションのような直感に反する現象が確認されているので、もし実験の不備でないとすれば、何か未解明のメカニズムが絡んでいるのかもしれません。

ひとつだけ確かなことは、現代の科学や医学は、わたしたちが思っているよりはるかに初歩的だということです。

何もかもわかっているつもりになって、自分の知識にそぐわないことを頭ごなしに否定する見せかけだけの知識人は、とんでもない思い違いをしています。

この記事で見てきたような原因不明の身体症状は、これまで、思い込みや気のせい、心の問題とされてきました。いまだに自分の医学的知識の辞書に含まれていないという理由だけで詐病扱いする専門家もいます。

けれども、すでに明らかにされている記憶の科学を用いるだけで、症状が現実に起こりうることを証明できます。さらに研究が進展すれば、もっと詳しいメカニズムも解明され、効果的な治療法もより洗練されてくるはずです。

アレクサンダー・テクニークのようなボディワークもまた、医学の主流派から長い間、疑似科学扱いされてきましたが、いまやトラウマ研究の第一人者たちによって活用され、NASAで実践されるまでになっています。

冒頭で引用したように、ピーター・ラヴィーンは、全身に散らばる原因不明の身体症状を、オシリス王の伝説になぞらえていました。

伝説では、敵に殺され切り刻まれたオシリス王の身体は、王国のあちこちにバラバラにされて埋められました。しかし、オシリスの妻イシスは、その断片をすべて探し出し、つなぎあわせ、蘇らせました。

身体に散らばる原因不明の症状も、すべて、もとは一つだったものが、何らかの凶器によって切り刻まれたことを示す痕跡です。

それらは何も知らずに見れば意味不明でしかありませんが、記憶の科学を理解すれば、断片をつなぎ合わせることができるようになります。

トラウマを受けた人々が示すまったく異なるように見える症状、散り散りになっている断片、兆候、および症候群を観察すると治療の手がかりが見えてくる。

さらに、恐怖に凍りついたときに身体および脳に何が起こるのかがわかってくると、こうした症状を理解できるようになる。

これらの症状は、分断され散り散りになった体験の塊なのだ。

それは未完了の身体感覚であり、過去にはその人を圧倒した。

あたかも、惨殺され、切り裂かれたオシリスの身体が、はるかに離れた違なる場所に埋められたように、これらはかい離し、意味不明の状態にある。(p235)

この記事で考えた、トラウマ記憶をめぐる10の点は、原因不明の症状をつなぎ合わせ、生きた身体としてよみがえらせる手がかりです。

記事ではわたしなりの観点から内容を読み解きましたが、関心を惹かれた人がいれば、ぜひピーター・ラヴィーンの トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復を読んでみてください。

原因不明、意味不明と思えた断片的に散らばる身体の異常が、じつはもっともな原因があって生じている記憶の痕跡であること、そして、それらをひとつにまとめ、身体を取り戻すための手がかりが自分の身体の内側にあることにきっと気づけるでしょう。

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