多重人格、というとあなたはどんなイメージを持っていますか?
ドラマに出てくるような犯罪者や、オカルトチックな霊的現象を想像するでしょうか。
実際には多重人格はオカルトではなく、解離性同一性障害(DID)と呼ばれている、れっきとした医学的な現象です。
もちろん原因は悪霊ではなく、脳の特定の機能の過剰な働きにあります。そしてDIDで悩んでいるのは、犯罪者や変質者ではなく、むしろもっと純粋な感性を持つ普通の人たちです。
DIDの人には平均8-9人とも言われる複数の人格が宿っている、人格が交代して別人になり、その時のことは記憶にも残らない、といったことを考えると、身近な家族や友人が、DIDに対して戸惑いを覚える気持ちもよくわかります。
どうして多重人格が生じるのでしょうか。一人の人に複数の人格が宿る仕組みを、どのように理解すればよいのでしょうか。具体的な治療法には、どんなものがありますか。
この記事では、 続解離性障害という本や、その他の解離性障害の専門書から、多重人格の原因やメカニズムを理解するのに役立つわかりやすい8つのたとえ話、そして治療法についてまとめてみました。
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これはどんな本?
今回おもに参考にしたのは、解離性障害の専門家、岡野憲一郎先生による続解離性障害という本です。解離のメカニズムについて詳しく考察されている、たいへん興味深い本です。
この本は解離の仕組みや歴史を知る上ではとても参考になるのですが、さすがに解離性障害について一から知りたいと思うときには難しすぎるので、当事者やその家族に役立つ本は、この記事の最後で別途 紹介してあります。
まず最初に―DIDは演技・詐病ではない
まずはじめに、はっきりさせておくべきことがあります。それは、解離性障害、特に解離性同一性障害(DID)と呼ばれる多重人格は、どれほど不思議に見えようと、決して演技や詐病ではない、ということです。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法の中でも書かれているように、嘆かわしいことに、いまだに解離性同一性障害(DID)のような病気は存在しないとみなす医者もいます。
彼女の真の姿を定かにしてくれる人は誰もいなかった。
「17歳のとき、深刻な精神障害を抱える少年少女のためのグループホームで暮らしていて、空き缶の蓋でひどく自分を傷つけました。
救急処置室に連れていかれましたが、どのように自分を切ったかを医師に話せませんでした。まったく記憶がなかったのです。
救急処置室の先生は、解離性同一性障害は存在しないと確信していました。……メンタルヘルスにかかわる人の多くが、そういう障害は存在しないといいます。
その障害を持つ人がいないのではなく、障害自体が存在しないんです」(p530)
DIDを否定する医師がいるのは、ひとつには、メディアや娯楽などで、オカルトと同列に扱われるせいかもしれません。本当は医学的に十分説明できる病態なのに、よく知らない不勉強な医師からは、超常現象と同列にみなされてしまいます。
また、DIDの人格交代は、知らない人から見ると、演技をしているよう見えることもあります。いつも普通にしゃべっている大人が、突然赤ちゃん口調になって泣き出したり、異性の言葉遣いになって荒っぽくなったりします。
それは一見、わざと物まねをしたり、別の人を演じて気を引こうとしているかのように思えますが、本人は、そのような意図はなく、いつの間にか別の人格になり変わっているのです。続解離性障害の中で岡野先生はこう述べます。
しかし実際には患者は演技をしているわけではない。交代人格はあくまでも別人として現れる。(p164)
それでも、精神科医などの専門家の中には、やはりこれは患者の演技であり、人格交代など認めない、と主張する人もいます。その理由についてこう書かれています。
解離性障害のもう一つの特徴は、その症状のあらわれ方が、時には本人によりかなり意図的にコントロールされているように見受けられることである。
そのために詐病扱いされたり、虚偽性障害(ミュンヒハウゼン症候群)を疑われたりする可能性が高い。(p151)
たとえば、診察室に入ったら別人格が現れて、診察室を出た途端に元に戻る、といった いかにも都合のよい現れ方をする人格交代もあるそうです。そうすると、何も知らない人は間違いなく演技でしかないと思うでしょう。
私がかつて担当したある患者は、診察室を一歩出た際に、それまでの幼児人格から主人格に戻ったことがあった。
…一般に解離性障害の患者は、自分の障害を理解して受容してもらえる人にはさまざまな人格を見せる一方で、それ以外の場面では瞬時にそれらの人格を消してしまうという様子はしばしば観察され、それが上記のような誤解を生むものと考えられる。(p151)
しかし解離性障害の本質を考えてみると、それはいたって自然ともいえる人格の交代です。というのは、後で説明しますが、解離性障害は、「無意識のうちに」空気を読みすぎてしまう病だからです。
この無意識のうちに空気を読むというのは、解離性障害の人たちが幼いころから培ってきた非常に根深い傾向であり、そのせいで人格交代もまた、周りの人の期待に沿うようにして生じることがあります。
解離性同一性障害の当事者オルガ・トゥルヒーヨは、私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびての中でそのことをこう語っています。
私の場合のように、虐待が長く続けば、解離は習慣となり、強められ、不可欠なものになる。この効果的手段は生活様式となり、特定の状況から自動的に起こる反応となる。
つまり、特定の状況や出来事が、経験済みのトラウマ的な出来事に似ていると、自動的に解離が起こる。ほかの人には脅威ではない状況や成り行きでも、その人は脅威と不安を感じる。
たとえば私の場合、だれかがあまりにも接近すると、過度の接近から始まる格闘技のように感じてしまう。これが私にとって引き金になり、脅威と感じ、本能的に心を解離させる。(p15)
この無意識のうちに状況に反応して引き起こされる解離は、いわゆるパブロフの犬で有名な条件付け反射によって起こる、制御しえない無意識の身体的反応です。
DID研究の草分け的存在であるラルフ・アリソンは、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からの中で、DIDの人は時として診察のストレスに対処するために別の人格を使っている、という目ざとい観察を記しています。
キャリーの知能程度は平均的だった。それに看護婦だとはいっても精神医学の訓練は受けていない。わたしが言うことを理解するのは難しいようだった。
しかし大まかに理解すると、彼女は怯え、そのストレスを彼女にとっては“いつもの方法”で処理した。つまり診察に対処するための新しい交代人格を作り出したのだ。(p89)
アリソンの観察では、より小児期の人格形成前にトラウマを受けた人(現代の医学で言い換えると、後述する「無秩序型」の愛着パターンを持つ人)ほど、ストレスとなる環境に対して自分で対処する代わりに、専用の新しい人格を作り出して任せてしまう習慣を持っていました。
ジャネットの交代人格たちと話すうちに、だんだんと可能性のある治療法が見えてきた。ジャネットは交代人格を、現実に対処するためのメカニズムとして利用してきたのだということがわかった。
ジャネットがやらなくてはならないのにできないと感じることがあると、交代人格は結果はおかまいなしにその仕事を引き受ける。(p51)
つまり、診察室でだけ人格交代するような「都合よく」見える例は、特定のストレスがかかる場に対処するために、無意識のうちに別の人格を用いるというDIDの特徴からくる現象で、決して演技ではなく、自分でコントロールできるものでもない、ということです。
岡野先生は、解離性同一性障害が演技や詐病であるか、という問題について、ご自身の長い診療経験や知見に基づいて、続解離性障害の中ではっきりとこう断言しています。
もう一人の自分が自分の知らないところに働いているということは、常識では考えられない現象である。しかしそれにもかかわらず、解離性障害を持つ人々は、おそらく私たちが人生で出会う中でもっとも純粋で、しかも人の痛みに対する感受性の強い人たちでもあるのだ。
だからそれらが意図的に、演技として現れているという可能性は、一部の例外を除いては、まず絶対にないといっていいだろう。
この絶対、という表現は強すぎるように響くかもしれないが、私の確信は、たとえばこの世には統合失調症という障害のために幻聴を体験している人たちは絶対に存在するというのと同じくらいの強さと考えていただきたい。(p36)
解離性障害を持つ人は、演技をして人を欺こうとするどころか、真面目で良心的な人が多いのです。
本来、解離性同一性障害の人は、自分が多重人格であることを人に見せて気を引こうとするどころか、そのまったく逆の振る舞いを見せます。自分の人格が多重化していることに気づいても、人への恐れから、できる限りそれを悟られないよう注意します。
岡野憲一郎先生は別の著書、解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合の中でこう書いています。
私はおそらく多くの「見事な多重人格」に出会っているが、彼女たちの大半は、症状により自己アピールをする人たちとは程遠いということだ。
彼女たちの多くは解離症状や人格交代について自分でもあまり把握していないことが多い。
…そして多くはそのことを他人にはできるだけ隠そうとするのだ。なぜなら彼女たちは他人から「おかしい」と思われることを非常に恐れるからである。(p5)
問題をややこしくしているのは、本来の多重人格の患者たちではなく、本当は解離性障害ではないのに、ドラマや小説に出てくる多重人格に憧れて、「わたしは多重人格だ」と軽率に触れ回る人たちの存在です。
アニメや映画、小説などで、面白半分に多重人格のキャラクターを登場させるような風潮も、これと同様のものでしょう。統合失調症のような重い精神疾患を娯楽の題材にすることを不謹慎だとみなす人は多いはずですが、残念なことに解離性同一性障害は面白半分に扱われることが少なくありません。
オルガ・トゥルヒーヨの経験について取り上げた最近のNHKのニュースでも、そのことが指摘されていました。
解離性同一性障害は、これまでもドラマやノンフィクション小説などで紹介され、「多重人格障害」などと言われていたこともありました。
そうした言葉が誤解され、つらい経験の中で自分を守ろうとしてきたということが理解されないことも多いそうです。
本来の解離性同一性障害は、アニメやマンガに登場する単に多面性のあるミステリアスな「多重人格者」ではなく、極めて辛いトラウマ経験をきっかけとして生じ、様々な心身の症状を伴い、普通の社会生活が送れなくなるほど辛いものです。
いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳によると、解離性同一性障害(DID)の患者を対象とした脳画像研究によって、脳の萎縮をはじめとした深刻な異常さえ生じていることが証明されています。
カリフォルニア大学サンディエゴ校のStein(ステイン)は、子ども時代に頻回の性的虐待を受け、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や解離性同一性障害(DID)に陥った21人の成人女性の左側の海馬に異常があることを報告した。
患者群の左側の海馬は対照群と比べて5%小さく、海馬の小ささと解離性同一性障害の症状の程度には明らかな関連があった。つまり症状の程度が重症であればあるほど、左の海馬サイズは小さかった。(p57)
海馬は長期記憶に関係する脳の部位ですが、慢性的な絶え間ないストレスにさらされると進行的に萎縮していくことが知られています。おそらく記憶の断裂などの解離症状とも関係しているのでしょう。
またDIDの特徴である人格の多重化については、このような研究が紹介されています。
解離性同一性障害患者では、つらい記憶を思い出させたときに違った別々の領域が同時に働いていることがわかり、一つの脳に2つ以上の自我が存在することが示唆された。
内側前頭前野とその後方部を中心とした領域に、自我を統合する役割があるらしい。(p40)
この研究が示唆しているように、DIDでみられる人格の多重化は、単なる演技ではなくありませんし、アニメや小説などに出てくる気楽なイメージとはかけ離れた深刻な病態です。
先ほどのNHKのニュースでは、ある医師が語った次のような言葉が紹介されていました。
「解離性同一性障害の症状がある人と接する時、“自分の中に身代わりの人格を立てなければ耐えられないほどつらい体験を生き延びてきた人”として敬意を持って接する」
DIDが生じる原因は何か
では、多重人格、人格交代といった、にわかに信じがたい現象はなぜ生じるのでしょうか。いったいどうして、一人の人の体に、何人もの人格が宿ったりするのでしょうか。
その仕組みやメカニズムを説明する前に、まず解離性同一性障害(DID)が起こるきっかけ・誘因について考えておきましょう。
解離性障害は、さまざまな原因が絡み合って発症するとされています。一般に、以下のような点と関連があると言われています。
どれか単一の原因による、というよりは、複数の要因が絡み合っていることがしばしばです。そもそも、おおもとの原因となったトラウマ記憶が解離されて、本人すら忘却していることもあります。
そのため、続解離性障害では、一人ひとりの患者に対して「何が原因なのか」と特定するのは非常に難しい、と書かれています。(p157)
しかし、一般に、次のような要素が解離性障害の発症に関わっていると思われます。
■遺伝的なリスク・生まれつきの解離傾向の強さ
まず、素因としては、生まれつきの遺伝的な感受性の強さが関係している場合があるでしょう。
トラウマをヨーガで克服するによると、「解離」という言葉を作ったジャネの師でもあるシャルコーは、まだ「ヒステリー」と呼ばれていたころの解離性障害を研究している中で、ヒステリーになりやすい「傷つきやすい体質」を持っている人たちがいることに気づいていました。
現代神経学の父として知られるジャン=マルタン・シャルコー(1825~1893)はヒステリーを研究し、諸症状の中に共通するパターンを確認した。
彼は、外傷的な刺激と、“ヒステリー”に見られる症状には明らかな関係があることを証明した。
人はヒステリーになるような傷つきやすさを体質として受け継いで生まれてくることがあるが、それを病気として発症させる〈引き金〉は、トラウマを生ずるような出来事であると、シャルコーは示唆したのである。(p16)
解離性同一性障害の研究の草分け的存在であるラルフ・アリソンも、早い段階で、多重人格障害(MPD)の当事者には「極端な感受性」の持ち主が多いことに気づいていて、「私」が、私でない人たち―「多重人格」専門医の診察室からにこう書いていました。
〈MPD〉になる子どもたちは、並外れて感受性が強い。彼らは一生、その極端な感受性を持ちつづけ、「心霊能力」を持つというようなこともある。
たとえば、ヘンリー・ホークスワースという以前に診療した患者は、「オーラ」(肉体の周囲に発散される色のついた霊気で、その人の気分を反映して色が変わると言われるもの)を見ることができた。
彼は人格の統合が終わった後でもこの特殊な感受性をもちつづけ、人事管理の仕事に活かすことができた。(p46)
このような、最初期から注目されていた「傷つきやすい体質」や「極端な感受性」は、今日では生まれつき感受性の強いHSPと呼ばれている概念だとみることができます。
補足しておくと、アリソンが述べている「オーラ」が見える現象は、かつては心理医現象のようにみなされていましたが、今日では、神経科学者V・S・ラマチャンドランらの研究により、共感覚の一種だということが明らかになっています。
特定の文字を見ると特定の色が重なって見えるタイプの共感覚は、形と色の情報を処理する領域が脳の中で過剰に結びついているために起こりますが、オーラが見える現象もまた、顔を処理する領域と色を処理する領域のクロス活性化によります。(詳しくは 脳のなかの天使 を参照)
共感覚はオカルトではなく科学的な現象ですが、HSPのような強い感受性や過敏性を持つ人たちは、さまざまなタイプの共感覚を併せ持ちやすいようです。
■性的・身体的虐待を含めた幼少時のストレス体験による愛着障害
次に、幼少時のストレス体験、という点については、注目すべきことに、身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法によると、解離は幼少期にだけ学習されることがわかっています。
ライオンズ=ルースは、赤ん坊の誕生後二年間に母親が関与も同調もしないことと、その子供が成人したときに解離の症状を見せることとの間に、「顕著で意外な」関係があるのを発見した。(p200)
ライオンズ=ルースの研究から、解離は幼少期に学習されることが明らかになった。のちの虐待やその他のトラウマでは、若年成人に見られる解離の症状は説明がつかなかったのだ。
虐待やトラウマは、他の多くの問題のおもな原因だったが、慢性的な解離や自分に対する攻撃性の原因ではなかった。(p201)
幼少期、特に生後数年間の養育環境の影響なくしては、解離は生じません。
つまり、大人になってからのトラウマ経験によって解離性障害を発症する場合でも、PTSDやパニック障害など他の病気ではなく解離性障害になってしまうとしたら、その原因の一端は幼少期にあるということです。
解離が幼少期に学習されるのは、生後数年間の時期に育まれる養育者との愛着関係が解離の基盤をなしているからです。特に回避型や無秩序型と呼ばれる愛着スタイルの人が、強い解離傾向を持ちやすいと言われています。
注意すべき点として、これは必ずしも親の育て方に問題があったという意味ではありません
確かに育て方が劣悪であった場合もありますが、その時期にやむをえない事情、たとえば病気や不慮の事態などが子どもの幼少期と重なって、一時的に養育環境が著しく不安定になったせいで、解離傾向が促進されてしまう場合もあります。
■機能不全家庭、病気、事故や災害、いじめなどからくる居場所のなさ
同じようなストレスフルな環境で育ち、子供のころに虐待を受けたとしても、解離性障害になる人もいれば、そうでない人もいます。
解離の舞台―症状構造と治療によると、幼少期に解離が学習されたとしても、解離性障害を発症するかどうかには、その後の人生での経験が影響してきます。
カールソンほか(Carlson et al.2009)によれば、早期幼児期において無秩序型愛着が見られてもその後の生活が標準的であれば、解離傾向は高くなるがサブクリニカルな水準にとどまり、ストレス状態において解離的行動が表面化する潜在的素質を抱えることになる。
その後の生活において重度あるいは慢性的な外傷が見られ、かつそれに対する情緒的な援助がなければ、病的解離として発症する危険性は高くなる。(p139)
つまり、解離性同一性障害になる人の多くは、まず幼いころの愛着障害が土台にあり、次にその後の人生でトラウマを経験した、という二つの要因が重なり合っていると思われます。
その後の人生で解離性障害を引き起こすきっかけには、さまざまなものがありますが、共通しているのは「安心できる居場所の喪失」であるとされています。
解離性障害の外傷として特徴的なことは、それらが共通して〈安心していられる居場所の喪失〉に結びついていることである。
本来、そこにしかいられないような場所で、逃避することもできないような状況に立たされ、きわめて不快な圧力や刺激が反復して加えられること、このような場の状況が解離を発生させ、増悪させるのである。(p140)
性的外傷体験のような鮮烈なトラウマを経験した場合でも、周囲の手厚いケアがあれば、解離性障害にはならないかもしれません。
逆に、目立ったトラウマ経験がなくても、どこにも安心できる居場所がない緊張した家庭のせいで解離性障害を発症する人もいます。
つまり、解離性障害の原因となるのは、虐待や性被害のような特定の種類の体験ではなく、どこにも逃げ場がない追い詰められるような経験をしたことです。これは「逃避不能ショック」と呼ばれます。
虐待や性被害では、その性質上、「逃避不能ショック」の状況に陥りやすいために解離性障害を発症するリスクが高まりますが、その他の日常生活の場面でも、たとえば家庭にも学校にも居場所がなく追い詰められる、といった経験は生じえます。
逃避不能ショックについては以下の記事で詳しく説明しました。
また、どこにも逃げ場がない居場所のなさは、公衆の面前で恥ずかしい思いを繰り返しさせられるといった体験とも関係しています。
■解離性障害になりやすい人の特徴
解離性障害になりやすい人の特徴として、このブログでは過去に、過剰同調性や、対人過敏傾向を取り上げてきました。
過剰同調性とは、すでに述べたように、無意識のうちに「空気を読み過ぎる」傾向のことで、幼少期の無秩序型の愛着の延長線上にある性格特性だと考えられます。常に他人や親の顔色をうかがいながら「いい子」として育った子どもによく見られます。
また対人過敏症状とは、他の人に対して過度の恐れや警戒心を感じる状態のことです。子どものころに愛着の傷を負い、家庭などで安心できる居場所が得られなかったことの結果でしょう。
このような、他の人を恐れ、顔色をうかがいながら、周囲に過剰に同調しつつ成長してきた人たちは、自分の感情を心の内に溜め込み、解離性障害を発症するリスクが高くなります。
こうした過剰同調性や人への恐れが下地にあるがゆえに、解離性同一性障害の人たちは、多重人格であることをアピールするどころか、周囲の人たちに知られないよう警戒するのでしょう。
■女性のほうが9倍なりやすい?
最後に、解離性同一性障害を発症するリスクとして、「女性である」という性別の違いも挙げることができます。
続解離性障害によると、解離性障害は女性に多い病です。特に解離性同一性障害(DID)は、ロスRossによると、欧米での男女比は女性9:男性1だそうです。 (p85)
この理由については、さまざまな説がありますが、一つの理由として、次のような推測が書かれています。
以上の研究が間接的に示しているのは、女性の場合はオキシトシンの過剰な影響により、相手の心を読みそれと同一化する傾向が男性のアスペルガー症候群とは反対の域にまで至る可能性があり、それがこれまで見てきたDIDに見られる対人関係における敏感さを説明している可能性があるということである。(p88)
現時点では推測に過ぎませんが、「空気が読めない」ことが特徴のアスペルガー症候群は、男性ホルモンの影響が強い状態なので男性に多いのに対し、「空気を読みすぎる」解離性障害は、女性ホルモンの影響が強い状態なので女性がなりやすいのかもしれません。
しかし、最近の研究では、女性と男性とでは、生物学的違いや文化ストレスの性差によって解離症状の表れ方が異なるために、男性の解離性障害の患者は医療機関を受診することが少なく、存在を見過ごされているのではないか、という見解もあります。
また、アスペルガー症候群の人たちも、定型発達とは異なるかたちで、解離性同一性障害のような症状を発症する場合があります。
解離性同一性障害(DID)がよくわかる8つの説明
ここからは、なかなか理解しがたい多重人格という不思議な現象のメカニズムや仕組みをわかりやすくするために、さまざまな研究者による、身近なたとえを用いた説明を8つ紹介したいと思います。
これらのたとえ話を通して多重人格について考えると、なぜ複数の人格にわかれたり、人格が切り替わって交代してしまったりするのかが、幾分理解しやすくなるでしょう。
1.水密区画化―トラウマの侵入を防ぐ
まず最初は、子どもの発達障害やPTSD、解離性障害に詳しい、児童精神科医の杉山登志郎先生による、 水密区画化(compartmentalization)モデルの説明です。
子ども虐待という第四の発達障害 (学研のヒューマンケアブックス)にはこうあります。
水密区画とは、船の船底を閉鎖が可能ないくつもの小さな部屋に区切ることである。
つまり外から船底を破って水が侵入してきたときに、水が船底の全てに広がり、船が沈没してしまわないように作られた構造である。
圧倒的なトラウマ体験に対して、その部分だけ記憶を切り離して全体を保護する。
このような防衛機制が働くことによって、個々の離散的意識と行動のモデルが状況依存的に独立し、発達的に病理的解離がつくられていくと考えられるのである。(p46)
水密区画については、実際に見た経験がある人は少ないでしょうが、映画などで、火災や浸水の被害を食い止めるため、防壁を閉じていくようなシーンをご覧になったことのある方は多いと思います。
いずれにしても、すでに水や火に侵入された区画を閉鎖することで、中枢の機能を守り、時間を稼ごうとするシステムであることはお分かりいただけるでしょう。
解離性障害の場合も、そのようにして、脳の中を区切っていると考えられています。
解離性障害の大きな症状の一つは、辛い経験を思い出せなくなる健忘です。特に圧倒されるような辛い記憶は、別の人格が引き受けて、記憶の底に眠っていることもあります。
圧倒されるようなトラウマに直面したとき、脳の記憶領域の一部を閉鎖してそれを封じ込め、その記憶を担当する人格を割り当てることによって、多重人格が生じることがあるのです。
2.守護天使と身代わり天使―人格の多重化には目的がある
次に紹介するのは、大人の解離性障害を長年見てこられた専門家である、柴山雅俊先生による、守護天使と身代わり天使、という説明です。
いきなり「天使」などと言うと面食らうかもしれませんが、解離性障害の当事者は、自分の別人格を天使のような不思議な存在と感じていることもあるようです。
DIDの人の別人格は、ときに本人が手に負えなくなった時に人格交代して、苦手な役回りを担っていることもあります。ある意味で守護天使のような存在ともいえるでしょう。
また、しばしば天使が助けてくれた経験談として古今東西語り継がれている物語の中には、解離性同一性障害と一部のメカニズムが共通していると思われる、サードマン現象が関係していることもあると言われています。
それを踏まえた上で、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論の中の柴山先生の説明に耳を傾けてみたいと思います。
このように交代人格としての天使は二種類に分けられる。「犠牲者としての私」は身代わり天使になる。この天使に対しては感謝し、供養する必要がある。
もう一つの天使は「生存者としての私」に由来する守護天使である。守護天使は身代わりになるのではなく、背後から患者を支持し、助言すべきである。
守護天使は現実の目の前の人によって、いずれはとって変わられねばならないだろう。(p233)
まず、交代人格には二種類いると言われています。
ひとつ目は守護天使です。衝撃的なトラウマを経験しないよう、切り離して逃れさせられた人格部分で、「生存者としての私」とも呼ばれます。その後の人生において、日常生活を送る仮面のような役割を一手に引き受けていることがあります。
ふたつ目は身代わり天使。「生存者としての私」を切り離す代わりに、自分が犠牲となってトラウマを一手に引き受けた人格部分で、「犠牲者としての私」とも呼ばれます。トラウマ記憶を一人で抱え込み、攻撃的な人格として表面に現れることもあります。
先ほどの水密区画化のたとえと関連させていうと、恐ろしいトラウマが迫ってきたとき、被害者の人格は、「ここは私に任せて逃げろ!」という映画のシーンのように、立ちはだかってトラウマを一手に引き受ける「犠牲者」と、そのすきに隔壁の後ろへと逃れる「生存者」に分断されます。
「犠牲者」は隔壁の外でトラウマを一身に浴びますが、隔壁の後ろに逃れさせられた「生存者」はその光景を見ていません。そのため、記憶が隔てられています。これがいわゆる健忘障壁です。
その後の生活では、トラウマ記憶から守られて生き延びた「生存者」がメインとなって振る舞い、「守護天使」となってその人の生活を守ります。しかし「生存者」は、隔壁の向こうで「犠牲者」が経験したトラウマ記憶のことを知らないので、記憶が欠落し、解離性健忘が生じます。
一方、隔壁の外でトラウマを一身に引き受けた「犠牲者」は、「身代わり天使」として、辛い記憶すべての番人となります。そのおかげで「生存者」はなんとか日常を送れますが、「犠牲者」が溜め込んでいる怒りや悲しみは、完全に抑え込めず、心身症状や交代人格として時おり表面化します。
このように、多重人格は、何の目的もなく、無意味に現れて複雑化しているのではなく、それぞれが、もともとの主人格を守るため、明確な目的をもって存在するようになるのです。
もっとも、それらが主人格を助けるために形成された、ということは、DIDの当人もなかなか気づけなかったり、受け入れにくく感じたりすることもあり、意図的に作り出すものではありません。
3.部屋やドア―逃げ込んでふたをする
次に、やはり解離性障害に詳しい岡野憲一郎先生が紹介しておられる、ある患者のことばに注目したいと思います。続解離性障害にはこうあります。
ある患者は親からの虐待を受けた際に、その苦痛と恐怖のために「内側に急いで入り、ふたを閉めてしまった」と表現した。
そしてその際に「ほかの誰か」が外の状況を処理する必要が生じ、新たな人格が形成されたという。(p80)
このエピソードでは、部屋やドアが登場します。
この点については、岡野先生、柴山先生双方が、「空間的なふたやドア、部屋がよく出てくる」「多重人格の人はよく部屋があると言いますが、このことの意味は大きい」と口をそろえて述べています。( p209)
外を確認するために生まれた「ほかの誰か」は、守護天使に相当するのでしょう。その人格は、身代わりとなって内にこもった主人格に変わって、日常生活を担当するために生まれたのです。
父親から壮絶な性的虐待を受けたオルガ・トゥルヒーヨは私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびての中でこう書いていました。
まるで映画の場面を編集するように、私はその体験を独自の小さな部屋に押しこめ、ドアに鍵をかけた。最初のうちはすべての出来事を私の意識の中の部屋の一つに収納した。
しかし暴力が激しく、ひどくなると、どんなに遠くからでも、そのすべては観察できなくなった。そこで、私の潜在意識は経験を細分化し、経験の部分的要素を凍結する部屋に入れていった。
一つは匂い、もう一つは父親の顔の表情、さらにはその後感じるようになった孤独や絶望、というように。各部屋には鍵をかけた。
鍵のかかったドアの向こうにしまいこまれたものに合致する類似の暴力、苦痛、表情、感覚、場所を経験するまで、そのドアが開かれることはなかった。(p17)
ドアや部屋、という表現は、最初に取り上げた水密区画化を思い出させます。外の世界のストレスフルな状況から逃れるために、部屋の中に入ってドアを閉めることで、苦痛をシャットアウトしているのです。
もちろん人格形成にはさまざまなパターンがあり、必ずしもこのような経緯で作られるとは限りません。
支配的な親との関係など、もっと持続的・慢性的ストレスの場合は、自分の心に生まれた新たな人格との対話によって苦しみを軽減するうちに、人格が徐々に解離するというパターンもあるそうです。(p80)
その場合は、イマジナリーコンパニオン(想像上の友だち)と似ている形成過程だといえます。
4.線路の切り替えスイッチ―バイリンガルと人格交代
それにしても、人格が交代する、という考えはあまりに突飛ではないでしょうか。
確かにさまざまな人格がそれぞれの役割を担っていることはわかります。しかしそれぞれの人格に交代し、まったく別の人物としてふるまう、ということを理解しがたく感じる人は少なくありません。
実を言えば、人格が交代すると、記憶も、考え方も、性格も、食べ物の好みも、性別も、年齢も、字の筆跡さえも変わるのです。同じなのは、見た目だけです。
そうした人格交代はスイッチングと呼ばれます。これは、なにも超常現象ではなく、わたしたちの脳にもともと備わっている機能の延長線上にあるものだということは、続解離性障害の次の説明からわかります。
解離以外で生じるスイッチングのもう一段階複雑なものとして、バイリンガリズムを考えることができよう。
たとえば英語とフランス語の両国語に習熟している場合、英語で話している時に何らかのきっかけでフランス語に「切り替わる」ことはあっても、両者を混同することは普通は起きない(p144)
解離性同一性障害は、人格によって、言葉の話し方や一人称などが変わることから、バイリンガルの脳内における言語切り替えスイッチと同様の部分が関係しているのかもしれないと言われています。(p146)
同様の意識の切り替えは、「多義図形」と呼ばれる絵を見たときにも生じます。たとえば有名な「ルビンの壷」(向き合う2人の顔にもつぼにも見える)や「妻と義母」(若い女性にも老婆にも見える)などが有名です。
それらの多義図形を見るとき、最初は片方の意味を持つ絵(A)に見えていたのが、ふとしたきっかけで別の意味を持つ絵(B)に見えます。しかし同時に二つの状態を意識して見ることはできません。この切り替えは「知覚交替」と呼ばれます。
それは、Aの絵だと認識しているときの脳のニューロンの発火と、Bの絵に見えているときの脳のニューロンの発火が競合関係にあり、どちらかがオンになるともう片方はオフになるからです。これはちょうど線路の切り替えスイッチのようなものです。
Aの線路と、Bの線路を 電車が同時に通ることはなく、切り替えポイントのスイッチによって、どちらの路線がアクティブになるかが瞬時に切り替わります。
同様に、わたしたちの脳に備わっている切り替え機能は、通常の範囲内であれば、さまざまなことに役立ちます。お父さんが、職場では厳しい上司として働いていても、家庭では優しい父親として子どもと遊べるのは、そうしたモードの切り替えができるからです。
しかしこのような切り替え機能が、無意識のうちに、しかもより過剰に働いてしまったとしたら、多重人格として表面化するとしても不思議ではありません。
このスイッチングを担っているのは、バイリンガルの切り替えと同様であるとすれば、大脳基底核に存在する尾状核という部位かもしれません。
尾状核の不調は、強迫性障害(OCD)で強迫行為をやめられず、いつまでも固執してしまい、スイッチを切り替えられない原因になっているとされていますが、解離性障害では、それとはちょうど逆のことが生じ、スイッチが無意識のうちに切り替わってしまうのかもしれません。
しかしどちらの場合も、スイッチのコントロールが失われている、という意味では、同じということもできます。線路が切り替わらないことも、無秩序に切り替わってしまうことも、事故につながりかねません。
最初のほうで、DIDの人格は、無意識のうちに場の空気を呼んで勝手に入れ替わるため、演技ではないかと誤解されることがある、という点に触れました。
そのような空気を読んだ人格交代や、その土台となっていると思われる空気を読みすぎる性格傾向(過剰同調性)は、尾状核のスイッチが無意識のうちに切り替わり、意識的にコントロールできないことと関係している可能性がありそうです。
バイリンガルの人は同じ言語を話す人と会うと、無意識のうちに使用する言語が切り替わります。地方出身の人は故郷の家族と会うと、無意識のうちに話し言葉が馴染んだ方言に切り替わります。
それと同様の無意識の切り替えが、解離性同一性障害では過剰にら生じているのでしょう。
5.復元ポイント―凍りついた記憶
多重人格の中には、子どもの人格もあります。中には、一人の大人が、幼稚園児の人格、中学生の人格、高校生の人格などを抱え持っていることもあります。
岡野憲一郎先生は、続解離性障害の中で、このような人格は、パソコンのWindowsのオペレーションシステム(OS)に備わっている復元ポイント機能のようだと述べています。
「復元」の機能においては、コンピューターが自動的に「復元ポイント」を一定時間ごとに作ってくれていて、たとえば1ヶ月前、3ヶ月前のコンピューターの状況がそのまま保存されているわけだが、これはまさに多重人格的な機能と言える。
まるで人格のスイッチングにより、1ヶ月前、3ヶ月前の自分の状態が再現されるようではないか。(p15)
復元ポイントとは、パソコンの設定をすべて保存しておいて、バグなどでおかしくなってしまったときに、過去の安全な状態を復元できる機能です。
解離性同一性障害の人の人格は、あたかも、この復元ポイント機能によって保存された過去のその人の人格であるように思えることがあるそうです。
この人格の「復元ポイント」は、パソコンの場合のようなバックアップではなく、外傷を受けたときのショックで形成されるようです。
たとえば小学生で性的虐待を受けた人の場合、そのときの子どもの人格がそのまま、辛い記憶とともに解離して存在していることがあります。
もちろんそのときの年齢の人格が必ずトラウマ記憶を一手に引き受けているかというとそうではなく、トラウマ記憶をできごとの記憶や感情の記憶に分割して、複数の人格に別々に担当させるという、もっと複雑な封じ込めをしている場合もあるようです。
トラウマを経験した人の脳は、あたかも時間が凍りついたかのように永久にトラウマの瞬間に閉じ込められています。トラウマの瞬間の情景や感覚が、突然まざまざと蘇るのが、いわゆるフラッシュバックです。
解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によれば、解離性同一性障害は、人格まるごとフラッシュバックする現象だと言われています。
つまり、トラウマの瞬間の断片的な記憶だけフラッシュバックするPTSDとは違い、その当時の人となり、気持ち、恐怖、記憶などすべてを含んだ人格全体が再生されるのが解離性同一性障害だということです。
解離性同一性障害が一種のフラッシュバックであるという考え方についてはこちらの記事で説明しています。
また人格の中には、その人の過去の人格だけでなく、加害者の人格や異性の人格が存在していることもあります。これらは「取り入れ」というまた違うメカニズムで生じたものと考えられます。
6.マイクロバス―後ろの座席から見ている人たち
一人の人の中に、複数の人格が、かなり複雑な関係性を保って存在している状態をわかりやすく説明するために、岡野憲一郎先生は、続解離性障害で、マイクロバスのたとえを用いています。
DIDの状態にあることとは、患者のいくつもの人格が一つの乗り物に乗っているようなものである。
…さて運転席には現在出ている人格が座っている。彼(女)はバスをどこに向けて運転するかについて全面的に主導権を持っている。
DIDとは、マイクロバス(体)の中に、複数の乗客(人格)が乗っている状態と似ています。
マイクロバスには運転席は一つしかありませんが、DIDの人の表面に現れる人格も、一度にひとつだけです。さまざまな人格がハンドルを握ることはできますが、同時に複数の人格が表に出ることはできません。
マイクロバスのほかの乗客は、後ろの席に控えている。
そのうち何人かは、現在の運転手の様子を見ていて、後ろから意見を言ったり、助け舟を出したりするかもしれない。
場合によっては危険を感じて、いきなり今運転している人格をどかして運転席を占拠するかもしれないのである。
バスには複数の人が乗っていますが、DIDの場合も、表面に出ている人格のほかに、常にスタンバイ状態にあり、事態を観察している別人格が複数あります。
そのような人格はいわゆる「守護天使」です。今ハンドルを握って表に出ている人格が窮地に陥ったら即座に交代することができます。
そのように事態を見守っているので、最初に触れた詐病と誤解されるような現象、つまり状況に合わせて柔軟に人格を使い分ける、といったことも可能です。しかしこれは表面に出ている人格がそうしているのではなく、あくまで無意識のうちに生じます。
さらに後ろの席の様子は複雑である。…奥の方は暗くてよく見えない。そこに誰が寝ているか、何人寝ているのかは不明である。(p169-171)
もっと後ろのほうの座席にも、目立たない人格が眠っています。それらの人格は、運転席の主人格の状況をまったく見ていないこともありますし、そもそも前のほうにいる人格たちと面識がないこともあります。
そのような後ろのほうにいてよく見えない人格は辛いトラウマ記憶を封じ込めている番人であり、繰り返しカウンセリングを受けてはじめて存在が見つかるということもあるのです。
7.蜃気楼―ネットワークごとにひとつの人格
このような複雑な幾重にも重なった人格が出現するメカニズムについて、続解離性障害では、慶應大学の前野隆司先生の「受動意識仮説」というものが参考になるとして紹介されています。(p133)
わたしたちは、自分は自分の意識でコントロールしていると考えがちです。つまり、まず最初に自分の意識があり、それが司令官のように決定して、体の各部が動いていると。
しかし実際には、体の末端の各細胞や無数の脳の神経細胞がせっせと活動した結果、最後に意識のようなものが生じているだけではないか、というのが受動意識仮説です。
自然界でも、たとえばイワシの群れは、司令官がいるような動きをしますが、たくさんの自律的な小さなイワシが共同して動いた結果、一見リーダーがいるように見えるだけです。これは群知能と呼ばれています。
そのように、わたしたちの意識、つまり人格が、無数の神経細胞の活動の結果として作られている蜃気楼のようなものだとしたら?
当然、解離によって記憶や脳のネットワークが分断されたとき、それぞれのネットワークごとに含まれる神経細胞が異なってくるので、それらが生み出す意識、人格も別のものになる、という結果になるでしょう。
つまり、解離という脳の水密区画機能によって、記憶や脳のネットワークを区切れば区切るほど、その副産物として、区切った数だけ新たな人格が誕生しているのかもしれないといえるのです。
人間の意識の成り立ちと解離性同一性障害の関係については、こちらの記事でも扱っています。
8.薬指だけ動かす―解離と慢性疲労
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)によると、解離性同一性障害をはじめとする解離の患者では、うつ状態や慢性疲労といった症状がよく見られるそうです。
解離性障害の患者の多くがうつ状態を呈する。疲れやすい、だるい、憂鬱で死にたいなどという気分については、程度の差こそあれ、患者のほぼ90%以上が肯定する。(p146)
どうして、解離の患者では、「疲れやすい」、「だるい」といった疲労倦怠症状が見られやすいのでしょうか。
おそらく、それには、解離の患者が用いている人格の多重化という方略が、脳活動の観点からは効率が悪く、興奮を無理やり抑制している状態だからなのでしょう。
本来、人格はひとつにまとまって活動するものですが、解離の患者たちは、やむをえない事情から、それらを別々に活動させるようになりました。
まとまったひとつの人格よりも、バラバラに別れた複数の人格を稼働させるほうが負荷が大きいことは、視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)の中で、スーザン・バリーが述べている次の比喩的な例からよくわかります。
授業のなかで、わたしは学生たちに、手をこぶしに丸めたあと、親指は下に、親指以外の四本の指は上に向けて広げるよう求めた。
次に、またこぶしを丸めて、ほかの指を動かすことなく人差し指だけ伸ばすよう指示した。
どちらの動作が多くの神経活動を要すると思うか、とわたしは訊ねた。指をすべて開いて伸ばすほうか、一本だけ伸ばすほうか。
当然ながら、こぶしを開くときに動かす指が多くなればなるほど、行われる作業は増えるが、神経細胞(ニューロン)の情報量をより必要とするのは、一本だけ指を伸ばすときだ。
握ったこぶしから指を一本だけ伸ばすために、神経系はまず、手の指をすべて開く回路を活性化させる。そのうえで、人差し指以外の指の動きをつかさどる回路のニューロンを抑制しなくてはならない。(p125)
同じことが、ルイーズ・バレットの野性の知能: 裸の脳から、身体・環境とのつながりへにも書かれていました。
サルが指を一本だけ動かすには、(げんこつを作ったり、物をつかんだりする時のように)親指と残り四本の指を同時に動かすよりも多くの神経を活性化させなければならない。
とっさには、そんな馬鹿なと思うだろう。動かす指が多ければ、筋肉も余計に動かさねばならない。
ならば、五本の指の運動を制御するには、より多くの運動神経を活性化させて、より多くのニューロンを働かせることになる。そう考えるのが常識ではないか。
ところが、その常識が間違っている。
…平たく言えば、サルの五指は単一体として開閉するのが当たり前なので、全部は動かさずに一本だけ動かそうとしたら、その当たり前の動きを無効にして抑制しなければならない。
だから、余計な神経まで活性化させなければならないのだ。(p238)
これら二つの本が述べるように、わたしたちは誰でも、手の指の曲げ伸ばしをするとき、ひとつの指だけを動かすほうが、5つの指全体をひとまとまりに動かすよりも難しく、労力を要するものです。
そもそも、たとえば他の指をすべて曲げた状態で、薬指だけを立てることができない人もいます。脳の中で、薬指だけを別々に動かすための回路が存在していない(専門的に言えば脳マップの神経差異化がなされていない)からです。
同様に、ほとんどの人は、人格というひとまとまりの“手”のうち、“薬指”のようなひとつの部分だけを別々に動かすことはできません。脳の中で、それだけを別個のものとして動かすための細かい神経回路はありません。
ところが、解離性同一性障害の人たちは、その“薬指”のような一部の人格だけを動かせるよう、脳の回路を細分化させていて、別個のネットワークとして稼働させることができます。
とはいえ、そのためには、まず人格全体に関わる脳回路全体を活性化させ、その上で、他の部分を抑制させる必要があり、普通以上の負荷がかかります。
実際に、解離では脳の抑制系が強く働いていることがわかっています。岡野憲一郎先生の解離新時代―脳科学,愛着,精神分析との融合によると、解離とは、まずトラウマによる脳の興奮が生じた上で、それを抑え込んでいる状態だとされています。
それは生理学的に言えば、交感神経の過剰な活動の次の相として起きてくる状態、すなわち副交感神経の過覚醒状態ということである。(p18)
それはいわば過覚醒が反跳する形で逆の弛緩へと向かった状態と捉えることができるだろう。(p20)
いわば、まずアクセルを目一杯踏んだ状態で、同時にブレーキをも踏み込んで減速しているような状態が解離です。手全体を動かす命令を出してから、“薬指”以外を抑制するという引き算の命令を出しているのと同様です。
一部の人格しか稼働させないというと、エネルギーを節約できているかのように感じますが、実際には、全体を稼働させて過覚醒になっているうえで、さらに他の部分を解離して遮断する、という複雑な処理によって、一部の人格だけ動かしているのが解離性同一性障害なのです。
先に引用したスーザン・バリーの視覚はよみがえる 三次元のクオリア (筑摩選書)では、似たようなことが、斜視の人で起こりうるとされています。
斜視では左右の目に入ってくる情報が一致しないので、次第に片方の目からの情報だけを活用し、もう片方の目からのの情報を抑制するように脳が適応していきます。その結果、混乱せずそれなりにやっていけるようになりますが、脳には強い負荷がかかります。
一方の目で物を見てもう一方の目を抑制するほうが、ふたつの目で見るよりも、じつは多くの脳活動が必要になるのだと彼女は指摘した。
片目の情報を抑制すれば、得られる像はひとつだけになるが、この方法はエネルギーと労力がかなり必要な効率のよくない処理法なのだ。(p124)
斜視の人たちが、両目の像が一致しないという問題に適応するために、右目と左目の回路を分けてしまうように、解離性障害の人たちも、自己に統合できないトラウマ記憶を抱えるせいで、人格を分けて別個のネットワークに細分化するようになります。
どちらの場合も、やむをえない状況に対処するための適応戦略ですが、結果として脳の処理が複雑になり、抑制の手順をはさむため、余分に負荷がかかります。
この脳の抑制システムは、生物学的には不動系と呼ばれていて、慢性疲労や凍りつき、麻痺といった症状を引き起こし、内臓ともつながっているとされています。
神経生理学者ピーター・A・ラヴィーンが身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアの中で述べているように、多種多様な身体症状は、解離の深刻な影響のひとつです。
残念なことに、多くのトラウマ被害者にとっては、このような解離反応もしくは「からだの記憶」はささいなものでも一過性のものでもない。
それらはトラウマ被害者に現在の時間に―今ここに―、注意を向け、定位し、機能することを不可能にさせ、なおかつ長きにわたる多種多様ないわゆる心身症的(身体的)症状(正式には「身体的解離」と呼ばれるもの)を発症させる。
…多くの人は人生の喜びを享受できない「機能性凍りつき」状態のまま、かろうじて生活を送ったり家庭を築いたりしている。(p65)
近年、解離やトラウマ反応を、精神障害ではなく、生物学的な反応として研究する専門家が増えてきていて、解離と身体症状の関係が解き明かされつつあります。詳しくは以下の記事をご覧ください。
DIDの治療
このような経緯を経て存在するようになった多重人格、つまり解離性同一性障害(DID)は単なる病気とは言いがたいものです。
統合失調症のように脳の障害が起こっているというよりは、当人を守るために幾重にも防備が施された砦のようなものだからです。
もちろんDIDによって、生活にさまざまな支障をきたすことがあり、記憶が飛ぶ、暴力的な人格が手がつけられない、人格交代して仕事にならない、さまざまな身体症状が出る、といった場合には治療が不可欠です。
しかし治療するにあたっても、やはり統合失調症のような薬物治療というよりは、複雑に絡みあったDIDの関係を解きほぐしていくという手順が求められます。
ここではいくつかの参考資料に基づいて、治療のポイントを列挙します。しかし、これらは参考程度にとどめて、必ず専門家の指導を仰ぐようにしてください。
交代人格を無視しない
まず、DIDの治療に大切なのは、交代人格の存在を無視しないことだといいます。(p24)
DIDを認めない医師は、交代人格が出現しても、それを無視して、あくまで本人として扱おうとするそうです。
そうすると無視された交代人格は失望するので、医師の前では姿を見せなくなり、表面的には問題が解決したかに思えます。しかし、実際には患者の苦痛は何も解決されておらず、むしろ余計にトラウマを刻むだけです。
ですから、どの人格に対しても敬意をこめて接してくれる、解離性障害に造詣の深い医師を探すことが不可欠です。
解離性同一性障害(DID)の各人格それぞれを、尊厳を持つ一人の人間として扱うべき理由については、以下のエントリで詳しく書いています。
緊張期には少量の薬物治療も
精神疾患というと薬物治療といった考え方が日本にはありますが、解離性障害の場合、統合失調症に処方されるような大量の薬物を投与されるとかえって悪化することもあるようです。
精神科医ベッセル・ヴァン・デア・コークは、トラウマティック・ストレス―PTSDおよびトラウマ反応の臨床と研究のすべての中で、解離性の幻覚やフラッシュバックには、少量の薬物療法なら効果があるものの、DID症状には効かないことが多いと書いています。
特に幼少期にトラウマを受け、解離が続いている患者においては、侵入的な再体験は非常に生々しく、現実と区別がつかないこともある。
…フラッシュバックにおける幻覚と妄想は、解離性現象と考えたほうがよい。臨床経験からは、こうした場合、抗精神病薬をごく少量投与すると効果があることがわかっている(Sapota & Case,1991)。
トラウマにたいして解離することを覚えた患者は、新しいストレスにさらされたとき、防衛として解離を利用し続ける可能性が高い。
…多重人格性障害(現在では解離性同一性障害)の患者はしばしば幻聴を訴え(通常、頭の中で声がするという体験として)、また思考奪取、被害妄想、その他精神分裂症を示唆する症状を呈す(Klift,1987)。
しかし、これらの症状にはめったに抗精神病薬が効かないとされている(Loewenstein,Hornstein,& Faber,1988;Putnam,1989)。
同様の点について、国内の解離の専門医である杉山登志郎先生も、発達障害の薬物療法-ASD・ADHD・複雑性PTSDへの少量処方の中で書いています。
フラッシュバックにせよ、解離性幻覚にせよ、このタイプの幻覚の特徴は、抗精神病薬に対する難治性である。
また不思議なことに、解離性の幻覚は抗精神病薬にやけやたらと強い。副作用すらまったく出現しないという例もしばしば経験する。(p57)
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、過度の緊張が見られる時期には、少量かつ短期間の薬物療法によって症状を抑えることも可能ですが、あくまで薬物療法は副次的なものと考えられています。(p88)
ストレスフルな環境を変えることが大切
解離性障害は周囲に対する防衛として生じていることが多いので、ストレスフルな環境を変えることは、治療のために急務です。
たとえば理不尽な職場やストレスの多い家庭環境などの実生活が続いていると、解離性障害の症状もより悪化しがちです。
そうすると、いくらに治療をしようと改善は見込めないので、続解離性障害が述べるように、可能な範囲で、ストレッサーを遠ざけることが必要です。
しかしそれは解離自体が問題というよりは、それを起こすような仕事場でのストレスの蓄積や当時の恋人とのトラブル等の要因が関係していたのである。
そのような場合に他の人だったら、出社拒否となったり身体化を起こしたり、うつやパニック発作を発症したりするであろうが、彼女の場合は交代人格の不調和という形をとったのである。
とすれば治療的に扱う対象は解離そのものというよりは、むしろ合併症や患者を取り巻く生活状況ということになろう。(p166)
話し表現する場が必要
解離性障害の人は、水密区画化の点からわかるとおり、辛い体験を自分の内側に封じ込め、溜め込むことで対処していることがよくあります。感情を抑圧し、押し殺していることがしばしばです。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、良い理解者となる医師、カウンセラーなどの助けによって、そうした抑圧してきた感情を話して外に出したり、何らかの手段で表現して発散したりする場を持つことが、気持ちを落ちつかせるのに大きな役割を果たします。(p86)
熟練したカウンセラーの手助けによって、各人格同士のもつれた関係を解きほぐし、人格同士による一種のグループセラピー(自我状態療法)を行うことも、記憶や感情を整理するのに役立ちます。
また、NHKのニュースで触れられていたように、DIDを含め解離は、もともと創造的な傾向のある子どもが、強く慢性的なストレスを乗り越えていくために身につける生存戦略のようなものです。
なぜ知らない私が出てくるのか。
ある医師は「今、起きたことは自分の身に起きたことではない、別の人に起きたことだ」と思い込むことで、耐えがたい心身の傷から自分自身を守ろうとするからだと話していました。そして、その時の記憶を封じ込めてしまうこともあるそうです。オルガさんも「私にとっては耐えがたい暴力にさらされた子ども時代を生き抜くための創造的な対処法だった」と語っていました。
裏を返せば、解離の患者には創造的な才能や芸術的な感性を持っている人が多いと言われています。感性が豊かだからこそ他の子どもより強くショックを受け、同時に創造的な方法で乗り越えてもきた、ということができます。
それで、解離の舞台―症状構造と治療によれば、たとえ言葉を用いて抑圧してきた感情を表現できなくとも、絵画や作詩、作曲、演劇など芸術的活動を通して自分を表現してくことが回復につながるとも言われています。
彼女たちの何人かは回復過程のなかで絵やイラストを描いたり、作曲をしたりして創造的活動へと向かう。そうした症例は概して経過が良好である。
こうした表現活動は回復へのひとつの道であろう。…解離性障害の治療において大事なことのひとつは、封印された感情・記憶に表現を与えることである。(p39)
安心できる居場所をつくる
解離性障害の人たちは、子どものころから安心できる居場所を見いだせず、家庭でも学校でも怯えながら生きてきたという背景があります。
信頼できる治療者との関係や、思いやりのあるパートナーと信頼関係を育むことで、包まれる経験をするなら、少しずつ傷が癒えて安心感を抱けるようになるでしょう。
安心できる居場所を感じ取る、というのは、単なる気持ちの上の問題ではありません。身体全体で安心感を感じ取れるようになってはじめて、現実から解離していた感覚が身体に戻ってこれるようになります。
あくまで解離は防衛手段として生じていることをよく覚えておく必要があります。
つまり、まだストレスやトラウマの原因が取り除かれていないにもかかわらず、解離を解除しようとすれば、防波堤となっている保護を失って圧倒される危険があります。解離の舞台―症状構造と治療ではこう警告されています。
ただし現実感の獲得は諸刃の剣である。十分に機が熟していないときに現実感を獲得しようとすると、さらなる症状を引き出す危険性もある。
離隔の裏側に過敏があることを忘れてはならない。時にあえて現実感のなさにとどまることも、その保護機能ゆえに必要であろう。(p244)
何よりもまず、安心感を感じられる環境を整え、その上で解離に向き合うという順番を守ることが絶対に不可欠です。
オカルトには注意
解離性障害、特に解離性同一性障害(DID)は、その性質上、昔からオカルトとの関係が取り沙汰されてきた概念です。別人格がいるというのは、悪霊が憑いているとみなされてきた地域もあります。
しかし柴山雅俊先生は、解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)の中で、はっきりと、宗教・オカルトとの関わりは、症状を悪化させかねない要素の一つであると禁止しています。(p190)
特に霊的療法、スピリチュアルヒーリングといわれるものの中には、実際は何の効果もないのに、高額な費用を求めるものも多くあります。
たとえ効果があるように思えても、一時的なプラセボ効果でしかないことも少なくありません。冷静な目で見れば、怪しくいかがわしい治療法は見分けられるはずです。
また、続解離性障害にあるとおり、解離性障害の治療には催眠に似た方法が用いられることもありますが、解離性障害の人格呼び出しは、その人を操っているのではなく、実際に存在するものを表面に出す手助けをしているだけです。(p173)
そのほか、交代人格を詳細に記録するマッピングや、多重人格を題材にした作品(小説・ドラマ・映画など)を見ることなども、影響されやすいので注意が喚起されています。
交代人格を受け入れる
DIDの人は、自分の別人格に対して恐怖感や嫌悪感を抱いていることがあります。
しかしすでに述べた通り、たとえ手に負えない、理解できないように見える人格であっても、おおもとは、身代わり天使・守護天使として、当人を守り支えるために生まれてきたものです。
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、カウンセリングなどを通して、そうした点を理解し、交代人格の存在と役割を受け入れ、感謝を伝えることが、交代人格同士のつながりを回復し、最終的には結び合わせることにつながるとされています。(p96)
最初のほうで触れたNHKのニュースでは、カウンセリングによって断片的な自己が結び合わされての過程が次のように書かれていました。
医師との信頼関係が深まったころ、オルガさんの中の「3歳の私」が父親から最初に性的な虐待をされた時のことを医師に話し始めました。その声は幼く、口調も子どものものでした。
その後も、「5歳」「7歳」「12歳」とそれぞれの年齢のオルガさんが現れ、その年齢の様子で兄やその友人たちからも性暴力を受けたこと、親から売春を強要されていたことを医師に語ったのです。
意識から遠ざけるしかないほどつらい経験の数々を思いだし、1人の人間の記憶としてまとめていくカウンセリング。オルガさんは、あふれるように出てくる記憶にはどこか現実味がなく、自分の身に起きたことではないような感覚があったそうです。
「自分が話している内容が、ほかの人から届いている情報のように感じた」。
時には、殴られた時の体の痛みがよみがえることもあり、医師は根気よくカウンセリングを続け、オルガさんも逃げることなく耐えました。
「カウンセリングを受ける前は例えるなら記憶をいくつもの部屋に閉じ込めていた。幼いころの自分の体験を1つずつ部屋の中から思い出すことで記憶がつながり、回復に向かっていった」と話ていました。
解離性同一性障害の心理療法としては、専門的な知識を持っている医師やセラピストによるカウンセリングのほか、自我状態療法のような、解離の治療に特化した「内的な」家族療法ともいえる技術が役立つかもしれません。
ボトムアップの治療法
近年、解離やトラウマは「こころ」の病理ではなく「からだ」の病理であるという考え方をする専門家が増えています。
薄れた現実感を取り戻すには、「今ここ」にいる感覚を感じ取ることを目指すマインドフルネスやヨーガ、グラウンディングなどの技術が役立ちます。
こうした技法は、身体に身についた解離を解除し、生き生きとした感覚を取り戻すためのものです。
そうした考え方に基づく身体志向のセラピーについてはこちらをご覧ください。
統合よりも安定を目指す
一般に、多重人格の治療というと、別人格がなくなって、ひとつに統一されることが治療の終着点であるように思われがちですが、続解離性障害によるとそうとは限りません。
もし何人かの間に役割が決まっており、必要な情報を伝達しあい、互いを侵害せずに平和共存し「棲み分け」ることができているのであれば、ちょうど歯車がうまくかみ合っている機械のように機能することができ、特に社会適応上問題はないことになる。
実際治療が進み安定期に入ったDIDの交代人格たちは、しばしばそのような共存のしかたを見せる。(p166)
むしろ、人格を統一することで、別の精神疾患に弱くなる可能性があるということは、以前の記事でもまとめたとおりです。
さきほどのマイクロバスのたとえでいえば、行き先を誤らず、だれかが主導権をもって運転し、乗客同士が適切にコミュニケーションできるなら、複数の人が乗っているマイクロバスのままでもいいということになります。(p171)
あくまで、治療の目的は、多重人格を統合することよりも、円滑な社会生活が送れるようにすることだといえるでしょう。
そもそも、人間の内部に複数の人格が存在するのは普通であり、大切なのはそれを取りまとめて一致させることだ、という見方については、こちらの記事で詳しく考えました。
どのような経過をたどるか
解離性同一性障害の治療は、どのような経過をたどるのでしょうか。
続解離性障害によれば、注意すべき点として、治療をはじめると一時的に悪化することがあるようです。これは、治療を始めたことで自己表現が許され、今まで抑えられてきたものが一気に表面に出るからです。 (p156)
いわば記憶の隔壁を開き、今まで犠牲者人格が封印してくれていたトラウマ記憶と向き合うことになるので、心身のストレスが増し加わるのは当然です。
だからこそ、解離性同一性障害の治療をするには、何よりもまず安心できる環境を整えておくことが不可欠です。
しかし安全な環境でトラウマ記憶を処理していくことができれば、その後は、一部の患者では1-2年で人格の交代がほぼ消失し、かなりの割合の患者で人格交代の頻度が顕著に低下するとされています。(p158)
解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、解離性障害の症状は、20代半ばがピークで、年齢が進んで、30代、40代になると、落ち着いてくる人が多いとも書かれています。(p98)
しかしながら、解離という機能が防衛機制であり、脳を保護するために働いていることを考えると、中年で解離が和らぐことは、必ずしも回復を意味しないように思われます。
中年に差し掛かり、解離症状が和らぐと、隔離されていた本来のトラウマ症状が心身に表出する可能性があります。
前述のDID当事者オルガ・トゥルヒーヨが30代に差し掛かったころに、パニック障害などが表出し、トラウマ治療を始めることになったのも偶然ではないのかもしれません。解離が弱まるということは、本来あるはずの症状が表面化してくることを意味するからです。
トラウマの場合、「時が経てば癒やされる」は真実ではなく、適切なトラウマ治療に臨まないかぎり、年齢とともに症状は悪化していく傾向があります。
解離性同一性障害(DID)とうまく付き合う
このように、解離性同一性障害は、複雑な症状をともなうとはいえ、適切な治療を受ければ、さまざまな問題にうまく対処できるようになります。
残念ながら、解離性障害は、今のところまだ詳しい医師が少なく、中には否定的な専門家も多くいます。
そのため、岡野憲一郎先生は、「患者やその家族の側も正しい知識を身につけた上で医療を受けることがぜひとも必要」であり、「患者自身が自分の身を守らなくてはならない」と書いています。(p149-150)
それぞれが正しい知識を得て協力して対処するなら、DIDに振り回されることなく、安定した生活を取り戻すことができるに違いありません。
今回主にとりあげた岡野先生の本は少し専門的ですが、同著者のわかりやすい「解離性障害」入門や柴山先生の解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)はたいへん読みやすく一般向けに書かれているので、DIDに悩む当事者の方やその家族・友人の方にもおすすめです。
途中で少し触れたDID当事者のオルガ・トゥルヒーヨによる私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびては、重篤な解離の概念を理解してもらうには最善かもしれませんが、生々しい内容なので、当事者は注意が必要です。