なぜ「脳は空より広い」のか―実はコンピュータとは全然違う脳の神経ダーウィニズムの魅力に迫る


静かな畑と生垣を楽しんでいたとき、目に入った―牛だ!

しかし、動物の生態に対する新たなエーデルマン的視点で見ると輝いている。

脳がたえずあらゆる知覚と動きをマッピングしている牛、カテゴリー化とマッピング、一次意識という奇跡の過程ではち切れそうな、エーデルマンの牛だ。

「なんてすばらしい動物なんだ!」と、私は心のなかで思った。「これまでこんな目で牛を見たことはなかった」(p441)

れは、脳神経科医オリヴァー・サックスによる、道程:オリヴァー・サックス自伝の中で、ひときわ感動的に綴られている体験の一つです。

オリヴァー・サックスは、ある日、田舎をドライブしていて、一頭の牛を見かけました。それはただの牛です。ほとんどの人が何の気にも留めないごく普通の牛です。

ところがサックスはちょうど、二、三週間前に、ノーベル賞生物学者、ジェラルド・エーデルマンから、刺激に満ちた脳のメカニズムの仮説「神経細胞群選択説」(TNGS)について聞かされ、いたく感動したところでした。

TNGSの視点から、そのごくありふれた一頭の牛を見たとき、サックスは、その牛の脳で生じている驚くべき世界に思いを馳せ、畏怖の念を禁じ得なかったのです。

エーデルマンが提唱した画期的な脳の仕組み「神経細胞群選択説」(TNGS)とは何でしょうか。人間の脳がコンピュータよりも、もっと柔軟ですばらしいと言えるのはなぜでしょうか。

わたしたちが「私」を意識できるのはどうしてでしょうか。「私」が二つ以上ある、解離性同一症(DID)の人の脳では何が起こっているのでしょうか。

ジェラルド・エーデルマンの著書脳は空より広いか―「私」という現象を考えるから考えてみたいと思います。

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これはどんな本?

今回紹介する脳は空より広いか―「私」という現象を考えるは、ジェラルド・エーデルマンが、脳や意識に関する自説「神経細胞群選択説」(TMGS)をできる限り噛み砕いて説明した本です。

この本を読むことにしたのは、冒頭でも引用したオリヴァー・サックスの自伝で、サックスがエーデルマンの説に熱く傾倒して、べた褒めしていたためでした。

できる限りわかりやすく…とは言いつつ、かなり難解なので、わたしも十分理解できていませんが、比較的薄い本なので、頑張れば読み通すことができます。

この本のタイトルの「脳は空より広いか」は、詩人エミリー・ディキンソンの印象的な詩から取られています。

脳は空よりも広い
ほら、二つを並べてごらん
脳は空をやすやすと容れてしまう
そして あなたまでをも (p6-7)

この本は、意識や自己といった、従来、科学の域を超えているとみなされてきた現象を脳科学の観点から説明し、脳がいかにすばらしい仕組みで働いているかを明らかにしています。

このブログでは、解離性同一症(DID)、いわゆる多重人格などを扱う関係で、「私」「自己」「人格」といった脳の特異な働きに注目してきましたが、それをより深く理解するためにエーデルマンの説を知っておくことは非常に助けになります。

脳はコンピュータではない

わたしたちはしばしば、脳の複雑性がコンピュータに例えられるのを聞きます。この世で最も複雑なスーパーコンピュータ、それこそが脳だと説明する人もいます。

たしかに脳は、一見すると、コンピュータに似た情報処理能力を備えているようにも思えます。いつの日か、コンピュータによる人工知能が人間と同じように思考するようになると考える科学者もいます。

しかし、エーデルマンは、この本の中で、コンピュータと人間の脳は、その本質からして全く異なっていて、似ても似つかないものだ、ということを何度も強調しています。

動物の発生過程で、神経回路がどんな経過をたどってできあがるかを詳しく見てみれば、「どうやらコンピュータとはずいぶん違うな」と感じるに違いない。

…どの細胞が、どこに移動し、ニューロンになるか死ぬかは、あらかじめ決まっているわけではない。その時の状況による確率的なものだ。(p44)

つまり、あらかじめこと細かに配線が決まっているのではなく、ニューロンの活動パターンに応じて配線が導かれる。(p45)

ご存じのように、コンピュータは非常に多くの部品から成り立っています。少し詳しい人であれば、CPU、メモリ、グラフィックカードなど、部品それぞれの名称も聞いたことがあるでしょう。

コンピュータは、こうした様々な役割を持つ部品が、寸分の狂いもなく配置され、適切に配線されることで、正常に稼働するようになります。

脳は「こと細かに配線が決まっている」のではない

ところが、人間の脳はまったく違います。エーデルマンが述べるように、「あらかじめこと細かに配線が決まっているのでは」ないのです。

やはり、少し脳に詳しい人であれば、パソコンの部品と同じように、脳にはさまざまな機能を担う部分があることを知っているかもしれません。目からの情報は視覚野、音は聴覚野、記憶は海馬、といったぐあいです。

しかし脳のそれらの部分は、最初から特定の役割に特化して配置されているわけではないのです。サックスは道程:オリヴァー・サックス自伝でこう説明しています。

しかし皮質のほとんどは可塑性で、必要とされるどんな機能も(限界はあるが)果たすことができる、多様性の「地所」である。

だからこそ、耳の聞こえる人では聴覚野となるものが、生まれつき耳の聞こえない人では視覚の目的に再配置される可能性があり、同様に、通常は視覚野であるものが、生まれつき目の見えない人ではほかの感覚のために使われることもある。(p437)

脳には、可塑性(かそせい)という極めて柔軟な特性があります。可塑とは、粘土のように形を柔軟に変える特性のことです。

脳のさまざまな部分、視覚野や聴覚野と呼ばれるものは、パソコンのグラフィックカードやサウンドカードのように、はじめから映像や音に割り当てられているわけではありません。

むしろ、その人の体験によって、何に割り当てられるかが柔軟に変化していきます。

目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)には目の見えない人の脳機能について、こう書かれていました。

生理学研究所の定藤規弘教授らによれば、見えない人が点字を読むときには、脳の視覚をつかさどる部分、すなわち視覚皮質野が発火しているのだそうです。

つまり脳は「見るための場所」で点字の視覚処理を行っているわけです。(p100)

こうした柔軟性は、脳が持つ可塑性を示すほんの一例に過ぎません。

脳は奇跡を起こすでは、こうした脳の柔軟な適応能力は、従来の脳機能局在論と対比して、オペレーター理論と呼ばれています。

脳機能局在論では、ちょうど、先ほどのコンピュータの部品のように、脳の視覚野は見る機能だけ、聴覚野は聴く機能だけに割り当てられているとされていました。

しかしオペレーター理論では、脳の視覚野や聴覚野には、特定の感覚の処理を得意とするオペレーターがいるだけであり、場面によっては、違う役割のために配属替えすることもできます。

だが、パスカル-レオーネは言う。

「わたしたちの脳は、あたえられた感覚の各様式を処理するシステムとして編成されてはいません。

むしろ、脳は、特定のオペレーターがいくつもかかわって編成されているのです」。

…オペレーター理論は、ノーベル賞受賞者ジェラルド・エーデルマンによって1987年に提唱された神経細胞群選択説を下地にしているようだ。

…たとえば、ホメロスの『イーリアス』のような壮大な詩を暗記するなど、骨の折れる聴覚作業を言い渡された人は、通常は視覚に従事するオペレーターを呼ぶために目隠しをする。視覚野の大量のオペレーターは音の処理もできるからだ。(p250-251)

脳はさまざまな部署にわかれた会社のようなもので、それぞれの部署という枠組みがあるとしても、そこに所属している社員たちは自由で、各々が、その部署以外でも役立てられるさまざまな技能を持っています。

そして、必要とあらば、自分の所属する部署でなくとも、他の部署の仕事を手助けする助っ人として駆けつけ、欠員を埋めたり、パフォーマンスを高めたりすることができます。

そう考えると、脳というのは機械的なコンピューターのようなものではなく、一人ひとりの人間の集まりからなる組織のような柔軟なもの、可塑的なものだといえます。

脳には“ノイズ”が不可欠

脳がこうした可塑性によって、コンピュータと大きく異なる柔軟性を示すのはどうしてでしょうか。再びエーデルマンの脳は空より広いか―「私」という現象を考えるから引用してみましょう。

脳のふるまいはデジタルな計算処理とは考えられない。その明白な理由は他にもある。

コンピュータにとっては致命的だとされている“ノイズ”が脳の高次機能を働かせるためには不可欠なのだ。(p45)

エーデルマンによれば、脳をコンピューターと大きく異ならせているのは、“ノイズ”の処理です。

“ノイズ”とは何でしょうか。それは、わたしたちの周囲の環境で生じる、さまざまな偶発的な要素、予測できないカオスな影響です。

厳密に数学的に計算して処理していくコンピュータはノイズを嫌います。コンピュータにとってノイズの存在は、たとえわずかな量であっても致命的です。ほんの少しでもノイズが交じると、計算結果が大きく変わってしまいます。

たとえば、惑星探査に用いられる宇宙ロケットの打ち上げについて考えてみると、ノイズがいかに致命的であるかがわかります。少しでも想定外の影響が生じ、ロケットの進む方向がわずかな角度ずれてしまうなら、やがて目的地から大きくそれてしまいます。

そのため、コンピュータは、ノイズを徹底的に排除し、外部からの影響を補正して打ち消すよう作られています。

コンピュータ・モデルでは、環境から入ってくる情報に少しでもノイズが混じっていれば、平均化するなどの処理を施して、曖昧さを消してしまう。(p52)

しかし人間の脳はそれとは正反対です。エーデルマンは、脳にとって“ノイズ”は「不可欠」とまで述べています。それはどうしてでしょうか。

脳の多様性と個別性はノイズではない。

それらは、いろいろなニューロン群がレパートリーを組むための大切な要因なのである。(p138)

コンピュータはノイズを打ち消し、正常さを保とうとします。コンピュータにとっては環境から影響を受けず、本来の状態を保つことこそが重要です。

それに対し、人間の脳は、ノイズを探し求め、ノイズに合わせて柔軟に変化します。コンピューターがノイズを打ち消すのに対し、脳はノイズを取り入れて、自分の一部にするのです。

コンピュータは、ノイズを排除するので、どんな環境に置かれていようが同じです。あなたが今使っているコンピュータを北極に持って行こうが宇宙空間で使おうが、地球の裏側で用いようが、コンピュータは何ひとつ変化しないか壊れてしまうかのどちらかです。

しかし人間の脳は、置かれた場所や環境によってさまざまに変化します。環境は一人ひとりまったく異なるので、地球人口70億人のうち、ひとりとして、だれかと同じ脳を持っている人はいません。

先ほどの脳は奇跡を起こすの中で、頭部損傷研究の専門家ジョーダン・グラフマンはこう言っていました。

「ということはつまり」とグラフマンは言う。「100万人を集めて、脳のある領域を見れば、多かれ少なかれ同じ機能や処理を果たしていることになる。

けれども正確に同じ場所ではないと思う。きっちり同じにはならないね。みんな違う人生経験をしているから」。

神経ダーウィニズム

脳がノイズを排除するのではなく、ノイズに合わせて柔軟に変化するのは、環境に適応し、生き残るためです。目が見えなくても耳が聞こえなくても、あるいは慢性的なストレス環境に置かれたとしても、脳は生き残るために自らを環境に適応させるのです。

この能力は、わたしたちのよく知る何かに似ているのではないでしょうか。

そう、チャールズ・ダーウィンの提唱した「自然選択説」です。

生物は、環境の変化に合わせて適応し、生き残りを図ります。同じ種であっても、住む環境によって、外見や能力がさまざまな変化し、無限の多様性が生じます。

それと同じことが、わたしたちの脳の中でも神経細胞レベルで生じている、そう主張するのが、ジェラルド・エーデルマンの説です。

だからこそ彼の説は「神経細胞群選択説」、あるいは「神経ダーウィニズム」と呼ばれているのです。

ちょうど、生物が地球という環境の一部として生態系を営んでいるように、脳も、それ単独ではなく周囲の環境があって初めて機能します。

コンピューターは、まわりの環境から独立して動きますが、脳は、まわりの環境からの手がかりなくしては正常に機能しません。

生まれたばかりの子どもの脳は、まわりの環境、たとえば見るものや聞くものに合わせて脳を形作っていきます。両親とのスキンシップによって愛着システムが作られ、オキシトシンなどホルモンが放出され、環境に合わせて脳が発達していきます。

周囲からのこうした感覚入力がなければどうなるのでしょうか。

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