三池輝久先生の著書学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてている において、小児慢性疲労症候群(CCFS)の子どもに、このショッキングな言葉が投げかけられたのは、現代の教育制度が、脳の自然な働きを無視しているからでした。
しかし、「教育」は人間特有のとても大切な行動です。人間に近いといわれるチンパンジーにも観察されたことがありません。(p15) たとえ、一時的に学校から離れるのが得策であるとしても、わたしたちは「教育」を捨てるわけにはいきません。
では、どんな「教育」が脳の機能に沿った自然なものだといえるのでしょうか。ひとむかし前は推測するしかありませんでしたが、今は違います。脳科学が進歩して、脳の働きをリアルタイムで調査できるようになったからです。
この書評では、書籍脳科学と学習・教育から、脳機能に沿った教育の大切さについて、興味深く思った部分を噛み砕いて紹介したいと思います。
目次 ( 各項目までジャンプできます)
これはどんな本?
脳科学と学習・教育は、2001年に開始され、2008年度まで続けられた、日本の公的研究開発プログラム「脳科学と教育」の12のテーマの成果をまとめたものです。
研究プログラム全体の総括を担当した小泉英明教授は、脳をリアルタイムで観察するfMRI(機能的磁気共鳴描画法)やNIRS-OT(近赤外分光トポグラフィ法)の開発者です。
その恩恵を受けた分野のひとつが、このブログのテーマである小児慢性疲労症候群(CCFS)です。子どもの不登校は、従来、心の問題とされていましたが、fMRIなどを用いて、脳を検査した結果、深刻な脳機能の低下が見られることが分かりました。
本書のテーマのうち1つ(p71-88)は小児慢性疲労症候群を研究してきた三池輝久先生が執筆しています。そのほかの部分には、脳の働きに沿った教育について、さまざまな角度から書かれています。
本当に子どもを生き生き育てる教育とはどんなものなのでしょうか。3つの観点から調べてみることにしましょう。専門的な本なので、意味を取り違えているところがあるかもしれませんが、ご容赦ください。
1.子どもを育む睡眠の大切さ
子どもを取り巻く環境はここ数十年で大きく様変わりしました。魅力あふれるコンピュータやメディアが限られた時間を奪い合い、親子のコミュニケーションや食事、睡眠に当てられるべき時間は絶えず標的にされています。(p19)
子どもの環境が変化したのであれば、教育方法も時代に即して変わるべきですが、教育の現場は時代の変化に付いていっていません。その結果、世界的に見て、子どもの睡眠時間は夜型に傾き、短くなる一方です。
第12章を担当した瀬川小児神経学クリニック院長の瀬川昌也先生はこう述べています。
正常の情緒の発達のためには、出生時より少なくとも6歳まで、昼夜の明暗の区別にしたがった生活リズムをとることが必須である。
…然るに、IT時代では理性を伴わない実際のヒトの能力を超えた知的活動、科学技術の発達が可能になる。
このような現代社会の背景を考える時、乳幼児期から脳の発達の臨界期に適切且つ十分な環境刺激を与え…ることは焦眉の急といえる。 (p232)
幼児期には、正しい睡眠リズムを定着させなければならないのに、現代の24時間社会によって、脳が正しく発達しないおそれがあるのです。
もし不規則な生活が続き、睡眠時間が削られた場合、子どもたちはどうなってしまうのでしょうか。兵庫県立リハビリテーション中央病院の三池輝久先生は第4章でこう述べています。
「不登校状態」とは、このような休みのない持続的かつ睡眠時間を削る「頑張り生活」のあと、つまり慢性的な睡眠欠乏状態を経験した後に訪れる生命力低下に伴う脳の情報処理力低下であるが、現実として未だに「怠け者」、あるいは「家庭教育の失敗の結果」扱いにされているのは、本人・家族に本当に気の毒なことである。(p72)
現代は、“良い大学”への進学が期待され、睡眠不足による頑張りがもてはやされる時代です。しかし、子どもの中枢性疲労を予防するには、睡眠を度外視するわけにはいきません。
そのためには、メンタルヘルスケアを実施したり、睡眠記録表、食事の時間を記録したりすることが求められます。もし学校でそれらが実施されないなら、家族が睡眠不足の問題についてよく勉強し、子どもの変化に目ざとくあるべきでしょう。
2.家族が注ぐ愛情の大切さ
小児慢性疲労症候群について書いた書籍学校を捨ててみよう!―子どもの脳は疲れはてているには、愛情遮断症候群についても書かれています。愛情不足は生きる力を奪います。不登校にならないよう子どもを守るにも、不登校になった子どもを助けるにも愛情が不可欠です。
親が子どもに愛を注ぐことが大切なのは当然ですが、脳科学はなんと述べているでしょうか。第8章で母と子の絆について調べた長崎大学大学院の篠原一之先生の研究によると、その絆はわたしたちが想像するよりはるかに強いことが分かりました。
◆女性はお母さんになると、特殊な脳内メカニズムが作動する
女性はお母さんになると、ホルモンの変動により、特殊な脳内メカニズムが作動し、赤ちゃんの表情から感情を読み取る能力を獲得するそうです。この能力は出産経験のない女性が訓練しても得られないものでした。(p156)
◆匂いによって互いを認める
赤ちゃんは実のお母さんの匂いによってのみ、痛みストレスが軽くなりました。お母さんは実の赤ちゃんの匂いによってのみ、快く感じ、意欲が増しました。どちらも赤の他人では十分な効果がありませんでした。赤ちゃんを抱くことは母子双方をリラックスさせるのです。(p159-160)
◆目を合わせると反応が長い
昔から赤ちゃんに語りかけるときは視線を合わせるよう言われていましたが、しっかり目を合わせて話すと、注目する時間が長くなりました。(p162)
◆子どもの脳には感受性期がある
瀬川先生によると、赤ちゃんの脳は生後4ヶ月までは、正しい発音や正しい形を見せたり、歌を聞かせたりすることに適しています。それ以降は連合野が発達しはじめるため、絵本の読み聞かせや、さまざまな人との関わりによって理性が発達します。(p232)
対照的に三歳までに知識をつめ込まなければならないという三歳児神話は脳科学によって否定されたそうです。
篠原先生は、お母さんと子どものコミュニケーションの大切さをこう指摘しています。
新生児期・乳児期の母子間コミュニケーション不足は、母性の育成を妨げ、乳幼児虐待等に陥る可能性があり、子の反応性愛着障害などの精神疾患を引き起こすことや、衝動性、反社会行為に結びつく可能性が指摘されている。 (p162)
赤ちゃんに必要なのは、将来を見据えた天才教育ではなく、実のお母さん(選ばれた特別の愛着の対象)をはじめ、家族や周りの人との愛情に満ちたコミュニケーションであることがわかったのです。
3.個性に応じた学習の大切さ
小児慢性疲労症候群(CCFS)の発症には、個性を無視した画一的な教育によるストレスが関わっているとも言われています。現代は多様化の時代と言われますが、セブンイレブン創業者の鈴木敏文氏はその著書で「明らかに『画一化の時代』です」と述べました。
脳科学は、画一的な教育の問題点については何を明らかにしたでしょうか。
第2章を担当した産業技術総合研究所の仁木和久さんは、学習において、単なる知識ではなく、Ah!反応、つまり思わず声を上げてしまうようなひらめきが重要であることを発見しました。Ah!反応が起きたときには、海馬や扁桃体をはじめ、脳の様々な部分が、広範囲に活性化していたのです。(p41)
このより高度な脳の働きを活性化させるには、生徒が学びの主体でなければなりません。教師による詰め込み教育ではなく、生徒同士が話し合い、考えを研ぎ合う自由な環境が必要です。(p51)
また第3章で発達障害の子どもの教育について研究した京都大学霊長類研究所の正高信男教授のグループ、そして認第5章で知症の年配者の学習療法について研究した東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授のグループは、どちらも個性に応じた教育が大切であることを発見しました。
そのためには、ゲームを取り入れたり、スモールステップ化したりして、楽しく学べるようにすることが大事です。結論としてこう書かれています。
学習が困難な子どもの中には、本来備わっている能力が十分発揮できないでいる子どもが多くいる。
そうした子どもたちは、健常者と同じカリキュラムで行われる教育の中では、勉強に対するコンプレックスを抱くようになっていくことが考えられる。
…1人ひとり特徴は大きく異なるが、その特徴に合った教材や環境を整えることで、中には見違えるほど学習が円滑に進むようになる子どももいる。 (p67)
子どもの不登校を予防するために、また不登校になってしまった子どもに特別支援教育を施す際に、こうした研究を活用してほしいと思います。
第6章の外国語の学習に関する研究では、子どもの脳に臨界期はないこともわかっているので、病気のため子供のころに勉強できなかった場合でも、十分チャンスはあるといえます。(p27)
古い教育に新しい脳科学を
脳科学と学習・教育の成果を見ると、現代の教育方針は新しい脳科学と噛み合っていないことが分かります。
睡眠時間が削られやすい社会環境において、さらに時間を削って詰め込み教育をし、厳しい指導で型にはめようというのは逆効果です。
むしろ、そのような時代だからこそ、家族のコミュニケーションを大切にし、生徒ひとりひとりに合った子どもが主役の教育方法を考えなければなりません。
学習障害の子どもに対する取り組みや、認知症の年配者に対する取り組みは、すでに導入されて大きな効果を挙げているようです。
これらの取り組みが、一般の学校や家庭にまで普及すれば、いつしか、学校と社会の板挟みになって発症する小児慢性疲労症候群(CCFS)という病気は過去のものになるかもしれません。脳科学と学習・教育はそんな希望を持たせてくれます。