創造的な人がもつ複雑で多面的な人格の10の特徴―HSPや解離とのつながりを考察する


重要なのは、ただ単にある特定の性格特性を身にまとうだけでは創造性の衣鉢を受け継ぐことはできないということである。

人は僧侶のように生きても、身体を酷使して無理をして生きても、創造的であり得る。

ミケランジェロは女性にそれほど興味を示さなかったが、ピカソは常に女性を求めていた。彼らの性格に共通点はほとんどないが、しかし、両者は絵画の領域を変えたのである。(p64)

造的な人に「ある特定の性格特性」などない。

自信を持って、そう言い切ってしまえるのは、創造性について、豊富な調査と研究を積み重ねてきた第一人者、ミハイ・チクセントミハイをおいてほかにはいないでしょう。

今日、さまざまなメディアで、創造性、クリエティビティについて、ありとあらゆることが取り上げられています。

創造的な人は外向的だとする記事もあれば、内向性人間の時代が来たとする学者もいますし、朝型人間のほうが、あるいは夜型人間のほうがクリエイティブだとか、コーヒーブレイクや瞑想が役立つなど、さまざまな意見が飛び交っています。

そんな中、心理学者ミハイ・チクセントミハイは、創造性とは何か、という研究にあたって学術的なアプローチをとり、フロー理論など、さまざまな革新的な発見を積み重ねてきました。

そして、創造的な人には特有の性格特性や習慣があるどころか、「ただ単にある特定の性格特性を身にまとうだけでは創造性の衣鉢を受け継ぐことはできない」という結論に至りました。

しかしそれは、結局のところ創造的な人に固有の特徴などないのだ、というお手上げ状態を意味する言葉ではありません。

むしろ、チクセントミハイは、メディアで交わされる創造性についての表面的な論議を超えて、創造的な人の深みに共通する、不思議で奇妙な、ひとつの性質へとたどり着きました。

この記事では、チクセントミハイの代表的な著書クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学を通して、創造的な人に見られるある一つの性質の10の側面について考えます。

そして、その性質が、このブログで取り上げてきたHSP(人いちばい敏感な人)という概念や、幼少期の愛着、そして解離という心の機能と、どのように結びついているかに注目したいと思います。

スポンサーリンク

目次 (お好きなところから読めます)

これはどんな本?

クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学は、心理学者ミハイ・チクセントミハイの代表的な著書で、原著Creativity : Flow and the Psychology of Discovery and Inventionは1996年、つまり20年以上前に書かれました。

2016年10月になってようやく翻訳された一冊ですが、科学技術を用いた研究ではなく、過去の偉人たちについての分析や、20世紀の創造的な偉人たち91人へのインタビューに基づく考察が主体なので、今読んでも時代遅れという印象はありません。

むしろ、400ページ以上のボリュームがある非常に濃い内容のつまった一冊で、一般に流布している創造性についての表面的なライフハック情報とは一線を画しています。本書の冒頭で、著書が、こう但し書きしているほどです。

本書に書かれていることは、創造的になるための簡単な方法ではなく、あまり知られていないいくつかのアイデアである。

創造性についての現実的な説明は、過度に主張されてきた楽観的な多くの記述と比べるとわかりにくく馴染みのないものである。(p1)

この本は、創造性は限られた天才だけの特権ではなく、だれもが創造的になりうる、というスタンスをとる一方で、創造的な人たちには固有の性質があり、遺伝的要素や、子ども時代の環境的要素が重要な役割を果たしているともされています。

本書の末尾には、一般読者向けに創造的になるためのアドバイスがまとめられてはいますが、おもなテーマは、ずばぬけた創造性を示す人たちの特徴を探ることであり、そこから浮かび上がった人物像は、とても奇妙で不思議なものでした。

創造的な人に共通するひとつの特徴

冒頭に引用したように、チクセントミハイは、さまざまな歴史上の創造的な偉人たちや、現代の創造性あふれる91人の芸術家・科学者・実業家たちなどの人となりを分析した結果、「彼らの性格に共通点はほとんどない」という結論に達しました。

通説とは違って、創造的な人は内向的だとか、奇抜でエキセントリックだとか、孤高の天才だとかいう、特定の性格特性は見当たらなかったのです。

それもそのはず、たとえば絵画の歴史をひもとくだけでも、創造的な芸術家にはさまざまな性格の人たちが入り混じっていることがわかります。

チクセントミハイは、芸術家にはミケランジェロのように禁欲的な人もいれば、ピカソのように奔放な人もいたことを指摘していますが、絵画にみられる多種多様なスタイルの幅の広さは、それを作り出した芸術家たちの多様さを雄弁に物語っているといえます。

ネット上にあふれかえる、創造的に役立つと吹聴するライフハック情報を見ても、それと同様のカオスが見られます。さまざまな対立するアドバイスからすれば、創造性という答えを導く普遍の公式など、どこにも存在しないかのように思えます。

それでは、創造的な人にはなんの共通項もないのでしょうか。

「一言で言わなければならないとすれば、私は“複雑さ”を挙げる」

チクセントミハイは、短絡的な結論には飛びつきませんでした。それどころか、この混乱した状況そのものに、創造的な人に共通する単一の性質を見いだしました。

では、創造的な人々を特徴づける特性はまったくないのだろうか? 

もし創造的な人々の性格と他の人々の性格を分け隔てるのは何かを一言で言わなければならないとすれば、私は複雑さを挙げるだろう。(p64)

チクセントミハイが見いだした、創造的な人の共通項、それは「複雑さ」でした。

「複雑さ」とは何を意味するのか、チクセントミハイは、続けてこう説明しています。

創造的な人は状況に応じて、同時に積極的かつ協調的であったり、あるいは、あるときには積極的で、あるときには協調的であったりする。

複雑な性格を持つということは、人間の能力の全範囲に潜在的に存在しながらも、通常は、私たちがどちらか一方の極が「良く」、もう一方の極が「悪い」と考えるために退化してしまうような、多様な特性すべてを表現できるということを意味している。(p65)

創造的な人は、競争的でもあると同時に協調的でもあり、内向的であると同時に外向的でもあり、奇抜であると同時に真面目である、といった、「多様な特性すべてを表現できる」複雑な内面を有しているのです。

「状況に応じて一つの極からもう一方の極へと移動する能力」

このように書くと、しばしば生じるのは、「では結局のところ、だれでも、どんな人でも創造的なんじゃないか」という誤解です。

つまるところ、内向的な人でも外向的な人でも、奇抜な人でも真面目な人でも、どんな人でも創造的なのだ、というような、あたかも「何でもあり」という意味合いに受け取られてしまうことがあります。

チクセントミハイは、この「複雑さ」とは、誰にでも当てはまるどころか、それとはまったく正反対である、とはっきり述べています。

心に留めておくべき重要なことは、これらの矛盾する特性―あるいは、矛盾するどのような特性であっても―を、通常、同一人物のなかに見出すことは困難だということである。(p86)

ミハイ・チクセントミハイが言わんとしているのは、外向的な人や、内向的な人のような、互いに相反する性質を持つ人が、どちらも創造的だ、という意味ではありません。だれでもかれでも、高い創造性を発揮しうるという無責任で楽観的な話ではありません。

そうではなく、そのような、通常は相容れないはずの性格特性すべてが、同じ一人の人物の中に存在している。それこそが極めて創造的な人間の特徴だと述べているのです。

それでも、「心の中に互いに矛盾するようなさまざまな特性があるのはごく普通のことではないか」と言う人もいるでしょう。

たとえば、血液型占いのような心理テストは、どれをやっても、なんとなく自分に当てはまるような結果が出るものです。心理学ではこれをバーナム効果といいます。

たいていの人は、自分は積極的だと思うときもあれば、消極的だと感じる瞬間もあり、勇気があるようにも臆病なようにも、計画的なようにも行き当たりばったりなようにも、理性的なようにも感情的なようにも思えるものです。

そう感じるのは、たいていの人は、さまざまな両極端な性質の中間付近に位置していて、時と場合によって、ポジティブになったりネガティブになったり、理性的になったり感情的になったりするものだからです。

しかしチクセントミハイは、そうした平均的な人たちは、極めて創造的な人の特徴である「複雑な性格」には当てはまらないとしています。

複雑な性格とは、中立的な状態、あるいは平均的な状態を意味してはいない。二つの極の中間に存在するある特定の位置ということではないのである。

たとえば、それは、あまり協調的でないといった優柔不断さを意味するものではない。

むしろ、複雑な性格とは、状況に応じて一つの極からもう一方の極へと移動する能力とかかわっている。(p65)

チクセントミハイが述べるように、複雑さとは「中立的な状態」や「平均的な状態」ではありません。

たとえばそれは、「内向的」とも「外向的」とも解釈できる中途半端さではなく、はっきり「内向的」であると同時に、はっきり「外向的」でもあることを意味しています。非常に「協調的」でありながら、非常に「競争的」でもあります。

アスペルガー的でありながらADHD的

この説明そのものが複雑でカオスすぎてピンとこない人も多いでしょうから、もう少し、このブログに馴染み深い表現に言い換えてみましょう。

チクセントミハイは、複雑な人格とは何かを説明するにあたり、複雑な性格には当てはまらない2つの対照的なタイプを挙げています。

ある人々は、統合化されているが、さほど差異化されていない。彼らは限られたアイデア、意見、感情に固執する。彼らは予測可能であり、退屈で表面的で融通が利かないという印象を与える。

その一方で、多くの意見を表明し、気まぐれで、常に何か新しいこと、それまでとは異なることを行おうとするが、中心となるものがなく、継続性を欠き、抑えきれないほどの情熱は持っていないという印象を与える人々もいる。彼らの意識は差異化されているが、適切に統合されてはいない。

そして、これらのどちらの存在様式も、大きな満足をもたらすものではない。(p409)

この二種類の対照的なタイプの性格は、近年、発達障害としてよく知られるようになった人たちによく見られるものです。

まず前者に挙げられているのは、引きこもりがちでコミュニケーションが苦手、冗談があまり通じなくて、融通が利きにくいものの、マニアックな知識が豊富なアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)に典型的な性格です。

大人の発達障害「自閉スペクトラム症/アスペルガー症候群」の5つの特徴と役立つリンク集
最近、大人の発達障害を疑って医療機関を受診する人が増えているといいます。その多くは、子どものときから困難を抱えながらも、なんとか学生生活には適応してきました。しかし社会人になると、

後者は、落ち着きがなく常に動き回り、不注意で見落としが多い、いわゆるそそっかしくておっちょこちょいではあるものの、行動力があって発想に優れたADHD(注意欠如多動症)に典型的な性格です。

よくわかる「大人のADHD」の10の特徴・チェックポイント
集中できないときと没頭しすぎるときの落差が激しい、計画を立てられない、いつも先延ばしににして期限に間に合わない…。この記事では大人のADHDの10の特徴をチェックポイントとしてまと

自分の身の回りの家族や友人を思い浮かべると、ああ、あの人はADHDみたいだとか、彼はアスペルガーっぽいかな、という例が思い当たるかもしれません。

逆に、しっかり者で、よく気がつき、空気も読めて、柔軟に接してくれる人、とてもじゃないけれど、発達障害のステレオタイプには当てはまらないような人、いわゆる定型発達者も何人か思い当たるかもしれません。

では、ものすごくADHDのような行動力や豊かな発想力がありながら しっかり者で、同時にものすごくアスペルガーのようなマニアックな博識やこだわりがありながら柔軟に周りに合わせることもできる、そんな人がいるでしょうか。

アスペルガーとADHDの悪いところが両方出ている、という意味ではなくて、両者の性格特性のいいとこ取りをして、両極端の長所を同時に持っているという意味です。

チクセントミハイの言う「複雑な性格」とはそのようなものです。そして、それこそが、チクセントミハイが、極めて創造的だと感じた91人の人たちに共通してみられた特徴なのです。

創造的な人々は間違いなく両極端を知っており、それらを同等の強さで、内的な葛藤なしに経験するのである。

この結論は、創造的な人々のなかにたいてい存在し、それぞれが弁証法的緊張のなかで統合されている。(p65)

絶対に矛盾するような両極端の性質をすべて持っていながら、それらが奇跡的に統合されて一人の人間のなかに存在している、それこそがチクセントミハイの言う、極めて創造的な人に特有の「複雑さ」なのです。

10の例から「複雑な性格」とは何かを理解する

こうして言葉を多くして説明してみても、まだ表面をつるりと滑っているようで、狐に化かされているかのように感じる人もいるかもしれません。

チクセントミハイは、本書の中で、ただこうしたつかみどころのない説明で煙に巻こうとするのではなく、より理解しやすくするために創造的な人が持つ「複雑さ」の例を10個挙げています。

ここからは、それらを順に考慮して、チクセントミハイの言わんとする創造的な人たちが持つ「複雑さ」とは何かに一歩ずつ迫ってみることにしましょう。

1.エネルギッシュなのに落ち着いている

1.創造的な人々にはかなりの身体的エネルギーがあるが、しばしば、物静かで落ち着いている。(p66)

創造的な人の「複雑さ」の一つ目の例は、エネルギッシュでありながら、落ち着いてもいることです。

まず前提として、創造的な人がエネルギッシュであることは、だれもが異論なく認めるでしょう。異常なほど多作、異常なほど論文が多い、信じられないほど多数の分野にまたがって活躍している、いつ寝ているのか疑問に思われるほど活動的。

これらは、創造的な人たちが、まわりの人たちを驚かせる最もわかりやすい側面であり、同時に創造的な人だと認められる必須条件でもあります。

どれほどユニークなアイデアを持った人であっても、ほんのひとつの作品、ほんのひとつの論文を書くだけで、後世にわたって創造的な人と記憶されることはまずありません。

たとえば、パブロ・ピカソは有名なよく知られている作品だけを作ったわけではなく、日夜たゆまず創作しつづけ、15万点もの作品を残したと言われています。

「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86には、画家サルバドール・ダリについてこんな逸話が載せられていました。

超現実主義の画家サルバドール・ダリが、「What`s my Line (私は誰でしょう)」というアメリカのクイズ番組にゲスト出演したときのこと。有名人で構成される回答者が、目隠しのままゲストの講義をあてるという番組だった。

回答者がヒントを求めるゲストに質問をする。しかしこの日に限って、質問するほど回答者の混乱は深まった。何を尋ねてもゲストの答えは「はい、そうです」だったから。

「小説家ですか」と問われれば答えは「はい」、3冊のノンフィクション書籍に加えて『隠された顔』という小説を上梓しているのだから。

芸能人ですかと尋ねられても答えは「はい」。ダリは様々な舞台芸術を手がけたのだから。

回答者の1人がうんざりして言った。「この人がやらなかったことなんて、ないんじゃないの?」(p14)

創造的な人が、抜きん出た業績を挙げたり、類まれなるアイデアを世に送り出したりできるのは、ひとえに、人の何倍も作品を作り、異例なほど多分野の知識に通じているからにほかなりません。

こうした人たちは、「いったいいつ寝ているのだろう?」といぶかしまれますが、クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学でチクセントミハイは、彼らは決して強健なわけでも、人の何倍もの体力があるわけではない、という矛盾するような特徴を浮きらかにしています。

このことは、創造的な人々が異常なほど活動的であり、いつも「オン」の状態で、常に忙しく動き回っていることを意味してはいない。

実際彼らは頻繁に休みをとり、よく眠る。重要なことはエネルギーが彼らの制御下にあるということである―カレンダー、時計、あるいは、外的なスケジュールによって制御されることなく。(p66)

創造的な人たちは、極めてエネルギッシュに活動しているように見えて、実際には、人よりもよく眠り、休息を多めにとっています。

アインシュタインが10時間以上寝るロングスリーパーだったことはよく知られていますが、長時間寝る人のほうが繊細で感受性が強いという研究者もいます。鋭敏な感覚のせいで受けとる情報が多く、睡眠中の記憶の処理にも時間がかかるのかもしれません。

さらに、チクセントミハイは、創造的な人たちは、幼少期は虚弱体質だったり、病気がちだったりすることも多い、と指摘しています。

70代、80代においてもなお健康で活力にあふれた人々の多くが、幼少期に頻繁に病気で苦しんでいたことを記憶していることは意外である。

ハインツ・マイヤー=ライプニッツは、肺の病気療養のため、スイスの山中で数ヶ月間ベッドから出られなかった。

ゲオルク・ファルディは、病気がちな子どもであったし、心理学者のドナルド・キャンベルもまた同様であった。

世論分析者、エリザベス・ノエル=ノイマンは、担当医に生存の見込みがないと伝えられたが、ホメオパシー療法(同種療法)によって健康を回復し、30年後の今では、年齢が彼女の半分のどんな人を四人集めていたとしても、彼女のほうが懸命に働いている。

これらの人々のエネルギーは内部から生じ、遺伝子の優位性よりも、集中した精神状態に起因しているように思われる。(p66)

こうした説明から見えてくるのは、極めて創造的な人たちは、必ずしも、頑強な肉体に恵まれたがために、多作で活動的になれたわけではない、ということです。

むしろ、創造的な人たちは、元来、神経が高ぶりやすく、疲れやすい傾向を持っているように思われます。そのため、人生の初期には、通常の学校生活や社会生活にうまくなじめないこともあります。

しかし彼らは、人生の早い時期に、自分の特殊な体質と折り合いをつける生活リズムを見いだすようです。チクセントミハイが言うように、それは「カレンダー、時計、あるいは、外的なスケジュールによって制御されることなく」、それぞれの体質に合った独特のリズムです。

私たちの行動を構造化するための最善の方法など存在しない。ここで重要なことは、私たちの行動を偶然や外部のルーティーンに自動的に決定させないことである。(p163)

ほとんどの創造的な人たちは、睡眠や食事、仕事のための最適なリズムを早い時期に見出し、他のことが魅力的に見えても、そのリズムを守っている。(p164)

創造的な人の中には夜型の人もいれば、朝型の人もいます。しかし共通していえるのは、それぞれが、自分に合ったリズムを見つけ、周りの人たちがなんと言おうと、そのリズムを固守して活動することです。

もともとすこぶる健康だというわけではなくても、自分の体質に合った生活のリズムを身に着けた結果、落ち着いた環境で「集中した精神状態」を活かせるようになり、他の人より少ない時間でも、より多くのアイデアを形にすることができるのでしょう。

2.トップダウン思考でありながらボトムアップ思考

2.傾向として、創造的な人々は頭脳明晰でありながら、同時に単純な側面も持っている。

創造的な人の「複雑さ」の二つ目の例は、頭脳明晰でありながら単純でもある、ということです。

これもまた、創造的な人たちのイメージとして、馴染みのあるものかもしれません。極めて創造的な人たちは、カミソリのように鋭い推理や論理を展開しますが、同時に、茶目っ気あふれるユーモアも持ち合わせています。

もとより頭がやわらかくなければ、偉大な業績は残せません。特定の理論に固執したり、人の意見に耳を傾けなかったりしたら、先人たちに勝るアイデアは得られません。

しばしば、アニメやドラマに出てくる、天才の肩書きといえば、「IQ200の…」といった紋切り型ですが、チクセントミハイによると、創造的な人の頭のやわらかさは、IQでは測れません。

心理学者、ルイス・ターマンによって1921年にスタンフォード大学で開始された「優れた知能」についての最初の縦断的調査は、非常に高いIQの子どもたちは人生で成功するが、ある特定の段階を過ぎると、IQはもはや実生活における優れた業績と相関関係を示さなくなるらしいことを、かなり決定的に示した。

その後の研究は、IQ120あたりにその限界点があることを示唆している。つまり、120より低いIQでは創造的な仕事は難しいかもしれないが、IQが120を超えても、その数値の増加がより高度な創造性を伴うとは限らないということなのである。(p68)

創造的な仕事には、IQ120ほどの明晰さは必要ですが、それ以上IQが高くなっても、より創造性が高まるということはありません。歴史上最もIQが高いとされているのはマリリン・ボス・サヴァントですが、極めて創造的な人としては知られていません。

それどころか、チクセントミハイは、IQが高くなりすぎると、創造性が低下する可能性があるとも指摘しています。IQが極めて高い人たちは、尊大になって社交性を欠いたり、現状に満足したりすることがあるからです。

哲学者ソクラテスは、「自分が知らないことを知らないと自覚していること、すなわち「無知の知」が知恵には必要だと述べました。

創造的な人は、頭脳明晰でありながら、過度に賢すぎないがために、さまざまな人の意見に耳を傾けたり、質問したり、先入観にまどわされずに熱心に調査したりできるのかもしれません。

IQテストは、ボトムアップ型の収束的思考、つまり、緻密に論理的に思考する能力を計測しますが、創造的な人はそれと正反対のトップダウン型の拡散的思考、つまり突飛に思える連想や、ばからしく思えるようなアイデアを思いつく能力にも秀でています。

チクセントミハイは、創造性には、収束的思考と拡散的思考のどちらが欠けても不十分であり、創造的な人は拡散的思考でさまざまなアイデアを思いつくと同時に、収束的思考によってアイデアの良し悪しを選別していると述べています。

ノーベル医学・生理学賞を受賞したジェラルド・エーデルマンは、脳は空より広いか―「私」という現象を考えるの中で、この二種類の思考を、召使いと女王の関係にたとえています。

もし選択主義的思考を自由奔放で自立した女王にたとえれば、論理的思考は、手堅く城を守る召使いといったところだろうか。(p178)

創造的な人には、さまざまなパターンを直感的にひらめく自由奔放な女王のような拡散的思考(選択主義的思考)が欠かせませんが、それを手堅く堅実に処理していく召使いのような収束的思考(論理的思考)がなければ、創造的なシステムとして機能させることはできません。

あたかも二つのまったく正反対のタイプの頭脳を自由自在に切り替え、あるときは「自由奔放な女王」、あるときは「手堅く城を守る召使い」として、問題にアプローチできるのが、創造的な人が複雑たるゆえんなのです。

3.真面目なのに遊び好き

3.三つ目の逆説的な特性は、遊び心と自制心、あるいは、責任と無責任といった相互に対応する組み合わせである。

創造的な人の「複雑さ」の三つ目の例は、遊び心と自制心を両方持ち合わせていて、責任感がありながら、無責任でもあることです。

すでに見たとおり、創造的な人は、融通が利かない頑固な人ではなく、柔軟でユーモラスです。しゃにむに働きつづけ、定年後になんの趣味もないとこぼす企業戦士のような人ではなく、仕事に打ち込みながらも楽しみを欠かしません。

創造的であるためには、真面目すぎても、遊び好きすぎてもいけません。だれよりも真面目に学問や創作に打ち込んでいながら、同時にだれよりもはっちゃけて遊びにふける一面も持っています。

遊び心があって、子どものような旺盛な好奇心で楽しいことに手を出してまわることは多彩なアイデアを生み出す拡散的思考の源泉になりますが、ただ遊びほうけているだけでは、何も成し遂げられず、現実ばなれしたことばかり言う夢想家として終わってしまいます。

遊び心のある軽妙な態度が創造的な個人の典型であるということに疑問の余地はない。

…しかしこの遊び心はそれに対立するもの、つまり、頑固さ、忍耐力、粘り強さといった特性がなければそれほど役には立たない。(p69)

現実ばなれしたアイデアを思いついたら、すぐさま思考を切り替えて真剣に取り組み、いかにしてそれを実現できるか、だれよりも真面目に考えます。

やるべきときにはきっちり自制心を働かせて、辛抱強くコツコツと仕事に取り組めるからこそ、創造的な人は確かな実績を残すことができるのです。

4.ロマンチストでありながらリアリスト

4.創造的な人々は、一方に想像や空想を置き、もう一方にしっかりと根づいた現実感覚を置いて、その間を行き来する。(p72)

創造的な人の「複雑さ」の四つ目の例は、夢想家でありながら現実主義者でもあるということです。

これまでの点とも大いに関係しますが、創造的な人は、空想にふけって大胆なアイデアをたくさん思いつきますが、それを実現するために現実的な計画を練ります。

興味深いことに、創造的な実績のある人と、そうでない普通の人を対象に、インクのしみのような絵から自由に連想させるロールシャッハテスト(雲の形からいろいろ連想するのと同じで「パレイドリア」と言われる)をさせると、両者では、不思議な違いが見られるそうです。

これらの検査では、インクのシミや絵など、ほとんど何にでも見える曖昧な刺激について、ひとつの物語を作ることが要求される。

より創造的な芸術家たちは、まったく独創的な回答を返し、その回答は、非日常的で、色彩豊かな細かい要素まで彩られていた。

しかし、一般の人々が時々するような「奇異」な回答は決してしなかった。奇異な回答とは、どう好意的に見ても、その刺激のなかに決して見出せないようなものである。

…彼らが見出す斬新さは現実に根ざしているのである。(p72)

創造的な人は独創的で豊かな連想能力を発揮しますが、必ず、なぜそう連想したかを説明することができます。つまり、創造的な人の突拍子もなく思えるアイデアは、実は地に根ざした堅実なもので、豊富な知識と経験に裏打ちされています。

創造的な人たちのアイデアは、あまりに突拍子もないように見えるため、「天才と狂気は紙一重」などと言われますが、その実、並外れて広い見識と豊富な経験、ふつうの何倍も深く掘り下げる思考とが融合した現実的なアイデアなのです。

5.外向型人間であり内向型人間でもある

5.創造的な人々は、外向性と内向性の間に横たわる連続体の両極端を漂っているように見える。

創造的な人の「複雑さ」の五つ目の例は、外向的でありながら内向的でもある、ということです。

一般に、世の中の人は、内向型人間か、外向型人間のどちらかである、と分類されがちです。外向的でコミュニケーションが得意な人が社会で重宝される一方、近年では内向型人間の強みを解説する本も書店にたくさん並ぶようになりました。

しかし創造的な人たちは、この点においても、どちらにも当てはまるような複雑な人格を有しています。

通常、私たち一人ひとりは、群衆の真っただ中にいることを好むか、あるいは束の間のショーを傍観者として座ってみるかの、どちらか一方の傾向を示す。

実際、現在の心理学では、外向性と内向性は、人々を互いに区別し、確実に測定できるもっとも安定した性格特性であると考えられている。

しかし一方で、創造的な人々は両方の特性を同時に表すように見えるのである。(p74)

「孤高の天才」という言葉が示すように、創造的な作家や学者はしばしば部屋にこもってひたすら創作や研究に打ち込んでいるというイメージがつきものです。それゆえ内向型人間の強みは繊細さや独創性だと言われています。

しかし、本当に典型的な内向型人間が、はたしてあれほど多くの作品を発表したり、斬新なアイデアを声高に主張したりするでしょうか。創造的な人は、社会で広く受け入れられている概念に真っ向から挑戦し、常識を覆すからこそ創造的なのです。

創造的な人々は、人に会い、人の話を聞き、アイデアを交換し、他者の仕事や考えを知ることの重要性を何度も繰り返し強調する。(p74)

ここでもやはり、創造的な人は複雑な人格を持っています。一人になって孤独な仕事に打ち込む時間が大好きですが、同時に他の人と意見を戦わせ、見識を深めるのもまた大好きです。

創造的な人は、孤高の天才であると同時に、その創造的な仕事によって、さまざまな分野の人たちをつなぐ架け橋となり、新しい組織や学問、企業を立ち上げる、文化のネットワークハブのような役割を果たすのです。

6.謙虚に学び、自信たっぷりに発表する

6.創造的な人々は、謙虚であると同時に傲慢である。 (p77)

創造的な人の「複雑さ」の六つ目の例は、謙虚であると同時に傲慢であるということです。

謙虚でありながら傲慢とは、これまで見てきた複雑な両極性の中でも、特に矛盾しているように思えますが、実在の人物の例を見れば、それほど珍しいことではありません。

たとえばアイザック・ニュートンは、自分の業績がロバート・フックら先人たちの洞察に基づいていることを謙遜に認め、「わたしがはるか遠くを見渡せたのはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからだ」と述べました。しかしその同じニュートンは、微分法の発見を自分の手柄とするために、先に発表していたライプニッツを狡猾におとしめました。

先人たちの研究を認める謙遜さは、創造的な人に不可欠です。まず前提として、先人の研究や作品をしっかり調べて知識と技術を学ばなければ、自分のアイデアを形にして世に送り出すことは不可能でしょう。

しかし先人たちが積み重ねた業績に不十分なものがあると確信し、斬新なアイデアを主張するためには、自分のアイデアのほうが勝っているはずだ、という自信なしには、やはり不可能でしょう。

創造的な人たちは、自分の限界を認め、まだまだ知るべきことがたくさんあるのを知っているので、柔軟に他の人の意見に耳を傾けますが、同時に、自分の成し遂げたことにも相当の自信を持っていて、唯一無二のものだと自負しているからこそ、アグレッシブに切り込んでいけるのです。

7.文化のバイアスに影響されず、女性的かつ男性的

7.あらゆる文化において、男性は「男性的」に育てられ、文化が「女性的」とみなす気質的な面を無視し、抑圧するように方向づけられる。一方、女性はその逆を期待される。

創造的な人々は、いくぶん、こうした厳格な性役割の固定観念から自由である。 (p80)

創造的な人の「複雑さ」の七つ目の例は、男性的でありながら女性的でもある、ということです。

誤解を招きやすい点ですが、これは、創造的な人が中性的である、という意味ではありません。すでに見たように、創造的な人の複雑さとは、平均や中間点ではなく、両極端が同時に存在していることです。

また、創造的な男女は同性愛の傾向が強いという意味でもありません。創造的な人の中には同性愛者もいますが、大部分はごく普通の異性愛者で、結婚して子どもも設けています。

この両性具有的な傾向は、時折、純粋に性的な観点から理解され、その結果、同性愛と混同されてしまう。

しかし、心理的な両性具有性はより広い概念であり、ジェンダーとは関係なく、攻撃的であると同時に慈しみ深く、繊細であると同時に厳格であり、支配的であると同時に従順であり得るという、一人の人間の能力を意味する。

心理的に両性具有的な人は、事実上、自分の反応のレパートリーを倍増させ、世界との交流においては、より豊かで多様な見方で好機に対処できるのである。

したがって、創造的な人々が、自分のジェンダーの長所ばかりでなく、もう一方のジェンダーの長所を持つ傾向にあったとしても、それは驚くことではない。(p80)

そもそも、創造的な人が男性的でもあり女性的でもあるとは、セックス(生物学的な性)ではなくジェンダー(文化的な性)と関係しています。

以前の記事で取り上げたように、生物学的に見れば、男性の脳と女性の脳は、メディアで好まれる通説とは違って、それほど大きな違いは存在しないと言われています。

ダーウィンも気をつけた「アインシュテルング効果」とは? 人は自分の意見の裏づけばかり探してしまう
自分の意見に固執して、他の人の新しい意見を無視してしまう傾向は「アインシュテルング効果」と呼ばれています。わたしたちが無意識のうちに自分の考えの裏付け証拠ばかり探していることや、ダ

女性とは繊細でおしとやかなものだ、男性とは勇敢でたくましいものだ、といった認識があるとすれば、それは生物学的なつくりではなく、生まれ育った文化や育てられた方によって、そうなっていくにすぎません。

つまり、チクセントミハイは、文化の影響の一例として、男性的、女性的という表現を用いてはいますが、彼が言いたいのは、創造的な人たちは、自分が生まれ育った社会に存在している根深い先入観に捕らわれず、自由に自己表現できるということです。

地域社会に根づいた目に見えない因習や偏見、ルールといったバイアスに影響されて思考停止してしまうのではなく、自分で考え、判断しながら、周囲に迎合しない生き方を貫けるからこそ、男性らしさと女性らしさの両方を発揮できるのです。

8.空気を読むことも読まないこともできる

8.一般的に創造的な人々は反逆的で独立心が強いと考えられている。しかし、まず、文化のある領域を内面化しなければ、創造的になることは不可能である。(p80)

創造的な人の「複雑さ」の八つ目の例は、独立心に富んでいながら、従順でもあるということです。

これは6番目で見た謙虚でありながら自信過剰ということ、また7番目で見た文化の影響を受けすぎず自分で決定できることと共通しています。

言うなれば、創造的な人は、「空気を読む」こともできれば、「あえて空気を読まない」こともできます。

先人たちの業績から学んだり、さまざまな分野の人に広く耳を傾けたりするときには「空気を読んで」います。社会のルールに従順に従えなければ、研究や作品を発表する機会を持てないでしょう。

しかし、通説に縛られず新しいアイデアを送り出したり、男性らしさや女性らしさという、社会が望む型にはまらない、という点では「あえて空気を読まずに」振る舞います。

時と場合によって「空気を読むこと」も「空気を読まない」こともできるので、創造的な人は謙虚なようにも傲慢なようにも、柔軟なようにも頑固なようにも、賢いようにも愚かなようにも見え、一般人には理解しがたい複雑な振る舞いをするのです。

9.感情的でありながら理性的

9.多くの創造的な人々は、自分の仕事にとても情熱的であるが、同時に極めて客観的でもある。

多くの人々は、この愛着と分離の矛盾から生じるエネルギーが、彼らの仕事の重要な一部であると述べている。(p82)

創造的な人の「複雑さ」の九つ目の例は、感情のままに没頭する主観的な視点と、冷静に分析する客観的な視点の両方を持ち合わせていることです。

主観的で没頭しやすい人とは、周りが見えなくて、自分の気持ちだけで突っ走って思い込みが激しい人のことです。情熱にあふれているのはよくわかりますが、自分が空回りしていることにさえ気づきません。

客観的で冷静な人とは、落ち着いて物事をよく考え、理性的に分析するのが得意な人です。コンピューターのような判断力がありますが、人間味のある感情にとぼしく、機械的です。

大半の人は、どちらか一方の視点のみで考えていて、正反対の人の立場に身をおいて考えるのが苦手ですが、創造的な人は、自在に二つの視点を切り替えることができます。

たとえば作家であれば、物語を書いているときには、没頭して情熱をこめ、感性のおもむくままに書き連ねますが、推敲する段になると、まるで初めて読む読者になったかのような客観的な視点で分析し、つじつまの合わないところや改善点を洗い出します。

つまるところ、創造性とは、主観的な視点と客観的な視点を交互に切り替えながら積み重ねていくプロセスだといって差し支えないでしょう。

10.ひどく苦悩しながら、とても楽しんでもいる

10.最後に、創造的な人々はしばしば、開放性と感受性によって苦悩と苦痛、そして、多くの楽しさにさらされる。

彼らの苦悩は容易に理解できる。強い感受性は、私たちが通常感じない軽蔑や不安を引き起こす。(p82)

最後に、創造的な人の「複雑さ」の十番目の例は、多くの苦悩を経験すると同時に、多くの楽しさや喜びも経験するということです。

その理由について、チクセントミハイは、創造的な人は「開放性と感受性」を持っていると述べています。これはつまり、広く社会にて出ていきたいと感じる外向的な側面と、周りの評価を気にする内向的な側面が同時に存在しているということでしょう。

自分の研究や作品を発表して認めてもらいたい、同じ興味を持つ人とつながりたいと思いつつも、そうするなら、批判的な言葉や鈍感さに傷つけられるというジレンマを生み出します。

仕事や趣味に限らず、日常的な人間関係でも、社交的で大胆な面と、繊細で傷つきやすい面とが同居していて、内なる葛藤に悩まされるかもしれません。それが創造的な人たちが抱え持つ苦悩です。

しかし同時に、創造的な人たちは、そうした苦悩が雲散霧消する瞬間もよく知っています。自分が愛してやまない創造的な活動に没頭している時間は、思い煩いや不安をすべて忘れて、ただひたすらに喜びと楽しさを味わえるのです。

しかし、その人が自分の専門領域で働いているときには、不安や心配事は消え失せ、それらは無上の喜びに変わる。

おそらく、もっとも重要な特質、言い換えれば、創造的な人々すべてに恒常的に見られる特性とは、創造のプロセスそれ自体を楽しむ能力であろう。(p84)

そのようなわけで、創造的な人たちは、起伏の激しい、ジェットコースターのような人生を送り、人生の良い面も悪い面も、同時にすべて味わいつくす、人いちばい充実した日々を送ることができます。

そのように良いことも悪いことも全力で味わい尽くしているからこそ、創造的な作家が創る作品には人生のうまみが濃縮されていて、創造的な学者が著す著作には、鋭い洞察が秘められているのかもしれません。

以上が、ミハイ・チクセントミハイが創造的な人の「複雑な性格」の例として挙げる10の側面です。

むろん、この10個だけでなく、他のありとあらゆる領域において、創造的な人は両極端を同時に経験します。

これら10項目だけでも、相当、複雑な内面を持つ人物像がイメージできますが、いったいなぜ、創造的な人は、こうした相異なる性質がさまざまに同居しているような心を持つようになるのでしょうか。

複雑な性格は遺伝か環境か

天賦の才能は、遺伝によるものか環境によるものか、という議論は、これまで長きにわたって舌鋒鋭くやりとりされてきました。

たとえば、10000時間の法則で知られるアンダース・エリクソンの研究を取り上げた究極の鍛錬では、天才とは生まれつきの才能ではなく、飽くなき努力や効果的なフィードバックによる訓練の賜物であるとされています。

他方、自閉症の専門家マイケル・フィッツジェラルドが天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的独創性の中で唱えるように、自閉症やADHDといった発達障害の遺伝的要因が、天才の基盤となっている、と考える人もいます。

ADHDの画家ピカソとアスペルガーの画家ゴッホの共通点と違い―発達障害がもたらした絵の才能
ADHDだったとされる画家ピカソ、アスペルガーだったとされる画家ゴッホを比較して、ADHDとアスペルガーの違いや共通点を考えています。

脳科学者ナンシー・アンドリアセンの天才の脳科学―創造性はいかに創られるかによれば、統合失調症や双極性障害などの精神疾患の脆弱性が関与している可能性もあります。

創造的な人は心の断崖のふちに立っている―「天才の脳科学」を読み解く
創造性とはなにか。「天才の脳科学―創造性はいかに創られるか」という本に基づいて、「通常の創造性」と「並外れた創造性」について考えています。また統合失調症との関連が強い科学者の創造性

近年ではさらに、環境要素による遺伝子のオンオフの変化、つまりエピジェネティクスが関係していることもわかってきました。才能には、遺伝と環境が複雑にからみあっているのです。

人の才能は遺伝子で決まるわけではない―可塑性、自由意志、エピジェネティクスの発見
わたしたちの才能は、遺伝子によって運命づけられているわけではない、ということを「プルーストの記憶、セザンヌの眼―脳科学を先取りした芸術家たち」という本を参考に3つの科学的発見にもと

チクセントミハイも、このクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学の中で、やはり遺伝と環境それぞれの影響について考察しています。

まず、彼は、創造性の要因として、特定の感覚の優位性といった遺伝的要因を挙げています。たとえば、色や光に鋭い感受性を持つ人が視覚芸術のセンスに秀でたり、音に鋭敏な人が音楽センスを発揮しやすかったりするということです。

創造性を促進する第一の特質は、おそらく、ある特定の領域に対する遺伝的素因であろう。

色彩や光により敏感な神経系をもつ人が画家になる有利さを持ち合わせていることや、絶対音感を持って生まれた人が音楽の才能を発揮することは、道理にかなっている。(p59)

アスペルガーの2つのタイプ「天才と発達障害 映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」
天才建築家アントニオ・ガウディと、写真家にして童話作家ルイス・キャロル。あなたは自分がどちらに似ていると思いますか? わたしたちはだれしも、この正反対の二人のどちらかに似ています。

しかし、遺伝的な感覚の優位性は、子ども時代に才能のきらめきとして現れるかもしれませんが、大人になってからの創造性とはほとんど関係がないとしています。

実際には、子ども時代の才能から、子どもが創造的になるか否かを判断するのは不可能である。

子どもたちのなかには、特定の領域で早熟の兆しを見せる者もたしかにいる。

モーツァルトは幼少時代から優れた技術を持つピアニストであり、作曲家であった。ピカソは少年のころからとても上手な絵を描いていたし、多くの傑出した科学者たちは学校で飛び級をし、機知に富んだ精神で年長者を驚かせた。(p172)

しかし、その一方で、歴史書に何も記述されることなく、幼少期に見られた将来性が消えていった子どもたちも数多くいたのである。(p172)

若いころのアインシュタインは神童ではなかった。政治家としてのウィンストン・チャーチルの才能は、中年になるまで発揮されることはなかった。トルストイやカフカ、プルーストは、年長者に将来の天才としての印象を与えることはなかった。(p174)

確かに、創造性あふれる人の中には、幼少期から天才的な才能を発揮したとの逸話を残している人が数多くいます。偉人の伝記を読めば、たいていまことしやかな神童伝説がいくつも記されているものです。

しかし、神童伝説が華々しい印象を残すため、意外に感じるかもしれませんが、創造性豊かな偉人たちの中には、子ども時代に才能のきらめきをほとんど見せなかった人も少なくありません。

これはちょうど、左利きの天才のエピソードばかりが語られ、それよりはるかに多い右利きの天才の例は当たり前すぎて語られないせいで、天才は左利きが多い、という誤ったイメージが定着してしまうのと似ているのでしょう。

創造性な人の神童伝説は印象に残りますし、繰り返しメディアで取り上げられます。一方、創造的な人がごく普通の子ども時代を送ったという話は地味で印象にも残らないため、取り立てて話題にもなりません。

わたしたちの思考は、よく見聞きするもの、印象に残りやすいものを頻度が多いと錯覚してしまう傾向があり、利用可能性ヒューリスティックと呼ばれています。

しかし、前述したように、ターマンの天才児研究では、子どものころに神童とみなされる高IQの人たちは、大人になっても、さほどそれに見合った業績を残しませんでした。

チクセントミハイの91人の創造的な人たちへのインタビューでも、子ども時代から頭角を現した人もいれば、そうでない人もいて、創造性には遺伝的才能が必要だ、という通説を裏付ける根拠は得られませんでした。

それで、チクセントミハイは感覚の優位性については、こう結論しています。

その一方で、感覚の優位性は必ずしも不可欠なものではない。

エル・グレコは視神経の疾患に苦しんでいたようであり、ベートーヴェンはもっとも優れた作品のいくつかを作曲した当時、機能的に耳が不自由であった。

偉大な科学者の多くは、幼少期に数学や実験に引きつけられていたようだが、最終的にどれほど創造的になったかということと、子どもとしてどれほど才能にあふれていたのか、ということはほとんど関係がない。(p59)

遺伝―生まれつきの感受性の強さ「HSP」

しかしながら、創造性において、遺伝的要因が何の役割も果たさないのかというと、そうではありません。

チクセントミハイは、すでに見たように、創造的な人の複雑な性格を説明するにあたり、10番目の点の中で、「感受性の強さ」を挙げていました。

彼は、「これまでの調査では、芸術家と作家は精神障害や依存症の割合が著しく高い」ことに注目しています。(p83)

その理由について、彼がインタビューした一人、作家また詩人のマーク・ストランドはこう分析しています。

憂うつやうつ病に悩み、みずから命を経った作家や画家たちの不運な事例がこれまでにたくさんあります。

それが職業と関係しているとは思いません。たとえ作家でなかったとしても、彼らはうつか、アルコール依存症か、あるいは強い自殺願望を持つ、といった感じだったでしょう。

…そうした芸術家は、自分を取り巻く世界に対して、とても敏感で、感受性が強く、その世界に反応するよう強く駆り立てられるため、ほとんど耐えられなくなるのです。(p83)

ストランドが述べるには、芸術家が精神疾患になりやすいのは、職業のせいではありません。むしろ、作家であろうがなかろうが「自分を取り巻く世界に対して、とても敏感で、感受性が強く」、過度に影響を受けてしまうからだと考えています。

チクセントミハイもこれに同意し、創造的な人は仕事の過酷さのゆえに精神疾患になるのではなく、敏感にまわりの環境を「反映」し、強い影響を受けてしまうために問題を抱えやすいのだと語っています。

今日、ある種の創造性とある種の病理との間に明らかな関連性が発見されているが、私はこれらが本質的なつながりではなく、偶然によるものだと確信している。

言い換えれば、もし創造的な音楽家がしばしば薬物中毒に陥り、劇作家が治療を要するほどのうつ病になりやすいとすれば、それは仕事そのものではなく、彼らの仕事が置かれている歴史的な状況の反映なのだ。

これはある程度、精神分析家のエルンスト・クリス(Kris 1952)とジョン・ゲド(Gedo 1990)が議論したことでもある。

多くの偉大な芸術家が精神障害を避け、むしろ優れた精神的健康を享受してきた。たとえば、作家のチューホフ、ゲーテ、マンゾーニ、そして、作曲家のバッハ、ヘンデル、ヴェルディ、視覚芸術家のモネ、ラファエロ、ロダンなどがそうである。(p431)

先ほどの神童伝説と同様、芸術家が精神的に病んでいる、という印象は、よく見聞きする物事の頻度が多いと感じる利用可能性ヒューリスティックによる錯覚を多分に含んでいます。

確かに、普通の人に比べると、芸術家に精神疾患が多いのは事実ですが、すべての芸術家が精神疾患を発症するわけではなく、極めて健康な精神状態を保った芸術家も大勢います。

つまり、精神疾患と芸術的感性は、原因と結果の関係にあるのではなく、何か別の共通する因子が、環境次第で良い面を反映したり、悪い面を反映したりするのでしょう。

そして、この共通する別の原因とは、マーク・ストランドが述べたような「感受性の強さ」だといえます。それがプラスに出れば芸術的な感性として現れますし、マイナスに出れば周囲の環境に影響されすぎて、精神疾患として現れてしまうこともあるということです。

このような性質は、近年HSP(Highly Sensitive Person)として知られるようになった、遺伝的な感受性の強さとみなせるでしょう。

生まれつき敏感な子ども「HSP」とは? 繊細で疲れやすく創造性豊かな人たち
エレイン・N・アーロン博士が提唱した生まれつき「人一倍敏感な人」(HSP)の四つの特徴について説明しています。アスペルガー症候群やADHDと何が違うか、また慢性疲労症候群などの体調

鈍感な世界に生きる 敏感な人たちに書かれているように、HSPは、しばしば高い創造性と結びつけられます。

HSPの人の多くが、芸術作品を作り出します。1つだけでなく複数の分野にまたがって、創作活動する人もいます。(p61)

しかし、チクセントミハイの言う極めて創造的な人たちの性質が、HSPという生まれつきの敏感さの概念にぴったり当てはまるかというと、わたしはそうではないと思います。

思い出してください。チクセントミハイは、「複雑な性格」を持つ極めて創造的な人たちについて、こう書いていました。

心に留めておくべき重要なことは、これらの矛盾する特性―あるいは、矛盾するどのような特性であっても―を、通常、同一人物のなかに見出すことは困難だということである。(p86)

チクセントミハイが挙げた創造的な人たちの特徴は、「通常、同一人物のなかに見出すことは困難」な、かなり珍しいものです。

HSPという概念を提唱したエレイン・アーロンのチェックテストでは、どの文化でも、だいたい人口の15~20%がHSPだとされています。心理学者ジェローム・ケーガンの調査によれば赤ん坊の5人に1人が敏感でした。

5人に1人ということは、学校の同じ教室のクラスメイトの中に5人かそれ以上HSPがいるということです。しかしここまで見てきたような複雑な性格の持ち主は、いち学年にひとりいたら良いほうでしょう。

HSPの人たちは確かに、大半の人よりも創造的です。しかしチクセントミハイが挙げた人たちのようにエネルギッシュで多作だったり、行動力があったり、好奇心旺盛に次から次へと新しいものに手を出したりはしません。

HSPの特徴は、感受性豊かで、直感が鋭く、謙虚で、控えめなことです。それらは、10の特徴に挙げられていた両極端な性質の片側だけしか満たしません。つまり、HSPはチクセントミハイの言う複雑な性格には当てはまりません。

HSPは時おり「内向型人間」と混同されますが、エレイン・アーロンの調査によると、HSPの70%が内向型で、30%が外向型でした。HSPの敏感さは遺伝による生まれつきの特性ですが、外向型・内向型という気質は、養育環境による後天的なものとされています。

しかし、HSPの70%が内向型で、30%が外向型ということは、いずれにせよHSPの人たちはみな、おおまかにいって内向型か外向型かどちらか一方に区別できるということです。

ここでもやはり、チクセントミハイが挙げていた、「内向型人間でありながら外向型人間でもある」という複雑な性格の特徴は満たしていません。

それゆえ、チクセントミハイが挙げた創造的な人の傾向のうち、「感受性が強い」という部分だけに注目して、彼らはHSPである、とみなすのは無理があります。

極めて創造的な人たちが「感受性が強い」のは事実です。つまり、彼らはHSPの性質を有してはいます。しかし単なるHSPではなく、もっと珍しい、もっと複雑なタイプの人たちである、と考えるのは理にかなっています。

「HSP/HSS」という珍しいタイプ

ここで、いったんチクセントミハイの分析に立ち戻りましょう。彼はクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学の中で、創造的な人たちの生まれつきの特徴として、「感受性の強さ」以外に、もうひとつ別の要素を挙げています。

神童であることが成長後の創造性の必要条件ではないにしても、周囲の環境に対して示される通常以上の鋭い好奇心はその必要条件であるように思える。

実際、領域に新たな貢献をもたらした人々は、例外なく、人生の神秘に対して畏敬の念を抱いたことがあり、そうした神秘を解き明かすための努力について豊富に逸話を持っている。(p174)

チクセントミハイは、創造的な人たちが、幼少期から「感受性が強い」だけでなく、「並外れた好奇心」をも持ち合わせていることに気づきました。

子どものころ神童とみなされていなくても、異例なほど好奇心が強く、さまざまな物事に普通以上の強烈な関心を示し、あらゆるものに手を出し、あらゆるものに取り組み、しかも徹底的に知ろうとします。

物理学者のジョン・ホイーラーは次のことを思い出す。

「三歳か四歳のころ、浴槽の中にいたのですが、お風呂に入れてくれていた母に向かって、宇宙はどこまで広がっているのか……世界はどこまで広がっているのか…そして、その向こうはどうなっているのかを尋ねていました。

もちろん、私がそれ以来ずっとそうであるように、彼女もまた答えに窮していました」。(p175)

幼少期からの並外れた好奇心は、尾鰭が付きがちな神童伝説とは違い、子どものころのノートや作品集、使い古してぼろぼろになったお気に入りの本、スケッチブックなどによって、はっきり確かめることができます。(p176)

このような性質は、心理学では新奇追求性と呼ばれます。生まれつき新奇追求性の強い子どもは、HSPとは別の性質、新奇追求型(HNS:High Novelty Seeking)、あるいは刺激追求型(HSS:High Sensation Seeking)と呼ばれています。

敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。によると、HSPという概念を作った心理学者エレイン・アーロンは、HSSについて、こう説明しています。

マービン・ズッカーマンは、この特徴についての研究の第一人者であり、HSSという言葉をつくった人である。

彼によればHSSは「変化に富み、新奇で複雑かつ激しい感覚刺激や経験を求め」、さらに「こういった経験を得るために肉体的、社会的、法的、経済的なリスクを負うことを好む」という。(p54)

この説明からわかるとおり、HSSは多動なADHDの人とよく似ていますが、ADHDという概念が障害としてのネガティブな意味合いを含むのに対し、HSSという概念は、ただ新奇性を追求するというフラットな意味合いを持っています。

以前の記事で説明したとおり、生まれ持ったHSSの新奇追求性が、裏目に出て、社会適応に困難をきたす場合に、多動障害と診断されることが多いのではないかと思われます。

HSSは用心深いHSPと正反対とも言える特性ですが、ここで注目したいのは、正反対であるからといって、両立しないわけではない、ということです。エレイン・アーロンはこう述べます。

飽きっぽいので、新しいことに挑戦するというリスクをとりがちなHSSはHSPの対極にあるように思えるが、それは間違いである。

敏感さと刺激追求は完全に独立した特徴なので、どちらかが強い、両方とも強い、あるいは両方とも弱いということがあり得るのだ。(p55)

遺伝的な観点から見れば、「感受性の強さ」(HSP)はセロトニントランスポーター遺伝子の変異と、「並外れた好奇心」(HSS)はドーパミン受容体遺伝子の変異と関係している、生まれつきの性質なのでしょう。

それらはかたやリスクを避ける、かたやリスクを求めるという正反対の傾向ですが、異なる原因に基づいているため、一人の人物のなかに生まれつき同時に存在することがあるのです。

それで、エレイン・アーロンは、HSPまたHSSという概念にそって人々を分類すると、4つのタイプに区別しうるとしています。

1.HSP/非HSS……内省的で、静かな生活を好む。衝動的ではなく、あまり危険を冒したがらない。

2.非HSP/HSS……好奇心に満ち、やる気があり、衝動的で、すぐに危険を冒し、すぐに退屈する。与えられた状況の繊細なことにあまり気づかないし、興味もない。

3.非HSP/非HSS……それほど好奇心もなく、内省的でもない。あまり物事を考えることなく淡々と生活している。

4.HSP/HSS……移り気である。HSPの敏感さとHSSの衝動性の両方をもつため、神経の高ぶりの最適レベルの範囲が狭い。つまりすぐに圧倒されるが、同時に飽きっぽい。新しい経験を求めるが、動揺したくないし、大きな危険は冒したくないのである。あるHSP/HSSによると、「いつもブレーキとアクセルの両方を踏んでいるような気がする」そうだ。(p57)

もうおわかりと思いますが、この4つのタイプを見れば、チクセントミハイのいう創造的な人、「複雑な性格」の持ち主が、どこに当てはまるのかは、一目瞭然です。

HSP/非HSS、つまり純粋なHSPは内省的で創造性を発揮しますが、両極端の性質を持つ「複雑な性格」ではありません。

非HSP/HSS、つまり純粋なHSSは活動的ですが、じっくり考えないので、深みのある創造性を発揮できません。やはり「複雑な性格」ではなく、はっきり言うと単純です。

非HSP/非HSS、いわゆる普通の人は、チクセントミハイが述べていた「平均的」「中間的」な性質を持っているので、まったく両極端ではなく平凡です。

複雑な性格を持つ創造的な人とは、間違いなく最後の4番目、HSP/HSSの人たちのことです。敏感さと衝動性を両方持っていて、内向的であると同時に外向的でもあり、あたかもアクセルとブレーキを同時に踏んでいるかのような珍しいタイプです。

HSPや内向型人間についての書籍は、ここ数年、よく見かけるようになりましたが、HSP/HSSという珍しいタイプについては、それらの本の中でさえ、おまけのようにしか扱われていません。

多くの人が共感しやすいと感じるほど、取り立てて一般的なものではない、ということからしても、HSP/HSSは、チクセントミハイが言う「通常、同一人物のなかに見出すことは困難」な特性とよく合致しています。

エレイン・アーロンは、HSP傾向とHSS傾向の両方が強い人の特徴について、さらにこう説明しています。

HSP/HSSは、自分の神経の高ぶりの最適レベルを見極める特別な助けが必要である。

こういう人はすぐに退屈するし、すぐに圧倒される。外出するか家にいるか、もっといろいろなことに手を出すべきか、出さざるべきかで悩むことが多いだろう。

これは非HSPのようになろうとするができない、という悩みではなく、むしろ自分の基本的な仕組みからくる「内なる葛藤」である。(p61)

HSP/HSSの人は、外向性と内向性、新奇追求性と用心深さのような、あまりに両極端の性質を抱え持っているため、自分の基本的な仕組みからくる「内なる葛藤」に悩まされます。そして、「神経の高ぶりの最適レベルを見極める」のに苦労します。

これは、チクセントミハイが91人のインタビューから見いだした1つ目の傾向、すなわちエネルギッシュでありながら疲れやすいことと一致します。

チクセントミハイによれば、創造的な人たちは、子ども時代には体調が優れず、大人になって自分に最適な生活リズムを身に着けることで、創造性を活かせるようになる場合があるとのことでした。

それはすなわちHSP/HSSという生まれ持ったアクセルとブレーキを同時に踏んでいる荒馬のような気質を乗りこなすのに試行錯誤の期間を要するせいでしょう。

エレイン・アーロンは、さらにこうも述べています。

HSP/HSSの不利な点は、外的な力と、自分の中にある相容れないふたつの気質が引き起こす内的な葛藤の両方に引きずられ、スーパーマンやスーパーウーマンになろうとがんばってしまうことだ。そのため体が悲鳴を上げるまで、敏感な側面は無視されてしまう。

ここで重要な警告をしておこう。HSP/HSSも、神経の高ぶりすぎや疲労感を経験するのだ。

HSSであるがゆえに、社会のいう理想型に近づけるような気になるかもしれないが、身の丈に合わないジェンダー・ステレオタイプを自分に押しつけてはいけない。(p86)

ここでもHSP/HSSの特徴は、創造的な人の「複雑な性格」と見事に合致しています。

自分の中にある相容れない気質からくる、内なる葛藤を乗り越えるには、「社会のいう理想型」「身の丈に合わないジェンダー・ステレオタイプ」を自分に押しつけないことを学んでいく必要があります。

チクセントミハイがインタビューした91人の創造的な人たちは、このプロセスをすでに乗り越えて創造的な業績を挙げていたので、自分のリズムを守り、空気を読むときもあれば読まないときもあり、文化的影響に流されず、ジェンダーフリーに見えたのです。

そのようなわけで、チクセントミハイが見いだした、極めて創造的な人たちに共通する「複雑な性格」とは、感受性の強さと並外れた好奇心を両方持ち合わせた、生まれつきの遺伝的性質HSP/HSSを土台に形成されたものである、ということができます。

環境―ギフテッドとサバイバー

ここまでは遺伝的要因について考えましたが、それでは環境的要因はどのような役割を果たすのでしょうか。

クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学によると、この点においても、やはりと言うべきか、創造的な人たちは、両極端の例外的な傾向を示すことをチクセントミハイは発見しました。

創造的な衝動を解放するためには困難や葛藤が必要であると結論づけるには、暖かく、刺激に富んだ家庭環境の例があまりにも多すぎる。

実際、創造的な人々は、例外的と言えるほどの支援を受けた子ども時代か、貧しく、厳しい子ども時代の、いずれかを過ごしていたように思える。

欠落しているように見えるのは、その広大な中間である。(p191)

チクセントミハイが発見したのは、まず創造的な人たちの大半は、「例外的と言えるほどの支援を受けた子ども時代」を送っているということです。幼少期から才能を見出されたり、とても共感豊かな両親に育てられたりするなど、だれもが羨むような理想的な環境で育ちました。

しかし、一方で、残りの人たちは、まったく真逆の環境、「貧しく、厳しい子ども時代」という、相当厳しい逆境を経験してきたこともわかりました。

これまた両極端なことに、創造的な人たちの生い立ちは、例外的なほど理想的か、例外的なほ悲惨かのどちらかに偏っているというわけです。

ここでは便宜上、前者の理想の子ども時代によって才能を開花させた人たちを「ギフテッド」タイプ、後者の悲惨な子ども時代を過ごして才能を開花させた人たちを「サバイバー」タイプと呼ぶことにします。

まず、創造的な人たちの大半を占めるギフテッドタイプについては、生まれつきHSP/HSSという複雑な気性を有していたものの、理想的な養育に恵まれたおかげで、その特質をプラスに活かすことができた人たちだとみなせます。

以前の記事で説明したように、HSPやHSSの遺伝的素因は、それ自体はポジティブなものでもネガティブなものでもなく、単に、環境の影響を強く受けやすい、という感受性の強さを意味しています。

つまり、良くない環境で育った場合は、人いちばい悪い影響を受け、精神疾患などのネガティブな問題を抱えますが、良い環境で育った場合は、その益を人いちばい吸収し、ポジティブな才能を開花させると言われています。

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。の中で、エレイン・アーロンは、敏感さがプラスに出るかマイナスに出るかは、子ども時代の環境に由来する、と説明しています。

注目すべきは、ユングが、「子供時代にトラウマを受けていない敏感な人々は、神経症にはならない」と言っていることだ。

ガンナーが、「敏感な子供でも母親に安心できる愛着を感じているなら、新しい経験を恐れない」と発見したことを思い出してほしい。(p82)

HSPについての調査を始めてすぐに、私はHSPには二種類あることに気づいた。うつ状態や不安感を強く訴える人々とあまり訴えない人々だ。このふたつのグループの違いははっきりしている。

前者のグループに属するHSPのほとんど全員が問題の多い子供時代を過ごしている。

…「敏感」と「神経症的」は別物である。(p125)

敏感さが、精神疾患の原因になるのは、幼少期に問題を経験している場合だけなのです。すでに見たとおり、チクセントミハイも同様に、感受性の強さは周りの環境を反映したときにだけ、精神疾患として現れるとしていました。

幼少期に問題を経験しない、つまり「例外的と言えるほどの支援を受けた子ども時代」を送ったHSP/HSSの人たちは、敏感さがネガティブな方向に現れることはありません。結果として、彼らはギフテッドタイプの創造的な人へと成長していけるのでしょう。

クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学によると、チクセントミハイは、ギフテッドタイプの創造的な人たちが、理想的な養育を受けた子ども時代を振り返るとき、親から受け継いだ大切なものとして特に「価値観」を挙げることに気づきました。

父親、あるいは母親がある特定の価値観を教えてくれたことが、彼らにとっていかに重要であったかについて、多くの回答者が言及している。

そして、こうした価値観でもっとも重要だったものが誠実さであろう。驚くほど多くの人が、彼らが成功を収めた主な理由の一つに正直さと誠実さを挙げ、それらは彼らが母親、あるいは父親を模範として獲得した美徳であると述べている。(p185)

親の影響が一貫して否定的で、子供が将来避けたいと思うような実例は少ない。(p186)

HSP/HSSのような複雑な性質を生まれ持った人は、自分を見失いやすく、ともすれば内なる葛藤によって混乱した人生を送りかねません。しかし両親がいわば羅針盤のように確かな方向性を示す価値観を与えてくれるなら、路頭に迷うことなく大成できます。

人生を安定させる上で、価値観がいかに大切かは、以下の記事で書いたとおりです。

「あいまい性耐性」―逆境のもとで新しい価値観を見つけ自分の人生を歩み出す力
あんまり現実というものが苦しいので、絶えず瞑想のうちに逃れていたが、これはどうやら無駄なことではなかったらしい。 今、僕は以前思っても見なかった望みや希(ねが)いを持っていま

近年、特別に才能豊かながら、発達障害の傾向や、独特すぎる個性を持つゆえに、普通の学校生活になじめない子どもたちを対象にしたギフテッド教育が注目されています。

たとえば東京大学先端科学技術研究センターのプロジェクトROCKETなどが有名ですが、こうした特別に配慮された教育の場も、創造的な人たちを生み出す「例外的と言えるほどの支援を受けた子ども時代」に寄与するのかもしれません。

「無秩序型」の愛着パターン

一方で、創造的な人の中には、例外的なほど逆境に満ちた子ども時代を過ごした人、「サバイバー」タイプも少なからずいました。

すでに触れたとおり、通常、HSP/HSSのような遺伝的要因を持った子どもが劣悪な養育環境を経験した場合、重い精神疾患などの破壊的な影響として現れます。そうなれば、創造性を発揮するどころか、人生の早期に社会から脱落することが多いでしょう。

チクセントミハイは、先に引用した部分でこう述べていました。

創造的な衝動を解放するためには困難や葛藤が必要であると結論づけるには、暖かく、刺激に富んだ家庭環境の例があまりにも多すぎる。(p191)

創造的な人のうち、「暖かく、刺激に富んだ家庭環境の例があまりにも多すぎる」のは、悲惨な環境で育った子どもは、たいてい再起不能の破壊的ダメージを負ってしまうことのほうが多く、逆境を乗り越えて大成できる例はわずかにすぎないためだと思われます。

しかし、少数であっても、例外的に悲惨な環境で育った子どもが、後々歴史的な偉人になるケースがあるのは間違いありません。

創造的な人のうち、子ども時代に著しい逆境を経験した人は、例外的なほど理想的な環境で育った人よりは少ないものの、ありふれた中間的な環境で育った人よりははるかに多いのです。

このブログで過去に取り上げたように、スティーブ・ジョブズや夏目漱石は生まれてすぐに養子に出されて苦労の連続を味わいましたし、芥川龍之介や川端康成は、幼少期に母親と死別しました。

チクセントミハイのインタビューでも、創造的な人の中には、幼くして親を喪失した人がかなりの人数いたそうです。

親の援助の重要性に対する注目すべき矛盾に、人生の早い時期に、創造的な人々の多くが父親を失っている、という事実がある。

…父と子の関係は時間のなかで凍結され、子どもの心は、全能の親の強迫的な記憶を常に持ちつづけることになる。

創造的な人々の、複雑で、しばしば苦悩を抱えたパーソナリティが、こうした両価性によって部分的に形作られることは、あり得ることである。(p187)

このような人たちの場合、生まれつきHSP/HSSだったか否かにかかわらず、ギフテッドタイプのような、親の共感的な養育によって才能を開花させた創造的な人たちとは、まったく異なる道を歩んできたはずです。

こうした例外的なほど厳しい子ども時代を過ごした人に特有なのは、「無秩序型」と呼ばれる特殊な愛着パターンです。

愛着パターンとは、幼少期の親との関わりによって形成される、その後の人生の土台となる生理学的な脳の発火パターンです。

前述の理想的な子ども時代を過ごした人たちは、「安定型」(B型)と呼ばれる、もっともバランスのとれた愛着パターンを身に着け、それが大人になってからの精神的な健康や、適度な自尊心の源になったのでしょう。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

「安定型」(B型)に対して、もっとも不安定で混乱した愛着パターンが「無秩序型」(D型)であり、幼少期に虐待やネグレクトを経験したり、親の死別などの喪失体験や、度重なる養育者の交替に直面した子どもに典型的に見られます。

注目すべき点として、「無秩序型」(D型)の特徴について、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合では次のように解説されています。 

このタイプDについての話をもう少し続けよう。ショアはこれを示す赤ちゃんの行動は、活動と抑制の共存だという。

つまり他人の侵入という状況で、愛着対象に向かおうとする傾向と、それを抑制するような傾向が同時に見られるのだ。

ちょうど「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」と考えると分かりやすいかもしれない。

そしてそれは、エネルギーを消費する交感神経系と、それを節約しようとする副交感神経系の両方がパラドキシカルに賦活されている状態であるとする。これが解離状態であるというのだ。(p17)

この説明を読んで、きっとデジャヴュを感じたのではないでしょうか。

そう、今さっき見た、エレイン・アーロンが書いていたHSP/HSSの特徴とそっくりです。「アクセルとブレーキを両方踏んでいるような状態」という比喩までもが同じです。

無秩序型の愛着については、以前の記事で詳しく扱いましたが、この愛着パターンを示す人の特徴は、他の人への積極的な関心と、極度の恐れという、外向性と内向性とが混在したような対人関係です。

人への恐怖と過敏な気遣い,ありとあらゆる不定愁訴に呪われた「無秩序型愛着」を抱えた人たち
見知らぬ人に対して親しげに振る舞いながらも、心の中では凍てつくような恐怖と不信感が渦巻いている。そうした混乱した振る舞いをみせる無秩序型、未解決型と呼ばれる愛着スタイルとは何か、人

HSP/HSSの人は、感情に関わる先天的な遺伝的要素のせいで、内的な葛藤を抱えますが、無秩序型の愛着の人は、悲惨な家庭という後天的な逆境体験のせいで、内なる葛藤を抱えるようになります。

そうすると、原因は違えど、先天的なHSP/HSSの人と、後天的な無秩序型の愛着の人はともに似たような複雑な内面を抱え持つことになります。

これはおそらく、見かけ上似ているように思えるだけでなく、脳の中で生じている現象としても類似した部分があるのでしょう。前述のとおり、エピジェネティクスな変化によって、後天的に遺伝的要素のオンオフが切り替わる例があるからです。

無秩序型の愛着は、幼少期のトラウマ体験の結果、ADHDとアスペルガーを両方合わせたよりもひどい発達の問題につながることがあり、「発達性トラウマ障害」と呼ばれています。

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

ある意味、ADHDとアスペルガーのいいとこ取りをしたのがギフテッドタイプのHSP/HSSの人なら、逆にADHDとアスペルガーの悪いところを濃縮したのが無秩序型愛着や発達性トラウマ障害の人だといえます。

方向性は間逆ながら、いずれの場合も、複雑で多面的な人格が培われることは言うまでもありません。

混沌に秩序を与えるための創作

通常、無秩序型愛着は、虐待などの悲惨な環境がもたらす破壊的な爪痕といった文脈で語られ、決して創造性に寄与するような望ましいものとはいえません。

しかし中には、破壊的な影響を乗り越えていく人たちがおり、その過程は心的外傷後成長(PTG)と呼ばれています。

心的外傷後成長(PTG)とは―逆境で人間的に深みを増す人たちの5つの特徴
トラウマ経験をきっかけに人間として成長する人たちは、「心的外傷後成長」(PTG)という概念として知られています。PTGはどのような状況で生じるのか、心的外傷後ストレス障害(PTSD

例外的ともいえる悲惨な子ども時代を過ごし、後天的なダメージとして、複雑で多面的な人格を身につけたものの、飽くなき闘いによって、それを乗り越え、逆境をひっくり返した人たちが、サバイバータイプの創造的な人たちなのでしょう。

どうして、例外的なほど逆境的な体験が、ときに心的外傷後成長、そして創造性の開花に結びつくのかというと、ひとつには、創作そのものが、生きるための闘いに役立つということがあります。

チクセントミハイは、クリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学で、インタビューした91人のうち、特に第二次世界大戦と関係する逆境体験を数多く経験した、ユダヤ人作家ヒルデ・ドミンについて、こう書いています。

インタビューをしたすべての作家のなかで、ヒルデ・ドミンは文学を、もっとも明確に、もう一つの現実、人生の野蛮な側面から逃れるための避難場所と見ている。

七十代の彼女は、ドイツ文学界の主導的な立場にある。彼女の詩は広く読まれ、高校の認定教科書にも掲載されている。権威ある賞をいくつも受け、多くの文学賞の審査員を依頼されている。

しかし、彼女の人生を特徴づけるのは困難と悲劇であり、もし彼女が、詩の秩序立った韻律を経験の混沌に強要することができなかったとしたら、彼女がこれほど長く生き抜いてこられたかは疑わしい。(p274)

「彼女の人生を特徴づけるのは困難と悲劇」でした。

ヒルデ・ドミンは、悲劇を経験する前は、詩を書いたこともなく、創造的でもなかったようです。

しかし、極めて悲惨な経験をしたことで、人生の意味や価値について考えるようになり、混沌とした感情や記憶を整理するために、詩や文学を書くようになりました。

彼女にとって、文学は「避難場所」であり、混乱を秩序へと変えていくために欠かせないものでした。

すでに何度か見てきたように、経験に秩序を回復するために、人は一般的に文学の執筆に向かう。

マデレイン・レングルは、宇宙の混沌によって脅かされる、精神の存続に関心を持つ。

アンソニー・ヘクトは、戦争の愚かさに突き動かされた。

ヒルデ・ドミンを突き動かしたのは、ナチズムの悲劇と彼女の母親の死であった。 (p293)

やり場のない激情を言語化して整理することは、カウンセリングのように働いて、精神の安定にとりわけ役立ちます。

それは私たちに、みずからの感情を認識させ、持続的で共有された性質という観点から、その感情に名前をつけることを可能にする。

そうすることによって、著者と読者は、直接的な生の経験からある程度の距離を置くことができるようになり、そうしなければ本能的な反応のままでありつづけたものを理解し、文脈に当てはめ、説明しはじめるのである。

詩人と小説家は存在の混沌に敢然と立ち向かう。(p295-296)

チクセントミハイは、特に文学の執筆が経験に秩序を与えるとしています。詩、小説、絵画などの分野には、おそらくサバイバー型の創造的な人が多い傾向があるようです。

幼少期から「無秩序型」と呼ばれる混乱した愛着パターンを抱え、混沌とした人生を送ってきた人たちは、トラウマ的な経験を言葉に変え、文脈に当てはめ、詩や文学などの芸術に昇華することで、自分のアイデンティティの秩序を取り戻し、安定させることができるのでしょう。

文学や芸術を創造する「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
辛い子ども時代を過ごした人の中に、文芸や芸術などの分野で、豊かな想像力を発揮する人が意外なほど多いといいます。「愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)」という本に基づい

「自己統御感」―自分の人生の手綱を握っている

このように、創造的な人の「複雑な性格」にはおおまかにいって二通りの説明が考えられます。

ギフテッド型の創造的な人は、先天的なHSP/HSSの強い傾向を持ち、支持的な養育を受けたことで、安定型の愛着を身に着けて、才能を発揮できた人たちです。

サバイバー型の創造的な人は、先天的なHSP/HSSのあるなしにかかわらず、幼少期からの逆境体験によって無秩序型の愛着を抱えたものの、創作活動などを通してトラウマ経験を昇華し、創造性へと変えてきた人たちです。

この二つのタイプは、表面的には正反対に思えますが、チクセントミハイは、遺伝と環境、子ども時代の影響などが創造性に与える影響を調べた結果、両者の深いところに共通点があることに気づきました。

二十年以上にわたって断続的に続けてきた芸術家たちへのインタビューで、私は一つの興味深い傾向に気づいた。

1963年、非常に成功していたある若い芸術家が、自分の子ども時代を平凡で、牧歌的でさえあったと述べた。

話を脱線させながら、彼が確実なものとして私に伝えたのは、人が芸術家の伝記のなかで読むような葛藤や不安は、彼の場合には存在しなかったということであった。

十年後、その芸術家は職業的に困難な状況にあった。彼の絵は流行からはずれ、批評家や収集家は彼を避け、絵の売り上げは急落していた。

そのとき、彼は明らかに楽観性に欠けた子ども時代の出来事について語り始めた。彼の父は超然としていて、厳しく、母親は強引で、所有欲が強かった。

十年前のようにすばらしい夏の日に果樹園で過ごした日々について話す代わりに、彼はたびたびベッドを濡らしたこと、そしてそれが、結果として両親を狼狽させたことをくどくどと語った。(p192)

この画家は、チクセントミハイのインタビューに対し、極めて奇妙な受け答えをしました。

最初にインタビューを受けたとき、彼は新進気鋭の華々しい芸術家でしたが、そのときは自分の子ども時代に葛藤や不安はなかった、つまり理想的な子ども時代だったと述べました。

しかし10年後、画家として落ちぶれ、窮境に陥ったときのインタビューでは、なんと10年前にはおくびにも出さなかった、辛い子ども時代について多弁に語りました。

ここでもまた、創造的な人に特有の、あの複雑な両極性が垣間見えます。

いったいどちらが真実なのでしょうか。はたしてこの芸術家は、例外的なまでに理想的な子ども時代を送ったのでしょうか。それとも例外的なまでに悲惨な子ども時代を送ったのでしょうか。あたかも彼は両方の子ども時代を経験したかのようにさえ思えます。

そして、この例からわかるのは、ここまで考えてきた、理想的な子ども時代を過ごしたギフテッドタイプ、悲惨な子ども時代を過ごしたサバイバータイプという分け方が、必ずしも真実とはいえないかもしれない、ということです。

創造的な人たちの大半は、理想的な環境で育った、と断言していましたが、チクセントミハイは次のような可能性を指摘しています。

したがって、私たちの調査の成功を収めた創造的大人たちが、みずからの子ども時代を基本的に温かいものとして記憶しているのは、彼らが成功しているからである、ということも十分考えられることである。(p193)

彼らはうそをついていたのでしょうか。インタビューで印象を操作するために、わざと辛い記憶を隠して、理想的な子ども時代の話だけを取り繕ったのでしょうか。

おそらくそうではないでしょう。彼らはみな、誠実にインタビューに答えていましたが、無意識のうちに、過去の記憶が書き換えられていた可能性があります。

エレイン・アーロンのささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。によると、過去の記憶が編集され、改変されていくのは、HSPの人たちの特徴のひとつです。

HSPはものごとをより細かく感じ取る傾向にあるということを考えれば、非HSPよりもHSPのほうが子供時代の問題により強い影響を受けるというのが納得できるだろう。

ただ、現在の問題の要因となった子供時代の大きな出来事を、本人が覚えていないことが多い。

ごく小さい時に起こったから覚えていなかったり、あまりにも苦痛だったために、わざと忘れてしまう。

つまり意識がその情報を無意識に葬り去ってしまったのだ。この無意識が、深く不信に満ちた態度を創り上げ、うつ状態や不安感を引き起こす。(p126)

HSPの人は、感受性が強すぎるために、トラウマ経験から通常よりも大きなダメージを受けがちですが、脳がその経験に耐えられないと判断したとき、記憶は無意識のうちに忘れ去られます。この働きは脳の防衛機制の一つで「解離」と呼ばれます。

では、創造的な大人たちが、みながみな解離されたトラウマを抱えていて、口では「理想的な子ども時代」だったといいつつも、実際はそうでなかったことを忘れているのか、というとそうではないでしょう。

すでに見たように、創造的な人の中には、精神的にまったく健康だった人も大勢います。チクセントミハイはバッハやヴェルディ、モネ、ラファエロ、ロダンなどを挙げていましたが、そうした人たちはトラウマを経験しなかったか、支持的な養育に支えられて首尾よく乗り越えたかして才能を開花させたのでしょう。

一方、ユングは「子供時代にトラウマを受けていない敏感な人々は、神経症にはならない」と分析していました。そうすると、創造的な人たちのうち、理想的な子ども時代だったと述べながらも神経症を抱えているような人たちは、解離が働いて悪い出来事を完全に忘れている場合が多いでしょう。

しかしながら、大切なのは、創造的な人たちが、良きにつけ悪きにつけ、どんな子ども時代を送ってきたか、という点ではない、とチクセントミハイは強調します。

より重要なことは、子どもたちがそうした事実をどのように利用し、それらをどのように解釈し、それらからどのような意味や自信を引き出すかであり―そして、後の人生で経験する出来事の観点から、彼らが記憶にどのような意味づけを行うかということなのである。(p193)

チクセントミハイは、ギフテッド型の創造的な人であれ、サバイバー型の創造的な人であれ、共通しているのは、自分の経験を意味づけし、解釈を引き出していることだ、と考えました。

言い換えると、創造的な人たちはみな、自分の人生の手綱を握り、自分の人生は自分でコントロールしていけるという強い確信、つまり「自己統御感」を持ち合わせています。

難病や試練を乗り越える人の共通点は「統御感」ー「コップに水が半分もある」ではなく「蛇口はどこですか」
難病など極めて困難な試練から奇跡の生還を遂げる人たちは、共通の特徴「内的統制」を持っていることが明らかになってきました。「がんが自然に治る生き方」「奇跡の生還を科学する」などの本か

ギフテッド型の人は、その支持的な養育のおかげで、自己統御感を身に着けた大人に育ちやすい恵まれた環境にあるといえます。

サバイバー型の人は、通常は統御感と正反対の無力感に陥りやすいでしょう。しかし、逆境を乗り越える人たちは、苦闘の中で生き抜くすべを探すうちに、必ず統御感を身に着けていきます。

そしてどちらの場合も、自己統御感を持っている人は、子ども時代の経験を自分なりにうまく解釈し、そこから力を引き出すようになります。

先の芸術家の例で言えば、自分の人生の手綱を握っていたときは、過去の子ども時代を全体として良いものだったと認識し、自信を引き出すことができていました。

しかし、凋落しはじめて、自分の人生の手綱を握っているという感覚を喪失したとたん、過去の子ども時代の記憶もまたコントロールできなくなり、混沌に飲み込まれてしまいました。

良い環境に恵まれた場合でも、悪い環境に見舞われた場合でも、それをどう解釈し、どう意味づけするかはその人次第です。自己統御感に満ちた人は過去に操られることなく、過去を自分でコントロールします。

創造的な人が創造的だと言われるゆえんは、自分の過去でさえもうまく料理して、良い素材をも悪い素材をも十二分に活かし、血となり肉となる教訓を引き出して、創造的に解釈していけるからなのです。

創造性とはコントロールされた解離

最後に、さきほど触れた、HSPの人で強く働く「解離」という防衛機制について、創造性との関わりを考えましょう。

このブログで過去に何度も取り上げてきたように、解離と創造性は、密接に関係しているとされています。

解離性障害と芸術的創造性ー空想世界の絵・幻想的な詩・感性豊かな小説を生み出すもの
芸術家や作家の豊かな創造性には、解離という脳の機能が関わっていることがあります。なぜ解離が創作と関わるのか、夏目漱石、宮沢賢治、芥川龍之介、宮崎駿などの例を通して考えてみました。

解離とは言い換えると「意識を切り離すこと」であり、たとえばすでに出てきた、過去の辛いトラウマを切り離すことだけでなく、意識を現実から切り離して空想に没入すること、時間を忘れて創作に没頭することなども解離の働きのひとつです。

作家のリチャード・スターンは、チクセントミハイのインタビューに答えて、自分の執筆プロセスについてこのように述べました。

最高の状態のとき、人は何も考えません。考えていたら、どうやってその世界のなかを進んでいけるでしょうか? 進んでいくことなどできません。

そうではなくて、登場人物、場面、本の形式、浮かんてくる言葉に集中するのです。そして、それらの具体化されたかたちにも。我を忘れ……その時点で自我は消え失せます。それとは競争しないのです。

それは……私ならそれを純粋という言葉で表現するでしょう。人には、これが正しいということがわかります。その世界ではそれが有効か、辻褄が合うといった意味ではなく、この場所においてはそれが正しいということです。

この物語において。その物語にふさわしい。その人にとって、その登場人物にとって、それが正しいということです。(p135-136)

このようなありありとした没入感を伴う、よどみなく流れるような集中状態(フロー状態)は、解離の働きの一種です。

集中し没頭する幸せな時間「フロー体験」を味わう8つのポイント
「ゾーンに入った」「エクスタシー」「過集中」…。時間を忘れて何かに没頭した極度の集中状態は、古今東西、いろいろな言葉で表現されてきました。学問的には、特に「フロー体験」として、ミハ

ここまで見たように、創造的な人は、空想と現実を自在に行き来したり、寝食を忘れて打ち込むほどの集中力を見せたりしますが、それらはいずれも健常な範囲の解離とみなすことができます。

「1人の人格の中に大勢の人格がいるようなもの」

しかしながら、解離症状は、解離性障害や、解離性同一性障害といった精神疾患として現れることもあります。

解離性障害や解離性同一性障害の特徴は、アイデンティティが二つ以上あり、自分が複数に分かれてしまうことです。

解離性障害の場合は、地に足がついていないような現実感喪失が生じ、自己が「存在する私」と「眼差す私」の2つに分かたれてしまったかのように感じられます。

現実感がない「離人症状」とは何か―世界が遠い,薄っぺらい,生きている心地がしない原因
現実感がない、世界が遠い、半透明の膜を通して見ているような感じ、ヴェールがかかっている、奥行きがなく薄っぺらい…。そのような症状を伴う「離人症」「離人感」について症状、原因、治療法

そして、ここが最も重要なポイントですが…

解離性障害のより重い病態とされる解離性同一性障害(DID)、いわゆる多重人格では、圧倒されるトラウマ記憶のせいで、自分が複数の人格にわかれて多重化してしまい、コントロールできない人格交代が生じて、自己の連続性が破綻してしまいます。

多重人格の原因がよくわかる8つのたとえ話と治療法―解離性同一性障害(DID)とは何か
解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格について、さまざまな専門家の本から、原因やメカニズムについて理解が深まる8つのたとえ話と治療法についてまとめました。

この自己が多重化して、複数にわかれてしまう解離性同一性障害の病態は、何かに似ていないでしょうか。

言うまでもなく、チクセントミハイが言う創造的な人の「複雑な性格」にそっくりです。いえ、そんなまどろっこしいことを言わずとも、「クリエイティブ」の処方箋―行き詰まったときこそ効く発想のアイデア86 によると、チクセントミハイ自身がこう言い切っています。

クリエイティブな思考を持った人々について調べるうちに、そのような人が、いかに矛盾に満ちた人格の持ち主であるかも明らかになる。

高名な心理学者ミハイ・チクセントミハイは、そのことに気づいてこう言っている。

「クリエイティブな人というのは、相容れない両極を併せ持っている。それは、1人の人格の中に大勢の人格がいるようなものなのだ」(p326)

創造的な人というのは、通常は相容れないはずの両極端な性質が同居している複雑な性格を特徴としていますが、それはわかりやすく言い切ってしまえば、「1人の人格の中に大勢の人格がいるようなもの」なのです。

「1人の人格の中に大勢の人格がいるようなもの」というのは、まぎれもなく解離性同一性障害(DID)の特徴です。

創造的な人は、ADHDのような部分もアスペルガーのような部分もあると述べましたが、解離性同一性障害では、衝動的な人格であれ、自閉症的な人格であれ、考えうるありとあらゆるタイプの人格が生じえます。

そもそも、さきほど見たサバイバー型の創造的な人の特色である無秩序型の愛着パターンというのは、解離性同一性障害のおおもとです。

無秩序型の愛着パターンという、人に近づきたいのに怖くて近づけないという強い内面の葛藤が生じた子どもは、空気を過剰に読んで、相手によって表に出す自分を変容させる「過剰同調性」を示すようになります。

無意識のうちに空気を読んで、複数の自分を使い分ける「過剰同調性」の時点では記憶はつながっていますが、トラウマ経験によって記憶さえも分断されたとき、それぞれが別個のアイデンティティを持つようになり、多重人格へと発展します。

空気を読みすぎて疲れ果てる人たち「過剰同調性」とは何か
空気を読みすぎる、気を遣いすぎる、周囲に自分を合わせすぎる、そのような「過剰同調性」のため疲れ果ててしまう人がいます。「よい子」の生活は慢性疲労症候群や線維筋痛症の素因にもなると言

ここでもやはり、キーポイントとなるのは、自分で自分の手綱を握っているかどうか、つまりコントロールできているかどうかです。

多面的な自己を自分でコントロールし、自分の意志で使い分けることができるのが創造的な人です。

チクセントミハイは、創造的な人の複雑な人格を、「差異化」されながら「統合」されたシステムとも表現しています。

ある物が複雑であるというとき、それは、そのものがきわめて差異化したシステム―それは多くの明確に区別できる部分から成る―であり、同時にきわめて統合化されたシステム―さまざまな部分がなめらかに連携しなから機能している―であることを意味する。(p409)

「差異化」というと、以前の記事で、深く考えるHSPの人は、ひとまとまりになって融合している脳の活動パターンを、細切れに分けて別々に発火するよう訓練できるという、神経差異化について扱いました。

HSPの人が持つ「差次感受性」―違いに目ざとく脳の可塑性を引き出す力
敏感な人は打たれ弱く、ストレスを抱えやすい。そんなデメリットばかりが注目されがちですが、人一倍敏感な人(HSP)が持つ「差次感受性」という特質が、個人にとっても社会にとってもメリッ

複雑な人格というのは、鋭い感受性を用いて、通常はひとまとまりになって気づかない「自己」という脳の活動を、「複数の自己」に神経差異化している状態だとみなせます。

複数の自己という多重的なニューロン発火パターンを持っていながらも、多重人格のように分裂しておらず、自由に使い分けることができるという点において、創造的な人たちの人格は「差異化」されながら「統合」されています。

一方、差異化された多面的な自己をコントロールできていない状態が、解離性障害の「存在する私」と、「眼差す私」の分離だとみなせます。

また、多面的な自己をまわりにコントロールされ、自分の意志とは無関係に別々の自分を使い分けるようになってしまうのが、過剰同調性です。

そして、解離傾向という暴れ馬の手綱から手が外れ、完全にコントロールを失ってしまった状態が解離性同一性障害(多重人格)なのです。

つまり、創造的な人の複雑な人格とは、自己統御感によってコントロールされた解離であり、多重人格とは自己コントロールを失った解離だということができます。

「二つの半球の相互作用あるいは交替」

創造性がコントロールされた解離である、というのは、単に概念的な見方ではなく、現代の脳科学にも、ある程度根ざしたものです。

チクセントミハイは、創造性な人が、両極端な性質を自在に使い分けることを繰り返し強調しています。

たとえば主観的な視点と客観的な視点、現実と空想、生き生きとした感情と理性的な分析、トップダウン思考とボトムアップ思考、収束的思考と拡散的思考などです。

先に見たとおり、ジェラルド・エーデルマンは、その二つを自由で奔放な女王と堅実な召使いとにたとえていました。

一般に、客観的に分析したり、解釈したりするプロセスは、言語中枢が存在している脳半球(たいていの人は左脳)が主に担っていて、感情や視覚イメージを伴う主観的なプロセスは、それとは逆の半球(たいていの人は右脳)が関係しているとされています。

右脳と左脳の役割は、しばしば誇張されすぎていますが、それぞれの半球にある程度得意な役割があるのは事実です。そして、創造性とは、左右の半球が二人三脚のように交互に働くことで発揮されると考えられています。

書きたがる脳 言語と創造性の科学にはこうあります。

実験では、創造性には右脳の活動だけでなく左右の半球のバランスのとれた相互作用が必要であることが示されている。

…このような考え方はすべて、二つの思考法あるいは二つの半球の相互作用あるいは交替が創造性を強化するはずだという予想につながっていく。

この説はまた、創造的な作家は作品を生み出してはそれを編集するという仕事を繰り返す、といいう標準的な文学モデルに該当する。(p98)

創造的な人は、「二つの思考法あるいは二つの半球の相互作用あるいは交替」を自由自在に切り替えられるので、複雑な性格になり、創造性を発揮できるのだと考えられます。

前にも引用したことがありますが、意識と無意識のあいだ 「ぼんやり」したとき脳で起きていること (ブルーバックス)によると、このような「二つの思考法あるいは二つの半球の相互作用あるいは交替」は、左右の脳をつなぐ脳梁のサイズと関係している可能性が示唆されています。

しかし驚いたことに、創造的な人間は脳梁が小さいという。

この研究に携わった研究者たちは、小さな脳梁は脳の各半球により大きな独立性を与えるのではないかと述べている。

ことによると創造性は枠組みにとらわれないことより、二つの枠組みで思考することにかかわりがあるのかもしれない。(p182)

いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、子ども時代のネグレクトや虐待などの著しい逆境体験によって、左右の脳をつなぐ脳梁の発達が妨げられることがわかっています。

そうすると、サバイバー型の創造的な人たちの場合、その生育歴のせいで、脳梁のサイズが小さくなり、左右の脳が独立して働きやすいために、創造性を発揮しやすい反面、コントロールを失って解離性障害などの問題を抱えやすくもあるのではないか、と考えられます。

一方、支持的な養育に恵まれたギフテッド型の創造的な人の場合、生まれ持ったHSP/HSS傾向のため、やはり相反した自己のせめぎあいや交替といった内なる葛藤を経験します。

その場合、脳梁のサイズがどうなっているのかはわかりませんが、安定した愛着に支えられることからすると、むしろ脳梁のサイズは大きいのかもしれません。

サバイバー型の創造的な人のような自己が分裂する危うさはありませんが、安定した愛着に基づく優れた自己コントロール能力を活用して、二つの思考の枠組みを自由に切り替えたり、協調させたりできるようになるのかもしれません。

『「個人」である代わりに、彼ら一人ひとりが「群衆」』

チクセントミハイは、創造的な人の特徴は「複雑さ」である、と述べた文脈の続きで、複雑さとは何か言い表す興味深い比喩を2つ述べていました。

では、創造的な人々を特徴づける特性はまったくないのだろうか?

もし創造的な人々の性格と他の人々の性格を分け隔てるのは何かを一言で言わなければならないすれば、私は複雑さを挙げるだろう。

このことによって言おうとしていることは、創造的な人々は、ほぼすべての人々のなかで隔離されている思考や行動の傾向のすべてを合わせ持っているということである。

彼らには矛盾する両極端の特性が存在している―「個人」である代わりに、彼ら一人ひとりが「群衆」なのである。

白がスペクトルの色相をすべて含むように、彼らは人間のあらゆる可能性をみずからのうちに内在させる傾向を持っているのである。(p64-65)

一つ目の比喩は『「個人」である代わりに、彼ら一人ひとりが「群衆」』であるということです。

これは、多重人格のように内面に複数の自己を抱えながらも、それらをひとつにまとめあげ、多面的な人格を自在にコントロールしていることをよく言い表しています。

以前も引用しましたが、解離の舞台―症状構造と治療で、解離の専門家であるフィリップ・ブロンバーグのこんな言葉が紹介されていました。

できるだけ簡潔に言うと、ひとつの統合された自己―「現実のあなた」―というものは存在しない。自己表現と人間関係は必然的に衝突するだろう。(…)

しかし健康とは統合することではない。健康とは、さまざまな現実とのあいだの空間に、それらのうちにどれも失うこともなく立つ能力である。

これこそ私が考える自己受容の意味であり、創造性は実際にすべてこのことと関連している。

すなわち多数でありながら一人の自己であるかのように感じる能力のことである。(p250-251)

解離性同一性障害では、自己が複数にわかれますが、それらを取りまとめて「それらのうちにどれも失うこともなく立つ能力」を身につけることができれば、「多数でありながら一人の自己であるかのように感じる」ことができ、「創造性は実際にすべてこのことと関連している」とされています。

創造的な人が、個人でありながら群衆であり、多面的な自己をコントロールしているというチクセントミハイの言葉と見事に一致しています。

特にサバイバー型の創造的な人は、無秩序型の愛着によってコントロールを失いかけながらも、飽くなき苦闘の末に解離をコントロールするすべを身に着け、混沌を創造性へと変えることのできた人たちなのでしょう。

心は複数の自己からなる「内的家族システム」(IFS)である―分離脳研究が明かした愛着障害の正体
スペリーとガザニガの分離脳研究はわたしたちには内なる複数の自己からなる社会があることを浮きらかにしました。「内的家族システム」(IFS)というキーワードから、そのことが愛着障害やさ

歴史上最も有名な劇作家シェイクスピアは、その類まれな創造性から、しばしば一人ではなく複数いたのではないか?と議論されますが、ぼくと数字のふしぎな世界の次の言葉を読むと、それももっともなことかもしれません。

「シェイクスピアは自分本位とは無縁の人だった」と19世紀の批評家ウィリアム・ヘイズリットは書いている。

「彼は自分自身では何者でもなかった。しかし彼はそれ以外のあらゆる人々だった、あるいはあらゆる人々がそうなれた存在でもあったのだ」。(p74)

「白がスペクトルの色相をすべて含むように」

チクセントミハイが用いている2つ目の比喩は「白がスペクトルの色相をすべて含むように、彼らは人間のあらゆる可能性をみずからのうちに内在させる傾向を持っている」ということです。

こちらもやはり、解離性障害の特徴と極めて類似しており、解離の舞台―症状構造と治療には、こんな調査結果が載せられています。

自分の色について、解離性障害の患者57名のうち41名(72%)が、自分の色について「ない」「透明」「白」「グレー」「黒」と答えている(2012年2月調査)。

…自分の色については、一般女子大学生に比較すると、解離性障害の患者では、圧倒的に「ない」「透明」「グレー」「黒」が多いことになる。

解離におけるこのような自分の有彩色のなさを、どのように考えたらいいのであろうか。(p34)

解離性障害の人は、自分の色は何かと尋ねられたとき、白や黒をはじめとする無彩色だと感じることが、一般の人たちよりもはるかに多いとされています。その理由について、調査に答えたある女性はこう回答しています。

自分はカメレオンのように周りの色に合わせる。自分には色がない。自分のなかには全部の色がある。玉虫色になっている。

つねにいろんな要素があって、状況によって特定の色が出てくる。自分の引き出しから出てくる。(p35)

理由のひとつは、カメレオンのように何色にでも変わってしまうことです。自分には特定の色はなく、周りの環境によって、何色にでも変わってしまう、つまり解離性障害の空気を読みすぎる「過剰同調性」のことを色に例えた表現です。

また解離性障害が、時代や文化ごとに異なる特徴を見せ、「文化結合症候群」と呼ばれるのも、周囲の人だけでなく、社会の環境をさえ反映して、さまざまな色に変わるからでしょう。チクセントミハイが芸術家の精神疾患は置かれた時代の反映にすぎないと述べていたとおりです。

一方、同じ色のなさについて、こう述べる人もいました。

私が半透明なのは、透明のように何もなくなることの延長ではない。相手に合わせて色が変わる。私が半透明で、それを通して色が見える。

自分の色が欲しいけど、一つになると、いろんな色になれたのにそれができなくなる。それも能力のうちだと思っているところもある。自分は存在感がなくて、何にでも溶け込んでしまう。何にでもなるし、何でもない。(p38)

相手によって色が変わる、というところは同じですが、この女性の場合は、自らいろんな色になれることを「それも能力のうち」だと考えています。つまり、相手に合わせて、いろんな色を出せる、というポジティブな捉え方を含んでいます。

ここでも、まさしくチクセントミハイの言うとおりです。「白がスペクトルの色相をすべて含むように」、つまりあらゆる色の光を混ぜると白になります。

太陽の透明な白色光が雨の水滴で屈折して虹になるのは、白い光にあらゆる色が含まれているからです。つまり、白というのは、「何も色がない」とも、「すべての色を含んでいる」とも解釈できます

解離傾向の強い人が、自分を白をはじめとする無彩色に例えるのは、自分には色がなく、どんな色にでも変わってしまう、と感じているからです。しかしそれを自分でコントロールできれば、どんな色でも生み出せるという能力へと変貌します。

興味深いことに、解離性同一性障害(多重人格)の人たちは、自分自身については無彩色だと述べますが、自分の中に存在するさまざまな人格については、それぞれに固有の色のイメージを持っているそうです。

世の中のごく普通の人たちは、自分自身の色のイメージを聞かれると、単一の有彩色で答えますが、解離性同一性障害の人たちは、自分は無彩色でありながら、内なる自己に関しては、一つのみならず、さまざまな色の人格を持っています。

すべての色を含むという特殊な才能を持っているがために、自分のうちにさまざまな色の人格を作り出せます。どんな色の人格を表に出すか、自分の意志でコントロールできるようになれば、まさしく、複雑な性格と呼ぶにふさわしい多面的な創造性を発揮できるでしょう。

解離性障害の色についての考察の締めくくりに、こう書かれているのはもっともなことです。

彼女たちは自分の色をもつことができないでいる。多彩な色を身にまとうことはできる。そのなかに溶け込み、演じ、かぶることはできる。

しかし、自分の色を「もつ」ことができないでいる。多彩な色は自分がもつ色ではなく、他者がもつ色でしかない。

しかし、彼女たちにはどこか状況に合わせて多彩な色を引き出す力、受動を能動に変えていく潜勢力がある。

彼女たちの何人かは、回復過程の中で絵やイラストを描いたり、作曲をしたりして創造的活動へと向かう。(p39)

自分の色を持てず、過剰同調性に陥っていた人たちが、自己統御感を身に着けて、「状況に合わせて多彩な色を引き出す力、受動を能動に変えていく潜勢力」を発揮するとき、コントロールされた解離は創造性として発揮されるようになるのです。

創造性とは何かを探る道のり

この記事では、心理学者ミハイ・チクセントミハイの分析を手がかりに、創造的な人とは何か、という問いの答えを探ってきました。

一般的でない内容を丁寧に説明しようとするうちに、またしても長くなってしまいましたが、この記事のポイントは、以下のように簡潔に要約できます。

■まず創造的な人が持っている「複雑さ」とは何かについて、10の例を通して、さまざまな両極性を自由自在に発揮できる、という特殊な才能である、ということを具体的に考えました。

■ついで、そのうちの特に「感受性の強さ」と「並外れた好奇心」という真逆の性質に着目し、先天的な遺伝的要因としてのHSP/HSSと、後天的な環境的要因としての無秩序型の愛着がベースになっているのではないか、と推測しました。

■創造的な人たちの子ども時代は理想的か悲惨かの両極端でしたが、どちらの場合でも、創造的な才能を開花させるカギとなっているのは「自己統御感」、すなわち自分で自分の人生をコントロールしているかどうかでした。

■最後に、チクセントミハイの述べる創造性な人の複雑な人格とは、解離性同一性障害に見られる多重化した人格と瓜二つであり、解離傾向をコントロールできれば創造性に、コントロールしそこなうと解離性障害になる、という結論に至りました。

創造性については、このブログでも長く追ってきた話題であり、さまざまな観点から何度も考察を重ねてきました。

最初のうちは、双極性障害や統合失調症のような精神疾患とつながりがあるように思えましたが釈然とせず、アスペルガーやADHDとのつながりを示唆する情報もまとめましたが、やはり腑に落ちないところがありました。

いずれの場合も、創造的な人たちが、特定の精神疾患や発達障害の範疇に収まらず、あまりに例外的に思えたからでした。精神疾患を抱えているとするにはあまりに自由で、発達障害を抱えていたとするにはあまりも柔軟すぎて、医療モデルと合致しません。

特に不思議に思っていたのは、似たような経歴を持ち、何かと比較されることの多かったアップルCEO、iPodとiPhoneで一世を風靡したスティーブ・ジョブズと、任天堂社長で和製ジョブスとも言われ、WiiやDSで一躍有名になった岩田聡です。

両者とも50代の若さで亡くなりましたが、ADHDのような豊かな想像力やエネルギッシュさ、アスペルガーのようなプログラミングの強さや数学的才能も存分に持ち合わせていながら、人の心を動かす技術に秀でていて、必要なときには優れた共感性を発揮できました。時代の流れに合わせて意見を調整する変わり身の早さも共通していました。

今になって思えば、ジョブズはサバイバー型の創造的な人、岩田聡はギフテッド型の創造的な人だったのではないかと思います。ジョブズの生育歴は無秩序型愛着の典型ですし、岩田聡は鋭い感受性を持った安定型愛着の典型でした。

「天才と狂気は紙一重」という、創造性には発達障害や精神疾患がつきものなのだ、という思い込みを超えて、HSPや解離という、状況によって良くも悪くも変化するフラットな性質について学んだことが、このよく似ているのに対照的な、両極端な2人の天才を理解するヒントになったと思います。

(※両者の人となりについて知るには、無関係の第三者による著述ではなく、ジョブズの親友トム・キャットムルによるピクサー流 創造するちから―小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法と、岩田聡の親友 糸井重里による"岩田聡さんのコンテンツ。 - ほぼ日刊イトイ新聞"をお勧めします。この記事で述べたとおり、「複雑な性格」を持つ創造的な人の素顔は本当に身近な人以外にはわかりにくく、容易に脚色・誇張されうるからです)

もちろん、理解というのはどんどん発展して変化していくものなので、より多くのことを学ぶうちに、また創造性について新しい見解を思いつくでしょう。そのときは改めてブログの記事にしたためるつもりです。

今回おもに参考にした、チクセントミハイのクリエイティヴィティ―フロー体験と創造性の心理学は、最初に書いたように、かなり分厚く、込み入った内容の本です。しかし、世に多く出ている表面をかすめるだけのクリエイティブ本とは一線を画する、鋭い分析がつまった一冊なので、興味のある人はぜひ読んでみてください。

解離性同一性障害の多重性と、創造的な人の多面性がよく似ている、というのは、かなり前から考えていたことですが、裏づけとなる資料が十分でなく、今回の本をきっかけに、やっとピースがはまって記事にまとめることができました。

また、HSP/HSSの情報の多くを参照したエレイン・アーロンによる敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。は、現在は絶版で、読むには図書館や古本を利用する必要がありますが、やはり一般の恋愛本とは一線を画すHSPやHSSの取扱説明書のような一冊です。

創造性というのは「複雑さ」であり「多面性」でもあります。見る角度によって色も形もさまざまに変わるものですから、きっと、これらの本を読めば、わたしとはまた違った、あなただけの発見が得られることでしょう。

スポンサーリンク

スポンサーリンク
HSP / 創造性・クリエイティビティ / 解離性障害