自分の人生に対して、サバサバしてクール。できることなら、面倒な仕事はしたくないし、人づきあいも煩わしい。
現代社会には、そうした現実感や人との絆が稀薄な人たちが増えていると述べるのは、回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)という本です。
現代の子どもたちは家族と過ごす時間が減り、メディア依存の傾向が高まっています。その結果として身につくのは、回避型と呼ばれる愛着スタイルです。
回避型の愛着スタイルを示す人は、社交や責任を嫌うため、モラトリアムの青年期を送り、ときには引きこもりになりやすい。しかしどこかで覚悟を決め、社会に飛び込み、チャンスに積極的に応じなければならない。著者はそう書いています。
この記事では、回避性愛着障害(回避型愛着スタイル)とはなにか、どんな特徴があるか、回避型の愛着スタイルを抱えながら人生を送っていくにはどうすればよいかを考えてみました。
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これはどんな本?
この本は、本来、虐待やネグレクトを受けた子どものみに見られるとされていた愛着障害の定義を広げ、いわゆる機能不全家庭でもある程度の愛着障害(愛着スペクトラム障害)が生じる、と考えておられる岡田尊司先生の一冊です。
愛着障害を扱った既刊については、このブログで以前取り上げました。愛着障害とはなにか、という基本的な点についてはそちらをご覧いただけたらと思います。
この本の目的は、「回避型愛着スタイルの方が、いかにそのデメリットを克服し、自分のもてるものを活かした、その人にもっともふさわしい人生を送ることができるかということである」そうです。
このシリーズを追ってきたのは、医師から、わたし自身が愛着障害の傾向を持っていると言われたからでした。
確かに、わたしも機能不全家庭で育ちました。愛着形成が不十分であるという点は納得がいきます。それでも、どのあたりまで、自分のこととして受け止めて良いのか、なかなか理解しがたい部分もあります。
それで、この本から回避型愛着スタイルの特徴や克服の方法を調べてみました。
回避型愛着スタイルの特徴
回避性愛着障害は、不安定な愛着スタイルの一つです。本のタイトルなどでは、「回避性愛着障害」という呼び方がされていますが、正式には障害というより「回避型愛着スタイル」という名称で研究されています。
愛着スタイルは「0歳のときの親の関わり方のちょっとした違いが、その人の行動パターンや対人関係のあり方に生涯続くような影響を及ぼす」ものです。その事実はオランダのファン・デル・ベームらの実験で裏付けられました。(p22)
子どものときに確立した愛着スタイルは、しだいに固定化し、容易には変わらなくなります。その人の性格となるのです。
回避型の愛着スタイルは、子どものとき、親から示される関心が乏しかった場合や、厳しい家庭に育った場合にみられます。最もひどいケースはネグレクトですが、そこまでいかずとも、さまざまな共感にとぼしい家庭で見られるとされています。
生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)によると、共感性の乏しい養育を受けた回避型の人たちは、やはり共感性に乏しい人間に育ち、人の感情や痛みに対してクールな、悪く言えば鈍感な性格になります。
回避型の子どもは将来、暴力や非行、いじめ、反社会的行動など、破壊的な行動上の問題を起こしやすいことが長年の研究で裏づけられている。
優しさや甘えを求めない代わりに、力で相手を支配し、ねじ伏せようとすることがある。
彼ら自身、そんな風に育てられたのだから、そうした振る舞いを身に付けることは、ある意味自然なことである。(p99)
こうした共感性の乏しさは、自分にも他人にも厳しく、甘えを許さない性格傾向へと発展していきます。
それが極端になると、過度に厳格な基準を要求する強迫性パーソナリティ、尊大で人に厳しい自己愛性パーソナリティ、人の痛みを考えず反社会的行動を行なう、サイコパスにも似た反社会性パーソナリティ、孤独を好むジゾイドパーソナリティなどに至ってしまうこともあります。
幼い頃に認められる回避型は、成長して回避性パーソナリティになる場合もあるが、むしろ自己愛性パーソナリティや反社会性パーソナリティ、シゾイドパーソナリティに発展する方が典型的である。
この三つのパーソナリティには大きな共通項がある。それは、共感性が乏しく、クールで、相手の痛みに鈍感だということだ。(p100)
こうした人たちは、単に他人に対して厳しく、批判的なだけでなく、自分に対しても甘えを許さないため、弱音を吐くことを嫌ったり、自分に厳しいノルマを課したりして、心身を追い込んでしまいがちです。
その結果、心のストレスを認識できず、体が悲鳴を上げる心身症、たとえば慢性疲労や慢性疼痛、燃え尽き症候群などに陥ることがあります。
また、彼らは、気持ちを表現したり、言葉でコミュニケーションをとったりするのがあまり得意でない傾向がみられる。
そのため、体が悲鳴を上げるまで、無理を重ねてしまい、心身症や解離性障害のリスクが高いとされる。タフそうに見えるが、実はもろいところがある。(p100)
そのほか、今回読んだ 回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)に載せられている回避型愛着の人の特徴を整理すると、次のような傾向があります。
問題を抱えても、涼しい顔をしているため異変に気づかれませんが、
たとえば、厳しい家庭で育ち、
完璧主義や過剰適応のため、口で「ノー」ということができず、限界を越えて仕事や役割を引き受けてしまい、身体が代わりに「ノー」と言います。
■とっさに言葉が出てこない
感情のまま言葉をつむいでいるのではなく、
■過去は文学や小説、
空想世界を現実世界よりも安全な場所と感じます。種田山頭火は、
■テレビやネットに依存する
ニュージーランドの研究によると、画面を見る時間が長い人ほど、
■現実の人物より、理想像を愛する
現実に耽溺すれば、それを失ったときに打撃を受けてしまう。
■失感情症
自分の感覚や感情がよくわからない失感情症(アレキシサイミア)
否定的な感情に圧倒されないので一見ポジティブにも見えますが、じつはネガティブな感情を意識できなくなっているだけです。
■距離をとる
相手を受け入れる間口を広げるより、関わりを制限し、
■自分の人生に無関心
エリック・ホッファーは無意味さと徒労感を感じていました。
■PFスタディ(絵画欲求不満検査)
PFスタディを行うと、アグレッションの方向は他罰・自責・
これは問題が生じたとき、「だれのせいでもないよ」「すぐに解決しましょう」といったクールな反応を示すことです。
■否定されるのは不快だが、
相手を落胆させてしまったらどうしようと思い悩みます。エリック・
■働かないで暮らせることが理想
J・K・ローリングは、うつ病から回復した後、
■モラトリアム人間として過ごす
井上靖は大学時代、肝心なことを決定せず、
■発達障害(自閉症スペクトラム)との関係
自閉症スペクトラムは、養育ではなく、
自閉症スペクトラムでも、
回避型の人はきっと、その典型であるエリック・ホッファーがエリック・ホッファー自伝―構想された真実で述べる次の言葉に同意できることでしょう。
歩き、食べ、読み、勉強し、ノートをとるという毎日が、何週間も続いた。残りの人生をずっとこうして過ごすこともできただろう。
しかし、金が尽きたらまた仕事に戻らなければならないし、それが死ぬまで毎日続くかと思うと、私を幻滅させた。
今年の終わりに死のうが、十年後に死のうが、いったい何が違うというのか。
…この通りに終わりがなければ……疲れもせず、悩みも不満もなく、このままずっと歩いていければいいのに。
身体的な異常としての回避型愛着
これらの特徴だけを見ると、「回避型愛着スタイル」とは、心理的な問題、ないしは考え方の傾向にすぎないように思えます。
しかし、回避型を含め、愛着とは、もっと生物学的な身体面の働きに関わる機能です。そもそも愛着と訳されている言葉は、英語では「アタッチメント」(attachment)、つまり付着することを意味する言葉です。
愛着とは親子の感情的な結びつきではなく、身体的に付着する、つまり抱っこや愛撫などのふれあいを通して成長するものです。
回避型愛着スタイルになるということは、赤ちゃんのころ、親子の身体的な触れ合いが不足していたことを意味しています。
母親が子どもを優しくなでたり抱いたりするのは、単なる愛情表現ではなく、泣いている子どもの興奮をしずめ、安心させる役割があります。生物学的に見ると、これは、交感神経の興奮を和らげ、リラックスさせてあげるということです。
そもそも体と心は密接に関連しているので、切り離して考えられるものではありません。愛着とは、心の結びつきである同時に、自律神経の生理的な反応をコントロールする機能でもあるので、不安定な愛着スタイルを持つ人は身体面の問題も抱えがちです。
トラウマ研究の専門家である、ボストン大学医学部のヴァン・デア・コーク先生の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、回避型愛着スタイルの子どもについてこんな記述があります。
「回避型愛着」と呼ばれるパターンでは、赤ん坊は何もたいして気にしていないように見える。母親が去っても泣かないし、戻ってきても無視する。
とはいえ、これは彼らが何の影響も受けていないということではない。
じつは、彼らは心拍数が慢性的に高く、常に過覚醒状態にあることがわかる。私と研究仲間は、このパターンを「感じることのない対処」と呼んでいる。
回避型の赤ん坊の母親の大半は、わが子に触れるのを嫌っているように見える。
子供に寄り添ったり、子供を抱いたりするのが苦手で、表情や声を使って赤ん坊と楽しいやりとりのリズムを生み出すことはない。(p191)
この記述から明らかなように、回避型の愛着スタイルを持つ子どもは、適切な愛撫で神経を鎮めてもらえないせいで、常に過覚醒状態にあります。交感神経が優位な状態がずっと続くと、さまざまな身体的不調を抱えがちです。
表面上は元気そうに振る舞っていても、過剰適応や完璧主義の生活を続けていると、身体が先に悲鳴を上げるようになります。
「感じることのない対処」
問題なのは、当人たちがそうした身体の過覚醒状態や慢性的な緊張を意識していないことです。回避型とは「感じることのない対処」であり、本当は体に強いストレスがかかっているのに、それを認識できない状態にあるのです。
これは、「失感情症」(アレキシサイミア)と呼ばれる現象です。痛みや動揺を心の奥に切り離して、表面的には何も感じていないかのように振る舞うことで、愛情に欠けた環境に対処するのが、回避型の人たちが身につけた生き抜くための戦略なのです。
回避型愛着スタイルの人たちは、つねに身体的には過緊張状態にあり負荷がかかってるのに、失感情症のせいで、それに気づくことができないため、知らないうちに心身にストレスが蓄積しやすいことでしょう。
トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にはこんな例が載せられています。
不安定-回避型愛着の生育歴をもつ子どもたち…の不調和のパターンは、大人のクライエントでもまた明らかです。
たとえば、ソファに座っているクライエントは、見るからに居心地が悪そうなのに、「どうですか?」とか「身体はどんなん風に感じていますか?」という質問に対して、笑みを作り「大丈夫です」と答えるかもしれません。
このクライエントの身体的あるいは情緒的な不快さと、本人が報告した心理的状態との間にある分離は、内的な心理的状態との間の不一致や一貫性のなさを示していますが、このことに本人はしばしばまったく気づいていません。(p67)
感情を感じない(切り離す)ことで対処する方法は、「解離」と呼ばれており、現実感のない離人症や、記憶が飛ぶ解離性健忘などの症状が出る解離性障害の患者は、回避型愛着スタイルとの関係が強いとされています。
解離が生じるとき、わたしたちの身体では、原始的な副交感神経(背側迷走神経と呼ばれる)が活性化していると言われています。
この神経系は、動物で言うところの狸寝入りや仮死状態を引き起こすためものです。つまり、自分を硬直させることで身を守ろうとする本能的な機能です。また恐怖で足がすくんだり腰が抜けたり凍りついたりするのもこの働きによります。
回避型愛着の人たちは、この背側迷走神経が強く働いているので、精神面の機能が抑制されるだけでなく、身体的な機能もまた抑制されます。
不安定-回避型愛着の生育歴をもつクライエントたちは、ストレス下で身体を引く傾向をもち、他社からの情緒的支援を裂ける傾向があります。
…すなわち、筋肉の緊張度や硬直性を通して、防衛的な動きをする方が、他者に向けて手を差し伸べたり、相手に向かって進むよりもずっと楽だ、と示しているかもしれません。(p66)
感情が麻痺して平坦になってしまうことと、身体がこわばって動きがぎこちなくなったり、息苦しく感じたりすることは、どちらも同じ背側迷走神経の作用です。
さらに、回避型愛着の人は、人との関わりを求める代わりに、読書や空想やファンタジーにこもりがちですが、それもまた背側迷走神経の作用と関わりがあります。
子どもは養育者からの応答が少なかったために社会的関わりを満足させる機会を奪われ、他社の存在に依存しない自動調節傾向を好むことを発達させます。
孤独に読書や白昼夢やファンタジーの世界を通して内面へと向かい、1人で覚醒を中和するようになるかもしれません。(p76)
要するに、回避型愛着の人には、次のようなことが起こっています。
普通の安定した親子の場合、子どもは親から世話され、抱きしめられ、優しい言葉をかけられることで、警戒心を解き、安心しリラックスできます。
ところが、回避型愛着が引き起こされるような親子関係の場合、子どもは親からほったらかしにされ、必要な世話が受けられず、いわゆるネグレクト状態にあります。
子どもは、緊張や不安を和らげるために親に頼れないので、その代わりに、自分で自分をリラックスさせる―先ほどの引用文にあった表現を使えば、「1人で覚醒を中和する」―必要に迫られます。
そのために引っ張り出してくる手段が、動物に備わっているような原始的な背側迷走神経です。
親に感情をなだめてもらう代わりに感情を切り離して麻痺させます。また親に身体を抱きしめてリラックスさせてもらう代わりに身体を自分で固めることで落ち着かせます。
そして親から優しい言葉をかけてもらい、慰められたり励まされたりすることの代わりに、読書や空想やファンタジーの世界にこもることで、親なしで感情の安定を得るようになっていくのでしょう。
こうした自分を抑制して感情を切り離したり、身体をこわばらせたりすることで身を守る対処法は、どれも「感じることのない対処」と呼ばれていました。
これは、回避型愛着とは正反対の特徴を示す不安型愛着(アンビバレント型愛着)の人に見られる、「対処することなく感じている」こととは正反対です。こちらのタイプは過剰に干渉する親を持った人に多いようです。詳しくはこちらをご覧ください。
ちなみに名前がよく似ている回避性パーソナリティ障害や、解離性障害の中でも特に複雑な解離性同一性障害(多重人格)は、回避型というより、より複雑な混乱型の愛着スタイルと関係が強いと言われています。
このタイプは、上記2つのタイプの両方を併せ持っている複合型で、いわば「感じることのない対処」と「対処することなく感じている」が同時に起こっており、より複雑な養育環境で育った人にみられます。
回避型愛着スタイルを乗り越えるには
今回読んだ 回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)には、回避型愛着スタイルとうまく付き合い、主体的な人生を送るためのアドバイスが多数載せられています。
■何かに挑戦する
たとえ成功しないとしても、J・K・
可能性を試すこと自体が、回避から一歩踏み出すことである。
社会に出ることを回避したとしても、 それはもっと大事なものに自分の可能性を賭けているという意味で 、回避ではないからだ。 それが社会のレールから脱落することであっても、
むしろ自分自身の道を見出すことになるだろう。(p168)
■モラトリアムの期間を活かす
宙ぶらりんの時期も後々役立つ可能性を秘めています。
モラトリアムの期間は、決して無駄なことばかりとはいえず、
それが必要な時期もある。大事なことは、 その期間をいかに使うかということだ。 …内面を豊かにするような作業を試みたり、
ある面では回避しつつも、 他の面では新たなチャレンジを行なうということがなされていれば 、その時間は種まきのための時間として重要な意味をもつだろう( p177)
■自分が逃げていることに気づく
カール・
回避を脱する上でカギを握るのは、
自分が問題から逃げていることに気づき、 もう逃げないと覚悟を決めることである。 立ちはだかっている課題に向かっていこうと決心することである。 (p194)
■コミットメントする
意志を固め、それを表明することが人生に向き合う助けになります。
コミットメントとは、自分の意思をはっきりと表明することだ。「
こうなりたい」「こうしたい」「このことを目標に掲げる」「 こうなることを決意する」など、自分の決心、 覚悟を明確な形で述べる。 日々の生活の中でもコミットメントし、
明確な意思決定や強い覚悟を形成することが、 その人の人生を切り開き、動かしていく。(p281)
■症状に向かい合い、逃げるのをやめる
森田療法を考案した森田正馬(まさたけ)は、不安神経症(森田神経質)
こうした心理的な操作は、エクスポージャー(暴露療法)
といって、不安や恐怖といった囚われを克服して、 回避を突破する技法の一つだ。(p202) 神経症は症状を治そうとしても治らないが、
肝心なことに集中していれば、しぜんになくなってしまうのだ( p209)
■同好の集まりを活用する
趣味を同じくする仲間との交友は社会的スキルの向上に役立ちます。
回避型の人が、豊かな人生をもつ上で、
同好の士と交歓の場をもてるかどうかが、 一つの重要な要素になるように思える。(p218)
■よい治療者との出会い
重症のうつ病患者に対して、
結局、小手先の治療技法や薬物には、それほど大きな意味はなく、その人の安全基地となることが、何よりも大きな治療効果をもたらしたということをこの事実は示しているといえるだろう。(p230)
■チャンスに積極的に答え応じる
マリー・キュリーはパリに来るように、
思いがけないチャンスが、自分の努力とは無関係に訪れることもある。そしてチャンスの大部分は、そうした形で訪れる。大事なのは、そのとき、チャンスに対して尻込みせずに、
それを積極的に活用できるかどうかである。(p268)
■マインドフルネス
一般の認知療法では、認知のゆがみを見つけます。
マインドフルネスとは、物事を価値判断するのではなく、ありのままに受け入れて、豊かな気づきを得ることである。
…マインドフルネスでは、認知療法のように、受け止め方が「偏っている」とか「正しい」とかいうことは問題にしない。
…まったく逆に、症状を受け入れ、それをコントロールすることを目指すものである。奇妙なことに、それが本当の意味で回復することにつながるのだ。(p260-262)
回避型の人たちは失感情症に陥っていてありのままの感情を実感するのが苦手ですが、マインドフルネスは心の声、体の声に耳を傾ける訓練になります。
別の本トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、自分の身体に注意を払い、麻痺していた感情に気づくことで、安心感を取り戻していく治療の具体例が載せられています。
サリーは、セラピストが近づいたときにこの同じ反応を発見しました。
サリーはこのことを「感情が麻痺する(numbing)」こと。、身体的な近さに反応して自分の身体を感じる能力がなくなることと描写しました。
これと取り組むために、セラピストは、それらが起こったときに身体的感覚および感情を何でも話してみるよう彼女を励まし、社会的関わりシステムを利用し、認知・情動・感覚運動レベルの処理をつなげていきました。(p80)
■防衛的悲観主義
この本に書かれていたことではありませんが、回避型愛着スタイルと関係が深そうな概念にアメリカの心理学者ジュリー・ノレムとナンシー・カンターらが提唱した「防衛的悲観主義」(Defensive Pessimism)というものがあります。
これは、成功に期待せず、望みも抱かず、ただ悲観的な将来を予測するものの、現実的に行動して問題に対処している人たちのことです。
ジュリー・ノレムは、ネガティブだからうまくいくの中で、防衛的悲観主義についてこう書いています。
失敗したとき、あらかじめそれを予想していたとしてもたしかに残念に思うだろう。でも、成功を期待していて裏切られるよりはましなはずだ。もし、それが最悪の事態だとしても、何を予想すべきかわかっていたに自分でコントロールできそうだと思えるからだ。
…あまり期待を持ちすぎないことが緩和剤となり、現実を受け止めるときにショックが少なくてすむのだ。
…その緩和剤が、「失敗するだろうからやめておこう」ではなく、「さう、がんばってやるだけやってみよう」という気にさせてくれる。…(いわゆる“だめもと”である)。(p46-47)
防衛的悲観主義の人は一般的な悲観主義と違って、くよくよしたり、ふさぎ込んだりはしません。そうではなく、ひたすら悪い結果を予想し、そうならないためにあの手この手を尽くす人たちのことをいいます。
意外にも、防衛的悲観主義は、長期的に見れば、同程度の不安を抱えている他の人たちよりも人生をうまく乗り切り、目標を達成していくと言われています。また、パフォーマンスもポジティブな人たちに引けを取らないことがわかっています。
回避型の人にとっては、無理をして見せかけだけポジティブ思考になろうとするより、現実を真っ向から受け入れて、防衛的悲観主義を貫ききったほうが、うまくやっていけるのかもしれません。
自分にあてはめてみて
愛着スタイルという概念があまり知られていないため、回避型愛着スタイルという概念をどれほど受け入れればよいのか判然としないところがあります。
しかしわたしについて言えば、回避型の愛着スタイルを持っていることはおそらく確かと思われます。この本に書かれていた回避型愛着スタイルの特徴は、かなり自分に当てはまると感じました。このまとめで取り上げた部分は特にそうです。
わたしの場合も、根底に愛着障害という素因があり、極度の過労というきっかけによって体調不良を発症したと、主治医は考えているようです。確かに、今のところ筋の通った説明なのかもしれません。
わたしの問題は、回避型愛着スタイルだけではないので、それを克服するための本書のアドバイスが役立つかといえば、限度があります。しかし、自分の可能性を見つけるために、これらのアドバイスを活用し、挑戦する心を保っていきたいと思います。