ADHD研究の混乱に埋もれてしまった、知られざる敏感な子どもたちの歴史


しかしながら驚くべきことに、ほとんどの多動症の理論家は、多動症が当然ながらさまざまに解釈しうる複雑な概念であることを、頑なに受け容れたがらない。多元主義は、彼らの語彙にはまったくないようである。

…別のもっと重要な理由は、多動症を治療してきた医師や多動症児の親や教師、そして多動症患者のほとんどに加えて、多動症を論評し理論化するほとんどの人々が、その歴史についてほとんど知らないことである。(p11)

たしがADHDに興味を持って調べ始めたのが数年前。最初は自分の抱える問題の答えを見つけたかのように思い、喜々としてブログにまとめました。

ところが調べれば調べるほど疑問が増えていくばかり。ADHDは求めていた答えではなく、入り口に過ぎなくなりました。

わたしが最初に読んだ医学の本の専門家たちは、ADHDがすでに確立された概念、遺伝的な脳の発達障害だと自信たっぷりに語っていましたが、わたしには到底そうは思えなくなりました。

トラウマ専門医によると、後天的な愛着障害によってもADHD症状は現れます。睡眠専門医は慢性的な睡眠不足がADHD症状を引き起こすことを知っています。

アレルギー専門医は食物不耐症や添加物の影響を指摘しています。心理学者たちはそもそもADHDが病気かどうか疑問に思っています。

どの意見にもそれぞれ説得力があるのに、不思議なのは、なぜか最も主流とされる精神科医たちの多くが、かたくなに「脳の遺伝的な発達障害」という見方にこだわっていることでした。

なぜ、これほど複雑で多面性のある概念が、単なる一面からしか見ていない発達障害としてくくられ、社会にもそう受け入れられてしまっているのか。

またなぜ、当事者たちやその親たちが、ADHDは障害なのか、個性なのか、薬物療法は必要なのか、それとも麻薬のようなものなのか、といった論争を日夜かまびすしく戦わせているのか。

そして、心理学者たちが提唱してきたHSPのような、ADHDを別角度から説明できる概念が、今に至るまで医学界から徹底的に無視されてきたのはどうしてか。

その答えを教えてくれたのはハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかという本でした。

冒頭で引用したように、問題をややこしくしているのは、ADHDの医師も当事者も「その歴史についてほとんど知らないこと」にありました。そして、わたしもまたその一人だったことに、はたと気づかされました。

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これはどんな本?

この本、ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかは、イギリスのストラックトライド大学の講師で、科学史を研究しているマシュー・スミスによる本です。

自身が生まれつき多動であったことから多動症の歴史に興味を持ち始め、最近生まれた息子が多動症傾向だったこともあって、この本を書くことにしたそうです。

冒頭に触れたように、しばしばADHDは医学的な病気であり薬物療法が必要であると主張する人たちと、ADHDは作られた病気であり、子どもたちに不当に薬物が投与されていると主張する論争が起こりがちです。

しかし、この本はどちらの極端な意見も支持していません。

例えば、スウェーデンで生じたADHD専門医クリストファー・ジルバーグと、精神医療を真っ向から否定する宗教団体サイエントロジーの全面抗争について触れていますが、どちらの意見にも肩入れしていません。(p271)

この本が一貫して説明しているのは、冒頭に書いたように、多動症は「さまざまに解釈しうる複雑な概念である」という多面的なものの見方です。

多動症状はADHDという発達障害であるという医学の視点も、健康な範囲の個性であるという視点も、他のさまざまな視点も、すべてある程度までは真実を突いていると述べます。

有名なインドの訓話「群盲象を評す」が物語るように、どの立場からの意見も、多動な人たちという巨大で複雑な「象」の一面しか見ていません。どれか一つの意見から全体像を知ることはできません。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方の中で、注意力の専門家である心理学者ポール・アチェリーが述べていた次のたとえとよく似た状況にあります。

たくさんの指が月を指しているとしよう。

その指の先をすべて観察すれば、どこに月があるかが推測できる。たとえ、ひとりひとり月を眺める方法は違うとしてもね。

証拠はたったひとつとは限らないだろう。科学とはそういうものだ。(p83)

今回読んだハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかは、医学は、多動な子どもたちという「月」を指射す大勢の一人にすぎないことを明らかにしています。医学が指差す方角だけでなく、他の様々な分野の指差す方角を知ることが、多動な人々を理解するための鍵なのです。

お気づきの方もいるかもしれませんが、この記事のタイトルは、以前に書いた自閉スペクトラム症の歴史についての記事を意識したものです。

自閉症研究の暗黒時代に埋もれてしまった、知られざるアスペルガーの歴史
あまり知られていない自閉症の発見者ハンス・アスペルガーの人となりや、時代を先取りした先見の明のある洞察について考え、自閉症研究の歴史を再考してみました。

どちらの場合も、歴史を知らないまま、現行の専門家たちの意見をただ鵜呑みにしてしまうと、都合よく脚色されたうわべだけの見方に振り回されてしまうことがよく似ています。

医師や当事者だけでなく、親や、学校の先生も含め、ADHDに関わる人たちは、安易に現代の専門家の意見を鵜呑みにせず、まずその歴史に触れてみると、バランスの取れた見方ができるようになるはずです。

それは「容認可能な程度に医学が操作した歴史」

冒頭で引用したように、ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかの著者は「多動症を論評し理論化するほとんどの人々が、その歴史についてほとんど知らない」と指摘していました。

医者も当事者もADHDの歴史を知らない、と言うと、「そんなことはない、ちゃんと勉強した」と反論する人もいるかもしれません。

本屋で売っているADHDの本を読めば、どの本にもそれなりの歴史は書かれています。医学の教科書を読んだ人なら、もっと多くのことを知っているでしょう。

けれども、そうした人たちは、ADHDをめぐる本当の歴史を知っているのでしょうか。著者はこう述べます。

多動症に関心を持つ誰かが、無数にある教科書や自助に関する本、医学論文、新聞記事、患者に焦点を当てたウェブサイトのいずれか一つを見たら、多動症の歴史はほとんど必要ないと思うだろう。

多動症の歴史が面白くないからでも役に立たないからでもなく、むしろすでに書かれていると思うからである。そして、ある程度まで彼らは正しい。(p19)

わたしたちがこれまで読んだことのあるADHDの歴史は、書店で買った本であれ、まじめな医学論文や教科書であれ、当事者や患者団体のウェブサイトのまとめであれ、さらにはこのブログの記事であれ、すべて「ある程度まで…正しい」ものにすぎません。

言い換えれば、それらは映画のダイジェスト版や予告編のようなものなのです。本当は2時間あるストーリーの、ほんの一場面をつなぎ合わせたら、どんな印象を与えるでしょうか。

ときどきアニメや映画の予告が、本編の内容とあまりに違っているため、「予告編詐欺」だと言われることがあります。ダイジェスト版は、都合のいいところだけを抜き出して、もっともらしい印象を作り上げることができます。

歴史はしばしば意図的にダイジェスト版に編集されます。よく学校の歴史の教科書が国にとって都合のいいように編纂されている、と非難されますが、ADHDの歴史も、残念ながらそれと似ています。

歴史というのは、医学における現在の実践を説明するだけでなく、非難するか正当化するためにもしばしば用いられてきた。(p20)

わたしたちが知っているADHDの歴史の登場人物は、たいてい医者たちだけですが、ADHDは、もともと医学からのみ研究されてきた概念ではありませんでした。

障害なのか、それとも個性なのか、と今も議論されているとおり、心理学者や学校関係者、社会学者、そしてもちろん当事者やその親たちも、さまざまな観点から多動で衝動的な人々に注目してきました。

わたしたちが本やウェブサイトで読むADHDの歴史は、そうした多面的な観点を無視して、医学の観点のみから編集されたものです。先ほど書いたように、象を評する盲人の一人、あるいは月を指さす大勢の人の一人の視点にすぎません。

わたしたちが知っているADHDの歴史は、主流医学の取り組みを説明し、正当化するために編み直された「うわべの多動症の歴史」です。(p21)

多動症の教科書の歴史は、…利害関係者によって、いかに歴史が食い物にされうるかを示す。

彼らはより科学的根拠のある歴史を創造するが、その歴史たるや、社会的、文化的、政治的側面を無視することによって、容認可能な程度に医学が操作した歴史なのである。(p27)

例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチや、スティーブ・ジョブズのような偉人の物語を描くとき、「社会的、文化的、政治的側面を無視」して、その人個人の能力だけで偉業を達成したかのようなストーリーに編集すると、誤った印象を与えてしまいます。

彼らの業績は、彼ら個人の才能のみではなく、当時の「社会的、文化的、政治的側面」すべてが絡み合って生み出された時代の産物だからです。

同様に、ADHDという概念もまた「多動症をそれが出現した歴史的時期から分離することが不可能である」と著者は書きます。(p280)

この本がはっきり明らかにしているのは、「1950年代後半以前には、医師も一般の社会も、多動で衝動的で注意散漫な子どもに、特別な関心を持つことはなかった」という事実です。わたしたちも歴史を少し振り返るだけでそれに同意できます。(p280)

落ち着きのない子どもたちが、人類史の長きにわたってほとんど問題にされなかったのに 、今になって わざわざADHDという「発達障害」のレッテルを貼られるようになったのは、間違いなく時代がそれを求めたからです。

この本は、医学が編集したADHD研究の歴史から抜け落ちている、「社会的、文化的、政治的側面」に注目することによって、なぜADHDという概念がこれほど一般的になったのかを多面的に説明しています。

先駆者が注目したのは「敏感さ」だった

医学が作り出したADHDの歴史において、しばしば先駆者として引き合いに出されるのは、イギリスの小児科医ジョージ・スティルやドイツの精神科医ハインリッヒ・ホフマンの記述だそうです。

しかし、この本では、それらの医師たちの記述を実際に読んでみると、現在のADHDの理解とはかけ離れていることが指摘されています。

たとえば、スティルの1902年の記録に出てくる多動児は、精神的に不安定で暴力をふるい、施設に入居していたような子どもたちで、現代の基準に照らせば、愛着障害に似ているようです。

ありふれた発達障害どころか、「見つけ出すために特別な努力」を要したとスティルは書いていました。(p44)

スティルが既述したもっとも特徴的な行動のほとんどもまた、今日の多動症とまったく異なるか、必ずしも結びつかない。

その中には異食症(泥や紙のような食べられない物質を食べること)、激しい暴力、自傷行為、病的な嘘つき、性的不道徳、窃盗が含まれている。

不注意や落ちつきのない行動は、述べられてはいるが、スティルが例示する中核症状ではなかった。(p44-45)

ホフマンは、1840年代にフィジェッティ・フィリップという多動な子どもについて書きましたが、それは子ども向けに書いた物語の中に出てくるキャラクターであり、医学的に見た病的な子どもの記述ではありませんでした。(p37)

また、医学のADHDの歴史では、20世紀初頭に流行した脳炎後遺症の研究から派生した「微細脳損傷」の概念が現代のADHDの概念の前身となったとされています。

しかし、脳炎後遺症は、その字面からよくわかるように、現代ADHDとみなされている症状と比べれば、「もっとずっと深刻」でかけ離れたものです。(p49)

著者は、それらの医学のADHDの歴史に登場する先駆者たちの記述よりも、スコットランドの医師アレクサンダー・クリックトンが1798年に書いた「精神錯乱の本質と起源の探求」の章の一つ「注意とその病気」に出てくる子どもたちのほうが、現在のADHDの概念によほど近いと述べています。

彼は、「必要な程度の持続性をもって なんらかの一つの対象に注意を向けられない」「落ちつきのなさを有する」子どもたちについて書きました。興味深いことに、彼はその原因として、ある特性に注目しています。

必要な程度の持続性をもって なんらかの一つの対象に注意を向けられないことは、ほとんどいつも神経の異常なあるいは病的な敏感さに起因する。

その敏感さのために、この注意機能はある対象から他の印象へ絶え間なく移る。(p28)

落ちつきのない子どもたちの原因として、クリックトンが注目したのは「神経の異常なあるいは病的な敏感さ」でした。

ここでは「病的な」とか「異常な」という言葉が使われてはいますが、彼は、敏感すぎる子どもたちが、深刻な精神疾患や脳の異常を抱えているとは考えていませんでした。

クリックトンの観察によれば、落ちつきのない子どもたちは、生まれつきか、あるいは何かの二次症状かは定かでないものの、みな「敏感さ」を抱えていて、ちょっとした身の回りの刺激にかき乱されて、落ちつきを欠いていました。

そのような患者は、あらゆる印象によって興奮させられるのと同様に、部屋を歩き回る人々、テーブルを動かすとか突然ドアを閉めるとかいったちょっとした物音、ちょっと暑すぎたり寒すぎたりする温度などすべてのことで、持続的な注意が妨害される。(p29)

クリックトンからすれば、確かにその子たちは敏感すぎましたが、問題になっているのは敏感な子を取り巻く環境のほうでした。たとえば、学校のつまらない勉強のせいで、うんざりしてしまい、注意を集中できなくなっているのだと考えました。

多動症を薬物で治療することを好む今日の医師とは異なり、クリックトンは個人の注意の力がよりよい教育で改善すると考えていた。

彼は、多くの子どもが「単なることばの用語数を記憶に詰め込むためのうんざりする課題に何年もとぎれることなく縛りつけられて」いることを嘆いた。(p31)

そして、たとえ生まれつき敏感な特異体質があって、落ちつきがなく勉強に身が入らないとしても、興味を持って打ち込めることを見つけられたら、「天与の才能」にもなる、と記しました。

特定の特異体質あるいは個々人気質には、ほとんど注意が向けられることがない。

このゆえに、多くの天与の才能を有しているにもかかわらず、若者の多くが人生の早期においてまぬけのままでいることがよくある。

彼らが後に改善するなら、それは独学によるか、あるいは新たな願望を目覚めさせ、心の中にあった好奇心の炎に火をつけるような科学の対象に、幸運にも偶然出会えたのである。(p31-32)

どの意見も、とても200年以上前に書かれたものとは思えません。古くさい考え方どころか、近年、ADHDの当事者たちが発信しているADHDの本質をよく突いた意見です。

とりわけ注目に値するのが、クリックトンが、落ちつきのない子たちの原因として「ほとんどいつも神経の異常なあるいは病的な敏感さに起因する」と述べていたことです。

現在のADHDについて書かれた医学的な本を読むと、たいていADHDの症状は、「多動性」「衝動性」「不注意」の3つだと書かれています。

脳の前頭葉の機能とか、ドーパミンやノルアドレナリンの濃度に関係しているといった医学的説明が次々と出てきますが、その根底に「敏感さ」があるのではないか、という記述はほとんど見かけません。

ADHDの症状と「敏感さ」を結びつけているのは、医者たちではなくむしろ心理学者たちです。

このブログで取り上げてきたとおり、心理学者エレイン・アーロンは、問題行動を起こす子どもの根底に「敏感さ」があるのではないか、と考え、HSP(Highly Sensitive Person)という概念を提唱しました。

繊細で敏感なHSPの子どもを育てるために親ができる8つのこと―児童文学作家エリナー・ファージョンに学ぶ
HSPの子どもが敏感さゆえに抱えることの多い8つの特徴と、それに対して親ができることをまとめました。

アーロンは、ひといちばい敏感な子の中で、敏感な子が、過剰な刺激にさらされると、落ちつきのなさなど、ADHDのような症状を見せると述べています。

子どもが怒ったり、ふさぎ込んだり、錯乱したり、腹痛を起こしたり、頑張った結果燃え尽きたりする時、その理由が「敏感さ」にあるかもしれないことに、大人はなかなか気がつきません。(p42)

学校の環境が騒がし過ぎたり刺激が多過ぎたりすると、ADD/ADHDのような反応を見せることがあります。(p337)

エレイン・アーロンは、自分が「敏感さ」という概念を発見したわけではなく、それに注目してきた専門家は昔から大勢いた、と述べています。その一例が、クリックトンの観察記録でしょう。

エレイン・アーロンや他の研究者が述べるように、正確に言うと、現在のADHDはHSP(敏感さ)ではなく、HNS(High Novelty Seeking:新しいことを求める性質)と関係している概念のようです。

とはいえ、どちらの場合も、まわりの環境に対して目ざとく反応する、という部分は共通しています。HSPにしてもHNSにしても、本人の遺伝的性質だけでなく、どんな環境に置かれるか、が大きな意味を持つ特質なのです。

しかし、医学の観点から再編集されたADHDの歴史では、クリックトンや、彼と同じような着眼点、つまり環境に対して鋭敏に反応する人たちという着眼点を持つ人たちの意見はしばしば無視されてきました。

ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかによると、もしクリックトンの記述に言及される場合でも、彼の発見は、現在のADHDの理解に合うように解釈されていることが多いといいます。

彼の書いた章のある一節を取り上げて文脈から切り離すと、クリックトンが多動症に似た障碍を記載したように見える。

しかし、一章を丸ごと読むと、精神的な落ちつきのなさについてのクリックトンの分析と予防法は、多動症の教科書の歴史の主旨とはかなりかけ離れている。(p34)

文脈を無視して、都合よく解釈することは「断章主義」と呼ばれる行為です。

HSPという概念もまたしかりです。最近読んだ、精神科医の岡田尊司先生による、過敏で傷つきやすい人たち (幻冬舎新書)には、医者視点から見たHSPの概念についてこう書かれていました。

精神医学や臨床心理学の専門家は、この用語やその概念について、ほとんど黙殺してきました。誰もまともに相手にしなかったのです。

きちんと精神医学や臨床心理学を修め、研究してきた専門家ほど、まともに取り上げる気もしなかったというのが現状です。(p7)

その理由として、「敏感すぎる」という症状だけで一括りにしていることが「あまりに乱暴で科学的な精緻さに欠けた議論」だから、とされていました。(p8-9)

しかし今回読んだハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかで、ADHDという医学的概念もまた、「彼らは多動だ」という一症状でくくった「ゆるい概念」(Loose Concept)だと非難されていたのは興味深いところです。(p68)

わたしは岡田先生の本が好きでよく引用していますが、このHSPに対する見方は、はからずも、医学の専門家たちが「敏感さ」の研究に対して抱いている根深い偏見、しかも本人たちは気づいてさえいないであろうバイアスを物語る実例となっています。

「きちんと精神医学や臨床心理学を修め、研究してきた専門家ほど、まともに取り上げる気もしなかった」のは当然でしょう。国家の偏った歴史教育を受けた人ほど、他国への偏見が強くなり、しかもそれに気づいていないのと同じです。

敏感さのような主観的経験を取り入れるのは「科学的」ではない、とする意見もありますが、オリヴァー・サックスは、左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)の中で、そうした医学は「人形を診る医学」にすぎず、無知を生み出すだけだと論破しています。(p260)

慢性疲労症候群を生き抜いたチャールズ・ダーウィンが遺してくれた研究と足跡に思うこと
慢性疲労症候群の当事者だったと言われるチャールズ・ダーウィンの自伝から、彼の生き方や考え方に寄せるわたしの思いについて書きました。

過敏で傷つきやすい人たち (幻冬舎新書)という本そのものは良い内容だと思いますが、HSPという概念については、「いかにも素人的な発想」だと言い切っていて、ろくに調べようともせず書かれたとしか思えませんでした。(p10)

医学の歴史において、しばしば敏感な子どもに注目した専門家たちが無視されてきたのはなぜでしょうか。

言い換えれば、クリックトンが記したような、現代のADHDの子どもたちにとても良く似た記述が無視され、ジョージ・スティルが記した重度の愛着障害らしき子どもたちや、さらには脳炎後遺症や微細脳損傷の研究が、ADHDの先駆的研究とされているのはどうしてでしょうか。

ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかの著者は、医学が編集したADHDの歴史に見られる、この選択的な操作は、ある一貫した目的を持っていると書いています。

教科書の歴史の著者らにとって、脳炎後遺症は、多動症が家庭での体験、教育、世相、栄養といった環境要因とはほとんどあるいはまったく関係がなく、すべて神経学と関係するという考えを、強固にするものである。(p50)

クリックトンをはじめとする敏感な子どもについての研究が、医学にとって都合が悪く、無視されねばならなかったのは、それが、「家庭での体験、教育、世相、栄養といった環境要因」を示唆しているからです。

医学の専門家たちにとって、ADHDとは環境要因がからむ症状、敏感な子がまわりの環境要因によって落ち着きを欠いている症状であってはならなかったのです。

彼らにとって、ADHDとは、あくまで周りの環境要因がほとんど関係しない、本人の脳の障害でなければなりませんでした。

それを正当化するために、スティルの研究や、脳炎後遺症や微細脳損傷のような研究がADHD研究の歴史的先駆者として、選ばれねばならなかったということです。

この考え方、つまり問題は環境要因にあるのではなく、あくまで本人の脳のほうにあるのだ、という強固な視点が、今日の発達障害としてのADHDの医療を支えているのは言うまでもありません。

もしも問題が子どもたち自身の脳ではなく、教育や社会といった環境側にあるのだとすれば、そもそも注意欠陥多動性「障害」という病名が成り立ちませんし、その子たちを発達障害と呼んで、薬物治療を施すことも正当化されません。

確かに先ほど引用したこの言葉どおりです。

歴史というのは、医学における現在の実践を説明するだけでなく、非難するか正当化するためにもしばしば用いられてきた。(p20)

子どもの敏感さや、環境要因に注目した専門家たちの研究がまったく無視され、重篤な症状を持つ例や脳損傷の研究ばかりがADHDの歴史に編み込まれているのは、「医学における現在の実践を説明」し「正当化」し、それ以外の幅広い意見を「非難」するためなのです。

とはいえ、医学の取り組みを一方的に非難するのは、今回読んだハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかの著者が意図するところではありません。

医学が自分たちに都合のいい歴史を創作してきたのは事実ですが、これは医学の陰謀論を暴露する本ではありません。

著者は、ADHDについて理解するには、時代の「社会的、文化的、政治的側面」を無視できない、と述べていました。

医学が、多動な子どもたちの環境要因についての研究を無視し、原因は子どもたち自身の脳にあるかのような偏った視点を選んだのは、それ相応の、「社会的、文化的、政治的側面」があってのことです。

時代が求めたADHD

なぜ、多動症は、さまざまな環境要因が引き起こす敏感な子の問題ではなく、子どもたち自身の脳の「障害」でなければならなかったのか。

それを知るには、多動な子どもたちが、病的だとみなされ始めた、1950年代のアメリカの時代背景を知らなければなりません。

先に見たとおり、「1950年代後半以前には、医師も一般の社会も、多動で衝動的で注意散漫な子どもに、特別な関心を持つことはなかった」ことがわかっています。

それまでは医学の専門家たちでさえ、多動な子どもたちをわざわざ病気認定して治療しようとは思っていなかったのです。

それまで問題とされていたのは、あくまでスティルが研究したような施設にいる手に負えない子どもたちや、脳炎後遺症の患者のような、もっと重篤な症状を持つ人たちだけでした。

1950年代のアメリカで、落ちつきのない子どもたちがにわかに医療の対象にされはじめ、その余波が今や日本を含め世界中に及んでいるのだとすれば、その当時の社会に何かしらの変化があったからだ、とみなすべきです。

有名な作家のトルストイは、歴史を動かすのは一人の人間ではなく大衆がつくり出す時代の波だと考えました

多動な子どもたちが、1950年代以降にわかに病気や障害だとみなされるようになったのも、個々の専門家ではなく、社会がそのパラダイムシフトを求めたからだ、といえます。

当時何が起こったのでしょうか。

国家が、教育が、ADHDを求めた

まず、著者が最も大きなきっかけとみなしているのは、当時アメリカとソ連の間で続いていた冷戦です。

この時期に、ソ連が水爆を作り、最初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、宇宙に進出したことは、アメリカの国家全体に大きなショックを与えました。

ソ連との科学競争に敗れることを恐れたアメリカ国内で起こったのは、教育を改善することが必要だ、という切羽詰まった議論でした。

多くのアメリカの有力者は、アメリカが「頭脳競争」に敗れたのであり、すべての子どもの学業成績が著しく改善しなければ、冷戦に完敗するだろうと確信するようになった。(p71)

その結果、新しい世代の子どもたちを取り巻く環境にどんな変化が起こったのでしょうか。

国家が教育や学業成績を重視するようになれば、それまで学校に行かず、畑仕事や家業の手伝いをしていたような子どもたちまで学校に送り込まれます。

それまでの牧歌的時代では、たとえ勉強ができなくても他のことで頑張ればいい、というおおらかさがありましたが、もはやそうはいかなくなります。

勉強ができる子が社会で優遇されるようになり、親は子どもの学業成績を上げるためにどうすればいいか頭を悩ませ始めます。

学校側も、自分たちの評判を高めるために、少しでも子どもの成績を上げようと勉強密度を増やします。入試に関係しない体育や芸術や音楽の時間は縮小されます。すると、ペーパーテストが得意でない子が目立ち始めます。

社会の概念が変化し、学校で良い成績をとり、良い大学に入ることが理想だとみなされれば、学校で悪い成績をとったり落ちこぼれたりすることは恥とみなされるようになります。

学校の勉強が好きでない子どもはいつの時代もいましたが、だれもが学校に行き、良い成績を目指すのが当たり前になったことで、勉強が好きでない子どもたちは「異常」だとみなされ始めます。

学校は、成績の悪い素行不良な子どもたちを問題視して、スクールカウンセラーを配置しはじめます。(p98)

相談を受けたスクールカウンセラーたちは、成績不振の子どもたちをなんとかして学校に適応させるために、医者に紹介するようになります。

ここに至って、初めて、医者たちが舞台の中央に呼び出されます。医者たちは、はじめから多動な子どもたちを発達障害として扱おうと思っていたわけではないのです。彼らもまた、時代の流れに巻き込まれたにすぎません。

医学が、親たちが、ADHDを求めた

では、医者たちは、病院にやってきた落ちつきにない子どもたちを、すぐさま発達障害と診断しはじめたのでしょうか。いいえ、当時の医者たちは、困った事情を抱えていました。

親やスクールカウンセラーは、落ち着きのない子どもたちを、内科や外科につれていくわけにはいきませんでした。学校の勉強に集中できず、落ち着きに欠けているのは、あくまで心の問題とみなされていたからです。

当時、心の専門家とされていたのは、主にフロイトの流れをくむ精神分析学者たちでした。彼らは心理療法を通して、心の隠された葛藤を探り出し、治療することを専門としていました。

しかし、当然ながら、多動で落ち着きのない子どもたちが黙って心理療法を受けてくれるはずなどありません。では代わりにだれが治療を受けるのか。もちろん、子どもの親、特に母親たちです。

特に母親が選び出されて、児童相談の中のより大きな動向の中に組み込まれることになった。

バーバラ・エーレンライヒとディアドレ・イングリッシュが記したように、「二十世紀中頃まで専門家は、アメリカの母親が絶えず用心しているにもかかわらず、自分のしごとに失敗している、と容赦なく認めていた」。

母親はある時は甘やかしすぎと責められ、その次には怠慢と責められた。(p119)

たたでさえ、子どもの学業不振を恥ずかしく思っている母親たちが、解決策を求めて医者に行ったのに、問題はあなたの育て方にある、と人格攻撃を受けたときの気持ちを考えてみてください。

しかも、たとえ母親たちがそれを認めて、育て方を変えたとしても、子どもの学業不振が改善されるとは限りません。

当時のフロイト派精神分析医が、多動な子どもに施す治療は、例えば次のようなものだったといいます。

たとえば『総合精神医学』誌の1960年の一つの論文は、「ジーン」の物語であった。

ジーンは12歳の女の子で、彼女の衝動的な行動は、彼女と父親の関係から生じるペニス羨望の結果である、と精神科医は結論づけた。ジーンがこの説明を受け容れて、やっと彼女の衝動行動が止まった。

他の子どもの多動症の根本的原因は、子どもの離乳や排泄訓練、あるいは新たな同胞の誕生やその他のトラウマへの適応でもありえた。

他の症例では、親との不適切な、不健康な、あるいは不十分な関係が問題であると信じられていた。(p118)

こうした意味不明な説明を聞かされて、育て方を非難された親たちの不満は相当なものだったでしょう。

治療している側の医者たちにしてみてもそれは同じで、治療に応じれば応じるほど、自分たちの信用と名誉が失墜していき「似非医科学」とさえみなされ、窮地に陥りました。

そんな折、これまであまり注目されていなかった30年近く前のチャールズ・ブラッドレーの研究にスポットライトが当たります。その研究では、アンフェタミンという薬物が、子どもの学習態度を向上させるとされていました。

ブラッドレーがその研究を発表した時代には、子どもに薬を投与してまで、子どもの学習態度を向上させる必要などなく、その研究はほとんど注目されませんでした。倫理的にどうこう以前に「需要」がありませんでした。(p52)

しかし、時代は変わりました。今や、学校で良い成績を取れるかどうかが重要なステータスになり、親やスクールカウンセラーは集中できない子どもをなんとかしてほしいと医者の助けを求めるまでになりました。爆発的な需要ができました。

さらに、これまた時代のめぐりあわせか、1944年、製薬会社ヂバが、アンフェタミン系の薬物、あの良くも悪くも有名なリタリン(メチルフェニデート)を開発し、売り込んでいるところでした。

こうして、精神医療の社会的地位を向上させたいと願う医者たち、何としてでも子どもの学業成績を向上させたい親や教育関係者たち、そして薬を売り込みたい製薬会社のニーズが見事に合致しました。

医者たちは心理療法の代わりにリタリンを処方すれば、またたく間に子どもたちの多動を改善できます。

なにしろADHDの治療薬は、当事者たちがよく知っているようにびっくりするほど効きます。 子どもに対する薬物療法は「科学的であり、医学に権威があるように思われたいという精神医学の大望に合致」する願ってもない解決策でした。(p142)

製薬会社は、今まで未開拓の市場、それまでは病気などとみなされていなかった大勢の子どもたちというめったにない顧客を得られます。アメリカでは、薬漬け国家(リタリン・ネイション)と揶揄されるほどにリタリンが売れました。

そして親たちは、普通なら子どもに薬など飲ませたくないものですが、このときばかりは違いました。子どもの学業不振のために恥をかかされ、医者から非難され、心身ともにまいっていたからです。

社会学者のイリナ・シンが記したように、「問題児の母親は……母親非難に疲れ果てていたので、薬物療法についてのニュースや子どもの行動上の問題の器質的性質の強調はとても歓迎すべきものと思った」。(p138)

こうして時代が求めた概念、子どもの脳の異常としてのADHDの概念が生まれました。

子どもたちの学業不振は、子どもが持つ医学的な脳の問題のせいであり、専門医のもとにかかって、リタリンを処方してもらえれば治る! そしてそういうことにすれば、自分たちみんなが(たぶん子どもたちも)幸せになれる!

このかなり強引な論理、しかし関係者すべてが利益を得られるように思える論理を正当化するために作られたのが、現代のわたしたちが目にする医学のADHD史です。

1950年代以前には必要とされなかった概念が、いまや世界を席巻するまでになったのは、時代がそれを求めたからなのです。

そして、当事者たちが、ADHDを求めた

時代がADHDという概念を求めたことを考察するにあたり、最後の役者、そしておそらくはキーパーソンであろう役者を忘れるわけにはいきません。

それはもちろん、当事者たち、といっても、子どものADHDの当事者ではなく、大人になってからADHDと診断された、そしておそらくは自分から進んで診断を求めに行った当事者たちです。

はじめ、ADHDは、学校に適応できない問題児とその親たちを取り巻く概念でした。

当時の親たちが、ADHDの概念を歓迎したのは確かでしょうが、それはあくまで、精神分析医や、教育関係者たから、母親のせいで子どもの学習態度がなっていないのだとさんざんなじられてきたことに対する反動だったはずです。

親たちは、よほどの事情がなければ、大切な我が子たちに薬を飲ませたいなどと考えないものです。しかも、中枢神経に作用し、子どもを目に見えておとなしくさせるような薬を、です。

学校で良い成績を取ることだけがすべてでないという価値観を持つ親たちにとっては、子どもの個性を無理やり薬で抑えつけて、教育関係者や医者を「喜ばす」のは、ひどく理不尽な話に思えます。

ある母親は息子が実際にはリタリンを必要としないのに、主治医が「学校を喜ばすために、どうしてリタリンを使わないの」と言う、と述べた。(p181)

しかし、すべての当事者たちが、ADHDの薬物治療に疑問を感じてきたわけではありません。むしろ、薬物治療を最も熱心に支持してきたのもまた当事者たち、特に大人になってからADHDと診断された人たちです。

子どものころ、ADHDと診断されないままに、辛い学校生活、そしてその後の社会生活を乗り切ってきた人たちは、さまざまな劣等感にさいなまれています。衝動性や不注意のために、さんざん怒られたり、恥をかかされたりしてきたからです。

ひといちばい努力してきたのに、怠けている、サボっている、親を困らせている、頑張ろうとしていない、そう言われ続けて大人になってきた人たちの自尊心の傷つきは相当なものです。

では、大人になってADHDという概念と出会い、本当は自分の努力が不足していたわけではなく、遺伝的な脳の発達障害が原因だったのだ、と知ったときの安堵感はいかほどのものでしょう。

思いきって医者の門を叩き、処方された薬を服用してみたときに、今までさんざん苦しめられてきた数々の問題、劣等感の原因になっていた問題がまたたく間に解消してしまったときの驚きはどれほどのものでしょう。

正直に言いますが、わたしもその一人でした。だから、このブログでは発達障害としてのADHDを詳しく取り上げてきました。

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このブログのみならず、現在、医学的なADHDの概念を広めている最先鋒は、医師でも製薬会社でもなく、大人の当事者たちではないかと思います。発達障害という概念と、処方される薬によって助けられてきた人が少なくないからです。

大人のADHD当事者の多くは、に書かれている著名な喜劇役者であるパトリック・マッケンナとリック・グリーンのADHD観に共感できることでしょう。

彼らにとって、多動症は「犬が宿題を食べてしまった、僕が悪いんじゃない」式の言い訳の生物医学版ではなく、また給付金や学業上の便宜や薬物を手に入れるための手段でもなく、年余にわたる欲求不満や失敗や車の鍵をなくすことの有力な説明なのであった。

マッケンナやグリーンにとって、彼のの成功を援助するためには、診断を得ることは何も悪いことではない。

診断によって彼らはもっ肯定的に自らの行動を概念化できるし、個人の特色を長所とみなせる環境を見出そうと試みられるし、「競技場で対等に闘う」ことのできる薬物も手に入れられるからである。(p278-279)

しかし、今やわたしの考えは異なっています。

わたしがADHDという概念を、疑問なく受け入れてしまっていたのは、この本の著者が書いていたように「その歴史についてほとんど知らな」かったからでした。

というより、医学が編集し、自分たちの取り組みを正当化するために作り出した歴史しか知らなかったからでした。

医学による検閲の入っていない、純粋なADHDの歴史、いえ、多動な人たちの研究の歴史を知れば知るほど、自分がいかに物事の一面しか見てこなかったかがわかります。

医学の理論や、学校での教育を最重要視する教育関係者、そして薬を売り込みたい製薬会社の都合に合わないから、というだけの理由で、いかに多くの重要な研究が、当事者たちの目にさえ映らないよう隠されてきたかに気づきました。

最初の発見に立ち戻る

すでに見たとおり、いまADHDとみなされているようなタイプの子どもについて、かなり古い医学的な文献を残した人の一人は、クリックトンでした。

クリックトンの時代には、まだ多動で落ち着きのない子どもを、脳の障害とみなして治療しなければならないような需要はなく、発達障害という大義名分も必要ありませんでした。

たとえ、他の子たちに比べたら「病的な敏感さ」をもっているように見えるとしても、あくまでも解決策は子どもが薬を服用して学校に馴染むことではなく、学校側が、その子に合った教育を工夫することでした。

1960年代に多動で落ち着きのない子について研究し、女の子の場合は不注意のADDが多い、という重要な発見に貢献したカナダのモントリオールの研究者たちも、やはり敏感な子を取り巻く環境に注目しました。

モントリオールチームの精神科医クラウス・ミンデは、落ち着きのなさが遺伝によるものだと認めたうえで、1975年にこう書いたそうです。

自分たちの周りの世界との間で困難を感じる子どもたちの多くは、初めから多動症ではなく、自分たちの発達に必要な要素を提供してくれない環境に対して反応しているのである。

こうした発達上で必要とされるものの理解は、われわれが、学校、家族、それに子ども自身を含む子どもの生活空間の全体を評価する特に得られる。(p249)

彼は、現在ADHDとみなされているようなタイプの子たちは、「初めから多動症ではな」いと書きました。いま広く受け容れられている医学では、ADHDの子たちは生まれつき多動で衝動的だと言われますが、彼の意見は異なっていました。

周りの環境に対して鋭敏で反応しやすい子どもたちが「自分たちの発達に必要な要素を提供してくれない環境に対して反応している」にすぎないのです。

これは、かつて精神分析医たちが母親たちを非難するために使った論法、問題は子育てから来ている、という論法と同じものなのでしょうか。

いいえ、クラウス・ミンデが挙げた環境要因とは、「学校、家族、それに子ども自身を含む子どもの生活空間の全体」でした。

今日の様々な研究によれば、たしかに養育環境の劣悪さがADHD様症状をもたらすことはわかっています。虐待された子どもが、ADHDと見分けのつかない愛着障害を発症することは、ここ数年、かなり認知されるようになりました。

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しかし、たいていの家族の場合、ADHDの子は虐待されているわけでも、歪んだ子育てをされているわけでもないので、母親を非難するのは不当です。

今日の多くの研究が示しているのは、養育環境だけではなく、クラウス・ミンデの言うような「学校、家族、それに子ども自身を含む子どもの生活空間の全体」が、ADHDのような症状を引き起こしうる、ということです。

このブログの過去の記事で扱ったように、例えば、慢性的な睡眠不足、慢性的な不安感、デジタル機器依存、添加物の多い食事などが、多動症状を引き起こす一因となることが、さまざまな研究からわかっています。

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また、愛着障害の研究でも、愛着とは乳幼児期に経験するトラウマ的な手続き記憶であり、必ずしも虐待や育て方が原因ではないことがわかっています。

例えばたまたま生まれたばかりの時期に不慮の事故や災害のようなトラウマ的な出来事に遭遇したり、親が病気になって養育者を転々とせざるをえなかったりすれば、その後の人生で愛情深く育てられても、愛着トラウマとしての過敏性が残ってしまう場合があります。

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そして、クリックトンが最初に気づいていたように、自然の中で身体を動かす機会が減り、狭い教室で長時間過ごさなければならないことも、敏感な子どものADHD症状を悪化させるようです。

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こうしたさまざまな環境要因は、必ずしも近代社会に限られたものではありません。

しかし、冷戦期にアメリカで教育が改革され、他の国々でも学歴が重視されるようになるにつれ、確実に増加している環境要因ばかりです。

ここ日本でも高度経済成長期以降、学歴が重視される社会になり、学校に行くのが当たり前の社会になるとともに、登校拒否が問題視されはじめ、やがて成績不振の子どもたちは発達障害と診断されるようになりました。

今ちょうどその変化のただ中にあり、おそらく冷戦時のアメリカや高度経済成長期の日本をも上回る勢いで教育ブームが加熱しているのは韓国です。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方にはこうありました。

デジタル機器を断つのは現実的ではない。こうして韓国の子どもたちの様子を見ているうちに、わたしはあることに気がついた。

韓国の子どもの大半にとっては、ゲームしか遊ぶ方法がないのだ。さらにゲームは、親に監視されずにできる唯一の遊びであるに違いない。

「学校以外の場所で遊ぶことは禁じられているんです」と、ひとりの母親が話してくれた。

ソウルにも緑の多い公園がないわけではないが、数が少ないうえ、そうあちこちにあるわけではない。校庭はほぼアスファルトにおおわれているうえ、狭く、閉所恐怖症を起こしそうなほどだ。

そもそも子どもたちは放課後、学習塾に通うため、運動をする時間などまずない。(p114)

学歴がものを言う社会では、子どもたちは睡眠時間を削って、勉強することを日常的に強いられます。走り回って遊ぶ時間が削られ、椅子に座って勉強する時間が増えます。

親たちは子どもによりよい教育を提供するために仕事にいそしみ、子どもと過ごす時間がなくなります。親子の愛着は育まれにくくなり、忙しい家庭では添加物の多い出来合いの食事が増えます。そして、毎日、心配や思い煩いにさらされます。

これらの環境の変化はいずれも、ADHD症状を引き起こしうるとされていたものばかりでした。おそらく、生まれつき敏感な性質を持つ子が、複数の環境要因にさらされるうちに、ADHD症状が顕在化していくのでしょう。

ADHDという概念は、あまりに簡潔でわかりやすいため、専門家にとっても当事者たちにとっても都合のいいものです。しかし、都合がいいからといって、不都合な部分から目をそらしていたら、いつまでも まやかしにごまかされるだけです。

ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかに書かれているように、本来、多動症とは、本人の遺伝的な素質と、さまざまな環境要因が複雑にからみあって生じている多面的な現象であるにもかかわらず、医学や製薬会社は「ずっと複雑で多面的な現象を、単純化しそして医療化」しているのです。(p50)

児童精神科医ジャスティス・M・コールが  [多動症がDSM-IIで障害と認められた]  20年後に述べたように、「多動症のラベルがこれほど一般化したのは、理解するには大いに入り組んだ問題を、この単純な概念がわかりやすくした効果のためである」。(p68)

ADHDとは本人の脳の発達障害である、という単純化された論理に従えば、多くの医者がいま行っているように、まず薬物療法を試すことがスタンダードになってしまいます。本人の脳機能を整えたら、問題は解決するということになるからです。

良心的な医者たちは、できるだけ薬を使わないようにすると言うかもしれませんが、発達障害と診断することそのものが、問題は子どもの脳の側にある、というメッセージを強力に伝えています。

もともと、ADHDという概念ができたのは、政府や、教育関係者、医者、製薬会社の取り組みを正当化するためでした。とくに、国家と教育関係者にとっては、「問題は子どもの脳の側にある」という概念を作らなければならない強力な理由がありました。

多動な子どもたちが、実際には単に敏感な個性を持つ子にすぎず、病気でないのなら、症状をもたらしているのは、国家が作り出した社会や、教育関係者が営む学校という環境の側だということになってしまいます。

社会の側が間違っている、と認めるのと、おかしいのは個々の子どもの側だと、主張するのとでは、どちらが易しいでしょうか。社会の型に子どもたちをあわせるのと、個々の子どもたちに合わせた社会を作るのとではどちらが易しいでしょうか。

言い換えれば、子どもたちみんなに同じ既製品の服を支給するのと、一人ひとりの好みや個性に合わせたオーダーメイドの服をあてがうのとでは、どちらが簡単でしょうか。

政府は他国に勝利するために高等教育と学歴を重視する方針をやめるわけにはいきませんし、教育関係者たちは自分たちの職を捨てるわけにもいきません。

社会の大義名分のためには、毛色の異なる少数の子どもたち、すなわち生まれつき敏感で、社会や教育のほつれに反応してしまうような子どもたちには、スケープゴートになってもらうしかありません。

ジョージ・バーナード・ショーは「科学は私たちの新しい宗教」のようなものだと述べていましたが、ADHD、そして発達障害とは、いわば科学と教育を盲目的に絶対視する社会を維持するために生まれた、現代版の異端審問の場なのかもしれません。

もちろん、教育関係者の中にも自分たちの側の不備を認める人たちがいました。

ホルト(John Holt:1923-1985)は、教師としての経験から、子どもが落ちこぼれるのは、子どもに恐怖心や不安感を植えつけ子どもの知的創造的能力の大半を破壊してしまっている教育のせいであり、教育が子どもをダメにしていると考え、現行の教育システムに幻滅し、またそれを改革することができないと確信して、1960年代に家庭での教育を提唱した。(p181)

ホルトのように、個々の誠実な医師や教師たちは、落ちこぼれた子どもたちに、不当な医学的レッテルが貼られている、ということに気づいていました。

しかし、ホルトは「現行の教育システムに幻滅し、またそれを改革することができないと確信」するしかありませんでした。

敏感さや環境要因に注目してきた医師たちの研究のほとんどが、医学界から黙殺され無視されてきたと同じように、彼個人にはどうすることもできませんでした。

ADHDという概念が生まれたのは、たかだか個人がそれを提唱したからではない、ということを思い出してください。単なる個人がこれほど大きな概念を作り出すことはできません。

社会が求めたからこそ、そして、医学界が、教育界が、政府が、自分たちの大義名分を守るためのスケープゴートを必要としたからこそADHDという概念は生まれました。

単なる個人がADHDの概念を作れたわけでないのと同じく、単なる個々の誠実な教育関係者や医師が、時代が求めた社会の枠組みを変えることは、もはやできないのです。

薬物治療を批判することの無責任さ

ADHDを取り巻く概念が、これほど複雑であることを思えば、ADHDの薬物療法をめぐる論争で、どちらか一方が正しいと言い切ることは、わたしにはできません。

日本でも、リタリン(今では徐放錠のコンサータがADHDに使われている)や、その他の幾つかの薬がADHDの子どもや大人の治療のために使われています。このブログでも詳しくまとめたことがあります。

確かに、コンサータをはじめとする薬物療法には問題があります。子どもの問題行動が、あたかも当人の脳の異常であるかのように思わせ、関係しているかもしれない多種多様な環境要因を覆い隠してしまう、という問題です。

かなりの量の臨床的および逸話的証拠の存在を前提にすれば、リタリンがまったくどの子どもにも役に立たない、と論じることは困難である。

しかし、それはまた、副作用によってだけでなく、その子の行動に重圧をかけている子どもの生活の他の側面に注意が向けられなくなることによって、子どもに害を与える可能性を有している。

リタリンは、子どもや親や教師や医師に、神経学の範囲を超える問題を、化学的に解決するように教える。それは、複雑で多面的な問題に対して、あまりにも安易で機械的な答えである。(p190)

子どもの多動症状は、本当は、何かしらの環境要因に反応しているSOS信号かもしれません。しかし、薬物療法は、無理やり環境に適応させるので、環境のリスクは気づかれないままになり、やがて「子どもに害を与える可能性を有して」ます。

とはいえ、だからといって、ADHDの薬物療法を批判し、子どもに麻薬じみた薬物を投与するなどもってのほかであり、犯罪じみた行為だと批判する人たちが正しいとは思いません。

ADHDを取り巻く複雑な事情を考慮に入れるなら、こうした人たちの意見はあまりに無責任です。

すでに見たとおり、ADHDや多動症状についての多分野からなる研究は、問題が本人の遺伝的な要因のみならず、その他の多種多様で複雑な環境要因から生じていることを証拠づけています。

その環境要因の中には、たとえば幼少期の愛着や、慢性的な睡眠不足、偏った食生活、さらには都市や学校の環境に至るまで、現代社会と切っても切り離せないさまざまな環境が含まれています。

ADHDの子の中には、食事療法で改善する人もいるでしょう。この本にもアメリカで大きな論争を巻き起こしたファインゴールド式食事療法が、近年になって科学的根拠があることがわかってきた経緯が載せられています。(p203)

しかし、食事以外のものが原因でADHD様症状を抱えている過敏な子どもたちも相当数います。もしも学校や都市生活につきものの過剰な刺激が原因だとしたら、解決するには今いる環境を後にするしかありません。

いったいどれほどの人が、もしかすると子どもの問題行動が減るかもしれない、という望みをかけて、都市を捨てて大自然の中に引っ越したり、学校をやめさせてホームエデュケーションで育てたりできるでしょうか。

以前、ADHDの子どもにハーネスをつけている親の意見を聞いたことがあります。本来ならそんなことをしたくないし、批判されるのもわかるけれど、都市生活の中でADHDの子どもを危険から守るにはそうする以外にない、とのことでした。

同じように、ほとんどの場合、親は好き好んで、大事な子どもにADHDの薬を飲ませようとしているわけではありません。ただ、ほかに選択肢が残されていないのです。

この本で、ある医師たちが述べている言葉は、現代社会で、ADHDの子どもとその親が直面している、逃げ場のない追い詰められた状況を的確に言い表しています。

精神科医のジェイムズ・スワンソンにとって、薬物は、「子どもがバークレイ校に入学するか刑務所に入るかの違いを生じさせる」ものであった。

小児科医シドニー・アドラーも次のように言う。

もし私たちが、子どもがもっと有意義な人生を歩める方法を思い描けるならば、私は最初に「薬なんか捨てろ」と言うだろう。

しかし私たちは、これらの子どもが溝に落ちないように助けるための道具として、この薬を使わなければならない。(p184)

もしも学校や都市などどうにもならない環境がADHDを引き起こしているのであれば、その子と親に残されている選択肢は、薬を服用してなんとか学校に適応するか、不登校になって学校を捨てるかのどちらかしかありません。

今でこそフリースクールなどの選択肢も増えてきたとはいえ、学校に行かないという決定が、どれほど親子に負担をかけるか、考えてもみてください。

子どもが学校に適応できないからといって家に置いておけば、学校に行くのが当たり前とみなす教育関係者や親族や近所の人から、「早く病院につれていけ」と言われるだけです。

学校に行かず、受験ができず、大学に入れなければ、この学歴社会でどれほどのものを失うかも考えてみてください。子どもが自分をどう評価するか、まわりからどう評価されるかはもちろん、一生の収入さえ左右されます。

もし、リタリンやコンサータのような薬物が、子どもの学業成績にまったく影響を及ぼさないとか、副作用ばかり出て健康被害を及ぼすとなれば、そもそも誰も使おうとしないでしょう。

しかしこれらの薬はそれなりに副作用があるとはいえ、かなりのケースにおいて間違いなく効いてしまいます。ときには副作用がほとんど感じられない人もいるほどです。

少しばかり副作用があるとしても、薬を服用するだけで成績が上がり、将来の収入さえも上がるのであれば、長い目で見た場合に、それを使わないほうが生活を破綻させ、困窮を招く可能性もあります。

リタリンはステロイド使用者が投げかけるのと同じ問題を提起した。

もし薬物が子ども(あるいは大人)の学業成績の増進に役立つのなら、どうしてそれを使用してはいけないのか。(p153)

リタリン(コンサータ)を使用するとき、最も強く出る副作用の一つは、遊び心や創造性が奪われることです。著者のマシュー・スミスは、自分と同じ名前の多動症の教え子マシューについてのこんなエピソードを書いています。

「マシューは今日静かですね」と、私は指導教師に思いきって言ってみた。

「そうよ」と彼女は答えた。「彼はリタリンを飲んでいるの。多動症のためにね。最近はずいぶん扱いやすくなったわ」。

私は頷いた。だが、目撃したことが好きかどうかはっきりしなかった。確かに彼は静かでじっとしていて、誰もわずらわせていなかった。

しかし彼のエネルギー、躍動感、生命力はどこに行ったのか。思わず笑える子どもはどこに行ったのか。美術の時間には創造的で体育の時間にはすぐれた能力を発揮していたあの子どもは、どこにいるのか。(p vi-vii)

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方で神経科学者ヤーク・パンクセップがリタリンについて、これは「抗遊び薬」だと述べていたとおりです。

パンクセップによると、ADHDの治療によく使われているリタリンやアデラルなどの精神刺激薬は、たしかに子どもの注意力や学業成績を改善するのかもしれないが、一時的とはいえ、探検したいという衝動を抑える副作用がともなう。

「こうした薬はいわば『抗遊び薬』なんだよ」と、彼は言う。「これはまぎれもない事実で、疑いの余地はない」(p306)

しかし、リタリンが「抗遊び薬」である、というのは、リタリンが悪である、という意味ではありません。

たとえばハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかの著書が回想していた「抗遊び薬」を投与されたマシューは、それによって害をこうむったり、不幸せになったりしたのでしょうか。これは難しい問題です。彼がどうなったかはわかりません。

しかしひとつ確かなのは、たとえ創造性や遊びが封じられたからといって、現行の学校社会の成績に及ぼすメリットは多々あれど、デメリットはほとんどない、ということです。

その子が将来芸術家を目指しているのであれば相当なデメリットです。しかし、今の学校では、美術や音楽や体育の成績はまったく重視されておらず、受験にも関係してきません。

それどころか、現代の都市で生活する限り、多動な子どもをそのままにしておけば、いつなんどき事故に遭うかもわからず、非行や犯罪に携わる可能性も高くなります。

現代社会はまさに「好奇心は猫をも殺す」ということわざを地で行く社会であり、「探検したいという衝動」や「遊び心」の強い子どもには危険すぎる環境です。

ADHDの子どもに対する薬物療法を批判し、そんな薬を子どもに与えるのは犯罪だとまで言う人たちは、これらのメリットを上回るだけの何かを、あるいはデメリットを覆すだけの何かを提供できるのでしょうか。

批判する人たちの言葉に従って、親が子どもに薬を与えないことにしたとして、もしその結果その子が不登校になり、非行に携わり、事故に遭ったり病気になったりしたとき、その責任を取れるとでもいうのでしょうか。

わたしは無闇やたらに薬を勧めることが正しいとは決して思いません。子どもから遊びと創造性を奪うことがどれほど理不尽なことか知っています。けれども、創造的で遊び好きな子どもが、この現代社会でどれほど苦労するかも知っています。

この本の著者が述べるとおり、ADHDとは「社会的、文化的、政治的」現象なのです。その歴史も背景も知らないまま、ただ倫理に反するように思えるからといって薬物療法だけを批判する人たちは、あまりに無責任すぎます。

もしも一世紀前の世の中であれば、親は「そんな怪しい薬を飲んでまで学校に行かなくても、ほかにやれることがたくさんあるよ」と言えたでしょう。

でも、学校が義務教育になり、学校に行くことが当たり前の価値観が作られ、不登校が恥また異常なことだと思われるようになり、学歴で収入が決まってしまう社会になった今、そんな子どもたちと親には、居場所も選択肢もなくなってしまったのです。

20世紀前半を通じて、「チャールズ」や「窓を見つめるウェンディ」や「レモンドロップ児」や「ぜんまい仕掛け児」は、彼らのパーソナリティや素質に適した仕事があったので、十代前半に学校を卒業したであろう。

しかし、スプートニクの発射後、多くの教育批評家の意見では、これはもう受け容れられなくなった。

「落伍者には社会に居場所がなく」なったのである。(p92)

本当の解決策を求めて

もちろん、ADHDの薬物療法にメリットがあるからと言って、いつまでも医者や教育関係者が促すままに、薬物療法に甘んじるべきだとはわたしも思いません。

本当なら、薬物療法に頼らなくてもいい子どもたちであることは間違いないのです。親たちも当事者たちも、社会という個人ではどうしようもない環境にがんじがらめにされて、なんとかやっていくために薬物療法に頼らざるを得ないだけだからです。

理想は、この本の著者が書いているように、まず子どもたちを取り巻く環境を調整して、薬物療法は最終手段に取っておくことです。

薬物を用いて子どものエネルギーや自発性や創造性を制限する前に、子どもの教育的、社会的、身体的、情緒的環境を変えることを考慮することが、多分われわれの義務なのである。

もっと活動的で子ども中心の教室を設定し、子どもにもっと身体運動やよりよい栄養物を与え、形式張らないカウンセリングを提供し、そして子どもが健全な家庭環境で生活できるようにすることの方が、薬物を処方するよりも、困難であるだろう。

しかし、長い目でみれば、それこそがより効果的で、人間的な方法でありうるだろう。(p190-191)

けれども、ADHDの子どもの親や当事者たちの誰もがわかっているとおり、これはほぼ実現不可能な理想論です。著者が「われわれの義務」と述べているとおり、少なくとも、個人のなしうる範囲の話ではありません。

もっと現実的なアイデアのうち、ひとつは、多動な子どもを取り巻く環境からくるストレスの総和を減らしてあげる環境調整でしょう。

学校生活や都市生活そのものがストレスの場合、根本解決にならないのは確かですが、慢性的な睡眠不足を避け、添加物の少ない食生活を心がけ、ときには食物アレルギーや不耐症の可能性も調査し、音や光などに過敏に反応していないか、観察し、対策します。

ADHDについてよく調べれば、思ってもみない原因が症状を引き起こす可能性があることもわかります。たとえば、以下の記事で書いたように、一般的な検査では発見されにくい両眼視機能の不具合が多動につながっていることもあります。

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いずれにしても、ADHDは遺伝的な脳の発達障害であり、薬物療法が必須だと主張する医学や製薬会社の意見を鵜呑みにしすぎないことです。たとえ薬が効いた場合でも、他の原因を調べ続ければ、やがて薬が要らなくなることもあるでしょう。

また、薬物療法が必須と思われるときでも、できるかぎり少ない量の薬でやっていけるよう、工夫できるかもしれません。

良心的な医者なら、薬の少量処方や、「プラセボ制御による薬剤減量」(PCDR)を試してくれるかもしれません。そもそも薬物療法に対する懸念に真摯に向き合ってくれないような医者なら、別の医者を探したほうがいいと思います。

あまり現実的でないかもしれませんが、住むところや学校の環境をがらりと変えれば、症状が改善される可能性もあります。

現代社会の学校教育の中では、敏感な子どもは適応不良を起こしやすく、ADHDと診断され、薬物療法を勧められます。しかし、ADHDの子はそもそも学習が苦手なわけではありません。

たとえば、子どもは学校の所有地で野菜を育て、それを市場で教師や親に売ることで、生物学と算数と経済学を学ぶだろう。

このような活動的な環境では、多動症の傾向を持つ多くの子どもは、すくすくと育つとまではいかないが、気づかれることはなかったであろう。(p80)

多動な子どもたちが学校で落ちこぼれになり、良い成績を取れないのは、学習そのものが苦手だからではなく、椅子に座って黒板を見て学習するという現行のスタイルがまったく肌にあっていないからです。

そうした子どもたちは昔から、野山で遊んだり、家業を手伝ったりする実地学習を通して必要なことを学んできました。

よく過去の偉人たちの中にADHDが多いと言われますが、そうした子たちは活動を通して学ぶことで、普通に学校に行った子どもたちよりはるかに博学になることも少なくありませんでした。

クリックトンが200年以上前に書いたとおり「独学によるか、あるいは新たな願望を目覚めさせ、心の中にあった好奇心の炎に火をつけるような科学の対象に、幸運にも偶然出会えた」なら、必要なことはみな学べたのです。

しかし、義務教育が浸透し、あたかも学校の教室で学ぶことのみが学習であるかのような、奇妙な風習が作られたせいで、狭い教室に閉じ込められ、長時間座らされる敏感な子どもたちが、勉強嫌いや落ちこぼれのレッテルを貼られるようになりました。

そして、心理学者アリソン・ゴプニックが  哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)で述べるように、医学の治療の対象とまでなってしまいました。

注意を持続することの得手不得手は、昔からあっただろうと思われます。でもそれは、人類の長い歴史を通じて、とりたてて問題にされてはきませんでした。

というのも、狩猟生活や農耕生活には、現代の学校で求められるような持続的注意力はそれほど必要ではなく、その能力がなくても大きな不利にはなりませんでしたから。

ところが、現代の教室という環境では、注意力の有無が学業に大きく影響してきます。

もともと注意力の高い子は、学習によってさらに集中力をつけるため、遺伝的要因の影響が増幅されていきます。

やがて、注意力のないことが問題視されるようになり、ついに一種の病気として扱われるまでになってしまったのです。(p245)

 先に引用した中で、ホルトが嘆いていたとおり、もはやここまで一般的になってしまった以上、現行の教育システムが変化するよう期待するのは不可能でしょう。数十年後にはあるいは、といったところでしょうか。

しかし、まだあまり一般的でないながらも、環境に敏感な子どもたちにとって理想的な教育を実践しようとする取り組みも、少しずつ生まれてきてはいるようです。

たとえば、NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方には、全寮制学校SOARアカデミーによる多彩なアドベンチャー要素を取り入れた教育プログラムについて書かれていました。

生徒たちは、その昔は戦場だった場所に実際に立っているときのほうが歴史に関心をもつし、オルドビス紀の地層の上で野営をしているときのほうが地質学の授業を熱心に聴く(p303)

ノースカロライナ州での取り組みなので、わたしたち日本に住む人にとっては夢物語のようなものかもしれませんが、ADHDの子にとって理想的な教育とはかくあるべき、と感じさせてくれます。

理事長のウィルソンはここに入学すればADHDの薬をやめられるわけではないと明言しているが、薬の量を徐々に減らしている生徒もいる。

ザックの両親は息子が次の長期休暇で自宅に戻ってきたら、抗不安薬の服用をやめさせようかと考えている。できれば精神刺激薬の服用量も減らしたいところだ。

「息子の変化は奇跡のよう」とザックの母マーリーン・デ・ペコルは言う。「いまのザックはとっても楽しそうだもの」(p314)

野外で体を動かして学ぶことは、多動なタイプの子どもにも、不注意なタイプの子どもにも役立ちます。どちらも異質な環境刺激に敏感に反応している、という点では同じだからです。

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わたしたちがごく当たり前だと感じている都市生活が、脳に慢性的な負荷をかけているといえる5つの理由を紹介し、大自然との触れ合いがストレスを癒やし、トラウマを回復させる理由を考察しまし

こうしたアドベンチャー型の教育が普遍的に受けられるようになり、しかも教室に座って学ぶのと同じだけの価値を認められるようになれば、多動な子どもが、発達障害の診断を受けて薬を飲んでまで、都市部の狭苦しい学校に通う必要もなくなるでしょう。

それぞれの子どもにあった教育を選べるようになれば、学校で落ちこぼれる子も格段に減り、社会がADHDという概念を求める必要もなくなるでしょう。製薬会社は残念がるかもしれませんが、そのころには別の鉱脈を掘り当てていることでしょう。

ADHDという概念が、時代の需要に答えて、人類の歴史上、ほんの一時的に現れただけのかりそめの概念であるのだとすれば、もし時代が変化して、社会がこのレッテルを必要としなくなったら、いつのまにか消えて忘れ去られていくはずです。

遠い未来には、かつて多動でエネルギッシュな子どもたちが、病気とみなされ、薬物を投与されていた暗黒時代があるのだ、というトリビアがまことしやかに語られたりするのかもしれません。

ADHDの作られた歴史を後にして

このブログでは、医学的な概念としてのADHDを詳しく取り上げてきましたが、もはやそこに戻ることはないと思います。

ADHDという概念を否定したり、ADHDという言葉を使わなくなることはありません。それは一面としては正しいのです。しかし、月を指差す大勢の指の一本にすぎません。

医学の指差す方向から見れば、多動で落ち着きのない子は脳の発達障害ですが、医学の歴史から黙殺されてきた別の様々な研究が指差す方向から見れば、もっと違う解釈がたくさんあります。

すでに見たとおり、エレイン・アーロンが提唱するHSP(ひといちばい敏感な人)と、マービン・ズッカーマンが提唱した刺激追求型(HSS:High Sensation Seeking)または新奇追求型(HNS:High Novelty Seeking)という概念は、子どもたちの敏感さについて考えるための、より中立性のある概念でしょう。

HSPの子どもは外部からの刺激に反応して避けようとします。HSS(HNS)の子どもは、外部からの刺激に進んで近づきます。どちらにしても、環境に敏感に反応することで多動や落ち着きのなさや不注意が起こります。

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周囲の環境からの刺激に敏感に反応してしまい、問題行動をとってしまう、という性質については、ADHDに合併することの多い、チック症状、およびトゥレット症候群との関連からも吟味されるべきでしょう。

トゥレット症候群の人たちの文化にまつわるエピソードは、オリヴァー・サックスが様々な著書でよく紹介してくれています。

ちょっとした刺激や興味に誘い出されて、ダメだとわかっていても体を動かしたり、言葉を発したりしてしまう当事者たちの悩みや、体を動かしてエネルギーを発散することの価値がしばしば語られます。

社会生活に適応するために、週日は薬でトゥレットを抑えないといけないけれども、週末は薬を飲まず、プロのドラマーに早変わりする人のエピソードなどは、ADHDの薬物療法をめぐる葛藤と相通じるものがあります。

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敏感な子どもたち、あるいは大人たちが、刺激の多い環境でどのように負担を感じ、自然の多い環境でリラックスできるか、ということについては、注意回復理論やストレス低減理論の研究が役立ちます。

NATURE FIX 自然が最高の脳をつくる―最新科学でわかった創造性と幸福感の高め方によると、1980年代初頭ミシガン大学のスティーヴン・カプランとレイチェル・カプラン夫妻は、現代社会の生活で疲労する原因は認知機能にあると考えました。

夫妻が提唱した注意回復理論(Attention Restoration Theory)によれば、現代社会の生活は、絶えず周りに注意を払うよう求め、前頭前野に負荷をかけすぎています。前頭前野が疲労すれば、理性的に考えられなくなるので、当然ADHDのような行動障害が引き起こされます。

カプラン夫妻の教え子のロジャー・ウルリッヒは、同じ問題を別の観点からとらえ、ストレス低減理論(Stress Reduction Theory)を提唱しました。現代社会の生活は、自律神経に負荷をかけていて、自然の中にいくと不安感やストレスレベルが低下するとしています。

注意回復理論は主にアメリカの研究者に、ストレス低減理論は日本の研究者に影響を与えたそうです。おそらく現在の日本の抗疲労研究につながっているのでしょう。

この記事でよく引用してきた二冊の書籍では、どちらもリチャード・ルーブがあなたの子どもには自然が足りないという本で提唱した「自然欠乏症」(Nature Deficit Disorder)の概念に少しだけ触れられていました。

この本には、次のように書かれています。

自然セラピーがADHDの症状を緩和させることが真実だとすると、その逆も言えるかもしれない。つまり、ADHDは自然との接触を欠くことで悪化させられた一連の症状なのではないだろうか。

この考え方でいくと、薬物療法の恩恵を受けている子供たちはたしかに少なくないかもしれないが、本当の障害は、子供たちの中にあるというよりは、むしろ人工的な環境で暮らすことを余儀なくされていることにある。

そう考えれば、たとえ善意からにせよ子供を自然から引き離した社会こそ矯正すべきだ、ということになる。(p120-121)

本来、自然の中で遊んだり学んだりすべき敏感な子どもたちが、人工的な環境で慢性的なストレスにさらされ、不適応を起こしていることを示唆する概念ですが、今後、マイクロバイオームとの関係も含めて、大いに研究されるべき分野だと思います。

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ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかを通して、医学の検閲の入っていない多動な人たちの研究の歴史に触れて感じたのは、ADHDという概念は複雑きわまりない歴史的事情の上に成り立っている、ということです。

何年か前のわたしがそうだったように、医者が書いた本だけを何冊か読んで、何もかもわかった気になるのはとんでもない間違いです。

著者が書いているように、ADHDは「それが出現した歴史的時期から分離することが不可能」である以上、歴史も背景も知らない医者や当事者が書いた説明はみな、本質をとらえそこなっている的外れの議論にすぎないのです。

なにはともあれ、医学概念としての多動症は、大いに特定の時代と場所と状況の産物なのである。

多動症は、子どもへの期待や態度が変化するように、時間経過や空間の変化に応じて、かなり変動する概念であったし、またそうあり続けるのであろう。

教育者や医師といった権威によって、多動症のおそれがあると言われている子どもや親にとって、この障碍の歴史は、彼らがもっと確信をもって、そのような判断を受け容れるか修正するか拒否するための、力強い道具となりうるであろう。(p282)

この歴史を知らないままに、世の中に流布している一面だけの情報、医学が自分たちを正当化する目的で編集した歴史にのみ接している人たちは、「教育者や医師といった権威」から一方的に発達障害のレッテルを貼られてしまうでしょう。

また、歴史を知らないままに、ADHD批判を信じ込んでしまった人は、まったく逆の極端に陥り、個人では決してあらがえない社会や学校の圧力のせいで、選択肢のない状況にまで追いつめられている当事者たちの苦悩を見過ごしてしまうでしょう。

そして、多動症研究の歴史を知らないまま、ADHDの当事者として情報を発信している大人たちは、良かれと思って広めている情報によって、知らず知らずのうちに自分たちの首を締めているかもしれないことに気づいていません。

ADHDの情報を発信する当事者たちにとって、ADHDはもはや自分のアイデンティティの一部になってしまっていますが、もし時代や文化が違えば、まったく異なる自分と巡り合っていたかもしれません。

自分は生まれつきADHDである、と認めてしまうなら、モントリオールのクラウス・ミンデが述べていた「初めから多動症ではなく、自分たちの発達に必要な要素を提供してくれない環境に対して反応している」可能性に気づけなくなり、多面的な自分を発見する機会を逸してしまうでしょう。

あなたがどんな人物かを指差して説明してくれるのは、何も医学の指だけではないのです。医学の指は、光り輝く月を見つけるための、大勢の指の一本にすぎなかったのです。

今回紹介した ハイパーアクティブ:ADHDの歴史はどう動いたかは知られざる多動症の歴史を垣間見せてくれる、とても興味深い本です。

惜しむらくは、翻訳が読みにくいことです。訳者の によると、もともと病院の勉強会で使うテキストとして訳したようです。当事者や親にとってかなり重要な内容だと思うだけに、論文口調の堅苦しい翻訳はとても残念です。

万人に手放しでおすすめできる本ではありませんが、これまでADHDの医学的な本にしか触れてこなかったような人には、とても新鮮な内容だと思います。リタリンがもともとADHDの薬ではなく、低血圧や慢性疲労の「疲れた主婦症候群」のための薬だったというくだりも興味深いものでした。

ADHDと診断された当事者やその家族にこそ、自分たちの歴史、そのルーツについて知ってほしい、その上で、何を選び、また受けいれるか考えてほしい。そう切に願います。

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ADHD(注意欠如多動症)