自分の身体が感じられない生ける屍になった人たちー感覚鈍麻とアイデンティティ喪失の神経科学

重篤で遷延的(慢性的)なトラウマのサバイバーたちは、自らの人生を「生ける屍」のようだと述べる。

…1965年の感動的な映画『The Pawnbroker(邦題:質屋)』の中で、ロッド・スタイガーはソル・ナザーマンという失感情状態のユダヤ人ホロコーストのサバイバーを演じている。

ナザーマンは、自分が抱く偏見をよそに、身を粉にして働く黒人の少年に愛情を育んでいく。

最後のシーンでその少年が殺されると、ソルはメモを留める釘で自分の手を刺すのだった。

何か、とにかく何かを感じたいがために、である。(p83)

のブログでは何度か、感覚過敏による生きづらさを考えてきました。他の人よりも感受性が強すぎたり、強く刺激を感じたりすると、ささいなことにも圧倒されやすくなり、日常生活に苦労しがちです。

光や音の「感覚過敏」を科学する時が来た―線維筋痛症や発達障害,トラウマなどに伴う見えない障害
線維筋痛症に極度の明るさ過敏「眼球使用困難症候群」が伴いやすいという記事をきっかけに、さまざまなタイプの感覚過敏の原因とメカニズムを考察してみました。 、

その一方で、冒頭で引用した身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケアのエピソードは、感覚過敏とは正反対の深刻な問題があることを物語っています。

それは、感覚鈍麻。感覚が鋭敏すぎるのではなく、逆に切り離されてしまい、何も感じられなくなってしまった人たちです。

感覚が過敏すぎて痛みにさらされるより、感覚が鈍麻して何も感じられなくなってしまうほうがまだ楽ではないか。そう考える人が多いとしたら、感覚過敏に比べて、感覚鈍麻の本質がほとんど知られていないせいでしょう。

冒頭のエピソードにあったように、感覚の鈍麻や麻痺とは、言い換えれば「生ける屍」(しかばね)になることを意味しています。

大怪我で左足の感覚が一時的に死んでしまったオリヴァー・サックスは、左足をとりもどすまで (サックス・コレクション)の中で、感覚の麻痺は「たんなる筋肉の機能障害ではなく、私自身の存在そのものにかかわる障害」また「存在の消滅」であり、「自我にかかわる溶解」だと書きました。(p75,252-253)

この記事では、生きている実感がわかない離人症や、自分はすでに死んでいると感じるコタール症候群、自分の身体がわら人形や石膏のような異物としか感じられなくなった人たちの体験談を通して、ほとんど光を当てられてこなかった感覚鈍麻がもたらす「アイデンティティの障害」という深刻な影響について考えます。

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ACE研究が明らかにした「小児期逆境後症候群」ーなぜ子ども時代の体験が脳の炎症や慢性疾患を引き起こすのか

フェリッティとアンダは、各個人のACE項目の数と成人後の病気や身体の不調に相関関係があるかどうかを調べた。その結果、両者は密接に関わっていることが判明し、アンダは「驚いた」だけでなく胸が締めつけられた。

「思わず泣いた」とアンダは語る。「どれだけ多くの人が苦しんできたかということを知って、涙が出た」。(p36)

師ヴィンセント・J・フェリッティと疫学研究者ロバート・アンダは、自分たちが実施したACE研究(Adverse Childhood Experiences : 逆境的小児期体験)の結果を目にしたとき言い知れぬ衝撃に打たれました。

17421人もの人を対象に行われた、このかつてない大規模で画期的な研究は、それまで見逃されていた一つの事実を、疑問の余地なく明らかにしていました。

心疾患、肺疾患、肥満、がん、脳卒中、さらには原因不明とされる自己免疫疾患や、線維筋痛症のような慢性疼痛、慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)に至るまで、ありとあらゆる慢性病は、子ども時代に逆境を体験した人ほど発症率が跳ね上がるという相関関係を示していたのです。

フェリッティもひどく衝撃を受けた。「想像をはるかに超えた発見だった。

子ども時代の困難な出来事と成人期の発病の相関関係によって、人間の健康と病気に対して、これまでとはまったく異なる視点が生まれた」

フェリッティが言うように、これは「これまで誰も口にできなかった、多くの苦しみの原因が特定された瞬間だった」。(p36)

その後の研究を通してわかってきたのは、子ども時代の逆境的体験は、あたかも時限爆弾のタイマーを身体にセットするようなものだということです。

ここでいう子ども時代の逆境的体験とは、虐待や機能不全家庭だけでなく、医療トラウマや事故、病気、学校生活の苦痛などあらゆる逆境を含みます。

子ども時代の逆境は、老化のマーカーであるテロメアを短くし、身体の免疫システムによるストレス反応のパターンを書き換えます。さらに、脳に慢性的な炎症を引き起こすことさえわかってきました。

今回紹介する小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策 (フェニックスシリーズ)は、子ども時代の逆境的体験が、思春期の突然の崩壊や、30代40代という中年に発症する様々な身体疾患を引き起こすメカニズムを説明しています。

このブログでまとめてきた、HSP(敏感な人)や、解離、発達性トラウマ障害、脳の炎症と慢性疲労症候群など、ほとんどすべての話題を網羅している、わたしが待ち望んでいた本ともいえるこの一冊を紹介したいと思います。

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EMDRはどうやってトラウマ記憶を再処理するのかーレム睡眠を利用した負担の少ない治療法

本書で述べてきたように、「狂っている」または制御不能と思われる反応には理由がある。

問題の根本的原因、あるいは健全で満足度の人生を送ることができるかどうかを決めるのは、無意識の記憶の結び付きである。(p246)

年、EMDRの開発者フランシーン・シャピロによる過去をきちんと過去にする:EMDRのテクニックでトラウマから自由になる方法が翻訳されていたので読んでみることにしました。

目を左右交互に動かしながらトラウマ記憶を処理する、この不思議な治療法は、近年NHKの番組で取り上げられたこともあり、日本での知名度も上がってきました。

催眠術をイメージさせる独特な治療手法から、懐疑的な目を向けられていた時期もありましたが、現在では、記憶のメカニズムにのっとる科学的な治療法として研究が進んでいます。

この記事では、この本に推薦の辞を寄せているベッセル・ヴァン・デア・コークの  身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法なども参考にしてEMDRがトラウマ記憶を処理するメカニズムについてまとめてみました。

なぜEMDRは従来の心理療法や薬物治療より高い成果を上げ、患者の心身への負担も少ないのでしょうか。EMDRの目の動きは、レム睡眠のメカニズムとどう関係しているのでしょうか。EMDRはどんなタイプのトラウマに効果的なのでしょうか。

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解離性同一性障害(DID)の手記「私の中のわたしたち」―創造的な生存戦略の凄絶な記録

私がそもそも自分の経験を書きたいと思ったのは、DIDと診断された人に、独りではないと思ってほしかったからであり、このDIDについてもっと知ってほしかったからだ。

DIDという創造的な方法でトラウマと生きてきたのは、本人の責任ではないことを知る必要がある。

…わけのわからない恐ろしい病気だと思われているDIDに、私は人間の顔を与えたい。…とくに私の場合は、有能で雄弁な女性がDIDによって生きのびたことを見てほしい。

私のようにDIDであるのに、あるいはDIDであったからこそ、成功した人はたくさんいる。(p13)

離性同一性障害(DID)。これは俗に多重人格として知られる医学的概念です。

嘆かわしいことに、解離性同一性障害ほど誤解されているものはほかにないでしょう。無神経な人たちがDIDを詐病とみなすのは日常茶飯ですし、軽々しく漫画や映画の題材にされることも少なくありません。

このブログの過去記事で詳しく扱ったように、DIDは、数多くの医学的また生物学的研究に支えられた現実の病態であり、その背後には、言葉に表現しえないほど壮絶な幼少期の体験が隠されています。

多重人格の原因がよくわかる8つのたとえ話と治療法―解離性同一性障害(DID)とは何か
解離性同一性障害(DID)、つまり多重人格について、さまざまな専門家の本から、原因やメカニズムについて理解が深まる8つのたとえ話と治療法についてまとめました。

冒頭に引用した私の中のわたしたち――解離性同一性障害を生きのびては、昨2017年9月に発売されたDID当事者のオルガ・トゥルヒーヨによる体験記です。

彼女は、当事者としての経験から、DIDの啓発や援助に取り組んでいて、昨年は日本に講演に来たことがNHKで報道されていました。

News Up 私の中の、知らない私 | NHKニュース

(※元記事は消えているためインターネットアーカイブへのリンク)

オルガの経験が貴重なのは、幼少期の体験によって解離した人たちが、自分が当事者だと気づくのがとても難しいことを物語っている点にあります。

なぜなら、そのような人たちは、強力な解離性健忘のおかげで、トラウマ体験を忘却していて、自分はそこそこ幸せな子供時代を送ったと感じ、ただ原因不明のさまざまな心身症状だけが表面に出ていることがあるからです。

オルガもまた、最初の診断は「線維筋痛症」であり、おもな悩みは、頭に綿がつまっているかのような思考力の低下や、読書困難、理由のわからない無力感や人への恐怖などでした。

しかもオルガは、弁護士として優秀なキャリアを築いていて、壮絶なトラウマを抱えているにもかかわらず、他の人たちよりはるかに有能でした。

この記事では、オルガの体験を手がかりに、それと知らずに解離症状を抱えている人が、それが解離だと気づくヒントを探してみます。また、解離能力の高い人が、ときに有能な能力を発達させられる理由について考えます。

そして解離、そしてDIDとは、奇妙な得体の知れない病気などではなく、むしろ無力な子どもが生き延びるために身につける創造的な生存戦略なのだ、という彼女のメッセージについても考えてみましょう。

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真っ暗闇の中で輝く人生を生きる、全身が光過敏症の女性アンナ・リンジーの物語

何時間も、わたしは目の前にある自分の手を見ることができない。

自分の腕も、膝も、足も、暗闇の箱の中で暮らすわたしは、世の中に何の影響も与えることがない。

まるでわたしが存在しないかのように、世の中は動いていく。(p160)

きる意欲もやりたいこともたくさんある。五体満足で飛び跳ねることも走り回ることもできる。それなのに、あらゆる光を遮断した、自分の手足さえ見えない真っ暗闇の部屋から出ることができない。

そんな生活を思い描くことができますか。

今回読んだ本、まっくらやみで見えたものは、成人してから重度の光過敏症を発症し、数奇な人生を送ることになった女性アンナ・リンジー(ペンネーム)によるエッセイです。

健康なころは想像もしなかったような奇妙な身体を抱えるようになって、暗闇の中で、戸惑い、耐え忍ぶ日々。しかし決して絶望せず、今の自分にできることを探し、道なき道を歩み続ける。そんな女性の等身大の姿がつづられた一冊です。

この記事では、彼女が抱えている独特な光過敏症とは何かを知るとともに、彼女の意欲的な日常生活から学べる、ただ健康かどうかだけが充実した人生を左右する尺度なのではない、という点を考えてみました。

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