解離を別の反応で置き換えて意識を「今ここ」に保つための実践的ツールボックス

の記事は、身体志向のセラピーによる解離の治療について考えた以下の記事の補足ですが、単独記事としても読めるように整理してあります。

「からだの記憶」の治療法―解離や慢性トラウマのための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる「からだ」を土台として生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

この記事で扱う「解離」とは何かについて詳しくは以下の記事もどうぞ。

この記事では、さまざまなトリガーによって解離しそうになったときに、また慢性疲労や慢性疼痛などの症状が解離反応の一部として生じている場合に、他の別の方法で置き換えて解離を防ぎ、「今ここ」にとどまるためのアイデアを集めました。

スポンサーリンク

まず解離に「気づく」

いちばん始めに何よりも必要なのは、解離が起きたときにそれに気づくことです。自分が解離していることにすら気づかなければ、解離に対処するどんなスキルも使いようがありません。

ところが、心と身体をつなぐトラウマ・セラピーに書かれているように、解離している人のほとんどが、自分が解離している、ということに気づかないまま解離に陥っています。

幼少期に繰り返しトラウマを受けた人は、この世に存在しやすくするための方法としてしばしば解離を身に着けます。

彼らは常にたやすく解離し、しかもそれに気づいていません。(p160)

自分が解離していることに気づけない理由としては、まずほとんどの人は解離という概念をよく知らないことが挙げられます。

また、解離の当事者はまだ幼い時期に解離を身に着けているので、それが当たり前の反応となってしまい、普通でないことに気づけなくなる、という理由もあります。

できることなら、もっとも望ましいのは、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、外部の熟練したセラピストの助けを借りて、解離に気づかせてもらうことでしょう。

以下で引用されているのは「解離」という概念を作ったピエール・ジャネ(pierre janet)の指摘です。

100年も前にJanetは、このプロセスにおけるセラピストの存在の重要性を説きました。

「クライエントは……学ぼうとしている行動のメカニズムに親しんでいません。どのようにその要素を分解すればよいか理解していないのです。

利用しがいのある動きの要素を取り除くのも難しいでしょう。だからこそ、習慣的でない行動を行うことが難しいのです」。

カレンは、自分の動くやり方が習慣になっていて「正しい」と感じているので、…セラピストは彼女を助けて、習慣的な動きに馴染んでいることが、いかにものごとを「見えなく」するかに気づいてもらう必要があります。(p411)

解離の当事者は、習慣的に解離しているのに、それが「見えなく」なっていることが頻繁にあります。

図解臨床ガイド トラウマと解離症状の治療―EMDRを活用した新しい自我状態療法で指摘されているように、そもそも解離という反応は、自分の目から苦しみを覆い隠して見えないようにするための防衛機制です。

クライエントに解離性障害の兆候があれば、見た目にもはっきりわかるはずだと単純に信じ込んでいるセラピストは多いのですが、そうではありません。

解離とはもともと、自己や世間から秘密を守るのが目的で生じるので、表面的にはその心理的防衛機制が往々にして成功しています。(p47-48)

「自己や世間から秘密を守るのが目的」だということからわかるように、解離が起こると、よほど生活に支障をきたさない限りは、周囲の人だけでなく、自分の目からも問題点が覆い隠され、見えなくなってしまいます。

要するに、解離は無意識のうちに、いつの間にか生じている反応です。子どものころから、それが普通のことなので、自分以外のみんなも経験している「正しい」体の反応だと思いこんでいます。

しっかり意識して自己観察できるようにならなければ、いま解離が起こっている、ということにさえ、なかなか気づけません。

心と身体をつなぐトラウマ・セラピーに書かれているように、まず「解離が起こったときにそれに気づく能力」から訓練する必要があります。

解離が起こったときにそれに気づく能力を高めるため、エクササイズをもう一度やってみましょう。

エクササイズの目的は、解離が起こるのを防ぐことではなく、解離が起きたときにそれら気づくことであることを忘れないでください。

解離状態にありながら自分の周りで起きていることに気づくことは可能です。この二元的な意識を持つことは、癒しと再統合のプロセスを始めるために重要です。(p162)

以下にトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に基づいて、解離に気づくための具体的なヒントを幾つか引用しておきます。

おおまかにいうと、意識がとおのく、ぼーっとする、身体がだるくなってぐったりする、しびれる、固まる、息苦しい、現実感が薄れる、頭にもやがかかったようになる、時間が飛ぶ、などが解離の兆候です。

解離に気づくためのヒント
以下はトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際からの引用です。

■身体感覚の喪失

トラウマを受けた人は、「失感覚症」という、身体感覚を感じられない、または体感を言葉で表現できない症状に苦しむこともよくあります。

身体感覚の欠如とそれにともなう解釈(たとえば「私はどこかおかしくなっている」、「私は自分の体を感じられない」、「私は死んだみたいに感じる」など)は、感覚を感じすぎるのと同じくらい苦しいものになりえます。(p21)

すなわち、身体の多くの機能が減退し始め、「心拍数と呼吸の相対的低下」を導き、「『しびれ』の感覚、『心の中でのシャットダウン』、自己感覚からの分離をともないます」(p41)

■虚脱する

慢性的で極端な低覚醒の中では、著しく低くなった情動、姿勢や筋肉の緊張度の喪失、周囲との関わり低下をともなって、保身と引きこもりの持続的状態に入りさえします。(p78)

■意識がもうろうとなり、ボーッとする(ゾーンアウト)

子どもの頃の性的虐待に苦しむビクトリアは、引きこもり、「ボーっとして」、体と情動を感じることがではないという長年のパターンを訴えました。

ビクトリアが発達させてきた行動傾向は、彼女を低覚醒ゾーンに留めていました。すなわち、彼女は自分を「受動的」で行動をおこすことが難しいと説明し、そして「ボーッと」ソファに座って長時間を過ごしていると言いました。(p51)

初期の治療セッションでは、彼女がほとんど覚えていないことを思いおこしたとき、ぼんやりとなり「麻痺した感じがする」と、どうにか報告していました。ちょうど、暴行された後にいつもあきらめて、ぼんやりとしていたようにです。(p142)

副交感神経系が介在する服従的防衛で反応した人は、容易に低覚醒になる傾向があります。ペトラは不安に反応して、頻繁に筋肉緊張を失うことにともなっておこる「ゾーンアウト(意識がもうろうとする)」状態に陥りました。

…彼女の反応は、くり返し避けられない痛みに支配されている動物にみられるものに似ていました。…ペトラは解離感を感じながら、虐待が終わるまで無言で耐えていたのです。(p147)

リサは、何組もの養父母から受けた児童虐待のサバイバーですが、身体を感じようとすると、ボーッとして朦朧すると報告しました。(p318)

■意識がまっしろになる

クライエントは「意識が空白」になり、定位することができなくなります。とりわけ低覚醒状態ではそうなります。(p114)

■凍りついて息ができない

後に大人になって彼女は、威圧的な存在感のある男性の前では、くり返し凍りついてしまうようになりました。

…彼女は、「麻痺した」、そして「息ができない」感覚を訴えました。あたかも身体が他のことをしている間、こころとは別のことを言っているかのようでした。(p122)

セラピストは、スーの身体が固くなって、呼吸が浅くなり、身体がうしろに引けてしまうのを見逃しませんでした。彼女が言葉のうえで望んでいたものは、身体が表現していたものとは一致していませんでした。(p406)

■フリーズする

子ども時代のトラウマに慢性的に苦しんでいるクライエントは、固まる防衛に頼ることをずっと強いられてきているのです。特にトラウマを思い出させる状況においては、現在もそのような手段を使い続けています。

この固まる防衛は、さまざまな語彙で説明されています。それは、凍りつき(freezing)、擬態死(feigned death)、芯から凍りつく(deep freezing)、動物催眠(animal hypnosis)、緊張性硬直(tonic immobility)、強硬性不動(cataleptic lapse)、フクロネズミのような死んだふり(playing possum)、催眠術(mesmerism)、降伏(surrender)、服従(submission)、虚脱(collapse)、そしてぐったり動かないこと(floppy immobility)です。(p130)

■筋肉の緊張、金縛り

「凍りつき」反応によって組織化される人格部分は、筋肉の緊張と一種の金縛り状態、例えば強い不安をともなう脚と腕の筋肉の収縮などを示すことがあります。(p190)

トラウマ体験の最中および直後に起こる解離反応では、妻はとても「麻痺して」「動けない」と感じると報告しました。そして、彼女の心拍数は基準値から変化しませんでした。

…妻の「麻痺して」「凍りついた」傾向、心拍数上昇が認められないこと、および脳活性化の異なるパターンは、低覚醒反応も等しくトラウマに対する反応であることを示しています。(p217-218)

■身体が相反する反応に引っ張られる

それにより、彼女は幼い子どものときに体験した身体的な反応に気づくようになりました。

彼女は、反撃したい衝動(あごと両腕の緊張)とともに、服従の身体要素と身体から「離れていく」(麻痺、筋肉軟弱、麻痺の感覚)ときの身体要素を体験しました。

感覚の認知は、この「解離性スプリット」を統一する力になりました。「この分離は、現実のことではありません……私は同一の身体の中の2つの身体で、2つの異なったことをしているのです」とメアリーが理解したように。(p374)

■何も考えられずロボット化する

この状態の別の例は「ロボット化(robotization)」と説明されています。ナチスの死の収容所の生存者が述べたように、質問や考えはなしで、加害者の要求に対して機械的に行動し、自動的に従うという特徴のある状態です。(p135)

■日常を送る表面的な自分と感情的な自分との分離

防衛行動システムが他の行動システムと統合されないままだと、ある種の二相性の解離パターンが激化します。

…日常生活に従事することとトラウマを再体験することの区画化について、近親姦のサバイバーの手記の抜粋に、以下のように記述されています。

もう1人の私とは誰だったのか? 私という1つの人格は、2つに分かれていたが、「私」が大部分を占めていた。学校へ行き、友達を作り、さまざまな体験を経て[日常生活での行動システムに従事し]、「私」の側の人格を発達させていた。

もう一方の人格[防衛行動システムに従事している]は、道徳的、情緒的に子どものまま取り残され、知性的というよりも本能のままの機能をもっていた。

この人格は私が創造した生き物のようになり、「私」は自分がやりたくないことを「彼女」に押しつけた。(p187-189)

■生きているふりをしているゾンビのようになる

メアリーには緊張し硬直することを通して自分を安定化させる傾向があり、脚によってよく支えられた統合した身体からはほど遠いものでした。

彼女はまるで「生きているふりをしている」(going through the motions of living)ような感覚に困っていると言いました。(p310)

■霧の中にいる感じ

ビクトリアが子どもの頃の性的虐待についての話を始めたとき、セラピストの顔や声を意識しなくなり、社会的関わりシステムは機能不全になりました。…結局、彼女はまだ麻痺的で「霧」の中にいるような感じでした。(p367)

以下に身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアからも引用します。

■焦点が合わないうつろな目

シャットダウン状態に陥る人は(横隔膜が落ちこんだように)前かがみになることが多く、目は一点を見つめるかぼんやりしており、著しい呼吸の減少、心拍の突然の減弱、瞳孔収縮が認められる。

また皮膚は青く病的な白さになり、ときには灰色に見えることもある。(p126)

■浅い呼吸

非常に浅い(知覚不能なほどの)呼吸は、不動状態、シャットダウン、解離を示すことが多い。…無理して深呼吸すると、実際には神経系の不均衡が増し、せいぜい一時的な安堵感しか得られないことが多い。(p173)

■死んだような無気力・無感覚

こり奇跡的な生還劇の後の数週間、彼女は黄色い濃い霧に覆われて、ずっと無気力無感覚状態にあった。シャロンは日中、何に対しても無関心で、生きるのに必要な行為をただこなしているだけだった。

そこには情熱や目的や喜びなどはまったく存在しなかった。ほんの一週間前まで大好きだったクラシック音楽も、今となってはもはや何の興味も湧かなくなってしまった。(p205)

これは解離の影響である。シャロンはまるで他人に起きた出来事を説明しているようだった。

彼女は自分のからだの外側にいて自分を観察していて、彼女自身はそこにはいないかのようだった。

彼女は解離の原因となったショックの瞬間に未だとどまっていた。しかし解離のおかげで、想像を絶するような恐怖と戦慄から免れることができたのだった。

ハリウッドのヒッチコック映画で描かれるようなトラウマでは、トラウマを受けた人はフラッシュバックに翻弄されるものである。

しかし実生活においては、シャットダウンによる無感覚状態の方がより深刻であり、またそれが重篤なもしくは慢性的なトラウマに見られる性質である。

こうした人々は「歩く屍」のようになってしまうのである。(p206)

解離は「病気」ではなく「適応」であることを理解する

次に、「解離」とは何なのか正しく理解することが大切です。そのカギになるのは、神経生物学のポリヴェーガル理論の研究です。

解離の当事者は自尊心が弱く、自分の身体の反応を「弱さ」とみなしてしまいがちです。

たとえば、ストレスがかかると、すぐに凍りついたり、頭がまっしろになったりしてしまうかもしれません。ひどいことをされても逃げたり闘ったりできず、言いなりになってしまい、自己主張できないかもしれません。

そうした傾向を、解離の当事者は、しばしば、自分の性格上の弱さだと誤認しています。トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には次のように書かれています。

メアリーはときどきパニックと覚醒亢進を体験し、虐待を「許した」ことを自己批判しながらくり返し話しました。

「なぜ、あいつの前で服を着替えたりしたの? なぜ、何がおこっているか母に話さなかったの?」。

メアリーはさらに、虐待において身を守ることができなかったということに関して自分自身を責め、自分の解離と凍りつきを個人的な弱さと解釈しました。これはトラウマ・サバイバーの一般的な反応です。(p340)

やはり似たような例が、ポリヴェーガル理論を提唱した神経科学者スティーヴン・ポージェスによる、ポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」にも出てきます。

60代後半のある女性から、自分の体験を記したメールをもらいました。その女性が10代の頃、ある人物によって首を絞められ、レイプされたということです。

何年も経った後、この方は自分の娘さんにこのことを話しました。ところが、娘さんは「お母さんは、どうして抵抗しなかったの? どうして何かしようとしなかったの?」と言ったそうです。

女性は困惑し、恥じ入りました。(p175-176)

こうした人たちは、虐待されたり、暴力をふるわれたりしたとき、自分が凍りつき、解離してしまったことを、心の弱さのしるしだとみなしました。

その後の人生でもやはり、繰り返し凍りつきや解離が起こったでしょうが、それは自分の弱さゆえの「性格」だとみなしました。とりわけ、解離や凍りつきという概念について知る前はそうでしょう。わたしもそうでした。

しかし、ポリヴェーガル理論が明らかにしたところによると、解離とは、生物学的な凍りつき/擬態死(不動)という防衛反応であり、命の危険が生じたときに自動的に生じるものです。

医療の世界では、トラウマ・サヴァイヴァーの症状に対して、例えば失神などの反応が起きると、心理学的な問題だと捉えます。しかしこれは実は生理学的な反射なのです。(p209)

私たちは、身体的反応は反射的であり、自分の意思でコントロールできないということを忘れています。

命を奪うような脅威への反応として起きる不動は、他の哺乳類とも共通する一般的な「反射的」反応です。

今の社会は、反撃したりうまく立ち回ることができなかった人々を、まるでどこか悪いところがあるかのように扱います。

しかしポリヴェーガル理論に基づく社会では、その代わりに、こう言われるでしょう。

「これは、そのときのあなたがとることができた、神経生物学的に最善の適応的反応だった。あなたの身体があなたのために反応してくれて幸いだった。もし抵抗していたら、死んでいたかもしれない」。

これが、私たちの反応の原理であり、自分の体験を物語るにあたっては、この解釈をもとに行っていく必要があるのです。(p176)

虐待や暴力などにさらされたとき、凍りいて解離してしまうことは、生理的な反射です。その後の人生で、同じ反応を繰り返してしまうのもまた、やはり生物学的な条件反射です。それは性格上の欠点ではなく、ましてや弱さの現れではありません。

もしあなたが、ストレスのもとで習慣的に凍りついたり、頭が真っ白になったり、固まったりしてしまうとしたら、それはあなたが子ども時代に、「命を奪うような脅威」を生き抜いてきた生存者であることを意味しています。

他の人たちのようにストレスに対して積極的に抵抗できないのは、他の人たちが経験したことがないほどの逆境、抵抗しても決して逃れられないほどの命の危険を過去に経験していて、抵抗する代わりに、解離したり凍りついたりして対処するよう身体が学習してしまったからです。

これは、虐待や犯罪のような悪意ある被害を受けた人に限らず、無力な子ども時代に医療や災害、事故などのトラウマにさらされた人に共通する反応です。

ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか
17000人以上のデータから子ども時代の逆境体験と成人後の体調不良の関連性を導き出した画期的なACE研究の取り組みをもとに、幼少期の経験がわたしたちの一生にわたり、心身の健康にどん

こうして神経生物学的な観点から、「解離」という現象を考えると、それは弱さの現れや欠点、さらには病気や障害などではなく、危機的状況に対する生物的な「適応」であることがわかります。

例えば、トラウマ・サヴァイヴァーたちは、解離していたり、シャットダウンしていたりします。こうした反応は、トラウマ的な出来事の最中には適応的でした。

しかし、社会的な文脈では、不適応であると見なされます。(p252)

多くのトラウマ・サヴァイヴァーは、暗黙の裡に、彼らの身体が何かとても悪いことをしたと感じています。

ですから、トラウマ・サヴァイヴァーたちに、彼らの身体がとった反応戦略は、彼らの命を救ったのだということを理解してもらう必要があるのです。

トラウマを被ったとき、彼らの身体は、不動状態に陥り、解離を引き起こしました。反撃したりせず、このように反応したおかげで、肉体的な傷や辛い苦しみを最小限にとどめることができたのです。

この場合、「不動」は非常に適応的です。こうすれば加害者のさらなる攻撃を誘発しなくて済むのです。(p175)

解離の当事者は、自分の凍りつき傾向を弱さだと解釈しがちですが、実はまったく正反対のものなのだ、という認識に改める必要があります。

解離という能力のおかげで、他の人たちは決して経験したことがないような恐ろしい人生を、自分は生き抜いてこれたのだ、という見方です。

世の中の他の大勢の人たちが、凍りついたり麻痺したりせずにのびのびと自己主張でき、ストレスとなる状況下でも積極的に抵抗できるのは、心が強いからではなく、極限状況にさらされたことがない普通の人生を送ってこれたからなのだと。

すぐに解離し、凍りついてしまうという傾向は、言ってみれば、恐ろしい戦場を生き延びた英雄だけが持っている生々しい傷痕のようなものなのです。

私はセラピストたちに、身体がなんとか生き残れるように働いてくれたことはすばらしいことなのだとクライアントに話すように勧めています。

クライアントは生き残ることが大事だったと理解する必要があります。クライアントは世にも恐ろしい体験を耐え抜いたのです。ですから、自分自身を勇者として扱う必要があるのです。

…あるクライアントは、こんなふうに言いました。

「これを理解できたとき、私自身についてのナラティブが変わりました。

もう自分の身体が社交的に反応できないことを貶めるのはやめました。

自分の身体が自分のためにしてくれたことを理解したことで気分がよくなり、急にあらゆるものが好転し始めました」。(p148)

先ほどの60歳の女性も、娘から、「お母さんは、どうして抵抗しなかったの? どうして何かしようとしなかったの?」と言われたとき恥じ入りましたが、のちにポリヴェーガル理論の神経生物学的な理解を得て、自分への見方が変化しました。

しかし彼女は、ポリヴェーガル理論を読み、「自分は正しかったのだ」と得心したのです。そのメールには、「私は今、泣いています」と記されていました。

…ここで大切なのは、その女性を不動状態にした身体的反応は「身を守るためだったのだ」と女性が納得したことです。

女性は、これからは、そのときの自分の身体的反応を心の底から誇らしく思うことでしょう。女性の身体反応は勇敢であり、彼女は力ない餌食ではなかったのです。(p176)

その女性が、レイプされたとき解離してしまったのは、命を守るための最善の方法でした。もし抵抗していたら殺されていたかもしれません。解離は弱さの現れではなく、生き延びるための手段だったのです。

その女性の娘は、幸いにも、そんな危機を経験をしたことはありませんでした。だから母親の身に起きた生理的反応を理解できませんでした。解離という生物学的反応は、おぞましい逆境を勇敢に生き抜いた人にだけ残る傷痕だからです。

解離が学べる絵本「私の中のすべての色たち」―逆境を生き抜く勇敢で創造的な子どもたち
解離につい学べる絵本「私の中のすべての色たち」から、解離した子どもたちが勇敢で強いといえるのはなぜか、解離と創造性はどうつながっているのか考えました。

もちろん、見方を変えたところで、いま悩まされている解離症状が楽になるわけではありません。これからもすぐに凍りついたり、麻痺したりする後遺症には対処していかねばなりません。

それでも、それを自分の弱さによる反応だと思いこんでいるか、逆境を生き延びたことによる生物学的な後遺症だと考えているかは、治療の成果に大きな違いをもたらします。

もし自分が弱いダメな人間だと思い込んでいれば、セラピーはなかなか成功しないでしょう。しかし、自分は過去におぞましい逆境を生き延びることができた勇気ある人間だという自尊心を持っていれば、今回の試練もまた乗り越えられるに違いないと確信できます。

4つのストレス反応が順番に生じる

本文で繰り返し説明したように、ポリヴェーガル理論によれば、解離は無秩序に生じているわけではなく、生物学的なメカニズムで生じています。

まず、外部からの刺激によって過緊張状態になり、超限界段階を突破したところで、反転して低覚醒の解離状態に陥ります。

本文で引用したとおり、奇跡の生還を科学する 恐怖に負けない脳とこころにはこう書かれていました。

生理的な覚醒が高まっていくと、ある点まではパフォーマンスも上昇します。

その点をこえてもなお覚醒度が高まれば、パフォーマンスは急激に低下するので、これをわれわれは「カタストロフ」とよんでいるわけです。

なだらかに、少しずつ低下するんじゃない。がくんと落ちるんです。(p149)

まず環境からの刺激というトリガーがあり、それにからだが反応して過覚醒状態になり、限界に到達すると、感覚がシャットダウンし崩壊する解離が生じます。

このプロセスは、本文で紹介した、哺乳類に普遍的に備わる4つのストレス反応にそって生じています。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアはこう述べています。

キャノンの発見から75年以上も動物行動学および生理学の研究が進展した現在、闘争か逃走反応は、「一つのAと四つのF」という頭文字にまとめられる。

すなわち停止(Arrest:注意の増加、状況の精査)、逃走(Flight:まず逃げようとする試み)、闘争(Fight:動物や人間の逃走が阻害された場合)、凍りつき(Freeze:恐怖―怯えによるこわばり)、そして破綻(Fold:無力感による虚脱状態)。(p60)

解離という反応は、いきなり、前触れも脈略もなく生じることはありません。どんな場合でも、この4つのストレス反応の連鎖の最後に生じています。

トリガーとなる刺激に注意を向ける
    ↓
(1)逃走(まずストレスから逃げようとして交感神経系が緊張する)
    ↓
(2)闘争(逃げられない場合、闘おうとして我を忘れる)
    ↓
(3)凍りつき(闘っても勝ち目がないと不動系が起動して身体を凍りつかせる)
    ↓
(4)破綻(まったく逃げ場がなくどうしようもないときエネルギーがシャットダウンされて虚脱する。擬態死、死んだふり、麻痺などとも呼ばれる。)

というステップで解離は生じます。このうち、(3)や(4)の段階が解離です。

この反応が慢性化してしまった人の場合、目まぐるしい速度で(3)や(4)に到達してしまうので気づきにくいですが、いきなり(3)や(4)に飛んでいるわけではなく、必ず前兆となる予備動作(プリムーブメント)があります。

よく観察すれば、必ず解離に先立って、何かのトリガーや前兆があり、一連のストレス反応がなだれのごとく引き起こされていることに気づきます。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、そうした気づきについて、こう書かれていました。

セラピーにおいて、クライエントは、調節不全の覚醒状態に先立つ不快な感覚を「あ、きたな」と認識するよう学びます。

麻痺させたり、行動化したり、避けたりするのではありません。覚醒亢進や覚醒低下の身体的な前兆を早期に見極めることを学びます。(p304)

この「あっ、きたな」という前兆に気づけるようになれば、続いて起こる解離反応を食い止めることが可能になります。

そのために役立つのが、この記事で紹介する、解離に対処するためのツールボックスです。

慢性疲労や慢性疼痛の場合

トラウマサバイバーが抱えることの多い、慢性疼痛や慢性疲労といった身体症状も、先ほどの一連の流れのうち、(3)の凍りつきや(4)の破綻と関係しています。

(3)の凍りつき状態の筋肉のこわばりが慢性的に続くと慢性疼痛(線維筋痛症)になりますし、さらに(4)の死んだような状態が長く続けば慢性疲労になります。

通常は伸びる筋肉は縮む筋肉と相互に動くものである。しかしながら、トラウマ的状態では主働筋と拮抗筋が互いに相反する動きをしてしまい、凍りつき(不動状態)を生じさせるのである。

これによってからだのほとんどの部分において衰弱症状に発展する可能性がある。(p236)

首や肩、背中の貼りは時間の経過とともに線維筋痛症に進行する可能性が高い。…こうした状態は苦しんでいる人のエネルギーを枯渇させてしまい、慢性疲労症候群という形に進行する可能性もある。(p219)

要するに、(1)逃走(2)闘争という過緊張状態が生じたのに、どちらも成功せず、ストレス源から逃れられないとき、この二つの相反するエネルギーが身動き取れないまま(3)凍りつきに閉じ込められたのが慢性疼痛、さらに(4)の破綻という衰弱に陥ったのが慢性疲労ということになります。

慢性疼痛や慢性疲労に陥っている人の場合、症状は常に固定していて、いつも変わらないように思えるかもしれません。

しかし、慢性疼痛や慢性疲労は、先ほど説明したとおり、「凍りつき」や「擬態死」反応が慢性化したものです。マインドフルネスでしっかり自分の身体を観察すれば、まったく変化しない症状ではないことに気づくはずです。

日経サイエンス2015年01月号 のマインドフルネスの特集では、マインドフルネスが線維筋痛症などの慢性疼痛に効果がある理由についてこう書かれていました。

身体のうち痛みが生じている特定部位に注意を意図的に振り向けると、それらの部位の感覚がかすかに揺らぐのに気づいて、常に変わらない“一枚岩”だと思われていた慢性の痛みが絶えず変動する感覚に瓦解するかもしれない。(p49)

慢性疲労や慢性疼痛に悩んでいる人は、その症状は「一枚岩」だと感じています。常に慢性的に生じていて揺るがぬものであると認知しています。

しかし、マインドフルネスで「からだの声」をモニタリングできるようになると、じつは「感覚がかすかに揺らぐ」ことに気づき、「常に変わらない“一枚岩”だと思われていた慢性の痛みが絶えず変動する感覚に瓦解」します。

たとえば、自分をしっかりモニタリングしていれば、何かのきっかけで、痛みや疲労が増強することがわかるかもしれません。たとえば、次のようなシチュエーションです。

ある刺激がきっかけで、からだが緊張して交感神経が高ぶる。ついで凍りつき、思考が飛んで何も考えられなくなり崩壊する。

ぼーとして、意識が「今ここ」から切り離されて、頭が空っぽになったり、空想の世界に入り込んだりする。

感情が麻痺して失感情症になる。また頭に霧がかかったように思考が麻痺する。(慢性疲労症候群のブレインフォグや、線維筋痛症のファイブロフォグ症状)

このとき「解離」(凍りつき反応・破綻反応)が悪化して、症状が増強しています。この場合も、以下のツ―ルボックスのスキルを使って解離を防ぐことで、症状の悪化を食い止められるようになります。

症状が少しでも変動していて「一枚岩」ではないということは、辛抱強く対処していけば、しだいに慢性的な凍りつきや擬態死が解けていく可能性があることを意味しています。

解離を別の反応で置き換えるためのツールボックス

解離は必ず、トリガーとなる刺激→「逃走反応」→「闘争反応」→「凍りつき反応」→「破綻反応」 の順番で連鎖して、最期の手段として起こるものなので、連鎖の途中を別のものに置き換えることができれば食い止めることができます。

本文のほうでは、A→B→C→D→E(解離) のようなパターンがからだに染み込んでしまっているのに気づいたら、連鎖的に条件反射してしまう反応を一次保留するスキルをマインドフルネスによって身につけることが大事だと書きました。

なだれのような条件反射を一次保留して、E(解離)が今まさに生じようとしていることに気づけるようになったら、たとえばA→B→C→D→Fのようにして、E(解離)をF(別の反応)で置き換えることで、症状をコントロールできるようになっていきます。

先ほどのトラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の文脈の続きにはこう書かれていました。

セラピーにおいて、クライエントは、調節不全の覚醒状態に先立つ不快な感覚を「あ、きたな」と認識するよう学びます。

…緊張や寒気、重さ、しびれや、ぞくぞくするなどの身体内部の感覚をキャッチし、どのように見極めるかを学び、クライエントはトラウマ的な覚醒状態の前兆を認識し、代替的な対処戦略を計画できるようになります。(p304)

解離に先立って起こるトリガーや前兆に気づくことがてきるようになれば、続く反応を一時保留して、「代替的な対処戦略」に置き換えることができるとされています。

トラウマをヨーガで克服するはヴァン・デア・コークらによって開発されたトラウマ・センシティブ・ヨーガについての本ですが、解離に対処するとは、すなわち別のツールで置き換えることだ、という点が次のように表現されていました。

ヨーガ・クラスでは解離が頻繁に起こることを覚えておこう。〈引き金〉は引かれる。それは避けることができない。(p184)

サバイバーは〈解離〉によって(体ベースの介入を試すことのような)手ごわい状況に対応することがあるということをわれわれは知っている。

解離はこれまでもクライアントの多くにとって効果的な〈対応スキル〉であったし、これからもそれは彼らの〈目的〉にかなうものであり続けるだろう。

われわれは、恒常的な解離は人を衰弱させて危険だということも知っている。

〈引き金〉に取り組んで、それを安全で効果的な状態に行き着かせることのできる何か別のツール(たとえばグラウンディングのスキルや感情調整の戦略など)を、われわれはヨーガと一緒に提供しようではないか。(p174)

トラウマを負った人たちは、苦しい状況に直面すると、無意識のうちに解離によってその苦痛をやり過ごすことに慣れているので、その代わりとなる「何か別のツール」で置き換えることが必要なのです。

以下に列挙するのは、その「代替的な対処戦略」ないしは「何か別のツール」として使えるさまざまなアイデアです。

注意する点として、これらはすべて身体志向の実践的ツールです。ことばで読んで、頭で理解するだけではまったく無意味です。

本や教科書で読んで知る知識のような陳述記憶ではなく、からだに染み込ませて覚える楽器の弾き方のように手続き記憶として身につけるためのものです。

それぞれ具体的にからだを使って実践する方法の例を含めているので、さまざまな場面で全身を使ってしっかり実践して、それによってからだの反応や感情がどう変化するか観察して、習得していくようにお勧めします。

美味しいスイーツについて本で読んだり、写真で見たりするだけで満足する人がいるでしょうか。ほんものを食べて味わってみなければ、からだで感じることはできません。解離の当事者に必要なのはまさにそのような、からだで味わう経験です。

また、以下のツールボックスのテクニックについては、トラウマをヨーガで克服するに書かれている次の説明のように、人それぞれ効果が異なることに注意してください。

ここで留意してほしいのは、ある人にとっては沈静化させるものでも、他の人にとっては非常に気を動転させものかもしれないということである。

…どのエクササイズをするときもフィードバックをし、効果を確かなものにするために、自分自身で、ベストと思われる判断をしていただきたい。(P159)

一人ひとり経験や感覚系が異なるので、効果は変わります。たとえばある人にとってはリラックスできる姿勢でも、別の人にとっては虐待を思い出させる危険な姿勢かもしれません。

どのエクササイズを試す場合でも、自分の身体とじっくり向き合う「実験」だとみなして、自分の身体がそれぞれの行動に対してどう反応するか観察し、一番適したやり方へと柔軟に組み替えていってください。

これらのやり方をそれぞれ試してみよう。あることをやってみて、それがうまくいかなかったら別のことをしてみる。実験する時間をとるのである。(P158)

1.仕組みを知る

まず、連鎖反応の仕組みを知りましょう。

生物のストレス反応は、「トリガーとなる刺激」→「逃走反応」→「闘争反応」→「凍りつき反応」→「破綻反応」の順番で連鎖して起こると書きましたが、このとき生じているのは自律神経系の変動です。

以前の記事で詳しく説明したように、イリノイ大学シカゴ校精神医学教授およびブレイン・ボディ・センター長であるスティーヴン・ポージズのポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)によると、自律神経系は3種類のシステムからなっています。

だから君は慢性疲労に閉じ込められた―生きるエネルギーを枯渇させる解離そして不動状態
解離と慢性疲労は深く関係していて、不動系という生物学的メカニズムによって引き起こされているという点を、不登校や小児慢性疲労症候群の研究と比較しながら分析してみました。

ストレスを感じたとき、人はまず愛着や社会交流をつかさどる副交感神経系によってリラックスしようとします。

それが無理だと、手足を動かして逃走・闘争で対処する交感神経系が働きます。

それでもどうにもならないと不動系(原始的な副交感神経)が稼働して、からだを凍りつき・シャットダウンさせます。

慢性疲労や慢性疼痛は、最後の不動系による凍りつきやシャットダウンが起動している状態です。つまり、それより前の段階、副交感神経系のリラックス反応や交感神経系の闘争/逃走反応で置き換えれば、症状をいくらか防げるということになります。

2.無理やり抑圧しようとしない

本文で詳しく扱ったように、解離の不動状態に陥る人は、自己抑制が強すぎる人たちです。

たとえばそれは、ポリヴェーガル理論の提唱者である科学者スティーヴン・ポージェスがポリヴェーガル理論入門: 心身に変革をおこす「安全」と「絆」の中で述べている次のような傾向の強い人たちです。

現代社会では、身体感覚についての重要性は無視され、軽視されてきました。自分の行動を管理する戦略として、私たちは身体が伝えてくるフィードバックを無視するように教えられてきました。

…本当は立ち上がって動きたくても、長時間じっと座ったままでいるよう自分に言い聞かせます。トイレに行きたいという衝動を感じても、我慢します。お腹がすいても、食べるのを我慢します。

これらの衝動や感情を抑制しているとき、私たちは生理学的過程を制御しているフィードバックループの感覚の部分スイッチを切っているか、少なくとも抑制しようと試みていることになります。(p136)

現代社会では、生理的な感覚を抑制することが重視されます。じっと座っていなさい、授業中はあくびやくしゃみをしてはいけません。トイレに行くのを我慢しなさい。弱音をはいてはいけません。悲しくても泣いてはいけません、などなど。

解離の当事者は、特にこうした抑制が強すぎるストイックな傾向があり、不快感や痛みを感じても、弱音を吐かず辛抱し、忍耐して、「いい子」を演じて、ひたすら耐え続けようとしてきた人たちです。

そのうち、感覚が麻痺して、「スイッチを切って」しまうので、自分が無理をしていることにすら気づかなくなります。

身体の緊張を無視して大舞台に立ち続けるプロの選手がなるのがイップスであり、身体のアラームを無視して運動を続けた人がなるのがオーバートレーニング症候群であり、初期の自律神経症状が出ているのに我慢して登校しつづける子どもがなるのが不登校の慢性疲労状態であり、自分の意思を押し殺し続けた人が解離性障害になります。

からだがトリガーに反応しているのに無理やり抑制してコントロールしようとした結果が、交感神経系の超限界段階とそれに続くシャットダウンなので、強い意志力でからだの反応を抑えつけようとすればするほど、症状は悪化します。

反応を抑えつけるのではなく、別の反応に置き換える、それも身体が楽に感じる反応に置き換えるということをいつも意識しておきます。

トラウマをヨーガで克服するで書かれているように、無理をして自分の意思を抑制している、あるいは身体に無理をさせているような感覚を少しでも感じたら、身体が楽なほうを選ぶようにします。

これは、エクササイズの中のどの時点でも、ぜひやってほしい〈選択のプラクティス〉である。

もし今やっていることに何らかの苦痛があったり、自分を傷つけているような感じがあれば、それをやめるという選択をする。

やっていることを、それ以上自分を苦しめないように変化させるのである。

たとえば、〈首回し〉をやっていて首が痛いと思ったら、動きを小さくするなり完全にやめるなりして、「自分を苦しめることをやめる」という選択をする。

このプラクティスで、あなたは〈自分自身を傷つけることをやめる選択をしている〉ということが分かる。

これは非常に力のあるプラクティスで、いつでも行なうことができるものだ。

あなたがこの時〈苦痛から自分自身を守る〉確約をしたことを、あなたの体はこれからも忘れないだろう。(p164)

解離の当事者は、セラピーに対してさえ、無意識にストイックに取り組んでしまう傾向があるので、痛みや辛さが生じたら、無理をして抑制するのではなく、必ず身体の感覚を優先して安心感を確保する、という方針を肝に銘じておくのは大切です。

3.愛着システムを活性化させる

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にあるとおり、一番望ましいのは副交感神経系の愛着システムを刺激してリラックスすることです。

私たち人間が苦悩を軽減する最も自然な方法は、触れられて、ハグされて、体を優しく揺り動かされることだ。これは過覚醒の鎮静に効果をもたらす。

そして、自分は損なわれておらず、安全で、守られていて、主導権を握っているという気持ちにさせてくれる。(p352)

解離しそうになっている自分に気づいたら、信頼のおける人と会話する、心から笑う、愛する人と触れ合う、安心できる場所をイメージするなどして、副交感神経を活性化させることができます。

問題なのは、解離する人は、根底に愛着障害などがあるせいで、この副交感神経の機能が弱すぎて不動系に乗っ取られやすいことです。じっくり強化していく辛抱強さが必要です。

いつも頑張っていないと自分には価値がないと感じてしまう人へ―原因は「完璧主義」「まじめさ」ではない
全力を尽くしていないと自分には価値が無いと思ってしまう。休んだり、遊んだりすることに罪悪感を抱いてしまう。そのように感じてしまう人は、自分の限界を超えてやりすぎてしまいます。その原

解離の舞台―症状構造と治療に書かれているように、安全な場所のイメージをしっかり形成しておくことは解離しそうになったときの対応に効果的です。

治療の初期に、患者に完全に安心できて安全な場所を想像してもらい、それを視覚化してもらう。こちらがイメージを先行させるのではなく、あくまで患者個人がそういったイメージを作り出すように促す。

よくあるのは、美しい森の空き地、陽の当たる庭や砂浜、海、安全な部屋などである。

こういった場所のイメージは、患者や交代人格が症状に圧倒されそうになったときに、そこに逃げ込む緊急避難場所として有効である。そこには安全のため鍵をかけることもできる。(p244)

4.呼吸を整えて声を出す

愛着システムとつながっている副交感神経系は、人とコミュニケーションすることでリラックスするシステムです。つまり顔の表情やのどの筋肉、呼吸といったからだの機能とつながっています。

不動系もまた原始的な副交感神経ですが、不動系が優勢になるとのどが締め付けられて声が出にくくなったり、呼吸系が圧迫されて息苦しくなったりします。

つまり、声や呼吸といった機能は、副交感神経のリラックス反応と、不動系(原始的な副交感神経)の凍りつき反応の影響がせめぎあい、競合している場所だということになります。

不動系により解離しそうになったときは、はっきり大きな声を出して歌ったり、声を出して笑ったり、ゆっくり深呼吸したり、マインドフルネスを実践したりすることで、副交感神経系を強化し、不動系を抑制することができます。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアでは、「ヴー」という声を出しながら息を吐くことが解離を解除するのに有効だとされています。

この音は内臓を開き、広げて振動させ、シャットダウンまたは過剰に刺激された神経系に新たな信号を送る働きをする。

やり方はきわめて簡単である。「ヴー……」(「ユー」というときの「ウー」のような軽い「ウ」)という音を長く伸ばし、息を履ききるまで、お腹に感じる振動に集中する。

「ヴー」の音をクライアントに初めて出させる際、私はよく、霧深い入り江に鳴り響く、霧笛を想像するように促す。船長たちに陸が誓いことを知らせ、安全に故郷に導くための音である。(p150)

ヴーという音を出す時には、息を完全に吐ききるまで、そっと響かせ続けます。そして吐ききったら、無理に息を吸おうとするのではなく、息が自然と入ってくるに任せます。

頭が真っ白になったりブレインフォグにのっとられそうになったときに試してみれば、効果を実感できると思います。

ただし、トラウマ患者の場合、呼吸に注意を向けることにはリスクもあります。一つ前の愛着システムの話と同様、呼吸を整えてリラックスできるようになるのは、最初はかなり困難だと思われます。

トラウマ当事者が呼吸に注意を向けることのリスクについてはこの記事の最後の方で考えます。

5.レム睡眠を確保する

近年の研究では、そもそもトラウマの原因は睡眠障害にあることが多いと考えられています。睡眠不足、睡眠時無呼吸などでレム睡眠が妨げられると、本来レム睡眠中に処理する恐怖記憶が処理されずトラウマ記憶として残ってしまいます。

また睡眠不足の状態では、交感神経系が優勢になり、「逃走・闘争」反応に陥りやすくなります。それはつまりその次の段階の解離にも至りやすくなるということです。

トラウマの過覚醒と関連している睡眠障害には、一般に知られている睡眠薬よりもカタプレス、ミニプレス、インデラルのような降圧剤が効果があると言われています。

このタイプの薬は交感神経の過緊張を抑制するので、トリガーに過敏に反応してしまうような場合にも補助的に役立ちます。詳しくは以下の記事で書きました。

発達障害やトラウマの過敏性,不眠,凍りつきなどに降圧薬(インデラルやカタプレス)が効くのはなぜなのか
プロプラノロール(インデラル)、クロニジン(カタプレス)、プラゾシン(ミニプレス)などの交感神経遮断薬の作用について調べてみました。

6.「安心の島」に意識を向ける

本文で見たように、一連のトラウマ反応は「からだの記憶」です。具体的に言えば、からだの一部分で、過緊張や虚脱などのトラウマ反応が繰り返されてしまうことにより症状が起こります。

トラウマはからだと結びついているので、「からだの記憶」の影響が弱い部位に注目したり、特定の姿勢をとったりすることが、リラックスに役立つことがあります。

人によってもともとのトラウマ経験やトリガーとなる刺激は違うので、からだのどの部分にトラウマがしまいこまれ、またどの部分が安全かは異なっていて、自分で見つける必要があります。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこう書かれていました。

私たちはまず、体の中に「安心の島」を確立する。

これは患者を助けて、身動きがとれなかったり、恐れおののいたり、激怒したりしたと感じたときにはいつも地に足の着いた心持ちになれるような、体の部位や姿勢、動きを突き止めてもらうことを意味する。

こうした体の部位は通常、パニックのメッセージを胸部や腹部や喉に伝える迷走神経が分布していない場所にあり、トラウマを統合する際に味方になってもらえる。(p402)

安心の島は、パニックを伝える迷走神経、すなわち不動系が関与していない部分にあることが多いようです。

先に見たとおり、ポリヴェーガル理論によれば、不動系(背側迷走神経)は内臓をつかさどり、交感神経系は手足を、副交感神経系(腹側迷走神経)は顔や社会コミュニケーションとつながっています。

これは、不動系は手足を持たない魚にも備わる原始的システムであり、交感神経系は手足のある両生類や爬虫類など以降に備わり、副交感神経系は哺乳類など社会交流システムのある種に備わっているものだからだとされていました。

生物界で最も新しい人間はこれらすべてを兼ね備えていますが、やはり不動系は内臓、交感神経系は手足、副交感神経系は社会的交流システムを担当しています。

不動系による解離に陥る人は、内臓からのSOSに支配されていて、さまざまな内臓の不快感(胃腸の痛みや息苦しさなど)に頭がいっぱいになり、パニックやシャットダウンを起こします。

それで、安心の島となる場所は、「パニックのメッセージを胸部や腹部や喉に伝える迷走神経が分布していない場所に」あることになります。

内臓のさまざまな不快感、たとえば胃腸の締め付けや息苦しさ、のどが締まる感じにとらわれたら、たとえば手足などの「安心の島」に注意を向けることで落ち着きを取り戻すことができます。

たとえば私は患者に、手は何ともないように感じられますかと尋ねる。はいという答えがあれば、手を動かしてその軽さと暖かさとしなやかさを探ってくださいと言う。

そのあとで、患者が胸を締めつけられて息も絶え絶えになっているのに気づいたら、患者を制止して、手に意識を集中し、手を動かしてくださいと言う。

そうすると、自分がトラウマから切り離されていると感じることができる。(p403)

全身にさまざまなトラウマを抱えすぎていて、身体的な「安心の島」を見つけるのが難しい人の場合、心の中に「安心できる場所」のイメージを作り出す必要があるかもしれません。

講座 子ども虐待への新たなケア (ヒューマンケアブックス)の中で、杉山登志郎先生はこう書いていました。

まず「安全な場所」のワークができないと、トラウマ処理はできない。ところが多重人格をつくるまでに重い解離を伴う症例は、そもそもこの安全な場所のイメージの生成がきわめて困難であることが多い。

安全なイメージをつくれない場合には、安心感がある体の部分を取り出し、そこに架空の家を置くということが推奨されているが、これまた満身創痍で困難な例が多い。

たとえば、背中には刃物の切り傷が……、足はバットで殴られ骨折……腹は蹴られて流産……、という具合で、安心感のある場所を探すことすら困難という場合もある。

このような場合には、比較的安定した時代に大事にしていた「熊のぬいぐるみに自分がすっぽり入っている」というイメージ、夫が葬儀屋なので「棺桶の中に入って外からは誰も入って来ない」というイメージ、近所の占い師に尋ねたところ、妹が稲荷のキツネに生まれ変わっているとお告げを受けたので、稲荷の鳥居と数匹のキツネをとっさに描き、「稲荷の結界の中にいる」というイメージ、などというように、安心感のある場所についてぶっ飛んだイメージ操作を行うことが必要になる。(p124)

さまざまな例が出てきますが、要するに、何が「安心の島」や「安心できる場所のイメージ」になるかは人によって違う、ということです。自分の生い立ちの中で、生きるための拠り所としてきた何かを用いることになります。

人によっては空想の友だちや架空の避難所が、安心できる場所として、心の中にすでに確立されているかと思います。

7.闘争、逃走を完了させる

解離は副交感神経系でリラックスできず、続いて生じる「闘争・逃走」の交感神経系でも対処しきれなかったときに生じます。裏を返せば、「闘争・逃走」に成功すれば、解離には至りません。

マインドフルネスで内面を観察し、何かのトリガー刺激をきっかけになだれのごとく解離や疼痛・疲労の増強に至っていることがわかったなら、からだが危険を知らせて過緊張状態になった段階で、自分の意志でトリガー刺激から逃れることができます。

本文で取り上げたとおり、怒りを引き起こす相手の前から去ったり、人目にさらされて「どう思われるだろうか」という恥に追い詰められる場所を自ら後にしたり、学校を自分から捨ててみたりするということです。

 トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際によれば、ある患者は、子ども時代の性的虐待の名残として、両足に強い緊張が慢性的に生じていました。おそらく暴行されたとき、いつも身動き取れず両足が凍りつくのを繰り返し経験していたのでしょう。

例えば、ヴェラは凍りつく傾向について身体の部分に意識を向けると、身体全体、特に両足に緊張があることに気づきました。

セラピストが、もしその緊張にともなう言葉があるとすれば何ですか、とたずねるとヴェラは、まず「私は動くことができません」と言いました。

子ども時代の性的虐待への必要かつ適応的な反応が、凍りつくことだったのです。(p123)

この虐待の遺物ともいえる凍りつき反応に対し、セラピストが処方したのは、逃走を完了させるということでした。

セラピストが両足の緊張に注意を向けるように促したとき、彼女は次のようにコメントしました。「私の足は逃げたがっています」。

彼女は、虐待中には実行できなかった、本来は自分に力を与えてくれる防衛行動を発見したのです。

この気付きで、ヴェラは、逃げるという衝動により意識的になり、足に「ちから」を体験しました。

セラピストに励まされ、足に動く能力が備わっていると感じるために、セラピー中に立って室内を歩きまわりました。そして、その場で走りたいと言いました。(p123)

この場合、文字通りの場所から逃避したわけではありませんが、過去の遺物としてからだに残っていた未完了の逃走反応に気づき、それを活性化させることで解離の凍りつきを治療していきました。

不動系による解離は、手足を動かして抵抗できず、ただじっとして不快刺激を耐え忍ぶしかない状況で生じるので、手足を動かして刺激を押しやるような動作をしたり、伸ばした手をぐるりとまわして、自分のまわりに境界を作るような動作をすることで解離を防げるかもしれません。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにはこんな例が書かれていました。

私はミリアムの注意を、伸ばしている腕と曲げている手首に向けるように導き、この動作をゆっくり繰り返してみるよう提案した。

…最初、彼女は少し戸惑っているようだった。数回繰り返した後、彼女は動きを止め、微笑んでこう言った。

「何かを押しやっているような感じがします。……いいえ、むしろ何かをつかんで向こうへ追いやっている……私にはもっと空間が必要、まさにそういう感じです」。

彼女は自分の前で腕をさっと両側に広げ、自由に動かせる180度の幅を作ってみせた。(p190)

安心感を感じるために必要な動作は人によって異なります。それはからだが本当はそうしたかったのに、無理やり抑え込んできた動作であることが多いでしょう。

この女性の手足は、本当は害となるものを押しやって、自分の居場所を確保するという闘争・逃走反応を行いたかったのに、無理やりそれを押し込め、不動系によって凍りつかせ、じっと耐えていたのです。

からだが本当は何をしたかったのに、それを無理やり抑え込んできたかを知るには、本文で詳しく扱ったように内的な感覚をじっくり観察し、「からだの声」を最後まで聞くトレーニングが必要です。

いずれにしても大事なのは、恐れに支配されてみじめに逃げ帰ることではなく、自分の意志でトラウマを遠ざけるということです。惨めに追い立てられた経験は再トラウマになりますが、自分で選んでトリガー刺激から逃れた場合は、自信になります。

詳しくは以下の記事で書きました。

8.はっきり「ノー」と言う

解離傾向の強い人たちは、自ら声を上げることがとても苦手です。子どものころは、しばしば緘黙症と診断されることもあります。

そもそも解離しがちなのは、過剰同調性によって、まわりの空気を読みすぎ、身動きが取れなくなり、はっきりと声を出して「ノー」(いいえ)と言うことができないタイプの人たちなのです。

本文で見たとおり、「どう思われるだろうか」という気持ちにとらわれる恥は解離への直行便です。

なぜ耐えがたい恥は人を生ける屍にしてしまうのか―「公開羞恥刑」と解離の深いつながり
公衆の面前で恥をかかせるという刑罰「公開羞恥刑」。現代のいじめやSNSの炎上、子ども虐待などが、いかに公開羞恥刑のようにして人を辱め、その結果、被害者の心を殺害し、解離させてしまう

また、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際が述べるように、苦痛を感じていても、「ノー」ということができず、判を押した口癖のように「大丈夫です」と受け答えしてしまうのは、自己抑制の強い人たちに特有のものです。

たとえば、ソファに座っているクライエントに、見るからに居心地が悪そうなのに、「どうですか?」とか「身体はどんな風に感じていますか?」という質問に対して笑みを作り、「大丈夫です」と答えるかもしれません。

このクライエントの身体的あるいは情緒的な不快さと、本人が報告した心理的状態との間にある分離は、内的な心理的状態と身体的状態との間の不一致や一貫性のなさを示していますが、このことに本人はしばしばまったく気づいていません。(p67)

何を聞かれても「大丈夫です」とつい言ってしまうのは、たいていほぼ無意識の受け答えです。本当はからだやこころが苦痛を感じているときでも、それに気づけない失感情症や失体感症に陥っています。

以前の記事で考えたとおり、こうした傾向は未解決のトラウマが身体反応として現れている、原因不明の慢性疲労、慢性疼痛、自己免疫疾患などの患者によくみられます。

トラウマとは「ノー」と言えない逃げ場のない環境で無理やり何かを強制された体験から生まれるものです。ですから「ノー」と言える環境を作ることは、トラウマからの回復に不可欠です。

トラウマをヨーガで克服するで解説されているトラウマ・センシティブ・ヨーガのプログラムでも、「ノー」と言える環境づくりは、重要な要素のひとつとされていました。

トラウマとは、“選択肢がない”状況の経験である。

あなたが戦場で攻撃を受けた兵士なのか、虐待のある家庭で育った子どもなのか、あるいはひとりで道を歩いていて暴行を受けた女性なのか、そしてそこで起こったことが何なのか云々、ということは関係ない。

この〈選択肢の深刻な欠如〉が、トラウマを受けた人たちの共通項である。

それが、激流に呑み込まれた人、パートナーから虐待を受けた人、敵の攻撃を受けた海兵隊員、いじめを受け続けた子どもたちをつなぐものである。(p69)

誰にとっても〈選択の練習〉が必要であるが、特にトラウマを持つ人にとってはそれが大切である。(p71)

トラウマ・センターでは、ヨーガの生徒たちに次のような声明を出している。

「…われわれは生徒がいつでも「ノー」と言える環境を保っている」。(p186)

凍りつきや麻痺といった反応は、危機に直面したとき、「ノー」と言えなくなり、ただあきらめてしまう受動的な反応だとみなせます。

解離の当事者は、日常生活の中で何かストレスの多い場面に直面したとき、その状況を打開するより、意識を飛ばしてぼーっとしてやり過ごすことを選びがちです。

親や上司に怒られたとき、反論したり逃げたりするのではなく、ただ意識を飛ばしてやり過ごす、あるいは望んでいないイベントへの参加を断れず、ただその時間を受動的にやりすごす、などです。たくさん思い当たる節があるはずです。

こうした対応はどれも、過剰同調性によって「ノー」と拒否することができなくなっていることから来ています。拒否という具体的な行動を起こすより、受動的になって自分を殺して耐えるほうが楽だ、と無意識のうちに選んでしまっているのです。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

はっきり「ノー」といえることと、解離による凍りつきが正反対の結果を招くことは、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法に載せられている、女性用の護身術訓練プログラム、モデル・マギングにまつわる痛ましいエピソードからもわかります。

プログラムが始まったのは、1971年に、カリフォルニア州オークランドで空手の黒帯五段の女性がレイプされたあとだ。

素手で相手を殺すこともできたであろう人に、どうしてこんなことが起こり得たのかと不思議に思った友人たちは、恐れによって技能を使えない状態になったのだと結論した。(p357)

この女性は、すばらしい身体能力を持っていたはずでしたが、恐れによって解離し、凍りついてしまうと何もできませんでした。ちょうどイップスになったスポーツ選手が、本番の舞台に立つと、凍りつきによってプレーが崩壊してしまうのと同じように。

それで、モデル・マギングのプログラムでは、恐れで凍りついて解離する反応を解除するスキルを訓練します。

モデル・マギングのプログラムでは、女性は「零時」(作戦開始時刻を意味する軍事用語)に置かれて、恐れを積極的な闘争エネルギーに変えることを何回も繰り返し、この凍結反応を解除する術を身につける。

私の患者の一人で、過去に過酷な児童虐待を経験した大学生が、そのプログラムに参加した。最初に会ったときには、彼女は虚脱していて、抑うつ状態で、過度に従順だった。

三か月後の修了式では、巨漢の攻撃者を首尾よく撃退した。…彼女は男性に向かって、両腕を上げて空手に構えをし、穏やかにはっきりと「ノー」と大声で言った。(p358)

この女性は、最初「虚脱していて、抑うつ状態で、過度に従順」という、解離状態と過剰同調性に陥っていました。

しかし、はっきり大声で「ノー」といえるようになると、解離を解除できるようになりました。そればかりか、その後、夜道で本物の暴漢たちに襲われそうになったとき、首尾よく撃退することさえできました。

のちに話してくれたところによると、彼女は先ほどの空手の構えをして「この時を待っていたのよ。さあ、誰からでもかかってきなさい」と叫び返したという。彼らは逃げ去った。(p358)

性被害を防ぐ方法のひとつに、はっきり拒絶の意思表示をして大声で叫ぶことが効果的だと言われますが、それはとりもなおさず、解離による凍りつき反応ではなく、闘争・逃走反応によって、抵抗する姿勢を見せられるからです。

文字通りの暴漢に襲われるわけでなくても、さまざまなトリガー刺激に対して条件反射で解離を起こすのではなく、はっきりと「ノー」と抵抗し、自分の意思を保てるようにするのは、解離を他の反応を置き換える効果的な手段だといえます。

口で「ノー」と言えなければ身体が「ノー」と言うようになる― 抑圧された感情が招く難病と慢性疾患
ガンや自己免疫疾患、慢性疲労症候群(CFS)を含む多くの難病は、突然発症するのではなく、子どものころから抑圧してきた感情が関係している。患者の気持ちに配慮しつつ、ガボール・マテ博士

9.能動的になる

解離は、逃走も闘争もできず、どうにもできない無力感を抱いたときに生じます。もはや万策尽きた、打つ手なし、とからだが感じたとき、最終手段として不動系がからだを凍りつかせ、シャットダウンするのです。

つまり、まだ自分には何かやれることがある、と感じているうちは、逃走・闘争反応で交感神経系が高ぶることはあっても、超限界段階まで押し切られることはなく、解離は生じません。

「逃走」が無理でも、自分の意志でしっかり「闘争」できれば、その次の「凍りつき」や「破綻」は生じません。

解離しそうになったときは、自分にもまだできることを見つけ、能動的に参加し、自分には間違いなくやれることがあるという感覚を持てれば、解離を防げます。できることを探しましょう。

解離の舞台―症状構造と治療には、解離性同一性障害の女性のこんなエピソードが載せられていました。

祖母に嫌なことを言われて、いつものように攻撃的な人格が出てきて祖母に怒鳴ろうとしたけど、私が、「大丈夫、自分で言うから」と声をかけたら、他の二、三人の人格の声が聴こえて、「大丈夫だよ、まかせて」というようなことを言ってくれ、攻撃的な人物を抑えてくれた。

私自身が自分の言葉でちゃんと話せた。そしたら祖母と揉めることもなかった。こういうことは初めての経験で、「できた」と思った。気持ちがすごくスッとして明るくなった……。(p269)

この場合、祖母に言われた言葉がトリガーとなって、過緊張状態が引き起こされ、超限界段階を迎えて意識がシャットダウンし、攻撃的な人格に乗っ取られる解離反応を起こしそうになりました。

しかし、その一連のなだれのごとく引き起こされる反応の途中で立ち止まり、「大丈夫、自分で言うから」という別の反応で置き換えると、意識が解離して乗っ取られることなく、「今ここ」にとどまることができました。

トリガー刺激に引き出されるままに条件反射を起こすのではなく、反応を保留して、自分でどうするか選ぶことにより、解離をとどめることができたのです。

はっきりと「ノー」と言うのは、自分を誘い出して解離させようとするトリガー刺激に対して「ノー」と述べて、自分のからだは自分が制御する、という意思表示をすることでもあります。

トラウマをヨーガで克服するには、トラウマからの回復とはすなわち、主体感の回復であると書かれています。

このようなトラウマの治療プロセスには、“主体感と、コントロールしているという内的感覚(フェルト・センス)の回復”が含まれていると、われわれは確信している。(p69)

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」
難病など極めて困難な試練から奇跡の生還を遂げる人たちは、共通の特徴「内的統制」を持っていることが明らかになってきました。「がんが自然に治る生き方」「奇跡の生還を科学する」などの本か

10.姿勢を変える

ストレス反応はすべて姿勢と結びついています。

副交感神経が優位になればからだはリラックスして自然体になります、闘争・逃走反応が優位のときは手足に力が入ります。しかし不動系が優位になって解離すると、からだが固まったり力が抜けたりして動けなくなります。

寝転がったり座ったりしている姿勢では不動系にのっとられて解離しやすくなりますが、立ち上がったり歩いたり、その場で手足を自由に動かしたりできれば、交感神経系を活性化させられるということです。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアには次のような例が出てきます。

しかし次の瞬間に彼はまた無表情に戻り、からだも諦めたかのように前屈みになった。

私は彼に虚脱状態に陥ってほしくなかったので、膝を少し曲げて立ってみるように言った。

立つことには固有受容的で感覚運動的なシステムの活性化と協調が必要とされる。このことはアダムの意識を常にオンラインにしておくという効果があった。(p224)

慢性疲労の虚脱状態のように不動系によってシャットダウンされている人は、解離しそうになったら立ち上がったり段階的に運動したりすることで感覚を取り戻せます。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、慢性的な解離によって常に低覚醒状態にある人は、体を動かしているとき(たとえば歩いているとき)のほうが、意識がはっきりして集中しやすくなります。

動きもまた、感覚の質を変え、感覚を増す手段です。多くのクライエントは動いているときは、身体に集中しやすくなると気づきます(Segal et al.,1992)

クライエントは歩いたり、腕をあげたり、何らかの方法で身体を伸ばすようにいわれるでしょう。そうすると関節や筋肉にさまざまな感覚が生じることがわかります。(p307)

もっとも、ここでいう動きとは、身体に負荷がかかる運動ではないということに注意してください。

ある程度回復してきたら運動も確かに効果がありますが、慢性的な凍りつき/擬態死状態のため、慢性疲労や慢性疼痛に陥っている人にとっては、負荷の強い運動は現実的ではありません

身体を動かす目的は、身体の感覚に気づきやすくして意識を引き戻すことであって、身体を鍛えたり無理にストレッチしたりすることではありません。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアに書かれているように、重要なのは内部の感覚に注意を向けることです。

片方の手で反対の前腕を優しく握る。次に上腕を握り、両肩、首、太もも、ふくらはぎ、脚などにも同じように行う。重要な点は、触れられたときに筋肉が内側からどのように感じられるかに気を配ることである。(p138)

ある程度慣れないと感覚的にわかりにくいと思いますが、わたしたちの体の内部からの感覚というのは、脳の(とう)や帯状回という箇所で処理されています。

解離状態にある人は、まさにその島や帯状回が活動低下していることが研究からわかっているので、体を動かして内的感覚に意識的に注意を向けることは、解離を和らげるのに役立ちます。

解離状態の患者には、身体感覚を制御する脳領域(島および帯状回)の大幅な活動低下が認められた。(p139)

簡単に言うと、島は筋肉や関節、内臓を含むからだの内部からの情報を受取る。

…この機能にアクセスすることが、次章以降で述べる、トラウマと難しい情動を変容させるアプローチの鍵である。(p89)

この項目で取り上げていね姿勢を変えるスキルや、次の項目で紹介するボディワークと呼ばれるスキルは、すべてこの島や帯状回を活性化させることにより、解離症状を軽減しようというアプローチです。

解離して現実感が薄れたりふわついたりするときに役立つテクニックのひとつは、地面との接地感覚に意識的に注意を向ける「グラウンディング」です。トラウマをヨーガで克服するには次のように説明されています。

解離は、常習化することのある圧倒的経験に対する反応である。重圧的な状況では、トラウマ・サバイバーはただ“頭が真っ白”になってしまったり、ボーっとしたりする。

この反応のメカニズムは防衛的なものだが、特に意識的な統制のないところで起こると、それ自体が苦痛を引き起こし始める。

トラウマ・センシティブ・ヨーガは、解離と闘うために使うことのできる「グラウンディング(地に足を着けること)」の戦略の開発を支援することができる。

たとえば〈山のポーズ〉は、それが大地とのつながりに注目したり、感覚刺激として重力を利用したりすることから、きわめて〈グラウンディングな〉姿勢だと言える。(p156)

「山のポーズ」というのは特に難しいものではなく、単純にただまっすぐ立ったり、あぐらや正座で座ったりする基本の姿勢のことです。

それらの姿勢で、体の各部にかかっている重力を意識したり、地面と体の接地面の感覚に注意を向けて、意識的に感じ取ったりするのがグラウンディングです。

興味深い方法として、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアによれば、立ち上がることのほかに、バランスボールの上に座ることで、解離を起こしにくくするというアイデアもあります。

解離状態の患者には、身体感覚を制御する脳領域(島および帯状回)の大幅な活動低下が認められた。

これに対して立位の場合、固有受容、運動感覚の統合を介してバランスを維持するために、少なくとも何らかの内受容活動と気づきが必要となる。

この単純な姿勢の変化が、クライアントが困難な感覚や感情を処理しながら からだの中にとどまっていられるかどうかの相違を生むことが多い。

もう一つの効果的なバリエーションは、クライアントに適切なサイズのバランスボールの上に座ってもらうことである。

ボールの上でバランスを保つことは、平衡維持のために複数の調整を必要とする。

このため、ボールの柔らかい表面からのフィードバックを通じて内的感覚に触れることに役立つだけでなく、筋肉意識(気づき)、接地感覚、中心感覚、防衛反射および体幹の強さを探ることで、身体意識の発達に全く新しい次元がもたらされる。(p140)

わたしもやっていますが、解離しやすい人はいっそ自宅の椅子をバランスボールにしてしまうといいかもしれません。転倒の危険がある場合は、バランスボールを固定するための土台や、座面だけバランスボールの椅子などを活用できます。

トラウマをヨーガで克服するでは「センタリング」というテクニックも紹介されています。これは、体を動かしながら自分の重心を意識的に感じ取ることで、解離の不安定感から脱するテクニックです。

たとえば、ヨーガの「木のポーズ」(片足に重心をかけてもう片方の足は軽く添える)などをやりながら、自分の体の平衡感覚に意識的に感覚を集中させ、中心を感じ取るようにします。

ここでひとつ注意しておきたい大切なことがある。それは、トラウマ・センシティブ・ヨーガではおおむね、バランスという言葉をやめてセンタリングという言葉を使うようにしていることだ。

「バランスをとる」と言うと、〈失敗〉(しっかりと保てるか、ぐらついて倒れるか)という意味が含まれるが、「センタリング」と言えば、それはより内的な探究を意味することになるので、失敗というニュアンスが少なくなる。

実を言えば、われわれがセンタリングの訓練をするときには、事実上、バランスを崩すことを手がかりにしているのである。

どういうことかと言うと、「われわれがふらつくと、そのたびに腹筋が自然に動いて、姿勢をまっすぐに戻してくれる」のである。われわれは“ふらつく”ことによって、自分自身の〈中心〉についてい大いに学ぶことができるのだ。(p153)

不安定なポーズをとることは転倒のリスクがあるので、最初のうちは、座った姿勢のまま上半身をぐるぐる回転させながら中心を意識するような、より穏やかなかたちのセンタリングがいいかもしれません。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアではまた、日本古来の仁神術を参考にして、片手を額に当て片手を胸に当てる姿勢や、片手を胸に当て片手を腹部に当てる姿勢を紹介しています。(p153)

この手法は、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では、センタリングに役立つ方法として記載されていました。

Sinclairは、暴力癖のある受刑中の男性たちと取り組んでいるのですが、暴力に先立つ覚醒状態の身体感覚に気づくよう教えました。

さらに、とても簡単なセンタリングのリソースも教えました。一方の手をおなかに置き、もう一方の手を胸に置き、感覚の変化に、ただ注意を払うというものです。

この介入は、反応のペースを落とすチャンスを与え、暴力の代わりになる別の動き―落ち着いて、センタリングできるソマティック・リソースを提供しました。(p313)

以前の記事で解説したように、男性の場合、解離症状は暴力犯罪となって出現しやすい傾向があるので、この受刑中の男性は、事実上、解離の問題に対処する手法として、仁神術的なセンタリングの手法を教えられていたといえます。

こうした姿勢は、もしかすると交感神経系がつかさどる手と、副交感神経がつかさどる顔や、不動系がつかさどる胸、腹などをつなぐことで、それぞれの働きのバランスを取り戻させる働きがあるのかもしれません。

身体的な解離が起こっている人は、身体の各部がバラバラに切り離されているように感じられて、それぞれの活動を同調させることが難しいので、セルフタッチなどによって物理的につないでやる必要があります。

そのほか、後の項で紹介するようバタフライハグのような自分で自分を抱きしめる姿勢は、交感神経系の興奮を抑制し、副交感神経系の愛着システムに訴える力があります。

どんな姿勢が役立つかは一人ひとりかなり異なってきます。姿勢は、手続き記憶(自転車の乗り方など身体の動きについての記憶)と直結しているので、それぞれの人の固有の経験に強く左右される部分です。

たとえば、冒頭で触れたように、ある人にとってはリラックスできる姿勢でも、別の人にとっては虐待の手続き記憶を再現するトリガーになってしまう姿勢かもしれません。

また別の記事で書いたように、子ども時代に性的虐待を受けていたある女性は、座る姿勢と解離反応が条件付けされてしまっていて、座るたびにぼーっとして凍りつきを起こすせいで学習困難になってしまっていました。

あるいは逆に、大多数の人にとってはなんとも思わない姿勢が、ある人にとっては、子どものころ親から愛情をもって扱われたかすかな手続き記憶を活性化するリラックスできる姿勢である、ということもありえます。

いずれの場合も、自分の身体でいろいろ実験してみて、この姿勢をとったとき身体はどう感じているだろうか、としっかりモニタリングしてみることが大事です。

11.ボディワークに取り組む

姿勢や身体感覚を意識することによって、身体への気づきを促進し、解離を治療するには、より体系化された専門的なボディワークに取り組むのが最善です。

習慣的な姿勢を変化させることで感情を整えるボディワークはいろいろありますが、たとえば 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でヴァン・デア・コークは、フェルデンクライス・メソッドなどの手法を勧めています。

とはいえ、人は体の芯から安全だと感じなければ、完全に回復することはできない。

したがって私は、治療的(セラピューティック)マッサージ、フェルデンクライス・メソッド、頭蓋仙骨療法といった、何らかのボディーワーク(手技や体操、運動などを通して体から意識に働きかける方法)を受けるように、すべての患者に勧めている。(p352)

また、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアの中でピーター・ラヴィーンはアレクサンダー・テクニークに言及しています。

アレクサンダー・テクニークの名前は、F・マサイアス・アレクサンダーに由来している。

彼は1890年から1900年の間にその原理を最初に観察し、定式化した人物である。

アレクサンダー・テクニークは、個々人の身体的状況および精神的状況全体を阻害している。誤った姿勢の習慣を軽減させるアプローチである。(p32)

そのほかにも、この記事で紹介してきた本が扱っているソマティック・エクスペリエンスや、センサリモーター・サイコセラピー、トラウマ・センシティブ・ヨーガなども、解離に特化したボディワークの一種です。

ソマティック・エクスペリエンス(SE)を知る10ステップ―「凍りつき」を溶かすトラウマセラピー
近年注目されているトラウマの治療法「ソマティック・エクスペリエンシング」(SE)についてまとめました。
ヨーガで身体の声を聞く―トラウマや慢性疼痛に身体セラピーが役立つ理由
ベッセル・ヴァン・デア・コークらのトラウマ・センターで実践されている、トラウマの身体症状に対するヨーガ・プログラムを参考にして、身体的な気づきを促すボディワークがなぜ原因不明の身体

こうしたボディワークに取り組み、意識的に姿勢に注意を向ける練習をするなら、よりはっきりと今この瞬間の身体感覚を感じ取れるようになり、解離に抵抗しやすくなるでしょう。

注意しておきたいのは、ここで紹介したどの取り組みにおいても、「正しい姿勢」などというものはない、ということです。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアによると、「アレクサンダーは正しい位置というものはないが、正しい方向性というものは存在することを発見し」ました。(P398)

この記事で扱っているさまざまなテクニックも、正しい方向性を示唆するものですが、正しい位置や正しいやり方といったものはなく、自分の身体の反応を見ながら、個人個人が見つけていく必要があります。

必要なのは、正しい姿勢に自分を矯正しようとすることではなく、さまざまな体の動きをする中で、自分にとって安定感の感じられる場所を探すことです。

一人ひとり感覚は違うのですから、普遍的な「正しさ」などというものにとらわれず、自分自身の固有の感覚に集中するようにしてください。

12.リズムを上書きする

以前の記事で考察したとおり、こうした一連の症状を起こしている「からだの記憶」は一種のリズムです。それは、交感神経系や不動系が起動すると、心拍が変動することからもわかります。

トラウマをヨーガで克服するでは、解離とは、一種のリズム同調の障害であることが指摘されています。

トラウマ・センシティブ・ヨーガのクラスでわれわれが携わっている多くのクライアントには、この協調性の欠如があるので、われわれは〈リズム〉というものに取り組んでいる。

〈解離〉には、自分の体や周囲の世界との断絶感がある。ある生徒は解離を、「煙でいぶしたガラスで隔てられて生きているような感じ」と表現した。

…彼らの人生は、しばしばベールの向こう側―人間関係を特徴づけるリズミカルな舞踏や交流からトラウマ・サバイバーを切り離してしまうベールの向こう側で、送られる。(p82-83)

トラウマを負った人は、いとも簡単に自分では望まない不安定なリズムに陥り、周囲の人たちのリズムから切り離されてしまいます。

トリガーとなる刺激にさらされると、からだは「闘争・逃走」に備えて心拍のリズムをぐんと上げます。どうしようもない場合は、今度はシャットダウンの解離反応を起こし、心拍のリズムがぐっと下がります。

このような内部のリズム変動を制御するためには、音楽を聞いたり演奏したりして、トラウマ反応のリズムではなく音楽のリズムに同調すること、タッピングによって外からリズムを整えてやることなどが効果的です。

左右の眼球運動によって記憶を処理するEMDRでは、左右交互の両側性刺激が過覚醒を和らげることがわかっています。

それを応用したのが、自分で自分を抱きしめながら、左右交互にタップするバタフライハグです。交感神経系が優位になって心拍リズムが早まり、過緊張になりそうになったときに落ち着かせることがてきます。

EMDRはどうやってトラウマ記憶を再処理するのかーレム睡眠を利用した負担の少ない治療法
EMDEの開発者フランシーン・シャピロによる「過去をきちんと過去にする」などから、レム睡眠の記憶の再処理システムとトラウマ記憶の関係を考えてみました

また身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法では、指圧のツボを順にタッピングするエモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)という方法も紹介されていました。

体のさまざまな場所にある指圧のツボを自分の指で順にタッピングすることも教えた。

よく「エモーショナル・フリーダム・テクニック(EFT)」という呼び名で教えられている手法で、患者が耐性領域の内側にとどまる助けになることが証明されており、PTSDの症状に有効なことも多い。(p437)

エモーショナル・フリーダム・テクニック(Emotional Freedom Techniques)は英語で検索すればやり方を解説した動画がたくさん出てきます。

不動系によってシャットダウンしてしまったときは、楽器を弾いたり、歌を歌ったり、好きな音楽を聞いたりすることで、リズムを上げて、不動状態から抜け出すことができます。

まもなくグループ全体が歌い、動き、立ち上がって踊りだした。それは驚くべき変化だった。人々は生命を取り戻し、表情は同調し始め、生気が体に蘇った。

私は、ここで目にしているものを応用すること、そして、リズムと歌と動きがトラウマの治療にどのように役立ちうるかを研究することを誓った。(p350)

神経科医オリヴァー・サックスも、音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々の中で、母親が亡くなったとき、解離状態に陥ったこと、しかし音楽がその心身の凍りつき反応を融かしてくれたことを回想しています。

私の感情は「凍りつき」、鬱という言葉では表現しきれない状態に陥った。

何週間も、起きて、服を着て、職場に行って、患者を診て、外見はふつうに見えるようにと努力した。しかし内面は死んでいて、ゾンビのように生気がなかった。

ある日、ブロンクス・パーク・イーストを歩いていると、突然すっと気持ちが軽くなるのを感じた。気分が高揚し、命の、喜びの、ささやきか予感のようなものが感じられる。

そのときはじめて、心象か記憶とまちがえるくらいかすかではあったが、音楽きが聞こえていることに気づいた。歩き続けるとだんだん音楽は大きくなり、とうとうその源までたどり着き、地下室の開いた窓から流れるラジオのシューベルトだとわかった。

その音楽が私を突き刺し、さまざまな心象や感情を次々と解き放った―子どものころの思い出、一緒に過ごした夏休み、母がシューベルト好きだったこと(彼女はよく、すこし調子はずれの声で『夜の歌』を歌っていた)。

私は数週間ぶりに笑みを浮かべたばかりか、声を出して笑った。そして生気を取り戻した。(p405-406)

オリヴァー・サックスは、こうした経験を踏まえて、のちに意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源の中で、次のように書いています。

私が『音楽嗜好症』(大田直子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)で探ったように、リズムと流れのある音楽は、そのような凍りついた状態ではきわめて重要であり、患者に運動、知覚、思考の流れを取りもどさせることができる。

そのような患者が一時的に失った時間感覚の手本やテンプレートとしての役割を、音楽が果たすことがあるようだ。(p186)

こうしたリズムを取り戻すための知恵は、さまざまな伝統技法の中にも見られます。

先述した仁神術やヨーガ、さらには太極拳、気功など、古来より体系化された伝統的な治療技法に伝わる仕草や姿勢の中には、過覚醒を和らげ、自律神経系のバランスを取り戻すのに役立つ知恵が秘められているように思います。

これらの伝統技法は、西洋医学的には眉唾だとかプラセボにすぎないと言われることがありますが、ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法で書いているように、ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)から理解すれば、科学と伝統を一致させることができます。

だが、これらの型破りな技法がなぜこれほど効果があるのかを私たちが理解し、説明するうえで、ポリヴェーガル理論にはおおいに助けられた。

私たちはこの理論のおかげで、トップダウンの取り組み(社会的関与を行なわせる)とボトムアップの方法(体の緊張を和らげる)を、以前より意識的に組み合わせるようになった。

私たちはまた、呼吸法(プラーナーヤーマ)や詠唱(チャント)から、気功のような鍛錬法や武道、ドラム演奏や合唱、ダンスまで、西洋医学の外で長年行われてきた、他の古い、非薬理学的な取り組みの価値も受け入れやすくなった。

これらの取り組みはみな、人と人との間のリズムや、内臓感覚の自覚、声や表情による意思疎通に依存している。(p143-144)

こうした伝統技法や音楽はさまざのな効果がありますが、ひとつにはリズムの同調を通して、トラウマ記憶によって乱された自律神経系のバランス改善に寄与します。

宗教上の理由などから、特定の技法に抵抗があり、治療に取り入れられない人の場合でも、トラウマ専用にカスタマイズされたソマティック・エクスペリエンスなど他のボディワークに取り組むことによっても同様の効果が得られます。

ヴァン・デア・コークは、心拍変動を分析してニューロフィードバックを訓練するようなアプリを使用することで、似たような効果を得ることができるとも述べています。

今日ではスマートフォンを使って、心搏変動の改善を助けるさまざまなアプリケーションがある。

私たちのクリニックでは、患者はワークステーションで自分の心搏変動の改善訓練ができる。

何らかの理由でヨーガや武道や気功を練習できない患者たちには、自宅で訓練するように勧めている。(p444)

13.感覚を感じて意識をつなぎとめる

シャットダウンして意識が飛んだり、現実感が薄れたり、失感情症になったり、頭に霧がかかってブレインフォグに陥りそうになったりしたら、強い感覚刺激を与えることで意識を引き戻すことができます。

これは、自傷行為を行なう人たちが無意識のうちにやっている手法です。前に説明したとおり、自傷行為の中には、強い痛みによって、解離しかかっている意識を引き戻すために、無意識のうちに行われているものがあります。

あるいは、過緊張状態になって、超限界段階寸前に閉じ込められているとき、もうひと押しして解離してしまうために自傷する人もいます。自傷行為は解離への往復切符です。

なぜ無意識のうちに自傷行為をやってしまうのか―リスカや抜毛の背後にある解離・ADHD・自閉症
リストカット、抜毛、頭を壁にぶつけるなどの自傷行為、また自己破壊的な依存症の原因はどこにあるのでしょうか。それらが注目を集めるための演技ではなく、解離という心の働きや、脳の構造と関

もちろん、解離を食い止めるために自傷行為をするわけにはいきませんが、それと似た方法は使えます。たとえば、冷やした氷枕のようなものを手に当てたり、パルスシャワーを浴びたりすれば、意識がはっきりします。

また、食べる、飲む、味わう、走る、セックスといった行動も、意識を引き戻します。不動系が引き起こす解離とは、動物における仮死状態のことなので、生きている動物がふだんやっていることは何であれ、解離から意識を引き戻す作用があります。

しかしながら、いくら動物が生きていることを実感する活動とはいっても、食べすぎて過食になったり、トレーニングしすぎてアドレナリンハイ依存になったり、マスターベーションにふけったりする中毒になると危険です。

事実、トラウマ障害の人の中には、自傷行為をするのと同じ理由で、こうした依存症になってしまう人がいます。身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアはこう述べています。

自分のからだの内部を深く感じられなくなればなるほど、私たちは過度の外部刺激を切望する。(p336)

トラウマをヨーガで克服するでもヴァン・デア・コークがこう書いています。

多くのトラウマ・サバイバーの生活は、「望まない感覚体験を切り離して無効化し、その周りをぐるぐる回る」といったものになっている。

少なくとも私の扱った、トラウマを負う人の半分は、自らの耐えられない内面世界をドラッグやアルコールでごまかそうとしてきた。

そして、多くの人びとが、リストカットなどの自傷行為でそうした感覚を追いやることができることを学習する。

また、オートバイ・レースをしたり、売春やギャンブルなど、リスクの高い行為に手を染めることによって「“自分が”やっている」という感覚を得たり、「“ハイ”(高揚した感じ)になって救われる」と言う人びともいる。(p28)

解離から意識を引き戻すために、別の刺激的な感覚で目覚めさせるという方法は、手っ取り早く効果的ではあるものの、こうした落とし穴がひそんでいることには十分注意すべきです。

そして、注意すべき点として、こうした依存症になりかねない刺激によって解離を解除するのは、じつは薬物療法もまた同様です。 身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこう書かれています。

人は昔からトラウマ性ストレスに対処するために、薬物やアルコール類を使ってきた。文化や世代によって、好まれるものは違う。

たとえばジン、ウォッカ、ビール、ウイスキー。ハシッシュ、マリファナ、大麻、ガンジャ。コカイン、オキシコドン(オキノーム、オキシコンチン)のような麻薬様物質。

ジアゼパム(セルシン、ホリゾン)、アルプラゾラム(コンスタン、ソラナックス)、クロナゼパム(リボトリール、ランドセン)のような精神安定剤。

人は切羽詰まると、もっと落ち着いて主導権を握っていると感じるためなら、どんなことでもしようとする。精神医学の主流はこの伝統に従っている。(p367)

つまり、何らかの刺激的な依存症によって解離を和らげようとするのは、精神安定剤などの薬物療法の場合も同じだということです。

こうした外的刺激は手っ取り早く症状に対処するのに役立ちますが、症状をコントロールするのではなく、無理やり抑えつけるだけです。そのため、最も大切な自己コントロール力を身につける助けにはなりません。

だが、薬はトラウマを「治す」ことはできない。乱れた生理機能の表れを抑えることができるだけだ。

また、自己調節を可能にする効果が永続するような教訓を与えてはくれない。

感情と行動を制御するのを助けることはできるが、それには常に代償が伴う―なぜなら薬は、関与、モチベーション、痛み、喜びを調節する科学システムを抑え込むことによって作用するからだ。(p368)

解離やPTSDに対する薬物療法は、一時しのぎにはなります。自己コントロールを育むトレーニングのために、準備を整える助けにはなります。

しかし薬物療法のみによって症状を押さえ込もうとするなら必ず失敗します。間違いなく副作用に悩まされるようになり、より泥沼にはまりこみます。

それで、解離の治療においては、過度の外的刺激によって解離を解除するのではなく、マインドフルネスによって内部の感覚をしっかり探れるようトレーニングし、ここまで挙げた様々な方法を臨機応変に駆使して解離を防ぐのを目指すとよいでしょう。

14.芸術的に昇華する

最初に述べたとおり、解離を起こしやすいのは、自己抑制が強すぎて、自分の気持ちを限界まで押しとどめて我慢するタイプの人たちです。

本当は自由に動き回りたい、全身で遊びたいのに、過剰同調性によってまわりの空気を読みすぎて、「どう思われるだろうか」という恥にがんじがらめにされて、自分の欲求を殺し、動けなくなっている人が、結果として不動系を起動させ、解離してしまいます。

それを解除するには、自由に動き回れること、特に「どう思われるだろうか」という恐れにとらわれて凍りついていた自分を解き放ち、思うがままに自己表現することが役立ちます。

解離の不動状態に陥っている人は動物園の檻で拘束されて走ることも飛び跳ねることも忘れてしまった動物のようなものなので、広いサバンナで自由に走り回る経験を通して、生き生きとした感情を取り戻すことが必要です。

その方法として、手足を含めたからだを動かすことはもちろん、芸術のようなかたちで、内なる自己を解放することも効果的です。

解離の舞台―症状構造と治療にはこう書かれていました。

患者は幼少時から自分の感情や思考を把握できなかったり、それを表現することに制止がかかっていたりする。

そのため自己を絵画、音楽、対話などさまざまな手段によって表現することは回復の役に立つ。

概して解離の患者は芸術的方面の才能があるように思われる。(p289)

わたしがネット・リアルを問わず、色々な人を観察してきて思うのは、生まれながらに解離傾向の強い人、解離の世界を体験している人たちは、例外なく芸術的な感性がにじみ出ているということです。

たとえ積極的に創作していない場合でも、文章の端々から感受性の強さがにじみ出ているのがわかります。意識せずとも「言葉で絵を描いている」とでも言うのでしょうか。

共感覚のある人は、それがある人とない人の文章を判別できるそうですが、それとよく似ていると思います。

わたしは、解離傾向の強い人たちは、たとえ今まであまりやったことのない芸術活動であったとしても、思い切ってやってみると感性を発揮して楽しめる可能性があると思います。

本文のほうで、わたしが10代のころの箱庭療法を通して不登校と慢性疲労の虚脱状態から抜け出した話を書きましたが、そのときのグループセラピーで、比喩や連想が次々と湧き出てきて、とても楽しいことに気づきました。

わたしは子どものころから色々な創作をいつの間にかやっていましたが、自分にそうした感性があるなどとは微塵も思っていませんでした。

というのも、学校の評価システムの中で作る創作がまったく楽しくなく、しかも点数づけされるせいで、嫌になってしまったからでした。「どう思われるだろうか」と感じながら作る芸術はこころが解離してしまい芸術になりません。

なぜ耐えがたい恥は人を生ける屍にしてしまうのか―「公開羞恥刑」と解離の深いつながり
公衆の面前で恥をかかせるという刑罰「公開羞恥刑」。現代のいじめやSNSの炎上、子ども虐待などが、いかに公開羞恥刑のようにして人を辱め、その結果、被害者の心を殺害し、解離させてしまう

本文で注意書きしたとおり、他人に評価されたり批判されたりすると、恥という解離に引きずり込む流砂に足をとられてしまい、自己表現が縛られ、まわりの期待に合わせて振る舞う過剰同調性に逆戻りするだけです。

しかし、あのときの箱庭療法では、優れたセラピストに導かれ、共感し、一緒に楽しんでもらえたおかげで、感性が戻ってきて、自由に自分を表現でき、走り回れることに気づきました。

解離傾向の強い人の場合、たとえこれまであまり芸術が好きでなかったり、学校の授業の美術や図工は嫌いだったりしても、自分から能動的に芸術に親しんでみれば、意外なほど感性が自由に流れる感覚に気づくのではないかと思います。

からだ全体を使って楽しむ芸術は、とりわけ自己抑制にとらわれていた自己を解放し、不動状態から抜け出す助けになります。

しかし、ここでも注意すべきことがあります。

解離から抜け出すために創作を始めた場合でも、ある程度上達してくると、SNSや展覧会などを通して他の人に見てもらいたくなるかもしれません。

自分が楽しむための創作から、人に見せるための創作に変化してしまうと、とたんに見られることによる恥の感情が入り込み、創作活動そのものが解離を促進する温床になってしまいます。(わたし自身が経験済みです)

さらに、創作活動はしばしば気分の高揚をもたらすので、先ほど書かれていたような『「“自分が”やっている」という感覚を得たり、「“ハイ”(高揚した感じ)になって救われる」』感覚を求めて創作するようになってしまいがちです。

そうなってしまうと、ランナーズハイなどと同様、走っている間(創作している間)だけは気分が高揚して解離がましになるものの、それが終わると虚脱感に包まれて解離状態に戻る、というオンオフ状態を揺れ動くようになってしまいます。

創作活動は自己表現の一環として確かに助けになりますが、それだけで解離に対処することは不可能なので、必ずこの記事で考えたような他の技法を組み合わせ、日常生活の中の創作をしていない時間にも活用できるツールを持っておくべきです。

15.コントロールを奪われそうになったら

この記事で紹介したような様々なツールをすべて使っても、交感神経が高ぶったり、からだが凍りついたりするのを止められず、どうにもならなくなってパニックになりかけるときがあるかもしれません。

その場合は、基本に立ち戻ります。基本というのは、本文のほうで詳しく説明した、自分をモニタリングするマインドフルネスのことです。

何をやってもあらがえず、コントロールを失いかけているときは、言い換えればA→B→C→D→Eという連鎖反応がなだれのように進んでいる状態、いちばん最初の元のもくあみに戻ってしまっているということです。

このなだれのような一連の反応に流されるのを食い止め、立ち止まって自分の身体感覚をただ観察するのが、基本となるマインドフルネスでした。トリガーとなる刺激にさらされても、ただ観察することに徹し、反応を一次保留するためのスキルです。

この記事で紹介したさまざまなツールは、それができていることを前提として、マインドフルネスの一時停止ができた上で、次の反応を別の反応で置き換えるためのツールでした。

車で例えると、一旦停止ができた上で、右に曲がるか左に曲がるか選べるようになります。

なだれのごとく連鎖反応に呑まれているということは、この基本となる一旦停止のスキルが失われているということです。コントロールを失いかけたなら、パニックになって焦ったり、ここで紹介したツールを必死になって色々試したりするのではなく、一時停止を意識しましょう。

本文で説明したことを参考にして、「今この瞬間」のからだをただ観察し、条件反射を保留するマインドフルネスに立ち返れば、効果的にツールを使える状態に戻ってこれるでしょう。

「からだの記憶」の治療法―解離や慢性トラウマのための身体志向のトラウマセラピー
解離やPTSDは「からだの記憶」によって引き起こされる「からだ」を土台として生物学的な現象である、という理解にもとづき、身体志向のトラウマ・セラピーについて考察しました。

16.息苦しさにとらわれたときは

個人的な経験からですが、解離の症状には、不動系が呼吸を制御しているがゆえに、息苦しさが含まれます。解離状態になると息が浅くなり、深呼吸しようとしても息が入らなくなります。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアにはこう書かれていました。

自律神経系が支配する行動のうち目で見てわかるものに、呼吸器系兆候および心血管系兆候がある。

早く浅いかつ/または胸上部の呼吸は交感神経が覚醒している状態を示す。非常に浅い(知覚不能なほどの)呼吸は、不動状態、シャットダウン、解離を示すことが多い。(p173)

わたしの場合、息苦しさのあまり、息を吸おうと必死になってからだに力を込めると、余計にからだが凍りついて呼吸が苦しくなるので、過呼吸発作のようなパニック状態になることがありました。

無理して深呼吸すると、実際には神経系の不均衡が増し、せいぜい一時的な安堵しか得られない場合が多い。(p173)

一般的なマインドフルネスでは呼吸に注意を向け続けるように指導されますが、こうした解離に伴う息苦しさのせいで、呼吸を意識するあまり、やはり息苦しさが増して、じっとしていられなくなることもありました。

あとになって、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際を読んだとき、こう忠告されているのを知りました。

西洋医学では、1800年代以来、呼吸法がトラウマ治療に有効だと認識されています。おそらく、自律的な覚醒状態は、常に呼吸の変化に帰着するからでしょう。

呼吸の「正しい」方法はないのだと認識するのは重要です。

…呼吸のエクササイズは、効果があると同時に、トラウマをもつクライエントを急速に不安定にするので、使用するときには注意が必要です。(p314-315)

また、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の中でも、序文を担当しているヴァン・デア・コークがこう書いています。

トラウマを抱えた人に、呼吸に注意を向けるように言うと、パニック反応を引き起こす恐れがあるし、落ち着くように言えば、さらに動揺が激しくなる。(p viii)

さらに、ヴァン・デア・コークが開発に関わったトラウマ・センシティブ・ヨーガのプログラムについての本トラウマをヨーガで克服するにもこう書かれていました。

慢性的トラウマのサバイバーは呼吸が浅くなっていることが多く、それは苦悶、過覚醒あるいはパニック状態と密接に関連している。…これらの呼吸パターンは体の中に緊張と調節不全の状態を残し、トラウマ・サバイバーの多くが経験しているように、体全体の不安感を高める。

…ヨーガの考え方によると、呼吸法(プラーナーヤーマ)をするのはかなり上級に進んでからで、そこには多くの訓戒が付いてくる。

…多くの生徒にとって呼吸法に取り組むのは非常に骨の折れる仕事で、注意深くアプローチするに越したことはなく、大変な忍耐力を要するものだということが分かってきた。(p160)

呼吸法のトレーニングは、トラウマ当事者にとっては要注意事項だということがわかります。

わたしが経験していたのは、いわば呼吸の「イップス」ではないかと思います。

本文で説明したとおり、イップスとはスポーツ選手の不随意運動のことで、無理やりプレーをしようとすると、一連の動作の中に不随意運動が巻き込まれ、動作が崩壊します。その動作にトラウマ反応が巻き込まれて記憶されているからです。

そのため、呼吸しようと意識すればするほど、凍りつきが起こって息が入らなくなります。この現象は、わたしだけが経験していたものではなく、この本に出てくるサバイバーも経験しているので、わりと普遍的なものだと思います。

デイヴィッドに少し話したんです。私がどんなに頑張って体の苦しい部分に息を送り込もうとしているか。

ところがそういう時は自然に「かえって息がそこへ行かないように止めてしまっている」って。(p25)

うまく呼吸できないときは、意識的に呼吸しようとすると、一連の呼吸の動作の途中で余計な筋肉に力が入るという不随意運動(不動系の凍りつき反応)が生じ、呼吸という動作が成り立たなくなっているように感じました。

今回取り上げているさまざまな本のボディワークでは、マインドフルネスの入り口として、必ずしも呼吸に注意を向けるようにとは指導されていませんでした。その代わり、身体の各部のさまざまな感覚に注意を向けています。

健康な人の場合は呼吸が安定しているので、一般的なマインドフルネスでは呼吸に注意を戻すことで、呼吸を船のいかりのように用います。

しかしトラウマ障害の人の場合は、呼吸が不安定すぎて船のいかりのように用いることはできないので、前述の「安心の島」ワークが必要なのでしょう。

つまり、トラウマ障害の人がマインドフルネスをする場合、注意がそれかけたら、呼吸の代わりに「安心の島」に注意を戻すことで、過呼吸になるのを防げるはずです。

むろん、ゆくゆくは呼吸を整えていくことも回復のために重要ですが、トラウマをヨーガで克服するによると、少しずつ慎重な取り組むよう勧められています。

ちょっとした変化が大きな飛躍と感じられることがあり、あまり性急に飛びついて調子を崩さないように、心地よい感じを保ちながら、今よりも少し深い呼吸をすることに少しずつ慣らしていきたいとわれわれは考えている。

われわれが生徒たちに勧めるのは〈少し長い息〉と呼ばれるものである。その方法はこうである。

吸う息を少し長く、吐く息も少し長くしてみる。このプラクティスの場合、鼻で呼吸しても、口で呼吸してもかまわない。

今あなたがしている、そままの呼吸に、少し何かを付け加えるだけ、つまり吸う息を少し長くし、吐く息を少し長くするだけのことである。

このプラクティスは、多くの生徒がゆるやかに呼吸能力を拡大していくために、最初に取り組む安全で近づきやすい方法として使われてきた。(p161)

17.以前のやり方に戻ってしまったら

ここで紹介したようなツールを意識的に使おうとしていても、努力するのがしんどくなってしまい、以前の無秩序なやり方に逆戻りしてしまうことがあるかもしれません。

それはごく普通のこと、当たり前のことです。

なぜなら、たとえ思考が働かない解離状態であっても、また慢性疲労や慢性疼痛のような苦しみが伴う凍りつきや擬態死状態でさえも、ストレスに対してそのように反応することが、あなたの身体にとっては「楽」な方法だからです。

トラウマをヨーガで克服するに出てくるある女性の場合、自分はリラックスしたり落ち着いたりすることには慣れておらず、凍りついて緊張したりするのが、長年慣れ親しんだ習慣的な「体のやり方」だと気づきました。

レネーは、リラックスした感じになることが、「実は自分にとっては不安なのだ」ということを理解し始めていた。

レネーのセラピストは、レネーの経験を正常化させるための支援をすることができ、彼女の過覚醒が、実は自己防衛を確実にしようとする彼女の体のやり方であるということを、彼女に説明し理解させることができたのである。(p176)

たとえ苦痛を伴うとしても、慣れ親しんだやり方のほうをついついやってしまうというのは、ごく自然なことです。毎回指が痛くなるとしても、慣れ親しんだ鉛筆の持ち方や癖になった投球フォームをやめられない人と同じです。

とりわけ、慢性的なトラウマを耐えてきた人は、いやなことに対して「ノー」と言うより、相手の意向に合わせて同調するほうが得意です。何かを楽しむより、たとえ苦しくても無言で辛抱することのほうが慣れています。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、苦痛に対する耐性は尋常でなく発達しているのに、人生を「楽しむ」ことに対する耐性がほとんどないので、心底リラックスして楽しむという普通の体験ができないのです。

クライエントは、新しいものを学び、難しい課題をマスターして内なる楽しさと満足を発見するように励まされます。

スポーツにおいてすばらしい技を磨いたり、楽器を演奏したり、大きなグループの中にいてくつろぐなどの新しいスキルや能力を得るでしょう。

こうした努力によって、クライエントは欲求不満への耐性と、成功と克服と喜びの体験に対する耐性を学びます。

…クライエントはしばしば慣れていない楽しい体験に耐えることができなかったり、すぐに昔のやり方に戻ったり、慣れ親しんだいつもの麻痺や回避戦略に逃げ込もうとします。(p420)

ここで取り上げているツールはすべて、体にとってより楽になる方法、よりリラックスできる方法を模索するものです。

しかし、慢性的なトラウマを負った人は、そもそも子ども時代から安心したりリラックスしたりする経験をほとんどしていないので、リラックスするとかえって不安がつのり、凍りついているほうが楽だと感じてしまいます。

それゆえ、解離の治療においては必ず逆戻りがあります。以前の慣れ親しんだやり方に戻ってしまい、いつもの「体のやり方」でストレスに対処してしまいます。

これはごく普通のことなので、後戻りしたとしても、自分を責める必要はありませんし、失敗したと感じる必要もありません。

焦って自分の能力以上のことに取り組もうとしないでください。ここに挙げたツールはどれも、ストイックに修行するかのように身につけるものではなく、自分の体に心地よく感じてもらうためのツールであることを忘れないでください。

クライエントに与えられたすべての課題の中で、それが目標として達成可能であるならば、楽しむこと(enjoyment)が最も価値の高い目標になります。

しかしながら、もしその目標がクライエントの能力を超えたものになるならば、価値は最も低くなります。

失敗したという感覚が強化され、楽しさとは正反対のものになってしまうからです。(p422)

後戻りしてしまったように感じるときは、それがごく普通の当たり前のことだと受け止めて、また余裕があるときに少しずつチャレンジしてみましょう。

長年にわたって染み付いた「体のやり方」という習慣を変えるのは、数年単位の時間がかかって当たり前なので、ゆったり構えて、少しずつ取り組んでください。

目的は「耐性領域内」にとどまること

ここまで、解離しそうになったときに解離を別の反応で置き換えるさまざまな方法をリストアップしてきました。

大切なのは、どれかひとつの方法で満足しないことです。どんな状況でも常に役立つ万能薬はありません。

解離は「トリガーとなる刺激」→「逃走反応」→「闘争反応」→「凍りつき反応」→「破綻反応」といった連鎖で起こっていました。

この一連の連鎖反応のどの段階でも同じ方法が通用することは絶対にありません。

「逃走」や「闘争」の段階では交感神経系が優位になって過緊張状態になり、今にも超限界段階にいたろうとしています。こんなときに、立ち上がったりアップテンポの音楽のリズムに同調したら逆効果です。

そのあとの「凍りつき」の段階では交感神経系と不動系がほぼ同時に働き、「破綻」の段階では不動系がすべてをシャットダウンしています。つまり、各段階によって、対処法は変わってくるということです。

自分が今どの段階にいるかは、マインドフルネスによって、「からだの声」をじっくり聞き、観察できるようになればわかるようになってきます。

そして、自分がいる段階に応じて、その場その場で臨機応変に、この記事で見たような対処法のいずれかを選択できるようになります。

目的とするのは、耐性領域内にとどまる、ということです。耐性領域とは、自律神経系が穏やかにリラックスしていられる範囲のことです。

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法に書かれているように、トラウマを負った人が抱えている問題の本質は、自律神経の調節不全のため、いとも簡単に耐性領域を飛び出して、過覚醒や低覚醒になってしまうことです。

私たちは、何かのきっかけで過覚醒や低覚醒の状態になるときには、「耐性領域」(最適なかたちで機能できる範囲)の外に押しやられている。

過覚醒の場合には、私たちは反応しやすくなり、混乱に陥る。フィルターが働かなくなるので、音や光に悩まされ、望みもしない過去の光景が心に侵入し、パニックになったり逆上したりする。

低覚醒の状態で機能停止に陥ると、心も身体も麻痺しているように感じ、頭の働きが鈍り、椅子から立ち上がることも難しくなる。(p336)

トラウマをヨーガで克服するでも、これら低覚醒と過覚醒の特徴が、次のように説明されていました。

過覚醒の症状には、不安や恐れ、侵襲的な記憶、誘発反応、集中困難、悪夢、過剰警戒などがある。

体が過覚醒の状態にあるときは、危険や脅威の信号を警戒することによって、簡単にサバイバル反応を誘発してしまうことがある。

一方、低覚醒の症状としては、無感情、引きこもり、過睡眠、疲労感と低エネルギー、解離などが挙げられる。

低覚醒の状態では、脅威に対する反応システムがあまり働かなかったり、停止していたりして、危険の可能性があるのに、その前兆を見逃すという結果になる。

…慢性的な、あるいは繰り返し起こるトラウマを経験した人は、体の覚醒システムに調節不全をきたし、非常に過敏で簡単に止め金が外れる状態と、自分自身や他者と切り離された無感覚な状態が交互に起こるのである。(p31)

解離に陥るときには、この低覚醒と過覚醒をジェットコースターのように一瞬にして移動します。

前に書いたとおり、解離とは、交感神経系のアクセルが全開になったとき、不動系の急ブレーキを踏み込んで緊急停止した状態でした。

PTSDと解離の11の違い―実は脳科学的には正反対のトラウマ反応だった
脳科学的には正反対の反応とされるPTSDと解離。両者の違いと共通点を「愛着」という観点から考え、ADHDや境界性パーソナリティ障害とも密接に関連する解離やPTSDの正体を明らかにし

トリガーとなる刺激によって、まず過覚醒になり、ついで超限界段階という耐性領域の上に飛び出てしまい、反動で低覚醒になり、そして最後には耐性領域の下側に飛び出る解離に陥ります。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にこう説明されているとおりです。

トラウマ関連の疾患をもつ人は典型的に覚醒亢進(過剰な活性化の体験)や覚醒低下(少なすぎる活性化の体験)になりやすく、しばしば両極端に揺れ動きます。

トラウマを再想起させる刺激で、両方の傾向が自動的に引き起こされ、クライエントは調節不全な覚醒状態のなすがままになります。(p35)

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアでも、ジェットコースターのように過覚醒と低覚醒の間を振り回されてしまうことについて、さらに具体的にこう書かれています。

トラウマを受けた人は、パブロフの超限界段階のように、一方では麻痺とシャットダウン状態、もう一方では恐怖や激しい怒りのような情動があふれてくる状態との間を、激しくかつ予測不可能なやり方で行ったり来たりしていると感じている。

これらの両極の振り幅はしばしば不規則で気まぐれである。

人間のPTSDにおいて、慢性的にこれを患っている人は、しだいにシャットダウン状態になっていく傾向がある。

これは、アレキシサイミア(情動的な気づきに欠損により感情を描写したり詳述したりできない)や抑うつ、身体化といった症状として出現する。(p293)

慢性的なトラウマを抱えてきた人たちの場合は、最後の一文のように、最初のうちは過覚醒と低覚醒を激しく揺れ動くものの、次第に低覚醒寄りに固定されていき、耐性領域の下側に位置する不動状態に閉じ込められがちです。

その結果として起こっているのが、「身体化」、つまりずっと体が凍りついて引きつっている慢性疼痛や、ずっと擬態死状態で死んでいるように虚脱している慢性疲労などです。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、耐性領域内に留まるとはどういうことか理解するのに役立つ、次のような表が載せられていました。

   感覚の増大
   情動的反応性
   過剰な警戒状態
   イメージの侵入
   無秩序な認知処理
過覚醒領域
―――――――――――――――
  ↑
耐性領域
   最適な覚醒領域
  ↓
―――――――――――――――
低覚醒領域
   感情の相対的不在
   感情の麻痺
   無効な認知処理
   身体的動作の減少  

図2-1 覚醒の3領域:自律神経系の覚醒状態の調整を理解するための簡易モデル(p36)

この表をポリヴェーガル理論に照らした場合は以下のようになります。

   2.交感神経の「闘争/逃走」反応
過覚醒領域
―――――――――――――――
  ↑
耐性領域
  最適な覚醒領域
   1.腹側迷走神経の「社会的関わり」反応
  ↓
―――――――――――――――
低覚醒領域
   
3.背側迷走神経の「固まる」反応

図2-2 3つの覚醒領域と多重迷走神経階層の相関関係(p42)

耐性領域に戻ってくるためには、過覚醒になりそうなときは下側に引き戻し、低覚醒に陥っているときは上側に引き戻す必要があります。ほんの一瞬のうちに変化していく連鎖的反応であっても、その時々で対策は異なっています。

マインドフルネスによって自分をしっかり観察できるようになると、その時々で適切な対策がどれかもわかるようになってきますが、そのためには何を置いてもまず、さまざまなツールをすべて持っていなければなりません。

たくさんの選択肢をツールボックスに入れておく

解離に陥らないために最も大切なことは、「自分には何かできることがある」という感覚です。

解離の不動状態とは、すなわち動物行動学の実験でいうところの学習性無力感のことだと以前に書きました。

どこにも逃げ場がなくなり、「もう打つ手はない」と思った瞬間、からだの生物学的本能が解離を選び、選択肢を放棄します。

自己コントロール感を失い、完全に無力感に支配されると、ヒトを含め動物はみな、主体性を放棄してしまい、ただ苦痛を終わるのをじっと耐えるだけになります。それが意識を飛ばして苦痛をやりすごす解離の正体です。

なぜ子ども虐待のサバイバーは世界でひとりぼっちに感じるのか―言語も文化も異なる異邦人として考える
子ども虐待のサバイバーたちが、だれからも理解されず、「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」理由について、異文化のもとで育った異邦人として捉える観点から考察します

どこにも逃げ場がない、という状況に陥らないためには、壁際に追いつめられないこと、言い換えれば、後ろに余裕があることが必要です。

それは、ひとつうまくいかなくても、ほかに様々な方法がツールボックスに入っているので、まだまだやれることはあるはずだ、という心の余裕です。

まずは、この記事で紹介したような方法をすべて、自分のツールボックスに入れておきましょう。そして、この記事以外の情報からも、さまざまなツールを仕入れて、自分のツールボックスに追加していきましょう。

この記事で考えたさまざまなツールは、すべて身体志向のセラピーであることを忘れないでください。頭で理解した気になってはいけません。必ず、ひとつひとつ、具体的なからだの動作として実践して体験してください。

トラウマをヨーガで克服するに書かれているように、頭で考えていても決して問題は解決しないからです。

身体指向のセラピーは、“心とはつかみどころのないものだ”という前提に立つ。

現に、何年もの間トーク・セラピーを続けているのに、これといった内的経験の局面を得ることができない、という人びとがいる。

“知性でとらえようとすること”は一般的に防衛として使われる方法であるが、とらえようとしているものが何であれ、解決のために相当な時間を費やしても「その精髄には決して到達し得ない」と言うことができる。(p36)

この記事で紹介した様々なツールは、ひとつの項目につき、やれることはたったひとつしかないなんてことはありません。

試着室で服を試しに着てみるくらいの感覚で、ささっと項目を試すのではなく、じっくり時間を取り分けて一つ一つの項目で「実験」してみてください。自分の感覚に意識を向けて、変化をしっかりモニタリングしてください。

声を出すにしても姿勢を変えるにしても、マインドフルネスによる自己観察と並行して行えば、多種多様なやり方があることに気づくでしょう。何らかのボディワークを始めてみたら、体で試せることは永久に尽きないほど膨大だと気づくはずです。

自分のからだの動きを通して、感覚の変化をモニタリングし、解離に効果があると少しでも感じられた動作をリストアップして、自分専用のツールボックスにどんどん追加し、いつでも参照し実践できるようにしてください。

壁に貼ったり、いつも持ってるメモ帳に書き込んだり、持ち歩いているスマホアプリにまとめたりして、ここぞというときに見れるようにしてください。トリガーに遭遇したら、解離によって思考が飛んでしまうことも多いので、最初のうちは思い出す助けが必要です。

トラウマをヨーガで克服するによると、トラウマ治療のためのヨーガ教室の生徒たちには「解離が頻繁に起こる」ので、ひとつのわかりやすい指示でも「一回で聞き取れないのは当然であり、二回目でさえもそう」なので、少なくとも三回繰り返すよう書かれているほどです。(p184)

自分ひとりで実践する場合も、これと同じです。一度や二度でうまくいくことはないですし、思い出させるためのメモのようなものはどうしても必要です。(わたしがこうした記事を書いているのも、自分自身に対するリマインダーとしてです)

何度も意識して繰り返していれば、新しい動作は、以前の自動的な反応に置き換わる新しい手続き記憶として体に保存されるので、やがて意識して思い出さなくても実行できる習慣になっていくはずです。

そうすれば、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアに書かれていたとおり、たとえトリガーにさらされても解離以外の選択肢をいろいろと選べるようになっていき、自己コントロールの自由を取り戻せるようになります。

以前は恐れ、怒り、防衛、無力感といった反応しかなかった状態から、コンテインメント[反応を一時保留し感情を包み込むこと]によって多数の反応から選択できるようになる。

…私たちは、潜在的な運動の(瞬間ごとの)行動に優先順位を付ける能力を強化する。それによって、最も適切な行動を選択できるようになるのだ。(p384)

いままでは、ジェットコースターのように過覚醒や低覚醒にただ振り回され、どうしようもない無力感にまとわりつかれていた様々な症状に具体的に対処できるようになると、自己統御感が育まれます。

自分の状態をしっかりモニタリングして、その時々に応じた最適なツールを自分に処方できる自分の専属ドクターになりましょう。

自分を自分でコントロールできるようになり、「自分には何かできることがある」という自信を抱くことこそ、解離という牢獄から抜け出すために最も必要なステップであり、この記事はそのための七つ道具なのです。

この記事で紹介した本は専門的な内容のものが多いですが、トラウマをヨーガで克服するは比較的わかりやすく、軽い印象のタイトルに反して、ヴァン・デア・コークらのトラウマ・センターで実施されている解離への対処法と理論的な説明が詳しく載せられているので とてもおすすめです。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ソマティック心理学 / 解離