誰も信じられない、安心できる居場所がない「基本的信頼感」を得られなかった人たち


■誰も心から信じられない
■いつも人間不信
■人に傷つけられるのが怖い
■誰といても安心できない
■自分をさらけ出せず表面的な付き合いしかできない
■人に何かを期待しても無駄だとあきらめている

のような気持ちを抱くことがありますか。

常に他人への根深い不信感を抱き、決してそれを拭い去れないとしたら、それは「基本的信頼感」と呼ばれる心の働きを、不幸にして得られなかったことによるのかもしれません。

「基本的信頼感」は、1歳半ごろまでの環境によって身につくもので、その時期に獲得できなけば、その後の人生で、他人を信頼するのが難しくなり、さまざまな問題につながってしまいます。

自尊心のなさ、傷つきやすさ、孤独、空虚感、「良い子」を演じること、自分の限界を超えて頑張ってしまうこと…こうした性質はすべて元をたどれば、「基本的信頼感」の欠如に行きつきます。

「基本的信頼感」とは果たして何なのでしょうか。それがなければ、人生にどのような影響が及ぶのでしょうか。どのように問題に対処できるでしょうか。

母という病 (ポプラ新書)という本を紹介したいと思います。

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これはどんな本?

この本は、愛着障害や境界性パーソナリティ障害に詳しい、岡田尊司先生によるものです。

さまざまな問題を抱える人の根底に、幼いころの環境が絡んでいるという点が、多数の具体例を挙げて、わかりやすい言葉で解説されています。

「基本的信頼感」とは何か

冒頭で述べたように、だれも心から信じられない、という他人への根深い不信の根底には、「基本的信頼感」の欠如が関係しています。

「基本的信頼感」は心理学者のエリク・H・エリクソンによって提唱された概念で、この本では次のように説明されています。

自分は大丈夫だという安心感は、自分の力に対する自信からだけではなく、困ったときはきっと誰かが助けてくれるという周囲に対する信頼感からもきている。

周囲が味方になってくれると信じることができる感覚を「基本的信頼感」という。

実際に人が味方になってくくれるかどうかよりも、そう信じることができることがその人を守っている。(p54)

「基本的信頼感」は、周囲が味方になってくれる、と信じることのできる感覚です。

「基本的信頼感」が正しく育まれた人は、身の回りにいる他人という存在は、基本的に信頼しても構わないものだ、ということを、頭で考える必要もなく、当然の感覚として身に着けています。(p124)

しかし不幸にして「基本的信頼感」を育めなかった人は、そのような前提に不信感を持っています。

身の回りの他人は、自分を傷つける存在であり、決して油断できない。信用したり、期待してはいけない。そうした感覚を無意識のうちに抱いています。こう書かれているとおりです。

他人は自分を助けてくれる存在というよりも、自分を傷つけ、貶めたり、自分が機嫌をうかがい支えなければいけない存在に思えていたのでは、自分をさらけ出し、弱みをみせて助けを求めることは難しい。(p55)

二、三歳ごろまでがタイムリミット

「基本的信頼感」が育まれるか、それともそれを持たないまま大人になってしまうかを左右する要素は何でしょうか。

岡田先生はこのように説明しています。

この基本的安心感や信頼感が、一、二歳頃までの体験によっておおむね形づくられる。

もし人を信じられないとしたら、幼い時期に、人から心地よく安心できる体験を与えられるよりも、不快で傷つけられる体験を味わうことが多かったということだ。(p55)

「基本的信頼感」を育める時期にはタイムリミットがあるのです。動物の刷り込み現象や、言語のネイティブ話者のように、幼い頃のある時期に学んだ事柄が、重要な意味を持ちます。

そのときを過ぎてしまってから、いくら可愛がったところで、もう間に合わない。不可能ではないが、その時間を取り戻すことは容易ではない。(p76)

生後一歳、二歳、長く見て三歳ごろまでの時期は、あたかも、この人間の世界という国に迎え入れられる門口のようなものです。

この世界の入り口で、最初に出会った人である親が善意で迎えてくれ、生まれてきたことを無条件に祝福してもらえるなら、この世界は、基本的に安心できるところなのだ、という印象が刻まれます。

ところが、この世界の門をくぐったときに、入ってきたことを祝福されず、無関心にあしらわれたり、厳しい扱いを受けたりしたなら、この世界は基本的に危険なところで、他の人は信頼するに値しないという認識が刻まれるのです。

トラウマ研究の専門家ヴァン・デア・コーク博士の著書身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法には、「基本的信頼感」を持つ子と、虐待されたためにそれが育たなかった子の、世の中の見え方の違いについて、こう書かれていました。

まず、普通の子供たちは、切ない雰囲気の絵のカードを見せたときこんな反応を見せました。

どのカードを見せても、虐待されていなかった子供たちは、苦悩を鋭敏に嗅ぎ取るものの、この世は本質的には良い場所だと依然として信じており、苦境から抜け出る方法を想像できた。

彼らは自分の家庭で、守られていて安全だと感じているようだった。また、少なくとも一方の親には愛されていると感じており、それが学業に勤しんで物事を学ぶ熱意をおおいに高めているように見えた。(p178-179)

普通の子どもたちにとって「この世は本質的には良い場所」だと感じられていたのです。

では、「基本的信頼感」を持てなかった子たちはどうでしょうか。

クリニックの子供たちの反応は憂慮すべきものだった。彼らは、悪意や害意など微塵もうかがえないような画像に、危険や攻撃性、性的興奮、恐怖などの強烈な感情を掻き立てられた。

私たちは、敏感な人なら見て取れるような隠れた意味合いを持つ絵や写真を選んだわけではなく、日常生活で見られるありきたりの光景の絵や写真ばかりを抜き出した。

したがって、虐待された子供たちにとっては世の中全体がトリガー(トラウマを思い出させるもの)だらけであるとしか結論の出しようがない。(p179)

「基本的信頼感」のない人にとって、この世はどこもかしこも安全な場所などどこにもない、恐怖に満ちた場所であり、常に危険と隣り合わせの外国人またさすらい人として生きているのです。

このような幼いころに形作られる信頼関係は、医学的用語で「愛着」と呼ばれています。愛着が正しく育まれないとどうなるか、ということはこちらをご覧ください。

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心の傷ではなく脳の傷

このような「基本的信頼感」または「基本的安心感」は、単なる心の問題ではありません。

母という病 (ポプラ新書)によると、人を信頼できるか、それとも不信感を抱いてしまうか、ということは、考え方次第だとみなされがちですが、実は、それは脳の発達や構造の問題です。

幼い頃に、よく可愛がられ、世話をされた子どもでは、オキシトシンだけでなく、セロトニンなど、不安をコントロールする働きをもった神経伝達物質の受容体が増える。(p74)

生後1歳半ごろまでの時期というのは、子どもの脳で、オキシトシンの受容体が増加する時期だそうです。

オキシトシンは愛着ホルモンと言われ、安心感や人を信頼する気持ちと密接に関係しています。

幼い時期に親や特定の存在から、無条件の愛を注がれたなら、その時期にオキシトシンの受容体がたくさん脳に形づくられます。そうするとその後の人生において、人を信頼したり、安心したりすることが容易になります。

しかしその時期に十分な愛情を受けられず、安心感に関わる神経伝達物質の受容体が十分に作られないまま育つと、心から人を信頼できない不信感にさいなまれるようになってしまいます。

単なる考え方の問題ではなく、これほど根深い生物学的な問題だからこそ、「基本的信頼感」は、人生に大きな影響を及ぼすのです。

養育環境が脳の発達に関係するという点は、虐待児の脳画像についての研究を扱ったこちらの記事をご覧ください。

だれも知らなかった「いやされない傷 児童虐待と傷ついていく脳」(2011年新版)
子どもの虐待は、近年注目を浴びるようになって来ました。しかし、虐待が脳という“器質”にいやされない傷を残すことを知っている人はどれだけいるでしょうか。友田明美先生の著書「いやされな