人の顔が覚えられない「相貌失認」の3人の有名人とその対処方法―記憶力のせいではない

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とくに脈絡のないかたちで人に会うと、たとえ五分前に一緒にいた人でも混乱してしまう。

ある朝、かかりつけの精神科医(その数年前から週に二度通っていた)の診察の直後に、そういう事態が起こった。

診察室を出て数分後、建物のロビーで地味な服装をした男性にあいさつされた。

見ず知らずの人がなぜ私を知っているのか、わけがわからなかったが、ドアマンが彼の名を呼んでようやくわかった―そう、彼は私の精神科医だったのだ。(p102)

れは、心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界という本の著者、オリヴァー・サックスの体験談です。

彼のような、顔が見分けられないという問題は、単なる記憶力の問題ではなく、れっきとした脳の機能障害であり、専門的に「相貌失認症」と呼ばれています。

相貌失認を抱えている人は、次のような日常生活の困りごとを抱えていて、それによって内気になったりコミュニケーションに問題を抱えたりすることが少なくありません。

■一日中一緒に過ごした人でも、次の日に会うと、だれだかわからない
■待ち合わせの場所に行ったのに相手を見分けられない
■知り合いと会っても分からず、無愛想な対応をしてしまう
■逆に知らない人に愛想よくして奇妙がられてしまう
■職場で会う仕事仲間など、普段会う場所が決まっている人と別の場所で会うとわからない
■顔以外の手がかりで見分けようと必死になるので疲れる
■大勢いる場所で親や友人とはぐれると見つけられない

このエントリでは、相貌失認を抱える三人の有名人のエピソードを例に挙げて、なぜ相貌失認が生じるのか、どんな原因があるのか、どうやって対処できるか、といったことをまとめたいと思います。

 

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これはどんな本?

今回取り上げる本はおもに以下の三冊です。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界は、神経学者オリヴァー・サックスによる、さまざまな視覚異常の症例がまとめられた本です。

スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですは自閉スペクトラム症(ASD)の翻訳家ニキ・リンコによる、自閉症の脳の解説書です。

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)インテリアデザイナーの岡南が、アスペルガー症候群(AS)の有名人の認知特性について考察した本です。

いずれの本でも、いくらかのページを割いて、相貌失認が取り上げられています。

相貌失認を抱える3人の有名人たち

相貌失認とはどんなものかを知るために、まずは有名人の具体例を見てみましょう。

登場するのは、「不思議の国のアリス」の作家ルイス・キャロル、「偉大な記憶力の物語」のソロモン・シェレシェフスキー、そして紹介した本の著者自身である神経学者のオリヴァー・サックスです。

作家ルイス・キャロル

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー) では、「不思議の国のアリス」の作家ルイス・キャロルについて、相貌失認症を抱えていたと思わせるエピソードが紹介されています。

ルイス・キャロルはアスペルガー症候群(AS)でもあったと言われており、相貌失認とアスペルガーを併発していました。

キャロルの甥のコリングウッドによると、キャロルは記憶力はすばらしいのに、人の顔や日付が分からなかったそうです。

キャロルは少女と散歩するのが好きでしたが、必ず一対一で散歩しました。複数人を見わけるのが難しかったのかもしれません。

また突然知り合いから声をかけられると、混乱してしまった、というエピソードもあります。

さらに「鏡の国のアリス」に出てくるハンプティーダンプティーは、アリスの顔が、みんなと同じに見えて分からない、と苦情を言います。これはキャロルの体験談だったのかもしれません。(p274)

記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキー

スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですによると、人の顔が覚えられない相貌失認は、記憶力が悪いせいではない、ということを強力に示すエピソードがあります。

有名なルリヤの偉大な記憶力の物語――ある記憶術者の精神生活 (岩波現代文庫)に出てくる、あらゆるものを記憶でき、記憶術の分野ではひときわ有名になったユダヤ人ソロモン・シェレシェフスキー(シィー氏)は、超人的な記憶力の反面、人の顔は覚えられなかったそうです。(p159)

シェレシェフスキーは、記憶術について調べると必ず名前が出てくるほどの著名人で、場所法や共感覚を用いた記憶術の達人でした。それも訓練ではなく、生来の能力によるものでした。

シェレシェフスキーが人の顔を覚えられない理由は、その天才的な記憶力そのものにあるのではないかと推測されています。

シェレシェフスキーは、見たものを完璧に記憶できました。ところが、人の顔というものは、毎回表情など、微妙な点が異なります。それで細部まで記憶していればいるほどに、記憶と目の前の人の顔が一致しなかったのではないかというわけです。

人の顔を覚えるのは、「だいたいこういうもの」というある程度あいまいながら正確な記憶が必要です。しかし、超絶的な記憶力を持っていると、完全一致を脳が要求して、だいたい同じ顔を同一人物と認識できないのかもしれません。

シェレシェフスキーについて考察したニキ・リンコさんは、彼が自閉症的だったかどうかはわからないとしつつも、その相貌失認について、こう述べています。

シィー氏は完璧な視覚記憶と想起を駆使して記憶術の見世物で生計を立てていたにもかかわらず、解像度の高すぎる記憶が災いして、身近な知人の顔を覚えることができなかった。

…画像、それも、詳細かつ具体的な生の画像は、類似性を抽出する作業に向いていない。(p424\)

 

 

神経学者オリヴァー・サックス

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると、著者でもある神経学者のオリヴァー・サックスは、冒頭に挙げたエピソードのように、子どものころから中程度の相貌失認を抱えています。

中学校になると友だちに会ってもわからないことがしょっちゅうで、親しくなったのは、眉毛が太くで分厚いメガネをかけていたエリックと、背が高くてひょろっとしていたジョナサンだけでした。顔が分からなくても姿でわかったのです。

大人になっても、人の顔は見分けらないことによる失敗は多くあり、冒頭の精神科医とのエピソードはその一つです。あるときは、6年一緒に働いた助手のケイトと待ち合わせしましたが、顔がわかりませんでした。

パーティでは、「ぼんやりしている」「社会性の欠如」「アスペルガー症候群」などと、さまざまに言われてしまうそうですが、サックスはそれは誤解だとしています。

サックスは、別の著書の中で、アスペルガー症候群の有名人であるテンプル・グランディンについて詳しく書いていますが、サックス自身がアスペルガーだとは述べていません。

サックスは本の執筆時点で75歳ですが、相貌失認のひどさは変わっていないそうです。ただ、家族など本当に親しい人は見わけることができ、脳の別の経路を使っているか、訓練によって弱い紡錘状回がかろうじて働いているのだろうと考えています。

なぜ顔が覚えられない「相貌失認」になるのか

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界には、相貌失認の神経学的な根拠や、疾患としての歴史についても書かれています。

相貌失認を初めて報告した医学文献は、イギリス人医師のA・L・ウィガンによる1844年のものだそうです。

1872年には、ヒューリングス・ジャクソンが、脳卒中後に顔と場所がわからなくなった人について書いています。

「相貌失認症」(prosopagnosia)という言葉は、1974年、ドイツ人神経科学者ヨアキム・ボーダマーによって初めて作られました。それ以来、「失顔症」(失読症や失語症に対応する呼び方)とも呼ばれ、脳の機能異常として知られるようになっています。

相貌失認の人は、人の顔が見分けられず、覚えられませんが、程度には個人差があり、数回会えばなんとか覚えられる人もいれば、自分の子どもや配偶者さえ見分けがつかない人もいます。

先天性の相貌失認

相貌失認には、先天性の相貌失認と、後天性(脳損傷)による相貌失認とがあります。

先天性の相貌失認を抱えている人の割合は、広く見積もれば人口の10%ほど、つまり10人に1人の割合であり、その中でも重度の人は2%、つまり50人に1人だとされています。(p126)

先天性の相貌失認の人は、脳に大きな病変があるわけではありませんが、脳の顔認識領域にわずかながらはっきりした変化が見つかっています。(p124)

また、相貌失認と場所失認(道や家の場所が覚えられない)といった症状は併発することもあり、似たような脳の部分が関係しているのではないかと推測されています。

先天性の相貌失認はある程度家族性があり、おそらく遺伝的な影響があると思われます。

先天性の相貌失認は、「発達性」の相貌失認とも呼ばれます。というのは、生まれつきの遺伝的な顔認識の能力が低いため、幼少期に顔を見分ける能力をうまく発達させることができず、結果として、大人になってから改善しようとしてもできないからです。

子どものときに言語を学んだり、愛着を形成したり、立体視視力を発達させたりできなかった人は、大人になってからそれらを学ぶことが難しいですが、顔の認識能力もそれら同様に、子ども時代のインプットが大きな意味を持っているようです。(p118)

後天性の相貌失認

脳損傷などの後天性の相貌失認では、脳の右の視覚関連野の、特に後頭側頭皮質の下側に病変があり、ほとんどの場合、「紡錘状回」に損傷が見られるそうです。脳の紡錘状回や内側側頭葉は、顔の認識能力に関係しているとされています。(p116)

アスペルガー症候群との違い

人の顔が分からないという相貌失認を持つ人は、サックスが述べるように、他の人から「アスペルガー症候群ではないか」と言われることがあります。コミュニケーションに問題を抱え、適切な親しみを示せないように見えるからです。

しかし、相貌失認とアスペルガー症候群は別物です。

相貌失認の人は、顔の表情には敏感なので、相手がだれだかわからなくても、幸せそうか悲しそうか、親しげか冷淡か、といった感情は読み取れます。しかしアスペルガー症候群の人は、逆に顔を見分けることができるのに、表情を読み取ることはできません。

オリヴァー・サックスの母は医師でしたが、内気で、人づきあいも少なく、人が大勢いる場所が苦手でした。しかし、彼女はコミュニケーションに問題のあるアスペルガー症候群ではなく、相貌失認のため、内気になってしまったのではないか、と書かれています。(p128)

相貌失認を抱えることを公表した俳優のブラッド・ピットも、自身の苦労についてこう語ってました。

「顔を覚えられない」ブラッド・ピットが失顔症を激白 | ニュースウォーカー はてなブックマーク - 「顔を覚えられない」ブラッド・ピットが失顔症を激白 | ニュースウォーカー

この世界では、何度も同じ人に会う必要があるんだ。それなのに顔を忘れてしまうから、人に会う度に不快な思いをさせるのではないかって、いつも心配しなくちゃいけない。

だから、家にいる方が気が楽なんだ。子供の世話で家から出られないって思われているみたいだけど、実際には全くその逆だよ。そろそろ検査をする必要があると思っている

ただし、もちろん、前述のルイス・キャロルのように、アスペルガー症候群と相貌失認の両方が併存していて、顔を見分けられず、表情も読み取れない人もいます。(p129)

スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですによると、有名な自閉症スペクトラム(ASD)の作家グニラ・ガーランドは、相貌失認も併発していました。

学校でいじめられたとき、いじめっ子の顔がわからないので、いろんな子が日替わりでいじめに来ているように感じられ、自分はひときわ目立って異常なのだと思ってしまったそうです。(p14)

 

 

カプグラ症候群との違い

相貌失認とはまったく逆に、顔は見分けられるのに、人にまったく親しみを感じられなくなる「カプグラ症候群」という病気もあります。

カプグラ症候群の人は夫や妻や、子どもなどの親しい人を見ても、まったく親しみが湧かないので、巧妙な替え玉か偽物に違いないと信じます。自分は正常であり、おかしいのは相手のほうだという信念を曲げません。

しかし相貌失認の人は、自分の脳のほうに問題があるのだと理解することができます。

超認識者(スーパー・レコグナイザー)

人の顔を認識する能力は、他の様々な能力と同様、正規分布にしたがって、能力の高い人から低い人まで、さまざまに分布していると考えられます。そのため、まったく顔の見分けられない人がいるなら、逆に顔を見分けるのが大得意な人もいます。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると、そのような顔認識のプロは、ハーバード大学のケン・ナカヤマらにより、超認識者(スーパー・レコグナイザ)と呼ばれています。

一度見かけた顔は、何十年前に一瞬出会っただけでも記憶しているそのような人たちは、犯罪捜査の仕事に就いていることもあります。(p125)

こちらの記事では、ちょうどそうした特性をもつ警察官のことが紹介されていました。

一度その顔を見たら忘れない。驚異の記憶力を持つ警官、4年間で850人以上の犯人を特定(イギリス) : カラパイア はてなブックマーク - 一度その顔を見たら忘れない。驚異の記憶力を持つ警官、4年間で850人以上の犯人を特定(イギリス) : カラパイア

 

 

相貌失認の原因は複数

相貌失認の原因は果たして何なのでしょうか。

問題は複数あると思われます。スルーできない脳―自閉は情報の便秘ですはこう述べています。

おそらく、顔を覚えるのに必要な能力は複数あり、そのうちのどこに損傷があるかによって〈覚えられなさ〉のタイプも複数あるのだろう。(p425)

すでに述べたように、オリヴァー・サックスは、原因として顔認識を担う紡錘状回の弱さを挙げています。紡錘状回は後天的に損傷した場合相貌失認の原因となる箇所ですが、先天性の相貌失認とも関連性があるようです。

スタンフォード大学の神経科学者、カラニト・グリル・スペクターによる、5歳から12歳までの子供22人と、20代の25人を対象にした研究によると、紡錘状回はふつう年齢とともに発達していくはずが、相貌失認の人は成人しても十分に発達していないことがわかったそうです。

顔を見分ける能力、脳の部位の大きさが関係か - WSJ

さらに、見覚えのある顔を被験者に選ばせる方法で記憶力を検査し、紡錘状回の活動量や組織量と記憶力との間に相関関係があるかどうかを検証した。

その結果、紡錘状回の組織量が多いほど、人の顔を思い出す能力が高いことが分かった。

研究によると、大人は子供より約13%、この部位の組織量が多かった。

何かしらの理由で、幼少期に紡錘状回の発達が妨げられることが相貌失認と関連しているのかもはれません。

この紡錘状回は低位の色の共感覚などと関連している部位でもあります。

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)では、紡錘状回に位置する、色や明暗を認識する視覚野のV4と呼ばれる領域の働きが弱く、立体としての顔を認知しにくいのではないかとされています。(p264)

事実、相貌失認の人の中には、後述しますが、空間では顔を認識できなくても、写真にすると見分けられるという人もいます。

また、自閉症のドナ・ウィリアムズのように偏光フィルターのレンズを使うと立体が認知できるようになった人もいます。(p251)

これは光の特定の波長に対する感受性の障害によって、色の明暗を見分けるのが難しく、顔を立体として認識しにくいのが、偏光フィルターによって改善されたのかもしれません。

光の感受性障害「アーレンシンドローム」とはーまぶしさ過敏,眼精疲労,読み書き困難の隠れた原因
まぶしさや目のまばたき、眼精疲労、ディスレクシア、学習障害、空間認識障害などの原因となりうる、光の感受性障害「アーレンシンドローム」についてまとめています。偏頭痛や慢性疲労症候群や

また顔を忘れるフツーの人、瞬時に覚える一流の人 「読顔術」で心を見抜く (中公新書ラクレ)[Kindle版]によれば、自閉症やアスペルガー症候群の人は、幼少時から細部に注目する視覚特性を持っているため、顔の全体の印象をつかむことが難しいのだろうとされています。

記憶の達人ソロモン・シェレシェフスキーのように、記憶力が良すぎて柔軟性がないケースは、細部まで注目しすぎることと関係しているのかもしれまぜん。

LDを活かして生きよう―LD教授(パパ)のチャレンジでは、自身もLDとADHDを持っている上野教授が、顔を覚えるのが難しく、おそらく視覚的な形をとらえる力が弱いのだろうと述べています。(p23)

先ほどの天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)では、人には視覚優位と言語優位の2つのタイプがあり、相貌失認は言語優位の人に多いとも書かれています。

教養としての認知科学では、言語優位の人がなぜ顔を見分けにくいのか、ということについて、手がかりとなる実験が紹介されていました。

スクーラーらが行った実験は、このことをまさに明らかにしている。

この実験では、一方のグループにはあるビデオに登場する人の顔を詳細に言語的に記述するように求め、もう一方のグループにはそうしたことをさせなかった。

その後に何人もの人の顔を見せ、その中にビデオに登場した人物がいるかを尋ねた(つまり、再認実験を行った)。すると言語的に記述したグループの成績は、もう一方のグループより悪くなったのである。

ひうした現象は、言語隠蔽効果と呼ばれている。つまり、ここで言語的に記述したグループは、顔の記憶や再生には不適当な言語化しやすい特徴に焦点化してしまったために、再生が劣化してしまったのだ。(p118)

この実験からすると、言語的能力への偏りが強い人は、「言語隠蔽効果」により、相貌失認を抱えやすい可能性があります。

さらに愛着崩壊子どもを愛せない大人たち (角川選書)によると、愛着ホルモンであるオキシトシンの分泌が、顔を見わける機能に関わっているとされています。これはオキシトシンが不足する発達障害や愛着障害の人に、相貌失認が多い一因かもしれません。(p122)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)の中で紹介されているように、文学者の中には愛着障害を抱える人が多く、言語能力の強さとも何かしらの関わりがあるのかもしれません。

小児期にトラウマ的な体験をすると、現実を「見る」代わりに、空想の世界に逃避して「考える」習慣を持つ可能性があり、それが言語能力の高さや、その裏返しとしての相貌失認を引き起こすのかもしれません。

ちなみに、すでに触れたように、紡錘状回は相貌失認はだけでなく低位の色の共感覚とも関連していました。一方、小説家などの芸術家は、紡錘状回ではなく角回付近の高位の共感覚が強いと言われているので、むしろ紡錘状回の機能は弱いのかもしれません。

最近のニュースでは、50人に1人とされる、家族の顔さえわからないような重度の相貌失認の人の脳では、顔が顔ではなく物のように認識されているというものもありました。

50人に1人! 人の顔が覚えられない相貌失認が解明される
顔を覚えられない相貌失認の仕組みが解明されたそうです。

どれが正しいというより、これらを含むいろいろな要因のどれか、または複数の組み合わせによって、程度がさまざまな相貌失認が生じるのでしょう。

顔が覚えられないことへの対処方法

ここまで取り上げてきた、キャロル、シェレシェフスキー、サックスをはじめ、相貌失認を抱える人は、無意識のうちに、あるいは意識的に、さまざまな対策を試みて、顔を覚えられない弱点をカバーしようと務めています。幾つかの対策を挙げましょう。

まず障害を知る

相貌失認を抱えている人は、そもそも、顔を覚えられないのは当たり前だと思っていて、それを変だと感じていないことがあります。

そのため、医者に相談することもありません。生まれたときから色覚障害のある人が、気づくのに時間がかかるのと同じです。(p124)

先ほどのグニラ・ガーランドは、相貌失認について知らないころ、クラス中の子どもからいじめられていると誤解し、自分は異常なのだと思ってしまいました。実際のいじめっ子は、ほんの一部だったにもかかわらずです。

もし相貌失認について知っていて、自分は顔がわからないということに気づいていれば、このような誤学習は避けられたことでしょう。

また、相貌失認の大人の中にも、自分は記憶力が悪いとか、忘れっぽいとか、努力が足りないと思って苦しんでいる人が大勢います。

しかし 、問題の原因が、脳の神経障害にあるとわかり、世の中には自分と同じ悩みを抱えている人が大勢いるのだ、と知るだけでも、気持ちが楽になるものです。

障害を公表する

イギリス人医師のA・L・ウィガンによる1844年の報告によると、ある相貌失認を抱えた中年の男性は、顔を覚えられないせいで仕事の信用を失っていました。

それで、ウィガンは、障害を周りの人に伝えるようアドバイスしますが、彼はそれを拒みました。

障害を認めることが、友だちを遠ざけてしまうような不幸な結果を招かないための最善策だと、彼を説得しようとしたが無駄だった。

できることなら隠しておこうと断固決意していて、目だけの問題ではないと納得させるのは不可能だった。(p132)

対称的に、相貌失認の研究者で、自分も相貌失認に苦しんでいるハーバード大学のケン・ナカヤマはウェブサイトとオフィスで次のように告知しています。

最近目が悪くなり、軽い相貌失認症と相まって、知っているはずの人を認識するのが難しくなってきています。

私に会ったらどうぞ名前を名乗ってください。ご協力ありがとうございます。(p127)

相貌失認を公表することで、たとえ失礼な思いをさせても、相手が「仕方ない」と納得できるようにしているわけです。

同様に、オリヴァー・サックスの秘書ケイトは、サックスに次のようにアドバイスしました。

ただ覚えていないと言うのはだめですよ―失礼ですし、人は気を悪くします。

『申し訳ありませんが、私は人の顔をちっとも覚えられないんです。自分の母親の顔さえわからないんですよ』って言ってください。(p104)

母親の顔も分からない、というのは、中程度の相貌失認症のサックスにとってはさすがに誇張ですが、そのように言えば相手は納得します。自分は顔が覚えられない、ということをはっきり伝えておくことで、理解を得るようにするのです。

写真で見分ける

すでに述べたように、相貌失認の人の中には、二次元の写真なら覚えられるという人もいます。

天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル (こころライブラリー)によると相貌失認の子どもの中には、名前と顔を一致させるため、クラスの集合写真を活用する人もいるそうです。(p267)

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると、顔の巨大なポートレートをたくさん描くことで有名な画家のチャック・クロースは、生まれつき重い相貌失認を抱えていますが、人の顔を絵に描く理由について、こう述べたそうです。

誰が誰だかわからないし、現実の空間にいる人の記憶は基本的にまったくないが、写真の中で平らにすると、そのイメージをある程度記憶に収められる。

平らなものについては、ほぼ正確な記憶力と言えるものが私にはある。(p128)

彼は、二次元的な認知はよく、立体的な顔はわからないタイプの相貌失認なのかもしれません。

人の顔が覚えられない人の中には、新しい人と会うたびにスマホで写真を撮らせてもらって、連絡先と結びつけることにより、覚えやすく工夫している人もいます。

しかしオリヴァー・サックスはクラスの集合写真でも見分けられなかったので、脳のどこの機能が弱いのかによって、二次元だと認識できる人もいれば、そうでない人もいるのでしょう。(p101)

パーティや大規模な集まりを避ける

ルイス・キャロルは、少女と会うとき、顔を間違えて気を悪くさせないよう、一度に1人だけと散歩しました。

オリヴァー・サックスは、不安を感じたり、決まりの悪い重いをしたりすることがわかっているので、パーティや集まりは避けているといいます。

人が大勢いると、知っている人が分からないだけでなく、知らない人にあいさつしてしまったりします。

彼は愛想よく振る舞うために、次のような手段を用いています。

相貌失認症患者の多くがそうだが、私は人にあいさつするとき、間違った名前を口にするといけないので、相手の名前は言わない。他人を頼りにとんでもない失態を免れるのだ。(p110)

もちろん、場合によっては、正直に人の顔と名前が覚えられないことを伝え、再度尋ねたほうがいいかもしれません。

ただしそれが何度も続くと相手は辟易するので、オリヴァー・サックスのような手法を取らざるを得なくなるともいえます。

誰かと一緒に行動する

今引用した文の中で、サックスは、「他人を頼りにとんでもない失態を免れるのだ」と述べていましたが、標準以上の顔認識能力を持つパートナーと一緒に行動するという手もあります。

配偶者、秘書、友人などが顔を覚えるのが得意なら、人が大勢いる場では、その人と一緒に行動することで、近づいてきた人がだれなのか、こっそり教えてもらうことができます。

顔以外の手がかりで見分ける

これは工夫というより、相貌失認の人が自然にやっている習慣ですが、オリヴァー・サックスは、相手の顔以外の特徴、たとえば、変わった鼻や口ひげ、メガネ、声のトーン、姿勢、歩き方、場所などの手がかりによって見分けることが多いそうです。

彼はこう述べています。

そういうわけでは、私は特定の顔をひと目で見わけることはできないかもしれないが、大きい鼻、とがったあご、ふさふさの眉、突き出た耳など、顔についてのさまざまな事柄を認識することはできる。

そのような特徴は、私が人を見わけるための標識になる。

…動き方、「運動スタイル」で見わけるほうがはるかにうまい。(p110)

相手の顔の特徴的な部分を覚えるようにすれば、漠然と顔を見分けようとするより、視覚的な手がかりが増えます。

あらかじめ、今から行く場所ではだれと会いそうか、ということを予期していれば、突然見知らぬ人に会ってパニックになったりせずにすみます。

しかしこの方法の弱点は、手がかりが変わると、見分けられなくなることです。たとえばひげが特徴的だった人が髭をそったり、付き合っている女性が髪型や装飾品を変えたりすると、途端にだれだかわからなくなります。

あくまで、いろいろな手がかりを複合的に活用するようにすべきでしょう。

わたしの経験

わたしがこのブログで、相貌失認について何度も繰り返し取り上げているのは、わたし自身が、軽度~中程度の相貌失認だからです。

初めて出会った人の顔を覚えられることはまずありません。相手がひときわ体格がよかったり、相当珍しいメガネをかけていたりすれば別ですが、基本的に会った人の顔は、次に会うとわかりません。

何年たっても覚えられない

オリヴァー・サックスの経験談ではないですが、10年来お世話になっている主治医の顔が今だに覚えられず、会うたびに、こんな顔だったっけと思います。多分診察室以外のところでばったり会うとだれかわからないでしょう。

重度の相貌失認ではないので、親しい人の顔は覚えられますが、見分けられるようなる基準というのは、だいたい1年以上の期間、繰り返し会い、できれば一対一で話す機会を何度も持つことです。

人が大勢集まる場所や待ち合わせでは、知り合いがいてもわからないことが多いので、相手から声をかけてもらえるのを待っています。

学校など、みんなが名札をつけているような場では、話しかけられたら、とりあえず名札を確認することにしていましたが、相手もこちらの視線に気づいてしまうので、恥ずかしい思いをすることも多々ありました。

みんな外国人

わたしの場合、シェレシェフスキーのような厳密な記憶力のために見分けられないというタイプではないようです。まったく面識のない人を見て、なんとなく知っているような顔なので知り合いかも、と思うことがかなりあります。

「だいたい同じ」の焦点が狭いのではなく、ほとんどの顔が「だいたい同じ」に見えてしまうのでしょう。ソロモン・シェレシェフスキーとは真反対で、おそらくオリヴァー・サックスと近いタイプだと思います。

これはちょうど、外国人を見るときの反応に似ているそうです。

オリヴァー・サックスの心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界によると、たとえば外国人はみんな同じ顔に見える、という人もいますが、これは幼児期に自分の文化圏の人だけを見分けられるよう、脳が対象を絞り込んで発達するためだそうです。(p118)

わたしのように、同じ国の人の場合でも、外国人と同様「だいたい同じ」顔に見えてしまうというのは、何かしらの理由で、幼児期に外国人だけでなく自国人の顔を見分ける能力もあまり発達しなかったということなのかもしれません。

多くの相貌失認の人と同様、わたしも相手の声の調子や、特徴的な手がかり、体格、仕草などから相手を見わけるようにして、周りの人とコミュニケーションを維持しています。

相貌失認の人は創意工夫が必要

このように、相貌失認は脳の機能異常による神経学的な問題であり、決して記憶力の良し悪しや忘れっぽさではありません。

しかし、相貌失認は、読み書き障害(ディスレクシア)などと比べて、理解者も支援も少ないのが現状です。

もっと広く知られるようになれば、効果的な対策も講じられるのかもしれませんし、科学が進歩すれば、Googleグラスのようなデバイスに、Googleフォトの顔認識を組み入れて、瞬時に目の前の人の名前を検索してくれる技術の実現も可能でしょう。

顔認識、面白くて実用的な技術へと進歩 (1/2) - ITmedia エンタープライズ はてなブックマーク - 顔認識、面白くて実用的な技術へと進歩 (1/2) - ITmedia エンタープライズ

人間は顔認識を反射的に行うのではなく、認識技術を身に付けます。私たちは赤ちゃんの頃に、人を区別する方法を学ぶのです。しかし、誰もが同じように習得できるわけではありません。実際、認知障害(相貌失認)の場合、自分自身や身内などの見慣れた顔すら認識できません。

 こうした症状に苦しむ人たちに支援の手を差し伸べるのが、顔認識システムです。顔認識機能を搭載した(スマートグラスのような)ウェアラブルデバイスを使えば、会話した人たちの顔を日々記録し、その人の簡単な説明を表示させることができます。

ですが、本格的な活用にはもう少し時間がかかりそうなので、今のところは、各々が創意工夫で乗り切るしかないようです。

まずは、自分が相貌失認であること、そしてれに悩んでいるのは自分だけではないことを知るのが、相貌失認とうまく付き合っていく第一歩だと思います。

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