なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム


恐れも、後悔も、混乱も、苦痛もなかった。たとえば、火事のさなかのような、ゆるやかな死の危険に伴いうる、身のすくむような恐怖は、誰一人として感じなかった。

思考の働きは通常の速さや激しさの100倍にもなった。客観的な明晰さをもって、出来事とその結果を眺めることができた。

時間は止まっていた。次いで、しばしば、自分の全過去が突然蘇ってきて、落下している者は最後に壮麗な音楽を聞く。(p328)

の間際に、これまでの人生のさまざまな思い出が映像として見える体験は、わたしたちがよく知っているとおり、日本では「走馬灯」と呼ばれてきました。

これは世界中のほとんどの地域の人が経験しうるもので、1928年、イギリスの神経学者S・A・キニア・ウィルソンによって「パノラマ記憶」(パノラマ体験、パノラマ視現象とも言われる)と命名されました。(p321)

人が死の間際に経験する現象には、ほかにも「あの世」や「三途の川」などの美しい風景を見たというものや、魂が抜け出たかのように感じる「体外離脱」などがあり、非常に多くの類似した報告があります。

たいていこれらの臨死体験は、オカルトやスピリチュアルなものとされがちですが、実際にはこのブログで何度も取り上げてきた脳の防衛機制「解離」と密接に関連した生物学的現象だと思われます。

そういえるのは、死に瀕した人が誰でもこの現象を経験するわけではないという事実、そして死に瀕さなくても、解離性障害てんかんの患者が非常に似通った経験をしているという事実があるからです。

この記事では、なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学などの本を参考に、「走馬灯」をはじめとする臨死体験の正体を探ってみたいと思います。

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これはどんな本?

今回、「走馬灯」ないしは「パノラマ記憶」について主に参考にしたのは、オランダの心理学者、ダウエ・ドラーイスマによるなぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学という本です。

本のタイトルとは裏腹に年齢による時間の認知の変化については、ほんの一部で扱われているのみなので、副題の「記憶と時間の心理学」のほうが、この本の内容をよく表していると思います。

記憶と時間について、サヴァン症候群、トラウマ記憶、デジャヴュ、離人症、コルサコフ症候群、などとても興味深い話題が数多く考察されている非常に面白い一冊で、そのうちのひとつとして「パノラマ記憶」が扱われていました。

「走馬灯」の5つの特徴

「走馬灯」体験の生物学的メカニズムについて考える前に、まず、それがどんな体験なのか知っておくことが肝要でしょう。

わたしたちは「走馬灯」についてマンガやアニメ、メディアなどを通して度々耳にしますが、実際に経験した人は決して多くないはずです。

1928年にウィルソンが「パノラマ記憶」という用語を作って以降、多くの研究者がこの不思議な体験について調査し、瀕死になったことのある人たちに質問し、統計をとってきました。

その結果、わかったのは、「走馬灯」「パノラマ記憶」の体験談には、いくつかの共通するパターンがあるということでした。

1.すべての人が見るわけではない

まず最初に注目したいのは、わたしたちのだれもが瀕死になれば「走馬灯」を見るわけではない、ということです。

心理学者ケネス・リングは、重病、事故、自殺未遂など死の一歩手前を経験して奇跡的に生還した102名にインタビューしましたが、そのうち「パノラマ記憶」を経験したと述べたのは12名のみでした。

そもそも瀕死状態を経験して生還するという経験自体が稀有なものですが、「走馬灯」を見て生還する人はさらにまれなのです。

さらに12名のうち、10名までが、故意でない突然死の危機にさらされた人たちでした。

つまり、自分の意思で飛び降り自殺を敢行した自殺未遂の人や、病気のせいでゆるやかな死に直面した人は、「走馬灯」を経験しにくかったのです。

パノラマ記憶のような体験は、急な、しかも自ら求めたのではない危険のときだけもたらされるようである。(p341)

と書かれています。

またアメリカの精神科医ラッセル・ノイス・ジュニアと臨床心理学者ロイ・クレッティが死の危険に瀕した200人以上の人たちからとったアンケートでは、さらに具体的な点も明らかになりました。(p341-342)

まず、死に瀕して「走馬灯」を見る人の多くは20歳以下でした。この本に載せられている体験談の文献も当時17歳や21歳だった人たちのものです。

次に、「走馬灯」を見た人のほとんどは、もうすぐ死ぬという確信を抱いていました。何も考えられなかった人や、大丈夫だと考えていた人に比べて、4倍も「走馬灯」を見やすかったそうです。

最後に、瀕死になった状況は、「溺死」の危険が最も多く43%を占めました。次いで自動車事故、そして転落と続きますが、「走馬灯」を経験する確率は低くなります。

それで、「パノラマ記憶」を経験しやすいのは、例外もあるとはいえ、次のようなまれな条件に遭遇した人たちであるようです。

■故意にではなく、突然、死の危険に直面する
■特に溺死や自動車事故、転落などの死の危機に瀕する
■比較的若く20歳以下で経験する
■危機的状況で、自分はもう死ぬのだ、と確信する

しかし、こうした条件がすべて整っても、「走馬灯」を経験しない可能性は十分にあります。

「パノラマ記憶」は、「溺死寸前のような、パノラマ記憶が生じる可能性がもっとも高い状況でさえ、ごくわずかな人しか体験していない」のです。(p349)

2.パノラマ・レビュー

2番目に考えるのは、「走馬灯」や「パノラマ記憶」という名称が指し示している、この体験の視覚的な性質です。

「走馬灯」という言葉からわたしたちが連想するのは、次々に映像が移り変わっていく様子です。「パノラマ記憶」という言葉からは、さらに壮大な映画のようなスケールが連想されるかもしれません。

この経験をした人の多くは、自分の過去の様子や、あるいは未来の様子までもが、次々に目の前に映しだされたと述べます。ちょうど人生のフィルムを早送り、あるいは巻き戻しするかのように次々にシーンが切り替わるのだといいます。

さらに興味深いのは、その映像は、一つの大画面で見る映画のようなものではなく、複数のスクリーンで同時にさまざまな場面を見るような感覚が伴う場合がある点です。

その一例が、すべての記憶がいっせいに同時に現れたように見えるという感覚である。

この体験はド・クインシーの「鏡のなかに並べられた」記憶や、ビューフォートの「パノラマ・レビュー」には当てはまるだろうが、映画のような、逐次的な隠喩には当てはまらないのである。(p339)

人生のさまざまな記憶が次々に、あるいは同時にいっせいに映しだされ、ものすごい速さで再生されるのが「走馬灯」であるといえるでしょう。

また、「走馬灯」のほとんどは視覚的な体験ですが、冒頭で引用したように、壮麗な音楽を伴うこともあるようです。

3.第三者視点

3つ目の点は、「走馬灯」を体験している間、本人は映像の中に入り込むのではなく、ちょうど映画の観客のように第三者視点から眺めているということです。

どの被験者にとっても、パノラマ記憶は主として視覚的体験だった。

その映像は鮮明かつ詳細だった。誰もがその体験を「外から」見ていて、自分を観客のように感じた。(p342)

「走馬灯」を経験する人はあくまで傍観者です。次々と移り変わる映像の中に、子どものころの自分や、若いころの自分の姿を見ますが、意識は遠く離れたところからその光景を見つめています。

映像はちょうどスクリーンに映しだされているかのように、ひとりでに、自動的に変化していくのです。

4.考えの洪水

4番目は思考の速度が異常な速さになることです。

瀕死状態にある、あるいは死の危険に面しているのはほんのわずかな時間でしょうが、その間に通常では考えられないほどたくさんの思考が生じます。

1871年、雪山の急斜面から落下した21歳のアルバート・ハイムは、そのときの「パノラマ記憶」体験についてこう述べました。

前に述べた「考えの洪水」は落下の最中にはじまっていた。

その5秒から10秒の間に何を考えていたかは、その10倍の時間をかけても説明することはできないだろう。

私の考えたことはすべて筋が通っていて、鮮明で、夢のように忘れやすいものではなかった。(p323)

「走馬灯」を経験する人は、そのわずかな時の間、時間の長さが何倍にも引き伸ばされたように感じられ、明晰な思考力で、さまざまなことを思考するようです。

次々と現れる映像一つ一つについて、あれこれ判断を下したり、感慨にふけったりすることもあるといいます。

5.幸福感

最後の5番目の点は、「走馬灯」経験には、幸福感が伴う、ということです。

すでに考えたとおり、「走馬灯」は突然の瀕死状態で、しかも死を確信したときに生じやすいとされています。ですから、「走馬灯」を見ている人が、その間、安心感や幸福感を感じると聞くと、意外に思う人は少なくないでしょう。

ハイムはばら色の雲が浮かんだ青空を浮遊していると感じたのに対し、士官は天国のような景観のなかを通過しているように感じた。

どちらにも不安や悲しみはなかった。すべてが喜びに満ち、楽しかった。(p332)

「走馬灯」を見ている人は、極限状況にいるわけですが、不思議なことに、ひときわ平和で心配のなかった子どものころの映像を見て、美しい景色につつまれ、喜びや幸福感を感じるのです。

「走馬灯」や「パノラマ記憶」を経験した人たちの多くが、極楽浄土や天国を垣間見たと考えるのも不思議はありません。

「走馬灯」は解離性障害と似ている

このように「走馬灯」体験には、幾つかの本質的なパターンや類似点があります。

一見すると、「走馬灯」は科学の領域を超えたスピリチュアルな現象に思えますが、これら5つの特徴は、不思議な現象の背後に、脳の防衛機制である「解離」という犯人が関与していることを物語っています。

すでに登場した研究者のノイスとクレッティは、自分たちが導き出した統計のデータを見て、「パノラマ記憶」が解離性障害の症状の一つ、「離人症」とよく似ていることに気づきました。

彼らが、パノラマ記憶が生命維持に必要な生物学的構造を持っている証拠と考えたのは、映像と、死にかけているという現実との著しい落差だった。

その意味で、パノラマ記憶は「離人症」と似ている。離人症は、トラウマを残しそうな状況において、意識をパニックや分裂から守るための適応反応である。

離人症は、時間認知の歪み、思考の高速化、離脱感、そして突然現実から離れ、自分の行動を自分が見ている感じを伴う。

ノイスとクレッティは、類似点があまりにも示唆に富んでいたので、パノラマ記憶を離人症の特殊な例と見なした。(p343)

離人症については、このブログで過去に取り上げました。

現実感がない「離人症状」とは何か―世界が遠い,薄っぺらい,生きている心地がしない原因
現実感がない、世界が遠い、半透明の膜を通して見ているような感じ、ヴェールがかかっている、奥行きがなく薄っぺらい…。そのような症状を伴う「離人症」「離人感」について症状、原因、治療法

解離性障害における離人症は、さまざまなストレスやトラウマ、生まれつきの解離しやすさなどが重なった結果、解離という脳の防衛機制が働いて、苦しく辛い現実から意識を逃避させることによって生じます。

離人症というと、現実感を喪失する病気なので、生き生きとしたリアルさを伴い、明晰な思考が伴うパノラマ記憶とは一見別物に思えます。

しかし上の記事で取り上げたとおり、解離性障害の離人症の特徴の一つは、夢が異様にリアルになることです。現実が夢のように感じられる反面、夢が現実以上にリアルに感じられるようになるのです。

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にによると、ある解離性障害の女性はこう述べています。

夢は現実よりもその画素が多い。あまりに鮮やかで綺麗で印象的。それに対して現実はあまりにぼんやりとしている。夢の方がずっと現実的なのです。(p61)

解離性障害の人たちが見る夢は、現実と区別がつかないほどリアルで、目が覚めたときに、現実なのか夢なのか混乱するほどだと言われています。

解離性障害の人たちが見やすい、解離が関係しているタイプの夢については、以下の記事でもまとめました。

解離しやすい人の変な夢ー夢の中で夢を見る,リアルな夢,金縛り,体外離脱,悪夢の治療法など
「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」など、さまざまな本を参考に、解離しやすい人が見る変な夢についてまとめました。夢の中で夢を見る、夢の中に自分がいる、リアルな夢

その特徴を調べていくと、解離性障害の人が見やすい夢は、危機的状況での「走馬灯」体験との類似点がとても多いことに気づきます。

解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病 (健康ライブラリーイラスト版)によると、まず、解離性障害の人の見る夢はスクリーンに映しだされた映画のような光景を、第三者視点で眺めていることが多いと言われています。

自分の姿を傍観者として見ることも多く、夢中自己像視と呼ばれています。(p59)

また、解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論によると、同時並行夢、つまり複数の夢を同時に見る現象も比較的解離に特有だと言われています。(p157)

五感を伴い、音楽が聞こえたり、匂いを感じたりする夢も、解離しやすい人に多いようです。

臨死体験にしばしば含まれる、自分が体から抜け出たように感じられ、第三者視点で傍観する体外離脱体験も、解離性障害にしばしばみられます。

たとえば、虐待されている子どもや、性犯罪の被害者などが、暴力行為の最中、意識を飛ばして、まるで他人を眺めるかのようにその様子を眺めていたという経験はよく聞かれます。その際、ひどい苦痛は感じず、感覚が麻痺しています。

ほかにも、解離性障害では、思考や映像がものすごい速さで脈絡なく湧き出る思考促迫自生思考と呼ばれる症状を伴うことがあります。それは「考えの洪水」と類似しています。

頭がさわがしい,次々と考えや映像が浮かぶ「思考促迫」とは何かー夏目漱石も経験した創造性の暴走
考えが次々に湧き上がる「思考促迫」「自生思考」とは何か、という点を、解離性障害、統合失調症、アスペルガー症候群との関わりなども含めてまとめました。また文学者夏目漱石が経験した、映像

解離という防衛機制は、危機的状況で脳を守るための機能なので、普段は精神的に健康な人であっても、命の危機に直面したときに強く働くことは十分に考えられます。

そうすると、危機的状況で意識を切り離して解離する人と、慢性的なストレス環境によって解離性障害になった人との主観的体験がよく似ていることは決して不思議ではありません。

解離という防衛機制の働きには個人差があり、犯罪に巻き込まれても、だれもが体外離脱を経験したり、解離性障害になったりするわけではありません。

同様に、危機的状況に直面しても、すべての人が意識の解離を経験するとは限らず、「走馬灯」を見るかどうかにも個人差があるのでしょう。

同じく解離が関係しているとされる遭難事故などの際の「サードマン現象」の場合も、遭難者全員が経験するわけではなく、経験する人にはいくつかの共通する特徴がみられると言われています。

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臨死体験の原因は何か

このように「走馬灯」をはじめとする臨死体験は、解離との関わりが考えられる生物学的な現象です。

このとき、脳の中では何が生じているのでしょうか。

脳の血流障害

まず、「走馬灯」と関わりが深い臨死体験の一つであり、解離性障害でもよくみられる体外離脱現象は、危機的状況での脳血流の不足、そしてそれに伴う酸素不足との関連が指摘されることがよくあります。

神経学者V.S.ラマチャンドランは、脳のなかの天使の中で、体外離脱のメカニズムについて説明し、ケタミンという薬剤で再現できると述べています。

この抑制は、右の前頭頭頂領域の損傷、あるいは(その回路に影響を及ぼすらしい)ケタミンという薬剤を用いた麻酔によってはずされる。

その結果、あなたは自分の体から離れはじめ、自分の痛みを感じないところまでいく。

…ときには、ほんとうに自分の体から離脱して体の上に浮かび、自分自身を外側から見ているような感じがする。

もし、この「身体性」の回路が脳の酸素欠乏にとりわけ弱いとしたら、臨死体験のときに体外離脱がよく見られることも説明がつく。(p382)

この説明によると、関係するのは、脳の前頭頭頂領域です。

また神経学者オリヴァー・サックスも、見てしまう人びと:幻覚の脳科学の中で同様の点をこう述べています。

体外離脱体験は、脳卒中や偏頭痛の最中に脳の特定部位が刺激されるときだけでなく、皮質を電気的に刺激することでも起こりうる。

さらには薬物経験や自己催眠状態でも起こるだろう。

体外離脱体験は、心停止や不整脈、またはショック状態が生じた場合、脳が十分な血液を受け取れないことによっても起こりうる。(p306-307)

これらの説明からすると、何らかの状況において、脳への血流が不足し、酸素供給が不足したときに、頭頂葉の機能が低下して、身体感覚に異常をきたすようです。

感覚遮断

続いて、「走馬灯」体験に特有の、さまざまな記憶の風景が見えるパノラマ視についても考えてみましょう。

「走馬灯」は幻視の一種と考えられますが、幻視の原因について、19世紀の終わりごろ、神経学者ヒューリングズ・ジャクソンは「感覚遮断」という要素を発見しました。

なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学にはこう書かれています。

人間の脳は感覚刺激のない状態にはほとんど対処できない。

もし単調な刺激によって感覚が機能を失ったり動かなくなったりして、外部からの刺激がとだえると、脳は緊急補給を思いつく。

過去に貯蔵されていた刺激に助けを求め、それを再処理するのである。(p344)

わたしたち人間は、視覚、聴覚などを通して、常に、外部からのさまざまな感覚信号を受け取っています。

しかしそれらの感覚器官に異常をきたして、感覚を受け取れなくなった場合、脳は勝手に感覚を作りだします。

見てしまう人びと:幻覚の脳科学によると、たとえば、視力が低下した年配の人はさまざまな豊かな幻覚を見ることがあり、シャルル・ボネ症候群として知られています。

牢屋に監禁されている囚人は、毎日ただ独房の壁を見つめているという感覚刺激に乏しい環境のせいで、幻覚が見え始めることがあり、「囚人の映画」として知られています。

視覚だけでなく聴力を失った人が幻聴を抱えたり、嗅覚を失った人が幻臭を感じたりすることもあります。

いずれにしても、外部からの感覚が途絶えると、脳はそれを補うため、記憶の中から幻を再生します。

1960年代には人為的に感覚遮断を経験できる感覚遮断タンク(アイソレーション・タンク)が開発されました。液体の中に体を浮かべることで、外部からの刺激を遮断し、幻覚を見るような変容状態を経験できるといわれています。

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「走馬灯」で生じる幻には、このような感覚遮断による幻覚と似たメカニズムが働いていると思われます。

なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学にはこう説明されています。

ブフィスターによれば、刺激遮断は生物学的な機能をそなえている。思考の超加速化によって恐怖や不安に対する通常の反応をかわし、それによって行動を麻痺させるのである。

考えが洪水のように押し寄せ、過去の人生を回顧するのは、落下したり、溺れたり、衝突したり、撃たれたりしている最中の人に、死が間近に迫っているという、トラウマを残すような現実を味わわせないためである。(p333)

ふつう、感覚遮断は、視力などを失ったり、特殊な機器や薬物を使用したときに起こるものですが、それを自然に生じさせる脳のシステムが、ここまで何度も登場している「解離」です。

解離は、危機的状況に直面したとき、意識を切り離すことによって、つまり感覚を遮断することによって心を守る働きです。

解離性障害の患者が幻視や幻聴を経験しやすいのは、トラウマ経験の結果、自分を守るために外部からの刺激を遮断するようになり、それを補うために脳が幻覚を再生しているのかもしれません。

死に瀕した状況において、「走馬灯」が生じる条件の一つは、「自分はこれから死ぬのだ」という確信だったことを思い起こしてください。

今まさに死のうとしている、という恐怖や痛みを予期したとき、脳はそれに反応して、恐怖や痛みを感じないよう、感覚を遮断し、意識を解離させるのです。

そうすると、視覚や聴覚の入力が断たれ、失われた感覚刺激を補うために、走馬灯としての幻覚や、音楽が生じることになります。

また解離によって恐怖や痛みといった感覚も遮断しているので、その瞬間には苦痛を感じることもありません。

現在でも、感覚遮断を人為的に引き起こす 先ほどの感覚遮断タンクは、線維筋痛症による激しい痛みの治療などに応用されているそうです。

身体マップのずれ

これら体外離脱体験と走馬灯はそれぞれ別のメカニズムで生じているかというと、そうではなく、お互いに関連性も多いようです。

体外離脱は体の位置感覚のずれですが、そのようなずれが生じる理由もまた感覚遮断と関係しています。

たとえば、有名な「幻肢痛」と呼ばれる症状があります。これは手や足を失った人が、失くなったはずの手足の感覚や痛みを感じるというものです。

すでに引用した脳のなかの天使の著者、V.S.ラマチャンドランは幻視痛の画期的な治療法を開発した人ですが、手足を切断したあとに、存在しないはずの手足の感覚をまだ感じるばかりか、むしろ感覚の位置がずれてしまった人たちのことを記しています。

動く幻視は奇怪だが、さらに異様な現象もある。多くの幻肢患者が、まったく反対に、幻肢が麻痺していると言い、「凍りついているようです、先生」、「コンクリートの塊のなかにあるみたいです」と言う。

なかには幻肢がねじまがって、非常な痛みをともなうおかしな位置に固定されてしまっている人もいる。(p57)

中には、手足の感覚の位置がずれすぎて、顔面から手が生えているかのように感じるようになってしまった人もいるといいます。

ラマチャンドランは、手足を失ったあと、見えない手足のイメージの位置がおかしくなってしまった人たちの原因を、感覚遮断と結びつけています。

本来、わたしたちが感じる体の位置についての情報は、GPSのように、手足から入ってくる感覚を通して、絶えず補正されていて、位置がずれないよう調整されています。

しかし手足を失うと、物理的な手足そのものはもはやないのに、そこに手足が存在するという感覚、すなわち位置情報(マップ)だけが残り、しかも肉体からのフィードバックがなくなったせいで位置がずれてしまうのです。

ラマチャンドランが開発した治療法(MVF)は、鏡に健康なほうの手足を映し、あたかも失ったもう片方の手足があるように見せ、擬似的に感覚刺激をとりもどさせることで、脳がイメージする体の位置情報(マップ)を補正するというものでした。

体外離脱してしまう人の場合も、本来の物理的な体が位置する場所と、脳がイメージする体の位置感覚とがずれてしまうために、あたかも魂が体から抜け出たかのように感じられます。

解離によって外部からの感覚が遮断されてしまったり、脳への血流が不足したりした結果、感覚統合が乱れて、実際の体の物理的な位置と、脳が感じる体の位置情報(マップ)とがずれてしまうのかもしれません。

てんかん患者の夢幻状態

最後に、ここまで考えてきた「走馬灯」や「体外離脱」、あるいは解離性障害の「離人症」なと似た感覚は、てんかん発作でも生じることが知られていて、「夢幻状態」と呼ばれています。

なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学にはこうあります。

特殊なてんかん、すなわち側頭葉てんかんの場合、発作の前兆として、パノラマ記憶と非常に共通した現象が現れることがある。

その現象とは、時間の歪み、幻覚、自分を外部から見ている感じ。親近感、フラッシュバックである。(p347)

側頭葉てんかん患者の夢幻状態では、鮮明な幻覚や既視感(デジャヴュ)など解離性障害と似た症状が数多く生じます。

夢幻状態では、美しい幻覚や恍惚感が生じるため、かつては神からの啓示だとみなされていた時代もありました。

1994年、パリのサンタンス病院で行われた研究では、「夢幻状態」を経験する16人のてんかん患者の脳に電極を取り付け、脳の働きが記録されました。

すると、「夢幻状態」では、不安や安心など感情に関係する小脳扁桃と、記憶に関係する海馬、そして感覚情報を統合する側頭葉などの部分と密接な関わりがありました。(p219)

奇跡の生還へ導く人―極限状況の「サードマン現象」によると、この種の実験は、さまざまな研究者によって行われており、脳の感覚を統合する働きを担う側頭頭頂接合部を刺激すると、体外離脱や見えない気配などの解離症状が誘発されることがわかっています。(p226-230)

つまり、幻覚、幸福感、身体マップのずれなどの解離症状は、脳のひとつながりの部分の異常によって生じる互いに関連したものといえるでしょう。

心を守ろうとする脳の不思議な機能

これら幾つかの「走馬灯」の原因、すなわち脳血流の不足や感覚遮断、身体マップのずれ、そして扁桃、海馬、側頭頭頂接合部の問題を、すべてまとめてみるとどうなるでしょうか。

なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学ではそのプロセスが、こう描写されています。

ショックや恐怖を感じた最初の瞬間、大量のアドレナリンが放出される。脳は極度の活性化状態に投げ込まれ、思考と反応がお互いに高速で次々と繰り返されるので、時間が長くなったような気になる。

次に、ストレス、痛み、酸素欠乏など、死の危険という特定の状況がもたらされ、…エンドルフィンが痛みを和らげ、感覚を抑制し…記憶と時間感覚に関する脳の部位の働きを止めてしまう。

海馬のニューロンや扁桃や側頭葉のほかの部位が自発的に働いて、意識のなかに最高速で供給され、不注意に集められた一連の映像を映し出す。(p348)

死の危機を意識したとき、脳は非常事態を感じ取って思考を超高速化し、同時に、ショックや痛みに備えて意識を解離させることで、外部からの感覚を遮断します。

感覚遮断の結果、扁桃が不安を鎮めて安心感や幸福感をもたらし、海馬の記憶から視覚イメージや音楽が再生されます。脳の酸素欠乏は、体の位置感覚のずれも引き起こし、傍観している感覚や体外離脱が生じるでしょう。

こうして、今まさに死のうとしている人は「走馬灯」ないしは「パノラマ記憶」を伴う臨死体験を経験します。

たいていの場合、その人はそのまま、過去の幸せな頃の幻影に囲まれながら、最期の瞬間の痛みも感じないまま、死の眠りにつきます。

ほんの少数の人は、幸か不幸か死を免れて、意識が戻ったときにひどい痛みや苦痛を味わう代わりに、死後の世界を垣間見た手土産でもあるかのように特異な体験談を持ち帰ります。

これがおそらくは、「走馬灯」をはじめとする臨死体験の真実なのでしょう。

しかし疑問も残ります。なぜ「走馬灯」による映画の内容は、人生のさまざまなシーンのアラベスクと決まっているのでしょうか。なぜこの世のものとも思えぬ美しい風景を見るのでしょうか。

霊的な体験と片づけてしまうのは簡単ですが、同様の経験が解離性障害のリアルな夢や側頭葉てんかんの夢幻症状でも生じることを考えると、さらに多様な観点からの研究が必要なのではないかと感じられます。

いずれにしても、現時点で明らかなのは、人間の脳には、危機的状況において脳を守ろうとする高度な機能が備わっていて、それがあるときは「走馬灯」、あるときは「体外離脱」、またあるときは「解離性同一性障害」や「サードマン現象」のような特殊な現象を生み出しているということなのです。
 

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