見捨てられ不安にとらわれる「不安型愛着スタイル」―完璧主義,強迫行為,パニックなどの背後にあるもの


境界性パーソナリティ障害の場合、うつや不安障害、睡眠障害といった問題だけでなく、ADHD(注意欠如・多動性障害)や依存症、摂食障害、解離性障害といった診断がつくことも珍しくありません。

診断名ばかりが、ずらっと並ぶわけです。その治療を別々の医者から受けているというケースもあります。

…結局、大本で何が起きているのかということをトータルでみる視点が必要なのです。そして、それを可能にしたのが、先に述べた愛着障害という視点です。(p89)

しい気分の波があり、ささいな言動に傷つきパニックになり、いつも頑張りすぎてしまう。激しい嵐のさなかで荒れ狂う波に揺られる船のような日常生活を送っている人たち。

そのような人たちは、これまで、病院ごとにさまざまな診断名を下されることがありました。たとえば、ADHD、全般性不安障害、強迫性障害、パニック障害、うつ病、双極性障害などです。

しかし決してそれらの症状は別々のものではなく、複数の病気が一人の人に相次いで噴出しているわけでもありません。

冒頭で引用したのは、精神科医の岡田尊司先生の、絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書) という本の説明です。

これまでの医療では「木を見て森を見ず」「症状を見て人を見ず」といった傾向のため、表面に表れるさまざまな症状に一つずつ名前をつけて、結局何なのかわからない、ということが少なくありませんでした。

しかし愛着障害という概念の登場によって、枝葉のような症状ではなく、おおもとの幹そのものという、たった一つの原因を理解し、本当に必要な治療を施すことが可能になってきたといいます。

完璧主義や、強迫行為、絶え間ない不安やパニック症状に悩まされている人に必要なのは、愛着障害、つまり「絆の病」というただ一つのキーワードから、表面的な症状ではなく、自分という一人の人間全体を見つめなおすことです。

「絆の病」とは何でしょうか。なぜ「絆の病」について知ると、さまざまな症状の原因が理解できるのでしょうか。治療に役立つ、どのようなアプローチがあるのでしょうか。

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これはどんな本?

絆の病: 境界性パーソナリティ障害の克服 (ポプラ新書)は、精神科医の岡田尊司先生と作家・ウェブデザイナーの咲セリさんによる対談形式の本です。

岡田先生は、思春期の心の病を専門としていて、特に愛着障害についての数多くの著書で知られています。

そして咲さんは、愛着障害の中でも、ひときわ治療が難しいとされる境界性パーソナリティ障害(ボーダーライン)を克服してこられた方です。

この二人がそれぞれの観点から、愛着障害の人が抱える気持ちや葛藤、役立つアドバイスなどを語り合った本書は、岡田先生の数ある愛着障害の本の中でも、ひときわ内容がわかりやすく、心にすっと入ってくる一冊でした。

特に、愛着障害の中でも、見捨てられ不安が強く、他の人の愛情に敏感な「不安型」(とらわれ型)と呼ばれる傾向が強い人にとっては、自分自身の取扱説明書になる最高の一冊ではないかと思います。

「絆の病」とは

この本のタイトルになっている「絆の病」とは、岡田先生が愛着障害という言葉をわかりやすくするために用いている表現です。

もともと愛着障害(アタッチメント障害)とは、虐待やネグレクトを受けた子どもに見られる症状で、ADHDなどの発達障害と極めて似た特徴を示すことから、「第四の発達障害」などと呼ばれてきました。

しかし、一見それほど問題がなさそうに思える家庭で育った子どもにも、程度の差こそあれ不安定な愛着が見られることがあり、それが、境界性パーソナリティ障害をはじめ、思春期以降のさまざまな心の問題の原因となっていることがわかってきました。

その点は、岡田先生による、愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)に詳しく書かれてあり、このブログではこちらの記事にまとめてあります。

長引く病気の陰にある「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」
愛着理論によると、子どものころの養育環境は、遺伝子と同じほど強い影響を持ち、障害にわたって人生に関与するとされています。愛着の傷は生きにくさやさまざまなストレスをもたらす反面、創造

今回の本で、岡田先生は、愛着障害を「絆の病」という表現を用いて言い換え、こう説明しています。

愛着障害だということは、言い換えれば「絆の病」だということです。

それは、本人だけの「病気」というよりも、多くの場合は、本人と親との関係に遡る問題だということです。

…境界性パーソナリティ障害は、不安定な絆しかもてなかった人が、確かな絆を手に入れようとして必死にもがいている姿そのものなのです。(p90)

「絆の病」のおおもとにある、愛着という生物学的な現象には、言語学習と同じような、感受性期や臨界期があります。つまり、幼いころのある時期までの経験が重要な意味を持つということです。

愛着の感受性期は生後半年から一歳半ごろとされていて、おもにその幼い頃のわずかな期間に、どのような養育環境で育ったかが、それ以降の人生や人間関係のパターンに大きな影響を与えます。

そして、その後の子ども時代の家庭環境もまた、幼い時期の経験ほど大きな影響は持たないとはいえ、ある程度は愛着のパターンの形成に影響すると言われています。

「不安型」(とらわれ型)の愛着障害とは

愛着には4つのパターンがあり、それぞれ「安定型」「不安型」「回避型」「混乱型」と呼ばれています。

この本で扱われているのは、特に幼い時期に過干渉する親のもとで育った子どもがなりやすい「不安型」(とらわれ型)と呼ばれる愛着を抱える人たちの苦悩です。

簡単に言えば、いつも親から過剰に手出し口出しされて育った結果、良い子でいないといけない、頑張らないと見捨てられてしまう、という「不安」に「とらわれ」てしまうのが、このタイプの人たちの特徴です。

「とらわれ型」は、不安が強く、人に頼らないと自分を支えられないのに、頼っている人に対して、手厳しく、粗探しばかりしてしまうといった点が特徴で、素直に甘えられない傾向が、一歳半の時点でみられていることが少なくありません。

愛情不足と過干渉が混在しているような場合に起こりやすいものです。(p56)

常に見捨てられ不安を抱えていて、他の人のちょっとした言葉や行動に敏感に反応し、パニックになったり怒ったり落ち込んだりしてしまうのは、単なる性格ではなく、ごく幼いころの親との絆によるものです。

もちろん、「不安型」の人たちの多くは、自分の行動に、幼いころの経験が関係しているとは夢にも思わないでしょう。愛着のパターンは、その人の生き方に染み付いているので、多くの人は疑問さえ抱かないのです。

子どもを思い通りにコントロールしようとする親

子どもが「不安型」の愛着を身につけてしまう養育環境には、いくつかの傾向がみられます。

すでに触れたとおり、特に顕著なのは、親の過干渉です。あらゆることに手出し口出しして、溺愛したり、逆に何から何までけなしたりして、子どもの自主性を重んじません。

「不安型」の愛着と関係する境界性パーソナリティ障害になる人に典型的に見られるのは、「不認証環境」と呼ばれる家庭環境だそうです。これは、親が何から何まで口出しして、子どもを承認してあげない、つまりいつも粗探しをする環境です。(p54)

この本の咲さんの父親も、とても厳しい人で、どんなに頑張っても、決して褒めてくれず、けなされてばかりだったそうです。(p14)

逆に、母親は甘やかしすぎだった、ということですから、 過干渉の二つのタイプ、溺愛する親とけなす親の両方によって育てられた、「不安型」の傾向が特に強い子どもだったのでしょう。(p16)

また、過干渉する親は、「良い子」だけを認め、受け入れる、という養育態度を示すこともあります。

過干渉する親というのは、言い換えれば、子どもを思い通りにコントロールしようとする親です。

咲さんの父親はこんな傾向を持っていたといいます。

咲 そうですね。けっこう支配的というか。母から聞いた話なんですが、つきあっている頃から、父は自分の言うことを聞かないとだめだし、連絡をしたときに、すぐに連絡がとれない状態だと怒ってしまう、とか。(p19)

おそらくは、お父さん自身が、不安型の愛着スタイルを抱えていたのでしょう。

子どもを思い通りにコントロールしようとする親は、子どもが親の指示に従ったときだけ「良い子」で、指示に従わないなら「悪い子」だとみなします。(p139)

バランスの取れた親であれば、子どもが言うことを聞かない場合でも、優しく教え、愛を育み、子どもが自主的に親の言葉を聞くよう助けていくものですが、過干渉する親は、強制的に言うことを聞かせる独裁者のようなものです。

そうした親のもとで育った子どもは、親の期待に答えるべく、ある時期までは無理をして親が求める「良い子」として振舞っていますが、思春期以降、限界が来て、反抗したり、心身のバランスを崩してしまったりしがちです。

そんな子どもを見て、親は「うちの子は昔は優等生だったのにダメになっちゃった」と言うこともしばしばです。「良い子」の場合だけしか、自分の子と認めていないからです。 (p108)

幸い、咲さんのお父さんは、年月とともにご自身の愛着障害も克服されたのか、咲さんの自伝死にたいままで生きています を読んで認めてくれるようになったそうです。(p107)

かつて愛情を注がれたが、失われた

「不安型」(とらわれ型)の愛着スタイルを抱える人の養育環境に特徴的な別の点は、ある時期までは愛された経験があるのに、それが失われてしまった、という体験です。

それまでの人生で、まったく愛されてこなかったわけではなく、愛された経験があるからこそ、見捨てられるかもしれないという「不安」に「とらわれ」るのです。

境界性のかたの場合は、愛着のタイプでいうと、不安型愛着といって、いったん手に入れた関係が失われてしまうんじゃないか、見捨てられてしまうんじゃないか、そういう不安をもつタイプのかたが多いですよね。

それはおそらく、まったく愛されなかったわけではないけれども、愛されたり、愛されなかったり、けっこう差があったりして、ある時期までは愛されたんだけど、ある時期からすごく愛情不足を味わっているとか、そういうギャップを味わったかたなんじゃないかと思うんですね。

もともと愛されていない場合には、逆に愛されないことに慣れてしまって求めようともしない。

境界性のかたは求めるでしょう? それはかつて、そういうものを与えられたことがあった、ということだと思います。(p154)

「不安型」の愛着スタイルの人たちは、他の人の愛を求める気持ちが非常に強く、見捨てられるかもしれないという不安にとても敏感です。

そもそも親から愛された経験が希薄な場合は、正反対の「回避型」という傾向を示し、親にも他人の愛にも執着しなくなります。

しかし境界性パーソナリティ障害の人を含め、「不安型」の愛着を持つ人は、他の人の愛を強く求め、だれがとつながりたい、心を満たされたい、自分を認められたいという飽くなき願いを抱いています。

そうなってしまうのは、「良い子」であるときだけ認められ、一時は愛を注がれたこと、しかしそうでなければ、けなされ、なじられ、人格さえ否定されてきたような幼少期の体験が関係しているのでしょう。

「絆の病」で説明できる6つの特徴

「不安型」の愛着を抱える人の場合でも、ベースにある元々の性格はさまざまだといいます。 (p150)

しかし、「不安型」の愛着の影響が強いと、もともとの性格が覆い隠されてしまい、ひどく不安で、パニックになりやすく、強迫的な考えや行動のパターンが目立ってきます。

そのため、表に出ている症状だけに注目し、その人自身をしっかり診てくれないような医者にかかると、次々に不穏な病名ばかりが増えていき、その人自身が何者かがすっかり覆い隠されてしまいます。

咲さんはこう振り返っています。

その後も病院を転々としたんですけど、行く病院ごとにいわれることがバラバラなんです。

「うちじゃ手に負えません」っていわれたかと思えば、別の病院では「あなたは病気じゃないので、病気になったら来てください」っていわれたり。

他にも薬をすごく処方されてしまうとか、もう完全にクリニック難民になってしまって。(p59)

冒頭で引用した岡田先生の言葉のように、「木を見て森を見ず」の医療がなされた結果、より問題が複雑になっていきます。

あたかも病気のデパートのような状態で、それぞれの病名に対して、異常な数の薬が処方されてしまい、自分はとても社会適応できない重病人なのだと思えてくるかもしれません。

咲 私のまわりの心の病の病気を抱えていらっしゃるかたって、みなさんほとんどすごい量の薬をのんでいらっしゃいます。

で、それでよくなったかっていえば、治らないし、また何かのストレスがたまってしまったりすると、悪化するんですよね。(p67)

しかし、さまざまな病名がつけられ、多くの薬を処方されるような場合、本当に多種多様な病気を併発している場合はまれです。

本来は、一つか二つの少数の原因があるだけなのに、木の幹そのものではなく、無数にある枝葉に注目しているがために、一見、多くの別々の病気を併発しているように見えるだけです。

以前の記事で、杉山登志郎先生の意見を紹介しましたが、多くの診断名がつき、薬が大量処方、多剤処方されているというのは、診断名と治療法が間違っている、ということの証拠なのです。

精神科の薬の大量処方・薬漬けで悪化しないために知っておきたい誤診例&少量処方の大切さ
杉山登志郎先生の「発達障害の薬物療法」に基づき、統合失調症・うつ病・双極性障害と誤診されやすい発達障害とトラウマ関連障害の治療と少量処方の意義についてまとめています。