カウンセリングではトラウマを治療できないのはなぜか―物語ではなく経験が必要な理由

代のトラウマ研究の第一人者である、ベッセル・ヴァン・デア・コークが、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で書いている次の説明は、いささか衝撃的かもしれません。

セラピストは、話すことにはトラウマを解決する力があると考え、その力に絶対的な信頼を置いている。…残念ながら、事はそれほど単純ではない。(p379)

私たちの研究における最も重要な発見は、次の事実かもしれない。

1893年のブロイアーとフロイトの主張とは裏腹に、トラウマを、それと結びついた感情のいっさいとともに思い出しても、必ずしもトラウマは解消しないのだ。

私たちの研究は、言語が行動の代わりになりうるという考え方を支持しなかった。(p321)

ハーバード大学のジョン・レイティは、GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネスの中で、ヴァン・デア・コークのこの考え方について、もっと歯に衣着せぬ言い方でこう代弁しています。

精神科医のベッセル・ヴァンダーコークは、トラウマの権威として高く評価されている。

…長年にわたって精神科医として患者を診てきたが、トラウマについて学んだことから心理療法をやめたと公言する。

彼に言わせればトークセラピーなど「むだ話」にすぎない。

…数十年に及ぶ試行錯誤の末に、彼は、体を動かすのがいいという結論に至ったのだ。(p248)

専門家も当事者も含め、これまで多くの人は、トラウマとは「心の傷」であり、傾聴によるカウンセリングや、認知行動療法のような、対話を軸とした心理療法(トークセラピー)が役立つと教えられてきました。

しかし、近年のトラウマ医学の進歩からすれば、それは「むだ話」にすぎない、と書かれています。そして、その代わりになるのは「体を動かす」アプローチでした。

いったいこれはどういう意味でしょうか。

確かにカウンセリングを受けると、いくらか気分が楽になるかもしれません。しかし会話を中心としたセラピーには限界があり、ときには症状を悪化させることもあります。

この記事では、なぜ言葉を用いたセラピーではトラウマ症状をうまく治療できず、「トラウマ記憶を物語に変える」という手法では不十分なのか、最近の脳科学の発見に照らして考えたいと思います。

そして、行動や経験を重視する身体志向のセラピーになぜ効果があるのかを、意外な観点から考察してみました。

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会話によるカウンセリングの限界

冒頭で書いたように、今や、トラウマというと「心の病」であり、その治療のためには会話形式のカウンセリングなどのセラピーが必要だという考え方が一般的です。

基本的に、世の中に出ている本の内容や、テレビの報道などは、すべてその前提にのっとっているので、わたしも最初のころはそう思いこんでいました。

トラウマの治療とは、辛い過去の話を傾聴してあげること、認知行動療法のような手法で過去の認知を修正すること、言葉のやりとりの中で心の傷を癒やしていくことだと見なされています。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法によれば、こうした考え方は、1893年のフロイトと、その師であるブロイアーの研究までさかのぼります。

フロイトは談話を中心とする精神分析療法の発案者であり、彼の考え方は、現代のさまざまな形式の心理療法へと受け継がれてきました。

今日では、精神分析は影が薄くなっているものの、「談話療法」は健在であり、トラウマの話を詳しく語ることが、それを過去のものにするうえで役立つと、精神療法家はおおむね考えてきた。

それは認知行動療法(CBT)の基本前提でもあり、この療法は現在、世界中の大学院の心理学講座で教えられている。(p301)

確かに、このような治療法は、ある一定の成果を挙げてきました。会話を中心としたセラピーが、心理的負担をいくらか取り除くのは事実ですし、認知行動療法によって過敏な反応を減らすことができます。

しかしトラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復に書かれているとおり、そうした言葉を用いたセラピーには限界があります。

現代の心理療法は、フロイトとその弟子たちの精神分析的アプローチか、認知行動療法的アプローチが主流となっている。

しかし、人間の苦痛を緩和するこれらの手段は、トラウマとその潜在的な記憶の刷り込みへの対処に関しては限界を持つ。

これら従来の治療法は両方とも、トラウマに関連する一部の機能不全には確かに対処しているが、原因の根本には到達していない。(p5)

それら言葉を用いたセラピーの限界を感じてきたのは、何をおいてもまず、トラウマを負った当事者たちでしょう。

身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法には、2001年のツインタワービルの同時多発テロ事件のときの、こんなエピソードがありました。

2001年9月、国立保健研究所、製薬会社ファイザー、ニューヨークタイムズ社財団といった組織が、世界貿易センターへのテロ攻撃によってトラウマを負った人々への最善の治療法を推奨するための、専門委員会を設けた。

…長々しい討議のあとに委員会が推奨したのは、たった二種類の治療法だけだった。精神分析を重視するセラピーと、認知行動療法だ。

…推奨された治療法が承認されると、私たちはニューヨーカーがセラピストの治療室を訪れるのを、ただ待った。だが、ほとんど誰もやって来なかった。(p378)

同時多発テロの直後、トラウマ治療の専門家たちは、重大なトラウマを負った人たちを治療しようと、会話形式の治療法の代表ともいえる精神分析と認知行動療法を引っさげて待ちかまえていました。

しかしその思惑とは裏腹に、トラウマを負った人たちは、そうした治療法を望んでいませんでした。彼らは認知行動療法や精神分析のセラピストのもとを訪れる代わりにどこへ行ったのでしょうか。

グリニッチヴィレッジの今はもうない聖ヴィンセント病院で精神科を取り仕切っていたスペンサー・エズ医師は、生存者たちはどこに助けを求めたのかに興味を持ち、2002年の初めに医学生たちとともに、ツインタワーから逃げ延びた225人に関する調査を行なった。

自分の体験の影響を乗り越えるのに何が最も役立ったかを訊かれた生存者は、鍼治療、マッサージ、ヨーガ、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)を、この順番で挙げた。

…生存者の経験と専門家が推奨するものとに食い違いがあったことは、興味深い。

…トークセラピーへの関心が明らかに低かったことから、根本的な疑問が湧いてきた。(p378-379)

トラウマを負った人は、トークセラピーの専門家のもとへ行く代わりに、さまざまな身体志向の治療の専門家たちのもとに助けを求めていたのです。

それらの多くは、主流医学の専門家たちからは、効果の乏しい「代替治療」としか見なされていないものばかりです。しかし当事者たちは、「自分の体験の影響を乗り越えるのに…最も役立った」方法としてそれらを挙げました。

これは、トラウマの当事者たちが無学で愚かなだけなのでしょうか。本当はもっと効果的な専門医療を受けられたはずなのに、素人判断で怪しい代替治療に望みをかけ、たまたまプラセボ効果でよくなった例にすぎないのでしょうか。

もしそう考える人がいるとしたら、当事者たちを見くびりすぎです。

知識は経験に勝りません。教科書で知識を学んだだけの医者たちと違って、実際にトラウマを経験した当事者たちが、トークセラピーでは不十分だとみなすとしたら、それにはもっともな理由があるはずです。

これから考えるように、現代の脳科学は、この専門家と当事者の認識の食い違いにおいて、当事者の側の認識のほうが正しかったということを証明しています。

理解しても、感じ方は変わらない

なぜトラウマを経験した当事者たちは、会話を中心としたセラピーでは十分に効果がないと感じるのでしょうか。

その理由はたとえば、次の例からわかるでしょう。

トラウマと身体 センサリーモーター・サイコセラピー(SP)の理論と実際に出てくるミーガンは、過去の虐待のせいで、職場でちょっと注意されただけでも、無意識のうちに怖くなって萎縮してしまうことに悩まされていました。

ミーガンは、自分は危険ではないと「知って」はいましたが、身体は危険だと訴えていました。

…実際にトラウマをもつ人は、理性(mind)ではなく身体のリアリティーを体験する必要があります。

…ミーガンの場合には、単に認知的なアプローチだけでは、統合能力にある程度の変化をもたらすでしょうが、仕事で注意するたびに萎縮する反応が再活性化するならば、変化はその場限りのものになります。(p250-251)

ミーガンは「認知的なアプローチ」、つまり、従来の会話を中心にしたカウンセリングでは不十分でした。

彼女は、虐待は過去のもので、もう自分は危険ではないと認知できていました。言い換えると、頭ではわかっていました。それなのに身体が勝手に、同僚の前で萎縮するのを防げないでいたのです。

同様のことを、ヴァン・デア・コークも、身体はトラウマを記録するーー脳・心・体のつながりと回復のための手法の中で書いています。

なぜ私たちは、ただ理性に従うわけにはいかないのか。理解は助けになるのだろうか。

理性的で実行機能のある脳が上手に手助けしてくれるので、私たちは自分の抱いている感情の由来を説明できる

(「男性に近寄るとおびえてしまうのは、父に性的虐待をされたからだ」「息子への愛情表現が下手なのは、イラクで子供を殺したことに罪に意識を持っているからだ」というように)。

とはいえ、理性脳は、情動や感覚や思考をなくすことはできない

(レイプされたのは自分のせいではないと理性ではわかっていても、漠然とした脅威を覚えながら生きていたり、自分は根本的にひどい人間なのだと感じていたりする)。

なぜそう感じるのかを理解しても、どのように感じるのかは変わらない。(p335)

先ほどのミーガンの例と同じです。トラウマを負った人が悩まされるのは、過去の辛い体験を理性的に考えられないことではないのです。

認知行動療法をはじめ、言葉を主体としたセラピーは、この「理性的」な部分を強化する治療法です。理性を強化すれば、感情的な反応を抑制できる、という考え方に基づくものです。

冷静に、理性的に、落ち着いて思考することができれば、感情的な「心の問題」に振り回されることがなくなる、と専門家たちは信じています。

しかし現実はそうではありません。トラウマを抱える人たちは、頭ではわかっているのに、身体が反応してしまうこと、つまり「なぜそう感じるのかを理解しても、どのように感じるのかは変わらない」ことに悩まされているのです。

以前の記事でも触れたように、ヴァン・デア・コークの患者のキャシーは、ネガティブな考え方を正すよう言われたときにこう訴えました。

そう、そのとおりですよ。私は周りの人に何か悪いことが起こると、本能的に全部自分のせいにします。

それが道理にかなっていないことは百も承知していますし、もっと道理をわきまえるように先生が説得しようとすると、私はなおさら寂しくて孤独に感じるだけで、私という人間がありのままの自分でいるのがどんな感じなのか、世界中の誰一人としてけっして理解してくれないだろうという思いが裏づけられることになります」(p213)

身体に刻まれた「発達性トラウマ」―幾多の診断名に覆い隠された真実を暴く
世界的なトラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コークによる「身体はトラウマを記録する」から、著者の人柄にも思いを馳せつつ、いかにして「発達性トラウマ」が発見されたのかという

キャシーは、自分が道理にかなっていない考え方をしていることを、頭ではわかっていました。しっかり認知していました。それなのに、どうやってもその傾向を変えられないことに苦悩していました。

これこそが、先ほど考えた専門家と当事者の認識の食い違いの根本原因です。

トラウマを実際に経験したことのない専門家たちは、言葉を用いたカウンセリングで混乱した感情を整理し、理性の働きを強化すれば、トラウマが引き起こす感情や苦痛はコントロールできるようになると考えるかもしれません。

しかし、実際にトラウマを経験した当事者たちは、いくら過去を冷静に認知し、考え方を変化させ、理性を強化したところで、「なぜそう感じるのかを理解しても、どのように感じるのかは変わらない」ことを身をもって体験します。

精神療法家はたいてい、人が洞察と理解に頼って自分の行動を管理するのを手伝おうとする。だが、神経科学の研究で明らかになっているように、理解の不足から生じる精神的問題はほとんどない。

…こんなコメディが頭に浮かぶ。怒りの管理プログラムに七度も参加した人が、自分の習った技法を絶賛する。

「見事といったらない。素晴らしい効き目がある―本当に頭にきていないかぎりは」(p108)

要するに、いくら認知を変えて洞察や理解を深めても、本当に必要なときには役に立ちません。本当に頭にきたときには、認知を修正して怒りを抑える方法などすっかり忘れてしまうように。

いくら考え方を変えるように言われても、うまくできないという経験を繰り返せば、自分がいかにどうしようもない意志薄弱なダメ人間かを思い知らされて落ち込むだけです。

けれども、それは実際には当人の意志が弱いせいではありません。間違っているのは、トラウマの性質を理解していない専門家のほうなのです。

ヴァン・デア・コークはそのことを認め、こう書いています。

私は、自分が受けた、理解と洞察に焦点を絞る専門教育が、自己の土台である生身の体の重要性をほとんど無視していたことに気づいた。

シェリーは、スキン・ピッキングをするのが有害なことや、それが母親によるネグレクトと関連していることを承知していたが、その衝動の根源を理解したところで、彼女がそれを制御するのを手伝ううえでは何の役にも立たなかったのだ。(P148-149)

「理解と洞察に焦点を絞る専門教育」の医療ではなぜシェリーの問題を解決できなかったのでしょうか。

無意識の身体の反応は意識よりも速い

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンスによる最新のトラウマ・ケアでは、トラウマの性質を考えるにあたり、有名なベンジャミン・リベットの研究が引き合いに出されています。

神経外科医でありカリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部の神経生理学者でもあるベン・リベットが30年間にわたって行った一連の研究は、多くのことを示してくれているにもかかわらず、あまり知られていない。(p374)

このリベットの実験は、いわゆる「人間には自由意志があるかないか」という論争において、頻繁に引き合いに出されます。ネット上でも、「自由意志 リベット」で検索すれば、この実験の詳細な説明はごまんと出てきます。

この実験が「あまり知られていない」と言えるのは、それが自由意志の問題だけでなく、トラウマの性質を考える上でとても重要な事実を明らかにしている点です。

リベットは簡単に言えば、わたしたちの意志による決定と、身体の反応のどちらが先に生じているかを計測しました。その結果、何がわかったでしょうか。

脳の活動が、行動の決意を認識するよりも約500ミリ秒の(1秒の半分!)前に始まったのだ。

意識的な決意は、行動の原因となるにはあまりにも遅すぎる。

これはまるで、意識が単なる後知恵、つまり「自分に対する説明」の方法であって、行動は意識によって引き起こされるわけではないかのようだ。

…ヒトは、脳が無意識的に行動の準備を整えた後、ようやく行動を決意するのだ。(p375)

わたしたちは、まず自分の頭で考えて、それから体が行動している、と思い込んでいます。

しかし実験によると、それは逆でした。驚くべきことに、まず身体の生理的な反応が0.5秒先立っていて、それから意識が判断を下していたのです。自分の行動を内省できるようになるのはさらに後です。

トラウマの当事者たちが感じていた「なぜそう感じるのかを理解しても、どのように感じるのかは変わらない」理由がここにあります。

わたしたちは意識的に判断して行動しているわけではありません。理性で認知するよりも先に「脳が無意識的に行動の準備を整え」ています。

頭で考えるより身体が反応するほうが先なので、いくら理性的に認知したところで「あまりにも遅すぎ」て間に合わないのです。

別の記事で考えたように、今やトラウマとは、「心の傷」でも感情的な問題でもなく、身体に記録された条件反射だということがわかっています。

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