なぜ人は死の間際に「走馬灯」を見るのか―解離として考える臨死体験のメカニズム


恐れも、後悔も、混乱も、苦痛もなかった。たとえば、火事のさなかのような、ゆるやかな死の危険に伴いうる、身のすくむような恐怖は、誰一人として感じなかった。

思考の働きは通常の速さや激しさの100倍にもなった。客観的な明晰さをもって、出来事とその結果を眺めることができた。

時間は止まっていた。次いで、しばしば、自分の全過去が突然蘇ってきて、落下している者は最後に壮麗な音楽を聞く。(p328)

の間際に、これまでの人生のさまざまな思い出が映像として見える体験は、わたしたちがよく知っているとおり、日本では「走馬灯」と呼ばれてきました。

これは世界中のほとんどの地域の人が経験しうるもので、1928年、イギリスの神経学者S・A・キニア・ウィルソンによって「パノラマ記憶」(パノラマ体験、パノラマ視現象とも言われる)と命名されました。(p321)

人が死の間際に経験する現象には、ほかにも「あの世」や「三途の川」などの美しい風景を見たというものや、魂が抜け出たかのように感じる「体外離脱」などがあり、非常に多くの類似した報告があります。

たいていこれらの臨死体験は、オカルトやスピリチュアルなものとされがちですが、実際にはこのブログで何度も取り上げてきた脳の防衛機制「解離」と密接に関連した生物学的現象だと思われます。

そういえるのは、死に瀕した人が誰でもこの現象を経験するわけではないという事実、そして死に瀕さなくても、解離性障害てんかんの患者が非常に似通った経験をしているという事実があるからです。

この記事では、なぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学などの本を参考に、「走馬灯」をはじめとする臨死体験の正体を探ってみたいと思います。

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これはどんな本?

今回、「走馬灯」ないしは「パノラマ記憶」について主に参考にしたのは、オランダの心理学者、ダウエ・ドラーイスマによるなぜ年をとると時間の経つのが速くなるのか 記憶と時間の心理学という本です。

本のタイトルとは裏腹に年齢による時間の認知の変化については、ほんの一部で扱われているのみなので、副題の「記憶と時間の心理学」のほうが、この本の内容をよく表していると思います。

記憶と時間について、サヴァン症候群、トラウマ記憶、デジャヴュ、離人症、コルサコフ症候群、などとても興味深い話題が数多く考察されている非常に面白い一冊で、そのうちのひとつとして「パノラマ記憶」が扱われていました。

「走馬灯」の5つの特徴

「走馬灯」体験の生物学的メカニズムについて考える前に、まず、それがどんな体験なのか知っておくことが肝要でしょう。

わたしたちは「走馬灯」についてマンガやアニメ、メディアなどを通して度々耳にしますが、実際に経験した人は決して多くないはずです。

1928年にウィルソンが「パノラマ記憶」という用語を作って以降、多くの研究者がこの不思議な体験について調査し、瀕死になったことのある人たちに質問し、統計をとってきました。

その結果、わかったのは、「走馬灯」「パノラマ記憶」の体験談には、いくつかの共通するパターンがあるということでした。

1.すべての人が見るわけではない

まず最初に注目したいのは、わたしたちのだれもが瀕死になれば「走馬灯」を見るわけではない、ということです。

心理学者ケネス・リングは、重病、事故、自殺未遂など死の一歩手前を経験して奇跡的に生還した102名にインタビューしましたが、そのうち「パノラマ記憶」を経験したと述べたのは12名のみでした。

そもそも瀕死状態を経験して生還するという経験自体が稀有なものですが、「走馬灯」を見て生還する人はさらにまれなのです。

さらに12名のうち、10名までが、故意でない突然死の危機にさらされた人たちでした。

つまり、自分の意思で飛び降り自殺を敢行した自殺未遂の人や、病気のせいでゆるやかな死に直面した人は、「走馬灯」を経験しにくかったのです。

パノラマ記憶のような体験は、急な、しかも自ら求めたのではない危険のときだけもたらされるようである。(p341)

と書かれています。

またアメリカの精神科医ラッセル・ノイス・ジュニアと臨床心理学者ロイ・クレッティが死の危険に瀕した200人以上の人たちからとったアンケートでは、さらに具体的な点も明らかになりました。(p341-342)

まず、死に瀕して「走馬灯」を見る人の多くは20歳以下でした。この本に載せられている体験談の文献も当時17歳や21歳だった人たちのものです。

次に、「走馬灯」を見た人のほとんどは、もうすぐ死ぬという確信を抱いていました。何も考えられなかった人や、大丈夫だと考えていた人に比べて、4倍も「走馬灯」を見やすかったそうです。

最後に、瀕死になった状況は、「溺死」の危険が最も多く43%を占めました。次いで自動車事故、そして転落と続きますが、「走馬灯」を経験する確率は低くなります。

それで、「パノラマ記憶」を経験しやすいのは、例外もあるとはいえ、次のようなまれな条件に遭遇した人たちであるようです。

■故意にではなく、突然、死の危険に直面する
■特に溺死や自動車事故、転落などの死の危機に瀕する
■比較的若く20歳以下で経験する
■危機的状況で、自分はもう死ぬのだ、と確信する

しかし、こうした条件がすべて整っても、「走馬灯」を経験しない可能性は十分にあります。

「パノラマ記憶」は、「溺死寸前のような、パノラマ記憶が生じる可能性がもっとも高い状況でさえ、ごくわずかな人しか体験していない」のです。(p349)

2.パノラマ・レビュー

2番目に考えるのは、「走馬灯」や「パノラマ記憶」という名称が指し示している、この体験の視覚的な性質です。

「走馬灯」という言葉からわたしたちが連想するのは、次々に映像が移り変わっていく様子です。「パノラマ記憶」という言葉からは、さらに壮大な映画のようなスケールが連想されるかもしれません。

この経験をした人の多くは、自分の過去の様子や、あるいは未来の様子までもが、次々に目の前に映しだされたと述べます。ちょうど人生のフィルムを早送り、あるいは巻き戻しするかのように次々にシーンが切り替わるのだといいます。

さらに興味深いのは、その映像は、一つの大画面で見る映画のようなものではなく、複数のスクリーンで同時にさまざまな場面を見るような感覚が伴う場合がある点です。

その一例が、すべての記憶がいっせいに同時に現れたように見えるという感覚である。

この体験はド・クインシーの「鏡のなかに並べられた」記憶や、ビューフォートの「パノラマ・レビュー」には当てはまるだろうが、映画のような、逐次的な隠喩には当てはまらないのである。(p339)

人生のさまざまな記憶が次々に、あるいは同時にいっせいに映しだされ、ものすごい速さで再生されるのが「走馬灯」であるといえるでしょう。

また、「走馬灯」のほとんどは視覚的な体験ですが、冒頭で引用したように、壮麗な音楽を伴うこともあるようです。

3.第三者視点

3つ目の点は、「走馬灯」を体験している間、本人は映像の中に入り込むのではなく、ちょうど映画の観客のように第三者視点から眺めているということです。

どの被験者にとっても、パノラマ記憶は主として視覚的体験だった。

その映像は鮮明かつ詳細だった。誰もがその体験を「外から」見ていて、自分を観客のように感じた。(p342)

「走馬灯」を経験する人はあくまで傍観者です。次々と移り変わる映像の中に、子どものころの自分や、若いころの自分の姿を見ますが、意識は遠く離れたところからその光景を見つめています。

映像はちょうどスクリーンに映しだされているかのように、ひとりでに、自動的に変化していくのです。

4.考えの洪水

4番目は思考の速度が異常な速さになることです。

瀕死状態にある、あるいは死の危険に面しているのはほんのわずかな時間でしょうが、その間に通常では考えられないほどたくさんの思考が生じます。

1871年、雪山の急斜面から落下した21歳のアルバート・ハイムは、そのときの「パノラマ記憶」体験についてこう述べました。

前に述べた「考えの洪水」は落下の最中にはじまっていた。

その5秒から10秒の間に何を考えていたかは、その10倍の時間をかけても説明することはできないだろう。

私の考えたことはすべて筋が通っていて、鮮明で、夢のように忘れやすいものではなかった。(p323)

「走馬灯」を経験する人は、そのわずかな時の間、時間の長さが何倍にも引き伸ばされたように感じられ、明晰な思考力で、さまざまなことを思考するようです。

次々と現れる映像一つ一つについて、あれこれ判断を下したり、感慨にふけったりすることもあるといいます。

5.幸福感

最後の5番目の点は、「走馬灯」経験には、幸福感が伴う、ということです。

すでに考えたとおり、「走馬灯」は突然の瀕死状態で、しかも死を確信したときに生じやすいとされています。ですから、「走馬灯」を見ている人が、その間、安心感や幸福感を感じると聞くと、意外に思う人は少なくないでしょう。

ハイムはばら色の雲が浮かんだ青空を浮遊していると感じたのに対し、士官は天国のような景観のなかを通過しているように感じた。

どちらにも不安や悲しみはなかった。すべてが喜びに満ち、楽しかった。(p332)

「走馬灯」を見ている人は、極限状況にいるわけですが、不思議なことに、ひときわ平和で心配のなかった子どものころの映像を見て、美しい景色につつまれ、喜びや幸福感を感じるのです。

「走馬灯」や「パノラマ記憶」を経験した人たちの多くが、極楽浄土や天国を垣間見たと考えるのも不思議はありません。

「走馬灯」は解離性障害と似ている

このように「走馬灯」体験には、幾つかの本質的なパターンや類似点があります。

一見すると、「走馬灯」は科学の領域を超えたスピリチュアルな現象に思えますが、これら5つの特徴は、不思議な現象の背後に、脳の防衛機制である「解離」という犯人が関与していることを物語っています。

すでに登場した研究者のノイスとクレッティは、自分たちが導き出した統計のデータを見て、「パノラマ記憶」が解離性障害の症状の一つ、「離人症」とよく似ていることに気づきました。

彼らが、パノラマ記憶が生命維持に必要な生物学的構造を持っている証拠と考えたのは、映像と、死にかけているという現実との著しい落差だった。

その意味で、パノラマ記憶は「離人症」と似ている。離人症は、トラウマを残しそうな状況において、意識をパニックや分裂から守るための適応反応である。

離人症は、時間認知の歪み、思考の高速化、離脱感、そして突然現実から離れ、自分の行動を自分が見ている感じを伴う。

ノイスとクレッティは、類似点があまりにも示唆に富んでいたので、パノラマ記憶を離人症の特殊な例と見なした。(p343)

離人症については、このブログで過去に取り上げました。

現実感がない「離人症状」とは何か―世界が遠い,薄っぺらい,生きている心地がしない原因
現実感がない、世界が遠い、半透明の膜を通して見ているような感じ、ヴェールがかかっている、奥行きがなく薄っぺらい…。そのような症状を伴う「離人症」「離人感」について症状、原因、治療法

解離性障害における離人症は、さまざまなストレスやトラウマ、生まれつきの解離しやすさなどが重なった結果、解離という脳の防衛機制が働いて、苦しく辛い現実から意識を逃避させることによって生じます。

離人症というと、現実感を喪失する病気なので、生き生きとしたリアルさを伴い、明晰な思考が伴うパノラマ記憶とは一見別物に思えます。

しかし上の記事で取り上げたとおり、解離性障害の離人症の特徴の一つは、夢が異様にリアルになることです。現実が夢のように感じられる反面、夢が現実以上にリアルに感じられるようになるのです。

解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)にによると、ある解離性障害の女性はこう述べています。

夢は現実よりもその画素が多い。あまりに鮮やかで綺麗で印象的。それに対して現実はあまりにぼんやりとしている。夢の方がずっと現実的なのです。(p61)

解離性障害の人たちが見る夢は、現実と区別がつかないほどリアルで、目が覚めたときに、現実なのか夢なのか混乱するほどだと言われています。

解離性障害の人たちが見やすい、解離が関係しているタイプの夢については、以下の記事でもまとめました。

解離しやすい人の変な夢ー夢の中で夢を見る,リアルな夢,金縛り,体外離脱,悪夢の治療法など
「解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病」など、さまざまな本を参考に、解離しやすい人が見る変な夢についてまとめました。夢の中で夢を見る、夢の中に自分がいる、リアルな夢