植物もトラウマを記録する―逃げられない環境ゆえに発達する受動的な生き残り戦略


コセンダングサは針で刺されたという「トラウマ」的経験を何らかの方法で保存し、頂芽が切り取られたとき―それが何日もあとのことでも―過去のトラウマを想起するしくみをもっているに違いない、とテリエは考えた。

その後の実験は、コセンダングサの芽はどの葉が損傷したかを憶えている、という彼の推測を確定させた。(p144-145)

ロイトの時代以来、トラウマは「心的外傷」と定義され、精神科医によって研究され、メンタルヘルスの問題として扱われてきました。

しかし近年、トラウマを単なる「心の問題」とみなす治療は十分な成果をあげていないばかりか、そもそもトラウマは心の問題ではないことを示す科学的な証拠が増えてきました。

カウンセリングではトラウマを治療できないのはなぜか―物語ではなく経験が必要な理由
トラウマの治療において、従来の対話を中心としたセラピーに限界があり、身体志向の方法が必要な理由をさまざまな研究をもとに考察しました。
もはやトラウマは心の病ではなく内臓の微生物群集(マイクロバイオーム)を取り巻く生態系の問題だというパラダイムシフト
エムラン・メイヤーの研究から、トラウマ医学におけるマイクロバイオーム(体内の微生物群集)の重要な役割について考察しました。

このブログではこれまで、トラウマという概念の中核にあるのは、人間にしか当てはまらない心理学・精神医学的な現象ではなく、人間以外の動物にも普遍的に観察される、生物学や動物行動学の分野の現象であることを、さまざまな記事で説明してきました。

そんなわたしでも、植物はそこまで知っている (河出文庫)という本を読んでいて、植物もトラウマを記録する、という研究を目の当たりにしたときは、いささか驚きました。

しかもこれは比喩や誇張ではなく、人間のトラウマと共通するメカニズム(手続き記憶やエピジェネティクス、マイクロバイオームなど)によるものなのです。

しかし、よくよく考えてみれば、これは何ら不思議なことではありませんでした。トラウマとは、逃げられない環境でのストレス(「逃避不能ショック」と呼ばれる)に対処するための生物的な生き残り戦略ですが、土に根を張った植物ほど典型的な「逃げられない」環境で生きる生物はいないからです。

この記事では、脳すら存在しない植物でもトラウマを記録しているという研究から、わたしたち人間が経験するトラウマとはいったい何なのか、改めて探ってみたいと思います。

スポンサーリンク

これはどんな本?

わたしが、植物はそこまで知っている (河出文庫) (原題:What a Plant Knows: A Field Guide to the Senses)を読もうと思ったのは、神経科学者オリヴァー・サックスの本に出てきたからでした。

サックスは、シダ植物の熱狂的マニアでもありましたが、死後に発売された最後のエッセイ集意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源の中で、この本を紹介してくれていました。

植物はおもにカルシウムイオン・チャネルに依存しており、このチャネルは植物の比較的ゆっくりな生活にぴったり合っている。

ダニエル・チャモヴィッツが著書『植物はそこまで知っている』(矢野真千子訳、河出書房新社)で論じているように、植物は私たちが光景、音声、触覚信号と呼んでいるものをはじめ、さまざまなものを記録することができる。

植物は何をすべきか「知って」いて、「記憶する」。しかし神経がないので、植物は動物と同じように学習するわけではない。(p74)

この本の著書は、テルアビブ大学のマンナ植物バイオ科学センターの所長である、遺伝学者ダニエル・チャモヴィッツ教授です。(ウェブサイト:http://www.danielchamovitz.com/)

チャモヴィッツはシロイヌナズナの光感受性の遺伝子群を発見したことで知られ、それが植物だけでなくヒトをはじめとする哺乳類やショウジョウバエのような他の生物にも共通していることを示しました。

植物と動物の遺伝子はそれほど違わないのではないか。そのことに気づいた私は、植物とヒトの生物学上の類似性を追究するようになっていった。

研究テーマは、植物の光に対する反応から、ショウジョウバエの癌発生のしくみを調べることにまで広がった。

こうして私は、植物はかなりのことを知っている、ということを学んだ。(p8)

チャモヴィッツは、植物と動物が、さまざまな同じ遺伝子を共有していることから、植物とヒトの感覚の類似性に注目するようになりました。

この本の中で、チャモヴィッツは、「植物は見ている」「植物は匂いを嗅いでいる」「植物は接触を感じている」「植物は聞いている」「植物は位置を感じている」「植物は憶えている」という全6章で、植物が鋭敏な感覚を持っていることを示す豊富な研究を解説しています。

彼は最先端の科学者として、植物と人間の類似性を解き明かすいっぽう、植物を擬人化しすぎることにも注意を喚起しています。

たとえば、植物を擬人化するあまり、植物の「尊厳」を守ろうとする行き過ぎた運動が起こることもあります。しかし植物は脳を持たないので、感覚は持っていても、苦しみのような主観的な意識はありません。

植物に脳がないということは、この私にとってもつねに意識しておかなければならない重要なことがらだ。

植物には脳がないことをいつも思い出して、植物を安易に擬人化して表現することを戒めなければならない。

もちろん、植物のふるまいを文章で明快に伝えるために、擬人化した表現を使ったほうがいいこともある。

だが同時にそうした表現を使うことによって、あたかも植物に脳があるような錯覚を読み手に与えてしまう危険性もある。

見る、匂いを嗅ぐ、接触を感じるという言葉を使うとき、同じ言葉であっても意味するところは植物とヒトで質的に違うということをけっして忘れてはならない。(p162)

感覚は存在していても意識が存在しないという状態は人間にも起こりえます。以前の記事で書いたとおり、植物状態の人に顔写真を見せると、当人の意識はそれを認知していないのに、無意識下で感覚を処理する脳の領域は活性化することがあります。

心は脳だけでなく身体全体から作られる―神経学者ダマシオの自己意識の研究を読み解く
心は身体を土台として生まれるという神経学者アントニオ・ダマシオのソマティック・マーカー仮説について、「意識と自己」という本から整理してまとめてみました。

この記事では、これから植物が経験するさまざまな感覚、さらにはトラウマが、わたしたち人間と生物学的によく似ていることを考えますが、そうした感覚を意識できるのは人間だけだということを銘記しておく必要があります。

植物も人間も、過酷な環境に対する適応としてトラウマを記録しますが、前頭前皮質の高度な自己認識能力によってトラウマの苦しみを意識するのは人間だけです。人間はトラウマ治療を必要としますが、植物には必要ありません。

それでも、わたしたち人間は、植物が経験している様々な感覚から、トラウマとはいったい何なのか、より理解を深めることができます。

ダーウィンは植物が「見ている」ことに気づいた

オリヴァー・サックスとダニエル・チャモヴィッツは、それぞれの著書で植物の研究を語る際、二人ともまずチャールズ・ダーウィンの研究に触れています。

あまり知られていないことですが、ダーウィンは有名な「種の起源」を執筆した後、長年にわたり慢性疲労症候群と思しき体調不良を患い、ほとんど出歩くことのできない不自由な余生を送りました。

慢性疲労症候群を生き抜いたチャールズ・ダーウィンが遺してくれた研究と足跡に思うこと
慢性疲労症候群の当事者だったと言われるチャールズ・ダーウィンの自伝から、彼の生き方や考え方に寄せるわたしの思いについて書きました。

サックスが意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源で述べているように、ダーウィンはその困難な期間にもめげず、自宅にいながらにして植物の摩訶不思議な生態を研究することにしました。

ダーウィンはガラパゴス諸島からもどって以来ずっと悩まされていた謎の病気のせいで、40年ものあいだ病弱だった。一日中、嘔吐したり、ソファで寝て過ごしたりすることもあり、年をとるにつれ、心臓にも問題を抱えることになった。

しかし彼の知的エネルギーと創造力が衰えることはなかった。『種の起源』以降、合わせて10冊の本を書き、そのほとんどに大きな改訂も加えた。何十本という論文や数えきれないほどの手紙は言うまでもない。

彼は一生涯、さまざまな関心事を追いかけ続けた。1877年には、(もともと15年前に出版された)ランの本を大幅の増補改訂した第二版を刊行している。…ダーウィンはその年[1882年]の四月に亡くなるのだが、相変わらずランを愛していて、死の数週間前まで研究用のランを集めていたのだ。(p28)

ダーウィンは、さまざまな植物に興味を惹かれました。たとえば有名な食虫植物のハエトリグサ(モウセンゴケ)や、巻きひげを使ってよじ登る植物などです。

そうした植物の観察から、ダーウィンは、植物にも動物と同じ「感覚」があるのではないか、と推理しました。

植物は感じないし動けないとされることが多い―が、食虫植物はこの考えをみごとに反証していたので、ダーウィンはほかの植物の運動も調べたいと思い、よじのぼり植物の探究に目を向けた

(これは結果的に『よじのぼり植物―その運動と習性』(渡辺仁訳、森北出版ほか)の出版につながった)。

…巻きひげ植物がとくにダーウィンを魅了した―まるで「目」があって、適した支えを求めて周囲を「見回す」ことができるかのようだ、と彼は思った。(p26)

植物も動物と同じく感覚によって周囲の環境を把握しているのではないか。このダーウィンの着想は、先進的な洞察にはよくあることですが、同時代の植物学者から冷笑されました。

しかし、やがて様々な実験を通して、確かに植物は、動物のように「動いている」だけでなく、光を「見ている」こともわかってきます。

たとえば、植物はそこまで知っている (河出文庫)によると、ダーウィンは当初、植物を定点観測して、「動いている」ことを確認していました。

ダーウィンは、低速度撮影法が開発されるよりずっと前から時間と手間のかかるローテク技法で辛抱強く植物の運動の研究をした。

植物の上にガラス板を吊るし、数分ごとに茎の先端の位置がどこにあるか、ガラスに印を入れていったのである。(p124)

ダーウィンは根気のいるローテクな手法で、植物が螺旋状にねじれながら「動いている」ことを確認し、「回施転頭運動」(回旋運動)と名付けました。

映像技術が発達した今日では、ビデオに撮って早回しするだけで、植物があたかも動物のようにもぞもぞと這い回っている様子がひと目で分かります。植物は人間よりはるかに遅いスピードで「動いている」のです。(たとえば植物学者デイビッド・アッテンボローによるBBCのドキュメンタリー映像が有名)

逆にサックスは、意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源の中で、パーキンソン症候群などで極端に動作スピードが遅くなった人の場合、植物と同じほどゆっくりと「動いている」ことがあると述べています。

私は患者のマイロン・Vがオフィスの外の廊下にすわっているのを、よく見かけたものだ。彼は右腕を膝から四、五センチのところに、あるいは顔の近くまで持ち上げて、じっとしているように見えることが多かった。

その動きを止めたポーズについて尋ねると、彼は憤然として言う。「『動きを止めたポーズ』ってどういう意味です? ただ鼻を拭いているだけです」

彼は私をからかっているのか? そこである朝、私は何時間もかけて20枚ほど写真を撮り、それを綴じてパラパラ絵本をつくった。

昔、シダの若葉が開いていくのを示すためにつくったものと同じだ。それでマイロンが実際に鼻を拭いているのがわかった―ただし通常よりも1000倍もゆっくりと。(p54)

サックスの観察から、人間と植物の「動いている」という概念が、じつはさほど違わないことがわかります。植物でも早回し映像で見れば人間のように動いていますし、人間でも植物と同じほど遅く動くこともあるのです。

また、植物は「見ている」という研究も、さまざまな実験により裏づけられ、理解が深まっていきました。

植物はそこまで知っている (河出文庫)には植物が「夜の長さを測って」いたり、「最後に見た色だけを憶えている」ことを示した、さまざまな独創的な実験が紹介されています。(p24-25)

やがて科学の進歩とともに、人間には「明暗を知るロドプシンと、赤、青、緑の光を受け取るフォトプシンという四種類の光受容体」と、その後 見つかった概日リズムを調整する「クリプトクロムという光受容体」があることがわかりました。(p26)

それに対し、「現在、シロイヌナズナには少なくとも11の光受容体の存在が確認されている」といいます。

ダーウィンは植物も人間のように光を「見ている」だろうと想定しましたが、現実は彼の予想の斜め上をいき、「植物の視覚はヒトの視覚よりずっと複雑だということ」がわかってきたのです。(p28)

そして、この植物の「目」、すなわち光を感知するための遺伝子群を発見したのが、今回紹介している植物はそこまで知っている (河出文庫)の著書、ダニエル・チャモヴィッツでした。

ともかく私は、植物は自身の生長に光をどう利用しているのかという疑問にとりつかれていた。そしてその研究の過程で、周囲に光があるかないかを植物自身が判断するのに必要な遺伝子群を特定した。

ところが驚いたことに、その同じ遺伝子群がヒトのDNAの一部を構成していることまでわかったのだ。

これはまったくの想定外だった。植物特有の遺伝子だとばかり思っていたものが、ヒトにもあるなんて。(p7)

こうして、植物は人間と同じような感覚を持っているのではないか、とするダーウィンの着想は、今日の植物学者たちにも受け継がれ、植物の五感を調べる、さまざまな実験が繰り広げられることになりました。

この記事では詳しく紹介しませんが、この本では植物の五感を調べる、さまざまな巧妙な実験の歴史が解説されています。

たとえば植物は周囲の葉がちぎられたり刈られたりすると、放出されるエチレンの匂いを感知して、あたかも「古代中国の万里の長城で、見張り台の衛兵がのろしを上げて敵の襲来を知らせていたのと同じ」ように警戒を強めます。(p52-53)

また植物は触られることで活性化する「TCH遺伝子」(touchから命名された)を持っており、接触や風雨などの物理的な刺激に反応して警戒することも発見されています。(p76)

さらに、人間が耳石によって平衡感覚のバランスを感知しているように、植物にも重力の方向を感知するジャイロセンサーである「平衡石」が存在していることがわかっています。(p119)

聴覚に関しては、今のところ植物は音を聞いているという証拠はありません(モーツァルトを聞かせても植物は生長しません)が、もしかすると受粉の際のハチの羽音のような振動には反応しているのではないか、と仮説が立てられているそうです。(p101)

動物と異なり、物言わぬ植物の感覚を調べるには、実験者もまた頭をひねる必要があります。ぜひ興味のある方はこの本を読んで、ダーウィンの庭から始まった、それら独創的な実験の歴史を垣間見てください。

動けないからこそ敏感な感覚が発達する

植物はヒトを含めた動物と同じく、さまざまな豊かな感覚を感じとっていることがわかってきましたが、興味深いのはその精度です。

かつて植物は動かないし感じもしないと思われていました。今でもそう考えている人は多いかもしれませんが、シロイヌナズナの光受容体の研究でも示されていたように、植物の感覚は、わたしたち人間の感覚よりずっと複雑また鋭敏な場合さえあります。

したがって、植物の視覚はヒトの視覚よりずっと複雑だということになる。実際、植物にとって光とは単なる合図以上のもの、食料そのものだ。

…植物は動かない、動けない生き物だ。文字どおり一つところに根を下ろしているので、食料を求めて移動することはできない。

動けないということを埋め合わせるために、植物は食料、つまり光を探してとらえる能力を磨いてこなければならなかったはずだ。(p28)

ここで説明されているように、植物が人間よりも鋭敏な感覚を持っているのは、自分が植わっている土壌から「動けない」からこそです。

植物は茎や葉を回旋運動させるという意味では動く生き物ですが、自分が生まれ育った場所からは動けない、という大きな制限を抱えてもいます。

言い換えればそれは、よりよい環境を求めて移動することができず、どれほど過酷な環境であれ逃げ出すことはかなわず、生まれ育った環境を甘受して、そこに適応していかねばならないということです。

また植物は、外部から触られたときに抵抗することができません。摘まれたり刈られたりしても、「ノー」と言って抵抗することができません。常に植物は受け身です。

だからこそ植物は、人間よりはるかに鋭敏な触覚を発達させ、敏感に反応することで適応しています。

たいていの場合、植物は受け身の対象物だ。ちょっかいを出すとすれば、それはあくまで私たちの側で、植物はされるがまま、じっとしている。

私たちはデイジーの花びらをむしる。見苦しい枝を刈り込む。

でも、もし、植物が人間に「さわられている」ことを知っているとしたら?(p61)

中にはヒトよりずっと触覚がすぐれている植物もある。

アレチウリは、ヒトの10倍も敏感だ。アレチウリのつるは重さ0.25グラムしかしかない微細な繊維にも反応し、それを合図にそばにある物体に巻きつくというのに、ヒトは重さ二グラムの繊維にならなければ指先で触覚を感じられないのだから。(p62)

こうした植物の敏感かつ繊細な感覚系は、いずれも、動けない、逃げられない、そして環境を自ら選べない、ということに適応した生存戦略であると、ダニエル・チャモヴィッツは述べています。

私たちはふつう、庭に生えている花や木に高度な感覚機構があるなどとは思いもしない。

でも、ちょっと考えてみてほしい。

動物なら暮らす環境を自ら選ぶことができる。嵐が来ればそれを避ける場所を探し、食料やつがいの相手を求めてうろつき、季節の移り変わりに合わせて渡りをすることもできる。

いっぽう、植物はよりよい環境に移るということができないぶん、気まぐれな気候に順応し、侵害してくる雑草や害虫に抵抗するすべを身につけなければならない。

つまり植物には、変化する状況に合わせて生長できるよう、複雑な感覚機構と調整機能を進化させる必要があったということだ。

…実際のところ、遺伝子という観点で比べてみても、植物は動物よりも複雑に構成されていることが多い。(p8-9)

「暮らす環境を自ら選ぶことができ」ない。「よりよい環境に移るということができない」、「気まぐれな」「変化する状況に合わせて」適応していかねばならない。そのせいで敏感な感覚を発達させる。

このブログの過去記事を読んでくださっている方がいれば、こうした説明には、強い既視感を覚えるのではないでしょうか。

この植物の生き残り戦略は、子ども虐待をはじめ、何らかの小児期トラウマに対して適応した人の神経系の発達とそっくりです。

逃げられない環境―植物と小児期トラウマの共通点

以前にも書いたとおり、小児期トラウマと、大人になってからのトラウマは、まったく質が異なります。

大人になってからトラウマを経験した人と異なり、幼少期にトラウマを経験した人は、敏感な神経系を発達させ、「発達性トラウマ」という独特な症状を呈します。

植物がヒトよりも敏感な感覚を発達させるのと同じように、幼少期にトラウマを負った子どももまた、脅威に満ちた世界に対する適応として、世の中の大半の人たちよりも はるかに敏感な神経系を発達させます。

発達性トラウマ障害(DTD)の10の特徴―難治性で多重診断される発達障害,睡眠障害,慢性疲労,双極II型などの正体
子ども時代のトラウマは従来の発達障害よりもさらに深刻な影響を生涯にわたってもたらす…。トラウマ研究の世界的権威ヴァン・デア・コーク博士が提唱した「発達性トラウマ障害」(DTD)とい

植物と小児期トラウマの最大の共通点は、どちらも「逃げられない」環境にいるということです。

小児期トラウマは、必ず「逃げられない」環境で起こります。ときには無力な赤子であるがため、また親に扶養されている子どもであるがゆえに、どれほどストレスにさらされても、そこから逃れるという選択肢がありません。

小児期トラウマは、虐待やネグレクトとは限りません。善意の医療措置や、不慮の交通事故、あるいはそれとわかりにくい養育環境が原因のこともあります。

何がトラウマになるかは人それぞれですが、以前の記事で扱ったように、いずれの場合も共通するのは、逃げられない状況で予測不能なストレスにさらされる環境だということです。

この点で、小児期トラウマの当事者は、「よりよい環境に移るということができないぶん、気まぐれな気候に順応し、侵害してくる雑草や害虫に抵抗するすべを身につけなければならない」植物とまったく同じです、

ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか
17000人以上のデータから子ども時代の逆境体験と成人後の体調不良の関連性を導き出した画期的なACE研究の取り組みをもとに、幼少期の経験がわたしたちの一生にわたり、心身の健康にどん

小児期トラウマの特徴は、動物ならまず第一に選択するはずのストレス反応である「闘争/逃走反応」が役に立たないことです。子どもの場合、闘ったり逃げたりしようにも、窮地を脱することのできる可能性がほとんど皆無だからです。

小児期トラウマは、子ども虐待であれ、ネグレクトであれ、恐ろしい医療措置であれ、家庭内の孤独であれ、いずれも動物行動学の実験で言うところの「逃避不能ショック」(檻に入れられた逃げられない環境で繰り返し痛みを伴う電気ショックを受ける)の形を取ります。

すると、逃避不能ショックを受けた動物と同様、人間の子どもも「闘争/逃走反応」をあきらめ、ただじっと凍りついて、自分を押し殺して耐え忍ぶ「凍りつき/擬態死」反応という受動的な生存戦略を身に着けます。

ソマティック・エクスペリエンス(SE)を知る10ステップ―「凍りつき」を溶かすトラウマセラピー
近年注目されているトラウマの治療法「ソマティック・エクスペリエンシング」(SE)についてまとめました。

このタイプの受動的な生存戦略については、オリヴァー・サックスがサックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)に書いているように、やはりチャールズ・ダーウィンが生前すでに観察していました。

闘争-逃走反応は、それが極端な場合には重要なものだが、現実の動物の世界でみられる現象の半分を示しているに過ぎない。

他の半分はそれほど劇的ではないが、正反対の反応という点でやはり劇的なのである。その特徴は、威嚇に対して無動を保つことである。

これら対照的な二つの反応について、ダーウィンは積極的な恐れ(恐怖)と消極的な恐れ(畏怖)とを比較検討して古典的な記述を残した。(p381)

受け身の防衛反応の特徴は「無動を保つこと」です。

続けてサックスが説明しているように、こうした受動的な防衛反応は、さまざまな動物に広く観察されます。

動物の世界においては、威嚇に対する反応としては急激なものよりも受け身反応のほうが重要であり、そのレパートリーは著しく多彩である。

その特徴は、一般的に分泌が増え内臓が活発になるのとあいまって、無動を保つ(ただし姿勢の制御や意識の覚醒はやや失われる)ことだ。

いくつか例示すれば、恐怖におののく犬(パブロフの「わずかに抑制的なタイプ」の犬ではとくに)は身体をすくませ、嘔吐し、便を失禁する。ハリネズミは、身体を丸めて脅威に対抗する。

スナネズミは筋肉の緊張を突然失ってカタトニーのように硬くなり、オポッサムは失神様無動すなわち「偽死」を装う。馬は驚愕して「凍りつき」、冷や汗を流す。

スカンクは恐怖を感じると凍りついて汗腺に変化が生じ、汗がほとばしる(分泌反応は攻撃的機能と考えられる)。また危険にあったカメレオンは凍りつき、体色を環境に似たものに変えるという独特の反応をみせる。(p381-382)

人間の場合も「闘争/逃走反応」がうまくいかない場合には、これら受動的な「凍りつき/擬態死反応」で対応します。とくに小児期トラウマを受けた人は、その後の人生でストレスに直面したとき、これらの反応で応じることが習慣化します。

例を挙げれば、ストレスを感じたときに凍りついて思考が飛んで動きがフリーズすること、過敏性腸症候群などの胃腸症状、吐き気や失神、息苦しさからくるパニック障害、また「体色を環境に似たものに変える」過剰同調性などです。

人間の子どもが見せるこうした様々なトラウマ反応は、心理的・精神的なものではなく、同じ状況に置かれた動物とまったく同じものである、といえる根拠があります。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

さらに小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)に書かれているように、身体を痛めつけられるような虐待を受けた子どもは、身体の自己所有感覚をいわば切り離して「自分のものではない」と認識することで対処します。

これは、「解離」と呼ばれるメカニズムです。

たとえば、身体的虐待を受けた場合は前頭前皮質および島皮質に萎縮が見られた。「島皮質は身体帰属感や個人の主体性と関わりがあります」とブラムバーグ。

「この発見は、身体的虐待を受けた子どもがしばしば訴える解離症状がこの部位の萎縮に関連している可能性を示しています」。

子どもが自分の心と身体を切り離そうとするのは、それが自分の身に降りかかる恐怖から逃れるための唯一の方法だからだ。

そうした子どもは心の中で「どこにでも行く」。ひねられているのは自分の腕ではない、叩かれているのは自分の顔ではない、性的虐待を受けているのは自分の体ではないと言わんばかりに。(p155)

感情的にネグレクトされた場合もやはり、感情の座である内臓感覚を切り離すことで対処します。

身体感覚を切り離して麻痺させてしまうのは、逃げたり闘ったりできないならば、「それが自分の身に降りかかる恐怖から逃れるための唯一の方法」だからです。つまりこうした切り離しは、身動きが取れない状況での受動的な防衛反応の一種です。

では、植物の場合はどうか。植物はそこまで知っている (河出文庫)によると、興味深いことに、植物は葉などに触れられるとTCH遺伝子が活性化して、触れられた部分を枯れさせる「接触形態形成」という方法で反応します。

1960年代初期、フランクソールズベリーはオナモミの開花を促す化学物質について研究していた。…ところが測定している葉はいつまで経ってもふつうの長さにまで達しない。

それどころか、測定を続けるうちに葉は黄色くなって枯れてしまった。…ソールズベリーによれば、「われわれは、毎日数秒さわるだけでオナモミの葉を殺すことができる、という驚くべき発見にぶちあたった」という。(p73)

10年後、オハイオ大学の植物生理学者マーク・ジャッフェが「接触が引き起こす生長阻害を植物生物学全般に見られる現象だと認め」、「接触形態形成(thigmomoephogenesis)」と名付けた。(p74)

植物にとって、触られるということはストレスの一種であり、何か脅威にさらされているということを意味します。

このとき、もし植物が動くことができれば、つまり「闘争/逃走反応」ができるなら、触ってくる手を払いのけるべく闘ったり、無思慮な扱いをされないもっと良い環境の場所へ逃げたりできるでしょう。

しかし植物は動くことができず、能動的な「闘争/逃走反応」によってストレスを回避できないので、受動的な別の方法で対処します。

触られた部分、つまりストレスまたトラウマを経験した部分を切り離して捨て、いっそ枯れさせてしまうことで、本体を守るのです。

これは、複雑さの程度の差こそあれど、人間の子どもが身につける解離の原理とまったく同じです。解離とは、トラウマを負った部分を切り離して隔離し、残された健全な部分を保護するための機能だからです。

多重人格の原因がよくわかる8つのたとえ話と治療法―解離性同一性障害(DID)とは何か
解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格について、さまざまな専門家の本から、原因やメカニズムについて理解が深まる8つのたとえ話と治療法についてまとめました。
解離性同一性障害(DID)の手記「私の中のわたしたち」―創造的な生存戦略の凄絶な記録
解離性同一性障害の当事者のオルガ・トゥルヒーヨによる体験談から、解離に伴う気づかれにくい心身症状や、解離のおかげで発達する優秀さについて考え、解離が病気ではなく創造的な生存戦略であ

「逃避不能ショック」、すなわち逃げられない環境で育つという点で、植物と小児期トラウマの当事者は同じ受動的な生存戦略を強いられます。

ここで説明した受動的な反応の共通点をひとことでまとめるとすれば、「環境のほうを変えることができないなら、自分の体のほうを変容させるしかない」ということに尽きるでしょう。

ストレスに面したとき、「闘争/逃走反応」が環境側を変える手段であるのに対し、解離を含む「凍りつき/擬態死」反応のほうは、さまざまなレパートリーはあれど、どれも皆、自分の体の側を変容させるという点で共通しているのです。

ダニエル・チャモヴィッツが述べるように、このような受動的な反応における植物と人間(動物)の反応は、驚くほどよく似通っています。

一つところに根を張って定着している植物は、退却したり逃げたりはできないが、環境が変わったとき、それに合わせて代謝を変えることができる。

接触その他の物理的刺激にどう対処するか、生物のふるまいとしては植物と動物で違っているが、信号の発生という細胞レベルで見れば驚くほどよく似ている。(p81)

植物もトラウマを記録する

地面に根づいて動けない植物と、幼少期にトラウマを経験した子どもは、どちらも逃げられない環境で育つがために、自らの内部を変容させる受動的な生存戦略を身に着けます。

驚くべきは、冒頭で引用したように、人間だけではなく植物もまたトラウマを記録することがわかっていることです。しかも、そのメカニズムは、人間のトラウマ記憶とよく似ています。

無意識の手続き記憶によって記憶する

冒頭で引用したのは、フランス科学アカデミーのミシェル・テリエの実験でした。テリエは、コセンダングサの頂芽と側芽の関係に注目しました。

言葉で説明するとややこしく感じられますが、多くの植物の苗では、頂芽という一本の芽を切りとると、側芽という横向きの二本の芽が生えてきます(頂芽優勢) 。これは、バラや果樹などの剪定で利用されている仕組みです。

しかし、頂芽を切りとる前に、苗の双葉(子葉)のうち片方を傷つけると(針でつつくだけでいい)、頂芽を切り取っても、子葉を傷つけた側の側芽が育たなくなります。

テリエはこれを利用して、まずコセンダングサの子葉の片方を針で傷つけ、それから二週間後に頂芽を切り取ってみました。すると、子葉を傷つけられた側の側芽は育ちませんでした。

少なくとも二週間ものあいだ、コセンダングサは自分のどの葉っぱが針でつつかれたか、という外傷(トラウマ)を記憶していた、ということになります。これはその後の実験でも改めて確かめられました。

このような植物のトラウマ記憶は、他のさまざまな研究でも確認されていますが、いずれも「手続き記憶」と呼ばれるタイプの記憶であることがわかっています。

ヒトの記憶についての研究で、心理学者エンデル・タルヴィングほど有名な物はいないだろう。(p137)

植物の記憶はヒトの免疫記憶と同様、タルヴィングの定義による意味記憶やエピソード記憶ではない。

むしろ手続き記憶にあたる。この種の記憶は外部刺激を感知する能力で決まる。

タルヴィングはさらに、三層の記憶はそれぞれ関連する「意識のレベル」が違うと提唱した。手続き記憶は自分が何をやっているのかわからない無意識の記憶だ。(p155)

心理学者エンデル・タルヴィングが提唱したように、人の記憶は、意識できるもの(意味記憶やエピソード記憶)と、無意識下の身体反応として保存されるもの(手続き記憶)に分けることができます。

人間の場合、たとえば学校のテストで覚える知識は意識できる記憶(意味記憶)です。しかし、泳ぎ方やギターの弾き方や自転車の乗り方のような感覚運動的な記憶は、無意識のからだの記憶(手続き記憶)に当たります。

そして、以前の記事で詳しく扱ったように、今日のトラウマ医学の研究では、人間の場合でも、トラウマとは手続き記憶である、ということがわかっています。

簡単に言えば、トラウマとは、意識して思い出すことができるような言葉やエピソードからなる記憶ではありません。

そうではなく、たとえばフラッシュバックのように、勝手に引き起こされ「自分が何をやっているのかわからない無意識の記憶」、制御できない体の反応こそがトラウマです。

「からだの記憶」の治療法―解離や慢性トラウマのための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる「からだ」を土台として生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

けれども、植物の場合は、脳が存在しないので、植物の手続き記憶と、人間を含む動物の手続き記憶を同等に見なすのは不適切ではないでしょうか。

確かにチャモヴィッツも「もちろんこれが、ヒトが日々経験している感情のからむ複雑な記憶とは違うことくらい、私たちは理解している」と述べます。(p153)

けれども、たとえ脳のない植物であっても、実はわたしたちとよく似た仕方で学習し、記憶しているという研究が近年発表されているそうです。

脳にあるグルタミン酸受容体は、神経伝達、記憶形成、学習に欠かせない物質で、神経刺激性の薬剤の多くはグルタミン酸受容体を標的にしている。

したがって、ニューヨーク大学の科学者たちが植物にもグルタミン酸受容体があること、グルタミン酸受容体の活量を変える神経刺激性薬剤にシロイヌナズナが敏感に反応することを発見したというニュースには衝撃が走った。

現時点で、グルタミン酸受容体が植物でどんなはたらきをしているのか完全にはわかっていないが、ポルトガルのジョセ・フィエジョ率いる研究チームがごく最近におこなった研究によれば、植物におけるこれらの受容体は、ヒトのニューロンが互いに情報伝達しているのとよく似た方法で細胞間で信号伝達の作用をしていたという。

植物に「脳の受容体」が作用する場があったとは!

おそらく、ヒトの脳の作用も、植物の生理作用も、私たちが思っているよりもずっと深くて広いのかもしれない。(p154)

わたしたち人間と植物は、確かに全然違うからだの造りをしていますが、細胞レベルでみれば、やっていることはそれほど違っていないかもしれないのです。

わたしたち人間の身体が、無意識の手続き記憶としてトラウマを記録するように、意識を持たない植物もまた同じ手続き記憶として、針でつつかれた経験のようなトラウマを記録し、保存しています。

エピジェネティクスによって記憶を伝承する

植物がトラウマを記録する方法はそれだけではありません。植物はまた、人間など他の生物と同様、遺伝子のエピジェネティクスという方法でも、トラウマを記憶しています。

エピジェネティクスとは、生まれ持った先天的な遺伝子の配列そのものは変化しなくとも、後天的な環境要素によって遺伝子の読み取りのオンオフが変化し、異なる影響が生じることを意味する用語です。

ひとむかし前は、わたしたちの性格や能力は、生まれ持った遺伝子によってすべて決定されているかのように思われていて、ヒトゲノムが解読されれば人間のすべてが明らかになると期待されていました。

しかしやがて同じ遺伝子配列でも、環境によって遺伝子の発現のオンオフが変化することがわかり、物事はそう単純ではないことが明らかになりました。

たとえば、たとえ病気に関わる遺伝子を持っている人でも、遺伝子が発現せずに健康のまま一生を過ごす人もいます。逆に、小児期トラウマなどの過酷な環境によって、多種多様な病気の遺伝子が目覚めてしまうことがあります。

わたしたちの生まれ持った遺伝子は、ちょうどひとつの図書館に所蔵された本全体のようなものです。図書館の本は、ただ所蔵されているだけでは意味がなく、貸し出されて誰かに読まれたときに初めて意味を持ちます。

同じように、わたしたちの生まれ持った遺伝子も、オンになって読み取られて初めて意味を持ちますが、どの遺伝子が読み取られ、どの遺伝子は眠ったままになるかを左右するのが環境なのです。

こうした遺伝子のオンオフ情報は、当人に生じるだけではなく、遺伝的に親から子にも伝えられます。

エピジェネティクスとは、遺伝子のDNA配列は変えずに遺伝子の活性状態だけを変え、しかもその変更を親から子に伝えるはたらきのことをいう。(p149)

この作用によって、記憶の世代間継承が生じます。たとえば、親世代が経験した環境ストレスが遺伝子のオンオフという形で記録され、そのまま子世代へと受け継がれます。

この種の記憶としては、世代から世代へと引き継がれる環境ストレスまたは物理的ストレスの情報伝達がある。

スイス、バーゼルのバーバラ・ホーンの研究室は、こうした世代間継承記憶の初の証拠を提示した。

…ホーンの研究結果の何が驚きだったかというと、ストレスを受けた植物がDNAの新しい組み合わせをつくり出しただけでなく、その子孫が直接そのストレスを受けていないにもかかわらず同じDNAの組み合わせをつくっていたことだ。

親の受けたストレスが引き起こした変更は、世代間継承が可能なものとなり、それは子の世代すべてに引き継がれ、子は親と同じストレスをあたかも受けたかのようにふるまう。

子は親のトラウマを憶えていて、親と同じように反応するのである。(p151)

要するに、親世代が経験した逆境についての記憶が、遺伝子のエピジェネティクスを通して、子世代にも伝達されていたということです。

それによって、子世代は自分たちは逆境を経験していないにもかかわらず、逆境に対する適応反応を獲得できるので、より生き延びやすくなります。

動物の場合も、たとえば何年も飢餓や干ばつを経験した場合、食料が少なくても生き延びやすいよう身体が適応します。そのときの変化が、エピジェネティクスを通して、子世代にも伝えられ、こうして子どもは生まれながらにして過酷な環境に備えさせられます。

驚くべきは、こうした植物や動物に見られる環境ストレスの記憶の世代間継承が、人間のトラウマ記憶にも見られる、ということです。

以前の記事でも引用しましたが、例えば、腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかには、ホロコーストの強制収容所を体験した人たちのトラウマ記憶が世代間継承されているという研究が紹介されています。

セドナの会議で登壇した講演者の一人は、ニューヨークのマウントサイナイ医科大学に在籍する有名な神経科学者レイチェル・イェフダだった。

講演の内容は、ホロコースト生存者が生んだ子どもが成人すると、自分自身はトラウマを経験せずに育ったにもかかわらず、うつ病、不安障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの精神障害を発症させる高いリスクを抱えていることを示す、画期的な発見に関するものであった。

この発見以降、それに類するストレスや逆境体験の「世代間の受け渡し」を報告する、いくつかの研究が発表されるようになった。

たとえば、同時多発テロが発生した際、世界貿易センターから命からがら逃げられた人々の子どもや、第二次世界大戦中のオランダで飢餓を生き延びた人々の子どもを対象とする研究などである。

言語に絶するトラウマを経験した両親によって、保護された安全な環境のもとで育てられた子どもが、通常はトラウマを直接体験した人々にしか見られない行動の変化を発現する高いリスクを抱えているのはなぜだろうか? 

…このような遺伝情報の伝達は、エピジェネティクスと呼ばれる。(p124-125)

原因不明の身体症状に苦しむ人のための「記憶」の科学の10の考察
全身に散らばる原因不明の身体症状の謎を、記憶の科学から読み解きます

これらの研究が示しているように、これまで本人のトラウマや精神障害だと思われていた症状のなかには、世代間継承されたトラウマ記憶によるものも少なくないはずです。

トラウマを生物学的作用だとみなしていれば、この事実は取り立てて奇妙なことではないはずです。生物が生き残るために親から子へ体質を遺伝させるのは当然だからです。

しかし、これまで、ほとんどの現代人は、トラウマとは当人の「心の傷」であると教育されてきたため、生物学的観点が抜け落ちてしまっています。

ここ日本でも、近年、慢性疲労症候群などの原因不明の体調不良や、各種の精神疾患が急増し、現代の若者はメンタルが弱いなどと言われ、さまざまな心理学的な理由が考察されてきました。

しかしそうした視点はすべて、エピジェネティクスという生物学的観点、つまりわたしたちはわずか数世代前に第一次・第二次世界大戦による強烈なトラウマを経験した国民であるという観点を度外視しています。

つまり、戦争以降の世代は、「自分自身はトラウマを経験せずに育ったにもかかわらず」トラウマの世代間継承がなされているのではないか、という観点です。

この点で、わたしたち人間は、寒波や干ばつといった環境ストレスに適応して、子孫に遺伝情報を残してきた植物と同じなのです。

生態型―異なる環境に適応した集団

植物はそこまで知っている (河出文庫)によれば、植物が環境ストレスの記憶を遺伝情報として子世代に残すのは、過酷な環境において、生き残れる可能性を少しでも高めるためです。

イーゴリ・コワルチュクは、(ホーンの実験とは別の)熱や塩分といったストレスを植物に与えて、ホーンの研究の追試をした。

すると、熱や塩分のような環境ストレスも、親世代のみならず第二世代でもゲノム変更の頻度を増やしていた。

コワルチュクの実験結果はさらに興味深い点をあぶり出した。

第二世代に遺伝子バリエーションの増加が見られたというホーンの理論を追認しただけでなく、各種ストレスへの耐性が高まっていたことまで見つけたからだ。

これはつまり、ストレスを受けた親は、通常より過酷な条件下でも育つような子孫を残したことを意味する。(p152-153)

戦争などの強烈な環境ストレスは、子どもや孫にも遺伝情報という形で伝達され、ストレスがかかったときに「闘争/逃走反応」や「凍りつき/擬態死反応」といった生き残るための反応が過剰に起こりやすいよう、生まれながらインプットされます。

そのような形質を受け継いだ「通常より過酷な条件下でも育つような子孫」は、おそらくコンゴやパレスチナのガザ地区のように、紛争が何十年もずっと続いているような地域であれば、確かに生き延びる確率が上がったでしょう。

しかし、ここ日本においては、親世代と違って、子や孫が生まれたのは平和な日常でした。

それ自体はすばらしいことですが、エピジェネティクスによる世代間継承は、あくまで子どもが親世代と同様の環境に育つことを意図して伝承される生物学的機能です。

以前に書いたように、トラウマ当事者の脳は、平和な日常では適応不良を起こすのに、戦時下や強制収容所のような環境では生き生きと活動的になる「サバイバル脳」です。

オリヴァー・サックスがサックス博士の片頭痛大全 (ハヤカワ文庫NF)の中で、「心身症的な病気や明らかな精神病は、強制収容所のような環境ではごくまれにしかみられない」と述べているのは実に興味深いことです。(p318)

腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかに書かれているように、親世代の経験した言語に絶する逆境の記憶が子どもに伝承されてしまったがために、平和な世界で育った子どもたちは、かえって適応不良を起こしてしまうことがありうるのです。

つまり母親は、自分にはそのつもりはなくても、自らが危険なものとして認知した世界に対する準備を、子どものためにしつらえるのである。

このシステムは、私たちの祖先が経験していたように、襲ってくるライオンから逃げたり、けんかで相手を殴り倒したりするときには役に立つ。

科学的証拠はないが、現在でもこのシステムは、不運にも戦争、飢餓、自然災害に遭遇した人々や、暴力犯罪が多発する地域で育った人々に、立ち直る力や、劣悪な環境にも首尾よく対処するための適応力を与えてくれる。

しかし、比較的安全な文明社会で育った私たちは、遠い祖先から受け渡されてきた生得的な生物学的プログラミングに高い代価を支払わねばならない。

これまで見てきたように、闘争/逃走システムが過剰に反応する症状を抱え、身体を循環するストレスホルモンのレベルが恒常的に高いと、不安障害、パニック障害、うつ病などの重度の精神障害を発症しやすくなる。

また、肥満、メタボリックシンドローム、心臓発作、脳卒中など、ストレスに反応しやすい、たちの悪い身体疾患を引き起こしやすくなる。(p137)

こうして、トラウマ経験は、遺伝子のエピジェネティクスを通して、親から子へと伝えられ、連鎖していきます。

わたしたちは、精神科医たちの解釈のバイアスが入った医学情報を見聞きして育ったがため、トラウマを「心の傷」だと考えがちですが、生物学的な観点からみれば、トラウマとは環境に対する適応の一種です。

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳 に書かれているように、トラウマ症状は、どれほど奇妙で異質に思えようが、生物としての身体がより生き残りやすいように、置かれた環境に対して適応していった結果です。

事実、子ども時代に性的・身体的虐待やネグレクトを受けた者は、性的に早熟で常軌を逸した問題行動に走りやすい。また、十代のうちに結婚し出産年齢も早いといわれている。

Teicherは、幼い頃に激しいストレスにあうと、脳に分子的・神経生物学的な変化が生じ、おそらく(非適応的なダメージが与えられてしまうと考えるより)神経の発達をより適応的な方向に導いたのではないだろうかと推測している。

たとえそれが過剰適応になったとしても、危険に満ちた過酷な世界の中で生き残り、かつ、子孫をたくさん残せるように、脳を適応させていったのではないだろうか。

つまり、虐待による脳の変化は、冷酷な世界を生き抜く“適応”ではないのだろうか。(p126-127)

トラウマが「心の傷」ではなく、生物学的な生き残るための適応であるなら、エピジェネティクスを通して、親から子へ世代間継承されるのも何ら不思議ではないでしょう。

心の傷を世代間継承させるメリットは何らありませんが、環境に対する適応を世代間継承させるメリットは、生物にとってはたくさんあるからです。

植物はそこまで知っている (河出文庫)によると、植物の場合、親世代が経験した環境ストレスを憶えていることは、文字通り生死をわけます。

コムギの苗やサクラの木がなぜ冬を憶えているのかについて、説明らしい説明ができるようになったのは、ここ10年ほどのことである。その研究材料となったのは、やはりシロイヌナズナだった。

野生のシロイヌナズナはノルウェー北部からカナリア諸島まで、広範囲に生育している。同一種でありながら異なる環境条件に適応している集団は、生態型と呼ばれる。

北の寒い地域で育つシロイヌナズナの生態型は花を咲かせるのに春化が必要だが、南の暖かい地域の生態型は春化なしでもだいじょうぶだ。春化を必要とすることは、北方生態型の遺伝子に符号化されている。(p148)

北の寒い地域で育つシロイヌナズナは、春化(寒い冬を経験することで開花する反応)という仕組みを遺伝的に受け継ぎます。親や経験した厳しい寒さを子世代が遺伝的に教えてもらっているおかげで生き延びることができるのです。

植物や動物の場合、親が経験した寒さや干ばつや飢餓などの環境ストレスは、たいてい子も孫も経験することになります。ゆえに親が逆境に適応した方法が、遺伝を通して子に受け継がれることは理にかなっています。

ところが、人間の場合は、戦争や犯罪や家庭環境など、動物や植物ではありえない一世代だけ、また子ども時代だけの環境ストレスが非常に多くあるせいで、この生物的な仕組みが裏目に出てしまいます。

せっかく生き延びられるように親から子に遺伝情報を受け渡したのに、子どものほうは親とは全然違う環境で育つことになるなら、かえって不利になってしまうでしょう。

親から受け渡されたトラウマ記憶の世代間継承によるものであれ、あるいは本人が幼少期に経験した逆境によるものであれ、子ども時代からトラウマに適応してしまった人たちは、遺伝子にエピジェネティクス変異が生じているため、平和な日常においては、さまざまな問題を抱えることになります。

生物の場合、このように「同一種でありながら異なる環境条件に適応している集団は、生態型と呼ばれ」る、と書かれていました。

興味深いことに、前述のいやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳の引用文に出てきた小児期トラウマの研究者、マーチン・タイチャーは、小児期トラウマを経験した患者たちを「生態的表現型」(ecophenotype)と呼んで区別することを提唱しています

Childhood maltreatment and psychopathology: A case for ecophenotypic variants as clinically and neurobiologically distinct subtypes. - PubMed - NCBI

生態的表現型として区別された患者たちは、より低年齢でさまざまな症状を発症し、しばしば難治性で、複数の診断名で多重診断されることが特徴だとされています。

彼らは「同一種でありながら異なる環境条件に適応している集団」、つまり平和な日常ではなく、戦時下のようなサバイバル環境に適応したエピジェネティクス変異をもつ別の集団なのです。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

マイクロバイオーム―植物の根を裏返せば人間の腸になる

トラウマの世代間継承が生じる原因はほかにもあります。

腸と脳──体内の会話はいかにあなたの気分や選択や健康を左右するかでは、親から子に伝達される世代間トラウマは、エピジェネティクスだけでなく、マイクロバイオーム(人体の内部の微生物群集とその遺伝子の総体)を通しても継承されているとされていました。

当初は、母親が受けたストレスがいかにして新生児のマイクロバイオータの構成を変えるのかが不明だった。というのも、胎児の段階では、腸内にほとんど微生物が宿っていないからだ。

しかし現在では、ストレスから母親の膣内マイクロバイオータの構成が変化し、それが新生児の腸内微生物の構成に多大な影響を及ぼすことがわかっている。(p134)

もはやトラウマは心の病ではなく内臓の微生物群集(マイクロバイオーム)を取り巻く生態系の問題だというパラダイムシフト
エムラン・メイヤーの研究から、トラウマ医学におけるマイクロバイオーム(体内の微生物群集)の重要な役割について考察しました。

親から子へのトラウマ記憶の伝達は、エピジェネティクスだけでなくホルモンや腸内細菌を通して、複数の経路を通して徹底的に行なわれます。すでに見たとおり、通常、自然界ではそうすることが子の生死を分かつからです。

興味深いことに、この点でもやはり、植物と人間はよく似ています。もともと細菌などの微生物は土壌や植物との関わりで研究されてきた分野です。

学校の教科書では、土壌の微生物の役割として、マメ科の植物が窒素を固定するときに働いている、などと書かれていたものです。しかし今では、微生物たちは、もっと多様かつ重要な役割を担っていることがわかっています。

土と内臓 (微生物がつくる世界)という本では、植物と土壌の微生物たちとの関わりが詳しく解説されていますが、植物は、こうした有用な微生物たちと共生し、それぞれ固有のマイクロバイオームを有しています。

植物の世界は、人類が登場するはるか前から自給していた。植物は不要によった部位を地上に落とし、あるいはそれが枯れた根であれば地中に残す。

飢えた土壌生物はこの有機物の恵みを食べ、その過程で死を、植物が必要としながら光合成では得られない元素や化合物に変える。

これは壮大な規模の共生だ。(p114)

すべての植物にはマイクロバイオーム、つまり根、葉、芽、果実、種子を覆う微生物の宇宙に似た集合体がある。(p119)

植物は自前の光合成だけでは必要な栄養分をすべて得られず、自己を守るための免疫も確保できません。そこで植物は「滲出液」という貢ぎ物によって微生物を根の周りに寄せ集めます。

植物が栄養豊富な滲出液を土壌に放出していることを発見して、土壌科学者は驚嘆した。ある調査では、植物が光合成した炭水化物の30から40パーセントを、根滲出液が占めることがわかったのだ!

それはまるで、農家が収穫の3分の1ほどを畑の脇に置いて、道行く人に持っていかせるようなものだ。

なぜ植物はこんなに気前がいいのだろう?

気前がいいわけではない。植物は自分では作れないもの、できないことと滲出液を交換しているのだ。腹を減らした微生物が頼りによる炭素固定は、決してただではないのだ。(p122)

こうした植物の根のまわりに集め寄せられた微生物群集(マイクロバイオーム)は、植物を守るボディーガードの役割も果たします。

マイクロバイオームがあるおかげで、植物は有害な病原菌から守られ、健康を保つために必要な栄養物まで得られるのです。

では人間の場合はどうなのでしょうか。

驚くべきことに、単純化しすぎていることは承知の上で言えば、植物が土壌でやっていることをひっくり返して裏返しにすれば、人間の腸になるようです。

本書執筆の準備をしていて偶然見つけた論文の一つに、大腸細胞の粘膜内層の滲出液を餌にする腸内微生物についての記述があった。

大腸の滲出液だって? 滲出液は植物界の話じゃないのか? そのときひらめいた。根は腸であり腸は根なのだ!

腸内細菌と土壌細菌の多くが共通して腐生菌[サプロファイト](ギリシャ語でサプロは腐ったもの、ファイトは植物を表わす)の系統にあることは、おそらく偶然の一致ではない。いずれの場所でもそこにいる細菌は、死んだ植物質を分解することに特化しているのだ。

植物の根を、根圏も何もかも一緒に裏返しにしたとすれば、それが消化管に似ていることに気づくだろう。

この二つは多くの点で平行宇宙だ。(p309)

植物の根と、人間の腸をそれぞれ思い浮かべてみましょう。

植物の根は、触手のように貼り伸ばされた根から浸出液を分泌して、根のまわりにマイクロバイオームを集め寄せています。他方、人間の腸は内側にびっしりと絨毛突起のひだがあり、やはり浸出液でマイクロバイオームを集め寄せています。

両者の違いは、外側にマイクロバイオームを集め寄せているか、内側にマイクロバイオームを集め寄せているかです。

その違いはもちろん、植物は土壌に植わっていて動けないから自分の外側にマイクロバイオームをまとうことで対処しているのであり、ヒトを含めた動物はあちこち動く必要があるから自分の内側にマイクロバイオームを囲うことで対処しているわけです。

いわば、動物にとっての胃腸とは、根とマイクロバイオームを持ち運びできるようにしたもの、ポータブル機能を備えた土壌セットなのです。

人間は植物と同じ生物学的防衛戦略に組み込まれている。

いずれも特殊化した領域―植物なら根圏、人間なら大腸―に、微生物を呼び寄せる栄養を用意する。

これらの部位は、微生物が植物や人間と栄養を交換し協力関係を結ぶ市場として機能する。(p309)

根と腸それぞれの微生物相の役割がきわめて似ていることは、基礎的でもあり普遍的でもある関係を暗示している。

いずれの場所でも、微生物の集団が宿主の生存に欠かせない二つの要素―食物を手に入れることと、敵から身を守ること―を助けているのだ。

見返りに微生物は、望みうる最高の生息地である、常に食物が豊富で安全な空間―微生物が繁殖し、快適に暮らす上で理想的な場所―を手に入れる。(p311-312)

いわば植物と動物は、固定電話と携帯電話、デスクトップPCとタブレットPC、据え置き型ゲーム機と携帯ゲーム機のような関係にあります。

いずれの場合も、先に登場するのは固定型・据え置き型のタイプです。やがて技術の進歩とともに、持ち運びできるポータブル型のタイプが登場します。

植物の特徴は「自分から動けない」ことでした。植物は固定された据え置き型の生物です。しかしやがて、動くことのできる携帯型の生物が登場し、その最たるものがわたしたち人間です。

けれども、たとえ携帯型になって持ち運びできるようになったところで、その仕組みは据え置き型と同じはずです。

据え置き型であれ携帯型であれ、電話やPCは電気がないと作動しなくなるように、植物も動物も、腸内細菌からの供給がなければ機能しなくなるところはまったく同じなのです。

植物が根圏のマイクロバイオームなしでは必要な栄養物や外的からの保護を得られず、健康を保てなくなるように、動物、そして人間もポータブルしている腸内のマイクロバイオームが損なわれると、健康が崩壊してしまいます。

こうしたことが意味するものは何か。土壌被沃度と人間の免疫系―すべてのヒトにとって決定的に重要な二つ―のはたらきは、私たちが思っていたのとは違うということだ。

根圏の有益な微生物群集が乏しい植物は、自分を守り私たちの栄養となるフィトケミカルの製造を手控える。

特に私たち自身の健康に関係するのは、懸命に殺そうとしてきた微生物のほとんどが、実は人間にとって必要なものだったことだ。

そしてマイクロバイオームを、特に子どものうちに混乱させることが、現代病の根本的要因として考えられるようになってきた。

これは害虫や病原体戦ってはいけないということではない。私たちが頼るようになった手段には、隠れたコストがあるということなのだ。(p315)

農業害虫の復活、土壌被沃土の低下、危機的レベルの抗生物質耐性菌の出現、寿命を縮める慢性疾患、これらはすべて無関係に見えるが、根の部分は微生物生態系の撹乱でつながっている。(p321)

植物と人間は、別の世界に生きている別の生物などではありません。同じひとつながりの世界に生き、同じ仕組みを共有し、同じ環境ストレスに適応していこうとしている、地球上にに生きる隣人や兄弟のようなものなのです。

人間の場合、近年の研究によって、トラウマとは脳-腸-マイクロバイオーム相関という三者の関係でとらえなければならない生態系の問題だとわかってきましたが、そんなことは植物を見れば自明でした。

植物は、過酷な生育環境で生き残るために、手続き記憶やエピジェネティクスによって自らトラウマを記録するだけでなく、自分が植えられた環境に応じたマイクロバイオームの形成し、生態系を組み替えてきたのです。それこそ、人間が登場するはるかに昔から。

わたしたちもまた植物と同じ世界を生きている

この記事では、植物はそこまで知っている (河出文庫)などの本から、植物と人間の類似性を考えてきました。この記事の内容をまとめてみましょう。

■植物には感覚がある
ダーウィンが注目したように、植物には感覚があり、光を見たり、回旋運動で動くこともできる。匂いをかいだり、接触を感じたりすることで、危険を備えることもある。しかし、脳がないので、人間のようにそれを意識的に認知することはできない。

■動けないからこそ敏感になる
植物の感覚は、ときに人間よりも鋭敏なこともある。植物は自分から動いて異なる環境に移動することができないので、置かれた環境に最大限に適応して生き延びるために、鋭敏な感覚を発達させる。

■小児期トラウマとの類似点
植物もヒトも、逃げられない環境でのトラウマに対して、環境ではなく自己を変化させる受動的な生存戦略で対処する。小児期トラウマの当事者は、子ども時代に逃げられない環境でストレスを経験するせいで、能動的な「闘争/逃走反応」ではなく、受動的な「凍りつき/擬態死反応」を発達させる。

■植物もトラウマを記録する
実験によると、植物は手続き記憶によってトラウマを記録していることがわかっている。葉に触れられたり、ちぎられたり、寒さや干ばつなどの環境から受けたりするストレスを記録することで、生き延びる確率を高めている。

■トラウマの世代間継承
植物や動物は、エピジェネティクスという方法で、親世代の環境ストレスへを子世代へと伝達する。人間の場合も、親世代のトラウマが、トラウマを経験していない子世代に遺伝子のオンオフを通して伝達される。

■異なる環境条件に適応した「生態型」
同じ種でも、過酷な環境を記憶し、そこに適応して生き残る確率を高めた集団は「生態型」と呼ばれる。動物や植物はこの生き残り戦略によって子世代を逆境に備えさせるが、人間の場合はそのせいでかえって平和な日常に適応できなくなってしまう。

■マイクロバイオームとの共生
植物が根のまわりに滲出液を出してマイクロバイオームを集めているように、人間も腸の内部に滲出液を出してマイクロバイオームを構成している。植物の根を裏返して持ち運びできるようにすれば動物の腸になるといえる。

最初のほうで触れたとおり、植物にはそもそも脳がなく、痛みや苦しみを感じ取る意識も存在しないがため、植物を擬人化しすぎることには注意が必要です。

それでも、植物を擬人化してみて、あるいは、人間を擬植物化してみて初めて気づく視点はたくさんあります。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアには、トラウマとは何かを理解する糸口として、まず人間は動物である、という前提を思い出すことが必要があると書かれていました。

トラウマを癒すための私のアプローチは、広く以下の前提に立っている。

つまり、その本性において人は本来、本能的であるという前提である。私たちの本質は、ヒト科の動物だということなのである。

…もっと平たく言うと、本当に私たちの心身を理解するためには、私たちの神経系が、変化が絶えず困難に満ちた環境で進化してきたがゆえに、セラピストはまずは動物の心身について学ばなくてはならないということを、信じているのである。(p267)

したがって、私たちは結局のところ、動物の端くれにすぎないのである。ただ本能的で、感情的で、論理的なだけである。

終わりに、この章の幕開けを告げたマッシモ・ピグリウィッチの引用を繰り返しておく。

「私たちは特別な動物なのかもしれない。私たちはとても特別な特徴をもった特殊な動物なのかもしれない。しかしそれでも私たちは動物なのである」。(p295)

これまでも何度かこの文章を引用してきましたが、植物はそこまで知っている (河出文庫)を通して、植物と人間の類似性を知った今は、さらに味わい深く感じます。

人間は万物の霊長類でも、動物たちの頂点に立つ支配者でもありません。わたしたちは、ただの動物であると同時に、植物とも、さらには細菌とも身体の仕組みを共有している、この地球上に生きる無数の生き物のうちの一つにすぎないのです。

わたしたち人間は、自己の内面を意識する「心」と呼ばれる自己感知能力があるゆえに、自分が単なる動物にすぎないことを忘れて、あたかも自分が有機体の限界を超えられるかのように拡大解釈してしまいがちです。

とりわけ「心」が関係する問題の場合はそうです。しかし心を持たない植物にもトラウマが生じることを知れば、もっと謙虚でバランスのとれた観点を持てます。

人間にも動物にも、さらには植物にもトラウマ記憶があるのなら、それを引き起こしている根本は、人間にしか存在しない高次の「心」ではなく、もっと基本的で生物的な部分、すなわち植物や動物にも普遍的に存在している手続き記憶やエピジェネティクス、マイクロバイオームといった要素なのです。

こうした視点をもって、身の回りの植物を眺めてみると、いつもと違った気持ちになるのではないでしょうか。

植物もまた感覚を持っている。植物もまたトラウマを記録する。そしてわたしもまた植物と同じように光を浴び、においをかぎ、風を感じ、そして日々の体験を身体で記憶しているのだと。

スポンサーリンク

スポンサーリンク
発達性トラウマ