すべての子を同じ型に押し込める教育のいびつさがもたらす病気

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10/6付の毎日新聞 地方版に、脳脊髄液減少症:「柔道授業、安全配慮を」という記事が掲載されました。脳脊髄液減少症の第一人者、脳神経外科医の 篠永正道教授が、柔道の危険性について警鐘を鳴らしています。

脳脊髄液減少症:「柔道授業、安全配慮を」 篠永教授が講演 /静岡- 毎日jp(毎日新聞)(リンク切れ)

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脳脊髄液減少症とは

脳脊髄液減少症は、記事の説明によると、『転倒やスポーツ、交通事故など、比較的軽微な外傷で発症し、頭痛やめまい、耳鳴りなど「頭のてっぺんから足の先まで」さまざまな症状が表れる』病気です。

重症時には、慢性疲労症候群(CFS)ととても似た症状が表れます。いわゆる類似疾患であるため、このブログでも何度も紹介してきました。

【7/5】「あなたの頭痛 大丈夫?原因不明は“髄液漏れ”か」まとめ
2012年7月5日(木)にFNNで放送された脳脊髄液減少症を紹介した番組「あなたの頭痛 大丈夫? 原因不明は“髄液漏れ”か」のまとめです。脳脊髄液減少症とは何でしょうか、どんな原因

統計からみる柔道の危険性

篠永教授は、このたび柔道が必修化されたことで、脳脊髄液減少症の子どもが増えることを懸念し、「大人よりも子どもの方が脳脊髄液は漏れやすい」と述べています。

発症の可能性が高くなることはもちろん、子どもの脳脊髄液減少症の場合、原因不明の体調不良として見過ごされやすく、不登校につながったり、怠けていると非難されて精神的に苦痛を味わったりすることも危惧されると思います。

柔道の危険性については、以前、名古屋大学の統計調査によって危険性が明らかになったことが思い出されます。

中高生114人、柔道で死亡していた…名大調査 : アラカルトニュース : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)

 上記の記事によると、柔道による学生の年間死者数は、二位のバスケットボールを大きく引き離しています。これは死者数ですから、怪我や原因不明の体調不良につながっている膨大な症例の氷山の一角にすぎないでしょう。

「首の筋力などが未発達なうちに、安易に立ち技や乱取りを行わせるのは危険」という内田准教授の意見は、篠永正道教授の懸念と共通しています。

柔道そのものが悪いというわけではありません。しかし、子どもたちそれぞれの体格や身体能力を無視して、体に負担のかかる柔道を教育として画一化することには疑問を感じます。

今後、柔道の必修化によって子どもたちに脳脊髄液減少症という病気が増えることは覚悟しておかなければならないでしょう。

柔道の事故による子どもたちの脳脊髄液減少症―個性を度外視した教育の弊害を考える
柔道必修化と脳脊髄液減少症の発症について、対策が後手に回っていることが書かれています。

画一化されたものさし

この問題は、ちょうど、昨日話題になった以下のエントリの一枚の絵が表す状況そのままかもしれません。

「今の教育って、つまりこういうことだよね」1枚のイラストで説明:らばQ

 わたしは、このエントリの絵を見て、物理学者アルベルト・アインシュタインの言葉を念頭に置いて描かれたのかもしれない、と感じました。

アインシュタインは、木のぼりができないからといって、魚には才能がないと考えたりしない、といった旨の言葉を述べたようです。柔道という画一化されたものさしをあらゆる生徒に強制するのは、子どもの個性をないがしろにすると言えるかもしれません。

自分と他人を同じ物差しで比べるのは、魚を木登りで評価しているようなもの : ライフハッカー[日本版]

※追記:実際にはアインシュタインの言葉ではないそうです。

 教育の場における画一化は今に始まった問題ではなく、小児慢性疲労症候群(CCFS)の研究者、三池輝久先生も書籍 学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている の中で強い論調で批判し、嘆いておられます。

このような選択の自由がない教育、一律化された教育は、子どもたちの脳のアンバランスさにつながり、小児慢性疲労症候群(CCFS)発症の引き金になる、というわけです。

教育制度はだれのためにあるのか

現在の教育制度を担う人たちは、「自分たちの時代は一人ひとりを特別扱いしていなかったし、自分たちはそれでなんともなかったのだから、今の若者も同じようにするのは当然だ」、と考えるかもしれません。

あるいは、「若いころは、多少の苦労は買ってでもすべきだ、わがままを言わせてはいけない」と主張する方もいるでしょう。

しかし、今は当時にはない研究データの蓄積があり、かつてのやり方を続けるなら、環境の変化に弱い子どもや、他の大多数と違った個性を持つ子どもがついていけないことがはっきりしています。

過去と今が同じであって良いはずがありません。学校は進歩することを教える場であるのに、学校そのもののあり方が旧態依然としているなら、それは何とも皮肉なことです。

教育の場は、柔軟に新しい見解を取り入れ、時代に合わせて変化しなければなりません。いつまでも過去のやり方に固執している学校から、未来を担う子どもたちが育つはずがありません。

現在の教育者たちは、いつまで教育過程について来ることができない子どもを、「家庭の問題」「心の弱さ」と決めつけて切り捨てるのでしょうか。子どもに学ぶことの大切さを教えている教育者たちが、自分では学ぼうとしないのはどうしてでしょうか。

本当に公平な教育とは、すべての人を同じ型に押し込めることではなく、ひとりひとりの能力を発揮できる環境を備えてあげることだと、わたしは思います。制度に子どもを合わせるのではなく、子どもに制度をあわせるべきです。

ほんの少しとはいえ、“教えること”に関わっている者の一人として、現在のいびつで不自然な学校環境が、小児慢性疲労症候群(CCFS)の子どもたちを増やし、若年性線維筋痛症、化学物質過敏症、脳脊髄液減少症の子どもたちを生んでいることを考えると、憂えずにはいられません

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