ソマティック・エクスペリエンス(SE)を知る10ステップ―「凍りつき」を溶かすトラウマセラピー


子どもが逆境やトラウマを経験すると、闘争・逃走反応を起こすか「凍りつき」状態となり、体の感覚が鈍る。

…最も効果的な方法の一つに、身体感覚に注意を向ける「ソマティック・エクスペリエンス」というセラピーがある。(p258)

どものころに経験した逆境的体験が、生物学的な変化を脳や身体にもたらし、思春期以降、さまざまな精神的・身体的な病気を発症させていく。近年、トラウマは単なる「こころの病」ではなく、全身疾患であることが明らかにされつつあります。

ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか
17000人以上のデータから子ども時代の逆境体験と成人後の体調不良の関連性を導き出した画期的なACE研究の取り組みをもとに、幼少期の経験がわたしたちの一生にわたり、心身の健康にどん

そのことを説明した本、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)には幾つかの有望な治療法が紹介されていますが、そのひとつは「ソマティック・エクスペリエンス」(SE)でした。

ソマティック・エクスペリエンスとは、字義通りには「身体の経験」という意味です。ここ日本ではまだあまり知られていませんが、ヴァン・デア・コークらトラウマ研究の第一人者たちから注目され、アメリカ航空宇宙局(NASA)でも活用されているようです。

ソマティック・エクスペリエンスは、従来のカウンセリングを主体としたセラピーとはまったく異なるアプローチで「こころ」ではなく「からだ」に働きかけます。

この記事で紹介するように、もともと原因不明の慢性疲労症候群や線維筋痛症、胃腸障害、パニック障害のような症状をきっかけに考案された治療法であり、特に子ども時代の逆境体験によって、慢性的に「凍りつき」に陥っている人に効果があると考えられます。

「凍りつき」とは、どのような生物学的現象なのでしょうか。トラウマ性の身体症状にはどんなものがあるでしょうか。ソマティック・エクスペリエンスはどのようにして身体に働きかけるのでしょうか。

この記事では、ソマティック・エクスペリエンス(SE)の理論を構築したピーター・ラヴィーンの本をはじめ、さまざまな文献を参考に、SEを理解するための10のステップをまとめてみました。

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これはどんな本?

今回参考にした本は多数ありますが、おもに以下の三冊を中心としています。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法は、現代のトラウマ研究の第一人者ともいえる、ベッセル・ヴァン・デア・コークによる、非常に評価の高い一冊です。

とくに子ども時代に経験したトラウマは、従来のPTSDとはまったく異なる「発達性トラウマ障害」(DTD)という複雑な身体的・精神的な症状を引き起こし、治療するには身体的な経験が必要である、ということが様々な角度から書かれています。

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

ヴァン・デア・コークは、この本の中で、特に身体に働きかける2つの治療法に言及しています。

私の友人であり師であるパット・オグデンとピーター・リヴァインは、この問題に対処するために体に働きかける強力なセラピーをそれぞれ開発した。

感覚運動心理療法(センサリーモーター・サイコセラピー)と、ソマティック・エクスペリエンス(ソマティックは「身体の」という意味)だ。

これらの治療の取り組みで重要なのは、何が起こったのかという物語ではなく、身体的感覚を探って、過去のトラウマが体に残した痕跡の場所と形態を発見することだ。(p356)

今回おもに参考にした残り二つの本は、この二人の著者によるものです。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際はパット・オグデンら複数の著者による感覚運動心理療法の詳細な解説書であり、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアは、ピーター・ラヴィーンによるソマティック・エクスペリエンスの解説書です。

ヴァン・デア・コークがこの二人の治療法を並べて紹介していたように、センサリーモーター・サイコセラピー(SP)とソマティック・エクスペリエンス(SE)は、それぞれ少し違う流れをくむものの、類似した内容のセラピーになっています。

どちらも「こころ」ではなく「からだ」に働きかけることで、「身体的感覚を探って、過去のトラウマが体に残した痕跡の場所と形態を発見する」ことを目的としていて、最新の脳科学や神経科学に基づいた理論を構築しています。

今のところ、ここ日本ではソマティック・エクスペリエンスのほうが知られているため、この記事は主にそちらに焦点を当てますが、センサリーモーター・サイコセラピーの知見からも数多くを引用して、理解の助けにしています。

日本ではまだ耳慣れない概念を説明するため、この記事では少しでも理解しやすくするためのたとえや事例を含めていることもあって、かなりの長文となっています。

話題ごとに10のステップに区切っていて、冒頭の目次から飛べるようになっているので、読みきれない場合にご活用ください。

1.目的は「凍りつき」を溶かして動き出させること

冒頭で引用したように、ソマティック・エクスペリエンスは「凍りつき」を治療するための手法です

ソマティック・エクスペリエンスとは何かを知るには、まず「凍りつき」という生物学的現象について知る必要があります。

「凍りつき」とは何でしょうか。

これまで、トラウマは「こころの問題」とみなされていました。しかし、小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)によれば、近年の神経科学は、トラウマとは身体に起こる生物学的な現象であることを発見しました。

「脳は小児期から思春期にかけて発達しますが、子宮内や生後3年間に過ごす環境は、脳の基本的な構造や物質が形成される重要な期間です」とカー・モースは言う。

たとえば、赤ん坊が隣の部屋で言い争う大声を聞くと、脅威を感じて脳が警告を発する。

すると赤ん坊の鼓動は強まり、呼吸が速く浅くなり、汗をかき、酸素が手足に送られて無意識のうちに闘争・逃走反応が起こる。

だが、赤ん坊は闘うことも逃げることもできないので、「“凍りつき”と呼ばれる3番目の神経状態になります」とカー・モース。

赤ん坊は泣いたり叫んだりせず、麻痺したようになる。この凍りついた状態がトラウマだ。(p175)

最後の一文がとても端的に表現してくれています。

「この凍りついた状態がトラウマ」なのです。

人間も含め、生き物は身の危険を感じると、生物学的な防衛反応を開始します。

脳が警告を発すると、まずは「酸素が手足に送られて無意識のうちに闘争・逃走反応が起こ」ります。その名のとおり、戦ったり逃げたりすることで危機を脱しようとする積極的な防衛反応です。

しかし、「闘うことも逃げることもできない」と、「“凍りつき”と呼ばれる3番目の神経状態になります」。戦ったり逃げたりすることをあきらめて、身体を硬直させたり、死んだようにぐったりさせたりする反応です。

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアの中で、ピーター・ラヴィーンは、この反応は、多くの動物に共通している本能的な防衛反応だと述べています。

捕食者や攻撃者もしくはその他の危険に対するヒトの最初の防衛線は、一般的に積極的な防衛である。

…この闘争か逃走というよく知られている反応に加えて、あまり知られていない、脅威に対する第三の反応がある。

不動化である。

動物行動学者はこの麻痺の「初期」状態ほ持続性不動状態(TI)と呼ぶ。これはは虫類とほ乳類に備わる。(p61)

動物行動学者たちの研究分野では、第三の反応である「凍りつき」は「持続性不動反応」として知られていることがわかります。少し難しい言葉ですが、固まって動かなくなる状態が持続する反応、という意味です。

パット・オグデンもまた、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の中で、こうした凍りつき反応は、動物たちに広くみられる生物学的な現象であると解説しています。

動物の赤ちゃんや弱くて群れる動物は、ある状況下で危機にさらされたとき、最初は助けを求めて鳴きだすかもしれません。

しかし、たとえ脱出ルートが利用可能な場合であっても、よく選ばれる防衛は凍りつき(freezing)防衛です。

…なぜなら、動物においては、動くことは活動的な捕食者の行動を刺激する合図となり、動かないことは発見されることを防ぐので、捕食者が他の動いている獲物に向かうかもしれないからです。

…この防衛に失敗した場合は、サバイバル反応の「最後の手段」として、ぐったりと動かなくなる「擬態死」が使われます。

…なぜなら、動かない、あるいは動けない動物は病気にかかっているかもしれないので、捕食動物は動かない獲物をむさぼらないようにプログラムされているからです。

こうした動物の防衛反応と同じことが人間にもみられることに注意すべきです。(p125)

ここでは、動物は逃げられないとき2つの種類の固まる防衛反応を示すとされています。見つからないように息を潜めて身体を固くする「凍りつき」や、死んだかに見せかけて窮地を乗り切ろうとする「擬態死」です。

最後の一文が示すとおり、「こうした動物の防衛反応と同じことが人間にもみられ」ます。

考えてみてください。学校でいじめられたり、先生に目をつけられるのを恐れたり、家庭で虐待的な親の怒りを買わないように常に気をつけている子どもは、捕食動物に見つからないよう、息を潜めて身を凍りつかせる草食動物とまったく同じ体験をしているのではないでしょうか。

自分には理解できない手術のために拘束され、わけもわからないまま痛みの伴う手術を受けさせられる子どもや、身体的・性的虐待にさらされる子どもは、捕食動物に今まさに食われようとしている草食動物と同様なのではないでしょうか。

けれども、動物の場合、たとえ肉食動物に襲われて「凍りつき」や「擬態死」に陥っても、危機が去れば回復するはずです。いつまでも仮死状態になっていれば自然界で生き抜くことはできません。

しかし、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアによると、動物行動学者たちは、この凍りつきや擬態死が終息しない場合があること、つまり、常に凍りついたままになってしまうことがあるのを発見しました。

簡単にいえば、「繰り返し脅かされ、なおかつ繰り返し拘束された場合」、この凍りつき状態の自然終息は起こらなくなってしまいます。(p69-71)

たびたび同じような経験をしたり、慢性的に脅威にさらされると、身体にとって「凍りつき」や「擬態死」のままでいるのが当たり前だと認識されてしまい、いわばそれがデフォルトのモードになってしまって解除できなくなってしまいます。

自然界の動物たちが、肉食動物に襲われても一時的に凍りつくだけで済むのは、肉食動物はすぐに去っていくからです。もしも、何ヶ月も肉食動物と同じ檻に入れられて、常に捕食される危険にさらされているなら、凍りついたままになってしまうでしょう。

現に、コロラド大学の神経科学者スティーブン・マイヤーとペンシルヴァニア大学のマーティン・セリグマンは、犬を檻の中に閉じ込めて、繰り返し電気ショックを与えるという「逃避不能ショック」と呼ばれる実験を行ないました。

すると、その犬たちは、凍りついて虚脱したまま、動けなくなりました。なんと、檻の扉が開けられても、自分からは出ようとしないほど、固まってしまったのです。凍りつきがデフォルトになって、逃げたり動いたりできなくなった結果です。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、その実験の動物に起こったのと同じことが、トラウマを負った人に生じていると述べています。

私はマイヤーの説明に釘付けになった。彼とセリグマンが哀れな犬たちにやったのとまさに同じことが、トラウマを負った人間の患者たちの身に起こっていた。

私の患者たちも、恐ろしい害―避けようのない害―を彼らになす人(あるいはもの)にさらされたのだ。

私は自分が治療した患者たちのことを、頭の中でさっと思い返してみた。ほぼ全員が何らかのかたちで身動きがとれなくなり、行動を起こして状況を打破することができずにいた。

闘争/逃走反応が妨げられてしまい、その結果は極端な動揺あるいは虚脱状態だった。(p57-58)

自然界の捕食動物は、一時的に襲ってきてもすぐに去っていきますが、人間の子どもが経験する慢性的なストレスはそうではありません。

先ほど考えたような、学校や家庭、病院でさらされる身動きのとれない恐怖はときには何年ものあいだ、毎日休みなく繰り返されます。

その結果、ピーター・ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアで述べているように、人間の子どもにも、「逃避不能ショック」を受けた犬たちと同じ、慢性的な凍りつき、擬態死状態が生じます。

トラウマは強烈に脅かされたとき、および物理的に拘束された、あるいは捕らえられたとヒトが知覚したときに生じる。

ヒトは麻痺して凍りつくか、または圧倒的な無力感で脱力し崩れ落ちるのである。(p61)

過去に何かしらの逃げられない脅威に直面した結果、筋肉が凍りついたままになって硬く張りつめたり、擬態死状態のままの身体が死んでいるかのように虚脱している現象が、トラウマなのです。

「凍りつき」としての身体症状

子どものころから、身を凍りつかせることで対処してきた人にとっては、その凍りつき状態はデフォルトの当たり前のものなので、本人すら自分が凍りついているとは気づいていないかもしれません。

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復のまえがきでヴァン・デア・コークは、トラウマの凍りつきの影響は、「わずかに息をひそめたり、微妙に筋肉が緊張したり、括約筋が硬化するといった、微細な反応」として慢性的に現れていることをラヴィーンから教えてもらったと述べています。(p vii)

彼は、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、患者たちとレクリエーションを企画したとき、慢性的な凍りつきの影響をまざまざと観察することになりました。

レクリエーションのリーダーの役割を果たしているうちに、他にも気づいたことがある。

患者たちは総じて、はなはだ不器用で、動きがぎくしゃくしていた。

…チャールズ川では一度、突風に見舞われたときにヨットが転覆しかけた。位置を変えてヨットのバランスをとる必要があることを理解できず、身を固くして帆の陰に寄り集まっていたからだ。

バレーボールをすると、患者よりスタッフのほうがきまって身のこなしが良かった。

共通点は他にもあった。彼らにとっては精一杯くつろいだ会話でも、堅苦しく、友人どうしなら当たり前の自然な仕草や表情が見られなかった。

こうした観察結果の妥当性は、体に働きかけるセラピーを行なうピーター・リヴァインとパット・オグデンに出会って初めて明らかになった。(p50-51)

ヴァン・デア・コークが気づいたように、子ども時代から凍りつくことで対処してきた人たちは、「総じて、はなはだ不器用で、動きがぎくしゃくして」います。

以前の記事で書いたように、こうした凍りつきの影響は、生まれつきの不器用さや、発達障害特有の発達性協調運動障害(DCD)だと誤解されているかもしれません。

しかし実際には、子ども時代から慢性的に続く筋肉の凍りつきの現れであり、この慢性的な微細な緊張状態こそが、身体にダメージを蓄積させ、重大な身体症状へとつながっていきます。

明確な原因が見当たらない身体的症状は、トラウマを負った子供にも大人にも広く見られる。

腰や首筋の慢性的な痛み、線維筋痛症、偏頭痛、消化不良、痙攣性結腸/過敏性腸症候群、慢性疲労、喘息などが起こりうる。

トラウマを負った子供は、そうでない子供よりも、喘息を起こす率が50倍も高い。(p164)

常に身を凍りつかせ、緊張状態にあって息をひそめていたら、身体の筋肉が過緊張になり、のどや胃腸が締め付けられるのは当然です。それが何年も何十年もデフォルトの状態として休みなく続けば、激痛や窒息するほどの苦痛にも発展します。

ピーター・ラヴィーン身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアでこう書いているように、慢性的な凍りつきは、時間の経過とともに線維筋痛症や慢性疲労症候群へと進行していきます。

かくして気まぐれな症状へと道筋が定まっていく。首や肩、背中の張りは時間の経過とともに線維筋痛症へと進行する可能性が高い。

また未解決のストレスによる身体的表現としてよく見られるものに偏頭痛がある。

胃腸のむかつきは、よく見られるような過敏性腸症候群やひどい月経前緊張症候群、またけいれん性結腸のような消化器系の問題へと突然変異的に進行してしまうかもしれない。

こうした状態は苦しんでいる人のエネルギー資源を枯渇させてしまい、慢性疲労症候群という形に進行する可能性もある。(p219)

人生の時間も凍りついている

トラウマを抱える人が経験する他の多くの症状は、この慢性的な身体の「凍りつき」の結果です。

「凍りつき」とは言い換えれば、人生の時間が停止することでもあります。

トラウマを負った人は、もうすでに危機的状況が去ったはずなのに、身体のほうでは、まだ危機のただ中にいると判断してしまい、いつまでも凍りつきや擬態死を終わりなく繰り返しています。

パット・オグデンは、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の中でこう説明しています。

あたかも時間がそのときの脅威のまま止まったかのようであり、そして、身体はトラウマ時の出来事を再現し続けます。

すなわち、脅威が認められ、動きのある防衛システムが刺激され、それから突然停止して、持続性の調節不全の覚醒と、凍りつき防衛、虚脱と麻痺が続くのです。(p348-349)

身体が凍りつくということは、身体にとって「あたかも時間がそのときの脅威のまま止まったかのよう」なものです。

トラウマを負った人が経験する、さまざまな身体的・精神的な症状はすべて、身体がまだ危機のさなかにあり、時間が凍りついていることで生じています。

トラウマの解離という概念を作り出した先進的な精神科医ピエール・ジャネが100年前に指摘していたように、トラウマを負った人は、危機的状況で体験した「古い感情」をそのまま永久に体験しつづけている状態にあります。

「とても感情的にみえるクライエントは……すべての新しい感情に無関心で、いつも同じ少しの古い感情を自動的に誇張して再生させることばかりをしています。…」とJanetは述べています。

トラウマがもとになっている情動は習慣的であり、堂々巡りのように果てしなく続く、解消されません。(p370)

ある人は、危機的状況でパニックになったまま処理がフリーズします。すると、その後の人生では、常にパニック状態で混乱したままになります。

別の人は、危機的状況で感情を切り離してシャットダウンしたままフリーズします。すると、その後の人生で感情の色が失われたまま、失感情症状態になります。

いずれにしても、いつまでも同じ処理を繰り返してフリーズ状態にあるため、その凍りつきを解かなければ、人生の時間が進み始めることはありません。以前の記事で書いたように、実際に脳の時間管理領域が停止していることが確認されています。

いつまでもいつまでも、危機的状況のときの反応を繰り返し続け、原因不明の精神症状、原因不明の身体症状、そして原因不明の習慣や思い込みにはまりこんで、永久にループし続けてしまうことがトラウマなのです。

ソマティック・エクスペリエンスの目的は、この凍りつきを溶かして再び動き出させることに集約されます。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ピーター・ラヴィーンとパット・オグデンが開発した治療法の目的について、こう述べていました。

自我と主体性の神経科学的研究によって、私の友人のピーター・リヴァインとパット・オグデンが開発した身体療法の有効性が立証されている。

こういった感覚運動的な取り組みについては第5章で詳しく論じるが、本質的にはそれらの目的は3つある。

・トラウマによって遮断され、凍りついていた感覚の情報を引き出す。
・その内部経験によって解放されたエネルギーを、患者が(抑え込むのではなく)味方にするのを助ける。
・彼らが恐怖に閉じ込められたり、拘束されたり、動きの自由を奪われたりしたときに妨げられた、自己保存のための身体的行動をやり遂げる。(p161)

3つに分けられていますが、一言にまとめれば、凍りついたものを溶かして動き出させる、という目的に集約されるでしょう。

ソマティック・エクスペリエンスは、凍りついた感覚を引き出し、凍りついたエネルギーを呼び覚まし、凍りついた身体的行動をやりとげ、逃避不能な檻の中から、身体を脱出させるためのセラピーなのです。

2.どんな人に向いているか?

これまで、トラウマの症状は、おもに「こころ」の問題だと誤解されていたため、「こころ」に焦点を当てるカウンセリングなどのセラピーが主流とされてきました。それは、ひとえにフロイトの影響が強すぎたためでもあります。

しかし、実際にトラウマの治療に向き合ってきた医師たちは、従来の「こころ」を対象にしたセラピーでも、問題が解決しないばかりか、ときに悪化することも多いことに気づいていました。

たとえばヴァン・デア・コークは、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際のはしがきで、認知行動療法などの限界を感じ、別の方法を探し始めた、と述べています。

現在教えられている主要な心理療法である認知行動療法(CBT)と精神力動療法では、理解と洞察が中心となります。

…トラウマを受けた人は最初のトラウマを受けたときの感情や行動をプログラムのようにくり返しています。これを止めるには洞察と理解だけでは不十分だということを治療者は認識しました。

そして自動的な身体反応を引き起こす、このプログラムを書き換える方法を探し始めました。(p xxv)

身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価の著者である、カナダのトロントの精神科医、ガボール・マテも同様でした。

口で「ノー」と言えなければ身体が「ノー」と言うようになる― 抑圧された感情が招く難病と慢性疾患
ガンや自己免疫疾患、慢性疲労症候群(CFS)を含む多くの難病は、突然発症するのではなく、子どものころから抑圧してきた感情が関係している。患者の気持ちに配慮しつつ、ガボール・マテ博士

彼は、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアのまえがきに、次のような言葉を寄せています。

「ほとんどの人は」とラヴィーンが指摘するように「トラウマを〈精神的な〉問題、さらには〈脳の病気〉だと考えている。しかし、トラウマはからだの中にも生じる何かなのである」

実際に、トラウマが最初に、真っ先にからだに生じることをピーターは示している。トラウマに関連している精神状態は重要ではあるけれども、二次的なものである。

からだから始まりこころが後に続くのだ、と彼は言う。したがって、知性や情動さえも関与させる「対話による療法」では十分に深いところまで到達しないのである。(pxii)

従来の「対話による療法」は、トラウマがもたらす「凍りつき」という生物学的な現象に対しては十分な効果がありません。

なぜなら、「トラウマに関連している精神状態は重要ではあるけれども、二次的なもの」だからだといいます。トラウマは「こころ」の病ではなく、生物学的基盤をもった「からだ」の問題だからです。

「からだ」の凍りつき反応がもたらす多様な身体的・精神的症状を治療するには、「こころ」よりもまず「からだ」を対象に治療しなければなりません。

言うまでもなく身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法で書いているとおり、どんな治療法にも向き不向きがあります。ソマティック・エクスペリエンスも万能薬ではありません。

トラウマには、これぞという「選り抜きの治療法」はないし、自分の手法が患者の問題に対する唯一の答えだと考えているセラピストは、患者を本当に回復させることに関心を持っているのではなく、特定の観念を信奉しているだけである疑いがある。(p347)

では、ソマティック・エクスペリエンスはどんなタイプの人に向いているのでしょうか。

もちろん、実際にやってみなければわかりませんが、治療法の性質上、次のような傾向のある人が、より効果を実感しやすいと思われます。

原因不明の身体症状が強い人

ピーター・ラヴィーンは、子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブックの中で、自身がソマティック・エクスペリエンスの手法を構築するに至ったきっかけについてこう書いています。

ソマティック・エクスペリエンス(以降SEと表記)の開発が私、ピーター・リヴァインの仕事となったのは、1969年にナンシーという女性を診てほしいと頼まれたときからでした。

彼女は、偏頭痛、今では線維筋痛症と呼ばれている痛み、慢性的な疲労感、ひどい月経前症候群、そして過敏性腸症候群などの数多くの身体症状と共に、頻繁なパニック発作などの“心理的な”問題に苦しんでいました。(p244)

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアによると、このナンシーという若い女性は 当時まだ大学院生でしたが、原因不明の身体症状に悩まされていました。「今日では、このような症状は線維筋痛症と慢性疲労症候群と診断されるだろう」と書かれています。(p24)

ラヴィーンは当時まだ手探りでリラクセーション技法を指導していましたが、セッションを続けるうちに、彼女の原因不明の症状は、4歳のころの扁桃腺手術のときの恐怖が、身体的に記憶されていた反応だと判明し、劇的な改善につながりました。

この経験から彼は、原因不明の身体症状と思われているものは、ずっと昔に経験した耐えがたい苦痛への防衛反応が、自動的に再生される身体的パターン、すなわち「手続き記憶」として保存されているのではないか、と気づきました。

そして、トラウマとは、精神的な「こころの」問題ではなく、身体を土台として起こる生物学的な現象なのではないか、と思い当たったのです。

原因不明の身体症状に苦しむ人のための「記憶」の科学の10の考察
全身に散らばる原因不明の身体症状の謎を、記憶の科学から読み解きます

 トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復の翻訳を担当し、自らもソマティック・エクスペリエンスの資格を取得しているセラピストの花岡ちぐささんも、訳者あとがきの中で、自身の体験についてこう振り返っています。

当然のように私は愛着の問題を抱えることになり、幼いころから複数の疾患に悩まされることとなった。

10代から足掛け10年余り、傾聴をベースとした心理カウンセリングを受け、私は自分の身に起きたことを理解し、時系列で理路整然と語れるようになっていた。しかし苦しい身体症状は相変わらず続いていた。

ところが、SEのセッションを受けるうちに、それらの身体表現性疾患はすべて寛解した。「認知からのアプローチ」は私を支えてくれたが、「身体からのアプローチ」は私の人生を変えたのである。(p238)

ですから、ソマティック・エクスペリエンスは、その成り立ちから言っても、アプローチの特徴からいっても、原因不明の慢性疲労症候群や線維筋痛症、胃腸障害、パニック障害などを抱える人に効果を示しやすいといえます。

むろん、これらの病気の症状は、必ずしも幼少期の逆境体験によるものとは限りません。脳脊髄液減少症や、食生活の偏りなど、他のさまざまな原因で、同様の症状を抱えている人もいます。

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しかし、研究が示すところによれば、こうした原因不明の身体症状が過去のトラウマに由来しているケースは少なからずあるため、場合によってはソマティック・エクスペリエンスが有用な選択肢のひとつとなるでしょう。

感受性が強い人

ソマティック・エクスペリエンスは、自分の身体の反応を緻密に観察して、さまざまな変化を感じ取り、少しずつ理解を深めていく、という治療スタイルをとります。

わずかな変化に注目することが求められるので、ささいなことに気づける感受性の強さを持っている人のほうが馴染みやすい治療法だと思われます。

小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)には、うつ病や線維筋痛症に悩まされてきたジョージアという若い女性の経験が載せられています。

彼女は、「他人が気づかないことを敏感に察する力」がある女性でした。人並み外れた感受性のおかげで、子ども時代から過剰に周りに気を使うなどして「他人のストレスを取り込んでしまい」「スポンジのように苦しみを吸収」して体調を壊してしまいました。(p117-119)

しかしその同じ感受性は、ソマティック・エクスペリエンスのセラピーを受けたとき、「自分でも気づかないかすかな反応」を認識して変化していく助けになり、「精神的な苦しみや体の不調をコントロール」できるようになりました。(p260)

もちろん、セラピストはどんな人でも援助できるよう訓練されますし、こうした感受性はセラピーの中で徐々に養われ、強化されていくものです。

ですから、ささいなことに気づく能力が必須だというわけではありませんが、向き不向きでいえば、もともと感受性の強い人向きのセラピーでしょう。

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他方、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、自分の身体に関心を持たず、観察しようとも思わないタイプの人は、この種の治療法に向いていません。

ときには、クライエントが身体を使うセラピーを望まない、あるいはできないということがあります。

身体感覚に近づくと、あまりにも悲惨で苦しいことがおきる、あるいは身体へのアプローチはつまらない、関心がもてない、あるいは役に立たないなどと考えている場合です。

そのような場合にセンサリーモーター・サイコセラピーは使えません。セラピストは他の技法を使用しなければなりません。(p220)

毎回のセラピーで起こる変化はちょっとしたものなので、自分の身体をじっくり観察しようと思わない人は、劇的な変化がないという理由ですぐ投げ出してしまうかもしれません。

有能なセラピストは、クライエントが自分の身体のちょっとした変化に気づくよう助けてくれますが、そもそもクライエントの側に真剣に自分の身体と向き合おうとする気持ちがなければ、治療として成立しないのです。

子どもの感性を持った人

ソマティック・エクスペリエンスをはじめとする、身体感覚に注目するセラピーは、大人より子どもに向いています。

大人はなまじ知識があるために、自分の身体の感覚を理性的な言葉に変換してしまいがちです。それによって、本当に身体が感じていることが覆い隠されてしまいます。

しかし子どもは、自分の身体の感覚を感じたままの言葉で表現します。それこそがソマティック・エクスペリエンスで求められることです。

従来、子どもは自分の状況をうまく言葉で説明できないとされてきました。たとえば、いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳にはこんな説明がされていました。

子どもはうつ病という事態に陥っても、大人のように抑うつ気分や抑制症状を自覚したり認識しないため、なかなか言葉で表現することは難しいといわれる。

はじめは身体症状(身体のだるさ、食欲不振、頭痛、腹痛など)が前面に出やすい。

大人のうつ病症状と共通する点もあるが、食欲の変化、睡眠の乱れ、からだのだるさを訴えることが子どもの場合多い。

また「集中力がなくなった」、「頭が働かない」、「気力が出ない」、「疲れやすい」、「食欲がない」、「途中で目が覚める」、「朝早く目が覚める」、「頭が痛い」、「お腹が痛い」などの症状がいくつか断片的に生じるために、小児型慢性疲労症候群との鑑別がなかなか難しいこともある。(p17)

この説明では、子どもは大人のようにうまく感情を自覚できないせいで、意味不明な身体の症状だけを訴える、と解釈されています。しかし現代の神経科学に基づけば、それは誤りです。

神経科医アントニオ・ダマシオらが、自己意識についての研究を通して明らかにしたのは、わたしたちはまず身体の感覚(情動)を感じ、それから無意識のうちにそれを感情へと変換しているということでした。

言い換えれば、先ほどガボール・マテが述べていたとおり、現代の神経科学は、精神的な症状さえも「からだから始まりこころが後に続く」ことを発見しました。

子どもはまだ「こころ」の感情に変換される前の、あるがままの「からだ」の状態を感じているにすぎません、

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアでラヴィーンは、まったく逆に大人のほうが「感覚と感情と思考を区別するのが難しい」と述べています。(p351)

大人のほうがかえって、自分の身体感覚を無意識のうちに自動的に感情や思考へと変換することに慣れてしまっているせいで、身体が感じているありのままの感覚(情動)をうまく認識できていないことが多いのです。

子どもの体調不良に対して、従来のような感情や思考に注目するカウンセリングはあまり役立ちませんが、子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブックによれば、ソマティック・エクスペリエンスではもっと直接的なケアができます。

子どもには“身体で”どのように感じるかやさしく聞いてみてください。

応えてくれたら、それを繰り返して「身体では大丈夫って感じるんだね?」と言ってうなずきやほかの反応を待ってみましょう。

その次の質問ではもう少し絞って、「お腹(頭、腕、足、など)はどう感じているのかな?」と言います。

はっきりした感覚について言及したら、やさしくその位置、サイズ、形、“色”または“重さ”を聞いてください。

これらの感覚が何を意味するかは気にしてはいけません。大事なのは子どもがそれらに気付き話せるということなのです。

「その石(鋭さ、かたまり、恐ろしさ、ひりひり)」は今はどう感じる?」など、今この瞬間に留まる質問をしましょう。(p108)

先ほどの本のとらえ方とはまったく対照的なことにお気づきでしょう。ソマティック・エクスペリエンスでは、子どもが訴えるような身体感覚のほうを重視します。

このような取り組み方がなぜ大事であるかは、次の項目で説明します。

ここで考えてきたソマティック・エクスペリエンスに比較的向いていると思われる3つのグループは、すべてよく似通っています。

子どもは原因不明の体調不良を訴えやすいですし、感受性も豊かです。つまり、ソマティック・エクスペリエンスは、頭でっかちになってしまった大人ではなく、子どもや子どもの感性を持った大人に向いている、と言い換えることができます。

むろん、トラウマを負った人の中には、つらい経験のために、子どものような無邪気さを失ってしまっている人は少なくありません。しかし、セラピーを続けるうちに、必ず子どものような感性を取り戻せるはずです。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法に書かれているように「あなたの中の最も繊細で、創造的で、親密さを愛し、快活で、茶目っ気に富んだ無垢な部分」を解放することが、セラピーの重要な目的だからです。(p479)

3.「からだ」にカウンセリングする

ソマティック・エクスペリエンスの目的を確認したところで、ここからは、いよいよ具体的な治療方法を見ていくことにしましょう。

従来、トラウマの治療法はいずれも、カウンセリングなどの手法によって「こころに」語りかけることで、もつれをほどこうとしてきました。

しかしピーター・ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアで述べているとおり、トラウマが凍りつきという生物学的現象であるなら、凍りついているのはまず「からだ」なので、「からだ」に語らせねばなりません。

「怯えによる硬直」もしくは「恐怖による凍りつき」、―あるいは崩れ落ちて無感覚状態に陥ることは―強烈な恐怖とトラウマの物理的、本能的、身体的経験を正確に表現する。

これらの生き延びるため選択肢はすべてからだが行うものである。

ゆえにこうした反応を理解しかつ起動させ、トラウマを変容させるためにセラピストが扱わなければならないのは、からだによる語りである。(p61)

厳密にいうと、「こころ」と「からだ」を別物として分けてしまうのは、神経科学的に正しくありません

とはいえ、ソマティック・エクスペリエンスの方法を理解するとき、従来の心理療法は「こころ」へのカウンセリングであり、ソマティック・エクスペリエンスは「からだ」へのカウンセリングであると対照関係でとらえてみるとわかりやすくなります。

先ほど、子どもに対するソマティック・エクスペリエンスの例を少しだけ引用しましたが、従来式のカウンセリングと、ソマティック・エクスペリエンスのセラピーの違いが際立っていました。

従来式のカウンセリングでは、起こった悲惨な体験を記憶を話させようとします。しかし、ソマティック・エクスペリエンスでは、今この瞬間に、身体にどんな症状を感じているかを聞き取ります。

小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)に書かれているとおり、ソマティック・エクスペリエンスでは、過去に何があったかを話す必要はありません。そうではなく、今の身体の感覚を観察するように求められます。

ソマティック・エクスペリエンス(SE)は…トラウマ経験の具体的な内容については話さなくても構わないが、体がストレスを抑える仕組みを学び、身体の感覚に注意を向け、どのような感情を考え、イメージが生じるのかを観察する。(p259)

過去の体験ではなく、今この瞬間のからだの状態を知るために、たとえばセラピストは、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれている、次のような質問から始めるかもしれません。

セラピストは、質問をすることによってマインドフルネスを教えるのですが、その質問とは、答えるためには今の瞬間の体験に気づくことを必要とするような質問です。

例えば次のような質問ができるでしょう。

「今のあなたの身体は何を感じていますか?」
「あなたの緊張は正確にはどのへんにありますか?」
「その緊張の大きさはゴルフボールくらい? それともオレンジくらい?」
「あなたが受けた虐待について話していると、どんな感覚があなたの足に感じられますか?」
「あなたが怒りを感じると、あなたの身体には何がおきていますか?」

的確な質問であればあるほど、クライエントはより深く「調律に合った状態」になるでしょう。そして身体に注意深く気を配るようになっていくでしょう。(p266)

この記事を読んでくださっているあなたも、ぜひ読むのを少し中断して、画面から視線をそらして、自分にこれらの質問で問いかけてみてください。

「今のあなたの身体は何を感じていますか?」
「あなたの緊張は正確にはどのへんにありますか?」

何を感じたでしょうか。もしかすると、なんとも言えない、身体の不快感をどこかに感じたかもしれません。普段から気になっている腰の痛みでしょうか、肩の張りでしょうか。あるいはもっと言葉に表現しにくい不快感でしょうか。

ここでのポイントは、何を感じてもいい、ということです、『「正しい」答えであるとか「間違った」答えであるということとは無関係な状態』で、身体に感じる感覚を無批判に観察します。(p268)

どれほど表現しにくくても、身体の感覚をそのまま感じるようにします。それがつまり、子どものようにありのままの身体を感じるということです。感情や思考に解釈してしまう前の、身体が本当に感じている情動です。

「気のせい」「思い込み」とされていた症状こそ大事

慢性疲労や慢性疼痛をはじめ、原因不明の身体症状を抱えてきた人なら誰しも、何かしらの身体の不快感を、内科や精神科の医者に打ち明けたのに相手にされなかったという経験をしたことがあるでしょう。

「目の奥が気持ち悪い」「手がねじれるような気持ち悪さがある」「ひねられるような痛み」「身体の中に鉛の固まりがある感じ」。何でも構いません。そうした言葉では表現しにくい症状を、なんとか伝えようとして、うまくいかなかった経験があるかもしれません。

ソマティック・エクスペリエンスで扱うのは、まさしくそんな、言葉で表現しにくい身体の不快感、今まで医者に伝えても頭ごなしに「気のせい」や「思い込み」と切り捨てられて、それ以上気にしないよう言われてきたような症状なのです。

主流医学において、トラウマの身体志向の治療が一向に発展せず、ヴァン・デア・コークほどの第一人者が途方に暮れて、「医学と心理学教育の外側」まで探しにいかなければならなかった理由はまさにここにあります。(p xxv)

大半の医者たちは、トラウマ治療において最も扱わなければならない、言葉で表現しにくい微妙で変幻自在な奇妙な身体の症状の意味を、まるで考えようともせずに、「気にしすぎ」と切り捨ててしまっています。

しかし、ソマティック・エクスペリエンスをはじめ、身体志向のセラピーでは、この最初の第一歩の時点で、伝統的な西洋医学の医者たちとは逆方向に踏み出します。

その奇妙な表現しにくい感覚を、頭ごなしに否定して脇に置いてしまうのではなく、セラピストの巧みな質問によって、とことんまで具体的に解き明かしていこうとします。

たとえば先ほど子どもを対象としたセラピーの事例として書かれていたように、身体の中に石のようなものを感じると言えば、「その位置、サイズ、形、“色”または“重さ”」などを尋ね、どんどん感覚を具体化させていきます。

従来の医学の教育を受けた医者たちは、こうした質問を“非科学的”で無意味なものとみなしがちです。MRIで映りもしない身体の中の「石」なんて気のせいにすぎない、想像上の思い込みにすぎないと決め込んでいるからです。

ところが、最新の神経科学は、こうした身体の中に感じる「石」のような奇妙な不快感が、現実の感覚であり、科学的に根拠のある現象であることを、すでに実証しています。

頭や内臓の異物感,手足を虫が這うような不快感の理由ー解離の体感異常についての考察
頭や内臓に異物感や不快感を感じたり、手足など全身の原因不明のむずむず感を感じたりする、解離に伴いやすい体感異常(セネストパチー)についてまとめました。

そうした身体の奇妙な症状は、いずれも、物言わぬ身体が何かを訴えようとしている声のようなものです。

従来の「こころ」を対象としたカウンセリングが無視してきた「からだ」の声に真剣に耳を傾けるのが、ソマティック・エクスペリエンスです。

もはや科学の常識は変わりつつあります。身体の内部にある不快な感覚を気のせいだとみなす医者たちは、実際にはそれと知らずに、最新の神経科学の知見に付いていっていない、“非科学的”な対応をしているのです。

4.手続き記憶―トラウマの目撃証人

ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で指摘しているように、身体の内部に感じる奇妙な感覚は、実際のトラウマ体験のなごりが、身体の各部に記憶されたものです。

無力感の記憶は、影響を受けた身体領域の筋肉の緊張や、各部がばらばらになった感覚として保存されることもある。その領域とは、事故の被害者では頭や背中や手足、性的虐待の被害者では膣や肛門だ。(p438)

一見すると、身体中に散らばる奇妙な感覚は、何の根拠もない「気のせい」の感覚に思えるかもしれません。

しかし、記憶の科学が明らかにしたのは、それらの感覚は実際には気のせいどころか、極めて真実かつ忠実な目撃証人たちである、ということでした。

記憶の科学によれば、わたしたちの記憶には、おおまかに分ければ、自分から思い出して言葉で表現できる記憶(宣言的記憶)と、無意識のうに身体に保存され、自動的に実行される記憶(手続き記憶)の二種類があります。

わたしたちが普段、「わたしは記憶力がいい」「物忘れがひどい」などと言うときに記憶だとみなしているものは、前者の言葉で表現できる記憶(宣言的記憶)のほうです。

しかし、わたしたちが生活の中でより頻繁に活用しているのは、後者の無意識に身体に保存される記憶(手続き記憶)のほうです。

この手続き記憶は、たとえば自転車に乗ったり、楽器の弾き方を覚えたりするときに用いている「身体がやり方を覚える」タイプの記憶です。わたしたちは気づいていませんが、わたしたちはこの手続き記憶をあらゆる場面で使っています。

歩いたり走ったりする際に、うまくリズミカルに手足を動かせるのはもちろん手続き記憶のおかげです。スポーツ選手はこれを強化して、さらに複雑な動きを身体に覚えさせていきます。

タイピングできるのも、自動車を運転できるのも、ものが飛んできたときにとっさに避けられるのも、階段を踏み外さないでいられるのも、ありとあらゆる身体の動きや反応は、手続き記憶としてコード化されています。

さらには、人間関係にみられるパターンもまた幼少期にコード化された手続き記憶です。それは愛着(attachment)として知られています。トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にはこう説明されています。

愛着パターンは、早期の愛着を反映した長期にわたる身体的傾向(physical tendencies)の中にもあらわれます。

手続き記憶としてコード化されて、これらの愛着パターンは、親近さを求める行動(proximity-seeking)、社会的関わり行動(微笑む、相手に向かって動く、手を伸ばす、アイ・コンタクト)、防衛的表現(身体を引く、緊張のパターン、過覚醒あるいは低覚醒)としてあらわれます。(p63)

近年、愛着障害は「こころの問題」と誤解されていますが、その本質は生後すぐに受けた親の世話の手続き記憶であり、そのとき学んだパターンを良い悪いにかかわらず、後の人間関係で反復してしまう現象なのです。

心は複数の自己からなる「内的家族システム」(IFS)である―分離脳研究が明かした愛着障害の正体
スペリーとガザニガの分離脳研究はわたしたちには内なる複数の自己からなる社会があることを浮きらかにしました。「内的家族システム」(IFS)というキーワードから、そのことが愛着障害やさ

そして、トラウマ患者がいつまでも凍りついたままでいるのも、身体が永久にトラウマのときの手続き記憶を再生しつづけているからです。

身体のあちこちに経験する奇妙な症状も、トラウマ経験の際に身体に記録された手続き記憶の断片です。

ヴァン・デア・コークは、トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復のまえがきでこう書いています。

トラウマの痕跡は、物語や意識的な記憶とは異なり、感情、感覚および心理的な自動反応のように、身体が勝手に行っていく「手続き」の形をとって、密かに私たちを支配している。(p ix)

たとえば、トラウマ患者たちがみな不器用でバレーボールが苦手だったことを思いだしてください。それは、かつて四六時中 身を凍りつかせていた経験を、身体がそっくりそのまま手続き記憶として記録しているからです。

意識的な宣言的記憶のレベルではすっかり忘却しているようなことでも、身体は忠実に覚えています。

以前取り上げた私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびての著者オルガ・トゥルヒーヨは、原因不明の線維筋痛症の痛みを感じていましたが、それは子どものころ受けた性的虐待の痕跡でした。

意識の上ではあまりに辛い体験だったため解離性の記憶喪失が起こっていましたが、身体は正確に記憶しつづけていたのです。

解離性同一性障害(DID)の手記「私の中のわたしたち」―創造的な生存戦略の凄絶な記録
解離性同一性障害の当事者のオルガ・トゥルヒーヨによる体験談から、解離に伴う気づかれにくい心身症状や、解離のおかげで発達する優秀さについて考え、解離が病気ではなく創造的な生存戦略であ

手続き記憶の正確さは、わたしたちが普段感じている宣言的記憶の正確さとは比較になりません。宣言的記憶は簡単に忘れたり改変されたりしますが、手続き記憶は非常に正確です。

練習したこともない人が一輪車に乗れるでしょうか。 箸を使ったこともない外国人が、いきなり箸を手渡されてご飯を食べられるでしょうか。

いいえ、経験したことのないのに、身体の手続き記憶が形成されることは絶対にありえません。

つまり、記憶の科学からすれば、大半の医者たちが「気のせい」や「思い込み」だとみなしている奇妙な身体の不快感は、絶対に気のせいではなく、何の理由もなしに生まれるようなことは科学的に言ってありえないのです。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際によると、かのジークムント・フロイトはかつてこう書いていたそうです。

こころは忘れてしまう。でもからだは違うーありがたいことに。(p200)

フロイトは、からだの手続き記憶の正確さを認識していました。しかしその極めて正確な記憶が、よもやトラウマの原因だとまでは気づきませんでした。

「ありがたいことに」身体は一度経験した自転車の乗り方やボールの投げ方を忘れません。しかし「ありがたくないことに」過去に経験した辛い経験による凍りつきもまた決して忘れないのです。

身体に感じる様々な不快感や奇妙な感覚は、トラウマの物言わぬ目撃証人であり、言葉を使ってトラウマの苦しみを表現する代わりに、身体症状を通して苦しみを表現しています。

▼「からだは忘れない」他の例
スポーツ選手の場合、身体は練習の結果身につけたスキルを忘れませんが、過去に経験した緊張の伴うプレーのときの凍りつきを身体が忘れないせいでイップスを発症し、ときに引退に追い込まれることさえあります。

自分が体験したのでない出来事を見聞きしてトラウマを負ってしまう代理トラウマと呼ばれる現象もありますが、その場合も、他の人の衝撃的な体験を、自分のことのようにありありと感情移入し、その恐怖を身体的に感じたことで生じています。

化石を発掘するかのように

身体が記憶しているトラウマの断片こそがトラウマの本質なので、カウンセリングが必要なのは、「こころ」ではなく「からだ」です。

「こころ」を対象にしたカウンセリングをいくら続けても、少し気持ちが楽になることはあれど奇妙で頑固で意味不明な身体の記憶は消えません。

ソマティック・エクスペリエンスのような、「からだ」を対象としたカウンセリングによって、身体に記憶されている目撃証言をつなぎ合わせてはじめて、過去のトラウマを治療する手がかりがもたらされます。

セラピストの質問によって身体の感覚に気づくように促され、どんどん具体化させていくさまは、化石を発掘するようなものです。

ちょうど、はるか昔に実際に生きていた恐竜の化石が、砂漠のあちこちに散らばって埋まっているように、身体のあちこちに埋まっている不快な感覚もまた、過去に実際にあった出来事の断片的な化石です。

化石一つひとつは、まったく意味不明な「石」のようなものすぎないかもしれません。しかし慎重に発掘を重ね、多くの化石を組み合われば、ひとつの巨大な生き物の一部だったことが明らかになります。

身体の中に「石」のような異物感や不快感があると訴えても、大半の医者は関心をもちません。けれども、それは実際には、過去に牙をむいた、何らかの巨大なトラウマの記憶の一部なのです。

ソマティック・エクスペリエンスでは、長期間にわたるセラピーの中で、少しずつ慎重に化石を発掘していきます。時間がかかりますが、化石の発掘だと思えば当然です。

一つひとつの感覚の断片をより深く探るために、たとえばセラピストは、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、色々と条件を変えて、感じ方の変化を確かめるかもしれません。

例えば、クライエントが自分の腕にチリチリ感を感じるようになったときに、セラピストは、次のようにたずねて実験を提案します。

「腕のチリチリ感だけに集中すると何がおきるでしょうか。何に気づくみたいですか?」

クライエントとが腕で押すようなしぐさをしたときにはセラピストはたずねます。

「腕でやっているそのしぐさを繰り返してみたときに何がおきるか、一緒に確かめてみるというのはどうでしょう? それをくり返したときに何がおきるかやってみましょう」

もしくはセラピストはこのように言ってもよいでしょう。

「もし、しっかりと立ってそのしぐさをやってみたら、何がおきるのかみてみましょうか」(p271)

立ったときと座っているときとでは感覚は変化するでしょうか。仕草を変えてみると、どう変わるでしょうか。意識を集中させる場所を変えてみると、感覚は変化するでしょうか。

ふだん一人でいるときにも、身体に散らばる不快な感覚を意識したことはあるでしょう。しかし、さまざまに条件を変えて、その感覚の変化を仔細に観察してみたことはないかもしれません。

さまざまに条件を変えて感覚の変化を探るのは、化石の断片を慎重に発掘するのと似ています。古生物学者は、地層に埋まった化石をさまざまな角度から眺め、適切に土を削ってはじめて、ようやくどんな形かを知ることができます。

過去のトラウマの手続き記憶の断片も、さまざまに条件を変えて試しているうちに、それが何の痕跡なのかが、少しずつわかってくることでしょう。

ずっと変わらない不変の不快感だと思われていたものが、じつは条件を変えると、より強く感じるときと、ほとんど気にならなくなる場面があることにも気づくでしょう。

こうした丁寧な発掘作業、からだのカウンセリングを通して、永久不変、原因不明だと思われていた症状は、じつは何かしらのトリガーに反応して再生されている特定のトラウマのなごりであることがわかってくるのです。

5.ソマティック・リソース―安心できる感覚を見つける

文字どおりの化石を発掘するときは、化石はもろいために、慎重に取り出さなければ、常に破損してしまう危険がつきまといます。

ソマティック・エクスペリエンスのセラピーも同様で、トラウマ記憶の断片という不安定な危険物を扱う作業なので、慎重に進めなければなりません。

過去のトラウマ記憶に早急にアクセスすると、感覚に圧倒されたり、フラッシュバックを起こしたりする、再トラウマ化の危険があります。

現在、医学の主流として行なわれている曝露療法は、こうした危険を顧みずに過去のトラウマを再体験させることにより、より症状を悪化させてしまっている、とヴァン・デア・コークはトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復のまえがきで批判しています。

トラウマ体験からの生還者に、トラウマを繰り返し詳細にわたって再体験させ、彼らを恐怖と生理学的過活性の状態に留置し、当然のこととして過去の激しい苦痛がさらに強化される状態を生み出す危険を冒している治療方法が見受けられる。

このようなことをしてしまうと、トラウマの記憶は、新たな戦慄体験と結びついて固定化され、内面の世界によって圧倒されている感覚が強化されていく恐れがある。

SEは、これらの療法とは厳然として異なる。(p xii)

ソマティック・エクスペリエンスやセンサリーモーター・サイコセラピーでは、再トラウマの危険を避けるため、いくつかのポイントに注意して、セラピーが進められます。

まず大切なのは、トラウマのなごりではなく、安心できる感覚のなごりを発掘することです。

前述のように、過去の体験はみな手続き記憶として、わたしたちの身体の各所にコード化され、保存されています。

トラウマによる苦痛が身体のさまざまな場所の保存されているのはもちろんですが、どれほど辛い経験をしてきた人であっても、必ず望ましい体験の記憶を持っているものです。

身体は、良い体験も悪い体験も手続き記憶として保存します。恵まれた家庭で育った人の多くが、自尊心や安心感を抱けるのは、子どものころの親から受けた愛情ある世話の記憶が、心地よい手続き記憶として保存されているからです。

フロイトが述べていたように、「ありがたいことに」わたしたちは良い経験の手続き記憶も忘れません。

トラウマを負った人は、自分の身体の不快な感覚を意識するのは慣れていますが、安心できる感覚を見つけるよう言われると、途方に暮れてしまうかもしれません。自分の身体に安心できる気持ちよい感覚などない、と感じる人もいるでしょう。

しかし、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、どれほど悲惨な人生を送ってきた人でも、必ず何かしらの好ましい記憶を持っています。

クライエントが自分には何のリソースもないと感じているとしても、最も深刻な調節不全を抱えているクライエントさえも、サバイバーとしてのリソースを使ってきていたことを私たちは発見しました。

セラピストが注意を向けるよう導くまでは、気づくことなく使ってきたのでしょう。

あなたはセラピーに来るのにいくつかのソマティック・リソースを使っていますよ、と伝えることそのものがクライエントを安定させます。

長期にわたってトラウマを抱えてきたクライエントにとって、これは今までとはまったく異なる考え方で、驚きとともに勇気づけになります。(p289)

そうした安心できる身体の感覚は、トラウマの記憶を治療していく中で、非常に重要な役立つ資源であり、「ソマティック・リソース」と呼ばれています。

では、自分が「気づくことなく使ってきた」かもしれない、安心できる身体の感覚、望ましい体験の記憶がどこにあるのかを知るには、どうすればいいのでしょうか。

ここでもセラピストはまず、身体に注意を向けて、身体に問い尋ねる質問を用いるでしょう。たとえば、次のような質問を使うかもしれません。

例えば今あるリソースについて知るために
「あの経験から得たことは何でしょう?」
「どうやってサバイバルしたのですか?」
「何があなたの助けになりましたか?」
などと質問します。(p289)

どれほど辛い体験をしてきた人でも、ひどい逆境を耐え抜くために、何かしら拠り所にしてきたものがあるはずです。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、まず一緒にいて安心できた人がいないかどうか尋ねてみると述べています。

子供のころに養育者から残忍な仕打ちを受けていた患者は、誰といても安全だと思えないことが多い。

私はよく患者に、児童期にいっしょにいて安心できた人を挙げてみるように言う。

多くの患者は、これまでただ一人だけ気遣いを示してくれた教師や隣人、店の人、コーチ、あるいは聖職者の記憶を、しっかりと持っている。(p348)

私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびてのオルガ・トゥルヒーヨは、子ども時代の壮絶な性的虐待のために、解離性同一性障害や線維筋痛症を発症しました。

しかしそれでも、近所に住んでいた一人の女性が、なんとかして少しでも力になろうとしてくれた記憶から、ずっと励みを得ていました。

ドニャ・グラシエラはやれることはすべてして助けてくれた。私は彼女のことも、一見普通に思える親切も忘れないだろう。

いまでも、ドニャ・グラシエラについて話したり、彼女と過ごしたことを書いたりすると、私の生活に彼女の愛の力が働いているのが感じられる。(p47)

また、強制収容所体験を生き延びた経験を「夜と霧」に記したヴィクトール・フランクルは、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)によれば、愛する妻のことを思い出して正気を保ったとされていました。

ナチスによるユダヤ人迫害が厳しかった時代、アウシュビッツなどの強制収容所に閉じ込められた人たちは、いかにして精神の平衡を保ったか。

そのために大いに助けとなったのは、愛する人のことを回想することであったと、ヴィクトール・E・フランクルは『夜と霧』で述べている。

フランクル自身、妻があたかもそばにいて、ささやいてくれるだろう言葉を脳裏に思い浮かべることで、過酷な試練に耐え、生きながらえることができたのである。(p35)

もし、これらの人たちがソマティック・エクスペリエンスを受けるようなことがあったとしたら、セラピストは、きっとこう尋ねていたことでしょう。

「その人のことをイメージすると、身体のどこに、どんな感覚を感じますか、その安心感はどんな感触ですか、どのくらいの大きさに感じますか、どんな色ですか?」

こうした具体的な質問を投げかけられると、望ましい記憶を思い出してイメージしているときに、身体のどこかに何かしらの変化が起こるのを感じるはずです。

こうして、望ましい記憶を、身体で感じる安心できる感覚に変換したものが、「ソマティック・リソース」、つまりトラウマと取り組む上で大いに助けになる資源なのです。

最初に「安心の島」を確保する

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の中で、ソマティック・リソースは、「身体的なアンカー」に例えられています。アンカーとは、船を安定させる錨(いかり)のことです。(p294)

ちょうど、嵐にもまれている船が、頑丈な岩礁にいかりを引っ掛けて船体を安定させるように、安心できる身体感覚は、不快感の嵐に呑まれそうになったときに安定を取り戻す助けになります。

健康な人を対象にしたマインドフルネスの場合、アンカーとして用いられるのは、たいてい呼吸です。注意がそれそうになったら、呼吸に注意を引き戻すことで、意識を今ここににつなぎとめます。

しかし、以前の記事でも考慮したとおり、トラウマを負った人の場合、呼吸に注意を向けると急速に不安定になりがちです。健康な人が自然に活用できるような身体的なアンカーを持っていないのです。

それゆえ、不快なトラウマの痕跡を本格的に発掘し始める前に、まず望ましい経験のなごりを発掘することで、一人ひとりがそれぞれ、自分の経験の中から、アンカーとして使用できる身体感覚を見つけなければなりません。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、そのような安心できる身体感覚を「安心の島」と表現しています。

私たちはまず、体の中に「安心の島」を確立する。

これは患者を助けて、身動きがとれなかったり、恐れおののいたり、激怒したりしたと感じたときにはいつも地に足の着いた心持ちになれるような、体の部位や姿勢、動きを突き止めてもらうことを意味する。

こうした部位は通常、パニックのメッセージを胸部や腹部や喉に伝える迷走神経が分布していない場所にあり、トラウマを統合する際に味方になってもらえる。(p403)

肯定的な安心できる手続き記憶は、身体の特定の部位の感覚や、特定の動作パターンとして記憶されています。

先ほど書いたように、何か望ましい安心感を感じられる過去の記憶から探り当てることもできますし、身体全体の感覚を概観して、特に不快感のない場所を用いることもできます。

そうした場所は、トラウマの痕跡である不快な手続き記憶が存在していない「安心の島」なので、トラウマ記憶の不快感の海に圧倒され、おぼれてパニックになりそうになったときに、戻ってこれる陸地になります。

たとえば私は患者に、手は何ともないように感じられますかと尋ねる。はいという答えがあれば、手を動かしてその軽さと暖かさとしなやかさを探ってくださいと言う。

そのあとで、患者が胸を締めつけられて息も絶え絶えになっているのに気づいたら、患者を制止して、手に意識を集中し、手を動かしてくださいと言う。

そうすると、自分がトラウマから切り離されていると感じることができる。(p403)

『まず、体の中に「安心の島」を確立する』ことがどうして必要です。この安心できる感覚の強化をすっとばしてトラウマ記憶の発掘に進んでしまうと、トラウマの無謀な再体験によってかえって悪化するという、曝露療法と同じ轍を踏んでしまいます。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際には、その順序をしっかりと守って、トラウマ治療に取り組んだひとつの例が載せられていました。

解離性同一性障害と診断されていたあるクライエントは激しい調子で、身体は汚いとさかんに腕や足をこすりながら答えました。

単に身体について質問したのでは覚醒亢進するとわかったので、セラピストは彼女に、現在であれ過去であれ身体の中にいい感じを感じたときを思い出せますか、と聞いてみました。(p294)

この解離性同一性障害のクライエントの場合、明らかにトラウマ体験の痕跡とおぼしき、身体の強烈な不快感を感じていました。

そのままトラウマの痕跡に注意を向けてしまうと、過覚醒になってより不安定になってしまいます。ことによっては、それが引き金となって過去の衝撃的なトラウマをまざまざと思い出し、再体験してしまうかもしれません。

そこでセラピストは、まず「安心の島」を確保することにしました。過去の肯定的な体験を尋ね、そのとき身体でどのように安心感を感じたか具体化していくことで、「肯定的な身体の経験」というソマティック・リソースを確保しました。

クライエントはすぐにブランコに乗っておじいちゃんに背中を押してもらったのを思い出しました、といいました。この記憶は肯定的な身体の経験を取り戻す出発点となりました。

セラピストはセッションで彼女にその記憶と関わりのある感覚を存分に感じてみるようにいいました―胸の内で笑いがこみ上げる感じ、「サーッ」と肌で空気を感じる感覚、足に力のある感覚―これらはみな、トラウマ後に感じている汚い感じを打ち消す働きをしました。(p294)

その肯定的なイメージは安全な陸地のような働きをしてくれたので、セラピーの中で、身体の不快感に圧倒されてパニックを起こしそうになったときに、注意を切り替えてリラックスする助けになりました。

こうして自分の身体に気づき、安心できる何かしらの身体的な感覚を確保できれば、いよいよトラウマの断片と向き合う用意が整います。身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法にはこうあります。

そしてその記憶はしばしば、物事にもう一度携わるための種となる。

私たち人間は、可能性に満ちた種(しゅ)だ。トラウマに対処するというのは、損なわれたものに取り組むだけではなく、どのように生き延びたのかを思い出すことでもある。(p348)

どれほど悲惨な人生を送ってきた人でも、今に至るまで生き延びてきた以上は、意識せずとも何かしらの支えを活用してきたはずです。

その安全な記憶、ソマティック・リソースという資源を見つけ出し、「どのように生き延びたのかを思い出す」こともまたセラピーの大事な一部です。

トラウマの治療とは、一般的には、曝露療法に代表されるように苦行のようなものとみなされがちですが、実際には、自分が生き延びてきた強さを見つけ出す場でもあるのです。

安全な感覚を見つけにくい場合

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ヴァン・デア・コークは、「いっしょにいて安全だと感じた人がまったく思い浮かばない患者もいる」と述べています。(p348)

それは、幼少期から「基本的信頼感」がまったく育まれないような人生を送ってきた人に典型的でしょう。

誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち
だれも心から信じられない、傷つくのが怖い、安心できる居場所がない。そうした苦悩の根底にある「基本的信頼感」の欠如とは何か、どう対処できるのか、という点を「母という病」という本を参考

そんな場合、人間ではなく動物を思い浮かべることで安心できる人もいる、とヴァン・デア・コークは言います。

これはトラウマ治療にアニマルセラピーなど動物介在療法が効果的な理由のひとつでしょう。(詳しくは子ども虐待への心理臨床: 病的解離・愛着・EMDR・動物介在療法までという本を参照)

あるいは、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論に書かれているように、現実世界の人間の代わりに、空想世界を避難所としている人もまた多いでしょう。

彼女たちにとってこの世界はいつ何時恐れていたことが起こるかもしれない緊張に満ちた世界である。

安心して落ち着ける居場所を見つけられず、じゅうぶんに包まれているという体験をすることがなかった。

周囲に包まれることを求めながらも、それが満たされることはない。そのために自らのまわりにヴェールを張りめぐらせ、空想の世界を思い描く。

…空想的世界は、現実の世界に安心できる居場所を見つけられなかった患者がかろうじて作り出した避難できる居場所である。(p221)

空想世界やイマジナリーコンパニオンを避難所としてきた人の場合でも、そのイメージを思い浮かべるときに、身体でどう感じるか確かめてみることによって、ソマティック・リソースを確保できます。

中には、身体の感覚が麻痺しすぎて、安心感を感じることが困難になっている人もいることでしょう。

トラウマを負った人は、身体に絶え間なく生じる不快な感覚のため、身体とのつながりを切って麻痺させていることが多いものです。自分の身体と疎遠になりすぎているため、「からだ」をカウンセリングしようとしても実感が湧きません。

それはすなわち、感情も感覚も感じないほどに「凍りついて」しまっている場合があるということです。その場合は、氷漬けになった身体を溶かし、少しでも何かを感じ取るところから始めなければなりません。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際によると、身体が完全に凍りついていて無感覚になっているときに役立つのは、自分で自分の身体に手を当てて、その部分にどんな感覚を感じるか意識を集中させてみることです。

もしクライエントが身体とのつながりを失いがちな傾向があるなら、また身体感覚への気づきが少ない場合には、クライエント自身で特定の場所に触れてもらうと、(例 : 首、肩、お腹)、身体への気づきを回復させることができます。(p278)

手を触れると感じやすくなるというのは、なにも手のひらから気のようなものが送られるというような、スピリチュアル的な意味ではありません。

身体が凍りついてしまっているというのは、身体が疎遠になって他人になってしまっているということです。

以前の記事で書いたように、これは比喩ではありません。現代の脳科学の知見からすれば、文字どおり他人の身体として処理されているものと思われます。

自分の身体が感じられない生ける屍になった人たちー感覚鈍麻とアイデンティティ喪失の神経科学
感覚過敏に比べて、あまり注目されず、深刻さが理解されにくい、感覚の鈍麻や麻痺、解離が引き起こすアイデンティティの障害について考察しました。

現実の人間関係では、他人に手を触れるのは関心を向ける行為です。友達から優しく手を握られたり、肩にそっと手を置かれたりすれば、誠実な関心を向けられていることがわかります。

身体の中で「他人」として処理されている部分も同様です。その部分にそっと手を添えることで、関心を向けていることが伝わり、他人になっている身体がいわば「話し」はじめるといえます。

失感情症に苦しんでいたあるクライエントは、自分の手で胸に触れ、さまざまな方法で関心を向けるうちに、凍りついた感覚が溶けて感じられるようになりました。

例えば、失感情症に苦しむクライエントが胸のあたり、特に心臓の周辺の無感覚を訴えたとき、セラピストはクライエントに自分の手をその場所に当ててみるように提案しました。

最初、クライエントは「何も感じない」と言いました。しかしセラピストが、身体のその部分を感じるのをサポートするような、ぴったりとしたやり方を自分で発見するまで、違った手の当て方を試してみるように提案すると、クライエントは的確な強さと自身の手の動きによって、本当に胸の感覚を促進させたのです。

クライエントは次のようにコメントしました。「自分の心臓を感じます。自分の心臓なのだ、と感じるのは初めてです」(p278)

もちろん、現実の人間関係と同様、いちばん効果が強いのは、文字どおりの他者から手を触れられることでしょう。

そもそもヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法で書いているように、生まれたばかりの赤ちゃんが自分の感覚を感じられるようになるのは、親が抱きしめてくれる経験のおかげです。

母親が子供をどのように抱くかが、「精神が宿る場所として体を感じる能力」の根底にある。

私たちの体がどのようにに接し合うかに関するこの内臓感覚と運動感覚が、私たちが「現実」として経験するものの基礎を築くのだ。(p187)

この身体的体験の手続き記憶と、そこから生じる安心感が、いわゆる愛着(attachment)です。こうした身体的なふれあいが経験されず、安心感を感じるための手続き記憶が形成されないのが愛着障害です。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復によれば、ヴァン・デア・コークがソマティック・エクスペリエンスの価値に気づいたのは、ラヴィーンから手を触れてもらったおかげでした。

ピーターが用いたタッチは、とてつもない助けになった。私の専門分野での教育では、タッチは厳しく禁止されており、また子供時代も身体接触はほとんどなかった。

ピーターが使ったタッチのおかげで、私は自分の内的経験に、よりよく気づくようになった。(pviii)

しかし他者から手を触れられるという体験は、非常に大きな意味を持つので、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際では、トラウマを抱える人の場合、刺激が強すぎることがあると書かれています。

身体接触は癒やしにもなりえますが、潜在的な危険があるので、できる限り用心深く思慮をもって使われねばなりません。(p276)

セラピストが手を触れると強い反応を引き出しすぎる恐れがありますし、異性同士の場合など、不適切な感情につながることもあるでしょう。まずは自分の手で触れて感覚を感じてみることが安全な方法だといえます。

6.ペンデュレーション―振り子運動で凍りつきを溶かす

ここまで見てきたようなステップは、ある程度なら、自分ひとりでできることかもしれません

しかし、ここまでは前準備でしかありません。セラピストの助けが本格的に必要なのは、これ以降のプロセスです。

安心できる感覚を見つけるのは心地よい経験ですが、いざ過去のトラウマ記憶の断片を発掘しようとし始めると、不快感にとらわれたり、圧倒されたりして、それ以上進めなくなりがちです。

トラウマを負った人の身体は、あたかも見知らぬ他人の身体のようなものです。トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にあるとおり、トラウマを負った人は、自分の身体に対して怯えています。

多くのクライエントが身体に否定的な感覚をもってセラピーにやってきます。

感覚を体験することを恐れたり、麻痺や身体がバラバラになる感覚を感じたり、望んだように身体が動かないので身体は自分を裏切ると怒っていたりします。

…トラウマをもつ人は、しばしば身体の感覚を、怖くて、異質で、ぞっとする、つまらない、退屈な体験でありえないなどとみなしています。(p292)

自分の身体が他人のもののように感じ、ひどく奇妙で不快で気持ち悪い、と感じるのは、トラウマを解離という防衛反応によって生き延びてきた結果です。

以前書いたとおり、解離とは、自分の身体を他人の身体のように錯覚させて、痛みや苦しみを麻痺させる手段です。身体の所有感覚を手放して、「自己」ではなく「非自己」のタグを貼ることで、耐えがたい苦しみをやり過ごします。

その結果、感覚は麻痺するかもしれませんが、自分の身体が他人の身体だと認識されるため、強烈な違和感と不快感に襲われます。

頭や内臓の異物感,手足を虫が這うような不快感の理由ー解離の体感異常についての考察
頭や内臓に異物感や不快感を感じたり、手足など全身の原因不明のむずむず感を感じたりする、解離に伴いやすい体感異常(セネストパチー)についてまとめました。

神経科学者ラマチャンドランは、脳のなかの天使の中で、そうした不快感を「ミスマッチ嫌悪」と呼びました。自分の身体のはずなのに、自分のものではない奇妙で不快なものだと脳が認識するのです。(p361)

この不快感や嫌悪感のため、トラウマを負った人は、極力 自分の身体の感覚と向き合わないように、無意識のうちに適応してきたはずです。

ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べるように、何か不快感を感じたら、感覚を麻痺させ、注意をそらしてしまうのを習慣にし、じっくり向きあうことを放棄してきたはずです。

多くのトラウマサバイバーは、望まない感覚的体験に備えて、それに影響を受けないようにすることを中心に毎日を過ごすようになるし、私がクリニックで診るヒトのほとんどは、そういうふうに自己を麻痺させることの達人になっている。(p438)

セラピーでは、これまで目を背け、極力 麻痺させようとしてきた感覚に向き合うわけですから、意識を向けようとするだけで圧倒されてしまい、投げ出したくなるかもしれません。注意を向ければ向けるほど、不快感が拡大すると感じるでしょう。

ここで必要なのが、セラピストのテクニックです。

セラピストは、ちょうどマラソンランナーに並走するペースメーカーのように、クライエントの様子を観察して、ペース配分してくれます。

セラピストは、ペンデュレーション(振り子運動)という代表的なテクニックを用いて、ペースを調整してくれます。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法で、ペンデュレーションとは何かをこう説明しています。

患者はトラウマそのものの徹底した探究に入る前に、セラピストの力を借りながら、トラウマを負ったときに自分を圧倒した感覚と情動への安全なアクセスを助けてくれるような内部の資源を蓄積する。

ピーター・リヴァインはこの過程を「振り子運動」(ペンデュレーション)と呼ぶ。

内部感覚へのアクセスと、トラウマ記憶へのアクセスの間を、ゆっくりと行ったり来たりするのだ。この方法によって患者は、耐性領域を徐々に広げられるようになる。(p356)

ペンデュレーション(振り子運動)とは、安全な場所の感覚(ソマティック・リソース)と、トラウマの痕跡である不快な感覚とのあいだを、振り子のように行ったり来たりするテクニックです。

パット・オグデンも、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際の中で、振り子運動について、こう説明しています。 

振り子的テクニックでは、マインドフルネスの状態でくり返し注意の方向を変えます。

穏やかで「リソース」となるような身体領域や経験や感覚と、痛みをともない不快な身体領域や体験や感覚を、行ったり来たりするよう指示します。

このような交互変化は、覚醒低下、覚醒亢進、いずれの覚醒状態のクライエントも助けます。(p303)

ペンデュレーションでは、「注意の方向を変え」「行ったり来たりする」ことによって、不快な感覚に圧倒されずに、自分の身体を感じる能力を強化していけるよう助けます。

そして、こうしたテクニックは「耐性領域を徐々に広げられるように」「覚醒低下、覚醒亢進、いずれの覚醒状態のクライエントも助け」ると書かれていました。これはどういう意味でしょうか。

耐性領域にとどまる訓練

不快な感覚に圧倒されることなく、効果的にセラピーに取り組めるのは、最適な覚醒状態にとどまっているときに限られます。

この最適な覚醒状態の範囲は「耐性領域」と呼ばれています。身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法では、こう説明されています。

私たちは、何かのきっかけで過覚醒や低覚醒の状態になるときには、「耐性領域」(最適なかたちで機能できる範囲)の外に押しやられている。

過覚醒の場合には、私たちは反応しやすくなり、混乱に陥る。フィルターが働かなくなるので、音や光に悩まされ、望みもいない過去の光景が心に侵入し、パニックになったり逆上したりする。

低覚醒の状態で機能停止に陥ると、心も体も麻痺しているように感じ、頭の働きが鈍り、椅子から立ち上がることも難しくなる。(p336)

この耐性領域に関する、過覚醒・低覚醒の関係を表にすると、以下のようになります。

【超限界段階】 限界に達するとシャットダウンし反転して低覚醒に陥る
   ↑
【過覚醒】 交感神経優位の「闘争/逃走反応」の興奮状態
—————————————————–
   ↑
【耐性領域】 副交感神経が働いているリラックスした状態
   ↓
—————————————————–
【低覚醒】 背側迷走神経優位の「凍りつき/擬態死」の解離状態

わたしたちは誰でも、落ち着いてリラックスしている時は、「耐性領域」の範囲中にとどまっています。

ところが、強い刺激に圧倒されてしまうと、神経が過剰に興奮して、過覚醒の状態になり、耐性領域の上側に飛び出してしまいます。過覚醒の状態では、落ち着いて思考できなくなり、パニックが引き起こされます。

そして、限界を越えると、今度は反転して低覚醒になり、耐性領域の下に飛び出してしまいます。そうすると、ぼーっとして集中できず、意識がもうろうとする解離症状が現れます。

健康な人は、耐性領域の範囲がかなり広いので、そうそう圧倒されることはありません。しかし、トラウマを負った人は耐性領域が非常に狭く、ジェットコースターに乗っているかのように、過覚醒と低覚醒を行き来しがちです。

先ほどヴァン・デア・コークが述べていたように、ペンデュレーションは、注意のコントロールを強化することによって、「耐性領域を徐々に広げられるように」するトレーニングです。

ソマティック・エクスペリエンスのセラピストは、過覚醒や低覚醒に関わるさまざまな身体のサインを読み取る訓練を受けています。(詳しくはスティーブン・ポージェスのポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)を参照)

セラピストは、クライエントの状態をよく見て、クライエントが今どの領域にいるかを判断します。不快な感覚に圧倒されて過覚醒や低覚醒に陥る兆候に気がついたら、安心できるイメージに注意を引き戻すことで、耐性領域内に戻れるよう導きます。

少しずつ水に慣れていく子どものたとえ

このペンデュレーション(振り子運動)のテクニックを理解するとき、ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法で述べているたとえはわかりやすいでしょう。

混乱と緘黙症は、セラピーの場面でよく見られる。物語の細部を話すように無理強いし続けると、患者が圧倒されてしまうことは予期できる。

そのため私たちは、トラウマへの取り組みを(友人のピーター・リヴァインの表現を借りれば)「振り子のように行ったり来たりさせる」ことを学んだ。

物語の細部に直面するのを避けるわけではないが、片足の爪先を安全なかたちで水にそっと浸けてみて、それからまた引き上げるように、患者に教える。

そうやって、しだいに真実に近づいていく。(p402)

ペンデュレーションとは、いわば、「片足の爪先を安全なかたちで水にそっと浸けてみて、それからまた引き上げる」ことによって、少しずつ水に慣れて、深いところへ進んでいくようなものなのです。

興味深いことに、児童文学作家のエリナー(ネリー)・ファージョンは、ファージョン自伝―わたしの子供時代の中で、子どものころに、まさにそんな体験をしたことを回想しています。

「わたし、今日こそはきっと海に入るの」

毎日、ママはネリーの服を脱がし、海水着を着せてくれる。

そして、毎日ネリーは、いちばん下の段が、緑色をした海水の下に見えなくなっている移動更衣車の階段の上に立つやいなや、恐ろしさのあまり金切り声を上げてしまうのだった。

まだ階段の上に立って、緑色の海水に浸した自分の足が透けて見えているというのに、もう悲鳴を上げてママにしがみつき、出してちょうだいと喘ぐのである。そうすると、ママはすぐにネリーを引き上げてくれた。

「どうしてその子を海に入れないの?」マリー・バーンズおばさんは、いらいらするとばかりにたずねた。

「怖がっていることを無理にさせたくないのよ」と、ママは答えた。(p227)

繊細で敏感なHSPの子どもを育てるために親ができる8つのこと―児童文学作家エリナー・ファージョンに学ぶ
HSPの子どもが敏感さゆえに抱えることの多い8つの特徴と、それに対して親ができることをまとめました。

幼いネリーは、海に入るのが怖かったので、ちょっと足を浸すたびに、パニックになって泣き叫びました。すると、お母さんは、すぐに水の中から引き上げて、安全な場所に連れ出してくれました。

ソマティック・エクスペリエンスのセラピストの役割は、このお母さんの役割とまったく同じです。

トラウマを負った人は、自分の身体感覚という海に降りていこうとするとき、耐性領域が非常に狭いので、すぐに圧倒されてしまいます。海の中に入って感覚を探る以前に、そもそもちょっと足先を浸けただけでも耐えられなくなってしまうのです。

セラピストは、クライエントが、文字どおり悲鳴は上げないまでも、不快な感覚に圧倒されてしまう様子を目ざとく読み取り、安全な場所のイメージに注意を引き戻すことで、海から「引き上げて」くれます。

では、いつまでも行ったり来たりするだけなのでしょうか。いいえ、幼いネリーは時間はかかりましたが、徐々に水に耐えられるようになり、海の中へと進んでいくことができました。

ある日、ネリーは叫び声を上げる前に階段を二段おりることができた。またある日は、海に入って砂の上に立っていた。

海はネリーの頭のところまではこなかったし、のみこみもしなかった。すてき、すてき。(p228)

ネリーは水の中と安全な陸地を、少しずつ行ったり来たりすることによって、徐々に海の中に入っていけました。これはネリーの「耐性領域」が広がっていって、水に耐えられるようになったということです。

同様に、トラウマを負った人も、最初は耐性領域が非常に狭く、すぐに圧倒されてしまいます。

しかし、ペンデュレーションによって、身体の不快な感覚と、安全な場所(ソマティック・リソース)の感覚とを交互に行き来することで、徐々に耐性領域が広がっていきます。

不快な感覚が「変化する」ことに気づく

ネリーが、少しずつ海に慣れていった結果、「海はネリーの頭のところまではこなかったし、のみこみもしなかった」と気づいたのは、振り子運動がもたらすとても大事な感覚です。

ラヴィーンは、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアの中で、ペンデュレーションがもたらす気づきについて、こう書いていました。

トラウマが凍りついた状態または固まった状態であるのに対して、ペンデュレーションは、収縮と拡張という生得的な生命体リズムである。

言い換えれば、いかに恐ろしく感じていたとしても、その感情は変化しうるし変化するだろうことをおそらく初めて知ること(内から感じること)によって、固まりが解けていくことだ。(p97)

トラウマを抱えた人は、自分の症状が永久不変の慢性的なものだと認知しています。慢性疲労にしても慢性疼痛にしても「慢性」と名付けられているのは、ずっと変化しないと感じられるからです。

しかし、すでに見たとおり、こうした症状が慢性的にずっと続いてしまうのは、過去の危機的状況で引き起こされた「凍りつき」や「擬態死」という生物学的な防衛反応が、終息せずにずっと続いてしまっているからでした。

本来、それらは危機が去ったら自動的に終息するはずのものですが、逃げることも闘うこともできない慢性的なストレス環境に繰り返しさらされたがために、身体のデフォルト反応になってしまっていたのです。

言い換えれば、耐性領域の外に飛び出して、常に過覚醒や低覚醒にいるのがデフォルトになっている、ということです。

耐性領域が狭すぎて、めったに耐性領域の中に戻ってこれないせいで、極端な疲労や痛みや凍りつきの状態が永久に続いているかに見えているだけなのです。

ペンデュレーションを繰り返して耐性領域を拡大させ、過覚醒や低覚醒から自力で抜け出せるようになってくると、常に凍りついたままではない、ということに気づくことができます

少しずつ海の中に入っていったネリーが、海は自分を呑み込まないことに気づいたように、ペンデュレーションによって耐性領域を広げていくと、自分の不快な症状は不変ではなく、コントロールできるものだ、と気づき始めます。

自分の慢性症状が変化すると言っても、今この記事を読んでいる人の中には、まったく想像もつかないという人もいることでしょう。それこそが「凍りついて」いる証拠です。

トラウマの凍りつき症状はあまりにも慢性的で、永久凍土のごとく氷漬けになっているため、ペンデュレーションによって耐性領域を広げた人は、それが「変化しうるし変化するだろうことをおそらく初めて知る」ことになります。実際に経験してみるまで想像できないはずです。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、ペンデュレーションによって、この「変化する」という感覚に気づくこと、つまり不快な症状の数々は永久不変の手に負えないものではなく、自分で打ち消せるものだと気づけることが、トラウマ解決の第一歩だと述べています。

彼らは身体的感覚を生み出して、自分には手に負えないという気持ちを打ち消せることを体得し始める。これで、トラウマ解決の舞台が整う。

そして、探っている状態と安全な状態の間や、言語と体の間、過去の想起と現在に生きているという感覚の間を、振り子のように行ったり来たりするのだ。(p403)

▼注意の切り替えのトレーニングが大事な理由
以前に考察したところによれば、慢性疲労や慢性疼痛の原因のひとつは、注意力の切り替えができないことにあると思われます。不快な感覚に「過集中」して頭が占領されてしまうため、慢性的で耐えがたいものに感じられるのです。

以下の記事では、ADHDの人は注意の切り替えの難しさからくる慢性疲労や慢性疼痛が生じやすいのではないかと説明していますが、トラウマ障害ではADHDとほぼ同様の脳の変化が生じているので、同じことが当てはまるはずです。

そのような注意力の切り替えの困難による、不快な感覚へ「過集中」してしまう現象に対して、注意を振り子のように切り替えることを学ぶペンデュレーションの訓練は効果的だと思われます。

なぜADHDの人は慢性的な疲労や痛みを感じやすいのか―脳の注意配分能力とワーキングメモリー
注意力のコントロールが苦手なADHDなどの人では、痛みや疲労が強く感じられている可能性があります。その理由は、フロー状態・マインドフルネス・ワーキングメモリ・注意配分能力などの研究

野球選手の投球フォームのたとえ

セラピストの指示に従ってペンデュレーションを繰り返しているうちに、やがてセラピストに誘導されていた注意の切り替えを、自分でコントロールできるようになっていきます。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にはこう説明されています。

身体への気付きを強調することで、クライエントは覚醒亢進や覚醒低下の身体的な兆候を認識することを学び、ソマティック・リソースを使って覚醒状態を耐性領域内に戻します。(p254)

最初は、自分でもわからない過覚醒や低覚醒の兆候に、セラピストが目ざとく気づいてペース配分してくれていました。

しかしやがて過覚醒や低覚醒の兆候に自分で気づけるようになると、圧倒されそうだと気づいたときに、安全な場所のイメージに注意を向けて、自分で自分を意識的にリラックスさせられるようになっていきます。

小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)に出てきた、子どものころから感受性が強く、線維筋痛症やうつ病を発症したジョージアは、一年間ソマティック・エクスペリエンスのセラピーを受けたあと、そこで学んだペンデュレーションを、日常生活の中で使えるようになりました。

彼女はソマティック・エクスペリエンスを通じて学んだテクニックを日常生活でも利用して、精神的な苦しみや体の不調をコントロールしている。

「感情が高ぶっているときは、まず心地よいと感じる状態を見つけてから、少しずつ苦痛に向き合うようにしています。

悲しいと感じたら、波長を合わせて体と会話をする。そして体が何を欲しているのかを尋ねます。

背中の痛みや胃腸の症状を感じたら、動揺する前に“腸の気持ち”に耳を傾けることを覚えました」(p261)

ジョージアは、過覚醒や低覚醒の兆候を察知して、安全な場所のイメージを活用することで、自分を耐性領域内に引き戻せるようになりました。

トラウマとは、体の凍りつきでした。かつて無意識のうちに身体を緊張させ、来る日も来る日も凍りつき状態で過ごした結果、それがデフォルト状態になって引き起こされるのがトラウマ性疾患の身体症状でした。

ペンデュレーションによって自分の注意の方向をコントロールできるようになれば、少しずつ身体の習慣が変化します。

最初は意識的にペンデュレーションしているでしょう。しかし、それを来る日も来る日も意識して繰り返せば、やがて習慣になります。習慣は、身体の手続き記憶を上書きし、書き換えていきます。

これはちょうど、野球の投手が誤ったフォームを修正するのに似ています。

子供時代の偏った練習のせいで、あまりにひどいフォームを身に着けてしまった選手がいるとしましょう。そのフォームのせいで、いつもボールのコントロールが定まらず四球だらけです。

自分はボールをうまくコントロールできないので、四球になるのは仕方ないとあきらめていたところで、有能なトレーナーと出会って、別のフォームを教えられます。

新しい投球フォームを意識的に試すと、ごくまれにうまくボールをコントロールできることに気づきます。最初は偶然か まぐれかもしれないと感じます。

しかし繰り替えすうちに、意識的に再現できるようになっていきます。自分でも、ボールをコントロールして狙ったところに投げられるのだ、と人生で初めて気づきます。

それから何度も何度もトレーニングして、新しいフォームを身体に覚えさせます。最初は意識的にフォームを修正していたのが、そのうち、その投げ方が当たり前になります。そして自動的に正しくボールをコントロールできるようになります。

ソマティック・エクスペリエンスによるペンデュレーションの効果もそれと同じです。

トラウマを負った人は、子ども時代のひどい環境によって「凍りつき」という、ひどい投球フォームを訓練し、身につけてしまったようなものです、

あまりにそれが当たり前なので、思ったように身体が動かすことができず、不快な感覚に満たされることが当たり前で永久不変だと思いこんでいます。

しかしセラピストという有能なコーチから、ペンデュレーションという新しいフォームを学び、訓練しているうちに、永久不変だと思いこんでいた身体感覚が変化しうるものだと気づきます。

そして来る日も来る日も、日常生活の中で意識的にペンデュレーションを実践しているうちに、身体が新しいフォームを記憶していきます。

やがて凍りつきという古いフォームの手続き記憶が上書きされ、意識しないでも自動的にペンデュレーションできるようになっていきます。そうすれば、凍りつきの結果 身体に起こっていたさまざまな不具合が解消されていくことになります。

ペンデュレーションという言葉で表現してしまうと、何か特別なスキルのように思えてしまいますが、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアにあるとおり、生物にとって感覚が振り子のように揺れ動くのはごく普通の状態です。

ペンデュレーションは、困難な感覚や感情を切り抜けるために、すべての生物に備わっているものである。(p99)

ペンデュレーションを身につけるというのは、凍りついて揺らぎのない状態という、生物として不自然な状態から、振り子のように柔軟に揺らぎうる生物として自然な状態へと戻していく、ということです。

7.タイトレーション―少しずつエネルギーを解放する

ソマティック・エクスペリエンスにおいて必要なのは、一時的な熱意ではなく、長期間、根気強く取り組み続けることです。

習慣を置き換えるというセラピーの性質上、一週間や一ヶ月、徹底的に取り組んだところで効果は期待できません。むしろ、根を詰めすぎたり、成果を焦ったりすることなく、自分のペースで継続することのほうが大事です。

ずっと耐えがたい不調に悩まされている人が、早く解放されて自由になりたいと感じるのは当然ですが、トラウマ治療では逆に、少しずつ進むことが鉄則とされています。

先ほど出てきたネリーの場合、海に入れるようになるまでかなりの時間がかかりました。パニックになって圧倒されないために、一度に少しずつ進んでいったからです。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、ヴァン・デア・コークは性急なセラピーは大勢の人を脱落させるばかりか、症状を悪化させてしまうので、「ゆっくりと、多くの場合カタツムリのようなペースで進むことを学んだ」と書いています。(p452)

ピーター・ラヴィーンは、身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアの中で、そのプロセスを、「タイトレーション」という化学実験の用語で表現しています。

これは例えば、塩酸と苛性ソーダのような激しく反応する物質同士を混ぜ合わせるときに使われる手法です。

単に二つを混ぜ合わせると、激しい爆発が起き、あなたも実験室の他の人たちも視界を失ってしまうだろう。

しかし上手にガラス弁(栓)を用いれば、一方の物質をもう一方に一度に一滴ずつ加えることができる。

一滴ごとに「アルカセルツァー」[訳注:水に溶かして飲む頭痛、胃の薬。溶かす際に発泡する]のような発泡が起きるが、すぐに収まる。

一滴ごとに、ほぼ同じ最小限の反応が繰り返される。(p102)

一気に混ぜると爆発してしまうような物質同士でも、ちょっとずつ混ぜれば、反応を最低限にとどめて、安全に中和することができます。

一気に混ぜるか、ちょっとずつ混ぜるかで、結末がまったく正反対になります。実験室ごとだめになるか、安全な中和物が完成するかです。

ソマティック・エクスペリエンスなどのトラウマ処理においても同じことがいえます。

トラウマを負っている人が陥っている「凍りつき」状態とは、闘ったり逃げたりすることが失敗に終わり、防衛反応が中途半端なまま中断され、フリーズしている状態でした。

それはつまり、闘ったり逃げたりするために動員した強いエネルギーが、行き場のないまま、身体の中に閉じ込められてしまっている、ということを意味します。

ラヴィーンはそれを、目一杯引っ張られたまま静止しているバネに蓄えられた弾性エネルギーに例えています。(p114)

その閉じ込められたエネルギーを一気に引き出してしまうと、「激しい爆発」(カタルシス)が起こるのは当然です。

凍りついていた防衛反応が一度に再活性化されれば、トラウマを受けたときの感覚をまざまざと追体験するので、トラウマの再体験が引き起こされます。強烈な覚醒を伴うので、偽りの記憶が生まれるきっかけにもなりかねません。

凍りつきを安全に溶かすためには、身体に閉じ込められたエネルギーを少しずつ解放していくことが不可欠です。

それゆえ、ラヴィーンは、心と身体をつなぐトラウマ・セラピーの中で、「癒やしのプロセスは、劇的でなければないほど、またゆっくりと起これば起こるほど効果的」だと書いています。(p40-41,88,96)

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にも書かれているとおり、ゆっくり進んだほうが、実際には早く目的地にたどりつくことになります。

一部のクライエントは、実際のセラピー的な変化をもたらす唯一の方法は「記憶を取り戻す」ことであり、そこに早く到達しなければならないと強く信じている可能性があります。

しかし、もしクライエントが思い出した素材を統合する能力を欠いていれば、クライエントは急速に不安定になってしまいます。

そうではなく、クライエントは「ゆっくり進めば、早く目的地にたどり着く」というアプローチに専心するように奨励されます。(p338)

曝露療法とは正反対

一気に混ぜ合わせることで爆発するという誤りを犯しているのは、ヴァン・デア・コークやピーター・ラヴィーンが繰り返し批判している曝露療法(持続エクスポージャー療法)のような手法です。

ラヴィーンはトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復で「元々単一の恐怖症治療のために開発された療法を、はるかに複雑なトラウマ治療に転用してはばからないというのは、思慮に欠ける」と指摘しています。

曝露療法は、さきほどのネリーの話に当てはめれば、何度も何度も海の中に突き落とせば、いずれ水に慣れて怖くなくなるだろう、という荒療治です。

確かに、何度も何度もそんな体験を繰り返せば、海に入るたびに泣きわめくことはなくなるかもしれません。感覚が麻痺してしまい、放心して解離状態に陥るからです。

同様に、曝露療法は、繰り返し再トラウマを経験させることで、患者の感覚を麻痺させ、解離症状を悪化させて、それを治療とみなしています。確かにパニックにはならなくなるでしょうが、患者を生ける屍のように麻痺させてしまいます。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、いまだに主流医学でこのような方法が行なわれているのは、トラウマの生物学的な仕組みが理解されていない誤解によるものだと述べています。

トラウマ性ストレスへの治療の取り組みの多くは、患者を過去に対して脱感作することに的を絞っている。

トラウマ体験に再びさらされれば、情動の突発的なほとばしりやフラッシュバックが経ることを期待してのことだ。

だが私は、これはトラウマ性ストレスにおいて起こることの誤解に基づいていると考えている。(p122)

ラヴィーンもまた、子どものトラウマ・セラピー―自信・喜び・回復力を育むためのガイドブックの中で、こうしたトラウマのメカニズムを理解していない手法を用いる治療者は、トラウマを治療しているつもりが、実際には悪化させていると非難しています。

語らせられるだけのひどい体験には何の意味もありません。

私たち著者は、このようなトラウマのメカニズムを理解していない支援が、子どもに再トラウマを引き起こすことを確信しています。

子どもは(トラウマを受けた多くの大人もそうですが)従順になる傾向があるので、最初に対応した人は子供をさらなるショックによる停止状態や解離状態に追いやっていることにおそらく気付かないでしょう。(p268)

なかには、突然水の中に突き落とすような体験も、少しずつ水に慣れていくような体験も、過程が違うだけで、結果は同じではないか、と言う人もいるでしょう。

しかし、それはまったくの誤りです。ここまで考えてきたことから分かるとおり、ソマティック・エクスペリエンスのペンデュレーションとタイトレーションが育むのは、自分で自分の症状をコントロールしていける、という自信です。

振り子運動で、少しずつ安全に進む経験を繰り返すことで、身体に閉じ込められたまま凍りついているエネルギーを、無理のない範囲で少しずつ溶かして解放していきます。そうすることで、自分でコントロールできるという感覚が養われます。

何度も何度もトラウマ体験に曝露させる手法は、まったく正反対の結果を生みます。ひたすら繰り返しトラウマにさらされたときに起こるのは、「逃避不能ショック」の動物実験が示したように、完全なあきらめという完全な無活動状態です。

どうあがいても逃げられないということを身体に叩き込まれた動物たちは、檻の扉が開けられても逃げようとしなくなりました。生物学的な凍りつき、そして擬態死反応が引き起こされ、動けなくなってしまいました。

病院の一室に閉じ込められ、曝露療法によって、繰り返し再トラウマに晒されるのは、この「逃避不能ショック」の動物実験の人間バージョンです。

どうやっても逃げられないということを叩き込まれた人間は、闘争/逃走反応を試みなくなります。つまり激しい症状は消えます。その代わり、完全に麻痺してしまい、人生の喜びや楽しさも感じられなくなります。

曝露療法のような体験からは、ネリーが徐々に水に慣れていった結果 感じたような「海はネリーの頭のところまではこなかったし、のみこみもしなかった。すてき、すてき」というような感想は絶対に出てきません。

現在に引き戻すか、過去に送り込むか

ソマティック・エクスペリエンスの手法と、従来の精神医学における手法には、ほかにも決定的な違いがあります。

ソマティック・エクスペリエンスは、今この瞬間の身体の感覚に焦点を当てているのに対し、従来のカウンセリングや曝露療法は、過去の出来事に焦点を当てているという違いです。

現在の感覚に注意を向けるセラピーは、意識を「今ここ」の現実につなぎとめるトレーニングになりますが、過去の体験に注意を向けるセラピーは、意識を「今ここ」から切り離すことを訓練してしまいます。

ソマティック・エクスペリエンスは意識を現在に引き戻し、身体に現れている記憶の化石を発掘する手法です。常にトラウマから隔てられた状態にあるので、圧倒されることはありません。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際にあるように、クライエントが過去の体験に圧倒されそうになったら、セラピストはすぐに現在に注意を引き戻すように務め、意識が「今ここ」から切り離される解離が起こるのを防ぎます。

覚醒低下のクライエントと取り組むとき、最初のステップで、セラピストは過去のものではなく、現在の環境の中にある対象にだけクライエントの注意が向くように導きます。

セラピストはクライエントに「あなたの過去がどれだけ困難だったか考えるのはちょっとだけ休んで、この部屋を見回して、赤いものを4つ見つけて私に教えてくださいませんか?」というかもしれません。

このテクニックは能動指向の反応を喚起し、覚醒低下と覚醒亢進どちらのクライエントも助け、覚醒状態が耐性領域の枠内に戻ります。(p302)

一方、暴露療法はあたかも過去の恐竜時代にタイムスリップさせるようなものでしょう。恐ろしい怪物を前にして、当然パニックになりますし、意識は「今ここ」から離れてしまい、解離症状が強化されます。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、注意を過去に向けるか、現在に向けるかという違いは、患者の将来に大きな違いをもたらすと述べます、

曝露療法の一形態である仮想現実セラピーでは、帰還兵がハイテクのゴーグルをつけて、ファルージャの戦いを細部まで現実であるかのようにやり直すことができる。

…問題は、彼らが祖国に戻ってからの暮らしに耐えられないことだ。

…トラウマを負った患者に、仮想現実セラピーよりも必要なのは、地元のスーパーマーケットで買い物をしたり、わが子と遊んだりするときに、バクダードの通りで感じたのと同じくらい生き生きとした気分になれるようにしてくれる「現実世界」セラピーなのだ。(p363)

過去のトラウマを語らせたり、それを再体験させたりするのは、過去への適応性を高める訓練です。まだトラウマが終わっていないという感覚が強まり、身体はもっと凍りつきます。

生物学的にいえば、中途半端に凍りついて苦しむくらいなら、完全に氷漬けにしてしまえば苦しみさえ麻痺してしまう、と言っているようなものです。

ソマティック・エクスペリエンスはまったく正反対に、過去のトラウマ状況下に適応していた「凍りつき」「擬態死」状態を溶かし、現在の日常生活に再適応させていくことを目指します。

必要なのは、過去に適応する能力ではなく、現在に適応する能力です。もう一度過去をやり直すことではなく、現在を生きるためのスキル、日常生活の中で不快な感覚に圧倒されそうになったときに役立つスキルを身につけることなのです。

踏み固められた道のたとえ

こうした説明からわかるように、ソマティック・エクスペリエンスのセラピーとは、つまるところ、過去に適応した凍りつきという手続き記憶を、現在に適応した新しい手続き記憶で上書きし、身体の習慣を書き換えることを目的としています。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、ひとたび身体に染みついた自動的なパターンを、意識的に別のやり方を繰り返すことで修正し、新しいパターンに置き換えることを目指すものです。

FrifdbyとSrevensは、機能不全のパターンを変更するうえで、潜在的に手続き的に学んだことを無効にする方が、もともとの原因を語るよりもいっそう効果的であると示唆しました。

…変化を起こすためには、手続き的に学んだこと(特に身体傾向)を「無効にする」必要があります。洞察を得るだけでは不十分です。

古いパターンをソマティックに再演する傾向を変える必要があるのです。新しい行動によって古い行動を置き換える必要があります。(p335)

慢性的に耐性領域の外で凍りつくという手続き記憶を、自由に耐性領域の中に戻れるという柔軟な手続き記憶で上書きしていくことで、凍りつくことなく日常生活を送れるようトレーニングしていきます。

身体に染みついた古い習慣を新しい習慣で置き換えるわけですから、タイトレーションによって長い時間がかかるのは当然です。

山の中にいつも通っている獣道があるとしましょう。その道だけ土が踏み固められて、野草が生えていません。

習慣を変えるとは、別の道を開拓するようなものです。今まで通ったことのない雑草だらけの道を歩き始めます、一日や一週間、一ヶ月では雑草だらけなのは変化しないでしょう。

数ヶ月、あるいは年単位の時間をかけて、毎日その道を通っているうちに、いつしか以前の道には雑草が生い茂り、ずっと通ってきた道には草がなくなっています。それくらい続けて初めて、新しい習慣が身につきます。

ソマティック・エクスペリエンスにおけるタイトレーションも、何ヶ月も、何年もかけて、一滴ずつ慎重に処理を進めてやっと、トラウマが中和されて、凍りつきが解消されます。

過去の習慣をひたすら再体験するのではなく、日々現在の新しい習慣を繰り返すことで、過去の習慣が現在の習慣に置き換わっていくのです。

▼RPGのたとえ
若い世代の人の場合、ソマティック・エクスペリエンスの手法は、RPGにたとえてみれば、もっとわかりやすいかもしれません。(わたしも生まれた時からゲームに囲まれていた世代なのです)

曝露療法の手法は、かつてボコボコに全滅させられた強敵に、何度も何度も挑めば勝利できると言っているようなものです。実際には、数えきれない回数ゲームオーバーになって感覚が麻痺するだけです。

対照的に、ソマティック・エクスペリエンスでは、まず回復の泉や宿屋のような場所(ソマティック・リソース)を確保します。

そして、宿屋と近くの敵を繰り返し行き来して(ペンデュレーション)、少しずつ経験値を稼ぎ(タイトレーション)、レベルを上げます。

やがて十分にレベルが上がって、装備を整えてから、以前はかなわなかった強敵に挑みます。たくさんのスキルを覚えているので、以前の苦労が嘘に思えるほど簡単に攻略できます。

レベル上げは時間がかかってめんどくさいかもしれませんが、間違いなく「ゆっくり進めば、早く目的地にたどり着く」のではないでしょうか。

8.なぜエクスペリエンス(経験)が必要なのか

このように、ソマティック・エクスペリエンスのセラピーは、ペンデュレーションとタイトレーションの2つを軸にして進みます。

今まで注意を向けたことさえなかった身体の感覚に気づいたり、永久不変だと思いこんでいた不快感が変化するのを感じたり、注意の方向を変えて覚醒状態をコントロールできるということを実感したりしながら、少しずつ進んでいきます。

ソマティック・エクスペリエンスの治療において、最も意味があるのは、その名のとおり、身体的な「経験」です。

この種の「経験」は、ソマティック・エクスペリエンスについての書籍やブログを読んでも得られません。薬で症状を抑えたり、言葉で過去を整理するカウンセリングを受けたりしても、やはり身体的な「経験」は得られません。

「経験」とは、たとえば外国に旅行に行ったり、珍しい料理を食べたり、自分の足で岩山をクライミングしたり、珊瑚礁にダイビングしたりすることで得られるものです。

旅行代理店のカタログを眺めても、レシピ本を読み込んでも、絶景の写真をネットで検索したとしても、その種の「経験」は何一つ得られません。いずれも、自分の身体で経験してみた人以外には、想像すらできないものです。

トラウマの症状の治療に「経験」が必要なのは、動物行動学の実験から証明されています。

トラウマを負った人が経験する「凍りつき」は、マイヤーとセリグマンの「逃避不能ショック」実験で犬たちが経験した不動反応と同じものでした。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、その不動状態に陥った犬たちが、凍りついた擬態死の状態から、いかにして回復できたか、という研究に言及しています。

その日私は飛行機に乗りそこねた。どうしてもスティーヴン・マイヤーと話をしたかったからだ。

彼のワークショップは、私の患者たちの根本的な問題についての手掛かりばかりか、解決のための潜在的なカギまで与えてくれた。

たとえば扉が開いているときに電気ショックを与える檻から逃れることを、トラウマを受けた犬たちに教えるには、どうすれば逃げられるかを体で経験できるよう、檻から繰り返し引きずり出すしかないことを彼とセリグマンは発見した。

私も患者を手助けし、自らを守る手立てはまったくないという、彼らの基本姿勢を変えてあげられないだろうか。

私の患者たちも、自分に主導権があるという体の芯からの感覚を取り戻すには、身体的な経験が必要なのではないか。(p59)

逃げられない檻の中で、繰り返し電気ショックにさらされ、慢性的に凍りついた擬態死状態になってしまった犬たちが回復した方法、それは「どうすれば逃げられるかを体で経験でき」るよう教えてもらうという方法でした。

この研究からヴァン・デア・コークは、凍りついた犬たちと同様の状態になっている患者たちもまた「身体的な経験」によって回復できるのではないか、と考えました。

概念そのものが失われて想像できない

檻に閉じ込められて繰り返し電気ショックを受けた犬たちが、檻の扉が開いているにもかかわらず、まったく逃げようとしなくなったのはなぜでしょうか。

それは、あまりにも繰り返し慢性的に閉じ込められ、ひどい扱いを受けたせいで、自由に動きまわってもよいという概念が失われてしまったためです。

脳神経科学者オリヴァー・サックスは、左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)の中で、これと同じ現象が、人間にも生じうることを例証しています。

私は「覚醒」するまで何十年も病院に収容されている患者たちとよく話をしたものだ。

閉じこめられていると、強く感じているのではないか。無性に外の広い世界にでたいとは思わないのか。そうたずねると、彼らは物静かに「思わない」と答えた。

…今わかったことは、そのような退行が普遍的なものだということだ。それは、いかなる「移動不能状態」、病気、幽閉においても起こりうる。存在の自然な萎縮であり、避けることはできない。

そのうえ直接認識されないため、耐えることはできるが、治療することはできないのである。(p192)

狭い檻に閉じ込められた犬たちに起こったのと同じことが、難病のために何十年も病院に閉じ込められていた人たちにも起きていました。

この患者たちは、あまりに長い期間 閉じ込められていたために、外の世界に出て自由に動きまわれるという概念を失っていました。健康になって広い世界で自由に生きる、というのがどういうことなのか、想像すらできなかったのです。

サックスが『それは、いかなる「移動不能状態」、病気、幽閉においても起こりうる』と述べているように、幼少期からトラウマの檻に閉じ込められ、繰り返し「逃避不能ショック」にさらされてきた人にも同じことが起こります。

途中で触れたように、こうした人たちは、あまりにも凍りつき状態が当たり前になって、それが神経系のデフォルトのモードとなってしまっているがために、凍りついていない自分がどんなものかをまったくイメージできなくなっています。

トラウマを負った人が、永久に続く凍りつき状態から抜け出せず、精神的にも身体的にも、行動においても、ひたすら同じことを繰り返すループから自力では抜け出せないのは、そこから抜け出すことを想像すらできないためです。

ヴァン・デア・コークは、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で、この状態を、コウテイペンギンの習性に例えています。

私は『皇帝ペンギン』という素晴らしい映画を観たあと、自分の患者の一部のことを思わず考えてしまった。

ペンギンたちは禁欲的でかわいらしい。だから、太古の昔以来、彼らが海から100キロメートル以上もとぼとぼと内陸に向かい、繁殖地にたどり着くために筆舌に尽くし難い困難に耐え、孵化できるはずの無数の卵を寒さで失い、さらにそのあと、飢え死にしかけながら、自分の体を引きずるようにして海まで戻ることを繰り返してきたのを知ると、哀れとしか思えない。

もしペンギンたちに私たちの前頭葉があったなら、小さな翼を使って氷の家(イグルー)を造り、もっとうまく分業を行ない、食糧供給を再調整するだろう。

私の患者の多くは、大変な勇気と粘り強さでトラウマを生き延びてきたにもかかわらず、同じ種類の厄介な状態に繰り返し陥ってしまう。

トラウマが、彼らの内なる羅針盤の機能を停止させ、もっと優れたものを生み出すのに必要な想像力を奪ってしまったからだ。(p161)

トラウマを負った人たちは「必要な想像力を奪」われてしまい、苛酷すぎるライフスタイルを繰り返すペンギンたちのような状態に陥っていると書かれています。

これは一見、比喩に思えるかもしれませんが、生物学的に言えばそうではありません。トラウマを負った人は、凍りつきという防衛反応のパターンに支配されてしまうので、動物と同様の存在、生き延びるだけの本能の塊になってしまうからです。

ペンギンは自分がひどく効率の悪いライフスタイルを送っているなどと思いません。別の生き方を想像するための前頭葉の機能がないからです。

トラウマを負った人も、やはり想像力が氷漬けになっているので、凍りついていない状態というものを想像することができません。

サックスが左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)で指摘するように、自分が想像もできないものについては、希望など持つことができません。

回復はなだらかな坂をのぼるようなものと考えるべきではない。急な階段をあがっていくようなものだ。

下段にいるときには、つぎの段について想像をすることはできないし、とうてい上にはあがれそうもない気がする。

希望さえもつことができない。

手元にあるものなら望みをかけることもできるが、想像もつかないことについては、まったく希望などもてない。(希望とは、いくらかは想像の産物なのだ)。

だから回復の階段を一段あがるのは奇跡のようなものだ。それも、他人から促されなければ、けっして実現しなかったことだろう。(p188)

わたしたちは、概念すらなく、想像もできないものについては、そもそも考えることさえできません。

生まれてこのかた一度も色を見たことのない人に、色とは何か どうやって説明できるでしょうか。一度も音を聞いたことのない人に、音とは何か どうやって説明できるでしょうか。

縄文時代にタイムスリップしたとして、この21世紀のデジタル化した社会での生活がどんなものか、当時の人にわかるように どうやって説明できるでしょうか。

いずれの場合も、本人が自分で経験する以外に、理解させる方法はほかにありません。千の言葉を弄しても、決して説明することができません。概念さえ存在しないものは「身体的な経験」を通して味わってみないことにはわからないのです。

概念さえないものは、そもそも考えることさえできないので、サックスが述べていたように「他人から促されなければ、けっして実現し」ません。

逃避不能ショックにさらされた犬たちに、檻から出るという行動を教えるには、誰かが「どうすれば逃げられるかを体で経験できるよう、檻から繰り返し引きずり出すしか」なかったのと同じです。

ソマティック・エクスペリエンスは、本人が想像すらしたこともない感覚を、「身体的な経験」を通してひとつずつ味わっていく治療法なので、ただ本で読んだだけではまったくわかりませんし、セラピストの手引きなしで経験するのは困難なのです。

いかに強い心、意志をもっていても、最初の一歩をふみだすとき、なにかを新しく、あるいはふたたびはじめようとするとき、すべての患者がおなじ困難に直面する。

新しい行為を想像することができない。「想像力が抑制されている」からである。

だから、それを理解して、だれかが患者を行為に放り込まなくてはならないのだ。(p222)

9.好奇心に導かれて自分を発見する道のり

ソマティック・エクスペリエンスは確かに時間がかかります。長期間続けなければ習慣は変わっていかないので、根気も必要です。

とはいえ、ソマティック・エクスペリエンスは臥薪嘗胆が求められるような苦行ではありません。

それどころか、身体的な経験を積み重ねて、新しい概念を獲得していく道のりは、オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)で述べているように、どんどん世界が広がっていく楽しい経験です。

一段あがるごとに、水平線がひろがる。狭い世界から外へふみだす。それまでいた世界が、ひどく狭く、縮んでいたことにはじめて気づく。

生理学的にも。実存的な意味においても、あらゆる面でそうだった。(p188)

部屋、空間、広がり。自由になるということは、生理機能や世界がどんどん広がっていくことだ。個人的空間(社会的空間)もますます広がっていく。

それが病気が良くなる、回復するということなのである。(p191)

ソマティック・エクスペリエンスは、「あかの他人」になってしまった身体の声を聞き、再び友だちになるためのセラピー、もう一度はじめから関係をやり直して修復するセラピーです。

だれかと新しく友だちになるとき、仲が深まれば深まるほど、たくさん発見があるように、身体と友だちになる過程も、新しい発見の連続です。

セラピーの体験を通して得られる発見は、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に書かれているように、セラピストもクライエントも予期しなかった、それまで想像もできなかった、びっくりするような気づきばかりです。

セラピーでの実験は、常に体験がどのように組織化されているかという発見へと導き、トラウマの影響への気づきと、次の行動傾向への気づきをもたらします。

…ジェニファーの例でも示されたように、セラピストとクライエントの両方が、予期せぬ体験の結果にしばしば驚かされます。(p269)

セラピーを受ける前は、自分の身体のことくらい、自分が一番よくわかっている、と思っているかもしれません。

ところが、いざやってみると、予期しない発見が次々に押し寄せてくるので、今まで何も知らなかったことに驚かされます。そして、新しいことを発見する、という体験は好奇心を呼び覚ましてくれるので、セラピーが楽しくなっていきます。

特に、セラピストは、害のない刺激でも覚醒してしまう防衛傾向を観察するよう、クライエントの好奇心と意欲を刺激します。それがトラウマの名残だからです。(p160)

ソマティック・エクスペリエンスを受けるうちに、これまで原因不明のものだった様々な身体症状や、医者から「気のせい」「思いこみ」と切り捨てられていた断片的な感覚が、すべて理由があって起こっていたものだということがわかってきます。

ときには、断片的な感覚をつなぎあわせていくうちに、期せずして、忘れ去られていた過去の衝撃的なトラウマ記憶を思い出してしまうこともあるかもしれません。

バラバラに散らばっていた小さな化石を、ひとつひとつ発掘してつなぎあわせていくうちに、恐ろしい肉食恐竜の全身像が復元されていくかのように。

それでも、そのころには、ペンデュレーションとタイトレーションによって、自分を「今ここ」につなぎとめ、いつでも安心できる感覚に立ち戻れるだけのソマティック・リソースを蓄えていることでしょう。

曝露療法のように過去に飛び込むセラピーなら、巨大な肉食恐竜に食われるかのような恐怖を再体験しますが、自分を「今ここ」につなぎとめるセラピーの場合は、どれほど恐ろしい肉食恐竜でも、もはや滅びた化石でしかありません。

そのとき感じるのは恐怖ではなく、ちょうど博物館に展示された恐竜の全身骨格を見上げるかのような気持ちでしょう。

この恐ろしいトラウマがもはや過去の遺物にすぎないという安堵や、自分の症状がどこから来ていたかをついに理解できた、という喜びが得られます。

凍りつきを終息させる喜び

ときには、身体に記憶された痕跡を探るうちに、過去の自分が、本当は何をしたかったのか、中断されたままに終わっている防衛反応のパターンに気づくこともあります。

たとえば、トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に出てくるマーチンは、過去の戦争体験で凍りついていました。

彼は、戦争体験について思いだしているとき、なぜか手の指が上向きにわずかに動き、腕が上方向に上がりたがっている、という衝動を感じました。セラピストがその衝動のままに従うようアドバイスすると、マーチンはかつて自分が本当にしたかったことを思い出しました。

この動きにとどまることでマーチンはわずかな変化に気づき始めました。

頭を腕でおおって、常習的な凍りつきによる防衛で凍りつく代わりに、腕は押しのけたがっている感覚があると言いました。

そしてマーチンがトラウマのときにはできなかった、この動きをともなう防衛を、ゆっくりと再現するのを励ましました。(p352)

マーチンは、戦争で敵に狙われているとき、本当は思い切り押し返して危険を遠ざけたかったのだと気づきました。その防衛反応が途中で妨げられてしまったがために、永久に処理中のままフリーズしていたのです。

マーチンは、凍りついたとき、実際に手で押しのける動きをすることで、凍りつきを終息させられることを発見しました。この安心感は彼のソマティック・リソースの一つになりました。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、ヴァン・デア・コークもまた、身体療法を通じて凍りつきを終息させることのできた人たちを幾度も目にしてきたといいます。

身体療法は、動いても安全だという経験によって、患者が再び現在に身を置くのを助けることができる。

効果的な行動をとることの喜びを感じると、主体感覚と、自分を積極的に防御して保護できるのだという感覚を取り戻せる。

すでに1893年に、トラウマの最初の偉大な探究者であるピエール・ジャネは、「行動を完遂することの喜び」について書いている。

私は、センサリーモーター・サイコセラピーとソマティック・エクスペリエンスを実践するときに、その喜びをいつも目にする。

反撃したり逃げたりしたら経験していたであろうような感じを身体的に経験できると、患者はリラックスし、微笑み、達成感を表現するものだ。(p356-357)

中断されたまま凍りつき、処理中のままフリーズしていた断片的な身体感覚が、どのようなトラウマ経験のなごりなのか気づくことができれば、本当に身体が求めていたことを実行することができます。

そうすれば、凍りついていた行動を完了させることができ、「行動を完遂することの喜び」を味わえます。中断された防衛反応という形で凍りついたままになっていたエネルギーを解放し、人生に活用できるようになるからです。

10.「あなたという人間をいっしょに探究する作業」

ソマティック・エクスペリエンスのセラピーが、探索と発見を繰り返す過程であることを思えば、最初に書いたように、子どものような感性を持っている人に向いている理由がよくわかります。

オリヴァー・サックスが左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)で書いているように、新しい経験を身体で学んでいくというのは、子ども時代にだれもが通ってきた道です。

たしかに子供時代のように学ぶ必要があるし、とつぜんつぎの段階へとすすむ点もおなじである。

下の段階ではその上を想像することはできない。生理機能、すくなくともより高次の生理機能は、経験と行為に依存している、いや記憶にとどめられているからである。

だから、経験と行為が可能にならなければ、神経系、生命体は成熟することも、癒えることもないだろう。(p222)

残念ながら、ひどい逆境のもとで育った人は、探索と発見に満ちた子ども時代を経験できなかったかもしれません。しかし、ソマティック・エクスペリエンスのセラピーは、子どものような感性と好奇心を呼び覚ましてくれます

それは、今まで知らなかった自分を発見する道のりです。不快な症状の寄せ集めでしかなかった自分が、幾多ものリソースを使って生き抜いてきた創造的な人間であることを発見していくセラピーです。

ヴァン・デア・コークが身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法で書いているように、これは「あなたという人間をいっしょに探究する作業」なのです。

あなたが患者なら、重大な問いは、こうなる。あなたが何者であり、ただの一「PTSD患者」ではなくあなたが何を必要としているのかを、そのセラピストが突き止めたがっていると感じるかどうか、だ。

あなたは診断質問表に載っている症状のリストにすぎないのだろうか。

それともセラピストは、あなたが今しようとしているようなことをなぜして、考えているようなことをなぜ考えるのかを、じっくりと時間をかけて探り当てようとするだろうか。

セラピーは協働の過程であり、あなたという人間をいっしょに探究する作業なのだ。(p348)

この記事では、ソマティック・エクスペリエンスの特徴を、さまざまな資料を参考にまとめてきました。最後にもう一度要点を整理してみましょう。

■トラウマとは生物学的な凍りつき現象
子ども時代に慢性的なトラウマにさらされた人は、「逃避不能ショック」を経験した動物と同様、「凍りつき」や「擬態死」状態から抜け出せなくなってしまう。その結果、常に身体が緊張し、慢性的な疲労や痛み、消化器疾患や喘息症状、パニック発作などに発展する。

■必要なのは「こころ」ではなく「からだ」のカウンセリング
ソマティック・エクスペリエンスは「からだ」のカウンセリングのようなもの。これまで気のせいや思い込みとみなされてきたような、身体に散らばる断片的な不快感をトラウマの手続き記憶とみなして、具体化していく。

【たとえ】身体に散らばる不快感を探るのは、過去のトラウマの断片的な化石を発掘して、全体像を復元していくようなもの

■安全な感覚(ソマティック・リソース)を確保する
トラウマの手続き記憶の本格的な探索に入る前に、まず安心感を感じられる身体の手続き記憶を探す。そうした感覚は不快感に圧倒されてしまわないための「安心の島」となり、トラウマと取り組むための大切な資源となる。

【たとえ】嵐の中で船をつなぎとめて安定させるために、まずいかり(アンカー)を引っかける場所を確保する

■ペンデュレーションによる振り子運動
不快な感覚に圧倒されてしまわないよう、不快な身体の感覚と、安全な場所の感覚とを、交互に行ったり来たりすることを学ぶ。それによって耐性領域を広げ、過覚醒や低覚醒になりかけたら自分で引き戻してリラックスできるようにトレーニングする。

【たとえ】水に爪先を浸けては陸地に引き返すように、少しずつ海の中へ入っていける自信を身につける

■タイトレーションによって少しずつエネルギーを解放する
危険な化学薬品を一滴ずつ混ぜ合わせて安全に中和するように、身体に閉じ込められたまま凍りついているエネルギーを少しずつ安全に解放し、時間をかけてゆっくりとトラウマと向き合う。

【たとえ】今まで歩いていなかった山道を毎日歩いていると、数ヶ月、数年かけて雑草が踏み固められ、新しい道になっていく。

■目的は身体の手続き記憶を書き換えること
ペンデュレーションを繰り返すと、それまでは凍りついているのが当たり前だった感覚が、じつは変化しうるもので、コントロールできることに気づく。意識的にペンデュレーションを繰り返すうちに、身体は凍りつきではなく変動するほうが当たり前だと認識するようになっていき、習慣が書き換わる。

【たとえ】子どものころに身に着けてしまった偏った投球フォームを、コーチの指導のもとで修正していくようなもの。いずれ努力しなくても新しいフォームが自然にできるようになる。

■身体的な経験がなければ変化できない
逃避不能ショックで凍りついた動物は、実際に身体を使って教えられなければ動き出せなかった。凍りついた状態では、概念さえも失っていて、健康な状態を想像できない。自分の身体で体験してみるまでは変化しようがない。

【たとえ】色を見たことがない人に色とは何か説明できない。縄文時代の人は、自分で体験してみない限り、21世紀の生活を想像することもできない。

■好奇心を呼び覚ます発見の連続
ソマティック・エクスペリエンスのセラピーは時間はかかるが、決して退屈な苦行ではなく、新しい発見の連続なので、好奇心が呼び覚まされる。それは、「あなたという人間をいっしょに探究する作業」。

【たとえ】身体を探索して、断片的な感覚の意味に気づいていく過程は、だれかと新しく知り合って友だちになっていくようなもの。

この記事では、わたしの個人的な知識や経験、読んだ本などに基づいてソマティック・エクスペリエンスについてわかったことを、当事者目線でまとめました。

ソマティック・エクスペリエンスについてもっと知りたい場合は、たとえば、専門家による以下のような記事を読んでみるといいかもしれません。

SE™(Somatic Experiencing®)とは | SE Japan

連載 本気でトラウマを解消したいあなたへ 第一回 トラウマの鍵を握るのは、身体です。 – コ2[kotsu]

今のところ、ソマティック・エクスペリエンスは、まだ日本ではそれほど周知されておらず、経験を積んだセラピストが少なかったり、費用面での負担が大きかったりして、なかなかハードルが高い治療法かもしれません。

けれども、この記事で書いた内容に興味を引かれた人がいれば、思い切って体験してみると、世界が変わるかもしれません。

ソマティック・エクスペリエンスから得られるのは、ほかでは得がたい「経験」です。ソマティック・エクスペリエンスの体験は、旅行に行ったり料理を味わったりするのと同じです。

ポジティブ心理学の研究によれば、人は「もの」ではなく「経験」に投資したときにより大きな幸福感を味わえることがわかっています。

経験はわたしたちの人生や価値観を変えます。トラウマによって氷漬けにされた人生でさえも、ときに新たな経験に触れた温かさによって溶かされ、凍りついた時間が動き始めることがあるのです。

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