実験でもADHDの子供が時間を計るのはとても難しいという結果が出ている。そのような子供たちの時間の感じ方は他の子供とは違っているらしい。
…ADHDが時間感覚の障害なら、子供と時間の関係を変えられれば、ADHDの症状を減らせるのではないだろうか。(p27-38)
これは、脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのか
という本にあるADHDの時間感覚についての説明です。ADHDは不注意・多動・衝動性をはじめ、さまざまな症状が表れる発達障害です。
ADHDの研究者、星野仁彦先生は、その症状のひとつとして、定型発達者と時間の感覚が違うのではないか、という点を指摘していました。
ADHDの時間感覚の障害は、計画が立てられない、自制できないなど、他のさまざまな苦悩の原因になっている可能性がある、という点も以前の記事で扱いました。
そのときは、ADHDの時間感覚については、資料が少なくてはっきりとしたことは言えないとしていました。ところが最近ふと手に取ったこの本に、まさにその話題が書かれていたのです。
ADHDは「時間感覚の障害」とみなすことさえできるといいます。なぜそうした症状が起こるのか、という点のヒントも書かれていました。
ADHDにはどのような時間感覚の障害が見られるのでしょうか。過去や未来をどうとらえているのでしょうか。これらの点をもう一度考察したいと思います。
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これはどんな本?
この本は、心理学者のクラウディア・ハモンドによる時間学についての本です。英国心理学協会が認定した2013年の年間ベストブックになりました。
まだ研究が十分に進んでいない時間の感じ方について、数々の仮説、心理実験、症例をもとに、考察を深めています。
扱われている話題の中には、病気による時間感覚の変化、時間を扱う脳の場所、概日リズムの研究、時間と空間を結びつける共感覚、休日や旅行で時間感覚が歪むホリデー・パラドックス、過去に関する自伝的記憶と、未来に関する将来思考などが含まれています。
時間の謎について知りたい人にはうってつけといえる入門書で、あまりに面白いので文字通り時間を忘れて読んでしまいました。
この記事では、その他のさまざまな本からも、関連する情報を引用して参考にしています。
ADHDの子供の時間感覚
この本でADHDについて言及しているのは、p37-39のわずかな部分だけです。しかし、それ以外の部分の記述もADHDの時間感覚について重要な示唆を与えてくれます。順をおって考えてみましょう。
まずは、ぜひとも簡単な実験をしてみてください。手元に時計かストップウォッチがあるでしょうか。それを使って簡単にあなたの時間感覚を測定できます。
自分がどのくらい時間を正確に計れるか簡単に調べるには、携帯電話のストップウォッチをスタートさせ、それを見ないで(頭の中で数えてもいけない)一分過ぎたと思ったときに、ストップさせればいい。(p51)
この簡単な実験で、自分の感じた1分と、実際に経過した時間とにずれがあれば、あなたには時間感覚の歪みがあるということがわかります。
もし1分経ったと思ったのに、たとえば40秒ほどしか経っていないとすればどうでしょうか。それは時間がゆっくり過ぎていることを示しています。学校の授業に例えるなら、60分経った、そろそろ終わりだ、と思ったら、まだ40分しか経っていないという意味だからです。
反対に1分経ったと思ったときに、1分20秒も経っていた、という場合はどうでしょうか。その場合は時間が早く過ぎています。1時間後に出かける予定があったのに、読書に没頭しているうちに20分もオーバーして遅刻してしまった、といった状況です。
時間がゆっくり過ぎると退屈になる
これと同様の手法を用いて、ロンドン精神医学研究所の認知神経科学者カチャ・ルビアは、ADHDの子供の時間感覚を測ってみました。どんな結果が出たでしょうか。
ADHDの子供に3秒を測ってもらうと、実際より早く3秒経ったと言ったそうです。これは先ほどの例でいうと前者です。ADHDの子供にとって、時間はゆっくり過ぎていて、学校の授業がまだ終わらないのか、退屈しているのです。
この方法を使えば、ADHDの子供をなんと70%の確率で判別できるそうです。
なぜ退屈すると、時間がゆっくり過ぎるのか、はっきりしたことは分かっていません。しかし退屈することは不注意な状態、つまり注意力散漫な状態で生じます。
ある説では、脳は退屈すると、時間を計る機能に、より多くの注意のリソースを向けるので、時間計測のパルス信号が増え、多くの時間を感じるのかもしれないと言われています。(p71)
この時間がゆっくり過ぎるという現象は、ADHDの子供の日常生活のさまざまな点に現れます。
たとえば、ADHDの子供は待てません。3時のおやつまで待ちなさい、と言い聞かせても、時間がゆっくりすぎるため、3時までの時間がとても長く感じられ我慢できません。すぐに食べたい、という気持ちに逆らえないのです。
以前の記事で、ADHDは現在にとらわれているタイプだと推測しましたが、この本ではまさにこう書かれています。
ADHDの子供は、現在に縛りつけられている。行動の結果を考えるのが難しく、たとえ短時間でも待つことに苦痛を覚える。
…私たちの多くはもっと今を生きようと苦労するが、ADHDの子供たちはあまりにも今を生きすぎている。
ADHDは、単なるしつけの問題であり、訓練が足りないだけだと主張する人もいますが、この実験結果は、そうではないことを示唆しています。
問題は彼らの時間感覚が定型発達者と異なっているという部分にあるのであって、自制心の欠如はその結果として生じているのです。
そのため、著者はこう述べています。
ADHDの子供が時間の経過をふつうと異なった形で経験しているとしたら、待つことを教えても根本的な問題解決にはならない。
時間の流れの遅さを我慢できるようになっても、五分の遅れが一時間にも感じるなら、それはずっと変わらないだろう。
落ち着いていられるようにはなるかもしれないが、彼らが時間に苦しめられるのは変わらないのではないか。(p37-39)
子どものときからADHDで苦しんできた人の中には、この言葉のとおりの経験をしてきた人も多いでしょう。
つまり、大人になるにつれ、社会的スキルを学んで落ち着きを示せるようになってはきましたが、イライラしたり、そわそわしたりして時間に苦しめられるのは変わっていないのです。
発達科学ハンドブック 8 脳の発達科学
という本にもこう書かれています。
最後に時間知覚と発達障害、とくに注意欠陥・多動性障害(ADHD)との関係についても短く述べる。
まずADHDの患者では、時間の判断をともなうさまざまな課題の成績が健常者に比べて低下している(Toplak et al.2006)。
とくに主症状である衝動性は、時間知覚の異常(時間の過小推定)から起こる可能性が指摘されている。(p113)
ADHDの症状は、「時間知覚の異常(時間の過小推定)」から生じている可能性があるのです。
一方で、うつ病の人もやはり時間が経つのが遅く感じるそうですが、時間の長さをはかる能力は正常だという実験があるそうです。
楽しい時間は早く過ぎ去るが うつ病になると時間は遅く感じる | CIRCL(サークル)
うつ病患者と健康な人の両方に同じ映像を見せて、5秒たったと思ったらボタンを押してもらう実験を行った。するとうつ病患者も健康な人も正確に時間を測る能力は変わらなかった。起こっている出来事の実際にかかっている時間を測る能力はうつ病になっても衰えないのだ。
つまり、正確に時間を測る能力と時間経過の主観的な感覚は、全く違うものだということが分かる(※1)。
(※1:Meta-study shows that the experience of time is altered in depression )
ADHDも二次的にうつ症状を呈することがありますが、脳の中で生じているメカニズムは別物なのかもしれません。
時間が早く過ぎると遅刻する
では、ADHDでは必ず時間はゆっくりと流れるのでしょうか。この本にはこれ以上のことは書かれていませんが、必ずしもそうではないと考える余地があります。
だれでも本に夢中になっていると時間が速く過ぎるのを経験したことがあると思います。実験によると、多くの集中力が必要とされる作業、たとえば込み入った作業やマルチタスクをするほど、時間が速く過ぎると感じるようです。(p71)
ADHDの人は、ときどきすば抜けた集中力で過集中したり、なんでもかんでも立ち上げてマルチタスクを始めて没頭したりします。
すると先ほどの説では、退屈とは反対に、目の前のことに集中するほど脳の時間計測に向けられる注意のリソースが少なくなり、パルス信号が減って、時間を少なく感じるようになります。
時間が速くなると、最初に述べた例のように、1時間経ったと思って時計を見ると、実は1時間20分も経っていた、というような状況に陥ります。待ち合わせや予定が台なしになったり、遅刻の常習犯になったりするでしょう。
何かに没頭して予定に遅れる、寝食を忘れるといったことはADHDの人につきものです。過集中で時間を忘れているとき、ADHDの人の時間は速く過ぎているといえるのではないでしょうか。
そうすると、不注意による退屈と、過集中による没頭により、ADHDの人の時間感覚は引き伸ばされたり縮んだりするのではないか、と考えられます。時にはせっかちになり、ときにはぐずぐずするのです。バランスのとれた状態がないといえます。
脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線
という本も、その見方を指示しています。
脳は独自の内蔵クロックを備えており、それに狂いが生じた子どもがいる。
この内蔵クロックの刻みが速すぎると、感覚刺激に早すぎる段階で反応し、他人の邪魔をしたり、衝動的になっていらいらを募らせたり、軽はずみになったりする。
これらの問題は、実のところタイミングの問題なのである。
また、やる気がなく、社会的、知的に「遅れている」ように見える子どももいる。これもタイミングの問題であり、彼らの内蔵クロックはあまりに遅すぎるのだ。
もしそうであるなら、ADHDが「時間感覚の障害」と言われるのは、定型発達者に比べて時間感覚が著しく不安定である、ということを示していることになります。
脳のどこで時間を計るのか
では、どうしてADHDの人は、ここまで時間感覚が不安定なのでしょうか。それには脳の時間感覚を担う部分の異常が関係しているようです。
脳には、時間を計測する特定の部位はないと言われています。それでも、今のところ4つの部位が時間感覚と関係しているのが知られています。
一つ目は小脳です。小脳はミリ秒単位の時間の計測に関わっているそうです。
二つ目は大脳基底核です。この部分が今回話題にしている数秒以上の計測を担っています。
残りの二つは、ワーキングメモリー(作業記憶)を扱う前頭葉と、感情を扱う前部島皮質です。島皮質の働きと時間感覚の変化については、以下の記事の補足部分で扱っていいます。
簡単に言うと、何かに没頭してゾーンやフロー、過集中と呼ばれる無意識の集中した状態に入ると、島皮質の活動が非常に強くなり、流れるような自己意識が生成されることで、時間の流れがゆっくりになるのではないか、と言われています。
逆に解離性障害や自閉スペクトラム症では、島皮質の活動が低下することにより、時間が飛び飛びになって自己意識の中断が生じている可能性があります。
「ゾーンに入った」「エクスタシー」「過集中」…。時間を忘れて何かに没頭した極度の集中状態は、古今東西、いろいろな言葉で表現されてきました。学問的には、特に「フロー体験」として、ミハ
こちらの記事にも長さの異なる時間知覚と、それに関わる脳の領域についての対応表があり、1秒以下は小脳など、1分単位では視床-大脳皮質が関係していると書かれています、
第3回 ヒトの脳はどのように時間を知覚しているのか | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
ミリ秒単位の時間をはかる小脳
まず、一つ目に挙げた、ミリ秒単位のタイミングをはかる小脳については、 脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線
で、ADHDの症状との関連が指摘されていました。
最近の脳画像研究が示すところによると、ADHDを抱える人は、(思考、運動、バランス維持のタイミングを調整する)小脳の体積が低下している。
小脳の体積はADHDが悪化するとさらに減少するが、改善すると増大する。
待つということを知らず、問いが終わる前に答えようとするADDの子どもは、行動りタイミングをうまく計れない。(p510)
この説明が明らかにしているとおり、ADHDやADDの子どもが衝動的なのは、ミリ秒単位のタイミングを測る小脳の機能が低下していることが関係していそうです。
数分単位の時間をはかる大脳基底核
二つ目に上げた大脳基底核についても、同じ本はADHDとの関わりについてこう述べています。
ADHD当事者の大脳基底核は通常よりも小さい。大脳基底核は一般に、主要な課題とは無関係な処理を実行しないよう脳を抑制することで注意力の維持に貢献する。
ある一つのことに注意を集中するためには、何か別のことに注意を向けようとする衝動を抑えなければならない。
また、大脳基底核の活動が低下していると、その人はよく確かめもせずにものごとに飛びつくようになり、活動過多や転導性の兆候を呈することになる。(p511)
このように、大脳基底核もまた、ADHDの注意の問題と大きく関わっています。
音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々
によれば、パーキンソン病でも、やはり大脳基底核の異常が原因と思われる時間感覚の障害が見られます。
パーキンソン病患者の動きと知覚は、速すぎるか遅すぎることが多いが、本人は気づかないかもしれない。時計やほかの人と比較してはじめて、そのことを推測できる。
神経学者のウィリアム・グッディーは、著書『時間と神経系(Time and the Neruous System)』にこのことを書いている。
「観察している人は、パーキンソン病患者の動きがどれだけ遅くなっているかに気づくかもしれないが、患者は言うだろう。
『時間を見て、どれだけ時間がかかっているかわからないかぎり、自分の動きは自分にはふつうなんです。病棟の壁の時計はものすごく速く進む気がします』」。
グッディーはそのような患者の「当人の時間」と「時計の時間」のあいだに、場合によってはとてつもなく大きな開きができることについて書いている。(p345)
大脳基底核の時間認知機能は、ある種の睡眠障害と関係している可能性が指摘されています。それは「睡眠状態誤認」と呼ばれるタイプの不眠症で、実際には眠れているのに、時間感覚の異常のために本物の不眠症のような症状に悩まされる疾患です。
第12回 不眠症の本質は睡眠時間の誤認である | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
残念ながら、睡眠状態誤認のメカニズムはいまだ明らかになっていない。
慢性不眠症の人では、前頭葉や基底核の神経活動が低下していることが最近の脳画像研究で明らかになっている。
これらの脳領域は感情、記憶、運動調節に重要であることはよく知られているが、時間認知にも深く関わっていることが明らかにされている。
睡眠状態誤認の発症にも何らかの形で寄与している可能性がある。今後取り組むべき不眠症のナゾの1つである。
時間感覚を左右するドーパミン
そして脳の中の時間旅行 : なぜ時間はワープするのか
によると、米国デューク大学のウォレン・メックは時間の感覚が歪んだ人びとを研究し、大量のニューロンの集まる大脳基底核に原因があることを突き止めました。(p61)
興味深いことに、この部分はドーパミンによって体の動きをコントロールする領域です。
ドーパミン・システム全体が、時間を感じ取るさいにとても重要な役割を果たしているようだ。
統合失調症の治療によく用いられるハロペリドールという薬は、ドーパミンの受容器を阻害するものだが、これを投与すると患者は経過した時間を過小評価するようになる。
一方メタアンフェタミン(いわゆる覚醒剤の“スピード”)では逆の現象が起こる。この薬物は脳に流れるドーパミン量を増加させ、それによって脳の時計の動きがスピードアップして、その結果、過大評価する。(p61-62)
つまり、ドーパミンが少ないときは、時間感覚がゆっくりになります。さきほどのADHDの不注意の状態です。逆にドーパミンが多いと、時間感覚が速くなり、過集中の状態になります。
脳の時間感覚は、ある面では、神経伝達物質ドーパミンによってコントロールされているといえるのです。
Midbrain dopamine neurons control judgment of time | Science
ここで名前の出ている覚醒剤のメタアンフェタミンは、ADHDに効果のある薬コンサータ(メチルフェニデート)と似た薬です。コンサータは、シナプス前ドーパミントランスポーター(DAT)による再取り込みを阻害し、ドーパミンを増やします。
では、コンサータ(または同成分のリタリン)を使って、注意力散漫で時間感覚が遅いADHDの人の脳を刺激すると、時間感覚の異常は正常に近づくのでしょうか。
先ほど登場したカチャ・ルビアの実験結果は、そのとおりであることを示しています。
彼女はすでに、リタリン(ADHDの症状を抑えるのによく使われる薬)が、時間知覚とミリ秒単位の判断を向上させることを実証した。
待つことを学べば、子供たちは時間の長さをもっと正確に判断することを学ぶ機会も得るだろう。(p39)
ADHDの人が、せっかちで辛抱できなかったり、ぐずぐずして遅刻したりするのは、ある点では脳のドーパミン異常による時間感覚の異常と関わっている可能性があるのです。
ADHDの人が、退屈に耐えられず、注意散漫になってしまうのが、ドーパミン不足によることは、カルガリー大学芸術学部のピーター・トゥーヒーによる退屈 息もつかせぬその歴史
でも触れられていました。
退屈が実際に何であるかを説明しようとすれば、神経伝達物質、ドーパミンの不足にさかのぼることになるだろう。ドーパミンは脳の報酬システムだ。
…注意欠陥・多動性障害(ADHD)の子どもたちの多動性についても、根底にはドーパミン不足があることがわかっている。ADHDの子どもたちは、不活動期に過剰な退屈を感じる。ドーパミン・レヴェルの低さが、時間感覚に影響を及ぼすからだ。
やることのない時間はいっそうゆっくりと過ぎていくように彼らには思われ、ドーパミン分泌が通常レヴェルである子どもたちよりもはるかに早く退屈してしまう。
ロンドンのキングス・カレッジ精神医学研究所のカティア・ルビアによれば、ADHDの子どもたちは「新しいことを探し、危険を冒す」ことで、ドーパミン・レヴェルを上げて「自己治療」する。
そうすることで時間感覚が正常化し、退屈が治癒されるのだ。リタリンが処方されるのも同じ理由からである。(p52)
つまり、ADHDの人が退屈を感じやすく注意散漫になりやすいことと、新しいものに目ざとく多動であることは、同じドーパミンの調節異常を背景としたコインの両面なのです。
自分で適切なドーパミンレベルを維持できないがために、刺激のない環境ではドーパミンが不足して他の人よりも過剰な退屈を感じる一方、もし刺激のある楽しみを発見できれば、他の人よりドーパミンが分泌されて時間があっという間に過ぎます。
ADHDのさまざまな症状の背景に、ドーパミン異常による時間感覚の障害があることは、発達科学ハンドブック 8 脳の発達科学
でも解説されていました。
またADHDの治療薬として使われるメチルフェニデートは、ドーパミン(脳における神経伝達物質の一つ)の不足を補う物質だが、それらが作用するのは前頭前野・小脳・線条体といった時間知覚とも関連が深い領域である(Rubia et al 2009)。
これらを総合的に考えると、ADHDと時間知覚には何らかの関係がある可能性が高い。
もちろんADHDには他の症状(不注意や多動など)もあるので早合点は禁物だが、知覚と発達障害を結ぶ新しい研究分野として、今後の進展が期待される。(P113)
このようにADHDの薬は、時間知覚を正常にすることによって、ADHDの不注意や、衝動性、活動過多などの症状を和らげている可能性があります。
音楽療法で内蔵クロックを同期する
では、時間知覚を正常にするには、どうしても薬物療法が必要なのか、というと、決してそうではないようです。
脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線
には、サウンドセラピーやニューロフィードバックによって、時間感覚を改善し、ADHDの症状を改善できることが示されています。
ニューロフィードバックは、脳のリズムが乱れた人を、それをコントロールできるよう訓練する。それは、注意力や睡眠に障害を持つ人や、ノイズに満ちた脳を抱える人には非常に効果的てである。
…直接リズムに働きかけるサウンドセラピーに、インタラクティブ・メトロノームと呼ばれるセラピーがある。
…音に聴き入って反応することを学び、本人が「ビートに合わせられる」よう内蔵クロックを鍛錬すれば、これらの症状を抱えた子どもを変えることができるだろう。(p524)
時間知覚の問題を薬物療法で修正するのも一つのやり方ですが、本人がその問題に気づき、フィードバックを得ながら訓練することで、時間知覚を修正していくこともできる、ということがわかります。
ADHDの脳の問題は、必ずしも薬によって補う必要のある欠陥のようなものではなく、適切な訓練によって改善していける柔軟なものでもあるのです。
サウンドセラピーが効果を示す理由については、先ほどから出ている、時間知覚に関する脳の神経伝達物質ドーパミンにも影響を与えることが関係しているのでしょう。
ダニエル・レヴィティンとヴィノッド・メノンが示すように、音楽は脳の報酬中枢に働きかけ、それによってドーパミンの生産が増大し、快感情やモチベーションが向上する。(p525)
音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々
でも、先ほど引用した、パーキンソン病で時間感覚の異常が見られるという文脈の続きに、こう書かれています。
しかし音楽があれば、そのテンポとスピードがパーキンソン病に勝り、音楽が続いているあいだ、患者の動きは発病前に本人にとって自然だった速度に戻る。(p340)
音楽は、のちにLドーパ[※ドーパミンを増加させる薬]がやったのと同じこと、それ以上のことをやっていた―が、その持続時間は音楽が奏でられている短い時間と、そのあとの二、三分程度だけである。
比喩的に言えば、音楽は聴覚のドーパミンのようなもの、損なわれた大脳基底核を補う「人工器官」のようなものだ。(p352)
時間感覚に関わる脳の部位は、わたしたちに備わる内蔵クロックとして、まわりに何も手がかりがなくても、時間を把握できるよう助けてくれます。
パーキンソン病などの病気では、その内蔵クロックが損なわれてしまっていますが、音楽やリズムといった、時間を刻む外部の手がかりがあれば、そこに同調することで、一時的に時間感覚を取り戻すことができるのです。
ADHDの人の場合、専門的な音楽療法に取り組んでいるわけではなくても、個人として作業用BGMなどを活用している人は少なくないでしょう。
作業用BGMを活用するのは、何もADHDの人だけではありませんが、おそらくADHDの人の場合は、そうでない人より、BGMの影響をより強く受けやすいはずです。
わたしの周囲のADHDの人は、BGMがなければ絶対に作業できないか、あるいは無音でないと気が散ってしまって集中できないか、両極端な人が多いように思います。
一見すると正反対なようですが、どちらも音楽によって認知機能が強く影響を受けすぎるということを示唆しています。
実際、音楽によって抗えない感情が引き起こされる人も多い。私の友人にも、音楽にとても敏感で仕事中にBGMをかけられない人が大勢いる。
そういう人は、完全に音楽に耳を傾けるか、それとも消すか、どちらかしかしない。音楽のもつ力が強すぎて、ほかの精神活動に集中できないのだ。(p397)
自然の多様な刺激がドーパミンを安定化させる
音楽だけでなく、自然豊かな環境が、ADHDの人の不安定なドーパミンを安定化させるという研究や経験談もあります。
ここで言う「自然豊かな環境」とは、街なかの公園のようなちょっとしたスペースというよりも、山や川辺や大平原や森林のような、探検しがいのある大自然のことです。
たとえば、現代人の“自然欠乏障害”を指摘したジャーナリスト、リチャード・ルーブによるあなたの子どもには自然が足りないの中で、あるADHDの子どもの親はこう語っていました。
多くの親は、たとえ確たる証拠はなくても、いつもは多動気味の子供が山歩きや何か自然を楽しむ活動をしているときには、その行動に大きな変化が起きることに気づく。
「息子はまだリタリンの世話になっていますが、屋外ではずっと静かになります。ですから、私たちは山へ引っ越すことを真剣に考えているんです」と、ある母親が言った。
彼はただ体をもっと動かすことが必要なのだろうか。
「いいえ、それはスポーツでやっています。自然の中にいると、息子を鎮めてくれる何かがあるようなんです」とその母親は言う。(p113)
この母親の子どもはADHDを抱えていて、リタリン(メチルフェニデート)による薬物治療を受けていましたが、自然豊かな環境にいるときはリタリンが必要なくなり、落ち着きを取り戻すことに気づきました。
単にこの子どもが自然好きだったのでしょうか。どうやらそうではないことを示す研究があります。
この分野の最も重要な研究のいくつかを行なっているのが、イリノイ大学の人間・環境調査研究室である。
アンドレア・フェイバー・テイラー、フランシス・クオ、そしてウィリアム・C・サリバンが行なった研究から、緑の野外スペースは子供たちの創造的な遊びを促し、大人と積極的に交流させ、注意欠陥障害の症状を和らげることがわかった。
子供の周囲に緑が多ければ多いほど、ADDの症状は緩和された。一方、テレビ鑑賞のような屋内での遊びや、屋外でも舗装された場所のように緑のない環境での遊びは、症状を悪化させた。(p116)
研究によると、自然豊かな環境の中では、ADHDの症状が緩和されました。あたかも、リタリンなしで、リタリンの恩恵を受けているかのようでした。逆に自然の少ない人工的な環境で遊ぶと、ADHD症状が悪化しました。
このことから、自然豊かな環境には、音楽と同じく、薬によらずしてドーパミン系を安定化させる力があるのではないか、ということがうかがえます。
なぜ自然豊かな環境がドーパミン系を安定させるのか、その理由は長らく不明でしたが、近年のさまざまな角度からの研究で、いくつかのメカニズムがわかってきています。
端的に言えば、人工的な都市環境と、自然豊かな環境では、環境に含まれる刺激のタイプが異なっているようです。都市では単調で強い刺激が多く、自然の中では穏やかで多様な刺激が多くなります。
都市環境では、テレビ、スマホなどに代表されるように、刺激のほとんどが視覚に偏っています。都市は刺激があふれた魅力的なところに見えますが、実質は似たような強い刺激が多く、「単調」だといえます。
他方、自然の中では複雑に絡み合ったフラクタル、あらゆる方向から聞こえてくる生き物の鳴き声や風や川の音、さまざまな植物や土の匂いなど、いまだ科学者が分析しきれないほどの「多様」な刺激があります。
「沈黙の春」で有名な海洋生物学者レイチェル・カーソンは、センス・オブ・ワンダー
の中で、このような自然の中の多種多様な刺激を全身で感じ取れる人たちは、決して退屈することはないだろうと書きました。
自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると感じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
…鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い霧のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な神秘がかくされています。
自然がくりかえすリフレイン―夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ―のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。(p50-51)
先ほどADHDの子どもはドーパミン不足のために退屈してしまう、と述べていた退屈 息もつかせぬその歴史
によると、多様性のある豊かな刺激は、脳のドーパミン・システムを刺激することで脳機能を正常化するとされています。
多様性が退屈を癒すというこの主張には、堅固な生物学的根拠があるようである。
ノーマン・ドイジは、神経可塑性を論じた著書『脳は奇跡を起こす』のなかで、ラットを対象とした実験の結果、刺激が脳にポジティブに効果をもたらすことがわかったと述べている。
…「同一の環境に固定されている以上に、脳の萎縮を速めるものはない。脳の可塑性に必須である、ドーパミンと注意システムとを、単調さはむしばんでしまう。…」
多様性と刺激は神経組織に発生を、つまり脳細胞の実質的再成長をうながすのだと彼は語る。
…豊かさと刺激―多様性―は脳を強化すると同時の退屈を追い払うものだというのは、事実であるように思われる。(p202)
ちょうど退屈な子どもが新しい刺激を見つけて「自己治療」していたように、ADHDの人は、都市の中で単調で強い刺激ばかりにさらされているとドーパミン不足に陥るものの、自然界の多様な刺激を味わうとドーパミンが活性化して「自己治療」できるようです。
わたしたちがごく当たり前だと感じている都市生活が、脳に慢性的な負荷をかけているといえる5つの理由を紹介し、大自然との触れ合いがストレスを癒やし、トラウマを回復させる理由を考察しまし